小林秀雄全集第13巻    歴史と文学

アラン「大戦の思い出」、環境、文学と自分、歴史と文学、林房雄

アラン「大戦の思い出」

「一般に翻訳の困難ということは根本にさかのぼっていえば切りの無いことである。」という書き出しに始まり詩・散文・論文に程度の差はあるが原文の独特な性格はなかなか邦文に移せるものではいという翻訳家にとって苦しいところを言っている。源氏物語の現代語訳についてもしかりであろう。小林氏が尊敬するフランスの詩人・思想家ヴァレリィ、ジイド、アランには独特な言葉と連結した思想があってこれを移すのは容易ではない。又その思想は梃子でも動かないという頑固さがあって普通の教養人では歯が立たない。アラン「大戦の思い出」はまさに実際生活の些事と思想が硬く結びついた好例である。小林氏はアランの言葉を次のように纏める。「戦争には労働があるというというただその一言で僕は戦争で慰められた。戦争の困難と危険との中では、僕の心はむしろ平静であった。徒な空想は、事実というもので行く手をはばまれた。」
この小論で小林氏がアランについて言いたかったことは、フランス文学の翻訳の本質的困難さではなくて、彼の生活に根付いた独特の思想のことであろう。なおアランとは小林秀雄全集第8巻 の「精神と情熱とに関する八十一章」で紹介した、平易な言葉で述べた哲学概要の著者である。

環境

コント、テエヌの流れに実証主義(科学主義)の歴史観「真ん中に人間を置いて環境を考え環境の理解なくしては歴史は理解できない」という説がある。それに対してフローベールの「個性・才能を無視した論には同意できぬ。真理は中間にある」という反論がある。小林氏の態度はあきらかにフローベール論に組している。「文学を環境の産物として説明するのは唯物史観。文学作品を鑑賞する時、目の前の作品が原因であり作者は作品の結果である。」という一見逆説めいた見解である。歴史における史料、文学における作品は人間が見る態度による決まるものだというのが持論である。お安い環境論に対して小林氏の一撃は妥当だが、ドストエフスキーの社会的背景をしつこく検証する小林氏の態度もまた妥当である。それをいえば小林氏は必ずこう反論するだろう。「社会的背景をくまなく検証して、なおドストエフスキーの独特な創作態度が見えてくる。」わかるかなー

文学と自分

戦時下の文藝の逆境にあってなお全うな文学者の態度を主張する文章で教えられるところが多い。「文学者は口舌の徒であって兵隊ではないが、銃を取るときはさっさと文学は廃業するという覚悟はある。」いい覚悟ではないか。また「芸術家の考えることは書くことである。分からないから考えつつ書くのであって、分かってしまえば書く必要はない」というレトリックで芸術家の表現を定義する。それで判明した。小林氏の長い文章は(翻訳を除いて)、本人が良く分からないからああでもないこうでもないと書いているのだなと思えばいい。さらに「本当に考えるということは安易な抽象(思想)に溺れるのではなく、生活に即した不完全なことを工夫することから始まる。」これはアランのところでも出てきたが、いわば本当の認識とは身の回りの些事から始まるということの言い換えであろう。ここまで開き直れば立派としか言いようがない。それで結果は作品でしか見られない。

歴史と文学

小林秀雄が日本の歴史上の人物や古典について傾斜してゆく記念すべき論文である。第2次世界大戦中いよいよ日本の文学界は良い材料たる対象を失い真理と性格とかいう幻に閉塞沈没した。その間小林秀雄は現代小説に興味を失い、歴史と文学の接点から古典に活路を見出そうとする姿勢があらわに見られる。
「歴史を唯物史観や合理主義史観から見てはいけない。人間がいなければ歴史はないことは疑う余地のない真理です。」という公理から、乃木将軍、「平家物語」、「大日本史」、「神皇正統記」などを取り上げて紹介している。まだ評論するほどの内容ではないし、時代に迎合した匂いもする。成果はこれからである。

林房雄

人が見て訳のわからん難解な奴と定評のある林房雄を「あいつはああいう男だ」と合点すれば理解の道も開けるという個人的擁護から始めた。私も誤解していた嫌いがあるが、戦前早い時期に左翼に走り、投獄されてから転向して戦後は右翼になった厭な奴と理解していた。おおむねはそのとうりなのだが、小林秀雄も決して行動はしないがどちらかというと心情右翼なので気が合うのであろうか。この小文は林房雄の人物論であって作品論ではないので、人物を知らない自分にはコメントできない。


小林秀雄全作品リストへ 随筆・雑感・書評に戻る   ホームに戻る
inserted by FC2 system