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小坂井敏晶著 「人が人を裁くということ」 

 岩波新書 (2011年2月)

裁判とは共同体に対する反逆を封じる秩序維持装置である

2009年5月、裁判員制度が始まった。新事業のように言われているが、日本でも戦前に陪審制が施行されていた時期(昭和3年ー18年、1928−1943)があった。本書に入る前に日本の裁判員制度の概要を振り返ることにする。裁判員制度とは、特定の刑事裁判において、有権者(市民)から事件ごとに選ばれた裁判員が裁判官とともに審理に参加する日本の司法・裁判制度をいう。制度設計にあたっては、1999年7月27日から内閣に設置された司法制度改革審議会によってその骨子がまとめられた。小泉純一郎内閣の司法制度改革推進本部が法案「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律(通称:裁判員法)」を国会に提出し、2004年(平成16年)5月21日成立。裁判員制度は同法により規定され、一部の規定を除いてその5年後の2009年(平成21年)5月21日に施行され、同年8月3日に東京地方裁判所で最初の公判が行われた。裁判員制度は、日本に約1億人いる衆議院議員選挙の有権者(市民)から無作為に選ばれた裁判員が裁判官とともに裁判を行う制度で、国民の司法参加により市民が持つ日常感覚や常識といったものを裁判に反映するとともに、司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上を図ることが目的とされている。裁判員制度が適用される事件は地方裁判所で行われる刑事裁判(第一審)のうち殺人罪、傷害致死罪、強盗致死傷罪、現住建造物等放火罪、身代金目的誘拐罪など、一定の重大な犯罪についての裁判である。裁判は、原則として裁判員6名、裁判官3名の合議体で行われ、被告人が事実関係を争わない事件については、裁判員4名、裁判官1名で審理することが可能な制度となっている。裁判員は審理に参加して、裁判官とともに、証拠調べを行い、有罪か無罪かの判断と、有罪の場合の量刑の判断を行うが、法律の解釈についての判断や訴訟手続についての判断など、法律に関する専門知識が必要な事項については裁判官が担当する。有罪判決をするために必要な要件は、合議体の過半数の賛成が必要で、裁判員と裁判官のそれぞれ1名は賛成しなければならない。

市民の司法参加が義務として捉えられている日本と、権利として理解される欧米の差異はどこから来るのだろうか。これには各国の裁判制度の比較と歴史的な変遷を見ていかなければ、日本の裁判員制度の特徴がよく理解できないであろう。本書は裁くという行為の本質をその根本から考えてゆく「哲学実践講座」でもある。著者は法曹関係者ではない。社会心理学者である。だから本書は「裁判の社会学」といえる。難しそうに判例を振りかざす本ではなく、裁くという行為の社会学、民主主義の哲学である。裁判とは何かという設問に対する模範解答は「刑事裁判の目的は、犯罪の真相を究明し、犯人を罰することで、そして同じ犯罪が再び起きないように防止措置を講ずるための糧にする。」という。しかしこの考えは、犯人を確定できる、犯罪の理由が裁判で解明できるという前提に基づく。ところが、被告人が犯人であるかどうかは当人と神のみぞ知るのである。したがって最も事実に近いと定義されるのが裁判の判決である。裁判は真理の発見を目的とする科学とは違う(科学的捜査と証拠は重要視されてきたが)。そもそも裁判とは何のために行なわれるのか。まして市民が裁判に参加する(陪審、参審制)意味は歴史的にどういう意味を持ってきたのか。そこが問題である。そこで本書は第1部で「裁判員制度をめぐる問題」、第2部で「秩序維持装置の解剖学」、第3部で「原罪としての人の裁き」という順に話と進める。第1部では民族の歴史と民主主義的伝統、主権者の問題から市民が裁判に参加する(陪審、参審制)制度に迫る。第2部では誤審の生じる仕組みと冤罪事件の力学を検証する。第3部では意志と行為の因果関係から罪(責任)の本質を探る。本書は法曹関係者の書ではないので、手法は判例ではなく、社会心理学的実験が多用されて読者に疑問を提起する。そして裁判員制度改革や冤罪防止策・犯罪防止策といった行政上の施策には言及しない。要するに「裁判を考えよう」という問いを投げかけることが目的である。

本書は大変読みやすいが、本書が投げかけた問いは重い。大切な問いほど、解決は容易ではない。啓示のようにはっと気付くこともあるので、問いかけは諦めてはいけない。パスカルはいう。「法がはなはだ頼りなく、又いい加減であることに気付くであろう。法が欺きであることを民衆に知らしめてはいけない。法が正しい永遠な存在であるかのように民衆に思わせ、その起源を隠蔽しなければ、国の法は一瞬に崩れ去る。」と、これは相対主義である。どんな秩序でも反対する人間が常に社会に存在しなければならない。「正しい世界」とは全体主義に過ぎないから。「科学理論とは常に反証可能でなければ進歩は無い」というのと同じ意味である。異質性(多様性)が進化の鍵である。著者の小坂井敏昌氏のプロフィールを紹介する。あまりよく知られていない人なので紹介することは少ない。1956年愛知県生まれで、1994年パリ第8大学の社会科学高等研究院を終了。専攻は社会心理学で、主な著書には「民族という虚構」(東大出版会)、「責任という虚構」(東大出版会)、「異邦人のまなざし」(現代書館)などがある。本書第3部の犯罪論の内容は「責任という虚構」から骨子が取られている。

第1部 裁判員制度をめぐる誤解

裁判員制度導入によって国民の量刑感覚が反映されるなどの効果が期待されるといわれている一方
@国民に参加が強制される(拒否権がない)
A志願制ではないため、有権者全員に参加する機会が得られない
B国民の量刑感覚に従えば量刑がいわゆる量刑相場を超えて拡散する
といった問題点が指摘されている。裁判員の負担を軽減するため、事実認定と量刑判断を分離すべきという意見もある。官がもっぱら独占していた司法の場に市民が登場するのは、日本では「素人市民が判断すると冤罪が増える」と心配する人(官の優位を唱える法曹関係者)がいる。ところが欧州では「参審制」、英米では「陪審制」が各々200年、800年前から実施されてきた。正しい判断とか合理的判断とはそもそも何を意味するのだろう。日本の新制度は裁判官3名と裁判員6名の合議体で過半数(5名)を以って有罪が決定される。しかし裁判官の1人以上が賛成しなければ有罪は決定できないとされる。本当に市民の方が感情的に有罪を決める傾向があるのだろうか。真実はむしろ裁判官の方が厳罰を処す傾向が高いのである。日本の戦前における陪審制では有罪率は83%であったが、戦後の地方裁判所の職業裁判官の有罪率は何と99.9%である。検察が起訴した裁判の殆どは有罪であった。検察が黒といえば裁判も黒でなければならないかのようである。これはなぜそうなるかといえば、検察官、裁判官は司法試験に合格し研修を積んでから二手に分かれるが、その後も人事交流があり検察と裁判官は均質化しているからである。論理構造が同じになるように長年教育されているからだ。このことは真藤宗幸著 「司法官僚ー裁判所の権力者たち」(岩波新書)に明らかである。英米仏においても裁判官の方が厳罰主義であることはデータで示されている。すると裁判官の方が高い有罪率を示すデータからすると、「素人に裁判をさせると冤罪が増える」という見解は、根拠がなく、単に素人をバカにした発言に過ぎないことが分る。あえていうなら「素人は真犯人を見逃しやすい」といった方が適切である。冤罪の生みの親は職業裁判官である。

市民参加の意義は、裁判官とは異なる判断を市民が行なう事を期待するからこそ裁判員制度が生まれたはずだ。そしてそこに「裁判の目的が何であるか」という根本的問いにつながるのである。裁判官の全員一致率は1999年で平均96.4%である。法廷で同じ顔を持つ法曹服を着た人が並んでいる光景は異様ではないだろうか。職業裁判官より市民の判断を重視する傾向は諸外国で高い。英米のようにコモンロー(慣習法)に基づく司法を持つ国では「陪審制」がとられ、裁判官は事実認定に加われない。有罪かどうかを決定するのは市民である。無罪を覆す権限は裁判官にはない。英国、ベルギー、オーストリアでは12人の陪審員の全員一致で決した有罪判決のみが職業裁判官におくられ、量刑を職業裁判官が決する。ベルギーとオーストリアでは量刑裁判にも裁判員も加わる。フランスは現在参審制をとっているが、裁判官3人と裁判員9人の合議で2/3以上の議決で有罪が決まる。下の表に示すように市民裁判員の数は国によって異なるが、基本の考えは市民裁判員の半分以上が賛成しなければ有罪にはならないということである。日本では裁判官3人と市民裁判員6人の合議制で半分の賛成で決まるなら、裁判官全員と市民2人の賛成でよいことになり、市民の半数以下の賛成で成立する可能性が高くなる。誰が主導権を持つかが極めて曖昧に出来ている。

参審制、陪審制の比較
裁判官の人数市民裁判員の人数有罪決定の議決
英国・アメリカ
陪審制
12
全員一致
ベルギー・オーストリア
陪審制
12、8
全員一致
デンマーク
3
6
市民の2/3
フランス
参審制
3
9
合議体の2/3
スウェーデン
参審制
1
5
合議体の過半数
フィンランド
参審制
1
3
合議体の過半数
イタリア
参審制
2
6
合議体の過半数
ドイツ
参審制
3
2
合議体の2/3
ポルトガル・ギリシャ
参審制
3
4
合議体の過半数
日本
参審制
3
6
合議体の過半数

日本の裁判員制度導入時に国民主権論や懲罰権について議論されることはなく、技術的次元で終始したと聞く。1215年の「マグナカルタ」で陪審員制が明記されているイギリスの陪審制の精神を振り返ろう。英米はともに多民族・共同体を束ねる連邦制国家である。自分達共同体の紛争を中央権力によって処理される事を嫌い、陪審制が導入された。したがって陪審員は共同体の縮図(サンプル)でなければならない。イギリスは慣習法が支配し憲法は無いので、ボトムアップ式に市民の利害関係が調整されてゆく過程を尊重する。そのためイギリスの裁判は真実を究明する場というよりは、紛争を具体的に解決する調停の場に近い。裁判官は中立の立場で、検察と弁護側の議論の進行役に徹するという。それに対して絶対王政から革命、帝政、共和国の伝統を持つフランスは中央集権の政体として発達した。中央主権国家の前の市民には本質的な違いは無いとする「普遍主義」が理念の根底にある。したがって裁判員は共同体の代表ではなく、市民という抽象的概念としての主権的存在である。市民はルソーのいう一般意思を表し、多数決で表される市民の総意とは区別される。裁判は社会構成からくる現実社会の利害関係の調整ではなく、普遍中立の意思を表明することである。陪審制は王権から裁判権を奪い取ったことであり、人民主権の理念である。裁くのは市民であるという見解だ。人民国家権力の強いフランスはトップダウン型意思決定である。フランスでは主体的に真相を究明する場として裁判が位置づけられる。フランスの陪審制は市民の事実認定と職業裁判官の量刑認定は分離されていた。この制度が参審制に替わるのは、第2次世界大戦中のドイツ占領中のことである。戦後の共和制では市民の意見が重視される改革がなされ市民の裁判員の過半数が賛成しないといけないようになった。ようこのように英米とフランスでは司法哲学が異なる。市民を裁判から排除する国は一般に独裁政権国家であった。ロシアの帝政時にあった陪審制はロシアのボルシェヴィキ国家では廃止され、スペインでもフランコ政権で廃止され陪審制が復活するのは1995年のことである。イタリアではファッシズム政権時に陪審制は廃止され、戦後復活した。ドイツではプロシア帝国では陪審制は制限され、ナチス政権時は廃止されたのも同然となった。西ドイツに陪審制が復活するのは戦後の事である。裁判制度は時の政治体制や権力闘争によって左右される極めて政治的な行為であった。

刑事裁判の告発主体は被害者や遺族ではなく、共同体を体現する国家である。犯罪を裁く主体は誰だろうか。正義を判断する権利は誰が握っているのだろう。これが裁判の根本問題である。誰が正しい判断を下せるかという能力の問題ではなく、誰の判断を正しいとするかという問題である。フランス革命の理念では「人民の下す判断を真実の定義」とした。人民の決定に対する異議申し立ては許さないという、フランスでは陪審制を導入して2世紀の間この原則が守られてきた。しかしこの原則は1966年の国際人権規約、1988年の欧州人権条約に違反するとして、フランスは上訴権を認めるに至った。フランスでは控訴審で市民の意見を重視するため裁判員の人数を、第1審の9名から12名に増やした。デンマークの控訴審もフランスと同じである。英米では陪審制を採用しながら、従来から控訴審があった。第1審に市民が参加するが控訴審では職業裁判官のみで行なう場合が多い。英米法では検察官上訴は許されていない。有罪判決を不服とする被告人が上訴する。上訴権は被告にある。。無罪判決であればそれで結審である(ただしヨーロッパ大陸では日本と同じように検察官が控訴できる)。 英米法では判決理由明示が禁止されているので、無罪判決が出しやすい環境にある。なぜ無罪かという事を逆に立証する必要ないからだ。これは「推定無罪」(疑わしきは罰せず)の原則に基づくからだ。フランスでも公判内容の要約発表は禁止されている(裁判長だけが閲覧可能であるが)。このように「素人裁判員」の判断がプロの裁判官によって論理的に論破される事を回避し、市民の判断が優先される仕組みである。これに対して日本の裁判員制度では職業裁判官の権限が強い。均質な職業裁判官の3人の判断はいつも一枚岩であり、「裁判官説示」によって市民裁判員はその見解に誘導されてしまい、結局は裁判員制度は有名無実になる可能性が高い。アメリカ人のジョーンズは日本の裁判員制について言う。「裁判員制は裁判所に対する批判をなくするためにあるようだ。参加した裁判員は守秘義務で批判が出来ない状況にある。つまり裁判員制度は司法が国民の意見を聞くように見せかけて、最小限の影響しか出来ないように仕組まれている」と。お上第一の官僚裁判制を市民参加で批判を受け流し、実質は従来どおりの判決を出せるような仕組みだという。市民を官僚裁判官の共犯者に仕立て上げることである。

英米の陪審制は有罪か無罪かを12人全員一致の結論まで議論する原則は、イギリスで700年間、アメリカで200年守られてきた。この原則は金と時間がかかりすぎるというので、1972年アメリカ連邦最高裁判所判決で、死刑を除いて全員一致制を緩和し、軽犯罪では状況は変わった。全員一致と多数決の評議はどう違うのだろうか。議論を重ねるにつれて、推定無罪へ傾くことが一般的である。有罪なら立証が必要だが,無罪には立証する必要はない。そして検察の有罪根拠のひとつでも疑わしいなら無罪である。多数決制は安易に流れ議論が尽くされないので信頼性に乏しくなる。そして裁判員の数を減らすことも信頼性を損なう。裁判員の数が少ないと多数決で1人の意見が反映されないことになる。1人の異論は出しにくくなり孤立してしまう。裁判官と裁判員の閉鎖集団内で、情報源が少ない中で多数派の意見に流されることは自明である。いかに情報閉鎖集団の判断・行動に影響されやすいかを調べたミルグラムの「アイヒマン実験」という心理学実験研究が有名である。陪審員評議では6人よりも12人の方が全員一致にいたる時間が長く、少数派の意見が尊重される。欧米では職業裁判官の判断よりも市民の判断に重きを置くのは、市民の判断が正しいのではなく、真実は誰にも分らないのだからだ。人間の自律性は他者との情報交換の中で変遷し続ける動的平衡状態である。密室という真空状態では正しい判断は1人では出来ない。日本人の好きな「場の空気を読む」ことに流れて判断など到底出来ない雰囲気にある。そういう意味で冤罪は裁判の原罪(宿命)である。冤罪を避けるには無罪しかない。

第2部 秩序維持装置の解剖学

なぜ冤罪が生じるのかを考えよう。無実の者でも虚偽の自白をしてしまう。これが冤罪を生む最大の問題である。厳しい取調べにある程度の駆け引きと、被疑者を精神的に(心理的に)追い込む必要もある。自発的な自白などありえない。被疑者の人権を守る規制が充実すれば冤罪はなくなるだろうか。1973年から1984年の確定死刑囚7534人のなかで冤罪が実証されたのは111名で1.5%であった。既に執行されたものや病死・自殺者を除いて生存する死刑囚2394人に対しては2.3%となる。米国の重刑受刑者の調査では冤罪率は1.1%であった。米国の犯罪数は1年の1000万件で、警察で把握していない犯罪はその同数あるとして2000万件、逮捕されるのは200万人、起訴され有罪となるのは100万件である。冤罪率を1%として冤罪犠牲者は年1万人になる。冤罪者一人を生む確率(1%)は犯罪者1000人を見逃す確率と同じである。裁判での有罪率を国際的に比較すると、日本では99.9%、米国90%、フランス96%、韓国99.6%、タイ99.2%である。日本の有罪率が高いのは、有罪だと検察が確信できなければ起訴しないことによるとされている。起訴か不起訴かは検察の自由裁量で、証拠があると思われる事件でも被疑者の不起訴率は37%に上る。被疑者を留置場において取調べできる時間は米国で48時間であるが、日本では警察に48時間、検察で24時間、裁判所が認めるとさらに10日間、もう1回裁判所に請求して10日間で、合計23日は被疑者を勾留することが可能である。フランスは最大6日、イギリス4日、イタリア4日、デンマーク3日、ドイツ2日、カナダ1日である。日本の拘留期間の長さはよく非難の的になる。日本の弁護士接見制限も非難される。

自白を誘導する心理操作術について本書は心理学的に解説しているが、よくテレビでお目にかかる場面であるので詳細は省略したい。被疑者の情報を遮断して絶望に追いやりやさしい言葉で落とす手管である。日本で捜査期間中に弁護士を呼ぶ被疑者は10%ほどで、その弁護士も検察とグルの場合が多い。被疑者の利益を守る弁護士は7%にすぎないという。日本の捜査は物的証拠よりは自白に頼ることが多い。検事の自白調書の文章作成力(ストーリー)がすべてである。米国には司法取引があり捜査に協力すると罪が軽くなるという仕組みで自白を誘導する。日本でも検察の自由裁量権は大きい。オーム真理教の捜査において協力した林被告は罪一等を減じられ、死刑から無期になったといわれる。自白とともに目撃証言は決定的影響を判決に与えるが、目撃証言がいかにいい加減かは、よく心理学実験で確かめられている。死刑冤罪者の8割近くに目撃証言があった。最初は目撃記憶に自信がなくとも、警察から示唆されると次第に自信を持ち始めるから記憶というのは性質が悪い。そして犯罪化説が検察によって構成されると、合致しない事実は無視され、あるいは合致するように(つじつまが合うように)歪曲解釈される。捏造までしてしまったのが、大阪地検特捜部のフロッピー書き換え事件であった。証拠捏造は米国の警察官の1/6にも上るという。鑑定すり替え・偽造も多い。被疑者の虚偽自白強要による冤罪事件の典型的なものに、甲山事件、土田日石ピース爆弾事件、足利事件などがある。一番悲しいのは、自暴自棄に陥った被疑者がどうにでもなれと、検察の物語(供述書)に署名してしまい、そしてそれを何度も繰り返し聞かされることで、自分の記憶を偽造することである。

第3部 原罪としての裁き

罪(責任)の論理構造と、犯罪と処罰の意味を考えよう。近代刑法は当人に責任があるから罰するという、これは正しいか。殺意というのは意志で、意志のみが行為を引き起こすということである。最近の大脳生理や脳科学では、意志が動く前に行動神経への信号が出ているという。神経信号とは0.5秒程度の時間であるから、行動と意志のどちらが早いかというのは微妙であるが、無意識の条件反射というスポーツの世界では常識である。人間が主体的存在であり、自己の行為に対して責任を負うという考えは近代市民社会の根本である。人間が自由な存在であり、自らの行為を主体的に選び取るという人間像を前提としている。しかし、人間がアプリオリに自律的な存在ではなく、常に他者や社会環境から影響を受ける存在である事を社会科学は実証している。殆どの人は上からの指示に服従することで、社会や企業・官僚組織は動いている。個人的には多少おかしいと思いながら、反抗することも出来ず唯々諾々と法律違反をなすこと多い。それでも個人的犯罪として処罰される。そうなると責任概念はどうなるのだろう。人格という内的要素も遺伝的性質に教育、社会的影響が作用して形成される。刑罰の根拠として採用される責任は、行為の因果関係とは別の次元にある。殺人の意志をもって人を刺した場合、人が死んだら殺人罪で、人が一命を取り留めれば傷害罪で問われ、刑罰の重さが随分異なる。意志にかかわらず政治家のように結果責任のようなものか、あるいは社会に対する衝撃度で罪が決まるのであろうか。責任とは因果律と異なる論理であるから、秩序を維持する側の論理がまかり通るのであろう。

人間が主体的存在であると云う前提が崩れ始めている。「私」はどこにもいない。「私」は実態的に捉えられない。「私」とは社会環境の中で脳が繰り返す社会心理現象で,虚構生成プロセスであると著者は主張する。人は他人の影響でどうにでも変わるから社会的・国家的に教育の重要性があるというなら、法でいう自律した人間像は虚構である。といって何をやっても自分の責任では無いと逃げるのも間違っている。共同体としては期待される人間像から逸脱した部分は罰するということになる。すると論理構造は逆になる。ある行為の行為者に責任を負わせることで、事後的にその行為の原因としての「意志」を構成しているのである。意志→行為→責任という法体系は、実は行為→責任→意志という構造である。「責任は虚構である」という結論が導かれた。「主体」とは懲罰制度を可能とするために捏造された社会的虚構である。精神活動はデカルトにとって「意識」、フロイトにとって「無意識」、認知心理学にとって「脳神経活動」と位置づけられる。ここから犯罪の正体に迫ることになる。魔女裁判のように昔から奇妙な処罰制度が共同体固有の世界観に起因して存在した。すると今の責任概念も時代の産物に過ぎないのだろうか。フランスの社会学者フォーコネは犯罪を次のように考えた。「犯罪とは共同体への侮辱・反逆であり、社会秩序が破られると社会の感情的反発が起きる。そこで犯罪を象徴する対称が選ばれ、このシンボルが破壊されるという儀式を通じて、共同体の秩序が回復される」と見たのである。社会秩序への反逆に対する見せしめとして刑罰は下される。罰を受ける対象として選ばれるのは行為者であって、示唆者ではない。行為者が犯罪にイメージとして強く結びつくからである。罰せられることが責任の本質をなす。行為者はエスケープゴート(犠牲)である。社会秩序はこのような虚構の物語に支えられる。近年の鈴木宗男の汚職政治事件でいう国策捜査とか、自由主義経済の秘蔵子ホリエモンなどは日本人が好きな「掃除した印をつける」ために選ばれたエスケープゴートであろう。

フランスの社会学者エミール・デュルケムは「犯罪とは単に社会規範からの逸脱を意味する。社会規範からの逸脱として犯罪と創造は多様性の同義語である」という。デュルケム理論でいうと犯罪は社会の新陳代謝の廃棄物である。社会が維持される上で規範が成立しそこからの逸脱が犯罪である。そういう意味では犯罪は社会の歴史的多様性を生む源泉であると云うのはかならずしも逆説ではない。必要な要素かもしれない。いくら罰してもある種の犯罪が減らないとき社会は矛盾を曝露する。殺人や盗みは罰することでけりが付くが、秋葉原事件が続発すれば現在の社会の規範は修正を余儀なくされよう。少なくとも何らかの法改正が必要である方向へ動く。では何が正しい規範なのか。昔は「神」であったが、道徳や法の時代性地域性が露になってからは、それらが正しいという保証はなくなった。そこで社会秩序を正当化するため主権概念がフランス革命でもたらされた。誰が正しさを決めるかという問いかけである。主権者が宣言する方が正義を意味する。主権者が神や王であった時代は分りやすかった概念であるが、主権者が市民となった現在、法の秘密は隠蔽されたままである。ホッブスは「社会契約論」で主権者は権利を放棄して国に譲り渡す。市民の一般意思という形で法を正当化し共同体の外部に置いた。ルソーは個人主義主権を主張して、共同体の外部へ出なかった。モンテスキューは「法の精神」で権力こそが人間の自由の阻害要因だとして、どんな権力をも抑制する機構として三権分立を唱えた。アダム・スミスは見えざる手という概念でこの摩訶不思議なシステムの能力を信じた。社会全体の運動は、構成員の意識や行為から遊離して,外部の力の作用のように、責任・道徳・経済市場・宗教・言語などさまざまな集団現象は調和した機能を生むという信仰である。これらを虚構とすれば、「虚構こそが真理の正体」である。社会秩序を根拠付ける外部(虚構)が生み出され続けなければ、人間は生きられない。


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