120918

町田徹 著 「東電国有化の罠」

  ちくま新書 (2012年6月 ) 

東電の法的整理をせずに、背負いきれないツケを国民に回す官僚のたくらみ 

2011年3月福島第1原発事故を起こし、経営破綻寸前だった東京電力は、同年3月25日銀行による緊急融資に始まり、4月には政府の支援約束、5月には原子力損害賠償機構の設置、監査法人による決算承認、公的資金の投入と手厚い保護を受けて生き延びている。誰が東電をかくも守ったのか、財務省、経済産業省、銀行、官僚がそれぞれの組織の論理というご都合(彼らの正義)を押し通すため、権謀術数の限りを尽くしていた。そして枝野経産大臣は官房長官の時代は東電の法的整理論を展開していたが、官僚のレクチャーの毒が回ったのか、2011年12月にはいつの間にか東電支援には議決権を国に譲す事を条件にして、「東電国営化」(公的管理下)に置く事を言い出した。なぜ誰が誰のために東電が国有化されようとしているのか。その国有化の本質とは「すべての負担を国民に押し付ける政策」のことである。歴代の国債累積高も天文学的な1000兆円に迫ろうとしている中、はたして200兆円を上回る可能性がある賠償金と除染費などの対策費を国が負担できるのだろうか。それでも東電を存続させる理由があるのだろうか。東電を初め電力体制を抜本的に改め、原子力で甘い汁を吸ってきた東電・株主・銀行は身を切る必要があるのに、原発行政と東電を守るために日本国の破綻に直結する政策がなぜまかり通るのか、国を破綻させても組織の論理を押す官僚の宿業の恐ろしさに背筋が寒くなるばかりである。東電国有化とは東電をなくすることではなく東電を支援することなのである。「東電国有化それは国民に重い負担をしいるだけでなく、日本の財政破綻リスクまで膨らませなかねない間違った政策である」というのが町田氏の結論である。東電福島第1原発事故に伴う国家規模の危機はまだ収束していない。2011年12月に収束宣言をしようとした野田総理に対して、安定的冷温状態即収束ではないことは福島県知事がはっきり野田総理に抗議している。被災民にとって事態は始まったばかりであるという。

福島第1原発事故に伴う対策費とは次の3つを含む。
@被災者に対する賠償金
A汚染された土地・建物の除染費用
B福島原発の廃炉費用
いずれもがまだ算定されたわけではないが厳として発生するであろう対策費であり、それぞれが想像を絶するほど巨大なものであろう。東電が2012年4月に行なった法人向けの電気料金の値上げ、そして7月の一般家庭向け電気料金の値上げはこれが最後ではなく、長期にわたる国民負担の幕開けに過ぎない。企業が背負いきれないほどの負債を生じた場合、破綻処理をするのが資本主義の鉄則である。ところが「東電国有化」とは事故を起こして賠償責任を背負った東電に自腹を切らすことなく、国が丸ごと公的資金で肩代わりする政策にほかならない。そして銀行や株主といった東電のステーキホルダー(利害関係者)は無傷のまま保護される。リスクを負うのが株式会社という制度であるが、いいときは利益を享受し、危機の時は誰かに負担してもらうでは資本主義のモラルは無いのも同然である。資本主義の自己否定である。そこまで日本の資本主義は腐敗していたのである。さらに東電国有化後に必要となる資金を調達するために、政府が全国的な電気料金値上げに加えて「消費税増税」はセットになっている。消費税を増税しないと財政再建はおぼつかず、「福祉の一体化改革のための消費税率アップ」と真っ赤な嘘で、むしろ「東電救済のための財政一体化改革のための消費税率アップ」というべきであろう。野田政権はまさに財務省の論理(正義)のために存在する内閣である。この半世紀、矛盾だらけの原子力損害賠償法(1961年)を放置してきたため、様々な組織の論理の寄せ集めが日本を破滅に導こうとしている。これを「合成の誤謬」というらしい。日中・太平洋戦争では軍部と官僚が日本の破滅を導いた。今回の東日本大震災と福島第1原発事故が官僚の第2の敗戦といわれる理由はそこにある。

NTTが1985年の民営化にあわせて実施した、自社ネットワークに接続する端末(電話機、パソコンなど)の自由化は、ユーザーに好きな端末を洗濯できるようにした。これは米国AT&Tの1968年の措置にならった自由化であった。この自由化はインターネット市場の幕開けに同期してその急成長を後押しし、現在では世界一の高速ブロードバンドサービスを世界一安価な水準で利用できるようになった。ところが政府は「スマートメーター」(通信機能付き電力計)を構築しようとするが、東電は独自仕様を満載したメーターを調達する方針を出した。東電のファミリー企業でしか入札に参加できないようでは競争原理が働かない。電力の独占供給体制を維持してツケ国民に回す旧態依然とした国策会社の悪しき魂胆が見え透いている。2012年5月東電の会長に原子力損害賠償機構の下河部氏が内定した。東電と原子力損害賠償機構は一体となって当面の「総合特別事業計画」を策定し、6月の株主総会で公的資本注入を実現する方向で一致した。上の3つの事故処理費用は国の一般会計予算の2−3倍(200兆円以上)に達しても不思議はないので、国有化で問題は解決するわけではなく、日本国の財政破綻が始まったというべきである。町田徹氏は原発事故対策処方箋を「背負いきれないほどの賠償責任を履行することは国でも不可能である。賠償責務を圧縮するしか選択肢は残されていない。賠償を打ち切って、生活保護や公務員への就労斡旋といった施策があってもいい。そのためにも関係者がその場しのぎに終止符を打つ覚悟が必要だ」という。原子力政策を含めて東電の破綻についても、経産省の責任を明確にし、看板の付け替えではなく資源エネルギー庁の解体が必要であるという。今後日本国民を待ち受けている運命は、原発ゼロにしろ原発維持にしろ福島第1原発事故の後始末に猛烈な金が必要になり、今世界一高い日本の電気料金や電気関係税金の負担がさらに高くなるということである。

本書の論点は比較的簡単である。「何のための東電の国有化か?」に尽きるからである。技術的なこと、経済不況のこと、被災者のこと、世界の動向などは眼目にないからである。財政(政治・官僚機構・法律)1点に絞った論点は明快である。本書の主眼点は第1章「誰が東電を守ろうとしたのか」にある。そこに全力を挙げた取材をおこなった経済ジャーナリストの面目が存在する。そこで第1章「誰が東電を守ろうとしたのか」と第2章「国民負担のための国有化路線」を紹介する。第3章「電力と国家」は電力と原発の歴史であって、山岡淳一郎著 「原発と権力」(ちくま新書 2011年9月)と重複するので割愛する。著者町田徹氏のプロフィールを紹介する。1960年大阪生まれ、神戸商科大学(現在 兵庫県立大学)商経済学部を卒業し、日本経済新聞社に入社。経済部キャップ、ワシントン特派員を経て、2004年独立し経済ジャーナリストとなる。執筆活動の他政府のタスクフォースや大学講師を務めた。主な著書には、「日興コーディアル証券−封印されたスキャンダル」(月刊現代)、「巨大独占NTTの宿罪」(新潮社)、「日本郵政ー解き放たれた巨人」(日本経済新聞社)などがある。

1) 誰が東電を守ろうとしたのか

日本経済新聞5月29日付け記事で、3月25日経産省の松永和男事務次官は、全国銀行協会会長で東電のメーンバンクである三井住友銀行の奥正之頭取と会談し、「我々も責任をしっかり負う。金融機関も支えてほしい」と次官は語ったという。銀行を管轄する役所は金融庁である。それを飛び越えて経産省が東電の3月末の資金繰りによる倒産を避けるために銀行緊急融資をお願いするわけにはゆかない。銀行が信用を失墜した東電を放置して破産させるとその結果は銀行自身に向かう。しかし5月の東電の決算は迫っている。銀行はもし東電を放置して破綻させたら歴代の投資が不良債権化してしまう。経産省は半世紀にわたる原発行政の失敗で国民を未曾有の災害にあわせてさらに計画停電で経済と国民生活を混乱に陥れた責任に恐怖した。そこで経産省と主力銀行の両方からせっつかれた金融庁が3月18日メーン銀行に「貸してやれ」といってしまったようだ。3月25日の経産省と三井住友銀行の奥正之頭取との会談はその手打ち式のようなものであったとりかいすべきではないかと町田氏はいう。これはうなづける論理であるが、そのような記事も経過もメルトダウン騒ぎで新聞のどこに載っていたのかというくらい表には出なかった。しかし裏では関係者による東電救済の手が打たれつつあったというべきであろう。それが東電国有化論にも繋がってゆくのだから官僚の動きは恐ろしい。5月13日菅内閣は閣僚懇談会で「東電福島原発事故賠償支援に関する政府案」なるものを発表した。これは閣議了解事項ではない、閣僚の意見交換会のメモに過ぎないのだが新聞は大きく報道し、5月20日に東電監査法人が東電の破綻宣告をする事を回避するための政府緊急アッピールの役割を果した。なぜ政府が露骨に東電の破綻隠しをするのだろうか。3月にすでに金融庁が「緊急融資」をさせたい以上、政府が銀行に東電破綻のツケを回すことはできないように追い込まれたのである。みんながジョーカー(ばば)を引きたくなかったのである。ジョーカーは回された。最後にジョーカーを引かされるのは国民である。

財務省の正義とは、@計画停電の影響が社会不安をもたらす A震災直後の年度末3月を控えて東電は資金繰り倒産の危機にあった B年度末までに東電処理のスキームを作る時間的余裕はなかったので、当面の存続をはかるしか選択肢はなかった C主力銀行は緊急融資に応じなければ東電は倒産する D東電破綻による計画停電の責任は金融庁に向かう E東電破綻となると賠償主体がなくなるという論理の連鎖であろう。確かに3月17日には東電の株価は1/3以下に下がっていたが、ここに財務省の論理は経産省と一緒になって東電倒産危機だけを煽って、倒産回避のために金融庁に責任を押し付けている。もし東電が月末に倒産していたら、一番被害を受けるのは株主はもちろん総額3兆円の融資をしていた主力銀行である。主力銀行はまた大株主でもある。銀行の正義とは政府支援を前提押した緊急融資を行い、その緊急融資の回収を確実にして、過去に貸した融資の不良債権化を回避したいということである。4月11日東電は緊急融資で約2兆円の資金を借り入れた事を公表した。資金の使途は、設備資金、買い入れ金返済、社債償還、燃料費、復旧費用などの運転資金であった。三井住友銀行が6000億円、みずほ銀行が5000億円、三菱東京UFJ銀行が3000億円、信託銀行4行合計で5000億円であった。いずれにせよ政府(官僚)が東電を潰さない事を前提にした緊急融資に主力行が踏み切ったことで、東電男法的整理という道は閉ざされた。その際哀れだったのが、目の前の原発危機におろおろするだけで、目標とした時期に必要な政策を実現するための法案を閣議決定できず、官僚に要請されたパフォーマンスだけを演じざるを得なかった政府(民主党内閣)の力不足であった。こうした銀行の動きに同調したのが経済産業省の主流派である電力派(資源エネルギー庁ら原発推進勢力)といわれる官僚達であった。経産省大臣官房付きという閑職に追いやられていた古賀茂明氏は、4月上旬霞ヶ関で「東電処理案」を配っていた。古賀氏の東電処理とは東電を破綻処理する特別立法により、2段階に分けて減資や銀行の債券放棄を迫る一方で、政府も賠償責任を分担するというものであった。最終的には電力市場の制度改革まで視野に入れた抜本的なものであった。(古賀氏は経産幹部に憎まれ数ヵ月後には辞職を余儀なくされた。)

この古賀案に対して銀行や経団連の反撃が行なわれた。三井住友銀行の「車谷案」は将来にわたって東電の存続を願うもので、電力会社が保険金を納め国債の交付を受けられる原発版の預金保険を目指した提案であった。三井住友銀行の東電への融資残高は約9000億円に膨れ上がっていたのである。また銀行が持つ株主利益を守ることも銀行としては当然の正義であった。経団連の米倉会長は4月13日の記者会見で東電支援策つくりのため「国が全面支援を行なうべきだ」と訴えた。つづいて三井住友銀行の奥井会長は4月14日「東電の賠償義務を免除する原損法第3条を根拠に国が強い支援体制を打ち出すべきだ」と力説した。15日日経新聞は「原発賠償へ保険機構案ー政府検討へ」という記事を書いた。銀行・財界・政府(官僚)・メディアは緊密な筋書きに従って世論を導いて東電支援の流れを作ろうとしていた。この時期経産省は進退窮まっていた。長年、資源エネルギー庁や原子力委員会、原子力安全・保安院と電力会社が一体になって進めてきた原子力発電行政が崩壊の危機に瀕していたからである。自民党までが原発ゼロと世論に同調せざるを得なかった。東電を破綻させると、電力行政全般が失敗の烙印をおされことになる。といって経産省が前面に立って東電支援を演じることは、自らの失敗を認めることになる。高速増殖炉や各サイクル施設の事故と情報隠蔽で科技庁が解体されたように、福島原発事故で資源エネルギー庁が引き剥がしを含む、経産省の解体に繋がりかねない存続の危機に立たされていた。経産省は幹部レベルで財務省と連絡を取って、東電救済を三井住友銀行に任せる作戦を採用した。黒子に徹しつつ書感の東電を守る、それが自分達の失敗を隠すことになる。これがこの次期の経産省の正義であった。金は貸してやるが、一般会計に盈虚が出るような税金は出させないというのが財務省の伝統的な正義である。国が支援機構に借与する国債は現金と違って直接的な財政負担とはみなさない。国債を無制限に印刷する財務省の論理がここにある。財務省主計局は東電を賠償主体とする支援機構案を提出した。こうして財務省は経産省に恩を売ることが出来た。そして財務省の最大の懸案は「社会保障と税の一体化」と称する消費税の増税であった。

当事者の東電は、財務省と経産省が密かに作り上げていた政府による東電救済策に感謝するどころか、4月25日には東電清水社長が文部科学省の原子力損顔賠償紛争審査会に宛てた要望書には露骨にも東電の免責を主張していた。これに対して海江田大臣は「免責事項には当たらない」と6月14日の国会で答えている。国会で清水社長は「原賠法に基づく政府の支援枠組みに素って公正で迅速な補償に努める」と述べているが、これは事故の当事者としての賠償責任を放棄し、政府の支援策の枠内での賠償しかしないということである。東電は勝俣会長を初めいろいろな会合で、原賠法第3条の免責事項を放棄したわけではないと繰り返し、避難住民への仮払い支給についても保険金1200億円の内訳で行なうといった、自らの財産で対応する事を避けてきている。東電の正義とは支払い義務の不確かな事故の賠償よりも、会社や株主の利益を守ることが最優先であると考えている。賠償という不名誉なことは政府でやってくれといわんばかりの傲慢な東電の体質には開いた口がふさがらない。政府に振り回されているという被害者意識が濃厚で、政府に擁護してもらっているとは思っていない。2001年5月13日は東電救済を巡る大きな節目の日であった。菅内閣は政府が東電福島第1原発事故の賠償を支援する方針を表明したからである。しかしこの方針は先ほども述べたように「関係閣僚懇談会の了承」であって閣議決定ではない。法案でもなく内閣のパフォーマンスといわれても仕方がないほどあいまいな位置づけである。速やかに所要の法案を国会に提出するとしながら事故から2ヶ月経って法案の準備もできていなかった。

支援機構案は次のような具体的内容からなる。
@原子力損害の賠償の支払いに対応する支援組織(機構)をもうける。
A機構への参加を義務付けられるのは原子力事業者である電力会社を基本とする。参加者は事業コストから機構に対して負担金を支払う義務を負う。
B機構は無制限に原子力事業者に対して援助をおこなう。原子力事業者を債務超過にさせない。
C政府または機構は被害者からの相談に応じる。原子力事業者から資産の買い付けなど円滑な賠償のための措置を果たす。
D政府は機構に対して公付国債の交付、政府保証の付与を行う。
E一定期間原子力事業者の経営合理化などについて監督をする。
F原子力事業者は機構から援助を受けた場合、特別な負担金を支払う。
G機構は原子力事業者からの負担金を国庫納付を行なう。
H原子力事業者が負担金の支払いによって電力供給に支障が出る場合、例外的に政府が補助を行なうことが出来る。

政府(官僚機構)による東電破綻回避のための支援約束が行なわれたのもかかわらず、政府(内閣)の東電支援策を法律に落とし込む作業がこれほどまでに遅れた理由の一つには、5月2日の参議院予算院会の審議において枝野官房長官の「東京電力の賠償には上限は無い」という見解を示し、東電の無限責任を追及する姿勢が内閣に強かったことと、福山哲郎著 「原発危機ー官邸からの証言」(ちくま新書 2012年8月)で述べられているように、東電の福島第1原発事故対応のまずさと内閣との意思疎通による菅総理の東電不信感が響いているようであった。支援機構に参加する電力会社は負担金を支払うということが、東電以外の電力会社がなぜ東電のために負担金を負うのかという不満から株主代表訴訟を起こされる可能性があったので、財務省と経産省は電力会社が機構に納める負担金を児童的に電気料金に転嫁する(サーチャージャー部分)仕組みを採用することで各電力会社の了解を取り付け、内閣法制局に法案を認めるよう働きかけた。こうして電気料金値上げという国民負担の道を開いた。機構案の問題は、東電の持つ利益の貯金である内部留保をまず吐き出させる努力を全く講じていない。東電のバランスシートをみると、内部留保とは株主総会の了解で取り崩せる資本剰余金6800億円、利益剰余金1兆8300億円、経産省の了解で転用できる使用済み核燃料再処理引当金1兆2100億円、同準備金360億円、原発解体引当金5100億円などが含まれる。機構案で救済されたのは東電だけでなく、銀行が問われるべき貸し手責任、株主が果たすべき出資責任もそろって不問にされた。昔の「徳政令」みたいなものである。新聞各紙は政府案の「新たな機構が東電を公的管理下におく」と高く評価したが、権限も能力も人材も何もない新設機構の公的管理が機能しないこともわかるはずである。5月20日東電は監査法人から「破綻宣告」されてもおかしくない決算を乗越え(監査法人の共犯性は今さらいうまでもないが)、最終赤字1兆2473億円とし清水社長の辞任と西澤伸社長の就任を発表した。しかしそこには少なく見ても20兆円といわれる福島第1原発事故賠償費用は織り込まれていない。さて誰が払うのでしょうか、東電は知らぬ顔をしているのである。東電は身を切ることはせず政府からの支援の範囲内でしか賠償する意志はないらしい。収益の急速な悪化を尻目になんとバランスシートに記載された「現金と預金」は1兆円以上膨らんでいた。これは銀行による緊急融資のおかげである。バランスは赤字でもキャッシュフローがある限り企業は生きてゆける。アメリカの貿易と財政事情と同じである。

2) 国民負担のための国有化

2011年の夏になると、東電救済策は法制化の時期を迎えた。政府の東電支援策への批判も多く、東電は破たん処理をして法的整理を行なうべきであると、東証の斉藤社長の原則論が注目を引いた。法的整理が難しいなら「事前調整型法的整理」となったJAL方式も有るのではにか。すべての債券をカットするのではなく、商業債券を保護して法的整理を進める方式である。債権放棄は投資責任である。銀行と株主(両者はかなりダブルのである)の利益を守ると不良債権は減らない。東電株価の急落を受けて菅内閣はついに6月14日東電救済のための「原子力損害賠償支援機構法案」を閣議決定した(法律として可決されたのは8月3日であった)。その内容は「閣議懇談会の了解事項」と同じである。6月28日の東電の定時株主総会は荒れた。東電が機構から資金援助を受けるために、「特別事業計画」を提出しなければならない。菅内閣が見込んだ賠償額は総額5兆円で、電力会社に毎年2000億円づつを負担させる(13年で回収)。2012年度の東電の赤字が3000億円として負担金を2000億円とすると5000億円の増収が必要である。そこで東電の電力販売量を年間2500億KWhとすると、1KWhあたり2円の値上げが避けられない。企業向けは2012年4月から17%値上げ、一般家庭向けは同年7月から10%値上げを実施する。さらに問題は賠償総額が5兆円で収まらない場合電気料金値上げが続くことである。機構は東電の特別事業計画を精査し、過去に蓄積した資産の評価とその売却を迫る責務がある。こうして2011年9月12日「原子力損害賠償支援機構」が発足した。

支援機構の実働部隊は政府の第3者委員会「東京電力に関する経営・財務調査委員会」であり、東電と一緒になって「特別事業計画書」作成に乗り出した。機構、東電、第3者委員会は新聞各紙に情報をリークして値上げと原発再稼働に向けた世論作りに精を出した。情報リークは官僚の常套手段であり新聞論調に大きく影響した。そもそも第3者委員会は経産省の御用審議会であり東電擁護の発言がまかり通った。報告の最大のポイントは発生賠償額を過少に見積もって東電のリスク(負担)を少なく見せかけ、東電の自助努力として発電所売却などは検討もしなかった。「損害額を推定するための資料は無い。従って現時点では合理的な損害額を推計することは不可能である」として不合理な結論を導いた。計算できないことは損害がないことではない。数字として損害額が消えている。除染費用として20兆円はくだらないとする意見をばっさり無視した。さらに原発さえ再稼働すれば経営は軌道に乗るという太鼓判を押した格好であった。機構が打ち上げたのは、原発再稼働と電気料金値上げがセットとなった世論無視の東電救援策であった。本来なら財務省・経産省・金融庁・東電・大手銀行の5者が相互に責任や負担を分け合って対処すべき事を、ツケを国民に回そうとするたくらみは白紙に戻すべきである。2012年度春の「総合特別事業計画」を巡る政府と東電の駆け引きは時間切れでうやむやとなった。枝野経産大臣は、@東電の新たなリストラ計画、A新たな資金注入の際政府の議決権の割り合い、B勝又会長の引責辞任を求めてやりあったという。枝野大臣はりそな救済の例である議決権の2/3以上を狙ったが、4月2日の参議院審議では@議決権は1/2以上(東電の株は16億株でに新たに1兆円を融資すると政府の議決権は2/3を超える)、A送電線の中立化を表明した。2011年4月の段階で政府(官僚)の既定方針となりつつある「東電国有化」は、そうした国民負担を固定化しかなない罠である。直面する財政再建をさらに背負いきれないほど重くして国家を破綻に追い込みかねないのである。それは各勢力の正義のために国家が崩壊するという愚である。国家は「共有地の悲劇」にされようとしている。2011年10月IAEA調査団は除染の問題を指摘する報告書を細野原発担当兼環境大臣に提出した。「過度の基準は避けた方がいい」とする助言である。細野大臣は10月4日、それまでの除染の基準を20ミリシーベルトから1ミリシーベルトにするという目標を掲げた。細野大臣の一律基準で行くと除染費用は数兆円から一挙に40―50兆円となる。第3者委員会が2011年10月30日に野田内閣に報告した賠償総額は4兆5400億円であった。シンクタンクJCERの見積もりでは、土地買い上げ費用、所得補償、原発廃炉費用をいれて6兆円から20兆円と算定した。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system