小林秀雄全集第16巻   人間と進歩について

チェホフ、「罪と罰」について U 

第16巻の題名が目次に無いではないかといわれそうだから弁明しておきたい。本全作品集で戦後急に対談形式が多くなった。しかし対談形式の作品は小林秀雄一人の功績ではないので割愛した。しかもこの「人間と進歩について」は雑誌編集者好みによる企画で、相手がノーベル賞を貰ったばかりの湯川秀樹氏である。大物対談形式の受けを狙ったものであろうが、狙いがあまりに露骨でかつ内容的に凡そ分野が違うため噛みあわない素通りの対談になってしまった。小林氏に素粒子論や量子物理学が分かるはずもない。やくざと学者の対談なんて興ざめだ。見世物トークショーが流行の今なら受けるかもしれないが、湯川氏が受けそうなジョークを連発するとでも思っているのだろうか。

チェホフ

チェホフ作演劇「桜の園」の動機を、チェホフに独白という形で語らせる独り舞台。「ロシア文学においてトルストイとドストエフスキーとい二人の巨人の先は絶壁だと分かるとは後から生まれた小説家の悲劇さ。あの二人の大先輩の結論を探しに、サハリンの流刑者の調査に出かけて分かったことは地獄でもなく人間は平凡と些事に生きられることさ。これが「桜の園」の唯一の動機になったのさ。人を思想や心理や性格などでは見ることはできない、誰も彼も他人の世界に対してはちんぷんかんぷんだよ。人間社会を形成しているのはイデオロギーといった空疎なものではない。」
最後は些事に生きる実生活である。もちろん人生最大の些事は死であるが。

「罪と罰」について U

小林秀雄氏は「罪と罰」について二回書いている。1934年と1948年である。「罪と罰」についてTは1934年に発表されたが、これから小林氏のロシア文学傾斜が開始されるのである。「罪と罰」についてUに入る前に、罪と罰についてTについて卷5に纏めてあるのでもう一度復習しておく。

ドストエフスキー(1821〜1981)は「地下室の手記」という短編で「陰惨な心理小説」の走りを書き、1866年にいよいよ五つの長編小説の一番目「罪と罰」を著した。「罪と罰」についてTは陰鬱なロシア小説の系譜を知る上での格好な入門書になろう。
「罪と罰」製作の舞台裏というかラフスケッチのような手がかりとして作者の「ノート」があるそうだが、小林氏はまずこのノートに則って登場人物の性格つけと狙いを明らかにしてゆく。荒筋書きは以下である。主人公ラスコオリニコフは貧乏な大学生で殺人の夢想に取り付かれ、金貸し婆とその妹リザベータを殺害する。その殺人を酒びたりの廃人マルメラドフの娘で娼婦のソーニアに話してしまい、逮捕されシベリア流刑になる。ラスコオリニコフの分身の性格を与えられた享楽以外は無性格で、自殺でこの世とおさらばしたスヴィドウリガイロフと酒びたりで事故死したマルメラドフらの告白は将に19世紀末現象という退廃的虚無的な「こうなるともう娑婆じゃありませんな。あの世ですな」と言うセリフに象徴される、死でしか逃れられない虚無、無自己となんなんだろうか。
こう簡単に筋を書いてしまえば身も蓋もないが、「罪と罰」はドストエフスキーの作品にしては比較的登場人物も少なく構成も複雑怪奇ではない。むしろ分かりやすい小説に類するとしても、なぜラスコオリニコフが虚無的無人格者なのか到底理解できない。「善悪の彼岸」(ニーチェの超人主義)という犯罪哲学から殺人を夢想するにいたる論理的経過はまるでない。現実的事実の外的因子は何もないのである。これが19世紀後半のツアー専制ロシアの社会的現実と縁もゆかりもないことは承知しなければならない。しかしツアーを縛り首にして選挙にはゆかず酒を飲み行く革命ロシアの庶民の非近代的・社会的未熟さは理解しておきたい。
「主観の極限までいこうとする性向と、客観の果てまで歩こうとする性向が背中合わせである危険なリアリズムがこの作者の制作方法というよりこの作家の精神の相ではあるまいか」、「空想が人間の頭の中でどれほど横暴で奇怪な情熱と化すのかという可能性を作者はこの作品のなかで実験した」と言う小林氏の結論い私も賛成したい。

「罪と罰」についてUでは、Tに比べてはるかに原文からの引用が多くなり、人間の罪と罰に関する哲学的考察の書になった。「罪と罰」がロシアで発刊されたのは1866年つまり明治維新の前の年である。「罪と罰」の主題は主人公ラスコオリニコフという人間の創造の由って来る所以、罪とは何か罰とは何かということである。「地下室の手記」(1864年発刊)は罪と罰のデッサンと言われているが、そこであたかもドストエフスキーが得た哲学的啓示を次にように述べている。「民衆の最低の段階まで降りてきて、国民的根元へ、ロシア魂の認識へ、国民精神の是認へ立ち帰ることについての、非常に長い年月の間に漸次育ってきた信念である。」
ドストエフスキーの世界には二つの激しい運動がある。一つは哲学的精神によって追求される観念の運動である。二つは残酷な観察家によって分析される現実の運動である。前者はプラトンのイデアリズム(理性)、後者はゴオゴリのリアリズムである。ドストエフスキーの人間劇の中心は人間の内面世界に移ったという点で革命的であった。
ドストエフスキーの初期の作品、「貧しき人々」、「死人の家」、「虐げられし人々」はこの人間の内面世界に入ってゆくために一人称小説の形式で書かれている。作者はこの小説を「犯罪心理の計算報告書」と読んでいる。驚くべき心理学的手法を用いたが、あくまで自分とは何かと言う難問について語るためであった。ドストエフスキーは「罪と罰」で始めて一人称小説の形式を捨てた。
「罪と罰」の筋書きは繰り返さないが、主人公ラスコオリニコフの身の破滅は、なんら外的な力によるものではなく彼自らの破滅を望み、いわばこれを創り出すのに成功したからである。一切を自分で始めようとするその強い性向は、ついに外的存在のみならず自分自身の存在の必然性も拒絶して、精神の可能性の世界に閉じこもるにいたる。観念が観念を追うこの空しい世界である。なぜこの世には自殺するか発狂するかどちらかを択ばなければならないような不幸、しかも愚劣で無意味な不幸があるのだろうか。彼が体現したのは、精神の自由な気違いじみた無償性であり、これに気違いじみた行為の無償性が呼応するというところに、彼の悲劇が完成した。老婆殺害のあと、主人公ラスコオリニコフはソーニアという、何も与えてくれない神を信じている生きる悲しみと彼の生きる悲しみが出会った。
小林氏はエピローグで、主人公ラスコオリニコフのその後と彼の人間存在について哲学的考察をのべた。主人公ラスコオリニコフは作者自身が自殺しないのと同じ理由で自殺しない。すなわち主人公は作者自身である。この小説はいかに行くべきを問うたある「猛り狂った良心」の記録なのである。小林氏は道徳・倫理の系譜をカント、ソクラテス、ヘーゲル、パスカルに求めて、最終的にパスカルの「人間とは一体、なんという怪物であるか。なんという珍奇、妖怪、混沌、なんと言う矛盾、なんという驚異か。万物の審判者にして愚鈍なる蚯蚓。真理の受託者にして曖昧と誤謬の泥溝。宇宙の栄光にして廃物。」(パンセ)という言葉を引用している。17歳のドストエフスキーが兄にあてた手紙のなかで「人間とは何と不自然に創られた子供だろう、精神界の法則が目茶目茶になっているからだ。この世は、罪深い思想によって損なわれた天上の魂たちの煉獄にように、僕には思われます。」
小林氏の纏め。「僕らを十重二十重に取り巻いている観念の諸形式を、原理的に否定しようとする或る危険な何物かが僕らの奥深い内部に必ずあるのであり、その事がまさに僕らが生きている心の意味であり、状態である。」


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