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森岡孝二著 「雇用身分社会」
岩波新書(2015年10月)

労働条件の底が抜け、企業の最も都合のいい奴隷的労働市場となり、格差が身分に固定される時代にしていいのか

ここ数年、新聞・テレビ上で「偽装請負」、「フリーター」、「派遣切り」、「正規労働者と非正規労働者」、「製造業派遣」、「名ばかり管理職」、「残業代ゼロ」、「過労死問題」、「過労うつ病」が話題にならない日は無いぐらいだ。またそういった労働問題と格差社会を取り上げた書は多い。労働条件の底が抜けた。派遣はいつでも着られる身分、パートは賞与なし、昇給なしの低時給で雇止めされる身分。正社員は時間の鎖に繋がれて奴隷的に働くか、リストラされて労働市場を漂流する身分、こんな働き方になったのはなぜだろうか。この30年で様変わりした雇用関係を検証してゆこう。下にこれまで読んできた関連書を示す。
@ 朝日新聞特別報道チーム著 「偽装請負ー格差社会の労働現場」 朝日新書
A 門倉貴史著 「派遣の実態」 宝島社新書
B 中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 岩波新書
C 橘木俊詔 「格差社会」  岩波新書
D 濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 岩波新書
E 森岡孝二著 「就職とは何か」 岩波新書
これらの問題の本質を新自由主義による労働規制緩和として捉える流れである。特に本書 森岡孝二著 「雇用身分社会」に関係の深い、多様化する労働事情を取り上げた、B 中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 (岩波新書)、D 濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 (岩波新書)と、 E 森岡孝二著 「就職とは何か」 (岩波新書)についてまとめておこう。

中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 (岩波新書 2006年)
1990年代後半から日本の格差問題が議論され始めた。時間給賃金が1996年から2001年には250円強もダウンしさらに下落し続けている。更に正社員も成果主義処遇によって二極化した。このように労働現場を厳しく変えたのは、1986年に労働法制が再編され機会均等法と労働者派遣法が制定され労働基準法が大幅な規制緩和にあったためである。正社員の男性の残業が青天井で許され、女性労働を中心としてパート化・派遣労働者化が進んで労働現場は激変した。それが低賃金化への推進力となったのである。1995年日経連は「新時代の日本的経営」で雇用を次の3つで管理すると宣言した。@基幹を担う長期蓄積型能力活用A専門能力活用B定型業務を中心とする雇用柔軟型である。このBが労働現場のすべての禍の元になった。2001年には正社員は170万人削減され、非正規社員は200万人増加した。私の経験から見ると、確かにこの時期周辺から製造現場から正社員は主任だけになり実務労働者は請負子会社(組)社員が殆どになった。こうして安上がりな非正規社員雇用は価格競争を通じて正社員常用雇用労働者を駆遂していった。(これを悪貨は良貨を駆遂するという)現代社会が直面しているのはただの格差ではなく、深刻な貧困化を伴うものでありそれがいかに不合理な差別の上に成り立っているのである。資本の前に働く人の人権が否定され「健康で文化的な生活」は憲法の飾り文句に過ぎなくなった。「食べていけない」、「自立できない」、「健康に生きられない」労働がもたらすものは、活力ある社会とは全く似ても似つかない破綻ではないだろうか。
低賃金化・細切れ雇用がすすむ非正規雇用はいまや究極の商品化とも言うべき「日雇い派遣」を生み出すに至った。この低賃金労働は正規雇用を追い詰める。「正規常用代替」は正規雇用の烈しい値崩れをもたらした。雇用者が正規雇用であることに特別の意義を見なくなった結果である。規制緩和政策は経済を回復基調に導いたかの様にみえるが、一方で激しい二極化と貧困化を進めた。労働者を犠牲にして企業の人件費削減策が成功したのである。労働者の人権と生活を奪って、いやなら外人を雇うよと脅しをかけているようだ。正規労働者と非正規労働者(女性が多い)と外人労働者の三者を競争させて人件費コスト低減するのである。「分割して支配せよ」とは植民地主義の原則であったが、いまや労働界は分断されて抑圧されている。労働界の体たらくは企業内労働組合の不勉強と貴族化・総務課支配の結果である。日本の産業社会に未来があるとするならば、それは競争による敵対と差別・排除ではなく、働き手を大切にする協働のシステムを構築することであろうか。その際に低賃金化を引き起こした女性の非正規雇用を克服する男女平等社会(ジェンダー)の視点が必要である。また正規雇用は自らを守るため非正規雇用を差別するのではなく、非正規雇用との均等待遇を確保する方向に行かなければ自らも守れない。
規制緩和が労働者の選択権(自己決定権)というイデオロギーを伴って導入されたことは、取り返しのつかない被害を社会に与えた。つまり「自己決定」というポジティブな像をもって人を欺き、格差を認めさせ、生み出される矛盾を働き手の「自己責任」にすり替えるという米国流自由の論理は労働法をないがしろにし差別を固定化するものであり、不公正社会をもたらし人から活力と再生可能な労働を奪うものである。労働は自立した人生を創り上げる人権そのものなのだ。その人権を奪うことは資本が人々を奴隷化することである。許されるものではない。政府こそが労働活動の適正な配分を保証し差別を抑制する機能を果たすべきで、小さな政府と言う規制緩和は健全な社会を守る任務放棄になる。日本の社会において人々が雪崩をなして社会的弱者に転落する事態は現実のものであり、格差は努力や能力の欠如の結果とみなされ脱落者になったのは努力や能力の不足だという弱者いじめになっている。米国流自己責任論は人々から自立と人間としての尊厳さえも奪い社会の不公正是正や差別に立ち向かう力と勇気さえ削ぎ落としてしまう。グローバル資本の一人勝ちになって、規制緩和はもはや善ではなく、不公正の源になりつつある。規制緩和に反対し、人を商品化する資本から新しい労働システムを構築することこそが大切である。まるでマルクスの「共産党宣言」になってしまった。それほどグローバル資本のなすがままでは私たちの生活と社会は崩壊するといことだ。

濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 (岩波新書 2009年)
この本は厚生労働省側から書いた本である。いまや形骸化したが、かっての日本型雇用システムとはよく言われるように、長期雇用制度(雇用)、年功賃金制度(報酬)、企業別組合(労使関係)の3種の神器からなる。しかし日本型雇用システムの本質はその雇用契約にある。雇用契約とは世界的には職種(ジョブ)を明確に決めて使用者と労働者が契約するものであると云うのが常識になっている。ところが日本型雇用システムの特徴は「職務」という概念が稀薄なことである。如何なる職務にも従事するという意味では、日本の雇用契約は一種の「地位設定契約」あるいは「メンバーシップ」ともいうべき契約である。かっての日本型雇用システムの特徴とされる長期雇用制度(雇用)、年功賃金制度(報酬)、企業別組合(労使関係)は、すべてこの「職務をさだめない雇用契約」という本質から論理的帰結として導き出される。欧米では発生したジョブに対応する必要な労働力という形で雇用されるため、必要がなくなれば雇用契約は解除されるのが常識である。日本型雇用システムではある職務で雇用な減少すれば、別の職務への移動、グループ企業への転籍、出向など雇用を維持する方向で解決される。また欧米では賃金はジョブによって決定され、同一労働同一賃金原則が産業間で決定される。日本型雇用システムでは賃金は職務とは切りはして決められ、勤続年数、経験など年功賃金制度+忠誠度を測る人事査定に基づいている。また労働条件については欧米では職務に基づいて産業別レベルで決められるが、日本では企業内でしか通用しないので企業別組合が使用者と交渉するのが原則である。日本の賃金制度の最大の特徴は、工場の生産労働者(ブルーカラー)にも月給制が適用されていることだ。欧米ではホワイトカラーには月給制や年俸制が適用されているが、ブルーカラー労働者の賃金は時給制が基本である。日本の月給制には残業割増手当ても付くという特殊な制度である。月給制に時給制を加味したような制度である。年功賃金制度を生み出している仕組みは定期昇給制度である。
2009年3月過労死したマクドナルドの支店長の「名ばかり管理職」の残業手当を支給せよという判決が出て和解が成立した。使用者側のもくろみは管理職と称する事で労働時間の規制と残業代の支払いを免れることにある。労働基準法にいう「管理監督者」とは「事業経営の管理的立場のある者とこれと一体をなす者」というのであり、「名ばかり管理職」は経営とは縁遠い末端正規社員で,労働者はアルバイト店員ばかりという状態であった。しかしこの判決で残業時間という賃金問題の影に欠落しているのは、「過労死」という労働者の命と健康を守る労働時間規制問題であった。同じような使用者側の願望は、スタッフ管理職ばかりでなくもっと多くの労働者を残業代から除外したい事であった。政府の規制緩和・民活推進会議は2005年12月「ホワイトカラーエグゼンプション」という「裁量労働制で自由度の高い働き方」を提案し、ホワイトカラーの労働時間規制と残業代を適用除外したいという願望を露にした。いつもの事であるが政府(官僚)が英語の名前と美名の下で悪辣なこと(嘘)を覆い隠すのは常套手段である。英語ときれいごとが出てきたらご用心である。これに対して労働側は「労働時間規制がなければ過労死・過労自殺に拍車がかかることは明らかだ」として猛反対し、2008年12月これを廃案にした。非正規労働者の派遣問題 は働きかたを根本的に変えるものであった。2006年7月朝日新聞は「偽装請負追求」を始め、キャノン、松下電器産業の大量の派遣請負労働者を雇っている事を糾弾した。1947年の職業安定法によって「沖仲仕」などすべての労働供給業を禁止した。これは請負と称しても実態が労働者供給であれば禁止するということであった。ところが労働ビックバンの規制緩和の大合唱によって、労働派遣業が特殊業務(1985年)から、原則自由な業務について認められる「労働者派遣法改正」(1999年)が行われ、ついに2003年には製造業を対象に含めて完結した。その派遣業者が請負を偽装したのである。労働者派遣とは「自己の雇用する労働者を、当該雇用関係の下に、他人の指揮命令を受けて、当該他人のために労働に従事させること」である。派遣には常用型派遣事業(殆どない)と登録型派遣事業(派遣されている間だけ派遣元が派遣労働者を雇用するタイプ)がある。登録型派遣事業とは使用者責任を派遣元が負ってくれるというサービスつきの職業紹介事業である。派遣先と派遣者の間に雇用関係はないとする「法的仮構」にすぎない。派遣先企業にとって、雇用関係はなく必要な部門に必要な労働者を入れ、実質的な指揮命令系統下におけて、不必要になればいつでも契約を解除(雇い止め)出来るという極めて便利でかつ安価な労働力として渇望された労働力需給システムであった。このシステムによって2008年秋からの世界金融大不況がもたらした景気縮小に「派遣」を切って労働需給に対応できたと言える。しわ寄せは全て弱者の若年派遣労働者であった。
賃金と社会保障は密接に関係する。2006年7月NHKが放映した「ワーキングプアー働いても働いても豊かになれない」は世間へのインパクトが大きかった。小泉政権時の「構造改革・規制緩和路線」の是正がにわかに社会的要求となった。非正規労働者は1990年代後半の就職氷河期によって大量に生み出されたのである。この世代の若者はもう中年期を迎えており、この世代が生活できないことが未婚となり少子化が加速した由縁である。少子化問題は「生めよ増やせよ」ということではなく、生活できる世の中の実現がなければどうにもならないのだ。日本の地域別最低賃金、産業別最低賃金は生活保護の給付水準を下回っていた。つまり健康で文化的な生活を営めない水準であった。2007年11月安倍内閣は改正最低賃金法を成立させたが、このねじれ現象を解消するには至っていない。企業が生活給制度を廃止するなら政府はその社会的コストを負担する必要がでてくるのは当然である。現実に日本型雇用システムにはいらない、家計を維持する非正規労働者が増えている以上は、彼らに家族の生計を維持できる収入を確保する必要がある。それには公的な給付である、「子供手当て」、「高校費用無料化」などの施策がなされなければならない。給料と福祉のトータルでセーフティネットが必要なのである。多くの長期失業者や若年失業者が雇用保険制度と生活保護制度の狭間で無収入状態になっている。生活保護はすべての能力がない場合のみになっているので極めてハードルが高いし、再起のチャンスも自分で摘むことになりかねないモラルハザードにおちいる。

森岡孝二著 「就職とは何か」 (岩波新書 2011年)
この書は「新就職氷河期」のただ中、就職を控えた学生に対して学生課(キャリアーセンター)の先生による「最低これぐらいの労働事情を知っておかないとまずいよ」というような「学生に与うる書」(警告の書)であろうかと思う。2010年の労働省調査によると、15−24歳の若年雇用者は1992年の750万人から460万人に激減し、非正社員化は全体で39%に増加した。なかでも15−19歳(中卒、高卒)の非正社員化は91%である。若者の人口減少と大学進学率の増加(51%)によるものと思われる。高度経済成長期には金の卵ともてはやされた若年労働者は今ではごみ扱いである。大学卒業者の就職率は約6割で、大学院進学・海外留学などを除いた就職未定者は約2割を占める。2011年3月での就職内定率91%という数値は、就職を諦めた大学生を母数から除いているために高く見えるだけである。企業の採用活動開始時期が早期化するにつれ学生の就職活動開始時期も早期化し、大学教育が成り立たなくなると心配されるほどである。小泉元首相の規制緩和路線によって、富の分配は大きく企業側に傾いていることは確かである。労働側の格差や中流社会の崩壊、若年労働者の貧困化は目に見えて顕著である。また労働問題は企業と労働の賃金問題だけではなく、政府の福祉政策とペアーで考えなければならない。さらに職業教育(キャリアー)という点では厚生労働省だけの問題ではなく、これまで職業教育に全く無関心であった文部省の政策も長期的に関係している。これまで政府は健康保険・失業保険・年金などの福祉政策や職業教育、扶養家族手当てや子育て・教育費などの生活賃金、さらに源泉徴収など税制面などを企業側に押し付けてきた。企業と政府の負担のバランスは日本的に歪んでいたといえる。そこでグローバル競争の激化から企業側からの負担返上の要求が一方的に内閣へ提出された。 こうしてグローバル経済危機を背景に日本の労働環境の破壊が一方的に進行した。日本の雇用者報酬総額は2010年度で253兆円で2000年以降だらだらと下がり気味である。国税庁の「民間給与実態」では1人平均給与は2009年は406万円であった。男性の給与の落ち込みは著しく1997年に577万円であったが、2009年に499万円に下がった。OECD加盟国主要国で年間賃金が長期的に下降しているのは日本のみであった。雇用とは「賃金や労働時間が法定の基準を満たし、働く権利が保障され安定していて、健康保険・雇用保険・労災保険などの社会的保護が加えられるもので、労働者が使用者の指揮命令下で働き、その対価として賃金を受け取る関係」と定義すれば、日本の雇用は既に崩壊している。それは正社員の絞込みと非正社員化が進んだ結果である。
総務省の「労働力調査」は賃金不払い労働を含めた全労働時間は、1993年に2500時間で2010年には2300時間であった。パート労働者数は1990年から15%も増加した(特に女性パート労働者の増加率は20%以上)。男性正社員に限ると年間で2700時間の労働時間であり少しも改善されていないのだ。週平均労働時間は56時間に及ぶ。年次有給休暇の取得は2004年には46%に下がっている。欧米では90%を超えているので隔世の感がある。若者の過労死の労災申請が増加している。脳・心臓疾患と精神障害による過労死の統計は乏しいが、労災申請で見ると2010年には1983件もあった。過労死ラインは月平均80時間の時間外労働といわれているが、労災認定と会社を相手取った遺族の提訴判決は最近「殺人的給与体系」をとる会社(外食産業が多い)に対して厳しくなった。労働基準法がありながらなぜこのような殺人的労働が放置されているのだろうか。それは基準法第36条によって、例外規定があるからで「労働組合と36協定を結び、労働j基準監督署に届ければ時間外労働の制限は免れる」となっているからだ。ブレーキ役の労働組合と基準局が機能を果たしていないためである。厳しい労働環境を取り上げずに個人の意識にすり替えている。これがいわゆる小泉内閣以来の「自己責任論」であり、「必死に努力しない人間は負け組」という切り捨て論に繋がる。さらに酷い扱い方は「心理カウンセラーに相談」というような若者を病人扱いすることである。うまく行かなければうつ状態になるのは人間らしい当たり前のことである。精神安定剤を飲んで世の中がよくなるわけはない。ただ働き方をめぐる神話は棄てる必要がある。@大企業は安定していて労働条件はいい、A公務員は民間より安定している、B女性は子育てをおこなうべきといった迷信は棄てなければならない。 ILOが唱える"decent work"とはまともな人間らしい生き方のできる労働である。それは労働基準法第1条にいう「労働者が人たるに価する生活を営むための必要を充たす」働き方である。「働きすぎの時代」はグローバル化、情報化、消費社会化、雇用の非正規化という要因がもたらした。ではどうしたら働きすぎを防止できるのだろうか。旗rき方が改善されないのは、政治と政府がこの課題に取り組んでこなかっただけでなく、一連の規制緩和策によってブレーキを加えるのではなく財界の要請に従ってアクセルを踏む役割を担ったからである。「変形労働時間制」「事業所外みなし労働時間」、「裁量労働制」、「名ばかり管理職、「ホワイトカラーエグゼンブション」などの言葉に代表される、表面上はもっともらしいきれいなごまかし言葉で「残業ただ働き」を合法化してきたからである。過労死の犠牲者は年間1万人を超えるという人もいる。有効な対策を打つどころか企業のただ働きを基準局が是認してきたからである。36協定という抜け道を用意し、過労死ライン週80時間労働が常態化した。「まともな働き方」とは次の4条件である事を最後に確認しておこう。@ まともな労働時間 A まともな賃金 B まともな雇用 C まともな社会保障 である。

序論 本書の言いたいこと

以上の3つの書で問題点は言い尽くされているようだが、労働事情は2015年時点でさらに悪化してきている。本書が書かれた理由はそこにあるようだが、新たに出された問題点も多い。かって「勝ち組、負け組」で自己責任論と時の運、そして敗者復活戦で頑張れといったきれいごとが真っ赤なウソであったことが分かった。労働条件と働き方が細分化され、格差と貧困化が同時進行し、奴隷労働が日常化すると、働くものの力が弱まり一方的に企業側の独り勝ち(利潤配分が企業側の独り占め)となり、所得再配分政策が削減あるいは切り捨てられ、社会保障・健康保険・厚生年金・生活保障などの労働者の権利が剥ぎ取られた。その辺の新たな問題点をみてゆこう。派遣が会社の社員食堂を利用できないという書き込みがネットでなされている。恐らく派遣法改正(派遣先は派遣する人を変えれば何年でも派遣を受け入れることができる)による派遣の恒久化を意図した制度改悪が急を告げていることと無関係ではない。楽天、パナソニックの例が挙げられ、はっきりと「派遣社員は社員食堂利用不可」と言われた例もあります。まるで昔のアメリカの黒人差別を思わせる待遇です。厚生労働省の「派遣先が講ずべき措置に関する指針」によると「派遣先は(派遣労働者に対して)その雇用する労働者が通常利用している診療所、給食施設、休憩室などの施設に関する便宜を図らなければならない」とされているのに、こうしたことを言う企業はガイドライン違反である。パートタイム労働者は、低時給、短時間、短期雇用で三重に経済的自立が困難な状況におかれている。しかしパートと言われる女性労働者に修5時間以上働く「フルタイム労働者」もいる。2013年12月新聞記事に「ブラック企業、パート残業月170時間も、過重労働浮きぼり」という厚労省の重点監督結果を伝えた。パートタイム労働者の間にも「使い潰し」と「心の病」(過労によるうつ病)が深刻な問題になっている。正社員は店長だけの飲食店の例では、激務からパートは1か月ほどで辞めてゆく。学生アルバイトのなかにも「グラックバイト」が増えてきている。ブラック企業への社会の関心が飛躍的に高まったのは2013年である。今野春貴著「ブラック企業ー日本を食いつぶす妖怪」が火をつけたのである。「自分は能力がない」とか「自分が悪い」と思う状況を作り出すことがブラック企業の労務管理の特徴だそうだ。労働市場には代わりがいくらでもいるからである。ブラック企業は人材の使い潰しが成長の条件と得ている。耐えて残った者は極度に従順な人間に作り替えられている。静かに進行していた社会事象が急に世間に知られるようになる(自メディアが取り上げると同義かもしれないが)のは、端的な言葉が適用されることによる場合がよくある。「過労死」、「格差社会」、「ワーキングプア」(シプラーの著書名)、「働き方」などがある。政府の雇用政策は「多様な働き方」という美名で本質が隠蔽されてきた。働き方の変化と、それがもたらした日本の社会の労働と生活の変化は、本書の表題「雇用身分社会」なしには語れない。にほんではこの30年間経済界も政府も「雇用形態の多様化」を進めてきた。パートタイマーが増えるのは1970−1980年代であるが、90年代になると女性だけではなく男性のパート化進んだ。働く人々は綜合職正社員、一般職正社員、限定正社員、嘱託社員、契約社員、パート・アルバイト社員、派遣労働者のいずれかに引き裂かれた「雇用身分社会」が出現した。これらの呼び名は名称だけの問題ではなく、雇用の安定性の有無、給与所得の大小、労働条件の優劣、法的保護の強弱、社会的地位などにおいて、身分的差別ともいえる深刻な格差が存在する。身分とは一般に「社会における人々の地位や職業の序列」をいう。本書でいう「雇用身分」とは雇用主と労働者という階級間の支配・被支配の関係を含んでいるが、労働者という同一階級内部での異なる階層間の関係を表している。現代では「法の前の平等」の原則が確立し、建前上では基本的人権や個人の尊厳、男女同権などが承認されているが、雇用が「社会における人々の地位や職業の序列」を作り出している面があることは否定できない。戦後の民主改革で工員職員間の身分差別はなくなった。しかし日本では男女間の格差はどうしようもなく大きいことは事実である。それが今日になって新たな雇用身分社会を生む温床となったということができる。現代日本の雇用身分社会を大きく二分するのは正規労働者と非正規労働者である。学歴、大学格差とも無関係ではない。しかし賃金格差は正規労働者と非正規労働者の差が一番大きいのである。パートの多くは、低時給、有期雇用、短時間労働であり、賞与や手当・昇給・昇進・退職金・福利厚生・社会保険などの権利はない。ユニクロでは販売員はアルバイトと呼ばれているが、実態はパートである。契約社員は金融や保険では20-30%を占め、有期契約で時給はパートよりは高いが、昇給・昇進とは無縁で退職金も年金もない。派遣労働者は、派遣先とは雇用関係がなく極めて不安定な間接的雇用身分である。正規従業員にくらべて教育訓練、医療、福祉、福利厚生、社会保険などから排除されている。社用メールアドレスさえ与えられえていない。正社員のなかにも身分差がある。総合職にくらべ一般職は職務、勤務地、労働時間を制限され、初任給が低く、昇進速度は遅い。政府は「限定正社員」の導入や「新たな労働時間制度」(残業手当なし)の導入を企てているが、これによりさらに正社員の代替えが進むことになり、時間に縛られて奴隷労働的に働くか、酷使された挙句リストラされることになる。これらの労働市場の底抜けは1985年の労働者派遣法成立に始まる。雇用形態の違いを雇用身分の違いに置き換える動きが盛んとなった。1990年代以降の非正規労働者の激増によって生じた中流層の没落と貧困層の膨張が顕著である。バブル崩壊後年収300万円以下の所得階層が激増し日本は格差社会に陥った。格差社会から雇用身分社会への移行が始まった。

1) 戦前の雇用身分制

戦後70年が経過したといえども、日本は戦前と完全には断絶できていない。むしろ昨今は自民党政府内において「集団的自衛権」、「憲法改正」など戦前回帰の動きが強まっている。雇用についても同じようなことが言える。川人博は著書「過労自殺」のなかで、「バブル経済崩壊後の1990年代後半以降、日本の労使関係、資本・労働関係は、戦前のいわばむき出しの凶暴な資本主義へと後戻りしつつあり、過労自殺はその象徴的な犠牲のように思われる。」と書いている。第2次世界大戦後の1947年に労働基準法が制定され、法定労働時間は一日8時間、週48時間となった。さらに1987年の労基法改正によって週40時間の労働時間に短縮された。しかし実態はどうであろうか。総務省の2011年「社会生活基本調査」によると、正規労働者の平均労働時間は、週53時間、月228時間、年2756時間であった。しかし3人に一人は週60時間、年3000時間以上という。年休を一日も取っていない人は16%もいるという。1903年に出た農商務省の向上調査報告「職工事情」によると、紡績工場での一日の労働時間は12時間を超え、女子の製糸業では一日14時間、織物業では16時間であったという。2014年牛丼チェーン店「すき屋」の「労働環境改善第3者委員会」報告によると、24時間連続勤務、恒常的に月500時間勤務が指摘された。このような過重労働は、労働者を過労で倒れさせ、またはうつ病に追い込むなど健康に深刻な影響を与えている。明治期の日本の代表産業は繊維産業とりわけ綿糸紡績業と製糸業であり、当時の労働力の主体は女工であった。過酷な長時間労働で労働問題が噴出し、女工を始めとする工場労働者保護のために、工場法を制定する動きが政府内にあった。明治期の「職工事情」(岩波文庫)において、各地の募集人は甘言をもって勧誘するだけでなく、前貸金を渡して人身売買を行ったと書いてある。あたかも遊女を買い入れる「女衒」の様であった。ある大阪の紡績会社の職工の1年間の出入り数ン記録では、新規雇い入れ1538人、離職者2162人、継続雇用者1246人でかろうじて減数維持の状態であったという。短期労働での入れ替えだけでなく、酷使に堪えかねて逃亡する者も多かった。病気(結核)になって帰郷する者もいた。大正時代の雇用状態は「女工哀史」に見ることができる。1911年(明治44年)に工場法ができたが、女性と15歳以下の年少者の労働時間は一日12時間に規制し、1923年の改正で年少者を16歳以下とし、労働時間を11時間とわずかに短縮した。低賃金と長時間労働と無権利を特徴とする雇用形態であった。工場組織と従業員の階級については、社員と職工の間に越えられない身分差があった。雇用身分間の賃金格差は男性で部長で400-700円、末端の職工では20円以下だった。差別は男工と女工の間にもあった。初等教育儲けていない少女を集めるために、紡績工場には文部省認定の小学校があった。明治期の終わりごろの職工の教育は尋常小学校を卒業した者は男工で21%、女工で8%にすぎなかった。女工は寄宿舎に寝泊まりし、外出制限や読書制限や風紀制限で自由を拘束されていた。工場法で労働時間移規制があったが、「夜堯」という強制深夜勤務があって、実質労働時間は一日14-18時間であったという。長時間労働に併せて紡績工場の労働環境・衛生環境が極めて劣悪で、栄養不足や疲労ストレス、結核などが蔓延し、精神に異常をきたす者や結核で倒れる者がいて、今でいうブラック工場が常態化していた。職工虐待事件が各地で発生した。当時は過労死110番がなく、正確な過労死・病死データが把握されていないが、1901年の東芝過労死事件では「今や労働問題は賃金問題でも権利問題でもなく、生命問題である」という声が広がった。女工の疾病の第1番は結核で、女工の死亡率は1000人のうち23人であった(2.3%)。世間の3倍の死亡率である。結核は職業病ではなく過労死ではなかろうか。栄養と休養で防げるからである。過労自殺も過労死に含まれる過労死には、脳・心臓疾患だけでなく呼吸器疾患と消火器疾患や精神障害も含まれる。諏訪湖畔の無縁墓地には故郷に帰れずに自殺した女工の墓がある。1927年の新聞記事には半年で47人の女工が自殺したと書いている。女工の悲惨な状況は、「ああ野麦峠」にも描かれている。本書がなぜ過去の悲惨な労働の歴史を描いてきたかというと、1980年以降、雇用・労働分野の規制緩和が進み、労働基準法による保護と権利が次々に剥ぎ取られてゆくにつれ、戦前の暗黒工場を思わせる酷い働かせ方が息を吹き返してきて、社会全体においても差別された雇用身分がひろがってきているからである。人々の社会的地位と労働・生活実態が雇用身分によって引き裂かれた社会、すなわち雇用身分社会になってきたと言える。

2) 派遣とパート労働による戦前の雇用の復活

前章で明治時代から昭和初期にかけての紡績工場の女工の雇用問題を見てきたが、その雇用形態が今日の派遣社員のそれに酷似している。つまり雇用関係は、工場主と女工との契約関係である前に、工場主と募集人の契約関係がある。派遣社員の間接雇用関係と同じである。現場作業者の「寄せ場」を、全国的ン労働市場に広げたのが今日の労働派遣制度であろうか。「女工哀史」の募集人も、「蟹工船」の周旋屋も今日風に言うと人材派遣会社であり、人材ビジネスである。今日人材ビジネスは派遣業だけを営んでいるわけではなく、正規学卒者の就職支援から正社員の再就職支援、一般事業者の「首切り相談」から「ヘッドハンティング」さらには「追い出し部屋」支援まで仕事を広げている。非正規社員も正社員も生涯職探しを免れず、人材ビジネスが大いに繁盛する時代になった。戦前までは組頭、親方、周旋屋、募集人、紹介屋、口入レ屋、手配師など多様な名称の労働市場の仲介業者がいて、有料の労働者供給事業が営まれていた。強制労働、奴隷的な人身売買、賃金の中間搾取、労働争議への暴力団の介入なども広く行われた。戦後の労働改革のなかで、1947年4月労働基準法、続いて職業安定法が制定された。労働者供給業を営むことや、供給される労働者を自分の指揮命令下で働かせることも禁止された。請負契約についても、労働者は常用も臨時も直接契約とする原則が定められた。しかし1952年請負の要件が緩和されたことがあって、社外工や業務請負の間接雇用が広がった。1960年代後半には早くも人材派遣会社が登場する。マンパワージャパンが66年に、テンプスタッフが73年に、パソナが76年に設立された。これら労働者派遣の既成事実化の動きに呼応するかのように1985年に「労働者派遣法」が成立した。専門26業務を派遣許可とするポジティブリスト方式であるがこれがもっともらしい嘘であることは続いて派遣法改正による工場とサービス関係の単純業務が許可されたことにより、爆発的に派遣業務が拡大されたことで明らかである。これをきれいごとと嘘で固めてスタートし、すぐさま内容を拡大するという「小さく生んで大きく育てる」というペテン的法制化である。2014年サービス産業動向調査によると、サービス産業従事者2847万人のうち、非正規比率44%出非常に高いことになった。なかでも宿泊業や飲食業の従業員は76%が非正規労働者である。労働者派遣業は専門業種に携わる労働者を外部から受け入れるつより、むしろ単純業務に従事するs田内の常用労働者を派遣に置き換えることを意図していた。労働者派遣法の提案者は「規制緩和という時代の流れを背景として、事業規制は原則撤廃すべきであり、とりわけ許可制、覇権対象業務、派遣期間の諸規制については、至急見直すべきである」(中央職業安定審議会)と言っていた。バブル崩壊後経済企画庁総合計画局の「21世紀のサラリーマン社会」では、内部労働市場は正社員、外部労働市場は派遣・パート・臨時・アルバイトなどに分け、外部ソーシングに求めることが謳われている。総務省「就業構造基本調査」2012年では非正規労働者の総数は2040万人で全労働者の38%に達したことを確認した。1995年日経連の「新時代の日本的経営」では、雇用形態のポートフォーリオとして、A長期蓄積能力活用グループ、B高度専門能力活用グループ、C雇用柔軟型グループにわけ、正社員から契約社員、派遣労働者の3層構造を提案した。2004年には派遣は原則自由化というネガティブリスト方式に変わった。そして受け入れ期間の限度を1年から3年に延長し、同一派遣労働者の受け入れを3年までとし、「専門26業種」で邪機関御制限はなくなった。そして2015年の労働者派遣法改正案でゃ専門26種の枠組みを撤廃し、企業は人さえ変えれば派遣使用期間はいくらでも延長できることになった。2008年のリーマンショック金融危機では派遣労働者の首切り(雇止め)で派遣労働者の数は減った。最高時の400万人から2012年では245万人に減少した。これこそが雇用者が求めてきた事業内容に応じた迅速で自由な雇い方である。雇用関係から派遣社員を見ると、雇用関係と使用関係が分離され戦前の労働者供給制度と同じ雇用関係になった。派遣法は労働基準法を無残に破壊した(安倍の集団的自衛権容認に伴う安保法制が憲法9条を破壊したのと同じである)ところは、第1に事業主は労働者を直接雇用し賃金を払うという雇用の第1原則を否定したことである。第2に雇用と使用関係を分離し、職安法で禁じられてきた労働市場仲介者の中間搾取(ピンハネ)を合法化した。第3に派遣先事業所が派遣元に派遣料金を払い、一部が派遣元に入りのこりが「賃金」として労働者に支払う形式になって、労働契約の根本原則を破壊した。また労働者の労働条件の決定から労働者を排除し、派遣先と派遣元が勝手に契約していることになる。最後に企業の福利厚生の利用と社会保険の適用の権利を事実上派遣労働者から奪った。また労働基準法に定められた団結権や団体交渉権の場が無くなった。派遣には「登録型」と「常用型」があるが、労働者派遣法の本質的特徴は、つよく「登録型」に当てはまる。テンポラリ雇用形態で、最悪は「日雇い雇用」が待っている。これは奴隷労働市場に拡張され、戦前回帰の改悪である。

パートタイム労働者は、短時間労働をさす「時間パート」と、勤め先で非正規労働者の呼称区分に過ぎないフルタイムパートを含む「呼称パート」に区分されるが、パートタイム労働者は低時給で有期雇用で、その上昇給も昇進も諸手当も賞与も、福利厚生制度もほとんどない。第2次世界大戦後の民主化の過程で職工差別はなくなったが、しkし男女差別は、雇用形態格差、賃金格差、労働時間格差の形で根強く残っている1970年頃からパートタイム労働者が増え始め、女性労働者に占めるパート比率は2014年で50%ほどに増加し、男性労働者では17%程度である。全労働者に対する比率は、2014年で非正規労働者が40%に増加し、中でもパート・アルバイトの比率が27%と一番高い。2014年の全就業者は6351万人でこれを100%として、雇用者は5600万人で88%、自営業者は8.8%、家族従業者は2.6%である。1980年の「労働白書」によると国際比較から見た日本のパート労働者の就業実態の特徴は、長時間労働の割合が高いことである。パート労働者の週平均労働時間はアメリカでは19時間、ドイツ21時間、日本33時間であった。年齢別労働力比率曲線は女性はいわゆるM字型カーブであったが、その真ん中のへこみ方が減少し、2013年では70%フラット型に近づいている。また全女性労働者に占める非正規労働者比率が35歳以上で正規労働者を超え、いわゆる夫婦共稼ぎが増加したことにほかならない。夫婦共稼ぎ世帯比率は1995年頃から男性片働き世帯比率を超えて、2010年頃に55%に達した。家計の困窮化がこれに拍車をかけた。耐久消費財のみならず教育費、住宅費の増加の世代で女性の追加所得が必要であったからだ。女性パート労働者の低賃金では、夫のいないシングルマザーの貧困化が顕著であう。母子家庭で子供一人の場合年収が手取りで最低でも250万円なければ生活できないとすれば、日給4500円のパートではダブルワークしなければならない。ひとり親世帯の場合、母親が児童扶養手当を受給している割合は73%で、生活保護を受給している割合は14.5%である。アメリカでもワーキングプアーが増えているのはシングルマザーで、その46%が貧困状態である。日本でもシングルマザーが100万人を超え、2012年で54%が相対的貧困ライン以下である。両親が揃っている場合の貧困率は12%である。これには女性への性別格差と雇用形態別格差が重なって作用している。男性の月額平均賃金を100とした時の女性の月額平均賃金は製造業で45、時給格差47であった。つぎに男性一般労働者の時給を100とすると、女性は70、パートタイム労働者では男性が46、女性が42であった。パート労働者が正社員と同じ技能であったとしても、日本のパートタイム労働者が差別された劣った雇用身分であることは明白な事実である。ひょせいパートの賃金の著しい低さは、性別、雇用形態別、労働時間別格差の影響である。これらを改善するために、1986年に「男女雇用機会均等法」、1999年に「男女共同参画社会基本法」が制定されたといえ、いまだ賃金格差や雇用形態改善の実効のある政策は出されていない。

3) 正社員の消滅

最近では、正社員も多様化して、エリア正社員、時給正社員などの「限定正社員」が増加した。勤務地や職務や労働時間が制約された一般職も限定正社員の一種である。派遣やパートなどの非正規労働者が増える中で、ここ数年「正社員の消滅」も語られるようになった。労働白書が正社員という言葉を使ったのは1980年である。パートタイム労働者と対置させた一般労働者を「正社員」と呼んだ。女性パート労働者が急増して一般的になるのに対して、雇用期限の定めがなく昇給や賞与や諸手当や福利厚生のある一般労働者が「正社員」と呼ばれた。ということはパートタイム労働者は会社の世紀の構成員ではないと差別されたことと同じである。労働組合は正社員=組合員を守る事だけのことしかしてこなかった。1970年以降男性正社員の残業の増加が顕著となった。週労働時間が60時間以上の長時間労働者は1990年で1975年の2倍となり、逆に週35時間以下の短時間労働者もやはり2倍となった。長時間労働者が増えたのは男性正社員で、短時間労働者が増えたのは女性パート労働者のことであった。高度経済成長が止まった日本では、1975年のオイルショック以来企業のリストラが推進され、少数精鋭主義で男性正社員の労働密度が高まり、安い人件費を求めて多くの女性パート労働者を採用した。正社員に誕生は「会社人間」、「企業戦士」の誕生であった。働き過ぎによるストレスや「過労死」が増えてきたので、1988年より「過労死110番」がスタートした。そして1990年代バブル崩壊によるデフレという長期不況が日本を襲った。「リストラ」や「ホワイトカラー受難時代」を迎えた。不況下で中高年ホワイトカラーを標的としたリストラとい雇用調整が進み、いわゆる終身雇用や年功序列が崩壊していった。近年ではリストラの手段として「社内失業」、「追い出し部屋」というやり方が流行し、2013年パナソニックの例が新聞に報道された。結局は中高年者に転職を迫り、人材供給会社が就職先を斡旋するシステムである。男性の正規社員は週67時間ほど働いている。これを均してみると一日14時間勤務となる。今日における過労やストレスの増加にはグローバル化や情報化などの経済面の構造変化も影響している。情報化による働き方の変化は、うつ病などの精神障害や過労自殺などを引き起こしている。雇用の非正規化でブラック企業にその典型を見る様に、酷使、嫌がらせ、いじめ、パワハラが企業内で横行している。2008年を境として過労自殺が過労死を追い抜いた。2014年では過労自殺が年1500件、過労死は微減少して年800件であった。過労自殺の増加で見逃せないことは若い労働者の発症が増えていることである。40歳までは過労自殺が圧倒的に多く、40歳代以降で過労死が増えてきている。体力が落ちた中高年で過労死が多くなる。2912年安倍第2次内閣は「規制改革会議」で、雇用形態を正社員改革の一環として「限定正社員」、「ジョブ型正社員」を目指すべきだとした。つまり正社員の多様化を目指すというが、限定正社員の賃金は正社員よりかなり低く抑えられている。また「行き過ぎた雇用維持型から労働移動支援型への政策転換」を宣伝している。これは従業員の再就職に人材会社を利用すると労働移動支援助成金を出すというリストラ推進策である。これらの雇用形態では初任給から正社員より低く設定されている。大卒新入社員の初任給は総合職で20万円とすると、一般職が18万円となる。15年勤務では年俸で綜合職1000万円、一般職500万円という差がつく。一般職、限定正社員(エリア正社員など)はリストラの際はまず最初の調整に会うであろうといわれる。正社員の労働時間が無限定・無制限であるということは「奴隷的労働」を強いられるということである。SEの現場は過労死が際立って多いとされる。一日当たりの労働時間は12時間はざらである。2014年6月超党派議員立法で「過労死等防止対策推進法」が成立した。財界は2005年以来時間外労働賃金を払わない「ホワイトカラーエグゼンプション」を唱えている。産業競争力会議のメンバーである人材派遣会社パソナの竹中平蔵会長(小泉内閣に総務相として郵政民営化を実現した)は、年収800万円以上の者に適用するというが、将来年収要件が大幅に引き下げられることは見え透いている。安倍内閣の「高度プロフェッショナル制度」は労基法の根幹をなす週40時間、一日8時間の規制を外し、時間内と時間外の区別を消し去り、労働時間という概念をなくし、残業という概念もなくする「労基法解体法案」を狙っているのである。安倍内閣の「多様な正社員の普及拡大のための有識者懇談会」座長の今野浩一郎は「正社員消滅時代の人事改革」という本を著し、働き方が制約された制約正社員「限定正社員」が従業員が中心となる時代がやってくると述べている。多くが有期雇用の限定正社員に置き換えられることになるかもしれない。そうすると労働時間の規制が外され、無制限の著時間労働を強いられる正社員だけが残ることになる。これが新自由主義改革の雇用労働政策である。つまり雇主の絶対主義の下での労働者奴隷制度である。労働者を絞れるだけ絞れる資本絶対主義には持続可能性はなくいずれ破たんする。寡占資本支配の下で労働者が疲弊し、社会は行き詰まって腐敗しいずれ革命が起きるのである。

4) 雇用身分社会と格差・貧困化

厚生労働省のホームページには「様々な雇用形態」について、正社員以外に、「派遣労働者」、「契約社員」、「パートタイム(アルバイト)労働者」、「短時間正社員(限定正社員)」、「業務委託(請負)労働者」、「家内労働者」、「在宅ワーカー」の7つを挙げている。又派遣労働者の雇い主はあくまで人材派遣会社にあるとしているが、実際に指揮命令を出している派遣先は無責任であることは妥当でない、派遣先と派遣元の双方が責任を持たなければならないという。つまりどちらの責任であるかは不明確であり、少なくとも派遣先が全責任を負わない働かせ方である。逆にいえば派遣労働者は派遣元にも派遣先にも何も言えない弱い立場に置かれていることになります。そしてこの雇用形態は今では雇用の階層構造や労働者の社会的地位と不可分の「身分」になっている。それぞれの雇用形態が階層化し身分化することによって作り出された現代日本の社会構造を「雇用身分化社会」となずけるのである。雇用身分社会の一つの帰結は格差社会の成立であった。これを「階層社会」と呼ぶ人もいる。2004年アメリカの貧困をえぐった、シブラー著「ワーキング・プア―アメリカの下層社会」という本が刊行された。貧困社会はあるべきものがないという意味で「デブリベーション 剥奪」と形容される。いわゆる人並みの生活条件が剥奪された状態をさすのである。ワーキングプアー層の生活水準は生活保護世帯よりも低位の水準になり得るのである。つまり最低時給と働く時間をかけた収入が、生活保護給付金(約月15万円)よりも低いのである。就業構造基本調査によると、非正規労働者数は1987年の850万人から2012年に2040万人に増加し、全労働者に占める比率は今や38%-40%までになっている。こうした非正規労働者の増加は、正規労働者の賃金を抑制することを通じて、低所得層(年収300万以下、全労働者の52%)の増加と中所得者階層(年収300万円―1000万円 19%)の没落を招いた。低所得層の拡大と貧困化、中所得階層の没落、高所得階層の縮小を伴っている。若年層(25歳以下)の非正規労働者比率は2012年に正規労働者比率を上回った。そして若年労働者の所得が目立って低下しており年収150万円未満層が43%を占めている。アメリカでは生活の基本的ニーズを満たす最低収入を277万円(4人家族)として貧困ラインを引くと、2012年で貧困ライン以下の人の数は約3100万人で、総人口の15%を占めた。日本の貧困ラインを仮に年収200万円以下とすると、2012年では1822万人(全労働者の33%)で、男女別でみると男性が15%、女性が56%を占め、うち非正規労働者数は1497万人(82%)で、男女別に見ると男性非正規労働者の75%、女性非正規労働者の85%が貧困層であった。人事院の標準生計費(4人世帯の最低生活費)である年250万円以下を第1貧困ラインとすると、719万世帯(29%)が貧困層である。大企業の経営者の年収入が近年大幅にアップし、会社の内部留保は2013年には328兆円の増加しているが、2000年以降従業員の賃金は景気拡大にもかかわらず抑え込まれた。大企業の社員の年間給与は2001年の612万円から、2009年の538万円に低下した。零細企業の従業員の年間給与は210万円ー260万円台で低迷している。つまり会社のみが潤って、従業員が泣く社会になってしまった。統計データから日本全体の動向を裏付けて見ると、民間給与の平均賃金は2002年までは450万円であったが、この10年で400万円まで下がった。雇用者報酬(労働者に分配された部分)は1997年に280兆円であったが、2013年には250兆円にまで低下した。名目賃金が低下し続けているのは先進国では日本のみである。1997年の平均賃金を100として、日本では長期にわたって低下し続け2013年では88となった。韓国は209、イギリスは170、アメリカは163、ドイツは133である。

5) 政府の雇用政策とまともな働き方とは

1995年小渕恵三内閣のもとで経済戦略諮問会議の答申「日本経済再生への戦略」が発表された。それは株主資本主義のアメリカにモデルを求めて、従来の規制・保護をベースとした平等主義に決別し、個々人の自己責任と自助努力をベースとしたアメリカ型の競争的格差社会に展開することを求めた。政府の雇用・労働政策は働き方の多様化・個別性を強調するものであった。こうした審議会や諮問委員会に大企業のトップを入れて、成長戦略などを策定するスタイルが定着した。そこでは特定の産業や企業の利益が優先され、国の環境や福祉や雇用全般との調整が軽視された。従って雇用形態の多様化を産業構造や就業構造の変化だけから説明することはできず、多様化を要求してきたのは労働者ではなく経営者であり、それを政策として後追いしてきたのが政府であった。雇用形態の多様化の最大の狙いは人件費の削減と労働市場の流動化であった。そのためには雇用期間の定めのない正社員(正規雇用)から、有期雇用の非正規社員に切り替えてゆくことが推進された。雇用の有期かは、直接雇用のパート、アルバイト、契約社員、嘱託社員を増加させ、かつ外部雇用の派遣、出向、請負、業務委託に切り替えてゆくことであった。こうして雇用身分間に社会的序列の様なものが形成された。雇用形態の多様化は雇用の階層化と身分化をもたらした。2012年の「就業構造基本調査」を見ると、男性では正社員は年収300万―500万円の中所得者は40%いるが、パート労働では150万以下の超低所得者が60%であり、アルバイトでは超低所得者が59%、契約社員では150万円―300万円の低所得者が54%、派遣では低所得者が54%であった。女性では300万円―500万円の中所得者は極めて少なく、正社員で150万円―300万円の低所得者41%、パートでは超低所得者が83%、アルバイトでは超低所得者が80%、契約社員では150万―300万円の低所得者が60%、派遣では低所得者が55%であった。有期雇用の短時間労働者の平均時給は男性で1117円、女性で1007円である。非正規労働者のなかでは、契約社員は男女ともに年収150万円―300万円の低所得者の割合が高い。契約社員は非正規労働者のなかでは相対的に時給は高い。35歳未満の男性の雇用身分所得格差と結婚の関係を見ると、全労働者の既婚者の年収は424万円、未婚者の年収は196万円であるが、正規労働者では既婚者の年収は432万円、未婚者は216万円である。非正規労働者では既婚者の年収は284万円、未婚者の年収は130万円であった。このことは男性にとって賃金の皇帝によって結婚するかしないか、あるいはできるかできないかが左右される。現在正規・非正規労働者を問わず未婚者が増加する傾向にあるが、25歳―39歳の未婚率は2012年で男性が47%、女性が48%で、正規労働者の男性の未婚率は42%、女性は57%で、非正規労働者の男性の未婚率は76%、女性は38%であった。これでは非正規労働者には嫁は来ないで、おひとり様の老後を迎えるよう宿命づけられているようである。現代日本の相対的貧困率(可処分所得が中央値の半分に満たない人口の占める割合)は1991年で13.5%であったが10年後の2012ねんには16%に拡大している。相対的貧困率をOECD諸国と比較すると、日本とアメリカが肩を並べて13%代と高いし、税や公的給付による貧困の改善率が先進国の中でも際立って低い。日本は先進国の中では一番貧困で、政府の救助の手もないと言える。これは日本の所得再配分政策が貧しいからに他ならない。失業者は2009年に210万人に達したが、失業給付金を受けたのは23%に過ぎず、77%は給付が受けられなかった。失業保険未加入率は57%で、かつ6か月以上保険を払うという給付要件を満たさなかったからである。公務員はいい生活をしているという「公務員パッシング」が2000年以来の新自由主義の旋風の中で巻き起こった。しかし公務員の実態をよく見るとそんなことはなく「国家公務員の2割削減」は実行され、国家公務員数は2000年度末で約84万人であったが、2010年度には約30万人に減少している。これは独立行政法人、国立大学法人、道路公団や郵政などの特殊法人、林野事業職員など外部に付け替えたにすぎないという批判があるが、2010年国家公務員の給与実態調査では大卒男性で、国公の月給は38万円、民間企業は39万円で大差はない。人事院勧告モデル給では40歳男子4人家族の年俸は2001年で617万円、2010年で513万円と104万円も減給されてきた。失われた20年のデフレの原因は労働者の賃金の引き下げであることは明白である。デフレ脱却のために労働者の賃上げを政府が言い出さざるを得なかった。経済再生の犠牲となった労働者の購買力が減退し、企業は投資と生産を縮小せざるを得なかったからである。国でも地方でも公務員が大量に非正規労働者に置き換えられている。一般国家公務員職員総数は約41万人であるが、非常勤職員は14万人で34%を占める。自治体の非正規職員は全国で60万人になり、全体の三割になると推定されている。公務員の定数削減は労働者の雇用問題だけではなく、公的サービスの低下など住民生活の基盤も危うくなっている。生活保護世帯基準の切り下げと逆累進課税である消費税率アップは全国生活保護利用者217万人の生活を苦しめている。最後にまともな働き方の提案については、森岡孝二著 「就職とは何か」 (岩波新書 2011年)に詳しいので省略する。


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