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塩崎賢明著 「復興災害−阪神淡路大震災と東日本大震災」
岩波新書(2014年12月)

復興の名の下に被災者を苦しめる震災後の住宅施策

私たちは巨大災害の発生確率の高い、つまりリスクの高い国土でリスクの高い時代に住んでいる。それに対して災害の起きる前の「防災対策」が重要で、災害が起きた場合避難し、救出する「緊急対応」が生死を分かつ。災害に対して自然の猛威を防ぐことはできないし、被害は避けがたい。しかし、その被害をできるだけ少なくする取り組みが「減災対策」である。本書は防災や緊急対応を問題するのではない。災害後の復興対策を論じるものである。災害で被害を受けた人が、家を再建し生活を取り戻す「復興」には長い時間が必要となる。数年から十数年かかるかもしれない。その間に命を落としたり、家庭が崩壊したり、町や村が衰退することもある。この災害後の被害を「復興災害」と呼ぶ。被害を少なくするための「減災」のためには事前の防災や緊急対応だけでなく、復興災害を防ぐための取り組みが欠かせない。「復興災害」という言葉は2006年ごろから使われ始めた。阪神・淡路だ震災から10年が経過した頃である。避難所・仮設住宅・復興公営住宅・区画整理や再開発と言った「復興まちづくり」の中で、人(特に高齢者)がバラバラに切り離されておこる「孤独死」がいつまでもなくならず、生活とコミュニティの再建に苦闘する人々を見ていると、これは災害後の復興政策や事業の方向が間違っているのではないかという疑念が起った、それが本書を書く契機となったと筆者塩崎賢明氏は述べている。これは自然の猛威ではなく、 社会の仕組みによって引き起こされる人災であると感じたという。現在の防災・減災政策の中には、復興施策はほとんど位置づけられていない。復興事業の資金の多くは公共施策(箱もの・土建)に使われる。東日本大震災では政府は25兆円の予算を用意したが、復興は実感として遅遅として進んでいない。なのに復興特需は土建建築業界を潤すだけで、しかもオリンピック特需に向けて復興には手が回らないという始末である。政府は国民の生活を取り戻すより、巨大な建築物を作ることに血道を上げている。阪神・淡路大震災の教訓経験を理解せず、同じような間違った施策が東日本大震災の復興でも繰り返されている。なお本書は東日本大震災の原発事故後の復興についてはあまり触れていない。あくまで住宅政策を中心としたアプローチであるといえる。本書の著者塩崎賢明しのプロフィールを紹介する。1947年川崎市生まれ。京都大学大学院工学研究科修了(建築学専攻)、工学博士。現在、立命館大学政策科学部教授・神戸大学名誉教授、兵庫県震災復興研究センター代表理事、阪神・淡路町づくり支援機構共同代表委員、住宅会議理事長、専門は都市計画・住宅政策である。著書に「大震災100の教訓」、「大震災15年と復興の備え」(いずれも共著 クリエイツかもがわ)、「住宅政策の再生」(日本経済評論社)、「東日本大震災からの復興まちづくり」(共著 大月書房などがある。要するに住宅、都市政策の専門家である。

復興災害とは社会の仕組みによる人災であると冒頭に述べた、官僚と産業界にとって不謹慎ではあるが、まさに特需(予算と仕事)が降ってくることである。それがまっとうな方向で実施されれば問題は発生しないのだが、資本が我利・私欲に走れば人災となる。昔から人の不幸を食って生きている人がいる。江戸時代の紀伊国屋文左衛門は決してミカンで儲けたのではなく、江戸の火災の材木買占めで儲けたのである。文左衛門が火付けをしたわけではないが、いわばアメリカが得意な投機と破壊ビジネスである。市場が飽和になれば金融資本は社会をぶち壊し、ゼロからの投資が開始されて儲けるというビジネスである。自然災害特需と人為的なアメリカ流破壊ビジネスとは異なるが、よく似ているのは巨大な市場が出現することである。困るのが生活を失った市民であり、今日の財政赤字である。25兆円はだれが負担するのかというと、長いスパンでは国民である。国民の財布から金が消えてゆくのである。復興災害を減らすためには、法による復興の道筋をつけて透明性と公平性が担保されなければならない。ここに、大災害の被災対応と復旧・復興に法の課題とはなにかについて、津久井進著 「大災害と法」(岩波新書 2012年7月)という本を参考にしたい。利用できる復興期の法について次のようにまとめている。
次に復興期の法制度を見て行こう。阪神淡路大震災のときもそうであったが、「復興の定義がない」、「復興の法がない」という災害基本法の大きな欠陥に直面した。復興は「災害対策基本法」の射程外であったといわざるを得ない。法学者の集まりでも「復興」の議論は進んでいない。それはあるべき社会の姿を示す価値観の問題から一義的な結論は出ないのである。町づくりを支える法制度としては、「建築基準法」、「都市計画法」(1966年)、「都市再開発法」(1969年)、「土地区画整理法」(1954年)などがある。これらは通常時の町づくりの仕組みであるが、災害時に活用される都市整備法制度として「都市再開発法」「土地区画整理法」が利用できそうである。阪神淡路大震災後の長田地区の復興を見ると、高いビルの林立する町に変わったことが果たして是か非か議論が起きる。法制度からみるとどうしてこうなるのかは、法の誘導策が働いているからである。国からの補助率の高い制度を選択することが優先され現場と住民のニーズは置き去りにされた。事業主体の神戸市の強いリーダーシップが働く仕組みで、地域や町は政策の客体にしか過ぎない。事業のみが強調されコミュニティを形成する要素は忘れられた。「土地区画整理法」では保留地を作り出すために自分の土地の一部を提供する「減歩」があり、「照応の原則」で価値増加によるその分だけ土地が減る仕組みなっていた。被災地を立体的に利用するために「都市再開発法」は住民の持つ土地は新しいビルの一部分に置き換えられる第1種開発「権利変換方式」と第2種開発「管理処分・用地買収方式」があり、第2種の場合は住民は買収・収用後に地域から離れてゆく現実もあった。1997年「被災市街地復興特別措置法」が制定された。早期の住宅建設のために共同住宅などの建設を容易にすることが目的であった。神戸市は建築制限期間が2年と長い事を嫌って同法の適用を見送った。東日本大震災後、2011年「市街地における建築制限の特例に関する法律」が制定され、最長8ヶ月に緩和された。津波対策の住宅集団移転問題に対処するには、「防災のための集団移転促進事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」(1972年)が活用できる。過去には新潟県中越地震で115戸、奥尻島津波災害で55戸、三宅島噴火では301戸などの実績がある。集落の自主性を重んじ強制を排するため政令で集落の単位は5戸と緩和されている。 復興法制の目玉として「東日本大震災復興特区法」(2011年)がある。法は次の3つの部分からなり、@復興推進計画では大規模な規制緩和、税制上・金融上の特別措置、A復興整備計画では国交省と農水省が所管する土地利用の認可手続きの簡素化・ワンストップ化、B復興交付金では被災地自治体の自由裁量部分が大きい交付金財源制度である。「借地借家法」(1991年)の特別法である「罹災地都市借地借家臨時処理法」(1996年)が阪神淡路大震災後に制定された。これは私人関係法であり、「優先借家権」、「優先借地権」、「借地権優先譲受権」からなるが、高額の権利金を支払う必要から阪神淡路大震災では実現した例はなかったという。むしろ借家人は権利を放棄し地主から解決金を得る形で解決した。こうして東日本大震災でも罹災法の適用は見送られた。マンションの建替えについては「マンションの建替えの円滑化などに関する法律」(2002年)があるが、2重ローン問題から合意を得るハードルが高く東日本大震災後では「解消」という形に進む例が出た。津波で被害を受けた零細事業者に対する産業支援復興法は無いに等しく非常に冷たい。政府系の金融機関による融資という仕組みしかなかった。むしろ災害で貸出債券が一気に不良債権化して地元の金融機関も深刻な打撃を受けた。そこで地元金融機関に対する資本注入の緩和のために「東日本大震災に対処して金融機関などの経営基盤の充実をはかる特別措置法」(2011年)が制定された。そして「産業復興機構」、「事業者再生支援機構」による債権買取が図られ、「東日本大震災事業者再生支援機構法」(2011年)が制定された。 暮らしの復興に役立つ法制度はほぼ皆無の状態で、その穴を「復興基金」という仕組みが埋めてきた。復興基金は1991年の雲仙普賢岳噴火災害のときであった。長崎県は義援金と地方交付税などを財源とする1090億円で「雲仙普賢岳対策基金」を設立した。住宅再建から利子補給まで行き届いた施策を行なった。これを教訓として以後の災害には復興基金の仕組みが利用された。公的資金を救出すると何がしの制約を受けるが、特に地方交付税だと国の介入は強くなる。「復興基金」は法律に基づかない柔軟性と機動性が魅力である。基金の財源には、義援金、国の貸付金、地方自治体の起債と銀行融資が考えられる。基金が1000億円あれば年3%の利子で貸し付けると30億円の事業が行えるのである。東日本大震災の復興資金は国からの交付金が財源で取り崩し型となったが、使い道は未定である。再度復興の定義に戻ると、「憲法が保障する基本的人権を回復すること」も一つの定義である。自立の基礎を失った被災者に、自立できところまで公的支援を行なうことであろうか。2011年東日本大震災復興構想会議は2011年6月に「復興への提言」を取りまとめた。しかしこの提言には、被災地の復興の主体が被災者である視点が欠如していること、産業界による都市型復興の視点しかないことなど、「人間の復興」という基本理念が見られなかった。東日本大震災で崩壊したものは、防災神話と原子力安全神話であった。公共工事業界と原子力村の共同幻想がもろくも崩壊したのだ。回復すべきは人間とコミュニティの視点である。災害便乗型資本主義はもうこりごりである。なぜなら経済恐慌と同じく、同じ過ちを何回も繰り返すからである。

第1部 阪神・淡路大震災復興の20年

阪神・淡路大震の復興は「創造的復興」というメインスローガンで概括される。 この創造的復興は冬至の貝原俊民兵庫県知事が用いた言葉で、「単に震災前の状態に戻すのではなく、未来の成熟社会にふさわしい復興を成し遂げる」という意味だそうだ。原型復旧ではなく改良復旧である。大体政治的スローガン「創造的復興」は表向きの美しい言葉と裏腹に、実は「開発的復興」が隠されていたのである。安倍首相の「美しい日本」という言葉が「戦前の非民主主義社会復帰」を意味するのと同じである。「創造的復興」には原形復旧主義に対するアンチテーゼで、新しい技術的進歩を取り入れて一つ上の状態へ持ってゆくという積極的な意味を持つとしても、実際に行われた復興事業はその看板に名を借りた「開発的復興」であった。阪神・淡路大震災に投じられた16.3兆円の使途を分析しよう。阪神・淡路大震災の被害は6434人の犠牲者と、約10兆円の経済的損失といわれる。総額16兆2995億円の事業項目は全体で823件、@福祉のまちづくり(2兆8345億円)、A文化豊かな社会づくり(3703億円)、B産業支援(2兆9486億円)、C防災都市づくり(3149億円)、D多角・ネットワーク型都市圏の形成(9兆8310億円)の5つの大項目に分けられる。財源は国が1/3、都市再生機構などが28%、県が14%、市・町が17.8%だった。各大項目の内容は、@復旧・復興事業(10兆8000億円 67%)、A防災事業(1兆6000億円 10%)、B通常事業その他(3兆8000億円 23%)に分けられる。Bの通常事業の中のほとんどは「総合交通体系・情報通信網づくり」の事業(3兆391億円)で道路づくり、地下鉄、関西空港、神戸空港と言った巨大事業が含まれていた。いずれもインフラ整備で、これらは被災地復興に直接関係しないことは明らかな便乗型公共事業である。これらの事業は結局赤字を生むだけの「復興災害」の一つの典型であった。多くの資金がインフラ整備や箱もの事業に投じられ、その分生活再建が後回しになったことは否めない。ということで16兆円余の資金の内、復興に投じられたのは多く見ても11兆円ぐらいであった。大震災復興の大きな課題はいつも住宅復興であるが、その大筋は単線型プログラムに沿って行われる。避難所→応急仮設住宅→復興公営住宅という3段階の住宅復興であるが、その最後の段階である復興公営住宅は問題を多く抱えている。復興公営住宅は4万2000戸が建設され、兵庫県内で4万人が入居している。鉄筋コンクリートの集合住宅で、家賃は応能応益型で、入居10年間は最も安い場合は月6000円であった。入居者は高齢者優先であったので、65歳以上の高齢者が48%、単身高齢者は42%で高齢者比率が高い。復興公営住宅の最大の問題はコミュニティの崩壊である。そして震災特例家賃低減策が10年で切れたため、高齢世帯の家賃負担が大幅に増えた。生活保護受給世帯が26%に達した(2009年)。阪神・淡路大震災復興事業に都市計画事業が大々的に採用されて、18地区で区画整理事業、6地区で市街地再開発事業が行われた。区画整理事業により広い道路や公園を作り出したが、震災まえの住民が転出して人口が減り、現在の住民の6割は新規転入者である。長田区は借家世帯が多かったので、土地の権利を持たないので追い出された形になり旧住居世帯が減少したのである。こうして解体された旧住居地区はコミュニティも大きく変化した。人間関係にしこりを生んだといわれている。被災者の生活と営業再開は箱モノではないので見えにくい。生活再建にたいしては災害弔慰金法による災害援護資金の貸し付けがあり、全半壊世帯に最高350万円で、兵庫県内で1308億円が貸し付けられた。2009年段階で216億円が未返済となっている。中小企業に対する緊急災害復旧資金は4222億円が貸し付けられた、2005年段階で619億円が未返済である。震災による重傷者は1万683人であったが、後遺症で苦しんでいる人の数は分らない。両手足の機能を失う災害障害者は64人だといわれるが、実態は把握されているとは言えない。国は2011年度で初めて震災障害者の実態調査を行い、328人(117人死亡)とした。

「孤独死」という言葉は阪神・淡路大震災後に大きな問題となった。神戸市の医師額田氏は孤独を次のように定義する。「@低所得、A慢性疾患、B社会的孤立、C劣悪住環境という4条件のもとに、病死・自死にいたること」である。「社会的に孤立した果ての死」という無念な死に方である。仮設住宅と復興公営住宅における孤独死は2013年12月までの19年間で1057人を数える。民間住宅での数は不明なので、実際には孤独死に至った被災者の数はこれを上回るでしょう。孤独死でなくなる人の大部分は病死である。大規模・高層住宅になるほど人間関係が希薄になり孤立化する可能性が高い。無就業でアルコール依存症の人は孤独死のリスクが高い。都市部の高齢者の孤立死率より有意に震災後の孤独死率は高い。孤立化は大規模・高層・郊外・臨海集合住宅におけるコミュニティの消滅によってもたらされている。2015年で阪神・淡路大震災から20年を迎えようとしている。借り上げ復興公営住宅に住む被災者が追い立てられようとしている。これは復興災害というよりほかはない。借り上げ公営住宅とは民間の賃貸アパートなどを県や市が借り上げて被災者に賃貸する制度で、1996年の公営住宅法の改正により導入されたものである。県や市が建設するのが用地の確保で困難な場合、迅速に被災者に住宅を供給するためである。県や市が民間住宅を買い上げる方法もある。借り上げ公営住宅はオーナーと20年間の賃貸契約を交わして、入居者に貸し付けることになる。約7500戸がこの借り上げ公営住宅だった。震災から20年を迎えることはすなわち賃貸契約切れが迫っていることである。神戸市では入居者に住み替えを促進する方針であるという。入居時にこのことをよく説明していなかったようで、これは行政と建物所有者の問題で被災者はとまどっている。民間オーナーは借り上げ期間の延長を求めているようで、宝塚市、伊丹市は継続居住と決めたが、兵庫県、神戸市、西宮市は後期高齢者、要介護者は継続居住だが、基本的には転居方針である。理由は20年間お借上げ契約が切れるということだが、入居者はそんな約束はなかったという場合が多い。建物のオーナーや入居者は継続を望む声がある。一般の公営住宅入居者は退去を要求されることはないので不公平である。家賃が特別に安いというわけではない。ということで行政側の本音は財政的な事情にあるとみられる。神戸市の市営住宅会計は収入が258億円、支出が341億円で83億円の赤字になっている(2010年)。しかし会計の細部を見ると借り上げ料は増えていない、増えているのは管理費と修繕費である。しかもこの借り上げ料34億円の中で市の負担は15億円であり、あとは国庫負担、家賃からなる。市営住宅会計で借り上げ公営住宅だけが財政赤字の原因ではない。神戸市の市街地再開発事業で大きな問題は「新長田駅南地区開発事業」である、20年を経っても事業は完成していない。それどころか、再開発ビルの中はシャッター街で多くの商店主は期待外れで苦しんでいる。これこそ巨大開発はもたらした復興災害である。新長田地区はケミカルシューズの工場や商店街・住宅の混合地域であった。前の世帯数は1600世帯、人口は4600人、土地権利者は2161人であった。再開発ビルに入居したの土地権利者は849人、転出者は714人であった。土地価格が震災前より高くなって買えない人は地区外へ出るため、46%は他へ移った。従前の住民は24%に過ぎなかった。一般に市街地開発事業では、従前の居住者権利者が地区に留まる事は難しく、大半は転出することが多い。そこへ大資本の商店が新たに入居するという構図になる。旧住民を追い出して高い土地と家賃を払うことができるより大きな資本が入ることになる。そして過剰な競争にさらされ、新入居者も撤退するという事態が起きる。新長田地区の再活事業の収支は2007年で313億円の赤字である。事業費は1600億円であるが、テナント不足が原因である。絵に描いた餅は半分ほど残った。新長田地区再開発は第2種再開発事業で行われたが、行政側はかなり強権的に、建築制限をかけ都市計画を決定した。要するに役所のやる開発事業は需要や市場調査はおざなりで過剰な計画を立てることが多くそれが赤字の最大原因である。それが地区の発展を阻害する典型的な復興災害となった。

第2部 東日本大震災

東日本大震災では、死者1万5889人、行方不明者2609人にのぼり、その後の関連死は3089人で福島県が47%を占める。原発事故による最も過酷な移動と避難生活のために亡くなったからである。避難者は24.7万人、福島県の避難者は12.7万人となった(2014年8月、復興庁調べ)。住宅被害は、前回12万7390戸、半壊27万3048戸、一部損壊74万3599戸である。住宅復興を考えるうえで、東日本大震災の重要な特徴は、避難者が3年半を経てもなお24.7万人もいることである。住宅再建や地域再生は被災者の復興のかなめである。復興とは何か、誰のために何をするのが復興なのか、東日本大震災の復興政策を検証しよう。本書の半分以上をこの第2部に費やしている。本書の眼目は東日本大震災の復興施策の点検であって、阪神・淡路大震災復興はその導入役であったともいえる。復興の主体は「災害対策基本法」では、災害時の応急対策の第1次的責任は市町村にあるとしている。住民避難の指示を出すのは市町村である。政府は「緊急災害対策本部」を設置し、3月17日には「被災者生活支援特別対策本部」を置くことが決定された。4月11日には首相の諮問機関として「東日本大震災復興高層会議」が設置され、6月25日には「復興への提言」が提出された。6月20日「東日本大震災復興基本法」が国会で成立した。この法に基づき政府は内閣び「復興対策本部」を設置し7月29日に「東日本大震災からの復興の基本方針」を決定した。12月2日には「復興財源確保法」ができ、「復興庁設置法」が12月16日に成立し、翌年2月10日に復興庁が発足した。復興庁とはしっかりした官僚機構かと思われがちだが、トップは復興大臣ではなく総理大臣であり、関係各省の出先機関という縦割り行政を踏襲していた。つまり復興庁とは10年の期限付きの各省庁の綜合調整機関であったと言える。許認可権は各省庁が握っており、復興庁は窓口的な予算分捕り機能に過ぎないという批判がある。復興の理念は「復興構想会議」の次の基本方針に示される。@超党派の国と国民のための復興、A被災地の復興を基本として国としての全体計画を作る、B創造的復興、C全国民的な支援と負担を要請、D明日の日本の青写真を描くとなっている。AとDのキーワードは対象を日本全体に拡大する意図が見て取れる。Cでは復興財源の国民負担すなわち増税が想定される。構想会議は2011年5月10日に「復興構想7原則」を発表した。原則の5番には「日本経済の再生なくして復興はない」といい、復興より経済再生が先であるという。そこには被災者に対する配慮は見られない。つまり復興予算を使って経済再生に資したいという意図がはっきり示された。これが復興予算の流用を生む根源をなしている。金は被災地に落ちるのではなく東京に落ちる構造である。復興の基本理念は、財界の意向に沿ったものとなった。「東日本大震災復興基本法」第2条第1項では「活力ある日本の再生」を謳っているが、阪神・淡路大震災の基本理念はあくまで関西圏の再生であって、東北の被災地の復興とは縁のない全日本的な理念は存在しなかった。全国的な防災・減災などのための施策に復興予算を使ってもよいとする道が用意されていた。次に本書の中心であり、かつ第2部の中核をなす住宅復興と町づくり(これが著者の専門分野でもある)についてじっくり見てゆこう。

住まいは生活の基盤であるので、震災復興の第1は住宅の復興でなければならない。我国には5000万戸の住宅があり、その13.5%は空き家である。他方都市部ではj住まいを持たないホームレスや若者があふれている。東京で公営住宅の応募倍率は30倍以上あり、生活保護受給世帯は160万人を数える。本書では貧困問題は扱わないが、こういう状態で災害が起きたら悲惨である。住宅問題は公平性を理由に下方に揃えられる。2006年「住生活基本法」が制定され、翌年「住宅セーフティネット法」が制定された。これまでの公営住宅復興のプロセスは、避難所・応急仮設住宅・恒久住宅の順に、単線型住宅復興政策であった。東日本大震災復興の場合、阪神淡路大震災の時とは違った法律・制度が登場し、住宅と町づくりの復興の仕方を以下の項目別に吟味してゆこう。
1) 仮設住宅ープレハブ仮設: 仮設住宅の入居者を除いても、なお避難者が15万人もいる。東日本大震災の際立った特徴は、被災した多くの住宅の8割以上が持家であったことで、阪神・淡路大震災の被災者の多くは借家世帯であった点とは大きく異なっている。これは住宅復興の方向にとって基本的な条件となる。応急仮設住宅は災害援助により都道府県が提供する収容施設で、まず最初に必要な復興策である。費用は国が50−90%を負担する。災害から20日以内に着工しなければならない。仮設住宅は次の恒久住宅確保を考える重要な生活の場所である。厚生労働省が決める一般基準によると、9坪以内、一戸あたり238万7000円(付帯施設を入れると実際の建設コストは600−700万円)、設置期間2年以内となっている。建設基準法の仮設建築物の基準を緩和しているのである。使用期間は「特定非常災害の被害者の権利利益の保全特別措置法」で、2年以上に延長できる。阪神・淡路大震災では5年間使用され、東日本大震災で4年までの延長が認められている。災害の大きさによって大災害の場合に適用される。はたして災害の規模だけで延長していいのだろうか。建設型の応急仮設住宅(プレハブ仮設住宅)は4万2590戸に、9万3017人が入居している〈2014年8月)。災害救助法では民間賃貸住宅を借り上げることができ、この借り上げ仮設住宅(みなし仮設住宅)が大量に供給されたことが、東日本大震災の新たな展開となった。現在では4万6221戸に11万339人が入居している。結局プレハブ仮設住宅よりみなし仮設住宅の入居が多くなった。プレハブ仮設住宅はプレハブ建設協会の規格建築とハウスメーカーが供給するプレハブ住宅の種類があり、建設期間が短いという特徴があるが、今回プレハブ仮設住宅に多くの問題点が指摘された。@居住性がよくない。暑さ、寒さ、騒音という居住性能が低い。熱中症が多発した。A狭いこと。東日本大震災の被災者は30坪を超える住宅に住んでいたので、急に狭いところの押し込められた観が強かった。B仮説住宅の立地。抽選方式で、入居希望者にとって不便な場所となった。従前の人間関係が無くなり、孤立化した。孤独死が236人にのぼった。C建設費用が高騰した。エアコンは付けられるようになったが、東北の寒冷地仕様の仮設住宅が供給されなかった。厚生労働省の事務取扱要綱では、きめ細かな要望や仕様考慮することになってはいるが、実際建設されたプレハブ仮設住宅は画一的で全国共通規格であり、公営住宅建設や移転計画が大幅に遅れる中で長期化が予測され、健康で住みよい住宅とはとても言えない。むしろお粗末で劣悪な居住環境で喘息などの病気になる人が増えているという。
2) 木造仮設住宅: プレハブ仮設住宅に対して、今回木道仮設住宅が大量に建設されたことは前進と言える。建設された仮設住宅約5万2000戸の1/4にあたる1万3335戸の木道仮設住宅が建設された。岩手県では県産の気仙杉の林業が盛んであった。この杉を利用した仮設住宅は9坪一戸建て、内壁30mmの杉板と断熱材30mmを入れ、建設費270万円(外構を含めて340万円)である。岩手。宮城・福島では地元業者に公募をして、県産品愛用を掲げたので木造住宅となった。画一で全国一律仕様のプラハブにくらべて工法も多様で小さいことは基準によるから仕方ないとしても、住み心地は申し分なく恒久住宅なみの水準で、一戸当たり440万円であるという。しかも地域経済に金が回るので、地元産業の活性化につながっている。
3) みなし仮設住宅: 民間住宅を借り上げて仮設住宅として供給する施策(みなし仮設住宅)が大々的に行われたことは今回の東日本大震災の一つの進歩であった。さらに被災者が自ら見つけて借りた住宅も仮設住宅として認定し家賃が支払われることが大きい。当時の新聞も「みなし仮設に希望者殺到、プレハブ辞退相次ぐ」という記事(2011年4月30日朝日新聞)を掲載している。自分で選べる、早く入居できる要望が強かったためである。借り上げ仮設住宅は重要な選択肢であるが、現行法制上は問題が多い。その理由は@民間賃貸住宅の物件は大都市に集中しているので、被災者がもとの場所から離れざるを得ない。Aみなし住宅に入居した被災者の個人情報保護から、所在をオープンにできないので、ボランティア・NPOの支援を受けにくい。B府県によっては公営住宅の空き家入居を優先し、借り上げ仮設住宅制度を採用していないところもある。C災害救助法第4条では県知事が認めた場合、現金支給もできるとされるが、国は未だに現物主義に固執している。県が建設した仮設住宅を提供することを優先している。これでは県の仕事が膨大になり、建設の遅れで入居できないことになる。C借り上げ仮設住宅の期限切れのあと住み続けるために、全額家賃を支払えない人に家賃補助制度を設けるという方法もある。その法整備が必要である。
4) 復興公営住宅: 仮設居住から自分の住居を持つには2つの方法がある。一つは自力住宅再建であり、一つは災害公営住宅への入居である。災害公営住宅の建設計画は集中復興期間が終了する2015年までに、岩手県で4348戸、宮城県で1万1589戸、福島県で3998戸の合計1万9935戸である。2016年度以降分も含めると約3万戸の予定である。ところが2014年9月までに完成したのは計画の10%の3060戸にすぎない。ここに、復興が遅れているといわれる顕著な現実がある。遅れている原因として、用地取得の難航、建築作業員の確保困難、資材人件費の高騰、その結果として入札不調(2013年の3県での入札不調率は18%)である。その遠因として東京オリンピック開催による公共工事の増加に阻まれていることが言われている。復興加速化を掲げる政府は、2014年5月土地取得の迅速化のために復興特区法を改正した。国土交通省は2014年4月、標準公営住宅の標準建設費を一戸あたり2329万円に引き上げた。建設工事人手不足に対処するため、工事設計労務単価を平均で2万1433円にあげた。ところが公営住宅の入居募集希望者が下回ったり、入居決定後に辞退が相次ぐなど、公営住宅の空き室が目立つようになった。3県の19市町村であわせて330戸の空き室が出ている。その原因には@工事の遅れが、被災者の生活状況を悪くしている。A避難生活が長引くと住民おの考えが変わってきたこと。進学、就職など家族の事情が変化した。B公営住宅は被災者のニーズに合致していない。これまで一戸建ての大きな家に住んでいた家族は、集合住宅という都市型の住宅環境を好まないのである。だとすれば公営住宅の建設費や維持費は地方自治体の財政に負担となるので、災害公営住宅戸数を減らして、自力再建の支援を考える方がニーズに合っている。また災害公営住宅には仮設住宅と同様に借り上げ式があてもよいはずである。家賃補助という現金支給制度も考えるべきである。
5) 住宅の自力再建: 住宅復興の目標は、昔から住んでいた住宅や住環境の回復が第1である。「創造的復興」はまちづくりだけでいい。そうすると住宅復興は、被災者自らが自分の意志で住まいを再建する自力再建をベストとすべきであろう。仮設住宅から災害公営住宅の建設の行政コストは一戸当たり2439万円かかるが、被災者生活再建支援金を得て被災者が自力で住宅を再建するまでの行政コストは一戸あたり743万円であるという。それには資金と土地を取得を取得するため支援する政策がなくてはならない。1998年阪神・淡路大震災の教訓から制定された「被災者生活再建支援法」では、全壊の場合被災者に100万円が支給される。2000年鳥取県西部地震では300万円の住宅再建支援金を支給した。被災者生活再建支援法も2度改正が行われ、基礎支援金100万円、加算支援金200万円で最高300万円が住宅再建に利用できる。2007年の戸半島地震では最高770万円の支援金がでた。また新潟県中越地震では新潟県は650万円を支給した。東日本大震災で岩手県ではいろいろな補助金を集約して最高1017万円の支給金を供給する施策を打ち出した。「被災者生活再建支援法」を巡る論点には、@個人財産の公的資金を供給することへの行政側の反対論がある、これはバブル崩壊後不良財産処分の為銀行救済に公的資金を導入したことや、産業に対する数々の公的資金の補助金を出していること、農業には収入差額補助金で救済していることなど数え出すときりがないくらい公的資金を使ってきた。弱い立場にいる被災者への高圧的な官僚の意見であって、全く根拠がない。A支援対象にさまざまな制限がある。災害規模によっては支援しないという不公平は正さなければならない。B支援金の増額問題である。行政の見舞金程度という感覚は根拠がない。「住民生活の安定と地域の速やかな復興」のために25兆円が復興予算として存在し、住宅再建資金を300万円から500万円に増額したとしても(4000億円が6800億円になる)、復興予算25兆円の約2.7%に過ぎない。東京オリンピックのインフラ整備に使っている便乗公共工事を減らせばいいのである。
6) 復興まちづくり: 津波被災地や原発被災地では従前の場所に自宅を再建することはできないので、被災地の住宅確保の問題は復興まちづくりがなければ進展しないのである。2011年4月当時の菅首相は高台移転というイメージを発信した。こうして宮城県は津波被災地に建築制限をかけると発表した。岩手県は建築基準法第39条による災害危険区域を指定する方針を出した。復興まちづくりはおおむね、2011年12月に制定された「津波防災地域づくり法」によって、まず国土交通大臣が基本指針を策定し、県が津波浸水を想定し、市町村が土地利用計画を策定するのである。津波に対して、防波堤、防潮堤、二線堤(盛り土)の三段構えで防御し、それでも浸水する地域は非居住地区に指定し、高台や内陸に移転するという筋書きである。市町村の推進計画において、津波防災住宅建設区の創設、津波避難建築物の容積率緩和、集団移転促事業計画の作成、市街地防災都市計画の策定ができる。また都道府県や市町村は津波災害警戒区域や津波災害特別警戒区域を指定できる。津波浸水想定区域では水産系と商業・産業系用地は許可されるが、住宅などは盛り土の外側に住宅・商業地域に作る計画である。高台や内陸への移転を含む復興まちづくりには、防災集団移転促進法事業や土地区画整理事業、漁業集落防災機能強化事業などの事業制度が利用できる。このまちづくりと住宅再建には様々な克服すべき課題があり、それが復興の遅れになっている。@津波浸水危険地域の設定については意見が纏まらない。高い盛り土をする規模が広大過ぎて現実感がないとか、まるで城塞都市のようで海が見えないようでは漁業は成り立たないとかで評価が分かれる。A移転先の住宅地が自分の生活にとって都合がいいかどうか、便利性は、将来性はと問題が山積している。B移転先で住宅を再建できるかどうか、その支援策はあるのかという心配である。防災集団移転促進事業では宅地規模は100坪以下となっているが、従前の住宅が数百坪ということは少なくはないからだ。C復興まちづくりがいつ完成するか、それまでに健康や生活環境の変化によってドロップアウトする人が多い。移転よりも災害公営住宅へ入る人が次第に増えつつある。D合意形成の人的支援不足がある。特に市町村合併で体力をなくした市町村に人材がいないのである。

復興予算を検証しよう。東日本大震災の復興予算は、集中復興期間の5年間に19兆円、10年間で23兆円が必要とされたが、最初の2年間(2012年度)ですでに19兆円が配分された。この費用を賄うため2011年11月に増税法が可決され復興債で予算を組んだ。復興税により総額10兆6700億円の増税となった。企業の法人税の増税は2年(2013年)で切り上げてしまっている。2014年4月からの消費税増税を見込んだ処置である。この消費税は福祉に使われるはずであったが、もはやその約束も反故にされた。政府は2011年の第1次・第2次補正予算で約6兆円の予算措置を講じた。第3次補正予算9.2兆円を全省庁の(488事業)のチェックシートから仕分けすると(NHK番組制作チーム)、@被災地向け6.8兆円 74% A全国対象 2.1兆円 23% B被災地以外 0.3兆円 3% である。全国対象事業とはそもそも通常予算で行うべきもので在って、被災地向けに確保された復興予算を使うべきではない。これを便乗型予算流用と呼ぶ。たとえば林業専用道路整備に1400億円をつかうことでなどである。東日本大震災の復興予算は増税によって確保されたことが阪神・淡路大震災と大きく異なる点である。そしてその流用は、復興構想会議の原則や提言、復興基本法、復興基本方針(復興と活力ある日本の再生という2題目)によって合法化され、日本経済の活性化に使われている。被災地以外で行われる事業の最たるものが全国防災対策である。合計1兆1853億円が充てられた。全国防災対策には全国の官庁や学校の耐震化予算が組み込まれている。これは全く筋違いの流用である。耐震化は1995年「耐震改修促進法」ができて以来の継続事業であり、東日本大震災の教訓でもない便乗型の最たるものである。そのほか環境庁は下水道事業に524億円、ごみ処理施設として10自治体の108億円、廃棄物処理対策に4426億円を流用した。農林水産省は「森林整備再生基金」に1400億円、林道整備1400億円、厚生労働省では「新卒者就職実現プロジェクト」に235億円、重点分野雇用創造事業に2007億円、経済産業省では住宅太陽光発電支援に323億円などである。中央各省にとって復興予算は前代未聞の特需みたいなもので一斉に予算獲得に動いたのである。高邁な被災地復興の名目の元に、予算分捕り合戦が繰り返された。2011年から2014年までに復興予算は27兆6115億円の予算が組まれた。2013年度までに使われた額は20兆2210億円で、使い切れずに国庫に返金された金は3兆191億円に上った。自治体でも予算の未執行が多く、基金に積み上げることができるのでその基金の総額は3兆9000億円になった。まさにインフレ気分で使い切れない予算に溺れてしまった国及び地方自治体であるが、これまでに被災地に直接届いた資金は少ない。災害見舞金に590億円、仮設住宅や家賃に8700億円程度であり、被災地の関係がない全国規模の防災対策に1兆円以上が流れているのである。消費税10%の増収分13.5兆円のうち、社会保障対策に使う10,8兆円を、防災や減災名目で公共事業に使うこともできるという。土木建築業界にとって千歳一隅の好機(地震の起きる確率ではありません)となった。小泉政権で圧縮された公共事業が一斉に息を吹き返したようである。予算を食いつぶすがん細胞が官僚機構であり、金があるわけではなく国債の増発で日本の財政は崩壊に瀕している。一部業界の一時の好況で日本国家がつぶれたことは、戦前の軍国主義の教訓を思いださせる。

第3部 次の備え

阪神・淡路大震災では「単線型住宅復興」、東日本だ震災では「混線型住宅復興」で住宅の復興が進んできたようだ。「混線型住宅復興」とは選択のメニューが多いということである。ただ住宅確保と復興まちづくりが相乗効果を出さずに干渉しているように見える。ちぐはぐなのだ。メニューが混線して整合性がないのは、災害は予期せずに様相が異なって起るため、完璧な準備はできなくて当然なのである。繰り返し的業務に慣れきった行政機構では毎度のことである。今回多様なメニューが現れた理由の一つは、巨大津波と原発事故が重なったことであろう。未曽有の災害は土地と地域そのものを破壊した。元の場所で生活を再開することができなくなったといいうことである。生活の様式が都会型でなく、多様な被災者の生活様式に答える様々なニーズが登場せざるをえなかった。それは仮説住宅の多様化に現れている。そして東北の人々の豊かな生活と地方の生活様式が画一的対応を不可能にし、それぞれにあった対応を余儀なくされたことにある。木材仮設住宅が大量に供給されたのも東北の持つ地域力のおかげである。こういった実情を考慮せずに混線に至った原因として、@被災者の生活の質の確保という観点がなかったことである。災害復興施策は一時的な最低限の生活ができたら良しとする旧態依然とした思想があった。A縦割り行政や広域合併による基礎自治体の弱体化が進行していたため、自治体の対応力が十分になかったということである。中央省庁の縦割行政はばらばらで市町村は振り回された。膨大な仕事をこなす能力も職員も自治体にはなかった。B災害に対する系統的な政策形成システムが国と政府にはなかったということである。東日本大震災のあとに重要な変化があった。災害対策基本法の2度にわたる改正(2012年6月、2013年6月)である。災害の度に制定されてきた100本以上の災害特例法を一本化しようとした。主要点は@大規模災害に対する即応力の強化、A住民尾安全な避難の確保、B被災者保護対策の改善、C防災への取り組みの強化である。加えて「基本理念」が新たに挿入された。減災、自助・共助・公助、復興など6項目が謳われている。さらに災害救助法の所管を厚生労働省から内閣府に移したことである。2013年6月に制定された「大規模災害からの復興に関する法律」は復興に関する初めての法である。ただし個人生活の復興を考えた内容ではなく、あくまで行政の復興プロセスを定めたものである。従って復興計画はほぼハード事業で占められ、市街地調整のための道筋を述べたものとなっている。2013年12月「防災・減災に資する国土強靭化基本法」が制定された。自然災害の大規模な公共事業を推進する仕組みである。この法律に「国際競争力の向上に資する」という文言があり首をかしげざるを得ない。災害とは関係ないインフラ整備事業が適用されることになる。特筆すべきは2020年東京オリンピックに向けて、災害に強い東京のインフラ整備事業が含まれていることである。2014年度予算は3兆3282億円が計上された。そして毎年20兆円もの大規模な公共事業を推進するというのである。災害便乗型予算の域を超えた狂気の沙汰である。まさに日本沈没のシナリオである。毎年東日本大震災規模の復興予算を続けるつもりらしい。この国は官僚によって食い殺されそうだ。日本にはさらに巨大地震が近い将来にやってくる可能性がある。2013年11月「南海トラフ地震対策特別措置法」および「首都圏直下地震対策特別措置法」が成立し、政府は対策の基本計画を発表した。これにより707市町村が防災対策推進地区に指定され、139市町村が津波避難対策特別強化地域に指定された。これらの地域では原発震災を避けることが死活的に重要である。中部電力浜岡電発を当時の菅首相が運転停止にしのたと同様に、この市町村にある原発、および直下断層が走っている原発の再稼働は絶対に許してはならない。各国の国土10万km2あたりの地震回数(1900以降、死者1000人を超える地震)に国土10万km2あたりの稼働原発基数を掛けた数値がいわゆる原発震災リスクであり、日本は2.6×14.5=38で、断トツトップである。原発震災リスクが飛びぬけて高いことが分かる。地震が少ないアメリカ・フランス・韓国はリスクはゼロであり、原発がないトルコ・イラン・インドネシア・イタリアなども原発震災リスクはゼロである。パキスタンでさえリスクは0.08で、インドは0.08、中国は0.02に過ぎない。地震学者は地震大国日本で原発を設置することは狂気の沙汰であると言う。


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