小林秀雄全集第7巻    作家の顔


作家の顔、純粋小説について、文学者の思想と実生活、トルストイの「芸術とは何か」、現代詩について、アンドレ・ジイドの人及び作品 


作家の顔

要するにこの文章は、「作家は作品のみが命であって、作家の顔なんて見えてこない」ということである。自分の実生活を綴った文章はきっときれいごとに違いないという小林氏の私小説批判が見えてくる。優れた作品として北条民雄氏の「いのちの初夜」を挙げ、腐敗するらい病患者の肉体に命の輝きを見た作者の筆力を絶賛した。フローベルの「ジョルジュ・サンドへの書簡」では「人間とはなんでもない、作品が全てなのです」を引用した。ローレンスの手紙では「文学的素質とは生命のありとあらゆる下層に浸潤して成長の根源に密着する宿命を持つ」という文学者の態度を論じた。其処にはふやけた作家の顔はない。

純粋小説について

横光利一「純粋小説論」をきっかけにしているが、西欧の自然主義文学とアンドレ・ジイドの告白小説、ロシアのドストエフスキーのリアリズム小説について考察したものである。日本の純粋小説はこのアンドレ・ジイドを一歩も出ていない輸入品であるからだ。「欧州大戦後にフランスの文学界はひどい混乱に陥った。その中で文藝の純粋化という運動が起こった。小説でなければ現せないことを小説の純粋化という。小説が最も得意とする分野はあらゆる芸術形式のエレメントを持った複合性、内包性のある表現力を持っているので、当然実人生の活写に一番向いているというよう。」アンドレ・ジイドは自然主義文学の人生の切り口に疑問を抱いて、人間の性格や心理を大切にして人間苧行為を離れて心理の世界を描くいわゆる内的独白小説という分野を開拓した。一方ロシアのドストエフスキーは革命的といえる小説の改革が断行した。「罪と罰」の主人公ラスコオリニコフに空想と行為の分裂という近代人の苦痛を洞察した。極度に複雑な心理と極度に単純な行為との劇的な対立を創造した。

文学者の思想と実生活

いつもながら文学者間の論戦は結論というものがない。論戦は対立する論点が変容しながら果てしなく続くことが特徴である。正宗白鳥氏と小林秀雄氏の間に戦わされたトルストイの家出問題に端を発する実生活と思想の問題(これも小林氏の整理による)も長く続いた。正宗氏はトルストイの家出の直接的な原因は細君のヒステリーであったことを主張する。小林氏は問題はトルストイの家出の原因ではなく、彼の家出という行為の現実性だと主張する。といった風に最初から論点があっていない。この小文で小林氏はトルストイの思想を詳らかにしなければならないのに、なぜかドスエフスキー論にすり換えている。従って小林氏はトルストイを論じたのではなく、ドストエフスキー的生活と理論の相克を論じたに過ぎない。蛇足ながらトルストイの思想らしきものはトルストイの「芸術とは何か」の小論文に述べられるので次も読んでください。

トルストイの「芸術とは何か」

トルストイの「芸術とは何か」はこれまでのトルストイの主調子を全面否定し、全ての芸術分野を手当たりしだい破壊しようとするものであった。小林によると「結論が実践であるような人間は、このように振舞うほかはなく、それが精神で飽和した人々に野蛮な印象を与えたに過ぎない。」とこの書物の非凡さを指摘した。「つまり日本では人道主義と理解する人々の群れは何もトルストイの正体を見ていないのだ。これを理解するにはロシアの近代小説のリアリズムの本質を考えなければならない。ゴオゴリからチェホフまでロシアには近代リアリズムは西欧のそれとは異なり、問題小説、傾向小説しかなかった。ドストエフスキーのリアリズムもしかりでトルストイにも有ったのは素朴な内的なトルストイといおう個性であった。」
トルストイの自省録である「わが懺悔」によるとトルストイの改心といわれる「芸術とは何か」で言いたかったことは、「宗教上の意識が芸術の内容を決定する。人が経験した気持ちを誠実に表現できれば、必ずそれは独創的ならざるを得ず、人々に感染せざるを得ない。」このトルストイの考えは私にはさっぱり理解できないが、小林氏のトルストイの理解も論理的は納得できるものではない。小林氏独特の直感的理解によるものか。
ということで先の文学者の思想と実生活において期待したトルストイの思想らしきものは理解不能でした。あしからず。

現代詩について

日本では万葉集以来充分に発達した抒情詩の世界があるので、西欧の輸入された近代詩はなんらこの伝統に対して革命的変容をもたらさなかった。そのことが日本の近代詩人ほど文壇で力を持たなかった。一方西欧には、ギリシャ時代から叙事詩、叙情詩、散文詩の伝統があり、19世紀フランスで起こった象徴派詩人の運動は叙情詩を目指して音楽化できる言葉「純粋言語」つまり暗示的に表現することを命としたといわれる。その代表がヴァレリーであった。小説のリアリティは何をおいても描かれた対象のリアリティに依拠するため一般の言語を使用した。ところが詩人の使う言語は対象に従属しない言葉自体で意味を持つものでなければならない。それが音楽化を目指したフランス語であったが、マラルメに至って頂点に達しいよいよ秘教的に孤立し衰弱を迎えた。日本の自然主義文学も輸入品である限り、その自然科学、実証主義を育てる力も社会的条件もなかったように、この音楽的といわれるフランス語を日本語に翻訳してどれだけ雰囲気が伝わるのか甚だ疑問であり、象徴派近代詩を輸入してもこの運動の根幹をなす精神は理解不能であった。悲しいかな。

アンドレ・ジイドの人及び作品

アンドレ・ジイド(1869〜1951)は現代に比類ないモラリスト、ヒューマニストで小説家であった。たえず不安に駆られて前進する永遠の青春とも言われている。本論はアンドレ・ジイドの小説作品をその成立経過から大きく二つの系譜に分類した。「贋金作り」、「地の糧」、「背徳者」、「狭き門」、「田園行進曲」、「イザベル」などは「純粋小説について」で記したように心理小説の系譜である。「パリウド」、「鎖を離れたプロメテウス」、「法王庁の抜け穴」という風刺的な哲学的小説の系譜である。
アンドレ・ジイドの考えを小林氏は次のように纏めた。「アンドレ・ジイドは人生を描くのに自然主義文学者が使用した一面的な客観的な描写を止めて、人生をあらゆる角度から、あらゆる異なった人間それぞれ独特な見方で眺めるというところの真のリアリズムに立脚して、人生を立体的に構成した。」


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