120205

小野善康著 「成熟社会の経済学」ー長期不況をどう克服するか 

 岩波新書 (2012年1月)

生産力過剰の成熟社会の長期不況は、内需拡大による雇用創生が鍵

本書を一読して、民主党政権の菅・野田内閣が提唱している「消費税率の増額」論議を応援しているというか、裏付ける経済理論である気がした。そこで小野善康氏のプロフィールをしらべたところ、やはり小野善康氏は菅内閣の経済ブレーンであり、かっての小泉内閣の経済ブレーンであった高橋洋一東洋大教授や竹中平蔵慶應大学教授の位置にあると考えられる。基本的には内需喚起・消費推奨の景気論者で、政府主導の雇用創出をめざす政策論者である。小泉政権の経済政策の小さな政府・民活の新自由主義市場経済学とは対極にある経済論である。小野善康氏は1951年東京都生まれで1973年東京工業大学工学部社会工学科卒業 、1979年 東京大学大学院経済学研究科博士課程修了後武蔵大学へ移り1981年 武蔵大学経済学部助教授、1984年大阪大学社会経済研究所助教授 から教授となり、大阪大学社会経済研究所教授 となった。1996年東京工業大学工学部教授 となったが1999年大阪大学に戻り社会経済研究所教授・所長を2010年まで務めた。2010年内閣府参与となりさらに内閣府経済社会総合研究所所長 となって完全に内閣府に移り、大阪大学はフェロー として籍だけは残っている。専攻はマクロ経済学、国際経済学、産業組織論だそうである。主な著書には「景気と経済政策」、「景気と国際金融」(岩波新書)、「金融第2版」(岩波書店)、「不況のメカニズム」(中公新書)などがある。

本書は比較的分かりやすい論点を提示している。長い不況で民間企業の本質からして国(内需)を棄てて国際企業として生きる道を取っている以上、民間企業の右上がり経済成長に期待することは不況対策にはならないことが分かった。小泉流構造改革で便宜を図ってやった企業は恩をあだで返すように去った。そのような企業を援助する必要も無い事は明らかである。「去るもの追わず」とすると、いわゆる内需拡大策しか日本という国民国家は成り立っていかないことも確かである。民が頼りにならないとすると相対的に政府の役割が大きくなる。経済学ではいわゆる市場主義と称される新古典学派と景気重視といわれるケインズ経済学の立場からすると、不況は一時的な需要と供給のアンバランス現象で長期的には完全雇用は回復するという前提である。そういう意味で現在の長期不況という発想はない。開発途上国社会では生産の効率に邁進すれば生活は豊かになると信じて働く社会であった。ところが日本のように1980年代末からのバブルを経験して1990年から長期不況に入った社会では不況を長期的な現象としてとられる必要がある。著者は「長期不況を念頭に「増税してもそれによって政府が雇用を作れば、経済成長は出来る」と主張している。新古典主義派は政府が雇用を作ると民間を圧迫するといい、ケインズ派は増税すると民間から金を取り上げることになり景気を冷やすという。しかし著者がいう成熟期の経済学では、「成熟期の長期不況は生産性の低さではなく需要の不足が原因である。政府が雇用を作って事業を行っても余った労働力を使うだけで民間の生産活動は圧迫せず、納税者や消費者から増税しても新たな雇用を通じて戻されるため景気を冷やすことは無い」という。これと同じ効果は、消費者の消費拡大によっても生まれる。だからこそ自分の生活を楽しむ知恵が必要で、観光、iPaD・ITなどの新しい需要を創造しなければならないのだという。

本書の主張は政策の分野に相当するため論敵が多い。「小野善康」を検索すると、反対論者・誹謗論者の言説に満ちている。そこで本書は論破する姿勢で構成され、問答集のようにまず反対論の論点を提示し、それに回答する形で著者の経済論が展開される。とかく論争には用いる材料の検証が必要であるが、私には資料を自分で集めるだけの力がないので、本書のいうところを論理的に追うだけである。しかし現在の民主党政権が提示する消費税増額政策を理解する上で分かりやすい解説書となっている。しかし民主党のいう消費税増税案が挫折すれば、恐らく著者のいうことは政治的立場が明確であるだけ、論敵からは曲学阿世の徒だと評価されるのだろう。小野氏はそれぐらいの覚悟を持っておられることは当然であろうが。経済学というのは私はよくは分からないのだが、ミクロ経済学で最近数式を多く使うようになっている。しかしその数式をよく見ると要因を定性的に関連付けるためであって、関数的に計算できるしろものではない。計算できるのは利子計算くらいであろうか。要因は分かったとしてもそれが全体に占める割合を数字的に決定付けることは到底不可能である。パラメータをいじくればいかようにもなる事は霞ヶ関付近のシンクタンクがよくやる手である。どれだけの重点を置くかのポイントがパラメータ化されている。アンケート調査の答えが1から5まで振ってあるのと同じである。したがって経済学者や評論家が何を言っても何を書いても、私たち素人には「一理ある」と思えるが、しかとその通りかと確認されると俄然分からなくなる。結果のとして経済統計値には無数の解釈が成り立つ。これをもって経済は人文科学というのか甚だ疑問となる。決定論でかたずかないものを科学では偶然というが、経済学では政治という。財政とはまさに政治論で、価値観の闘いであろうか。したがって経済関係の本を読むときはその著者の政治的立場を確定してから読まないと騙されることになる。とかく経済学は分からないものだが、諸説紛々で騙されるよりは、こういう立場で見て行くと世の中はこう見え、経済政策の結果はこう解釈されるくらいは分かりたいものである。その意味で一理ある説を多く拝聴することが勉強になる。

私が最近読んだ大瀧雅之著 「平成不況の本質」(岩波新書 2011年12月)では、平成不況はデフレによるものではなく、2000年以降の構造改革によるものであるとした上で、平成不況の経済的因果関係を次のように説明した。「日本経済停滞の初発的原因は金融危機を背景にした対外直接投資の増加による国内需要の減少からであるとする。アメリカのグローバル金融資本が故意に巻き起こした3度にわたる世界金融危機は世界不況となって、消費需要への抑制的効果を生んだ。こうして低下した有効需要は生産を鈍らせ失業率を上昇させた。雇用者の減少は企業内の職場教育環境を悪化させスキルの涵養に悪影響を与えた。この結果イノベーションへの意欲は失われ労働生産性を低下させた。一度解雇された低い生産性の労働者に支払われる賃金の上昇は低下し名目賃金上昇率はマイナスとなった。これは個人の消費に極めて悪い影響を与え消費の減退により有効需要はさらに悪化した。こうして悪循環が始まり経済は長期の手痛い状態へ落ち込んだ。なお直接投資の持つ円高傾向も経済を苦しめている。」というものである。また雇用問題と社会性を重視し、日本における企業所得と雇用者所得の格差拡大に見られるように、構造改革は「反社会的」(道徳的意味ではなく、個人が社会のネットワーク無しに生活できると理解する社会的意味である)への変化であるを重視する。経済学は「所得配分の公正性」というが、社会は職業の多様性に象徴されるように「互恵性」で成り立っている。経済的には社会的分業の上に成立しているという。人間は社会的存在であると認めたら、失業こそは所得配分の不公正を招く最大原因である。

1) 発展途上国社会と成熟社会の経済政策

日本は1980年代半ばから発展途上国型経済から成熟社会型経済に移っている。家庭電気商品の普及率は1975年-1980年あたりでほぼ100%に達し、高速道路の総延長と乗用車の普及率だけはまだ直線的に増加していた。この時代の消費者も企業も幸せな時代であった。社会インフラや商品は充実してゆき、生産性向上だけが経営者の課題であった。このような経済では雇用は安定し社内教育は人間重視でスキルを磨き一生懸命働けばどんどん豊になってゆくという経済メカニズムが働いていた。ちょうど私たちの年代の会社生活であった。電気製品は次々と新製品が現れ、それで生活は結構楽しかったのである。人並みに新車を買って家族旅行に出かけることが多かった。貯金は出来ていたかどうか覚えていないが、そんな貯金の心配もなかった。給料もどんどん年齢に応じて上がっていった。企業はJapan as No.1とうのぼれるほど生産性は世界一に近づいた。今の中国のように日本は世界の工場であった。ところが1990年代になると次第に成熟社会に移行し、物やサービスが揃い、魅力的な製品が伸びなくなり、潜在的供給能力は拡大し需要を超えてしまったようである。生産性が上がった分だけ商品が売れるわけではなくなったので、労働力がだぶつき始め慢性的な長期不況状態になったのである。お金は物を買うための交換価値であるが、別に金や紙幣でなくて電子データにすぎず、抽象的に要求一般を満たすものである。古典経済学では人々が欲しいのは貨幣でなく、モノやサービスであるとして、需要と供給は一致すると説く。そして「供給が需要を呼ぶ」ということを「セイの法則」という。ところが物々交換ではそうかもしれないが貨幣経済では一般価値としての貨幣獲得が目的となる。だから貨幣があるから不況があるということができる。

不平衡状態は過渡的なアンバランスと考え、「神の見えざる手」という思考停止に陥るのがスミスの古典経済学である。物やサービスだけに人の欲望が向かわないで、お金を持ちたいという欲望(需要の潜在化)が需要の不足を生むのである。欲望が土地や株に向かえばバブルが起き、お金そのものに向かえばデフレと不況がおきる。人々の欲望がバブルではじけて、物についた貨幣価値は下落がつきもので信用できるものはお金だけということになり、貯蓄を増やそうという気持ちが需要を減らし経済活動を収縮させた。その結果収入も減って貯蓄も減退した。成熟社会に必要なものは貨幣ではなく物やサービスの購入を増やせば雇用も所得も増えて景気もよくなるという。開発途上国時代には「プロセスイノベーション」が必要であったが、成熟社会では「プロダクトイノベーション」が必要である。需要が少なくなったので雇用も減少した。従来商品は生産する必要が減少したため雇用が不足したのである。若者のスキルとか採用制度とか派遣雇用のせいにしても若者の雇用は増加しない。負担が増えるから増税に反対し、無駄使いを止めろといって財政支出や公共事業を縮小すれば若者の雇用機会もますます減少する。不況下では企業では雇用を真っ先に減少させる。だから民に雇用を任せ放しはできない。1990年以降企業ではリストラ、人員削減、派遣雇用の移行、海外移転で人件費圧縮を図っている。それが失業率増加となり5%を超えるにいたった。2000年以降の構造改革時代には競争社会や市場原理がもてはやされ、不況の深刻化と格差拡大が深刻な事態となった。

成熟社会では企業の構造改革ではなく、需要サイドの変革が必要なのである。だから政府が主導してあらたな需要あらたな雇用を創出しなければならない。不況時代に民に任せていたら「デフレスパイラル」とかジリ貧になってきたのである。経営者は自社の建て直しが使命であるから、効率化によるコスト削減を目指さざるを得ない。それが経済全体に悪影響を及ぼしているのである。経済においては省力化や無駄の排除、不良採算部門(公共事業)の切り捨てで余った労働力を解雇するだけでは、経済の萎縮につながるだけで、むしろ人々の役に立つ他の物やサービスの生産に回されることが必要である。従業員の解雇は一企業には必要かもしれないが社会の非効率である。遊休人的資源を抱え込むことで社会福祉への予算が増加するのだ。消費を控え貯蓄に向かう消費者と従業員解雇・海外移転に向かう企業の行動は景気悪化を助長するだけでなく、政府にも同様な行動をとる事を要求する。経費節減・公共事業の削減、そして減税などは成熟社会ではさらに景気の足を引っ張ることになる。不況期の構造改革や緊縮財政はその典型である。「小さな政府」の構造改革は財政赤字を拡大した。欧米では2009年ロンドン金融サミットより「拡張財政路線」に向かったという。不況になると政府は財政出動と緊縮財政の間を右往左往するが、短期の不況なら財政出動のケインズ経済で、好況期なら古典経済学の構造改革でもいいが、長期不況下の成熟社会ではそれなりの対応が求められる。

2) 財政・金融政策

景気対策には供給側(サプライヤー)向けの政策と需要向けの政策がある。供給側の政策とは生産力の増強や効率化を狙ったものである。所得税の累進度を下げたり、生産投資コストを下げる補助金を出したり、賃金や物価の調整を早める労働市場の流動化(多様化)を促進することです。2000年代に進められた供給側の構造改革によって、格差が拡大されるだけでなく失業者や企業倒産が増え続け、経済全体の効率はかえって悪化した。いっぽう需要側の政策とは、政策介入によって需要を作り出すものである。財政出動をして政府自ら需要を作り出し、税率調整や補助金の支給によって民間需要を刺激する財政政策と、日銀による金融政策がある。成熟社会の不況では生産力の効率化は個々の企業では重要であるにしても、経済全体では需要がない以上は意味が無い。ますます雇用を減らすだけになる。需要が足りないのなら、需要を刺激して物やサービスが売れる政策が必要である。一番端的な政策は人々にお金を配ることである。定額給付金、地域新興券、子供手当てなどの給付金、一般減税などの政策がある。つまりケインズ流の「バラマキ」である。しかしながら経済全体として考えると給付金は払った税金が戻ってくるだけで(どこへ戻るかは政策ごとに異なる)お金は増えも減りもしていない再配分である。一般減税或いは増税も、税金を払う方は得をしたり損をするような気になるが、結局は財政規模によってサービスが減ったり増えたりするだけで経済規模は変わらない。いくら財政をやりくりしても国民全体のお金は差し引きゼロである。国債発行は一番政治的抵抗が少ないので政治家は国債を濫発するが、将来利子をつけて返さなければならない。5年や10年後に償還が待っている。国債は資産であると同時に負債であるので国民を豊にはしない。次世代へ借金として残すことである。埋蔵金は将来への積立金であるので、埋蔵金を減らすことは自分の身を切ることである。

不景気時の財政出動には昔から「呼び水論」と「真水論」とがある。「呼び水論」とはすなわち「乗数効果」のことで、政府がお金をまくことで消費刺激が連鎖反応的に波及するという理屈である。この政策は財源として税金を集めることは考えていない。税金のマイナス効果がないので赤字国債がプラスの乗数効果だけが働くと説く。ところが長年こだけの赤字国債を発行し続けても景気は一向回復せず、累積赤字国債額だけが積みあがっている。先に説明したようにお金を配るという行為自体には総消費を増やす効果などない。消費者に配られたお金は将来増税によって国債を返還しなければならない。給付金は将来の増税で相殺される運命にある。大規模公共工事の発注による「真水論」は、ケインズ流の「意味のない公共工事」であるが、給付金や失業手当は単なる所得移転であるが、公共工事なら所得として計上されるので見かけ上景気への効果が大きいと錯覚しているだけだ。意味のない公共工事をしてお金を無駄に使うくらいなら減税をしたほうがいいという主張は税金しか頭にないことである。税金を払えば国民負担だというが、税金はじつは負担であり同時に受益でつまり再配分なのである。税金の事をいう人は大体金持ちが多い。自分達の金を貧しい人に譲ることに我慢できない人たちである。「小さい政府論」も同じ金持ちの論理である。再配分を強度に恐れているのだ。これまで財政出動の中味を議論していないが、全く無駄な財政主導ではなくなんらかの「直接便益」を生むほうに使われたら、何もしない小さな政府よりはるかによい公共事業となる。

長期不況に陥った成熟社会での財政出動の効果を整理すると、@政府がお金を撒いても、背景では必ず同額のお金を取立てがあるから、景気に影響は無いし、国民の富が増えるわけではない。差し引きゼロである。 A消費性向の少ない(金持ち)家計から、消費性向の高い(貧しい)家計への再配分は、新たな需要を生む。B税制出動で役にたつものを提供できるなら、その便益分だけ国民経済への貢献となる。そして著者は「増税により政府が新たな分野に雇用を創出する」場合の効果を提案している。こが本書のメインテーマである。具体的な例は次章で見て行く。それは次の三段階からなる。@事業費用をまかなう税負担、A政府の政策による部門のサービス享受、Bその分野における雇用創出である。  税の委託を受けた政府は同額の財政支出を行い、税収と財政支出は同じであるから財政中立であり、@ABが回転することで「生活の質が向上」する便益が発生し、雇用が促進されてデフレが緩和されてゆき消費拡大と「経済拡大」に繋がる。消費税や法人税の増加は税収入の増加となり国債の返還に向けられ「財政健全化」がはかれる。三方良しの循環となって不況を脱することが出来る。政府が支援すべき事業とは、経営的に独り立ち出来ないけれども、あった方が国民生活の質が上がるような分野である。環境、介護、保育、健康、観光などであろう。これが成熟社会で必要な成長分野である。高度成長期なら企業支援は意味を持ったであろうが、需要が減退した生産力過剰の成熟社会では、民間企業を政府が支援することは無いに等しい。投資効率を上げても国内では投資先がないからである。どんな新製品を開発すべきは企業が考えることであるが、研究開発投資補助金は意味がある。

政府が収益を生む事業を行えば「民業圧迫」となるので、政府は収益が当面成り立たなくて企業が手を出さない分野で人々が喜ぶ事業を行うべきである。原発に膨大な金を注ぎ込むよりも、新エネルギー(再生可能エネルギー)開発に金を注ぐことである。失業保険給付、職業訓練、最低賃金制、派遣労働の禁止、中小企業雇用補助金などの雇用対策政策は、雇用が拡大されない限り一時的な緊急避難対策である。仕事がなければ企業は不必要な人を抱え込まないだろう。無理に企業に人を押し付けることはできない。正規と非正規、就業者と失業者、新たな格差が生まれる可能性が高い。企業内に失業者を抱え込むだけで失業手当と変わりないことになる。2010年で失業率は5.2%、失業者数は350万人であった。国民全体の消費は年間280兆円程度ですから2%の消費税増税で5兆6000億円の増収となるが、一人当たり年間350万円の雇用を作れば、失業者は190万人に減少し,失業率は2.8%に減少する。政策当事者は増税で内閣が潰れるよりは、一見分かりやすい無駄の排除を主張する方が有権者の支持を得やすい。無駄の排除で雇用を失う人が多数いる事に心を及ぼす有権者は少ない。日本はOECD加盟国の中で財政支出/GDP比と公務員/人口比の一番少ない「小さな政府」を達成した国である。公務員パッシングを不満の捌け口として無駄の排除を叫ぶ人がいるが、それは「短きものを端切る」ごとき最貧乏政策である。政府は国民から税を取り上げて無駄の用途につかってお金を棄てているかのような言い方をする人がいるがそれは間違いである。財政がやっていることは、再分配をしているだけである。もちろんそれで誰が喜び誰かが損をした気持ちになることはあります。税の効果を享受するときは黙って受け取り、他人に行く時は不平を鳴らすことはよくあることだが、それは人情である。それが気に食わない時は政府を変えて再分配比率を自分の有利になるようにすることである。再分配が政府の役割である。

政府のお金のやりくり即ち財政は景気に影響を及ぼさないが、財政資金で国民の役に立つ設備やサービスを提供すれば直接便益が生じ、政府事業によって雇用が増える事を通じて消費需要が刺激され景気もよくなることを述べてきた。財政政策とは誰が損をして誰が得をするかという議論になると、増税反対の声に押されて政治的に政策は頓挫する。増税をいうと選挙では敗北する。だから増税は内閣安定期にしか実施できない。すると財政による景気対策を避けて中央銀行による金融緩和期待論が出てくる。貨幣供給量を増やせばお金の量が増えるから需要(GDP)は拡大すると主張するのである。実質貨幣量=名目貨幣量/物価水準であるから、一時不況時には物価水準の下落を待たずとも、名目貨幣量を増やせばいい(貨幣の印刷)という論であるが、1990年代より20年間で貨幣量は40兆円から120兆円に増やしてきたが、消費者物価指数は全く動かず、名目GDPも500兆円で止まったままである。つまり慢性的な需要不足に陥った経済では、貨幣をいくら増やしても需要は拡大せず、GDPにいたってはむしろ下がり気味である。これを金融界では「流動性の罠」という。企業は投資をしないから金を借りる必要もない。また貨幣を増やしてインフレを起こせば貨幣価値が下がるので金を物に替える(消費)行動が増えると期待するインフレ論者がいる。しかし日銀がインフレを主導することは実質何も出来ない。物価が安値で安定している状態ではなく、物価が下落している進行状態(デフレ)では消費者の行動は買い控えになり、さらに需要は減退する。消費税を増税すればその分だけ消費を控える行動が出て需要が減ることになるという論がある。伝統的な経済学では消費税増額の効果を一時不況か生産性低下という文脈で考えるようです。しかし消費税率を世界でみれば、大はデンマークなど北欧諸国の25%、中はイギリスなど中欧諸国の20%、小は韓国などアジア諸国の10%であろう。日本・カナダ・台湾は最低の5%である。日本の消費税を5%から長期に10%に増額して経済が不況になる事は先ず考えられない。もし増税でも赤字国債でも財政効果が同じなら、政府としては政治的抵抗の少ない赤字国債に流れるであろう。しかし赤字国債が積み重なれば今のギリシャのように国債の信用がなくなる金融危機の方が怖い。アメリカと同様に赤字国債累積量によらず、財政再建の道筋を示せば国債の信用は保たれ、キャッシュフローは滞りなく行なえる。国債管理は日銀の貨幣管理と同じ観点で理解できる。つまり国債発行とは増税を先延ばしにする便法のことである。

3) 成熟社会の不況政策

成熟社会の長期不況にある今の日本が考えることは、緊縮財政のことではなく、国民生活に貢献する事業とは何かを具体的に提示することでしょう。そこで代表的な3つの政策についてみてゆこう。しかしながら、本書は新書という小冊の制限からか内容に詳しく立ち入ることはしていない。それとも具体的政策を考えるのは国民の要望か、またはそれを受けた政策担当者の仕事ということで、本書は大まかな趣旨・方向を示しているに過ぎない。枝葉をつけたり、肉付けをおこなうのは私たち自身のこれからの働きによるのであろう。
@ 高齢化社会の社会保障問題: 日本が2025年に高齢者比率が30%を超え2055年に40%になることは、推定というよりも確実に起りうる事態である。この高齢者むけ年金問題は現在の枠組みで考えるなら、払う側の負担(若い層)を引き上げるか、貰う側(高齢者)の受取額を引き下げるかしかないように思われる。消費の盛んな現役世代から生活するだけの高齢者へお金を回すことは需要減退になって景気にも影響しそうである。定年延長は若い世代の仕事を奪うことであまり薦められない政策である。若い層と高齢者との対立の構図は、高齢者社会保障をお金の再配分だけで見るジレンマである。生産力が余剰にある成熟社会での高齢者社会保障制度の在り方を考える必要がある。社会保障の目的はお金を配ることだけではなく退職した人々に一定水準の老後生活を保障することであるとするならば、設備、物、サービスなどを提供する(無料乗車パス、利用券など)分野へ向かうことで、その分野の雇用を拡大し消費一般の刺激につなげる必要がある。現在人口の25%を占める高齢者が全資産の約50%、金融資産の60%、住宅土地資産の42%を保有している。いずれは現役世代に引き継がれとしてもこれを現役世代のために活用してほしい。そのためには高齢者が世間に出ることが一番である。活動的な高齢者がこれから増えてくる事を期待する。少子高齢化社会を恐れる必要は少しもない。高齢者のライフステージ(カタカナで書けば夢が溢れるというわけでもないが)も拡大しており、高齢者の定義を引き上げれば統計上の圧迫感はなくなる。成熟期には生産性が余っているのだから高度経済成長期の中国のような労働力は必要なくなっている。西欧諸国のようなこじんまりした人口規模で豊かな生活という人口減少社会を設計する意味が重要だ。子育て支援も補助金や減税といった現金支給よりは設備・教材・教育費などの現物支給の方が雇用拡大に繋がる。

A 災害対策問題: 3.11東日本大地震の復興策には、赤字国債発行よりは5-10年の時限復興税を創設し、集めた財政資金を復興のための生産拡大に当てるべきでは無いだろうかと著者は主張するが、現在の政府ではそのような動きは全くない。災害義捐金が2011年9月で約3200億円も集まっているが、これも復興税と同じ使い方に向けるべきである。東日本大震災の復興事業規模は10年で30-40兆円といわれている。政府の負担分はその40%とすると10-15兆円となる。日本の生産力は10%程度余っているので、復興は生産力の問題ではなく復興資金を集めることに関して国民的合意が得られるかどうかにかかっている。極めて政治的な問題で、政府の力量に期待がかかるのである。不思議なことに災害の循環と景気の循環は大体30-40年のサイクルで繰り返している。丁度1世代のスパンで繰り返されるので、「忘れた頃にやってくる災難」の経験が生かされてこないのが悲劇である。不況はマクロ経済の動向が引き起こすもので、個々の人々の責任では断じてない。働きたくとも仕事がないのである。無能だから失業するのではない。

B 環境エネルギー問題: 省エネ・新エネ推進は決して日本経済の負担ではなく、製品の技術力がいつも日本経済を救ってきた。原発に頼らないエネルギー資源対策こそ、石油に頼らないエネルギー対策・地球温暖化対策と同様に日本の技術力で立ち向かえるはずである。恒久的な環境需要を創出する方法として新エネルギーへの補助金を増やすことである。原発関係予算は4000億円といわれるが、これをそのまま新エネ開発に回すことで国の新電源エネルギー開発と不況対策が行なえるのである。省エネ家電のエコポイントは2009-2010年に9兆3000億円の実質消費押し上げ効果があった。GDPの約1.7%に相当した。住宅エコポイント制度も改築・新築需要を押し上げた。こういった政策こそが新たな需要を生み、経済刺激となる。

4) 国際化経済政策

成熟社会で消費を抑制し、効率化(人件費の圧迫など)と生産力増強に走れば、失業が増えてかえって需要が減少し(生産性が過剰になって)景気が悪化してゆく。生産性が拡大した分だけ経済が緊縮するのである。一企業レベルの利潤拡大策援助レベルの政策は、かえってデフレスパイラルを生み需要を求める企業の海外移転を促進するだけである。もはや「民の活力」に期待する政策では不況から脱出できない。新たな市場の創出が必要なのである。現在競争力至上主義が世界の企業を支配している。日本では需要が少なくなった従来製品を海外で生産することは、企業の利潤最大化主義となって経営者を金額だけで縛り付け、同時に近隣諸国窮乏化政策となっている。日本企業が経営合理化(コストダウン)によって利潤が増え貿易収支黒字が続くと、間違いなく円相場が上がりそれが利益を相殺してゆく。現在(2012年2月)日本の超優良企業が軒並み赤字を計上しているのはそのためである。過度な経常黒字があるかぎり円高は進んで、日本企業は国際競争力を失ってゆく。また海外であげた利益を日本に送金するため、ドルで円を買うので円相場が上がるというジレンマも円高に影響しているらしい。1社にとっての効率化もすべての企業で同時に行なうためその効果が仇になる事は,海外移転企業も国内企業も同じである。全社が利潤最大化のためにリストラに向かったため、生産性が上がった分失業率が増え、経済全体の消費がさらに減少する。これが更に各社の利潤が低下することになるのである。コストダウンを行なわない1企業は市場から退場しなければならない。企業経営の多難さは想像するに余りある。生産性拡大とそれが生み出す円高を享受できるのは、内需が旺盛で完全雇用(失業率2%以下)が維持されている場合のみなのである。

日本経済が不況で累積赤字国債が膨大なら円安となるはずなのに、なぜ円高が続いているのだろう。それは需要と雇用が減少し、生産性がだぶついて海外移転が進み(その努力が実って企業が利益をあげたため)膨大な経常黒字があるから円高となるのである。その円高が利益を相殺している。つまり円高は好況時には生産性のバロメータであったが、不況では内需低迷のバロメータである。中国経済の発展で日本は苦境にあるというのは間違いで、これだけの円高でも競争力は強く、2000年以来人民元のレートは一定であるが対中貿易赤字は減少し続け2010年には黒字に転換している。為替レートの水準(ファンダメンタル)は経常収支の黒字や赤字が際限なく拡がらないように調整されている。そして遠資産はドル資産への需要からも影響を受けている。毎日の変動性為替レートはレート水準の変化率をみて資産の収益を確保するために動くのである。為替介入はレートがファンダメンタルからかけ離れた動きをすれば投資化に警告を発することである。2010年の日本の対外純資産は世界最高の250兆円であるり、世界一の金持ち国である。中国は180兆円、アメリカはマイナス250兆円であり、欧州は軒並みマイナス資産である。また経常収支の構成は1990年以来貿易収支より所得収支の比率が高まっている。日本はアメリカとおなじく金融立国となりつつある。使い道のない金をこれだけ溜め込んでいるより、自分の生活をよくする者やサービスの購入に向かわないのが成熟社会の不況の特徴である。海外の開発途上国にお金を貸す(ODA)ことも渋り、お金を握って離さないことが円高と失業を生んでいる。それでもお金を稼ごうとがんばっているのが日本の円高不況の姿である。

国内需要(内需)を増やす努力よりも、海外に需要を求めて(外需)海外移転を行ったため、円高と国際競争力の低下と国内不況の悪化を招いている。企業の海外移転とは、日本企業が国内施設を閉鎖して海外にある企業に投資することである。資本の投資先は日本でも海外でもなんら構わないのである。すると日本企業の名前を冠している企業とは何物なのだろうか。日本国内にある日本企業といっても、外国人株主比率の方が多い企業は多い。外国人株主比率が50%以上の主だった日本企業(?)のなかで最大は中外製薬で76%、日産自動車は70%、あおぞら銀行は66%、昭和シェル石油が61%、大東建託が59%、ヤマダ電器が56%、HOYAが52%、オリックスが52%、ファナックが51%などである。このように企業の海外移転とはその産業が日本で衰退し発展途上国で拡大してゆくことである。そのような企業を無理に日本に引きとどめて衰退企業を存続させるよりは、自由に海外に移転し日本への輸出を増やせばいいことである。海外移転が行なわれることは経済の衰退ではなく、産業構造の転換のきっかけとなる。海外移転と輸入拡大は円安に動く。これらが1日にして移動するわけではなく時間をかけて円安による雇用拡大に結びつくことは経済回復になるわけで、海外移転を恐れることは無い。1日にして企業が日本からいなくなるわけでは無いので、産業構造の転換が必要となる。その産業で新たな雇用を生むことが日本再生の要である。替わって起こる産業は3) 成熟社会の不況政策で述べた産業群でありたい。環太平洋経済連携協定(TPP)も産業変換を促すであろう。農業保護一辺倒では関税保護策といわれてWTO違反となる。国際価格に見合った国内農業策を検討しなければならない。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system