2013年2月27日

文藝散歩 

新倉朗子訳 「ペロー童話集」  
 岩波文庫 (1982年改版)

フランスの民間伝承に材を得た教訓に満ちた口承童話集


民間伝承に基づく童話集というと、すでに「グリム童話集」を読んだ。グリム兄弟(ヤーコブ・グリムとウィルヘルム・グリム 1785-1863,1786-1859)よりも約150年ほど前に、フランスのブルジョワジー出のシャルル・ペロー(1628-1703)がその先駆をなし、ペローの物語はグリム童話集にも何篇か伝わっている。ペロー童話集は一読して分かるように、やさしく抵抗なく頭に入るストーリを展開している。語って子どもに聞かせ納得させる、洗練された口承文芸である。平家物語のような名文調の滑らかな語り口に似ている。子供達に楽しく聞かせて教訓を読み取らせる目的からして、少なくとも論理的・倫理的な破綻は許されないからである。荒削り的な素材提供ではない。「赤づきんちゃん」では、不穏当な残虐な表現は削ってもなお、子どもが大人に騙されるという悲劇は余すところなく伝えている。シャルル・ペローなる人物を見ておこう。ペローは、1628年にパリのブルジョワ階級の家庭に生まれる。1651年、オルレアン大学で法学の学位を取得し弁護士となる。1671年にはアカデミー・フランセーズ会員に選出される。コルベールに認められ、ルイ14世に仕えた。コルベールの右腕として20年間活躍したが、妻が4人の子(3男1女)を残して亡くなった1678年ごろから、コルベールとは疎遠になりつつあったが、なお王属諸館監査役の公職にあった。1983年公職を去ってから、子ども教育に没頭するようになったという。なおコルベールは1664年に財務総監に就任すると以後20年以上にわたってフランス絶対主義時代の財務を担当、陸軍大臣ミシェル・ル・テリエ、外務大臣ユーグ・ド・リオンヌと並ぶルイ14世の側近となった。1669年に海軍大臣も兼任した。財務官としては重商主義者で関税を重くするなど保護主義的な政策を採り、反対に産業の発達と輸出を奨励した。パリ天文台やガルニエ宮・科学アカデミーの設立にも関わり、シャルル・ペローやシャルル・ルブランなど文化人や科学者を援助するなど文化面でも影響を与えた。

「赤づきんちゃん」や「長靴を履いた猫」で知られる「ペロー童話集も、文学作品としては長い間陽の当たらない場所に置かれ顧みられることはなかった。児童文学、民話だという曖昧な領域で扱われ研究対象となることもなかった。1968年ソリアーノが「ペロー童話集ー学識文化と民間伝承」以来、少なくとも研究対象論文が出始め訳本も出回ってきた。本書は2つの原本から構成される。一つは「韻文による物語」3篇と、散文による「過ぎし日の物語ならびに教訓」8篇からなる。「韻文による物語」はまず「グリゼリディス」が1691年、「愚かな願いごと」が1693年、「ろばの皮」と前の2篇を合わせ1694年に出版された。本訳文は1695年の第2版を底本としたルージェ本によったそうだ。散文による「過ぎし日の物語ならびに教訓」8篇が1冊の本として出版されたのは1697年であるが、1695年には5篇だけで出版されていた。「韻文による物語」はシャルル・ペローの名で発表されているが、問題は「過ぎし日の物語ならびに教訓」8篇の作者は誰かということである。ペローは三男P・ダルマンクールに昔話の集録を指示していたので、父と子の合作説や父ペローの単独作説(子どもを隠れ蓑とした説)がある。結局10歳頃の三男P・ダルマンクールが書きとめた昔話ノートに父ペローが手を加えたり全面的に書き直したりしたという仮設がもっともらしい。本書に収められた話は口承の昔話に源を発する。「グリゼリディス」や「ろばの皮」のように、ペロー以前から書承文芸として存在していた話と「赤づきんちゃん」のようにペローがはじめて書き留めた話もある。ペローの有力な共同作業者としてレリチェ嬢がいて二人は情報交換しながら童話を伝え合っていたようである。「赤づきんちゃん」の話はグリム童話に取り上げられ、残虐な部分をそのまま残しているところから、グリムの方が原形により近いと考えられる。しかしグリムが独自に集録した話しではなく、ドイツにはこの童話の原形はなく、フランスからペローの話がグリムに流れて居る事は明白である。こうした書き換えや省略は、伝える人の道徳観念や個性を反映する。口承文藝独特のリズム感のある文句はペロー独特の個性である。こうしてみるとペローは口承の語り口や昔話の構造を伝えることにおいて先覚者であったといえよう。またペローの昔話は宮廷を中心とする同時代の現実を色濃く反映している。昔話の研究は聞き取り・記録・タイプ分類に始まり、分析してテーマやモチーフを解析し、各国ごとの目録が作られる。神話研究と同じである。ドラリュはフランスの伝承に残る昔話を分類して、ペローの書承した話(本より)が再び口承に入った話、ペローの本から完全に独立した話、両者の混合と三つに分類して原初的なモチーフを識別する作業を行った。現在の民話研究では収集の対象がテーマだけではなく、その語り手の背景や社会環境に関する情報、語り手の生きた現実にまで広げられ、より社会学化したといえる。

第1部 「韻文による物語」

1) グリゼリディス

ペローは冒頭に「あまりに古い教訓のせいで、お笑い草になるであろうことも。忍耐がパリのご婦人がたにとって美徳でないわけでなく・・・」と言い訳をしている。絶対王権主義者のペローはかくも古い道徳を持ち出している。この話には二つの疑問があり。一つはこれは童話ではなく、成人向けの道徳読本ではないかということである。男の圧政・傲慢と嫉妬や妻の貞淑と服従といったことは子供のよく理解出ることではない。二つ目の疑問はこれは「韻文」かということである。別に「韻」を踏んでいるように思えないし、文学に疎い私にとってこの文章は分かち書きに過ぎないと思われる。「詩文」形式というように理解しておこう。もし「韻文」ならせめて訳者は文語体にすべきではないだろうか。フランス語の韻文は日本語に適当な訳が見つからないのかもしれない。これらはいつも翻訳文学について廻る問題であり、原文が読めない読者にとって原文の味わいは諦めるしか方法がない。「グリゼリディス」の話は本書では一番長い話で、文庫本のページ数で80頁を占めている。ある国の若い大公(王様)は天賦の才に恵まれ、政治家として武人として英雄的な性質を持ち、芸術を愛する情熱にも素晴らしいものがあった。ところがすべての女性は不実で裏切り者だという偏見から逃れられなかったので、家臣の勧めのも係らず大公は結婚をする気になれなかった。完全な服従心と不抜の忍耐心とおよそ自己主張のない女なら娶ってもいいと嘯く様であった。毎日午前は政務をこなし、午後は騎乗の猟人となって、家来を連れて森を駆けぬけていた。ある日深い森に入り家来をも見失い一人さ迷っていると、ある小川のほとりの家に美しい羊飼いの娘グリゼリディスを見つけた。優しさと誠実さをこの娘に認めていらい、毎日この娘の家に通うようになり、この娘を城に迎え結婚式を挙げました。こうして幸運に恵まれた結婚は1人の王女を設け、貞淑な女が娘の養育に遷延するにつれて、大公の心の中に冷めた意地悪な気質が甦ってきた。妃が貞淑すぎたために大公の心が傷つき、幸福すぎるほどの幸福を疑うようになった。そして妃の貞淑を疑い妃いびり(陰湿ないじめ)が始まった。この話はここから大公のDV行為と妃の不幸をこれでもかというばかりに書き連ねている。妃にとって試練の連続であり、女の読者の自虐趣味をくすぐる様でもある。先ず最初に妃を一室に閉じ込め、妃の愛情の注ぎ対象である幼い王女を取り上げて隔離養育し(かっての日本の皇室のように)、王女は死んだと嘘を告げて妃を絶望に追いやりました。何年もたって王女が成長し美しい娘となって他国の王子と恋をしましたがこれを引き裂きました。大公は妃を離縁し粗末な家に追放し、妃は昔のように羊飼いの生活となりました。これほどまでに大公にいじめられても羊飼いの娘は大公のお気に召さなかった事を侘びました。大公と王女の結婚式(2人は実の親子なのでもちろん虚構の結婚式ですが)に元妃(羊飼いの娘)を呼びつけ、今後王女の召使を命じました。元妃(羊飼いの娘)は大公に自分と同じような不幸を王女になさらないように懇願しましたが、大公にしかられ退けられました。こうして娘の王女と大公の結婚式(妃は自分の娘は死んだといい聞かされている)に、妃(羊飼いの娘)は恨みがましいことはいわずじっと耐えていました。そのとき大公の嫉妬心が消えました。王女と若い王子の結婚式に切り替えられ、グリゼリディスは真実を知り娘の結婚を祝福し元の妃に戻り幸せな生活になりました。試練に耐え抜いた辛抱強さは人々の賞賛の的になり、美徳の完璧なお手本となりましたとさ。

2) ろばの皮

冒頭に「最上の理性、分別の持ち主とて、物語にまどろむ愉しみを味わう」といって、物語の愉悦を語る。この物語の目的は子供に「徳は不運にも会うが、必ず栄光に飾られる。恋と情熱は理性に勝つ」という事を教える事にあります。(愚かな)ロバの皮とは醜いものの代表である。昔あるところに偉大な王がいました。一人の娘が生まれ王妃と三人の幸せな暮しがありました。ところが妃に病気が襲いいまわの時に「私より美しい、賢い女となら再婚してもよい」という遺言をしました。妃がなくなって早速王は新しい妃選びを始めましたが、どこの国をさがしても元妃のような美しい女性などおりません。そこで王は美しい自分の王女と結婚すべきだと考えました。困りぬいた王女はなずけ親の仙女(魔法使い)に相談しますと、仙女は王女の入れ知恵をして、(かぐや姫のように)王に難問を突きつけたらいいといいます。最初は、空の色をしたドレス、月の色をしたドレス、太陽の色をしたドレスを要求しますが、王は財力を持ってどんなドレスも、腕利きの職人を雇い布地に宝石をちりばめて作ってしまいました。困り果てた王女は仙女に相談をすると、王が大事にしている魔法の「ロバの皮」をねだりなさいといいます。それさえ恋に狂った王は王女に捧げます。最後に仙女は王女に逃亡を勧めました。持ち物は服と宝の入った箱と仙女の杖(杖で地面に触れると箱が現れる)を持ってロバの皮をかぶって他国へ逃げました。ロバの皮は醜く汚い印象を与え王女を隠すための蓑の役割を果たしました。ロバの皮をかぶった王女は各地で職を探しますがこんな汚い女を雇う人はいません。「ロバの皮」はある農家の下女となって働くのでしたが、軽蔑と酷使に耐え、夜一人になると例の箱をあけて宝石やドレスを着用しては自分を慰めておりました。この小作地に王子が狩の途中に立ち寄り、王子を見た「ロバの皮」は一目ぼれをしました。ある日王子は裏道から納屋をのぞくと美しい娘が素晴らしいドレスと宝石で身を飾っている姿を発見しました。そして王子は火と燃える恋におちいりました。それから王子は恋わずらいとなり、舞踏会にも行かず思い悩みました。母親の妃は息子の王子のため家来にその娘の素性調査をさせますが、答えは「ロバの皮は最も醜い動物」ということでした。そこで王子はその娘に手作りのケーキを作るように母親を通じて命じました。持って参じたパンケーキのなかから指輪が出てきました。これは「ろばの皮」が入れたに違いありません。王子に見られた事に気がついてないわけはありません。そして国中のこの指輪をはめられる女性を探すというお触れを出しました(シンデレラのガラスの靴のように)。指輪のテストに合格できる娘は国中を探しても見つかりませんでした。最後に残った「ロバの皮」が連れてこられ、指輪はその小さな指にぴったりと収まりました。「ロバの皮」は持ってきた輝くばかりのドレスに身を包み、結婚式と披露宴に向かいました。「ロバの皮」の父である王様も披露宴に現れ娘の結婚を祝福したところに、なずけ親の仙女が現れ一部始終を語り、めでたしめでたし。

3) 愚かな願いごと

冒頭にペローはこの話の目的を説明をします。「1m以上もある腸詰のお話ですが、話の材料よりも、ほかならぬ語り口こそあらゆる物語の美しさを生みます」という。あるひとりの貧しい樵が森で雷の火矢を持ったジュピターに出会いました。ジュピターは「お前の幸せはすべてお前の願い次第なのだから、よく考えるのだ、願いをかける前に」と、3つの願い事を聞き届けてやろうというのです。大事なことなのだからよく願い事を考えようと家に帰って女房に相談しました。大事なことは明日にしようとして、先ずは葡萄酒を飲み始めた樵は「長い腸詰でもあれば」といい終わるのが早いか、1メートル以上長い腸詰が出てきました。女房はこれを見てすっかり動転し、大事な願い事をつまらぬことに使ってしまった夫を罵倒しました。口喧嘩になった夫は「くたばってしまえ、お前の鼻に腸詰がつくといいや」と悪たれをつくと、女房の鼻に腸詰がくっつき離れません。これをみて樵はすっかり反省し、「おぞましい鼻の王妃になるより、この不幸が起る前の樵の女房として人並みの鼻になって」といいました。残りの願い、このささやかな幸せ、女房を元の姿に戻しましたとさ。無分別な人、軽はずみな人、落ち着きのない人、気の変わりやすい人は願い事(大計を立てる)をするのには向きませんというのが教訓です。

第2部 「過ぎし日の物語ならびに教訓」

1) 眠れる森の美女

この話はグリムの童話集にも伝承され、KHM 50 「いばら姫(野バラ姫)」という題で出ています。違うところは仙女の数がペローの話では7人、グリムの話では12人というどうでもいいことです。ペロー童話集では、王子が棘に囲まれた古城で眠り姫を目覚めさせて後、グリム童話にない王子様の父王と人食いの王妃の後日譚をつけています。王子が父の城に報告に帰りますと、王子は眠り姫との婚約の話を秘密にして、帰りが遅れた理由を適当な嘘でで報告します。父は信じますが妃(人食いの噂のある)は信じません。そのうえ後日何度も外泊をする息子にはきっと恋人がいるに違いないと信じ込みました。王子と眠り姫の間には二人の子供ができました。上の姫をオーロール(暁姫)といい、2番目の息子をジュール(日の子)となずけました。2年後に父の王がなくなって王子が君主となると王子は結婚を宣言しました。そして妻と子供を呼びました。それから王は戦争のため外国へ出ましたが、留守の間王大后は恐ろしい野望をいだき、王妃と皇子らを別荘へ連れて行き、料理長に子供オーロールを料理するように命じました。料理長は驚いて子羊を料理して誤魔化しました。次の日ジュールを食べたいと料理長に命じると、料理長は子山羊を料理して騙しました。次の日には王妃を食べたいと料理長に命じますと、料理長は雌鹿を料理して出しました。ところが皇子らが泣いている声を聞くと、役人に王妃らを捕え蛇などが入った大きな桶に投げ込むよう命じました。投げ込もうとした寸前に王が帰還し、事の成り行きを正そうとしたや、人食い王大后は大桶に飛び込み、蛇の餌食となりました。グリムの童話の方が残虐な話に満ちていますが、この眠り姫の話にかぎってペロー童話集の方がよけいな残虐話を掲載しています。前半で終っておけばハッピーエンドでメルヘンなのに、本質的でない後日譚を挿入するのはなぜだろうか。

2) 赤づきんちゃん

この話もグリム童話集に伝えられ、* KHM 26 「赤ずきん」という題で出ています。この話は短い内容ながら、リズミカルな繰り返し口調が軽快に響く。「取手をお引き、桟がはずれるから」と2回繰り返し、おおかみと赤づきんちゃんの会話が「なんて大きな脚をしているの」−「早く走れるように」、「なんて大きな耳をしているの」−「よく聞こえるように」、「なんて大きな目をしているの」−「よく見えるように」、「なんて大きな歯をしているの」−「お前を食べるため」という風に、この手法は宮沢賢治の「注文の多い料理屋」に使われている。ペローの童話は狼のことを疑わなかった娘の悲劇で終っているが、グリム童話では狼の腹を割いて救出する話で終っている。グリムでは勧善懲悪的な教訓話になっている。ペローの教訓が又現代的である。「こういう優しげな狼こそ、どの狼よりも最も危ない」

3) 青ひげ

青ひげを蓄えた金持ちの男がいました。とても恐ろしげにみえるのでどんな娘も逃げ出す始末です。隣人の娘がこの青ひげがそれほど恐ろしくないように思えて結婚しました。結婚後すぐに青ひげが商用で6週間ほど留守にすることなりました。妻に家の中の事を説明し、部屋の鍵をすべて預け自由に友人達と使っていいが、廊下の奥にある小部屋だけは開けてはならないと厳命しました。早速妻は部屋中の宝石や家具調度品の豪華さを楽しんでいましたが、どうしても禁じられた部屋に行きたくてしようがありません。震えながら鍵で部屋を開けると床一面が地の海でかべには何人かの女の死体がぶら下がっています。これまで青ひげが結婚した相手の女性の喉が裂かれた死体だったのです。驚いて扉を閉めると鍵を床に落とし、鍵に付着した血痕がいくら拭いても消えません。しばらくして青ひげが所用から帰宅し鍵の束をみると、妻が禁じられた小部屋に行ったことがばれました。青ひげは謝る妻を殺そうとしましたが、妻は最後のお祈りのため15分の猶予を貰い、塔の上から一番上の姉に連絡をとって、兄弟の救出を頼みました。駆けつけた兵隊だった兄弟が青ひげを刺し殺しました。教訓話が無理難題を吹っかける夫と妻の戦いを描いていますが、今ではそんな話も古くなったと嘆いているようです。

4) 長靴をはいた猫(猫先生)

一人の粉引きが三人の息子に残した財産とは、粉挽場、ロバ、それに猫だけです。一番下の弟には猫が与えられました。弟はがっかりして飢え死にするしかないかと嘆いていますと、猫先生は「私に袋と長靴をください。稼いできます」という。ねこは長靴を履き袋を提げて森に入りました。そして兎を捕まえ主人(カラバ公爵の嘘)の命で王様に献上しに来ましたといって、王様に先ず恩を売りました。次の日麦畑でうずらを捕まえカラバ公爵の名で王様に献上しました。こうして猫は王様に近づき、ある日王様が姫と川に散歩に出る機会をうかがい一計を企みました。主人を川に入れて、王様には泥棒に服を奪われたと称して王様より主人に王子様の服装をもらいうけました。こうして王子様になった「カラバ公爵」にお姫様は恋をしました。お姫と「カラバ公爵」が散歩に出て、放牧地や畑を見て歩きましたが、その前に猫は住民を脅かしてこれらの土地がカラバ公爵様のものですと言わしました。最後に人食い鬼の城にゆき、鬼を計略にかけて退治し、城を乗っ取って「カラバ公爵」のものであると公言し王様と姫を招いて晩餐会を催し、王様は「カラバ公爵」を婿様にしました。教訓としては、世渡りの術と駆け引きに長けたほうが貰った財産より役に立つ。

5) 仙女

2人の娘を持つ後家がいました。姉娘は母親似で不愉快で高慢ちきでしたが、妹娘は死んだ父親似で優しく折り目正しい娘でした。後家は自分に似た姉娘をかわいがり、妹娘には辛く当たりました。毎日2回妹娘は半里も離れた泉に水を汲みにやらされていましたが、ある日みすぼらしい女がやって来て水を所望しました。妹娘は優しく丁寧に、きれいな水をこの女(じつは仙女でした)に勧めました。女はお礼に「口を聞くたびに口から花や宝石が飛び出すようにしてあげる」といいました。かえって母親に遅かったといって叱られましたが、いきさつを話すと苦tからバラの花と大きなダイヤが飛び出しました。驚いた母親は姉娘にも行かせなくてはと、「貧乏な女が水を飲ませてくれといったら令義正しく飲ませないなさい」といい含めて泉にやりました。すると着飾った貴婦人が現れて水をくださいといいました。がさつで高慢な姉娘は「欲しければ自分で飲んだら」というと、仙女は「貴女は礼義正しくは無い。口から蛇か変えるが飛び出すようにしてあげよう」といいました。姉娘は家に帰ると口を開くたびに蝮やヒキガエルが飛び出しました。怒った母親は妹娘のせいにして家から追い出しました。娘は近くの森にかくれましたが、王子様と出会いいきさつを話すたびに口からダイヤが出てきます。王子様は宮殿に娘を連れて帰り結婚しました。姉娘は母親からも嫌われ家を追い出されて森の中で死にました。教訓として優しい言葉はダイヤ以上の大きな値打ちがあるということです

6) サンドリヨンまたは小さなガラスの靴

サンドリヨンとは「灰っ子」という意味です。有名なシンデレラ物語です。この話もグリム童話集 *21 「灰かぶり」という題ででています。グリム童話では優しいシンデレラが動物たちの協力を得てお嫁さん選考会に出かける話ですが、ペロー童話集では仙女(名ずけ親)が相談相手になってシンデレラをお城に送るという手はづになっています。内容的には殆ど同じ筋書きですので繰り返しません。教訓として美しさよりも善意と呼ばれるものははるかに尊いということです。シンデレラをここまで優しい娘に教育したのは仙女の功績です。

7) まき毛のリケ

ある国の王妃があまりに醜い男の子を生みました。居合わせた仙女はこの男の子にあるだけの才知と能力を授けました。この子の髪の毛がとさかのように房になっているので「まき毛のリケ」と名付けられました。それから7、8年たって隣の国の王妃が不亜t利の女の子を生みました。一人は美しく、2番目の女の子は並外れて醜かった。仙女が現れて、醜い女の子には才知を与えて埋め合わせをすると約束しました。2人の王女が成長するにつれ、姉の美しさと妹の才智には一層際だちました。しかし姉の愚かさは驚くばかりで、本人も美しさより知恵を授かりたいと切望していました。そこは隣の国から小さな醜いまき毛のリケがやってきました。美しい姉の王女は「美しくても愚かであるよりは,貴女のように醜くても才智のある方の方がずっとましだわ」というと、まき毛のリケは「自分が愛する人に知恵を授ける力があります。知恵を持つかどうかは貴女次第、どうか結婚してください。1年間の猶予で考えてください。」といいました。姉王女はこの申し入れを受けいれ、一生懸命努力をしますと実に知恵深い会話が出来るようになり、宮廷では姉を招いて閣議を開催することもありました。すると周りの王子様がたから求婚話が舞い込みますが、姉王女はまき毛のリケを結婚相手に選びました。そうすると王女の目にはまき毛のリケがこれまで見たこともないように美しく姿の立派な男性に見えるではありませんか。教訓として、愛する者にあってはすべてが美しく、人の心を動かすには愛の一言で十分だということです。

8) 親指小僧

貧しい樵の夫婦には7人の男の子がいました。今日の食い物にも困り、夫婦は子供を森に置き去りにして捨てることにしました。一番下に弟は親指ほど大きさしかないので「親指小僧」と呼ばれていました。親指小僧は小さくても知恵があり、親の捨てられる日にはポケットに小石をつめこみ、道すがら小石を目印に置いて行きました。こうして1回目は無事家に戻ることが出来たのですが、又次の日パンくずをポケットに入れて森に行きましたが、帰ろうとしても目印のパンが見つかりません。鳥に食われてしまったのです。暗くなって森の中で7人がさ迷っているとき、遠くに灯りが見えたので、家の戸をたたくと女の人が出てきました。子供らが食事と宿泊のお願いをすると、女のひとはこの家は人食い鬼の家だといいます。狼に食べられるか、鬼に食べられるか、ひとつ女将さんの情けにすがる方にかけました。おかみさんは人食い鬼が帰ってきたので子供をベットの下に隠しましたが、鬼は生肉の匂いがするといってベットの下にいた子供らを見つけました。仲間がやって来たときのご馳走にするといって、人食い鬼は包丁をごしごしと磨ぎ始めました。子供らを殺すのは明日にして寝る事にして隣の部屋に押し込めました。部屋には鬼の娘が7人おりまして金の冠をかぶって寝ていました。親指小僧は金の冠を外して自分らが被り蒲団を被って寝ました。すると人食い鬼が入ってきて暗闇の中で冠を被っていないものの首を次々と切り裂きました。鬼が大鼾きをかいて寝た頃、7人の子供らは大急ぎで鬼の家を逃げ出しました。翌朝鬼と妻が部屋に入ってみると血の海の中に7人の娘が死んでいました。「7里の長靴」をはいて人食い鬼は子供らを追いかけました。子供らが小屋にかくれていると、その前で人食い鬼がやって来て疲れたので大鼾を書いて寝てしまいました。親指小僧はこの「7里の長靴」を鬼から脱がせて、急いで鬼のいえに舞い戻り、鬼の家の財宝をすべてかっぱらって逃げました。街に着くとこの「7里の長靴」を使って、親指小僧は飛脚の仕事をして重宝がられ随分儲けました。そして村に帰って親を安楽にしてやりました。教訓としては、時にはこのちびっ子の出来損ないこそが家中みんなの幸福を生み出すということです。


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