2012年12月31日

文藝散歩 

金田鬼一訳 「グリム童話集」 1−5 
 岩波文庫 (1979年)

ドイツ民俗研究の宝庫「児童と家庭向けのおとぎばなし」 メルヘンの世界


グリム兄弟
グリム兄弟

グリム童話集は児童の世界の聖典であるといわれている半面、桐生 操 著 「本当は恐ろしいグリム童話」(ワニ文庫) という本もある。私は西欧の童話の中で、「フランダースの犬」や「マッチ売りの少女」といった悲惨な哀れな話は心が切り裂かれるようで聞くに耐えないと思っていた。といって、荒唐無稽なストーリーでノー天気なハッピーエンドの幸せ話は馬鹿馬鹿しくてこれも聞くに価しないと思っていた。かくも童話といっても複雑な内容を持っているので、子ども心にはこれらの話がどう映るのか大変心配である。グリム残虐説については、1人で本が読める児童の読み物としてはいわゆる教育上の検地から不適当な話や感心できない語句も含まれているということである。描写残虐の故をもって訳本では一部分書き換えることも行なわれてきた。グリム自身も生前批難に答えて幾つかの話を削除した。しかしグリムは適切に扱えば、そういう措置は不必要であるがままの自然のものこそが大事であり、聖書を含めいかなる書物も疑惑懸念の案件は付き物である。無知蒙昧のやからである庶民は死後天国でも歓迎されないところに、人間らしい人間の姿がうかがえる。グリム童話とはこういう書物である。公平無私の代弁者の書物である。メルヘン(昔話、伝承童話)に勧善懲悪の教訓が明記されていないとしても価値が損なわれるものでは無い。日本の童話でも「かちかち山」や「猿蟹合戦」も残虐な表現に満ちている。戦後版の編纂責任者ヘルブリン教授は、「メルヘンの狙いどころは、悪人どもを滅ぼすことにあるのではなく、善人達が最高の報償を得ることにある」という。

童話訳者金田鬼一氏は昭和13年版の序において「グリム童話は生きる人間の心の糧である。グリム童話集を日本に移植することは、わが国民に世界最良書の一つを提供することである」と刊行の意義を述べられていた。グリム童話集(児童及び家庭のおとぎ話集 KHM)は、グリム兄弟(ヤーコブ・グリム1785-1863とウィルヘルム・グリム1786-1859)が「ドイツ民話」への徹底した愛着から、民間に伝わるおはなしをあまねく集録したものである。グリム兄弟は内容から形式にいたるまで原民話に出来る限り忠実に記述したという。グリム兄弟の該博なドイツ古代学の知識によって、民俗学研究の先駆を為す貴重な作品となったようだ。グリム童話集が始めて出版されたのは1812年と1815年に第1巻と第2巻が発行され、話は155篇に過ぎなかったが、順次版で話しの数は追加され(第2版 - 1819年 161話 第3版 - 1837年 168話 第4版 - 1840年 178話 第5版 - 1843年 194話  第6版 - 1850年 200話 第7版 - 1857年 200話) 本書の版では248篇からなる。KNM番号のついていない類似の話を出来る限り採集したという。元来「メルヘン」とは詩人の空想で作られた物語であるが、このグリム童話集には作者の作為はどこにも入っていない。今日いう「童話」とは、わが国では山東京伝が19世紀初めに創作したジャンルである。「おとぎばなし」は戦国時代にはじまった。グリムは児童用おとぎばなしと家庭向け(成人向け)おとぎばなしを合体させKHMというジャンルを開拓した。したがって本書は児童向け「童話」だけではない。大人が聞いても十分に楽しめるようになっている。この全訳「グリム童話集」は大自然に道徳の源泉を求め、愚かなもの、悪人、禽獣さえ軽視してはいけない、それらが各自営む生活を仔細に観察することは魂の健全な発育に益するという思想に導かれている。人間らしい人間はこのようにして出来上がるのである。

日本においては、子どもを対象としたフィクションの文学ジャンルについては、童話という用語が使われていることが多い。だが、空想的なお話というジャンルとしての用語として使われることもあり、昭和時代以降は、広義には児童文学が使われるようになっており、童話に関しては、年少者向けという狭義の意味合いで一般には流布している。出版社や出版業界では、こうしたものや絵本を「児童書」と呼んで扱っている。文学ジャンルは技法、口調、内容、長さなどによって決定される。 児童文学は次の6つの大きなカテゴリに分類されるという。
1.絵本。ボードブック、あいうえおや数字を教える教本、文字のない本などを含む。
2.伝承文学。これには10の特徴がある。(1) 作者不明、(2) 紋切り型の出だしと終わり(「むかしむかしあるところに……」)、(3) 漠然とした設定、(4) ステレオタイプの人物、(5) 擬人観、(6) 原因と結果、(7) 主人公のハッピーエンド、(8) 魔法が普通に受け入れられている、(9) 単純で直接的なプロットを持つ簡潔な話、(10) 行動と言葉のパターンの反復。伝承文学の大部分は民話からなっており、昔の人々の伝説、習慣、迷信、信仰などを伝えている。
この大ジャンルはさらにサブジャンルに分けることができる――神話、寓話、バラッド、フォークミュージック、伝説、童話。
3.フィクション ファンタジーと現実的なフィクション(現代的・歴史的の双方を含む)からなる。
4.ノンフィクション
5.伝記
6.詩と韻文
これらは最も広い意味での「児童文学」もしくは「児童書」であり、児童文学という分野を限定的に考える場合には、実用的な教本や文章によらない絵本、さらには固有の創作者を持たない昔話や神話、娯楽を主体としたフィクションなどは除外されることもある。本書「グリム童話集」はまさに伝承文学の10の特徴をすべて含んでいる。はらはらどきどきの展開を見せ、恐ろしい話で子どもを怖がらせながらハッピーエンドで締めくくり、そこから何がしの道徳的教訓を汲み取らせる目的で作られた小噺集である。宗教色があまり強く前面に出でていないところが救いかもしれない。

児童文学の歴史を見てみると、児童文学の定義自体が明確なものではないので、その歴史がいつ始まったのかを特定するのも難しい。近代以前には、「イソップ寓話」は紀元前3世紀に成立し今も世界中の子どもたちに愛されているし、トマス・マロリーの「アーサー王の死」(1486年)や「ロビン・フッド」(1450年頃)は子どものことを念頭に置いて書かれたものではないが、何世紀にもわたって子どもたちに読まれてきた。17世紀にはフランスのシャルル・ペロー(1628-1703)が童話の基礎を築いた。ペローの物語には『赤ずきん』『眠れる森の美女』『長靴をはいた猫』『シンデレラ』などが含まれている。1744年、イギリスでジョン・ニューベリーが[小さなかわいいポケットブック]を出版した。そして19世紀初頭に、ヤコブとウィルヘルムのグリム兄弟が「白雪姫」、「ラプンツェル」、「ヘンゼルとグレーテル」などのドイツの口承を記録し保存に努めた。本書がそれである。1835-1848年にかけて、デンマークのハンス・クリスチャン・アンデルセンが「人魚姫」、「裸の王様」、「みにくいアヒルの子」、「雪の女王」などの、伝承に基づかない創作性の高い童話を刊行した。1865年、イギリスでルイス・キャロル(1832年 - 1898年)が「不思議の国のアリス」を刊行した。その物語の進行と構造は主にファンタジーの分野で極めて大きな影響力を持った。1880年に、スイスでヨハンナ・シュピリ(1827年 - 1901年)が「ハイジ」を出版した。1900年、アメリカ合衆国でライマン・フランク・ボームが「オズの魔法使い」を発表し、1902年には舞台化され、1939年には映画化された。1902年、ビアトリクス・ポターは「ピーターラビットのおはなし」を発表した。以降100年以上に亘り、この本を基にした玩具、皿、食品、衣類、ビデオなどの夥しいグッズが生み出された。第二次世界大戦中の1943年に、飛行士アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ(1900年 - 1944年)は「星の王子さま」を出版した。現在までに180ヶ国語に翻訳され8000万部を売り上げている。イギリスのJ・K・ローリング(1965年 - 年)は1997年「ハリー・ポッター」を発表し、そのシリーズは63ヵ国語以上に翻訳され4億部以上を売り上げた。

全訳グリム童話集」決定版は、普通の童話210篇に児童の為の聖者物語10篇を加えて計211篇を全篇とする。しかし大正13年に刊行された本書はこれに、生前グリム自身が初版本から省いたもの22篇、遺稿等を加えて総計248篇をもって全訳本として5分冊で構成された。昭和28年の徹底的改訳増補版には、ボルテ本から決定版に省かれた類話(ヴァリエーション)19篇を追加翻訳し、話の総数は267篇となった。グリム兄弟が初版本から省いた理由は、フランスのペロー童話との重複に気がついたからである。広く伝わっている話ではそうしたことはよくあることで、例えばアンデルセンの創作童話にはグリムの童話からの類話がいくつもある。民間に伝わる話に本家争いはないのであるから、文章のよさなどで評価すればいい。ペローとグリムの関係も、類話の地球上の分布状態(神話と同じ)も分からないとはいえ、別の作品として本書に再録したという。訳者金田鬼一氏のプロフィールを紹介する。金田 鬼一(かねだ きいち、1886年12月10日 - 1963年11月1日)は日本のドイツ文学者、翻訳家。日本にグリム童話を紹介した。東京に生まれ京華中学校から第一高等学校を経て、東京帝国大学文学部独文科卒業。その後ドイツ留学。 第四高等学校教授の後、学習院高等科教授となり、戦争中は成蹊高等学校などでも講師を務めた。以下にグリム童話集(KHM番号のついた作品210篇)の要約とコメントを記す。以下のグリム童話集の紹介は、本質的な話の展開のみとし、修飾的な枝葉末節のお話はなくても成立する場合は割愛しました。

岩波文庫 第1卷

* KHM 1  かえるの王さま
醜いかえるがお姫様のがなくした手毬を、交換条件をつけて探して返すと、お姫さんはかえるとの約束なぞ忘れて城へ帰った。するとかえるは城まで来て一緒に食事をし寝ることの約束を迫るのである。そこでお姫さんは醜いかえるを掴んで壁にぶつけると、かえるは美しい王子様に変身しました。二人は結婚して王子さんのお城へ向かったという話。最後に出てくる忠臣ハインリッヒの話はなくても話は成り立つので蛇足である。魔法で動物に変えられた貴人(ここは貴人でなくては話にならない)が何かの力で元の姿に戻るということは童話の基本パターンのような構成である。貴人流湛説や落胤説(落ちぶれた貴人が地方へ流れて、何かの折に元の貴人たる姿を取り戻す)もその変形であろうか。子どもには、動物との約束を守れというのか、貴人への尊敬や憧れを植えつけるためか分からないが、かえるはいやだが王子様はいいとするお姫様の豹変振りには反感を持たれる。なお本書にはKHM1の類話として、「蛙の王子」を採録している。

* KHM 2  猫とねずみとお友だち
猫とネズミが所帯を持ちました。まじめに働いて脂肪の塊を買って教会の祭壇の下に蓄えました。猫はなずけ親を頼まれたと嘘をついて教会へゆき、脂肪の塊をなめました。ネズミに赤ちゃんの名を尋ねられ、第1回目は「皮なめ」、第2回目は「はんぶんぺろり」、第3回目は「みんなぺろり」とそれとなく分かるように答えました。そしてネズミに悟られ教会にいって現物を確認したところ何も残っていませんでした。猫を責めると、猫はネズミをぱくりと食ってしまったというお話。「世の中はこんなものですよ」という落ちが気にかかる。利用しつくされて最後は食われる関係が分かりやすく描かれている。こんな事を子どもに教えるのは難しい。せいぜい用心して甘い言葉に騙されてはいけないという教訓のことか。

* KHM 3  マリアの子ども
まずしい森のきこりに3歳の女の子がいました。あまりに貧しくこの子に食べさせるものもなく困っていたところ、聖母マリアが現れて女の子を引き取って天国で育てられました。マリアが外出する時天国の13の扉のうち最後の扉は開けてはいけないと厳しく言いましたが、女の子は13番目の扉を開けてしまいました。そこには三位一体の像が光り輝いていました。帰ってきたマリアは女の子を責めましたが、女の子は白状しません。そこで女の子は言葉を奪われて森に帰されました。王子様に拾われておきさきになり、第1子の男子を生みましたが、マリアが現れて13番目の扉を開けたと白状しなければ子どもを取り上げるといいました。おきさきは白状しませんでいしたので、男の子は天に召されました。第二子の男の子、第三子の女の子もマリアに取り上げられてしまい、国ではお妃は生まれた子供を食べてしまうという噂が立ち、裁判で火あぶりの刑となりました。火の熱さでお妃の強情な気持ちが融けてついに扉を開けたことを白状すると、たちまち火は消え言葉と3人の子供が帰ってきましたというお話。落ちは、「罪を悔いて懺悔するものには、罪は許されている」ということである。

* KHM 4  こわがることをおぼえるために旅にでかけた男
家で厄介者扱いされていた男が家を出て、各地へ怖いもの探しの旅に出るという武勇伝である。物に動じない豪胆な男の化け物退治などのたわいもない荒唐無稽な小話が5つ6つ続いて、王様に気に入られて姫と結婚するという成功物語である。落ちは、お妃が寝ている男の首筋へ冷たい水をかけると、男は「ぞっとした」といってびっくりする。

* KHM 5  狼と七匹の子山羊
有名な話で、7匹の子やぎがおかあさんの言いつけを守って、最初は狼を見破りますが、狼はいろいろ工夫してとうとう家の中に侵入することに成功して、子やぎを食べてしまいます。おかあさんは満腹して眠っている狼の腹を割いて子やぎを救い出し、代わりに腹に石を詰めて狼を殺しました。ところでこの話の落ちは何だろう。大人の悪知恵のまえには子どもはひとたまりもありません。しかし悪い人は必ず滅び、親の愛は子どもを助けるという意味でしょうか。その辺の勧善懲悪の話です。

* KHM 6  忠臣ヨハネス
昔ある国の王が忠臣ヨハネスに王子の養育を遺訓して、城の中を見せてよいが黄金の国の王女の像がある部屋は見せてはならないと言い残してなくなりました。ところが新王は黄金の国の王女像に見ほれて恋焦がれ、ヨハネスに金細工品を一杯積んで舟を出すように命令した。黄金の国に着いたヨハネスと王は金細工を餌に王女を船におびき寄せ誘拐して国に連れて帰ろうとした。そのときヨハネスは、3羽の烏が、結婚の前には3つの難問が待ち受けていること、それを解決する方法、それを王に告げると石になってしまう事をいっているのを聞いた。忠臣ヨハネスは2つまでは難なく乗越え王もヨハネスを信頼したが、第3の難問では王女を死から救い出すため王女の乳房から血を吸うことに王の不信を買い絞首刑ときまった。絞首台で烏の話す事を聞いて難問を解決した事を告げたとき、罪は許されたがヨハネスは石に変わった。こうして王と王女は無事結婚でき二人の子どもも出来たが、王はヨハネスの石を自室に持ち込み毎日いとおしんだ。すると石が話し出して二人の子どもを殺してその血を石に塗るとヨハネスは生き返るというので、王は二人の王子の首をはねその血を石に塗るとヨハネスは生き返り、王子の首を元に収め血を塗ると二人の王子も生き返った。めでたしめでたし。忠臣の命が大事か、二人の王子の命が大事かに、忠臣の命を選んだ王の判断に神が恵みをたれたようである。この話は血なまぐさいのと、忠臣という義の世界(儒教じみた)に多少違和感を覚える。話の前半の忠臣ヨハネスの武勇伝ははらはらどきどきさせられて面白いが、後半の石になったヨハネスを生き返らせる話は取ってつけたように堅くて、うそ臭くていただけない。

* KHM 7  うまい商売
牛飼いが市場で牛を7ターレルで売って帰り道で、蛙が「アク、アク」(8つという言葉に似ているので)と騒ぐのに腹を立て売上金を投げつけてしまうという馬鹿な話、そして又の日に牛肉を売りに市場へ出かけたが、行く道で犬が「ワス、ワス」(少しという意味に似ている)と騒ぐので、少し犬に肉を分けてやるつもりが、肉を全部食われてしまったという話で始まる。牛飼いは肉屋を裁判に訴えたが、王様の前での裁判で牛飼いの話を聞いた王女さまが笑い出したので、ご褒美に王様か3日後にら500(この500という意味がお金ではなく鞭打ちの数だった)を戴く約束となった。この話をきいた両替商のユダヤ人は悪鋳造貨でしこたま儲けようとまずは悪銭を牛飼いに渡した。3日後王の前に出た牛飼いは鞭打ちの刑を言い渡され、ユダヤ人に売り渡したというのでユダヤ人が鞭打ちにあった。そして牛飼いは王様から金貨を欲しいだけいただいたそうな。それを見たユダヤ人(先のユダヤ人両替商かどうか不明)は又王様に告げ口をして王様から金を得ようと策動したが、王様の前で牛飼いとユダヤ人が対決し王様はユダヤ人にも金を少し与えたとい。この話の前半は馬鹿な牛飼いということで分かりやすい言葉遊びの馬鹿話で通るが、後半の裁判以降の話は複雑で論理が前後し何が正しい筋なのかさっぱり分からない。これを読む子供達もわからないだろう。そしてユダヤ人蔑視感が気にかかる。論理が錯綜し複雑すぎていい話ではない。

* KHM 8  奇妙な音楽家
楽人が森で胡弓を演奏していると、狼、狐、兎が寄って来て楽人に音楽を習いたいというので、楽人は動物を騙して木に縛り付けていじめました。そして樵に出会って演奏をすると音楽を聴いた樵はうっとりと聞き惚れていました。楽人は「人間を探していたんだ。けだものなんかではない」といいました。し返しをしようと集まった動物に対して樵は楽人を守ったというお話。どうして楽人が動物をいじめたのか、童話にはそぐわない話です。

* KHM 9  十二人兄弟
ドイツの童話に暗い森は欠かせない背景である。これも森の生活を描いている。ある国の王様とお妃に12人の王子がいました。王様はどうしても女の子がほしくて、12人の王子様を殺しても女の子に財産を譲るつもりで12の棺桶を用意しました。それを見たおきさきは一番下の王子にいいました。兄弟そろって森に逃げて、男の子が生まれたら白い旗を城に櫓に出す、女の子が生まれたら赤い旗をだすので、赤い旗を見たらもっと深い森に逃げなさいといった。一番下の王子は森から赤い旗を見たので、兄弟全員はさらに森に分け入って狩猟で生活をしていました。城で生まれた女の子は大きくなりお妃からお兄様が12人いる事を教えられ、兄弟に会いたくて森に入りました。森の中で出会った13人の兄と妹は仲良く暮らしていましたが、庭にユリのような花(実は魔法の花)が12本咲いていましたので、女の子はそれをお兄様に上げるつもりで引き抜きました。すると12人の王子様は鴉となって飛び去りました。1人森に残された王女様を、よその国の王子様が森にやって来て見初めて国につれて帰りました。お兄様を助ける道はただひとつ「7年間口を聞いてはいけない」ことでした。おしのように口を聞かない王女様にその国の王さんとお妃は死刑の宣告を出しました。火あぶりの刑のただなかに7年間の時間がちょうど過ぎました。すると空から12羽の鴉が舞い降り王子様に変身しました。王子様は火を消して王女と再会を果しましたという話。最後に死刑を望んだ邪悪なお妃は裁判で殺されましたとさ。この話はまちがいなく兄弟愛を描いた話ですが、邪悪なお妃は死刑になりましたが、12人の王子を殺そうとした王様や、死刑宣告を出したよその国の王様は罰せられていないのは子ども心にも理解困難であります。それからもうひとつの疑問は、お姫様は王子様から求婚されると、迷うことなく許諾することになっているようですが、名門・成金趣味みたいで面白くありません。人間性が全く描かれていない。

* KHM 10  ならずもの
雄鶏と雌鶏が胡桃を食べに森に行きました。たらふく食った二人は歩いて帰る気がしなくなり、胡桃のからで馬車をこしらえました。そこへ餌場を荒された鴨が鶏につっかかってきましたが、鶏に打ち負かされ馬車を引かされる運命になりました。途中留め針と縫い針の二人を乗せて帰路を急ぎましたが、日が暮れて宿屋に泊まることにした。宿の亭主は胡散臭い連中なのでどうしようかと迷ったが、鴨も卵もやると鶏がいうので泊めてやると、底抜けの騒ぎで食い散らしました。明けがた早起きの鶏は卵を食べて、留め針と縫い針を手ぬぐいと椅子にいたずらをして逃げました。起きた宿の亭主は顔を洗って手ぬぐいで拭こうとして怪我をし、煙草をすおうと椅子に坐って針が尻に突き刺さって大怪我です。教訓は「無頼漢はけっして泊めてはいけない。むやみに食べて一銭も払わずおまけにいたずらをしますので」という話。分かりやすい教訓話である。

* KHM 11  兄と妹
継母の虐待に耐えかねて、兄と妹は家出をして森へ入りました。継母は実は魔法使いで子どもの行く先に魔法をかけておき、兄が泉の水を飲むと子鹿にさせられました。こうして妹と小鹿は荒野に長い間住んでいました。子鹿を見つけた王様と狩人が妹の居るところにやって来て、王様は妹に結婚を申し込み、小鹿と一緒に城に住むことになりました。そして妹は男の子をもうけました。これに嫉妬した魔法使いの継母には一つ目の醜い娘がいて、妹の住む城にやって来て妹を焼き殺し、娘を替え玉に入れました。ところが毎夜子どもと小鹿をしたう妹の幽霊が城にやってきました。3日目の夜この噂を聞いた王様が妹の姿に抱きつくと妹は生き返り、継母と娘の悪だくみが露顕して死刑にされたというお話。

* KHM 12  野じしゃ(ラプンツェル)
ある百姓の家の女房が裏に住んでいる魔法使いの婆さんの庭に植わっている野じしゃ(ラプンツェル)を食べたくなり、亭主が盗りに行きましたが、婆さんに見つかってしまいました。婆さんは女房が子供を生んだら自分が貰うという約束で野じしゃを摘んでもいいことにしました。女房が生んだ女の子は魔法使いの婆さんに引き取られかわいがって育てられました。そして女の子の名前はラプンツェルとなずけられました。女の子が12歳のとき世の中から遠ざけるため塔に閉じ込め、婆さんは「ラプンツェル、おまえの髪の毛を下げとくれ」といって塔に登ります。しばらくして王子様がラプンツェルの歌を聞きつけてやってきました。しばらく婆さんを観察していると「ラプンツェル、おまえの髪の毛を下げとくれ」で塔に登れることが分かり、毎日夜になると塔に登りラプンツェルに会いにきました。そこを婆さんに見つかり婆さんはラプンツェルを野に追放しましたが、王子様は探し出して子ども二人と住んでいたラプンツェルを国に連れてゆき結婚しましたという話。この婆さんは決して魔法を使わない、普通の婆さんのようだ。女の子を貰い受け深窓の令嬢のように育てたが、王子様に取られただけの話のように見える。日本の王朝物語のような妻通い婚の話しに似ている。それにしても王子様が忍んでやってくる間にいつの間にか二人の子どもをもうけた話はつけたしにしても唐突な感が否めない。

* KHM 13  森の中の三人一寸ぼうし
各々娘を持ったやもめの男と女が再婚をしました。女は自分の娘は大事にしましたが、男の娘には辛く当たりました。雪の積もった冬の朝、女は継子の娘に森へいって山イチゴを一杯摘んでくるように言いつけました。こんな時季に山イチゴがあるわけはなく、途方にくれてさらに森に入ると小さな家が見えました。そこには三人の小人が住んでいました。娘は家に入れてもらい、小人らにパンをあげました。すると小人はお礼に、あの娘がきれいになるように、あの娘が一口きくたびに金貨がこぼれ落ちるように、そして最後に王様のお妃になるように約束しました。家に帰った娘は金貨を吐き出すので、継母はうらやましく自分の娘にも小人の家に行くように言いつけました。ところが小人をバカにして傲慢な娘に腹を立てた小人らは仕返しに、娘が醜くなるように、一口きく度にいぼ蛙が飛び出すように、最後に不幸せな死に方をするようにと話しました。腹を立てた継母は凍った川で麻糸を梳いてくるように言いつけました。凍った川で娘は王子様に出会い一緒にお城に行きました。子供もできて幸せな日々を送っている事を知った継母と娘は二人で城に行き、おきさき様になった継子の娘を担ぎ上げて川に投げ込みました。そして醜い自分の娘をお妃さまのベットに入れましたが、王さまと話をするたびにいぼ蛙が飛び出すしまつです。ところが台所に鴨が現れて、王様に払いの儀式をお願いするとお妃は元の姿に戻りました。悪だくみが知れた継母と娘は捕らえられ川に流されましたという話。継母の虐待や意地悪と、そして最後は王様のきさきとなる話は童話の定番である。心やさしい娘は幸いなるかな。それにしても童話に出てくる亭主が女房の言いなりになり、子どもを保護する力のがないことには唖然とさせられる。大概悪者は女で、亭主は尻に敷かれているか、知らん振りをして逃げている設定である。

* KHM 14  糸くり三人女
いと紡ぎの大嫌いな娘を、母親は嘘をついて城のお妃のもとへ麻の糸紡ぎにゆかせました。お妃は3つの部屋にある麻の束を見せてこれを全部紡いだら王子の妃にしてあげると約束しましたが、むすめは麻の山を見てぞっとして少しも仕事をしません。すると向うから女が3人揃って歩いてきました。ひとりは片足が団扇のように広く、ひとりは下唇がやけに大きく、ひとりは親指が一本馬鹿に広い女でした。三人は婚礼の宴で一緒に食事をさせてくれたら糸紡ぎを全部やってくれるということでした。一も二もなく3人に仕事を頼むと、一人は糸すじをひきだして車の輪を踏む仕事を、もう一人は糸すじをなめて湿らせる仕事を、三人目はくるくるとよって指で承盤をたたく仕事をして、瞬くうちに山のような麻の糸紡ぎを終わりました。喜んだお妃は娘と王子の婚礼を執り行いますが、娘は三人の叔母を婚礼の席に呼ぶ事の許しを得て約束を果しました。めでたしめでたしという話。この話は読んでみて最初意味がよく分からなかった。この世は約束の連鎖でできているので約束を守ることは成功に繋がるということか、近代工業の分業体制の事かと思っています。一つ一つの仕事はつまらないことでも繋がって回転すると素晴らしい仕事になるということではないだろうか。

* KHM 15  ヘンゼルとグレーテル
ある国の森の入り口に木こりの家族がいました。子どもは男の子がヘンゼル、女の子がグレーテルといいました。継母はいよいよ生活が苦しくなって子供らを捨てる事を亭主に相談しました。それを聞いた兄妹は夜に小石を一杯拾って嚢に入れておき、翌朝夫婦が二人を連れて森に薪拾いに出かけ、疲れて二人が寝ている間に置いてけぼりにしました。夜になって目を覚ました兄妹は月明かりに小石を印にして我家に帰ることが出来ました。又の日ヘンゼルはポケットにパンくずを一杯入れて、両親と森に薪拾いに出かけました。ところが今度は撒いておいたパンくずは鳥に食われて見当がなくなりました。道に迷った二人は森の奥に分け入ると、なんとお菓子で出来た小さな家がありました。二人はそれを食べ始めたところ、おばあさんが入り口に出てきました。この魔女のお婆さんは二人を家の中に入れて食べてしまうつもりです。おばあさんはグレーテルに命じて大鍋に火をたきつけてヘンゼルを煮る用意をさせ、湯の湧き具合を調べるため頭を鍋に突っ込んだ瞬間に、グレーテルはお婆さんを押しました。お婆さんはやけ死に、そして家の中にあった宝石や宝物を一杯掴んで逃げました。無事に家に帰った頃、継母は死んでいてお父さんと楽しく暮らしたというお話。有名な童話ですが、悲惨な庶民の生活、人を食う魔法使いとそれを焼き殺した子供達、そして宝物を奪って逃げる子どもらの抜け目なさ、残酷物語とせこい話が同居しています。もちろん継母への復讐も話の上ではできています。

* KHM 16  三枚の蛇の葉
生活に困った家の息子が親を助けるため家を出て、ある国の軍隊には入りました。戦争で抜群の功績を挙げ出世をして、王さまのお姫様に婿いりすることになりました。ところがこのお姫様は嫉妬深く「自分が死んだら一緒に墓に入ってくれる人でないとダメ」というので誰も婿になる人がいなかったのです。この息子は約束を守ると宣言して結婚しました。そうしてながく王様としての生活が続いたのですが、とうとうお妃がなくなりましたので、一緒に墓に入りました。すると蛇が一匹天井から近寄ってきたので、王様はこれを3つに切りました。又もう1匹の蛇がやって来て、3枚の葉を切られた蛇の切り口におきますと、切られた蛇は生き返りました。この蛇の葉には不思議な力があると見た殿様はなくなったお妃の口と目に葉を置きますとお妃は生き返りました。王様はこの蛇の3枚の葉を家来にあずけておきました。こうして生き返ったお妃の性格は一変し王への愛情は全く失せ、海の旅の途中船頭を意を通じ、寝ていた王様を海へ投げ込みました。それを見ていた家来は小船を出して王様を救い上げ3枚の蛇の葉を王に置きますと王様は生き返り、急いで本国へ帰りました。そして後から着いた船頭とお妃を捉えて、水流しの刑に処したという話。女の嫉妬と変心は怖いという話と蛇の魔力の話なのだろう。

* KHM 17  白へび
ある国の王様は何でも知っていると評判でした。そのわけは白い蛇を食べているからでした。ある日家来が王様の白い蛇の肉を一口食べると動物の話声が分るようになりました。おきさきの指輪がなくなった騒ぎが起きたとき、家来は鴨の話声を聞いて、一羽の鴨が窓の下で指輪を飲み込んだ話を聞いて、その鴨の腹を裂くと指輪が出てきました。そのことで王様のお気に入りとなりましたが、家来は暇を戴いて諸国漫遊の旅にでました。途中で魚、蟻、鴉の子らを助けて恩返しの約束を得、さらに進んで都へは入りました。そこではお姫様の難問を解決したらお妃にできるが、解決できなかったら命を取られるという話で持ちきりでした。家来は難問にチャレンジし、第1問の海に投げ込まれた宝石を捜す問題は、魚たちによって助けてもらいクリアーし、第2問の撒き散らされた黍の実を拾う問題は蟻の助けでクリアーし、第3問の命の実の問題はカラス達の助けで解決し、お姫様をお妃にすることが出来ましたという話。竹取物語のような展開だが、動物のことばを解する能力を身につけて難問を次々クリアしてゆく話。動物愛護は人のためならずという教訓だろうか。

* KHM 18  わらと炭とそら豆
おばあさんが豆を煮るとき、命からがら逃げ出したわらと炭とそら豆の三人が諸国漫遊の旅に出ました。河を渡るとき炭とわらが水にはまってお陀仏になったのをそら豆が見て、笑いすぎてお腹が破裂しましたが、居合わせた仕立て屋に腹を針と糸で縫ってもらい命拾いをしました。それからそら豆の腹には黒いに縫い目が出来たという話。そら豆の腹の縫い目の由来を面白くこじつけた童話です。

* KHM 19  漁師とおかみ
漁師が浜で釣りをしていたら、ひらめがかかりました。ところがそのひらめは魔法をかけられた王子さまで、許して海へ帰しました。この話をきいた漁師のおかみさんは強欲な女でかれいの恩返しを要求し、もっといい家に住みたいと願い事を漁師の強要しました。しぶしぶ海へ行った漁師がかれいにお願いごとをすると、たちまちそのとおりにかなっていました。この話は強欲なおかみさんの願い事が次々とエスカレートし、御殿、王様、天使、法王、神様を要求し、最後はもとのあばら家に戻るという話し。際限のない欲望をいましめ、現状が一番にあっている事を悟らしめる話となっている。

* KHM 20  勇ましいちびっこの仕立て屋さん
ちびっ子の仕立て屋さんがパンにジャムを塗ってちょっと横において仕立て仕事に夢中になっていると、蠅がパンに群がってきました。仕立て屋さんは布切れをつかんでハエをたたきつけました。ちょうど7匹の蠅が死んでいましたので、仕立て屋さんは大喜びで、布切れに「一打ちで7匹」と書いて世界腕ためしの旅に出ました。先ず最初の相手である山の大入道には知恵の限りを尽くして打ち負かしました。次は街にゆき王様の軍隊にはいりました。そして森の中に住んで悪さをする二人の強盗退治を命じられました。成功報酬は領国半分とお姫様です。二人が寝ているときにいたずらをして二人を戦わせ相打ちにして退散させました。つぎに一角獣と猪を退治してめでたくお姫様と領国を貰うことになりましたとさという話。体は小さくても知恵と胆力で大男や怪獣をやっつけお姫様を獲得する様は、日本の「一寸法師」に似ている。

* KHM 21  灰かぶり
有名なシンデレラ物語です。あまりに有名なので話の筋書きは省略します。継母にいじめられる娘の父親の不甲斐なさ(話に登場してこない)には腹が立ちます。皇子様のお妃選考会(舞踏会)に動物の協力を得て参加し王子様の心を掴んだ心優しい娘のハッピーエンド物語。まさに童話の典型ではないでしょうか。

* KHM 22  なぞなぞ
王子様と家来が森をさ迷う歩くうちに、立ち寄った妖婆の毒で死んだ馬を食べた鴉の肉を食べて妖婆と12人の悪党が死にました。そして都の王女様に謎を出して王女様が3日で解くことが出来なかったら婿にしてやるが、解けたら命は無いというのですが、王子様は挑戦しました。「1人も殺さないのに、12人ころした」という王子様の経験ををなぞなぞとして出しました。王女様はいくら考えても分からないので、召使の女を王子様の寝室へスパイに出しましたが、それを察知した王子様は召使をたたき出しました。3日目の夜王女様自らが王子様の寝室に忍び込んで夢占いをしました。そして答えを引き出したのですが、帰り際に王子様は王女様の外套を奪いました。そしてなぞなぞ裁判でその外套を証拠品として提出し王女様の失敗を勝ち取ったというお話。理屈っぽい話で面白くない。直接手を下さなくても、毒の連鎖反応で12人の悪党を殺した王子様の話と、後半のなぞなぞ裁判で証拠品で王女様に勝つ話の二つの話が結合した。長い話の割りにはすっきりしない。

* KHM 23  はつかねずみと小鳥と腸づめの話
あるところではつかねずみと小鳥と腸づめの三人が仲良く暮らしていました。小鳥は食事の薪を拾ってくる役、はつかねずみは水を汲んで火を起こす役、腸詰めはお料理をする役でした。あるとき小鳥はほかの小鳥から「二人は楽をして、おまえは一番損をしている。」と入れ知恵され、役目を交代しようと言い出しました。くじ引きで腸詰めは森へ薪拾い、小鳥は火を起こし、はつかねずみはお料理番となりました。ところが腸詰めは森で犬に食われ、はつかねずみは鍋で溺れて死にました。家が家事になり水を汲み行って小鳥は井戸に落ちて死にましたという話。幸せな時は魔が差すもので、自然な役割に甘んじていればいいものを、不得意なことをして命を落としてしまったという教訓。

* KHM 24  ホレのおばさん
寡婦さんが二人の娘を持っていました。ひとりは器量が悪い自分の娘、もう一人は美しい継娘でした。寡婦は自分の娘を可愛がり、継娘には井戸のほとりで糸捲きをさせました。ある日糸まきに血が滲んでそれを洗おうとしたとき井戸の中に糸巻きが落ちてしまいました。それを拾おうとむすめは井戸へ飛び込びました。気が着くときれいな野原にいました。どんどん歩いてゆくと、パンとリンゴの困っているのを助けて小さなハレのおばさんの家に着きました。ハレおばさんはむすめに家の手伝い(羽ふとんを振るとヘッセン地方では雪が降るという)をすれば、しあわせな暮しができるといいました。おばさんの言いつけ通りに仕事をして娘は楽しく暮らしましたが、やはり家に帰りたいとハレおばさんに告げました。するとおばさんは送っていってあげると門をくぐるとき娘の体に金の雨を降らせました。家の戻ると寡婦の母親は自分の娘にも金一杯にしたいので、井戸をくぐらせてハレおばさんのところへやらせましたが、意地悪い娘はパンとリンゴの願いを聞かず、ハレおばさんの言いつけも守らず怠けてばかりいたので、ハレおばさんは帰り際にその娘の体にチャンという汚れ物をくっつけたという話。日本の「舌切り雀」の良いおばあさんと悪いおばあさんへの雀のお土産の話と似ている。

* KHM 25  七羽のからす
ある男には7人の男の子がいましたが、かねての願いどおり女の子が生まれました。ひ弱な女の子で早く洗礼を受けさせなければ死んでしまうと考え、男の子に甕を持たせ井戸に水汲みにやらせました。ところが男の子らは甕を井戸のに落としてしまい、家に帰れません。いらだった男親は「カラスになってしまえ」と呪いをかけると、7人の男の子はからすとなってどこかへ飛び去ってしまいました。娘は成長し自分には7人のお兄さんがいた事を知らされ、お兄さんを探しに旅に出ました。明けの明星がガラス山にお兄さんがいることを教えてくれましたので、ガラス山にゆき7羽のからすは留守だったので、自分の指輪をお皿の上において待ちました。無事お兄さんのカラスに合って抱き合った途端、お兄さんのからすは人間の姿にもどりみんなで家に帰りましたという話。兄弟愛は呪いを溶かすということでしょうか。

* KHM 26  赤ずきん
有名な「赤頭巾ちゃん」のお話です。母親の言いつけでおばあさんのお見舞いに出かけた赤頭巾ちゃんが森のなかで狼と出会い、御用の内容を狼に話してしまいました。狼はおばあさんと赤頭巾ちゃんを一緒に食べてしまおうと先回りしておばあさんの家にゆき、おばあさんを一のみにしました。そしておばあさんの格好をしてベットにもぐりこみ赤頭巾ちゃんの来るの待ちました。遅れてやって来た赤頭巾ちゃんも一飲みし、腹いっぱいになったのでベットでグーグー寝てしまいました。通りかかった狩人がおばあさんの大きな鼾を聞きつけ、不審に思いベットを覗き込むと狼が寝ているではありませんか。そして狼の腹を割くと赤頭巾ちゃんとおばあさんが助け出されましたという話。狼をも信用してしまう赤頭巾ちゃんの無垢なこころと狼への天罰がきれいな対比をなした名作である。

* KHM 27  ブレーメンの音楽隊
年をとって役に立たなくなったロバ、猟犬、猫、雄鶏の四匹が脱走して街の音楽隊に応募すべく旅をして、夜の山で強盗の住み家に出くわしました。酒盛りをしている強盗の食卓をみて、何とか強盗を追っ払ってご馳走にありつきたいと思って共同作戦にでました。全員で騒いで強盗をびっくりさせ退散させて、食事を平らげました。戻ってきて様子を伺っている強盗どもに噛み付いたり引掻いたり蹴飛ばしたりして、強盗たちはすっかりあの家には妖怪が住みついたと思わせました。そして4匹はこの家に住みつきましたという話。愉快な動物達の共同作戦のお話。

* KHM 28  歌う骨
ある国で大きな野猪が暴れて手がつけられなくて困っていました。王様はお触れを出して野猪を退治したものにはお姫様をつかわすと約束しました。これに応じて高慢で悪賢い兄と、無邪気で心善しの弟が野猪退治に出かけました。兄は西から、弟は東から森へは入りました。弟の行く先に小さな小人が現れて、「あなたは心ただしい」ので槍を授けました。その槍を担いで野猪に出会い見事一突きで串刺しにしました。仕止めた猪を担いで街へ向かう途中、ある居酒屋で景気つけに酒を飲んでいる兄に出会い、猪をしとめた事を話すと、兄弟で猪をかついで連れ立って暗がりをすすみますと、橋の上で兄は弟を撲って川へ突き落としました。そして弟の下を橋の下に埋めました。自分で猪をしとめたように王様に申告しお姫様を貰って大分歳月も過ぎた頃、ある羊飼いが橋を渡ったとき下に小さな骨が転がっているのを見つけ、拾って角笛をこしらえました。するとその角笛がひとりでに歌いだし「私の兄は、私を殺して橋の下に埋めました。ことのおこりはいのししでお姫様が目的です」と歌うので、羊飼いは角笛を王様のところへもってゆきました。王様の前でも角笛は歌いだしたので、すっかり意味を解した王様が橋の下を掘ると殺された弟の死骸が出てきました。兄は生きながら河へ沈められ、弟の死骸は丁寧に葬られましたという話。善悪と応報がしっかりと区別されて描かれているので分かりやすい話である。子どもの教育には因果応報として利用される。

* KHM 29  金の毛が3本生えた鬼
昔ある貧乏な女に子どもができました。福頭巾をかぶって生まれた子は福を授かるということでこの男の子も14歳にはお姫様をお嫁さんにするだろうと村の人は噂していました。それを通りすがりに聞いた王様はその子を嫌悪して、女に「そのこを里子に出せば金をやろう」と嘘をつき、すぐさま箱に入れて川に流しました。箱はしばらく流れて水車場の堰に引っかかり、粉引き夫婦には子がいなかったので大事にその子を育てて、その男の子は14歳になりました。そこへあの王が通りかかって、そのこの素性を聞きましたので粉引き夫婦は拾った子であるといいました。王はきっと川に捨てた子だと思い、その子をお妃のもとへ使いを出せば金をやるといいました。その子は王の手紙を持って出発しましたが、森の中で迷ってある強盗の棲み家に入り込んで寝てしまいました。強盗が帰ってきてその子の持つ手紙をみると、「すぐさま殺せ」とかいてありましたので、いくらなんでもかわいそうだと思い「すぐさまお姫様と結婚させるように」という手紙を書いて持たせました。そして都についてお妃は手紙を読み婚礼の準備をしました。そこへ王様が帰ってきて、思ってもないことになっている事を知って、男の子に地獄から鬼の頭の黄金の毛を3本とってきたらお姫様との結婚を許すといいました。男の子は勇んで地獄へ出かけましたが、その途中で門番に「葡萄酒の出る井戸が枯れた理由はなにか」、別の街の門番に「黄金のリンゴができる木が枯れたのはなぜか」、そして渡し守から「誰かに渡し守の役を代わってもらえる方法」を聞かれ回答を約して地獄へ行きました。地獄では鬼の婆さんに会って黄金の毛3本を得る方法と3つの依頼の解答を聞きたいと頼みました。婆さんは男の子を蟻にかえてスカートに隠して、寝ている鬼の毛を一本ずつ引き抜くときに質問しました。最初の答えは井戸にヒキガエルが邪魔をしているから、第2の答えは木の根元のネズミが救っているから、第3の答えは渡し守の棹をいやおうなしに誰かに渡してしまうことでした。こうして鬼の婆さんの協力で3本の毛と回答を持って地獄から帰る途中に、渡し守、門番らに回答を教えて、門番からは多くの金貨を謝礼としていただきました。こうして男の子は鬼の3本の黄金の毛をもって来ましたので、めでたくお姫さんと婚礼の儀を行なうことが出来ましたという話。ところが王様はもって帰ってきた金貨に欲がでてその理由を男の子に聞くと、男の子は川の渡しを渡ると金が転がっていると答えました。欲の皮の突っ張った王様は急いで川の渡し守に頼んで向う岸に渡ろうとしました。ついた途端渡し守は棹を王様に渡して自分は逃げました。こうして王様は今も渡し守をやっていますという落ちがついている。福をもって生まれた子は幸いなるかな。

* KHM 30  しらみとのみ
なんかわけのわからない連鎖反応の歌の話である。日本でいえば「風が吹いて・・・・・桶屋が儲かる」式である。馬鹿馬鹿しいけどその歌を書いておこう。「しらみの小僧がやけどして、のみはなくなく、開きはきしむ、ほうきはお掃除、くるまはかけだす、こやしはもえる、立ち木はふるえる」というナンセンス歌謡である。

* KHM 31  手なしむすめ
貧しい粉引きの男のもとに、見知らぬ爺さんがやって来て「3年後に水車小屋の後ろに立っているものをくれたらおまえを金持ちにしてやる」といいました。男は小屋の後ろに立っているものはリンゴの木に違いないと思い証文を書きました。家に帰るとおかみさんがきゅうにお金が一杯になっていると騒いでいます。男は持参と約束した事をおかみさんに話すと、お上さんはびっくりしてそれはうちの娘のことだといいました。3年後に悪魔が来て娘をさらってゆく日が近づいてきました。娘は体をきれいに洗いましたので、悪魔は近づけません。翌日も悪魔がやってきましたが、娘が両手を目に当てて泣いていましたので両手はきれいでした。悪魔はまたしても近づけません。悪魔は男に娘の手首を切れと命令しました。男は泣く泣く娘の手首を切り取りましたが、3日目の又鬼がやってきた時は棒の様な手を目に当てててないていましたので、手がきれいで汚れていません。そこで鬼はとうとう諦めて帰りました。それから娘は親もとを離れ神様だけを頼りに旅立ちました。おなかが減って神様に祈りを捧げると白衣の天使がやって来て王様の梨園に案内し、娘は梨を一つ食べました。園丁はそれを見ていたのですが、天使が居られるので手出しが出来ません。王様は娘を見てお妃にしました。銀の手も作ってあげました。ところが1年後お妃が妊娠してから王様は戦争に出かけました。無事男の子をが生まれたので王様のお母さんは王様に誕生を知らせる急使をだしましたが、使いが寝ている間に先ほどの悪魔が現れて手紙をすり替え「鬼っこを生んだ」という手紙にしたのです。偽手紙を見て驚いた王様は確認の手紙を出しましたが、また使いが寝ている間に悪魔は手紙をすり替え「殺せ」という内容にしたのです。そんな手紙の往来を何回かやっているうちに、王様のお母さんはお妃に子どもを連れて逃げるように手配しました。森の中の小さな家につくと白衣の処女が現れて子どもの世話をしてくれます。こうして7年間この家で過ごしました。暫くして王様は戦場から帰ってきましたが、お母様から事情を聞いてびっくりして、いとしいお妃と子供を捜しに森へ行きました。無事に回り逢って二人は幸せに暮らしましたというお話。情報だけに頼っているととんでもない悪魔の手に混乱させられ手しまうという話に取ることもできる。白が黒になり、偽が真とされる現世の混乱を見ている様でもある。人の感情の行き違いは些細なことから反対の極へ行くという風に取ることもできる。大人のための童話集である、

* KHM 32  ものわかりのいいハンス
ハンスという男の子が友達の女の子グレーテルのところへいっていろんな物を貰って帰ってくるのだが、それがピンとはずれな持ち帰り方をするので、その度にハンスのお母さんからしかられるという馬鹿なハンスの物語。針、子刀、山羊の子、豚の脂身、子牛、そして最後はグレーテルを連れてきて飼い場棚に繋いでおくという落ちでおわる。最後はグレーテルの失望を買い交際は終わりとなる。非常識なほど馬鹿馬鹿しくて笑う気にもなれない話ばかり。

* KHM 33  三いろの言葉
ある伯爵の息子は何一つ覚えられない馬鹿息子でした。そこで伯爵は息子を線お所で預けました、。最初の一年は犬の泣き声を習いました。2年目の先生のところでは小鳥の言葉を習いました。3年目の先生のところでは帰るの言葉を習いました。呆れ果てた伯爵は息子を勘当して森へ追放しました。ある城も古い塔に泊めてもらいましたが、この塔には犬がいてかみ殺す噂がありました。この息子は犬の言葉が理解でき、魔法で犬に変えられこの塔を守っている理由を知りました。塔の地下から宝物の長持ちを持ち出し城主に与えました。次にローマに行く途中、蛙が息子が法王になると噂をしているの聞きました。ローマでは法王がなくなり後継を誰にするか意見がまとまらないでいましたが、この馬鹿息子が法王庁へ行くと白い鳩が肩に止まり鳩の勧めで法王になりました。お経などの難しい文句は肩に止まった白い鳩が耳に入れてくれましたという話。動物の言葉が理解できるといろいろ便利な情報が得られるという話は、情報源をいろいろ持つように人間関係を作りなさいとも聞こえる。知識よりも情報だというようだ。また法王を馬鹿にした話の様でもある。

* KHM 34  知恵者エルゼ
中国の諺でいう「「杞憂」のことで、先の事を悩みに悩んで何もしない人はけっして知獲者とはいわない。結局怠け者扱いされてしまうのである。

* KHM 35  天国へ行った仕立て屋
神様が天国のお庭を散歩するため、使徒や聖者をすべて連れてお出かけになりました。聖ペートルスが御門のその傍で天国の留守番をしているとき、あわれなやせた仕立て屋がやってきて雑用で何でもやりますから中へ入れてくださいと哀願するので、聖ペートルスは少し門を開けて門の横で分からないようにしているという条件で仕立て屋を中へ入れてやりました。聖ペートルスがちょっと門の外へ出た隙を狙って仕立て屋は天国の屋敷の中を見学しました。金ぴかの安楽椅子や高御座に坐って下界を眺めますと、どこかの婆さんが布キレを2つばかりちょろまかしているのが見えました。これに怒った仕立て屋は高御座の足台を掴んで下界のばあさんめがけて投げつけました。そこへ神様が帰ってこられて高御座に坐られると、足台のないことに気がつきました。そして仕立て屋を呼びつけ詰問され、いちいち下界の事に腹を立てていたら天国の持ち物はなくなってしまうと怒られて、仕立て屋を天国から追放されましたという話。フォーククルセィダースの「帰ってきた酔っ払い」のような愉快な話です。神様もなかなかせこい事をおっしゃる。

* KHM 36  おぜんやご飯のしたくと金貨を生む騾馬と棍棒袋から出ろ
仕立て屋には三人の息子がいました。自宅用の乳を搾るため山羊を飼っていました。この山羊を草原へ連れ出して放牧することが息子達の仕事でした。山羊は息子らには腹いっぱい食べたと返事をしますが、家へ帰って仕立て屋が山羊に聞くと何も食べてないと返事をします。実に腹黒い山羊ですが、息子らは仕事をサボったということで勘当されましたが、仕立て屋が自分で山羊を放牧して山羊に聞くと家に帰ってからはいつも何も食っていないとうそをいうことに気がつきました。息子を追放した事を後悔して、こんどは山羊の頭を剃って山羊を追い出しました。長男は指物師のところで修行をし、年期奉公が終ったときお膳を貰いました。「お膳や、ご飯のしたく」ととなえると食事が出る重宝なものでした。この魔法のお膳を持って父の元へ帰る途中宿の主人に普通のお膳とすり替えられました。家に帰った長男は父に報告をして仕立て屋は親戚一同を集めて宴を催しましたが、そのお膳は何一つ出しませんでした。これでは面目丸つぶれです。長男は又働きに出ました。こういう話が次男、三男と続きますので省略しますが、次男は粉引き屋に行き、金貨をうむロバを得ますが、これも宿屋の主人にすりかえられます。三男は轆轤細工師のところに働きに出て嚢に入った棍棒を得ます。宿屋の主人はまたすりかえようと忍び込みますが気がつかれて「棍棒嚢から出ろ」と命令されると、宿屋の主人をこっぴどく打ちのめしました。こうして兄たちのお膳と金貨をうむロバを取り返し家に帰りました。こうして父と親戚の人々を喜ばしたという話です。あの腹黒い山羊はどうしたかというと、仕立て屋に追い出されて山には入り、そこを狐、熊、蜂の攻撃を受けて逃げ出したという落ちをつけています。悪い奴ら(魑魅魍魎のやから)がうじゃうじゃいる世の中で暮らすには、よほどの知恵が必要です。

* KHM 37  おやゆびこぞう
貧乏な百姓の夫婦に子どもが授かりましたが、おや指くらいしかありませんでした。ところがこの男の子は聡明で知恵者でした。馬を制御して車を運転することや親のいう仕事をやってくれました。悪い人買いがやって来てこの親指小僧を街で見世物にしようと買いに来ました。息子は親にきっと帰ってくるからと耳打ちをしてしこたま金を取らせました。男の帽子の縁に腰をかけ、途中の山中で、用足しをするといって下ろしてもらった隙を見て野鼠の穴の中へ逃げ込みました。人買いの手から逃れた親指小僧は木の実の殻で寝ていると、二人の泥棒の声が聞こえました。ちかくの寺に入って金・銀を盗もうというたくらみを聞いた親指小僧は、泥棒の手助けをするといって寺に行くと大きな声で寺の人に知らせました。そして牛小屋で寝ているとか干草に紛れて牛に食べられてしまいました。小僧は牛の胃のなかで叫びましたの農家の人は気味悪がって牛を殺して解体したので小僧は助かりましたが、今度は狼が牛を食べたので小僧は狼の胃袋には入りました。そして狼を自分の家に案内してたらふく食わせて逃げられないようにして家族のものを呼びました。父は狼を殺して腹の中から親指小僧を取り出しました。こうして家族は幸せな生活を送ることが出来ましたという話。親指小僧の出世物語でないところが好感が持てる話である。

岩波文庫 第2卷

* KHM 38  おくさま狐のおよめいり
尻尾が9本ある古狐が、自分の奥さんの心変わりを疑って、死んだ振りをして様子を伺った。奥様狐には求婚を求める狐が多数来訪したが、尻尾の数が9本ある若い狐が来たときとを開けて家の中に入れた。それを見た古狐は奥さんを追い出したとさ。ヴァリエーションの第2話も挿入されている。

* KHM 39  小人の靴屋(まほうを使う 一寸法師)
貧乏な靴屋さんが、ある夜1枚の革を置いて寝ると翌朝1束の靴が仕上がっていました。出来合いも丁寧で高い値段で売れたので、2足分の革を求めて作業机の上のおいてねました。すると翌朝二足の靴が出来上がっていました。いい出来なので2足とも高く売れ、4足分の革が買えました。こうして毎夜毎夜誰かが見事なできばえの靴を作ってくれましたので、靴屋さんはようやくまともな暮しが出来るようになりました。靴屋さんとおかみさんは夜灯りをつけてみますと、二人の小人が靴を縫っているので、お礼がしたくて小さなシャツと胴着とズボンと靴を作って小人にプレゼントしました。二人の小人はそれを来て喜んでいってしまったということです。靴屋さんはそれから暮しはすっかり良くなりました。ヴァリエーションの話が2つ集録されている。

* KHM 40  強盗のおむこさん
粉引きの家に若い娘がいて、一見金持ちそうな男を許婚に決めましたが、この男はなんと森に住む強盗だったのです。男は娘に家に来るように言いましたが娘は胸騒ぎがするので、帰り道の目印にえんどう豆を撒いて森の家に行きました。その家にはおばあさんがいて、男は人食いの強盗だと教えてくれました。そして娘を匿っているところへ、強盗が別の若い娘をさらって帰ってきて、バラバラに殺して食ってしまいました。お婆さんが強盗に眠り薬を入れた酒を飲まして寝込んだところを、娘とおばあさんは一目散にえんどう豆の目印をたよりに森を抜けて村へ帰った。そして強盗の男との婚礼の日、男が来たところを官憲に手渡して、男は処刑されました。暗い森は悪の象徴となっている典型的なお話です。

* KHM 41  コルベスさま
コルベスという名は悪魔、情け容赦のない悪い奴という意味です。雄鶏と雌鳥の夫婦が4匹のネズミに馬車を引かせてコルベスのお屋敷に出かけました。道の途中で、猫、石臼、卵、鴨、留め金、縫い針が馬車に乗っけてくれというのでみんなを乗っけてコルベスのお屋敷に着きました。コルベスが屋敷に帰ってきたところを全員でさんざんやっつけ殺しました。なんか桃太郎伝説の鬼征伐みたいな話です。

* KHM 42  名づけ親さん
貧乏な人がいました。子沢山でまた子供が生まれましたので、なずけ親になってくれる人を探していましたら夢のお告げで、最初に出会った人に名付け親になってもらうことにしました。家の外にでると知らない人が来て、コップに入った水を貧乏人に渡しました。これは魔法の水で、病気で死にそうな人の頭の方に死神が立っていたらコップの水を飲ませたら病気は治るといわれました。足の方に死神が立っていたら病人は死ぬといわれました。貧乏人はこの見立てをまもって病人を救いお金持ちになりました。この人は見知らぬ人にお礼がしたくて、家を訪問しましたが、この家は奇妙な家で、1階には箒とシャベルが喧嘩をしており、2階には指がころがり、3階には死んだ首がころがり、4階には魚が焼かれて煙を出していました。そして5階の部屋では角の生えた見知らない人がいました。これは悪魔でしたので貧乏人は逃げ帰りました。それんしても親切な悪魔もいたものです。

* KHM 43  トゥルーデおばさん
トゥルーデおばさんは魔女です。子娘は両親の止めるのも聞かず、このトゥルーデおばさんのところへ遊びに出かけました。おばさんの家には変な人が一杯いましたので小娘はぶるぶる震えていたところを、おばさんに捕まって炭に変えられ火の中へ投げ込まれました。親の言うことは聞くものです。

* KHM 44  死神の名付け親
貧乏な人がいました。子沢山でまた子供が生まれましたので、なずけ親になってくれる人を探すために表に出ますと、最初に神様に会いましたが、神様は金持ちに優しく貧乏人には眼をかけないといってなずけ親になってもらいませんでした。次に悪魔に会いましたが、悪魔は人を騙したりそそのかしたりするのでなずけ親になってもらいませんでした。次に死神がきましたが、死神は誰にも差別なしにやってくるので気にってなずけ親を頼みました。そして死神は生まれた男の子が大きくなったころにやって来て、息子を評判の医者にしてあげるといい、病人の頭のほうに死神が立ったら薬草を飲ませればその病人は治り、足のほうに立ったら助からないと教えました。そして息子は名高いお医者様になりました。ところが王様が病気なって診察すると死神は足のほうに立っていますので、お医者様はなんとか死神を騙せないかと思いベットをくるりと回転させて薬を与えますと王様は元気になりたいそうなご褒美をいただきました。これに味を占めたお医者様はお金目当てにあと2回死神を騙しました。死神も堪忍袋の緒が切れ、お医者さまを掴んで地獄へ連れて行き命を絶ちました。この話は傑作に相当すると思う。だいたい死神を選ぶ理由がふるっているし、死神を騙そうなんて実に発想がユニークである。KHM 42  名づけ親さんに似た題材であるが出来が違う。

* KHM 45  おやゆび太郎  修行の旅歩き
仕立て屋さんの息子は親指くらいの大きさしかないので、親指太郎と呼ばれていましたが、世の中へ働きに出るといって親父さんより針の刀を貰って家を出ました。最初仕立て屋に奉公しましたが、食事が不味いと女将さんと言い争いをして飛び出しました。つぎは強盗団に拾われて体の小さい事を利用して王様の金庫には入りこみ、金貨を盗み出す手伝いをしたり、次は宿屋の下男をしましたが女中の悪さを見つけては告げ口をするので、女中から嫌われて親指太郎は布キレに包まれ牛に投げ与えられました。牛の胃袋に入った小僧は牛の解体で危く切られずに済みましたが、ついで腸詰に練りこまれ燻され食事に供されたところ、ナイフの間をすり抜け出して命拾いをしました。次は野原で狐に食われ喉にひっかかり、家に連れて帰ってくれたら鶏をやると約束しました。親父さんは家の鶏をみんな狐に与えました。なんかこの話は落ちが悪い。馬鹿な息子でも親は可愛いということなのだろうか。

* KHM 46  まっしろ白鳥
魔法使いが家の戸口にたち物乞いをしては、出てきた娘を背負い籠に入れてかどわかしました。ある家の3人娘の1人をさらって暗い森の家に連れ込みました。家は金銀で輝いていました。魔法使いは2,3日して娘に家中の鍵と卵を与えて旅にでました。魔法使いが出ていった後、小さな最後の鍵で開けた部屋のなかには大きな桶が会ってその中には娘さんの切り刻まれた死体が血だらけになって漬けられていました。その桶の横には斧がありました。びっくりした娘は卵を桶の中に落としました。卵に付いた血はいくら拭いても取れません。帰ってきた魔法使いは血のついた卵を見て、部屋に入ったことを見つけその娘を部屋に連れ込んで斧で切り刻んで殺しました。そしてまた2人目の娘をかどわかし、同じようにして殺しました。3人目の娘は知恵のある子で卵を決して落とさず、桶の中に2人の姉の死体を見つけ丁寧に接合すると姉たちは生き返りました。そこで大きな籠に姉二人を入れその上に金貨をおいて帰ってきた魔法使いに婚礼の準備だといって実家に金貨に入った籠を届けさせました。重い籠を背負った魔法使いはふうふう言いながら運びました。末の娘は体に蜂蜜を塗って羽に包まると白鳥のようになり家に無事戻りました。先に帰った姉達は事情を両親と親戚に打ち明け、結婚式にやってきた魔法使いと仲間たちを家に閉じ込め火をつけて焼き殺しました。非常に残酷なストーリーであり、ちょっと童話絵本には出来ない内容である。岩佐又兵衛の絵物語の世界である。

* KHM 47  百槇の話
百槇(びゃくしん)とは檜科の室の木のことらしい。百槇(びゃくしん)の木がある家に夫婦が住んでいましたが、子供がいません。5月、妻は百槇の下に立ち子供を授かるように祈りました。7月百槇の赤い実を食べた妻は妊娠しましたが、血の様に赤い男の子を生んで妻は産後の肥立ちが悪く亡くなりました。その後父は再婚し二度目の妻は女の子を生みました。後妻は男の子をいじめましたので、そこへ悪魔が後妻に乗り移ったのです。リンゴをあげる振りをして男の子を蓋で首をはね殺し、自分では殺したことを隠すために、白い布で男の子の首をくるくる巻いて死体を椅子にかけさせました。そして女の子に触らせますと男の子の首はころりと落ちました。母親は男の子の死体を切り刻んでスープに入れぐつぐつ煮込みました。そのスープを父親に食わせました。女の子は骨をくるんで百槇の木の下に埋めましたところ、百槇の木は両手を一杯伸ばして喜んだかのように動き始め、そこから美しい鳥が空高く見あがりました。そしてとりは村の家の屋根に止まって唄を歌うのです。「お母さんがぼくを殺した、お父さんがぼくを食べた、妹のマリアが、ぼくの骨をみんなさがして、きぬのきれにつつんで、びゃくしんの木の下においた、キーウィット、キーウィット、ぼくはなんときれいな鳥だろう」 金細工の職人の屋根で、靴屋の屋根で、粉ひき場の屋根で、この唄を聞いてお父さんとマリアは気持ちが楽になりましたが、後妻は気が狂うばかりになりました。そして鳥が投げた石臼によって殺されました。古事記のヤマト武尊の白鳥伝説のような叙情性を感じる。歌が8回繰り返されそれは悲しいリズムを作り出すのである。男の子を生んだのは母親=百槇の木だったのである。傑作の作品であるが、ちよっと残酷な仕立て方が引っかかる。これでは絵本にならない。

* KHM 48  ズルタンじいさん
ズルタン(アラブ語で君主という意味)というのは年老いた番犬のことです。飼い主は役に立たないほど老いぼれたズルタンを明日打ち殺す事をおかみさんに告げました。それを聞いたズルタンは悲しくて森の友達の狼に話しました。狼は一計を案じて、主人が赤ん坊を連れて明日干し草を刈に行くとき、その赤ん坊を狼がさらってゆくから、ズルタンが追いかけてくると赤ん坊を落とす芝居を打つ手立てを考えました。こうして主人に恩を売って役に立つ事を見せた老犬ズルタンは大事にされました。狼はかわりに牧場の羊をさらうのを見逃すことをズルタンに要求しましたが、忠犬ズルタンは承知しません。怒った狼はズルタンに森で決闘を申し込みました。おのおの家来を連れて(狼は豚を、ズルタンは猫を)森に出かけましたが、猫が豚を退散させたので、狼とズルタンは仲直りをしました。こういった出来勝負は世の中によくある話です。狼の要求に屈しなかった老犬は立派です。

* KHM 49  六羽の白鳥
どこかの国の王様が森の中で路を見失い途方にくれていたとき、魔法使いの婆さんがやって来て、森を抜ける路を教えてやる条件として娘を嫁にする事を要求しました。王様は承知して国に帰って魔法使いの娘と結婚しました。王様には前のお妃の間にに7人の子供(男の子6人、女の子1人)がいましたが、継母にいじめらことを心配した王様は7人の子を森の城に隠しておきました。王様は自分から子どもに会うため城に行くときは、いつも魔法のかかった糸玉を案内にしていました。その秘密を継母が知って、魔法を縫いこんだ白衣で作った襦袢を作り、それをもって森の城に出かけました。王様が来ると思っていた男の子ども6人が迎えると、継母は襦袢を子どもに掛けると男の子6人は白鳥となってどこかへ飛んで行きました。女の子はお兄さんらを探しに森深く出かけました。すると高い床の丸木小屋で6人のお兄さん白鳥をみつけました。お兄さんらが救われるにはエゾ菊の花を縫い合わせた襦袢を6枚作る間、6年間一言も口を聞いてはいけないということでした。そこで女の子は黙々と襦袢を作り始めましたが、その森で狩をする王様に発見され、お妃になりました。王様には悪魔のような母親がいて、妃に1番目の子が出来るととりあげてお妃の口に血を塗りつけ、お妃が子供を食べたと言いふらしました。お妃は一言も話しませんが、母親のいうことは王様は信じませんでした。第2番目の子どもが出来たときも同じように取り上げてお妃の口に血を塗りました。3番目のお子様が生まれた時も同じように取り上げてお妃の口に血を塗りつけました。3度目についに裁判となりお妃は火あぶりの刑と決まりました。処刑の日が6年目の最後の日となって、空から6羽の白鳥が飛んできました。お妃は白鳥にエゾ菊の襦袢を掛けると白鳥は6人の王子様に変身し、お妃は王様にこれまでのいきさつを語りました。三人の子どもも取り戻し、継母は火あぶりの刑になりました。6と2という数字がこの話のキーワードです。魔女が二人登場します。深い森が2ヶ所出てきます。王様が二人出てきます。これらがドイツ民話の舞台です。

* KHM 50  いばら姫(野バラ姫)
「眠り姫」という方がよく知られた題名ではないでしょうか。王様とお妃には子供がいません。水浴びをしていたお妃に蛙が現れ懐妊を予告します。1年立たないうちに女の子が生まれ、王様は盛大な誕生祝を行ない、12名の神通力を持った女も呼んで祝福の呪文を受けますが、呼ばれなかった13人目の魔女が現れて「15歳で紡錘に指されて100年間眠り続けるだろう」と不吉な予言をしました。そして15歳になった日、王様らが城に不在のときお姫様は城中を歩き回り、おばあさんが紡錘を紡いでいるの見て、紡錘に触っ途端に刺されて眠ってしまいました。お城に帰った王様お妃様、後家来衆も眠りました。こうして城全体が眠ってしまい、お城の周りには野バラが生垣のように纏わりつき城はバラに埋もれてしまいました。こうして百年が経ち、通りかかった王子様が城に入ってお姫様に接吻をすると城全体が眠りから醒めました。

* KHM 51  めっけ鳥
山番(猟師)が木の枝に乗っかっていた子どもを見つけて連れて帰り「めっけ鳥」となずけ、自分の子「レン坊」と一緒に育てました。山番の家には料理番のおばあさん(魔法使い)がいて、せっせと水を釜にいれています。レン坊はそのわけをおばあさんに聞くと「めっけ鳥」を煮て食うためだというのです。おどろいたレン坊は仲のいいめっけ鳥と一緒に家を逃れました。三人の使用人が追いかけてきましたが、森の入り口で二人はバラの木とバラの花に変身して難を逃れました。また婆さんにどやされた三人に追われて、二人の兄弟は森の中で教会堂とシャンデリアに化けました。業を煮やしたおばあさんと三人の召使は二人を追ってきましたが、二人は池と鴨に化けました。鴨は池の水を飲もうとしたおばあさんを水中に引きずり込んで溺れ死にさせました。そして子供達は家に帰りました。仲良し義兄弟の絆は強いということです。ところでこの義兄弟も魔法使いですね。

* KHM 52  つぐみのひげの王さま
王様のお姫様は美人なのですが、気位が高く性格が悪かった。王様を花婿を見つけるために宴会を催しますが、その宴会に呼ばれた王族・貴族の求婚者達をさんざんバカにしてからかいました。なかに顎が曲がっていた王様を「つぐみのひげ」とあだ名をつけて恥をかかせました。怒った娘の王様は翌日一番先に戸口に来た乞食に娘をやると宣言しました。すると2,3日経って町楽師が窓の下で唄を歌いだしました。王様は町楽師にお姫様を押し付けて追い出しました。町楽師の家に向かう途中、立派な森、青々とした草原、大きな都を見てこれらは「つぐみのひげ」の王様のものと知り、結婚しておけばよかったと悔やみますがどうしょうもありません。その家はちっぽけで召使もいませんので、お姫様は自分で家事をやらざるを得ませんが、やることなすことてんで失敗ばかりで、町へ出て商売も出来ず、王様の料理卑女となって働きました。こんな卑しい身分になって 酷い貧乏の中に突き落とされたのも、自分の気位の高さだと呪いました。ところが話の最後でこの王様が「つぐみのひげ」である事が分かりますが、貧乏な町楽師も「つぐみのひげ」である事が分かり、お姫様の慢心を罰するために仕組んだ狂言であるとなって大円楽。手の込んだ芝居で人間性へのつっこみは深い。多少不自然さはありますが、お姫様の慢心の鼻を折るためです。別に助ける必要もなかったのですが。

* KHM 53  白雪姫
あまりに有名なお話で書くこともありません。雪白姫というのが本題ですが、日本では白雪姫の方が市民権を得ています。膚が白く、頬が赤く、髪の毛が黒いことは女性の美を礼讃する詩的表現です。小人とはゲルマン神話では大地の霊で地中の諸々の力の人格化だそうです。継母の嫉妬心からいじめられ、追い出された娘のハッピーエンド物語です。

* KHM 54  背嚢と帽子と角笛
食う飯に困るほどの貧乏な三人兄弟がいました。そこで三人一緒に運試しに森に出かけました。すると森の中に銀の山を見つけました。一番上のお兄さんは銀を取ってこれで十分だと言って家へ帰りました。さらに森へ行くと金の山を見つけました。2番目のお兄さんは金を取ってこれで十分だといって家へ帰りました。末の3番目の弟は自分にはもっと運があるはずだといってさらに旅を続けました。ある木の下の食卓にご馳走が一杯あるのを見つけ、この「食卓布」はいつでも食事を出してくれる宝物でした。この食卓布をもって歩いてゆくとひとりの炭焼きの叔父さんにあって、食事を用意しご馳走すると。炭焼きはこの食卓布が欲しくなり、交換に兵隊の「背嚢」を与えました。背嚢をたたくと兵隊が出てくる魔法の嚢でした。そこで男は別れたあとに背嚢を叩いて兵隊を出し、先ほどの炭焼きのところへ向かわしてあたえた食卓布を有無を言わさず取り上げました。こうして背嚢と食卓布を得ました。また次の炭焼きのところで同じようにやって今度は大砲12門を出す「帽子」を得ました。さらに次の炭焼きからなんでも一瞬に破壊する力のある「角笛」を得ました。こうして4つの宝物を得た末の弟は家に帰ってきましたが、兄たちは金銀で家を作りだらしのない生活をしていましたので、弟の乞食のような姿を見て家には入れませんでした。そこで弟は背嚢をたたいて兵隊を出し、兄たちを打ちのめしました。この騒ぎを聞いた王様は軍隊を出しましたところ、弟はもっとたくさんの兵隊を出して王様の軍隊をやっつけました。王様は翌日もっとたくさんの兵隊を差し向けましたが、弟は帽子を回して大砲を撃ち王様の軍隊は壊滅しました。そして弟は王様にお姫様を嫁にし王国を支配する名代にする約束をさせました。このお姫様がまた悪知恵のある女で、弟にいいよって背嚢と帽子をとりあげ捨てさせ、弟を国外に追放しました。弟は残った笛で城と都と王様とお姫様を一瞬で破壊し、自分がこの城の王さんになりました。この話のストーリ展開はじつに軽快でつじつまがあっており、納得して聞くことが出来る。お姫様の悪知恵もあって、出来のいい傑作なストーリーである。多少暴力的で利己的ではあるが。

* KHM 55  ルンペルシュティルツヒェン
地下界の魔物は自分お名前を知られると魔力を失うとされています。この話の小人はコーボルトといわれる妖魔です。ルンペルシュティルツヒェン というまじないみたいな名前は「がたがたの竹馬小僧」という意味です。粉引きには美しい娘がいました。子の娘を王様に自慢したくて、粉引きは「娘は藁をつむいで金にすることが出来る」とほらを吹きました。王様はさっそく娘を試してみたくて、城に呼び藁が一杯ある部屋で今晩中に金を織れという命令を出しました。娘が困って泣いている所へ小人の男がきて、何かくれたら金を紡いでやろうといいました。娘は首飾りをあげると小人は金の糸を作りました。翌日驚いた王様はもっと多くの藁を出して金糸にしろと命令しました。困った娘のところに小人が来て娘は指輪を与えると、小人はいっぱいの金糸を作りました。3度目の命令には娘は小人に与えるものがありません。小人は娘が始めて生んだ子をくれといいました。娘は先のことはわからないので約束をしました。そして王様は娘をお妃にして、1年後には子どもが生まれました。小人がやって来て赤ちゃんを要求しましたが、3日だけ猶予を出し、自分お名前が分かれば許してあげるといいました。家来を使って調べましたところ、山の中の小さな家にいた一寸法師が「ルンペルシュティルツヒェン」だったのです。

* KHM 56  恋人ローランド
魔法使いの婆さんには実の娘と継娘がいて、器量が良くて気立てもいい継娘を憎みました。実の娘は寝床の奥に寝て、手前に継娘を寝させて夜に殺す算段を実の娘としているのを、継娘は聞きました。継娘はそこで実の娘が寝付いたのを待って、実の娘を前に押し出し自分は壁近くにいました。おばあさんはそれと知らず夜中に斧を持って娘の首をちょん切りました。継娘はいそいで恋人ローランドの家に行き一緒に逃げて欲しいと頼みました。ローランドはおばあさんが追いかけてきたら、姿を変えるために魔法の杖を盗み出してくるように娘に言いました。こうして二人は魔法の杖を持って森に逃げました。魔法使いのおばあさんは実の娘を殺した事を知り、一里靴をはいて二人に追いつきました。ローランドは胡弓弾きに化け娘は花に化けました。お婆さんが追ってきたので、胡弓弾きが音楽を演奏するとおばあさんは踊り狂い死にました。そして結婚の準備のために家に帰ったローランドは別の娘に籠絡され、森に残した娘の事など忘れてしまいました。何時までも待たされた娘の化けたきれいな花を牧羊者が摘んで自分の家に飾りました。するとその家では毎朝掃除ができており食事の準備がなされるという不思議なことがおきました。牧羊者は神通力をもった女に相談すると、それは魔法の力で誰かがやっていることで、朝早く何かが動いたらそれに白い布を掛けると魔法は解けると教えました。すると花は娘に戻りました。そして娘はローランドとめでたく結ばれました。最後にローランドの変心という無理な展開があって不自然で、むしろこの話は哀れな娘の話として一貫すれば分かりやすいのだが。

* KHM 57  黄金の鳥
この話は長くてすじの展開に引きずり込まれてしまうほど面白い話であるが、単純な話の3度3度の繰り返しである。王様の庭に黄金のリンゴのなる木がありました。ある夜黄金のリンゴが一つなくなりました。王様は三人の兄弟に誰がリンゴを盗むのか探すように言いつけました。これ以降は末弟賢人説に従って、兄二人は失敗とぐうたらばかりで役に立たないが、末弟は利口で問題を解決してゆきます。犯人は黄金の鳥です。この黄金の鳥を探しに旅をするときに狐が末弟を案内し援助します。末弟も狐の言いつけを守らず3度の失敗をします。結局は狐の助けで金の馬と一番美しいお姫様と金の鳥を得て国に帰りますが、兄の姦計にあって井戸に投げ込まれます。また狐に助けられて王様に面会し話の全部を明かしてめでたしめでたしということですが、最後に狐の魔法を解くとお姫様の兄でありました。

* KHM 58  犬とスズメ
羊の番犬がいましたが、飼い主の待遇がひどいので家出をしました。そして雀と仲良になり腹が減っていると訴えました。雀は犬を肉屋やパン屋に連れて行き、肉やパンを取っては犬に投げました。犬は満腹して道端で昼寝をしているとき、三頭の馬で葡萄酒を運ぶ荷馬車がやって来て、雀は警告をしましたが馬方はかまわず犬をひき殺しまた。雀は親方に仕返しをするため、まず葡萄酒の栓をぬいて空にし、次は馬の目をほじくって三頭もの馬を殺し、手ぶらで帰った親方の家に大勢の雀を集めて麦倉を空にしてしまいました。怒った親方とおかみさんは鉈を振り上げて雀を殺そうとしましたが、家はめちゃくちゃになるは、おかみさんが振り回した鉈が親方の頭を直撃し、親方は死にました。「目には目を」という因果応報の世界であります。笑って聞ける話ではないですね。

* KHM 59  フリーデルとカーテルリースヒェン
男はフリーデル、女はカーテルリースヒェンという夫婦がいました。この女の怠けと馬鹿さ加減といえば切りがなく、次から次へと失敗を重ねます。くだらないのと非現実的なので個々には記しません。女はついに自分がわからなくなり、泥棒の手伝いをして蕪盗人となりました。話としては笑いを取れるのだが、落ちがない。

* KHM 60  二人兄弟
この本では一番長い話ではないだろうか、40ページに及ぶ二人兄弟の話です。末子成功譚とは違い、相互扶助のなかよし物語の典型となっています。話の展開の骨子は、貧しい兄弟が幸運の黄金の鳥を探して、その心臓と肝臓を別々に食べます。二人は成人して狩人となり、命を助けてやった動物をつれて旅にでますが、途中で分かれる際に岐路に安否を確認する目印の剣を置きました。その1人の兄弟は動物達の協力で巨蛇退治をして王女の命を救いました。ところが王の佞臣によって殺されるが、薬草によって生き返り王女を妃にして王宮で暮らします。この兄弟が森に刈に出かけますが、魔女のために石に変えられ消息を絶ちます。もう一人の兄弟が約束の目印で兄弟の災難を知り、救い出します。二人は瓜二つだったので王女に間違われて一人は片方を殺しますが、非を悟り薬草で生き返らせます。なおこの二人兄弟の話の原型は、古代エジプト王朝第19代(紀元前1250年ごろ)のパピュロス文書の中にある事が発見されました。これが童話の最古のものとみられます。

* KHM 61  水のみ百姓
村一番の貧しい百姓を「水のみ百姓」といっていました。水のみ百姓には牛一頭も持っていません。そこで知恵を絞って張子の牛を作り牛飼いに面倒を見させましたが、張子の牛がいなくなったので牛飼いから本当の牛一頭をせしめました。ところが牛に与える飼葉もないので、牛を解体し革を売って小牛を1頭買うつもりで旅にでました。途中粉引き小屋まで来ると、雨に打たれて羽の折れたカラスを見つけ革に包るんでやりました。そして粉引き小屋の女房に頼んで宿めて貰うことにしました。この女房はとんでもない浮気もので亭主のいないときに生臭坊主を家に入れてご馳走を食べ始めたとき、亭主が突然帰ってきましたのでご馳走と生臭坊主を慌てて隠しました。それを見ていた水のみ百姓はカラスの占いと称して、女房の隠したものを次々と暴いて見せ、最後には生臭坊主を悪魔だといって追い出しました。そして亭主から貰ったお金で家を立て暮らし向きが良くなったということです。

* KHM 62  蜂の女王
これは三人兄弟の末子成功話です。末子は賢人(善人)です。兄の二人の王子は冒険がしたくて旅にでて帰ってきません。末の弟が兄らを探し出して、三人で旅を続けました。途中兄たちは鴨を撃とうとしたり、蟻塚や蜂の巣を壊そうとしましたが、末弟はこれを止めて動物を守ってやりました。三人はある城には入りましたが誰もいません。小さな部屋にねずみ色のこびとがいて、この城は魔法に掛けられているので3つの難問を解けば魔法はなくなるといいました。一つはお姫様の千つぶの真珠を集めること、二つにお姫様の寝室の鍵を海から拾ってくること、三つに三人の王女の中から一番かわいらしいのを選ぶということでした、二人の兄たちは普段のだらしなさから悉く失敗しますが、末子には助けたやった蟻が真珠を集め、鴨が海に潜って鍵を探し出し、蜂は蜜の匂いがする王女さんを当てて、城は魔法からとかれました。城の人間は元の人間の姿にもどり、王女様をお妃にしました。

* KHM 63  三枚の鳥の羽
この話も三人兄弟の末子成功譚の類です。末子は「ねけさく」と呼ばれていました。王様は三人を試すためとびっきり上等の絨毯を探す旅に出しました。鳥の羽3枚の飛んだ方向へ、長男は東へ、次男は西へ、末子はどこへもいかず居た場所でした。末子の居た場所の地面に蓋があって、そこに入るとヒキガエルが居て末子に絨毯を授けました。二人の兄がもってきたのはとんでもない出来損ないで末子の勝ちは決まりました。二人の兄らは承知しないので、王様は2度(指輪)、3度(一番美しいお嫁さん)と同じような課題を与えました。いずれの場合もヒキガエルが末子を助けて勝負は末子の勝ちとなり、王様となりました。この場合の成功の倫理はどうなっているのでしょうか。賢人(善人)の成功は倫理が成立しますが、成功がぬけさくでは倫理は破綻します。動物達の助けを得る倫理も偶然に過ぎません。まさにコインを投げて幸不幸を占うようなものです。幸い兄たちがでたらめなので倫理的には救われていますが、積極的倫理ではありません。

* KHM 64  黄金のがちょう
この話も三人兄弟の末子成功譚の類です。末子はぬけさくで前作と同じ設定です。親は三人にぶどう酒と菓子をもって、森に入って木を切る仕事を仰せ付けました。まず長男が森に入りますとねずみ色をしたこびとが来てお菓子とぶどう酒を所望しますが、兄は何もやらずに通り過ぎ、木を切ろうとして怪我をしました。次男も森には入りましたがこびとには何もやらなかったので怪我をしました。末子はこびとにぶどう酒とお菓子を振舞ってやりましたの、こびとは切り倒す木を示しました。木を切ると金の鵞鳥が出てきました。末子は金の鵞鳥を抱えて、ある宿に泊りました。宿には三人の娘がいまして金の鵞鳥の羽が欲しくて長女がまず金の鵞鳥に触ろうとすると引っ付いてしまいました。そして二女も三女も鵞鳥にくっつき、末子が出かけると三人揃って行列となります。そして鵞鳥に近づく牧師、百姓ら7人も付いて行列を組みある城には入りました。その城の王様には笑わないお姫様がいて、お姫様を笑わしたらお嫁さんにやるということでしたが、この鵞鳥の行列を見てお姫様は大笑いが止まりません。末子はお姫さんを貰いたいと申しこみますと、王様はさらに3つの難題を出しますが、これを末子は森のこびとの助けを得て解決し、お姫様と結婚しました。あえて倫理的にいえば末子に知恵がなくとも、情けがあったからだということです。

* KHM 65  千びき皮
王様のお妃は金色の髪をもった美しいお方でしたが、にわかにお亡くなりになりました。王様はお妃が恋しくて暫くは再婚をしませんでした。周囲では再婚を勧める動きがありましたが、以前のお妃のような金色の髪を持つ人はいません。そこで王様はお姫様がお妃そっくりなので、娘と結婚しようとしました。お姫様は金と銀と星の外套だけを着て顔と手を真っ黒に塗って、家出をして森に逃げました。この外套は千匹の獣から作ったのもので「千びき皮」と呼ばれました。森にかくれているとき狩人に保護され、城の台所の使用人に雇われました。お城では王様の舞踏会が催され、千びき皮の娘は顔の墨を落として王様のお相手をしました。また王様のスープに金色の指輪をいれておいしいスープとしました。こうした舞踏会と王様の食事が3回続いて、王様は舞踏の相手をする美しい娘とおいしい食事を作る料理番の黒い娘が同一である事に気がつき、この美しいお姫様をお妃に迎えたという。父娘相姦は禁止されたタブーであるという倫理の原則を教える話です。

* KHM 66  子ウサギのおよめさん
キャベツ畑で毎夜キャベツを食べる兎を追い払う役目の娘が3日後兎の尻尾に乗って兎の家に行きました。そこで兎の結婚式を見た話なのだが、欠陥のある話をつないだようで、どうも話の筋がおかしく中途半端で終ってしまったいる。評価のしようがない。

* KHM 67  十二人の狩人
王子様が許婚のお嫁さんのお城にいたのですが、父の王様が病気でお見舞いに行くと、王様は王子に結婚の相手を指定して亡くなりました。やむなく王子様は親の決めたお妃と結婚しました。昔の許婚のお姫様は王子の心変わりに悲しみ、自分の父の王様に自分とそっくりの12人の娘を集めてもらい、狩人の格好をさせて昔の王子様のところへやりました。王子さまはこの12人の狩人を男だと思って雇いましたが、お城には何でも真実を見抜くライオンがいて、この狩人に試練を持ちかけます。王様の家来が狩人に好意を抱いて狩人に試練を告げ、狩人らは慎重に試練を何度も潜り抜けました。森に狩に入った王子さまは昔の許婚を発見して、再会を喜び結婚をする話です。最後の落ちの筋の展開が強引で説得性がない。稚拙な話で練り方が足りない。王子さまの心変わりはよくある人間模様。

* KHM 68  どろぼうの名人とその大先生
せがれに仕事を習わせようとした親父が教会で伺いを立てると、いたずら坊主が「泥棒の名人」といいました。そして親子で泥棒の名人を探して旅にでました。息子はある泥棒の名人について魔法と泥棒の修行をしました。名人は「1年経ってやって来て、息子の顔に見分けが付いたら謝礼はいらない。分からなければ200ダーレルをいただく」と言いました。困った親父にこびとが息子の変身した姿を教えました。こうして無事親子は再会し帰路に着きました。息子は犬や馬に化けてそれを売って親父を儲けさせました。魔法の世界のお話です。

* KHM 69  ヨリンデとヨリンゲル
森の中の城に魔法使いのおばあさんが1人で住んでいました。獣や鳥をおびき寄せて殺して食べたり、城に近づいた娘を鳥に変えて籠の中に閉じ込め7000ぐらいは持っていました。ある村にヨリンデ(女)とヨリンゲル(男)という許婚がいました。ある日森へ散歩にでかけましたが、城の壁が見えたのでヨリンゲルは用心したところ、夜鳴き鶯の歌が聞こえヨリンデが鶯に変えられていました。そして魔法使いのおばあさんがその鶯を城に連れて帰りました。ヨリンゲルは助けたくとも身動きが取れません。夜ヨリンゲルは夢を見ました。美しい大きな真珠をちりばめた血のように赤い花が魔法を解いてくれるというのです。翌日ヨリンゲルはその花を見つけて城には入り、ヨリンデとすべての娘の魔法を解き、人間の姿にもどしましたとさ。

* KHM 70  三人のしあわせもの
3兄弟の話ですが特に末子成功譚というわけではありません。これは商売の話(商品を知らないところに持ってゆけば価値となる)です。お父さんは死ぬ近くになって息子三人に、鶏、鎌、猫を与えました。息子達はこれをもって遠い島に行き、これがない島の人と交換して大きな財宝を得たというたわいもない話です。面白い話とすれば末子が貰った猫をネズミがはびこってしかたない島の城に売った後日譚です。猫のおかげでネズミがいなくなったところまではいいのですが、城の王様は猫の鳴き声が嫌いでついに猫退治をする始末となり、大砲で猫を撃って城を壊してしまいましたという落ちがあります。これは生態系をいじくってはいけないという現代環境論にも通じると考えるのは、読みすぎかな。

* KHM 71  六人男、世界を股にかける
豪傑6人衆のお話です。ある男が兵隊を除隊になり、腕試しに世界を旅することにしました。途中で、力持ちの男、狙いを外さない狩人、鼻息で風車を回す鼻息男、恐ろしく早い駆け足男、寒気を呼ぶ帽子男の5人を家来にして6人で旅をしました。ある城の王様が駆け足の早い娘に勝ったらお婿さんにするが、負けたら命をとるというお触れを出していました。そこで先ず駆け足男が挑戦し、ものすごく早く娘に差をつけて走りましたが、途中居眠りをしましたので娘に追い抜かれました。まるで兎と亀の話です。そこで狩人が鉄砲を打って駆け足男の頭の飾りを狙い打ちにて目を覚まさせました。こうして娘とのかけっこには勝ったのですが、王様は一計を案じて6人衆を食事に招待し部屋に鍵を掛けて,下から火をくべました。熱くて死にそうなのですが帽子男が寒風を呼んで平気でした。困った王様は娘の代わりにもてるだけの城の財宝をやることで厄介払いをすることにしました。そこで近在の裁縫師に途轍もなくでかい嚢をこしらえさせ、城のあるだけの財宝を全部嚢に入れ、力持ちが担いで城を出ました。そのため城の財法はか空となり、王様は兵隊を差し向けて財宝を奪い返そうとしましたが、鼻吹き男が兵隊を吹き飛ばしたので王様も諦めたという話です。面白い豪傑漫遊譚です。

* KHM 72  狼と人間
傲慢な狼が「人間は強いので、どんな動物も人間には手向かいできない」という狐の話をきいて、人間の力を試そうとして、出会った狩人を襲いました。狩人の鉄砲が火を吹いて、狼は大けがをしたというお話。あなどりはけがのもと。

* KHM 73  狼と狐
狐は弱い動物ですので狼のいう事を何でも聞かなければなりません。いつも狼の食い物の世話をしなければなりません。何とか狼から逃げ出そうと考えていましたが、子羊を農家から盗み出して狼に差し出しますが、百姓らが狼を捕らえて酷い眼にあわせました。また塩漬け肉を二人で盗み食いに出かけましたが、入り口が狭く百姓が騒いだときに狐はするりと穴をくぐって逃げましたが、狼はたらふく食ったので腹が出張って穴をくぐれません。百姓らに狼はつかまり袋叩きにされ殺されました。こうして狐は狼は自由になりました。これはかなりきわどいところで勝負する狐の知恵の勝です。狐は助かって、狼は失敗するように仕向けることです。

* KHM 74  狼と名付けをたのんだ奥さま
この話は前作「狼と狐」の変形ヴァージョンです。狐のずるがしこさと狼のバカさを笑った話となっています。狼の奥さんは狐に子どもの名付けを頼んだりしてすっかり狐を信用していました。狐はある日狼の奥様を誘って羊小屋に忍び込みました。自分はすばやく逃げ森の入り口で骨休みをし、狼の奥様は羊小屋で犬に吠えられ、百姓に捕まってさんざんぶたれ命からがら逃げました。

* KHM 75  狼と猫
狼と狐の位置関係を、狐と猫に置き換えたヴァージョンです。狐は自分の知恵を自慢して猫をバカにしています。猫に出来ることは犬に吠えられたら木の枝に登って逃げることしかありません。ある日犬を4匹連れた狩人に出会って、猫はすばやく木の枝に難を逃れましたが、狐は知恵を出す間もなく犬に取り押さえられました。

* KHM 76  なでしこ
あるところにお妃がいましたが、子供に恵まれず神様にお願いすると、望む事を何でもかなう力を持つ子どもを授けるというお告げがありました。子どもが生まれてお妃が抱いて寝ていましたところ、悪い料理番が不思議な力を持つ子どもを自分の物にしたくて、鶏の血をお妃の着物に垂らして王子様をさらいました。そして王様にお妃が王子様をけだものに取られたと訴えました。王様は怒ってお妃を暗い城の塔に閉じ込め7年間も放置しました。その間神様が天使の白鳩を遣わしてお妃の命をつなぎました。お料理番は王子に御殿と女の子を願うように言いつけ、自分は裕福に暮らしていました。王子様と女の子は仲良くなりました。王子様がお父様に会いたいと言い出すので、料理番は悪事がばれると困るので、女の子に王子様の寝込みを襲って殺すように指示しましたが、女の子は王子様に打ち明け王子様は料理番を黒い犬に変えました。王子様が故郷へ帰る際に女の子はなでしこの花になって王子様の体から離れませんでした。王子様は王様に近づくため狩人となり、念じて狩の大成果をあげました。王様の夕食会に陪席させられ、王子様は王様にお妃の事を尋ねました。そして料理番の悪事を申し立て、お妃さまを塔から救出しました。お妃さまはやつれて再会後まもなく亡くなり、王様も料理番を処刑しましたが間もなく亡くなりました。その後王子様はなでしこの花の少女をお嫁さんにしました。悲しいお話に仕立てられています。姦計のためいとも簡単に人の心と肉体はぼろぼろに引き裂かれ、修復できないまま浄土を願ってあの世へ旅立つ人間はあわれ。不思議な力を持つのなら、もっといい早い解決法はなかったのか。

* KHM 77  知恵者のグレーテル
グレーテルという女の料理人がいました。お調子やさんで食いしん坊の、のん兵衛さんでした。あるときだんなさんがお客さんを呼ぶので鶏を二羽料理しておくように言われました。夕方には鶏を火にかけちょうどいい具合に焼きあがってきたのでしたが、お客さんがなかなかやってこないので一休みして、一杯葡萄酒を引っ掛け、そして出来上がった鶏を二羽とも食ってしまいました。そこへお客さんとだんなさんがやってきて、だんなさんは肉を切る包丁を研ぎ始めました。知恵者のグレーテルは慌てず、お客さんにだんなさんがお客さんを殺そうと包丁を磨いていると告げると、お客さんは慌てて逃げ去りました。グレーテルはだんなさんにお客さんが鶏料理をかっぱらって逃げましたと告げました。だんなさんは追いかけようとしましたがあとの祭り。悪知恵のグレーテルはめでたく両方とも騙しましたとさ。

* KHM 78  としよりのおじいさんと孫
もうすっかり年取ったおじいさんと息子夫婦と孫が住んでいました。おじいさんは手が震えて食事のときはいつも食べ物をこぼしたり、お皿を割ってしまいます。息子夫婦はこれをみると嫌気がさして、木の皿を与えておじいさんに辛く当たりました。おじいさんのことを思った孫の坊やが板切れで木鉢を作ってあげるのをみた息子夫婦はいたく反省させられたという話です。おじいさんが食べ物をこぼしても何もいわず楽しい食事となりました。

* KHM 79  水の魔女
兄と妹の兄弟が泉で遊んでいるとき水の中に落ちました。水底には魔女が住んでいて、二人を召使としてこき使い食事も満足に与えませんでした。二人は魔女が日曜日教会に出かけた留守に逃げ出しました。魔女は飛ぶように二人を追いかけましたが、女の子が刷毛を投げますと刷毛の山が魔女の行く手を遮り、男の子が櫛を投げると櫛の山ができ、女の子が鏡を投げますと鏡の山ができて魔女は滑って進めませんでしたので、二人は無事逃げおおせましたとさ。子どもも魔法を使うのですね。魔法比べの世界の話です。

* KHM 80  めんどりの死んだ話
雄鶏と雌鳥が山に胡桃を取りに出かけました。どちらが見つけても一緒に食べようという約束でしたが、雌鳥は大きな胡桃を見つけると一人で飲み込みました。そして胡桃が喉に引っかかって死にそうなので、水を汲みに雄鶏が泉に出かけました。すると泉はまず紅絹の布を花嫁からもっらってくるようにいい、花嫁のところへ行くとまず柳の木から花輪を貰ってくるようにいました。雄鶏は柳の木から花輪を、それを花嫁に与えて紅絹の布を貰い、紅絹の布を泉に与えて水を貰って帰るとすでに雌鳥は死んでいました。そこで雌鳥の葬儀を出すため、遺体をくるんで車に載せ6匹のネズミに引かせました。途中狐など、沢山の動物たちや藁、炭、石などが車に乗せてくれというので車の後ろに乗せてやり、墓地へ向かいましたが、川を渡ろうとして車の重さでみんな川に沈んで死んでしまいましたという話です。この話はなんだろうか、教訓や倫理はないし、お馬鹿な雄鶏を笑うだけの面白さをてらったまでなのか。

* KHM 81  のんきぼうず
この話はまるで教養のない人間を広大無辺の神の慈悲で包む、いわば大自然の公平無私の摂理を表した作品とも考えられ、グリム童話でも異彩を放つ宗教の1篇です。かなり長い「のんき坊主」型童話のすじは、除隊兵が慈善をして聖者との同行を許され、動物の心臓や肝臓をつまみ食いしてその事実を否定し続け、同行の聖人が死者を復活させたり病気を治して得た金を3分することでけろっとつまみ食いの罪を認める。死者復活の真似事をして失敗し聖者に救われ、聖者からなんでも入る背嚢を授かり悪魔を退治する。死んでから天国に行けず地獄からも断られ、結局天国に滑り込むという話です。善悪両性を持つ人間を救う聖者さんも大変です。親鸞の「悪人なおもて往生す、いわんや善人をや」にも通じる話です。

岩波文庫 第3卷

* KHM 82  道楽ハンス
道楽ハンスはカルタ狂いで借金の期限の日が来ました。神様と聖ぺドルス様がハンスの家にやって来て、3グロッシュの金を与えましたがハンスはそれもまたカルタ博打ですってしまいました。神様はハンスに3つの願いを聞いてやることにしましたが、一つの願いは勝ち続けるカルタ、2つの願いは勝ち続けるサイコロ、3つ目の願いは人を木の上にあげて降りてこれなくする木でした。ハンスはこのプレゼントでカルタは勝ち続けてなんでも手に入れました。神様は死神を遣わしてハンスの命を奪おうとしますが、ハンスによって死神は木の上にあげられて降りてこられません。そこで神様はハンスに命じて死神を降ろし、ハンスの命を召しました。ところがハンスは天国の門で断られ、浄罪界の門でも断られ、地獄へ行きましたが、例のカルタで鬼どものに勝ち続け手下にしてしまいました。手下の鬼を連れて天国の柱をゆするのでハンスを天国へ入れてやると、今度は天国でカルタ騒ぎを起こし、これに参った神様はとうとうハンスを下界に落としましたとさ。「帰ってきた酔っ払い」のような品のない遊び人の話です。神様はなぜ道楽ハンスに金を与えたり、3つのお願いを聞いてやるのでしょうか。神様の馬鹿さ加減に理不尽な笑いを誘う。愉快で済ましてしまう話です。遊び人の話として本書はこの続きに「かじやと悪魔」、「三人姉妹」を掲載していますが、省きます。

* KHM 83  かほうにくるまったハンス
ハンスという名は「ヨハネス」、原語はヘブライ語の「イエホーハーナーン」(ありがたい人)のつづまったドイツ名で非常に普遍的な愛称です。英米では「ジョン」,フランスでは「ジャン」、スペインでは「ファン」、イタリアでは「ジョバンニ」、ロシアでは「イワン」です。ハンスは馬鹿なのかお人よしなのか、天真爛漫の人です。ハンスは7年の年季奉公がすんで親方から給金として頭ぐらいの大きさの金の塊を貰いました。家に帰る途中、金が重くてかなわないので、パカパカ歩く馬と交換しました。以下の話はハンスが低い交換価値のものに次々と交換してゆきます。金→馬→牝牛→豚→がちょう→砥石へという具合に交換し、最後は池で石を沈めてしまい、重荷はなくなりハンスの身も心も軽く故郷の母親の元に帰りました。この話は「交易説話」に分類され、すべて人間の不幸は物にこだわることに起因するというもので、グリム童話の象徴的存在となっています。

* KHM 84  ハンスがおよめをもらう
若いハンスに金持ちの百姓の嫁を貰おうと、叔父さんはハンスにストーブの後ろに坐って牛乳とパンを持ち銅貨をもたせて、金持ちらしく見せてお見合いをしました。娘にはハンスは地所を見せて自慢をしますが、娘はハンスのつぎはぎだらけの野良着を見て貧乏なハンスを見抜き結婚はしなかった。この話はドイツの方言「ブラッケン」という言葉に、「地所」と「着物や靴のつぎはぎ」という意味があり、地所を見ないでつぎはぎを見たという駄洒落がミソである。

* KHM 85  黄金の子ども
貧乏な漁師の夫婦がいました。ある日漁師は海で金の魚を網ですくいました。金の魚は命乞いをして漁師に御殿とお料理の出る戸棚を引き換えに、そしてこのことは誰にも話さないという約束をしました。家に帰ると御殿と料理があり、驚いた女将さんはしつこく理由を聞き出し、秘密を洩らしたら御殿と料理は消えうせました。もう一度漁師は金の魚を捕らえ、御殿と料理を得ますが再度女将さんにばらしてもとの黙阿弥になります。3度目に金の魚と捕えると、6つに魚の身を切って、二切れは女将さんに食べさせ、二切れは馬にやって、二切れは地面に埋めると福を授かると約束しました。女将さんは二人の黄金の子を生み、地面からは二本の金のユリが生え、馬は二頭の金の子馬を生みました。金の子どもは大きくなって旅をしましたが、黄金の体なので人から馬鹿にされ,1人の息子は家に帰りました。1人の息子は熊の毛皮を着て森には入り、美しい娘に会って結婚しました。ある日鹿を追って深い森にゆき魔法使いの女によって石ころに変えられました。家の黄金のゆりの花が倒れたことでこの変を知った弟が魔法使いを退治して兄を助け出し、二人の兄弟は幸せな人生を過ごしました。

* KHM 86  きつねとがちょう
狐ががちょうの群を襲い食べようとすると、がちょうは食べられる前にお祈りをさせてくれと言いました。1羽がお祈りを終ると2羽目と、次々にお祈りをするため今でもお祈りが続いていますという。

* KHM 87  貧乏人と金持ち
この話は神人遊行説話に属し、内容は勧善懲悪の典型となっています。日本で言えば水戸黄門漫遊記のようなものです。神様が地上をふらふら歩いていた時、宿を頼もうとして金持ちの家に行くと露骨に断られ、貧乏人の家に行きました。そこでは貧乏ながら歓待され安らかに過ごすことができましたので、神様は貧乏人に3つの願いを聞いてやろうすると、貧乏人夫婦は一つは天国へ行きたい、2つは健やかに生活できること以外に望みは無いといいました。神様は貧乏人夫婦に新しい家をプレゼントしました。これを聞いた金持ちは神様を馬で追いかけていって、3つの願いを聞いて欲しいと強引に頼み込みました。神様はしかたなしに3つの願いを聞くことにしましたが、金持ちは何をお願いしようかと考え込んで、途中で馬に「死んでしまえ」と言えば馬が死に、女房に悪態をつくとそのとうりになったりして、つまらぬことに願い事を全部使い果たしました。

* KHM 88  なきながらぴょんぴょん跳ぶひばり
ひばりの語源はドイツ語では「ライオンの木の実」ということから、話が次々と展開する。多少階層の込み入った話なので筋の展開がつかみにくい。一人の男が旅をすることになり三人の娘にお土産を約束した。上の娘は真珠とダイヤモンドで、末の娘のお土産は「なきながらぴょんぴょん跳ぶひばり」であった。男は森にはいってひばりが木の上にいるのを見つけたが、木を守るライオン(実は魔法をかけられた王子様)に捕まり命が欲しければ、家に帰った時最初に出会った者を差し出すことになりました。末の娘が最初に出会ったものであったので、約束どおり末娘は森に1人で行き、そしてライオンと結婚しました。ライオンと娘は父の家に帰り、ロウソクの光によってライオンは白い鳩に変えられどこかへ飛び去りました。娘は鳩を追って旅にでますが、お日様に聞いても、お月様に聞いても、北風に聞いても鳩の行方は分かりません。南風が鳩の消息を知っていて「いま紅海にいるが、7年過ぎたのでライオンに戻り龍(実は魔法に掛けられた王女様)と闘っている」ということでした。北風に龍に勝つ方法を授かり娘は紅海に向かいました。ライオンは龍に勝って二人とも魔法は解けたのですが、王子は王女に騙されて怪鳥に乗って王女の国の城へ行ってしまいました。娘は王子を追って城には入り、お日様から戴いた小箱の力で王子様の迷いを醒まし、二人は城から無事逃げおおせました。

* KHM 89  がちょう番の女
王女が遠くの国にお嫁入りすることになり、腰元と二人で旅をしました。この腰元は悪い女で、道中さんざん王女に意地悪をしたうえ城に着く前にお姫様と腰元の衣裳を交換させ、自分がお姫様に成り代わって結婚し、お姫様をがちょうの番人にしました。偽花嫁は旅をともにした馬のファラダの首を切り落として殺しました。がちょう番のお姫様は馬のファラダの首を城のご門に掛けました。がちょう番のお姫様とキルト小僧ががちょうを追ってこの門を通るたびに、馬の首がお姫様の運命を哀れむ唄を歌います。キルト小僧は気味悪がってこの話を年老いた王様にすると、王様はがちょう番のお姫様を呼んでことの真相をただしますが、がちょう番のお姫様は鉄のストーブに入って苦しい心の中を話しました。こうして悪女の腰元は罰せられ、お姫様は王子様と結婚できました。この話には母親が白い布に垂らした3滴の血が娘の護符になるという重要な暗喩が込められています。アッシリア・バビロニア神話(レビ記)に端を発するといわれる。

* KHM 90  おおにゅうどうこぞう
お百姓の息子は親指くらいの大きさで何年経っても大きくはなりません。息子が親と一緒に畑に出たとき、大入道が現れ息子をつまみあげて連れて帰り、自分の乳で息子を育てました。どんどん大きくなった息子の力が大きな木を根っこから引き抜くくらいになって、大入道は息子を百姓に返しました。大男になった息子は農具を壊したり、大飯を食べるので実家を出て,武者修行の旅に出ました。先ず鍛冶屋に奉公しましたが給金のかわりに親方をぶっ飛ばして、次に大農場の下男頭に雇われました。大男の息子の仕事は速いので重宝されましたが、1年経って給金の代わりに管理人夫婦をぶっ飛ばしてしまいました。いまでも管理人夫婦は空を飛んでいるという話です。ほら吹き物語です。

* KHM 91  地もぐり一寸ぼうし
お城の中に立派な木がたわわに赤い実をつけていました。王様は木の実を取る者は地下に潜るように願をかけておきました。王様には三人の娘がいて、木の実がおいしそうで誘惑に負けて揃って食べてしまいました。そして三人とも地下に潜って城から姿を消しました。王様はお姫様を探したものには一人の娘と結婚させるという約束をしましたので、三人の狩人がお姫様を探す旅にでました。森の中の城にはご馳走が沢山用意されていましたので、三人はここを拠点にして、1人が城の留守番役で、二人がお姫様探しに出かけることになりました。留守番役に一番兄がいたとき、こびと(地もぐり一寸ぼうし)がでてきて兄を撲りました。次の日2番兄が留守番のときもこびとが出て兄を殴りつけました。末の弟が留守番のときこびとがでてきましたが、末弟は「アホのハンス」といわれていましたが勇気のある若者で、こびとをこっぴどくやつけてこびとからお姫様の居所を聞きつけました。刀と鈴を持って井戸を降りてゆくことに兄二人は胆力がなくてギブアップしますが、末弟は井戸の底まで降りてゆきました。一番目の部屋にはお姫様の膝に九つの頭のある竜が寝ていましたので、頭を刀でぶった切り、次の部屋に行くとお姫様の膝に七つの頭のある竜が寝ているのでこれも頭を切り、3番目の部屋ではお姫様の膝に4つの頭のある竜が寝ていましたのでこれも頭を切って三人のお姫様を救い出しました。お姫様を順に籠に乗せ地上に運び出しましたが、末弟の番では腹の黒い兄たちが綱を切って落とすこともありうるので石を換わりに載せて鈴を鳴らしました。真ん中くらいまで上がったとき籠は切って落とされました。兄らは弟は死んだと思ってお姫様を救い出したのは自分らだと王様に報告しました。地下の末弟は壁にあった笛を鳴らすと多くの地もぐり一寸ぼうしが集まって、末弟を地上まで運び上げてくれました。そして城にゆき王様に面会すると、お姫様らは救い出したのは兄らではなく末弟であると証言してくれました。兄らは罰せられ、末弟はお姫様の1人と結婚しました。末弟成功譚です。人間は勇気がなくてはいけないという教訓です。

* KHM 92  黄金の山の王さま
この話は大きくは2つの部分から成り立っている。前半だけでも魔法を解く童話としては成立するのだが、後半のお話はお妃に対する復讐話で深刻な内容である。前半の話は、商人が商船の難破で全財産を失い、真っ黒なこびとに出会い、黄金の代わりに12年後に息子を取られるという約定をかわす。12年後息子は小船で川に流され、魔法のかかっているお城に流れ着きます。城には蛇(実は魔法を掛けられたお姫さま)がいて、魔法を解くには3晩真っ黒なこびとの質問に答えず責めに辛抱するということでした。これに耐えた息子は魔法のかかった城全体を解放し、黄金城のお姫様と結婚します。後半の話は、故郷の家に帰った王子様はお姫様に指輪を抜きとられ、歩いて黄金城に変える途中、大入道三人が遺産を巡って争っているところに出会います。うまく大入道らを騙して、掛け声で全ての人の首を取ると、姿が見えなくなる合羽、どこでも瞬時に飛んでゆけるの3つを手に入れました。飛ぶ靴を履いて黄金城に帰った王子様は合羽を着てお城に入り込み、お妃の結婚式場を見ます。そしてお妃の裏切りを知って剣に首を落とせと声をかけますと城の王族の首が全部落ち、王子様は1人で黄金城の王様になりました。

* KHM 93  おおがらす
ある城のお妃様にはお姫様が下りまして、小さいものだから泣き止みません。お妃は窓を開けて「おまえはカラスになってどこでも求んで行け」と言いますと、お姫様は大きなカラスとなって森のほうへ飛んで消えました。森に入った男のひとにカラスの鳴き声がして、カラスは魔法をかけられているので救い出してほしいと言いました。それには森深く一軒の家におばあさんがいるので、3日間おばあさんが勧める飲み食いをしなければカラスは人間に戻れるといいます。ところがこの男の人は意志が弱いのか、魔法のおばあさんが勧める飲み物を飲んですぐに眠ってしまいましたので失敗です。するとカラスのお姫様は寝ている男に葡萄酒とパンを与え、指輪をはめ手紙を残して流山の黄金城で待っていると告げました。これ以降の話は前作「黄金の山の王さま」と同じ展開です。大入道を強盗に換え、剣を杖に換え、靴を馬に換え、合羽は同じです。黄金城はガラスで出来ている山の上にあるのですべって登れません。そこでにのって空を飛んで城に着き、でたたいて城門を開け、合羽を着て城の中に入り、指輪をぶどう酒に落としてお姫様への合図として無事魔法を解くことが出来ました。

* KHM 94  ちえのある百姓むすめ
地所の一つも持たない水のみ百姓に知恵のある娘がいました。王様から小さな荒地を恵んでもらって、水のみ百姓がそこを耕すと黄金の臼を見つけましたが、娘は杵も一緒でないといけないという助言をしました。城へもってゆき王様に報告すると王様は娘の助言を聞いて感心し、娘を城に使わすようにいいました。王様は娘に謎をかけて解ければお妃にすると約束しました。謎を解くと言っても、言葉尻の解釈程度で子どもには理解できないこじつけですがとにかく謎は解いたことになり娘はお妃になりました。数年たって、道端で百姓の子馬が牛の群に紛れ込んだので、子馬は誰のものかという争いの裁定が王様に持ち込まれました。王様の裁定は子馬のいるところの者が持ち主だということでした。馬方はこの裁定に泣き、百姓出のお妃に相談を持ち込み、知恵をつけてもらって大芝居を打ちました。これに怒った王様はお妃を離縁することになりましたが、「お妃の一番大事なものを持ち出してもいい」という約束をしました。お妃は王様を眠らせて実家へ運びました。おきさきの一番大事な者は王様ということで、王様は感激し仲直りをしました。

* KHM 95  ヒルデブラントおじい
男女の不倫問題を道徳的に教訓として戒める童話です。生臭牧師が百姓のおかみさんといい仲でした。二人が水入らずになれるように亭主(ヒルデブラントおじい)を家から留守にする策略を考えました。おかみさんが仮病を使って亭主を教会に行かせ、牧師が亭主に病気全快のお祈りのために巡礼にでるように勧めるというものです。亭主は巡礼に出ようとしますが、名づけ親の叔父さんに出会い、叔父さんは二人のたくらみを見抜きます。自分で確かめたらいいだろうということで、叔父さんは市場に出す卵の籠に中に亭主を隠し、家の中へ運び込みました。二人は飲めや歌えの真っ盛りのところを、亭主はかごから出て生臭牧師を叩き出しましたとさ。この話は題材よりも、歌の文句が面白い。「・・・ハレルヤ」、「・・・キリエ・エレイソン」という賛美歌のもじり歌というところがミソであろう。

* KHM 96  三羽の小鳥
百姓の娘三人が狩をする王様一族に出会いました。長女は亜麻色の髪の乙女で王様と結婚し、二女と三女は大臣二人と結婚しました。お妃となった長女が妊娠し、王様は旅に出かけるので妹二人に来てもらいました。男の子が生まれたのですが妹二人は男の子を川に投げ捨てました。すると1羽の鳥が空高く舞い上がり、子どもの無事を告げる歌を歌いました。子どもは下流の漁師が網で救い上げ育てたのです。妹二人は帰ってきた王様にお妃は犬の子を生んだといいました。1年経ってお妃は妊娠し王様は旅に出ました。生まれた子は男子でしたが妹二人はまた男の子を河に捨てました。1羽の鳥が子どもの無事を告げます。同じことが3度めに女の子が生まれましたが、また捨てられ犬の子を生んだと王様に告げました。さすが王様も3度犬の子を生んだというおきさきを牢屋へ放り込みました。三人とも同じ漁師の家で育てられましたが、子どもが大きくなって一番上の兄がお父さんを探しに漁師の家を出ましたが、なかなか戻ってきません。2番目の兄も出かけましたが戻ってきません。末娘も兄たちを探しに出かけ、大きな河の側でおばあさんから鞭を貰いました。お婆さん(実は魔法をかけられた人)は娘に、御殿にゆきその鞭を敷居においては入り、井戸にかかった籠から鳥を持ち、井戸から水を汲んでくるようにいいました。帰りに兄さん二人に出会い、黒い犬を鞭で打つと王子様に変身しました。そしておばあさんも魔法が解けました。こうして5人は漁師の家に帰りました。王様が狩に出て河の側の漁師の家に行くと壁にかけた鳥が真実を歌いました。「この子らは王様の子、悪い妹らが子どもの命を狙い河へ捨てた。それを漁師が拾った」といいました。王様は驚いて牢屋を開け、お妃に井戸の水を飲ませると元気になり、末のお姫さんは王子様と結婚し幸せに暮らしました。妹二人はお仕置きになりました。

* KHM 97  命の水
王様には三人の王子がいました。上の王子二人は高慢で腹黒い人たちで、末の弟は礼儀をわきまえた優しい人でした。王様が病気になり命が危ない時期になって、三人の王子たちは生命の水を王様に飲ませれば恢復すると聞いて、先ず一番上の兄が旅に出ましたが、途中一寸ぼうしに会いぞんざいな態度で馬鹿にしたので、一寸ぼうしはこの王子を山の中に閉じ込めました。2番目の王子も一寸法ぼうしに冷たく当ったので山に閉じ込められました。末弟の王子は礼儀正しく一寸ぼうしに生命の水の在り処を聞きますと、魔法のかけられた御殿の井戸の中にある事を教えてくれ、そして鉄の鞭とパンを王子に与えました。鉄の鞭でご門を叩くと門が開き、護衛のライオンにパンを与えるとおとなしく通してくれました。御殿の中にいたお姫様の案内で生命の水を得て、帰りには一寸ぼうしに閉じ込められた兄たちを解放してもらい三人揃って城へ帰りました。一寸法師は末弟に剣とパンを与えました。パンは飢饉に苦しむ王国を助け、剣は戦争中の王国を勝たせました。こうして末弟の王子は3カ国に善を施しました。途中兄らは隙を見て生命の水を盗み出し、海水をいれました。そのため末弟の生命の水を飲んだ王様の様態は悪化し、兄らの生命の水を飲むと全快しました。王様を毒殺するつもりだという讒言で末弟は銃殺されそうになったのですが、助けた王国からお礼の黄金財宝が王様に届いて、王様は末王子の心を知りました。そして兄らは逃亡し、御殿のお姫様と結婚し王様になりました。この話は末子成功譚です。

* KHM 98  ものしり博士
実に馬鹿馬鹿しいお話で、これが子どもらの半面教師になるというお話。貧乏な百姓がある博士が裕福な生活をしているの見て、博士になるにはどうしたらを尋ねました。博士がいうには、綴りかたの本を買い、博士らしい衣裳と振る舞いを整え、「物知り博士」の看板を出せばいいというのです。あとの話は荒唐無稽で、こんないい加減なことでも人を感心させて金儲けになる程度の話です。「ものしり博士なぞは信用するな、みんなでたらめさ」と言っているようです。

* KHM 99  ガラス瓶の中のばけもの
木こりは一生懸命働いて稼いだお金で息子を上の学校で勉強しましたが、とうとうお金も尽きて息子は学校を辞め、ふたりで森には入り木をきることになりました。作業のお昼に息子は小鳥を探しに森を歩きましたが、太い柏の木のあたりから「だしてくれ」という声を聞きました。木の根っこに小さな瓶を見つけ、その中に得体の知れないものがいました。息子が瓶の栓を開けてやると、瓶の中から妖怪が現れ大きな化け物となりました。そして化け物は息子の首をひねってやると騒ぎ出すので、息子は知恵者で、もし本当に化け物なら元の小さいな者に戻れるはずだといって、それに乗せられた化け物を再び瓶の中に閉じ込めました。妖怪は息子にわびて再度出してもらえるなら一生涯困らないものを差し上げるといいました。妖怪がくれたものは薄汚い布切れですが、どんな傷も直し、それで拭くと物が銀になるという。こうしてお父さんの家は裕福となり、息子もどんな傷をも治す名医となりました。

* KHM 100  悪魔のすすだらけな兄弟分
除隊となった兵隊さんが森の中で悪魔のこびとに出あいました。一文無しの兵隊さんは悪魔の提案に乗りました。一生涯生活を楽にしてやる代わりに、7年間地獄で死人の釜ゆでの火の番と家の清掃・ごみだしの奉公をするというものでした。そしてその間体を洗ったり髪にくしを入れてはならないという条件もありました。7年間きっちり奉公を果した兵隊さんは悪魔から背嚢いっぱいにゴミを詰めてもらい、帰路に人に聞かれたら「悪魔のすすだらけの兄弟分でオイラの王様」と答えるよう指示されました。地上に上がった瞬間に背嚢の中身は黄金に化けていました。体を洗ったり髪にくしを入れてはならないという条件の意味はいまいち不明です。

* KHM 101  熊の皮をきた男
前作の変化した話であろう。除隊となった兵隊さんには親はなく故郷もなく、一文無しで、手に職はなく、覚えたのは戦争の小手仕事だけで到底独り立ちが出来ません。荒野の環状に生えた木のもとで青い服を着て馬の足を持つ悪魔に出会いました。一生涯生活を楽にしてやる代わりに、7年間体を洗わず髪にくしを入れてはならない、主に祈りをしてはいけないという条件です。そして兵隊さんは悪魔から青い上着と熊の毛の外套を渡して、人に問われたら「熊の皮を着た男」といえと言うのです。上着のポケットに手を突っ込めば一つかみのお金が出るのです。こうして熊の皮を着た兵隊さんは7年間の放浪のたびに出ました。兵隊さんは優しい正確なので、途中いろいろな人に善行を施し、4年目に助けた人の末娘と許婚になりました。丸7年が過ぎて年季が明けると、悪魔に体を洗ってもらって、町で洋服を買いすっかり美男子となって婚約者と結婚しました。

* KHM 102  みそさざいと熊
熊と狼が森を散歩していました。鳥のさえずりを聞いた熊はその美しい声の主は誰かと狼に聞くと、それはミソサザイの王様だといいました。そこで熊はミソサザイの王様とお妃さんが飛び立った後、木の上の巣(御殿)を覗いてみますと,ひな鳥(王子様)が5,6羽いましたが、小さいので熊は馬鹿にしました。ひな鳥は王様が巣に帰ってくると、くまに馬鹿にされたので復讐をするように頼みました。そこで熊とミソサザイ族の決戦となり、熊は地上のけだものを集めて軍隊をつくり、ミソサザイは空を飛ぶもの全部集めて軍隊を作りました。決戦が始まるとミソサザイは間者を出し、地上軍の参謀である狐の戦いの合図(尻尾を上げたら進軍、尻尾をさげたら退却)を探り出し、ミソサザイは狐の尻尾に総攻撃をかけました。尻尾を巻いて狐が逃げましたので、地上軍は総退却し空中軍の勝利となりました。

* KHM 103  おいしいおかゆ
貧しい少女とお母さんが住んでいました。食べる物がないので少女は苺を探しに森にゆきました。森の中でおばあさんは少女に鍋を与えました。この鍋は「おなべや、ぐつぐつ」といと黍のお粥をこしらえてくれます。「おなべや、おしまい」というとお粥は出なくなります。これで少女とお母さんはひもじいことはなくなりました。ある日少女のいないとき、お母さんは「おなべや、ぐつぐつ」といってお粥を作りましたが、お鍋を止める言葉を知りませんでしたので、お粥が街中にあふれ出したいうことです。

* KHM 104  ちえのある人たち
お百姓の親父が旅に出ることになり、女房に牝牛3頭を200ターレル以上で売ることを言いつけます。この女房は少しおつむが足りないところがあって親父は心配でなりません。暫くして牛飼いが女房のところにやって来て、いい値で牝牛3頭を買いたいが今金を持ってきていないので1頭を担保において2頭を引き取るといった。女房はすっかり得した気分になったが、亭主が帰ってくるとペテンにかかったことでひどく怒られた。呆れ果てた亭主は内の女房以上の馬鹿を探しに村道に出たところ、百姓のおかみさんに自分は天国から来たとうそを言って、天国にいるおかみさんの亭主にお金を届けるといって騙し取った。又それをきいたおかみさんの息子が馬に乗ってお百姓の亭主を追いかけると、その馬も巻き上げた。「ばかちゅうことが、いつもかもこんなに儲けさせてくれる、おばか様だわい」といってほくそ笑んだ。人はいつも馬鹿を食って世渡りをするものらしい。市場経済原則を聞くような、一寸いやな気分となる話。

* KHM 105  蛇のお話・ひきがえるのお話
小さな子どものお昼はいつも牛乳とパンです。お庭に坐ってお食事中に、いつも壁から、頭に輪型の対いた蛇が出てきて子どもに牛乳を戴いていました。それを見た母親が薪でもって蛇をたたき殺しました。それ以来子どもの成長は止まり、次第にやせ衰えて死んでしまいました。ヘッセン地方のウンケ(環紋蛇)のお話です。ウンケは地方・時代によって蛇であったり、カエルであったりします。

* KHM 106  かわいそうな粉ひきの若いものと小猫
ある水車小屋に粉引きのおじいさんがいました。年をとって妻子もなく奉公人の若者が三人いました。兄弟子二人は利口者でしたが、末弟子のハンスはわからずやでした。粉引き爺さんはある日皆を呼んで、一番いい馬を持ってきたものにこの水車小屋を譲るが、おじいさんの老後の世話をすることを条件にしました。三人は旅に出ましたがハンスは兄弟子二人に置いてけぼりにされ、森の中をさ迷っていると、小さな三毛猫が現れハンスにこういいました。「7年間奉公すれば立派な馬一頭をあげる」というのです。猫御殿にゆくとその猫は王女で毎日薪を小割りにする仕事や、干草を取り込む仕事、小さな家を建てる仕事で7年目を迎えました。年季が過ぎたのでハンスはお暇を願い出ると、3日後に水車小屋に馬を届けると猫の王女様がいいました。家に帰ると、兄弟子二人の持ち帰った馬はびっこでめくらです。3日後王女様は6頭立ての馬車に乗って、立派な馬を引き連れて水車小屋にやってきました。親方はハンスに水車小屋を譲るといいましたが、ハンスは断って王女様と小さな御殿にゆき結婚しました。特に倫理的理由はありませんが、魔法による末子成功譚の一種です。愚かな子供にも希望を持たせるための話かな。

* KHM 107  旅あるきの二人の職人
かなり長い話の展開となっています。筋の破綻もなくうまくできた話です。人間社会には善玉と悪玉が一緒にぶつかり合うことが多い。仕立て屋さんは陽気で気前がよく仕事にむらがありません。また神様への信心も深いひとです。一方靴屋さんは斑気で仏頂面で人を哀れむ心というものをもっていません。また神様を自分の心から追い出してしまった男です。この二人がひょんなことから一緒に旅をすることになり都を目指して仕事探しに出かけました。森を抜けて都へ行く路が二つに分岐しており、仕立て屋さんは持ち前の陽気さと楽観さから2日分のパンしか持ってゆきません。靴屋は悲観さから7日分のパンを持ちました。選んだ道は7日かかる道です。3日目には仕立て屋さんのパンはなくなり、5日目の朝あまりにひもじさから、靴屋にパンを分けて欲しいと頼みました。靴屋は意地悪心でパンと右の目を交換しました。それで7日目の朝もやはり靴屋にパンを分けてくれというと、靴屋はパンと左目と交換しました。こうして仕立て屋はめくらとなり、置いてけぼりにされ絞首台の下でくたばっていました。すると絞首台の二人の死体が話しているのが聞こえます。死体の露を目に付けると目が甦るというので、そうすると仕立て屋さんの目が回復し、歩いて都へ向かいました。途中栗毛の子馬やコウノトリや小鴨、女王蜂らに哀れみをかけ命は奪いませんでした。都に入った仕立て屋さんは仕事口が見つかり、1日1日評判が上がりました。仕事振りがいいので王様の耳に入り、王室に出入りする仕立て屋さんになりました。靴屋も王室のお抱え靴屋でいましたので、仕立て屋を妬んで王様に讒言をし、その度に命を助けた動物の力で切り抜け、王様の長女と結婚しました。靴屋は都から追放され、絞首台の下でカラスによって両目をくりぬかれたというお話。

* KHM 108  ハンスぼっちゃんはりねずみ
裕福なお百姓がいましたが、子供がいなくて「ハリネズミだって構わない」と願をかけますと、魔法に乗じられて、上半身はハリネズミで下半身が人間の子が生まれました。名前は「ハンスぼっちゃんはりねずみ」としました。8年経ってハンスは親から買ってもらった袋笛(バックパイプ)と鶏、豚、ロバを連れて家を出ました。ハンスは鶏の背中に乗って、森には入り木の上で笛を吹いては豚とロバの番をしました。この笛の音色が美しいので、森に迷い込んだ王様が笛の音に誘われて木の上にいるハリネズミを見つけました。森の出口を訪ねたところ、ハンスは王様に、城に帰って一番最初に出会ったものをくれる証文を書いて帰り道を教えました。そして最初に出会ったものはお姫様でした。同じように第2番目の王様にも条件をつけて帰り道を教えました。一番目の王様は約束を守る気はなく、第2番目の王様とお姫様は約束を守りました。第1番目のお姫様には辱めをあたえて開放し、第2番目のお姫様と結婚しました。結婚式の夜、ハリネズミがベットに入る前にハリネズミの皮を脱ぐので、家来に直ちに焼き捨てるように依頼して魔法を解いて人間に戻ることができました。

* KHM 109  きょうかたびら
これは童話というより、悲しいお話です。おかみさんには七つの男の子がいましたが、病気で突然亡くなりました。悲しみにおかみさんは夜昼泣いてばかりいました。おかみさんの夢に白い経帷子をきて頭に花輪を付けた男の子が現れ、涕で経帷子が濡れて寝られないと訴えました。おどろいたおかみさんは泣くのを止めました。翌日の夢に男の子が現れ経帷子は乾いたのでお墓で寝ることができますと告げました。おかみさんのこころが驚愕、失望、受け入れと立ち直る過程を描いたお話です。

* KHM 110  いばらのなかのユダヤ人
お金持ちのお百姓の下男がいました。下男は働き者の正直者、お金を気にしないお人よし、心配を苦にしないのんき者の男でした。3年間奉公してけちな百姓からたった3ペレルの金貨を給金としてもらって旅に出ました。途中に小さなこびと(魔法使い)にあって、金貨をみんなこびとにあげました。そのかわりこびとから、吹き矢と胡弓と願い事を聞いてもらえる力を与えられました。あるところでユダヤ人に会い、小鳥の声に聞き惚れているので、吹き矢で射落としてやりました。そして胡弓を奏でるとユダヤ人は踊り出し止めることが出来ません。さんざん棘で傷を負い、胡弓を止めてもらうための財布を上げることにしました。ほうほうの態で逃げ出したユダヤ人は裁判所に訴えました。捕まった下男に裁判官は死刑を言い渡しました。裁判官は下男の最後の願いを聴かざるを得なくなって胡弓を吹かせました。こうしてユダヤ人や裁判官や町の人全員が踊り狂いました。下男はユダヤ人に財布の中身をどこで掠めたのかを問いただすと、これは盗んだと白状したので今度はユダヤ人が死刑に処せられたという話。

* KHM 111  腕利きの狩人
若い錠前職人が腕磨きに世間に出ましたが、途中で錠前やがいやになり狩猟が好きになりました。ある森で緑色の服を着た狩人(魔法使い)に会い修行をしました。年季が明けると猟人から必ず当たる空気銃を貰いました。この銃を持って森に入り込み、夜のなって明りをみつけ大入道三人が焚き木をして牛の串焼きを食っていのを見つけました。大入道の腕から串焼きを打ち落とし、大入道に腕のいいところを見せ付けました。大入道らは職人を呼びつけ仲間に入れて、城のお姫様を盗み出す計画に加えました。夜猟人は番犬を撃ち殺し城には入り、大入道を外に待たせて単身部屋には入りました。壁に刀がありこれを手に入れ、上靴、襟巻き、お姫様の襦袢の片方を切って証拠品として背嚢に入れました。そして大入道らにお姫様をやるのが嫌になり、戸の小さな穴から大入道を呼び込み、1人ずつ刀で首をはね退治しました。その舌を切り取ってこれも背嚢に入れました。翌朝王様らは大入道の首を取ったものは誰かと尋ねますと、隊長が私ですと名乗り出ました。王様はお姫様を嫁にやると約束しましたが、お姫様は隊長を嫌がって城を出て、森の中で商い生活を始めました。若い猟人がその店に立ち寄り話をするとお城のお姫様だとわかり、証拠品をみせて大入道を退治したのは自分だという事を分からせました。隊長は処刑され、猟人とお姫様は結婚しました。

* KHM 112  天国のからさお
お百姓がこぼした蕪の種から芽が出て伸びるわ伸びるわ天まで届いてしまいました。お百姓は天国見物に登ってゆきましたら、天国では天人らがカラス麦を打っていました。見物するうちに登ってきた木がぐらぐらするので下を見ると誰かが斧で木を切り倒そうとしていました。お百姓はあわてて天国にいた証拠として鶴嘴とからさおをつかんで下りてきました。ほら話の類です。英国の童話「ジャックと豆の木」もこの類です。

* KHM 113  王さまの子どもふたり
この話は大きくは3つの部分に分かれる。前半は鹿の姿をした魔法の大男が王子様をさらって自分の城へ連れてゆき、三人娘の寝ずの見張り番をさせる話です。クリストッフェルの像の助けで3日間は寝ずの番は代返でやり過ごします。次の3つの難題はアルウェッゲルス(地もぐり一寸ぼうし)の助力でクリアーできました。2つめの話は王様から逃れる王子と末娘の逃亡物語で、娘の魔法で棘とバラの花、教会堂と牧師、池と魚に化けて王様の追っ手をやり過ごしました。3つ目は末娘がお母さんから貰った3つの胡桃の実にの助けで王子様と結婚できる話です。お姫様を村の小屋において自分の城に帰った王子様は記憶喪失のように娘の事を忘れ、別の国のお姫様と結婚式を挙げる手はずとなり、娘は胡桃の実が出す衣裳のお陰で王子様の記憶を取り戻すという無理な筋書きの話です。いろいろな話の手法を結合し、王子様と魔法使い一族の末娘とめでたく結ばれるまでの長いお話しです。題名の「王様の子どもふたり」は、なぜふたりなのか理解できません。

* KHM 114  ちえのあるちびっこの仕立て屋さんの話
高慢な姫様が謎かけを解けたらお嫁さんになると公言しました。これに三人の仕立て屋さんが挑戦しました。2人の兄弟子は器用で評判でしたが、末弟子は何のとりえもありません。お姫さんが出す難問に2人の兄弟子の答えは外れでした、末弟子の答えは当たりました。末弟子にはさらに、獰猛な熊と一晩一緒にいられるかという難問を出されました。末弟子は知恵を使って,胡桃を歯で噛み砕いて見せ、実はくまには石ころを与えました。これで熊の歯はボロボロになり、さらにバイオリンを取り出して興味を持った熊にまず手の爪を切らなければといって、熊の両手を万力に挟んで締め上げました。こうして一晩を過ごしお姫様の課題はクリアーしました。お姫様はしかたなくチビの仕立て屋さんと結婚しました。

* KHM 115  くもりのないおてんとうさまはかくれてるものを明るみへだす
殺人のような悪事はどんなに隠しても、いつかは明るみに出て犯人は必ず罰せられるという基本的な道徳を教える。旅歩きの仕立て屋さんが一文無しになって、道であった1人のユダヤ人を殺してたったの8ヘレルを奪いました。ユダヤ人はなくなる前に「くもりのないおてんとうさまはかくれてるものを明るみへだしてくださる」と言ってこと切れました。仕立て屋はどこかの町に流れついて、働き人並みに結婚して暮らしていましたが、ある日窓際でコーヒーを飲もうとすると、射しこんだ光が反射して、壁にもやもやした怨霊の像と結びました。驚いた仕立て屋はおかみさんにこのことは他言しないように頼みましたが、おかみさんは知り合いに話してしまい、それが噂となって裁判となり仕立て屋は処刑されました。

* KHM 116  青いあかり
アラビアの「アラディンと魔法のランプ」伝説の直系というべき話です。どうした経路でグリム童話に流れ込んだのかは分かりません。又この主人公の兵隊崩れの男の根性も感心できません。でも話しはハッピーエンドとなり複雑な気持ちです。ある国の兵隊が怪我をしてお払い箱になりました。兵隊は何日か歩いて森にはいりました。腹も減ったので、灯りの点いた家に行き、魔法使いの婆さんに食べ物を恵んでくれと頼みましたが、おばあさんは仕事を命じました。第1日目は畑を耕作すること、第2日目は薪を割ること、3日目は井戸に入って落としたランプを拾ってくることでした。井戸におりた兵隊さんは青い灯りを見つけ、地上にあがろうとしましたがおばあさんは綱を切って井戸に落としました。しかたなく兵隊さんはランプの火で煙草をつけますと、真っ黒なこびとがあらわれ「何か御用?」といい、何でもいう事を聞いてくれるそうです。そこで真っ黒なこびとに地上へ出られるように命令しました。つぎに魔法使いのおばあさんを捕まえて裁判にかける事、つぎに王様に仕返しをしてやるため王様のお姫様を毎晩下女奉公に出す事を命じました。毎晩でてゆく娘に不信を持った王様は行き先を探るため知恵を絞りますが、黒いこびとの知恵比べとなり3日目にとうとう兵隊さんの居所が分かり逮捕されました。そして絞首刑となりますが、最後に一服させてくれといってランプの火で煙草をつけますと、真っ黒なこびとが出て裁判官から王様までこっぴどく打ちのめしました。こうして兵隊さんは国を乗っ取り王様となりお姫様と結婚しました。手放しで喜べない複雑な心境となる話です。

* KHM 117  わがままな子ども
わがままな子がいましたが、神様も愛想を尽かし命を召しました。お墓に子どもを埋葬しましたが、にょっきり腕が地上に出てきました。お母さんはその子どもの腕を鞭でぶつとやっと引っ込みました。両親を打つと死後に墓の中から腕が出るという俗信がありそれに関連した話です。

* KHM 118  三人の軍医
三人の外科の軍医が旅をしていました。自分の腕に自信を持って、一人目の軍医は自分の手を切って、翌朝元通りにくっつけることが出来るといい、二人目の軍医は心臓、三人目は目玉を元通りにつけると豪語し、寝る前に手首と心臓と目玉を取り出し宿屋の亭主に戸棚に保管するように頼みました。夜遅く女中といい仲の兵隊さんがやって来て食事を始めました。女中は戸棚を開けて食べ物を出したのですが、占めるのを忘れた隙に飼い猫が手首と心臓と目玉をさらって逃げました。慌てた女中は兵隊と相談して、処刑された泥棒の死体から手を、猫から目を、豚から心臓を取ってきて戸棚にしまいました。翌朝三人の軍医は手術をして自分の体に接合しましたが、どうも様子がおかしいのです。一人の軍医はかってに手が動いて泥棒のまねをし、二人の軍医は目がみえなくなり、三人の軍医はくんくん鼻を鳴らしています。怒った軍医は宿屋の亭主に掛け合い、一生暮らしてゆける金を出させました。

* KHM 119  シュヴァーベン七人男
シュヴァーベンの勇ましい7人衆が手に武器を持って武者修行に出ました。一列に行進してゆくと、先ずカナブンが恐ろしい音を出して飛び回りました。これですっかりパニックに陥り腰を抜かしました。次は暗闇で兎の目を見て龍が来たものと思い必死の突撃を行ないましたが、相手が兎だと分かると拍子抜けです。そして最後は河を渡る際に先頭が泥に足を取られて沈没し、浮いた帽子の上でカエルが「ワト、ワト」と鳴いたので全員が続いて泥底に沈みました。全員がお陀仏しました。なんと臆病で間抜けな7人衆ですこと。子のお話の面白いところは、言葉の輪唱です。7人が続いて順々に掛け合う言葉がリズムとなっています。

* KHM 120  三人の見習い職人
三人の見習い職人が都会で働こうと約束しましたが、金も職もなく旅に出ました。途中立派な身なりの人がきて、お金をやるからある人の魂を召し上げる手伝いをしろというのです。見ると片足が馬で片足が人間の悪魔でした。そして三人は「私ら三人とも、おかねとひきかえに、そのとおり」以外の言葉を喋ってはいけないとの約束をしました。こうしてある宿に宿泊を続けるうちに、宿屋の亭主をよく見ておりました。ある日大商人が大金を持って宿泊しました。夜になると亭主とかみさんはその商人を殺して金を奪い、その罪は三人組であると裁判所に訴えました。尋問と「私ら三人とも、おかねとひきかえに、そのとおり」がぴったり繋がり、3人組は自白したことになりました。処刑と決まり首を切られる寸前に、例の悪魔が変身した役人がきて「ご赦免」だと叫び、三人の縄を解き何を話ししてもいいので見たとおりにいえと指示しました。三人は宿屋の亭主が殺した事を話し、宿屋の地下には殺した人間が転がっていると訴えました。役人が宿屋を調べますとその通りだったので亭主は死刑になりました。ある人の魂を召し上げるというのは、悪人の宿屋の亭主のことだったのです。「必殺お仕置き人」のような悪魔です。

* KHM 121  こわいものなしの王子
この話は2つの物語からできています。前半は、怖いものなしの王子が武者修行に旅をしました。途中で大入道の玩具である「九柱戯」(ボーリング)で遊んでいると、大入道がやって来て命の木の実を取ってきてくれと王子に頼みました。ある庭の真ん中に木があり鉄柵で囲まれ前にライオンが見張りをしているのですが、王子は難なくラリオンを乗越え、輪に手を突っ込んで真っ赤な木の実を取りました。この輪は不思議な力を王子に与え、ライオンを家来にして引き上げました。この輪がないと木の実を取ってきた証にはなりません。そこで大入道は王子より輪を取り上げようと王子の目をくりぬきました。そして大入道は王子を崖から突き落とそうとしますが、ライオンがこれを防ぎ王子を守りました。ライオンが王子の顔に小川の水をかけますと王子の目は見えるようになりました。後半の話は全く筋としては繋がらないし、別々の話と考えられます。さらに王子が世界に旅を続けていると、美しい女が魔法にかけられて真っ黒な肌をしていました。その魔法を解くには3晩城の大広間で鬼の攻撃に耐えることです。王子はこれを引き受けて3晩鬼にいじめられますが、翌朝に女から命の水をかけてもらうと息を吹き返しました。女(お姫様)の肌の色は白くなりました。こうして城全体の魔法を解いて城のお姫さんと結婚しました。前半と後半の共通テーマは「命の水」信仰ではないでしょうか。

* KHM 122  キャベツろば
若い猟人が森を歩いていると、おばあさんが何か恵んでくれというので相応のほどこしをしました。すると(魔法使いの)おばあさんは、猟人にどこでも飛んでいける合羽と、鳥の心臓を呑むと毎朝金貨が1枚拾える事を教えました。猟人はこうしてお金持ちになりましたので世界見物に出かけました。森の中に立派な御殿を見つけましたが、ここには魔法使いの婆さんときれいな娘が住んでいました。婆さんは娘を脅かして猟人を御殿に引き込み、娘に美人局のような事をさせ猟人から合羽と鳥の心臓を盗み出させました。こうして放り出された猟人は山の頂上から吹き上げられキャベツ畑に降りました。娘の裏切りと婆さんのたくらみを知ったのですが、腹が減っていたのでこのキャベツを食べると猟人はロバになり、別のキャベツを食べると人間に戻りました。復讐のため、2つの種類のキャベツを持って顔を真っ黒に塗って森の御殿にゆき、婆さんと女中と娘にキャベツを食べさせてロバに変えました。そして三匹のロバを粉引き場に連れてゆき、職人に酷使するように頼みました。婆さんロバは死にましたので、女中と娘のロバには別のキャベツを与えて人間に戻らせました。娘はばあさんに脅かされてやったと謝り、二人は結婚して幸せになりました。

* KHM 123  森のなかのばあさん
下女がご主人お供をして馬車で森を通り抜けようとしたら、強盗が出てきて皆殺しにし馬を奪って逃げました。木に隠れて難を逃れた下女がある木下に座り込んでいると小鳩が現れ下女に鍵を与えて、下女が木の幹の扉を開けると、食事や寝室や衣裳が用意されていました。そして小鳩は下女にお願いごとをするのですが、小鳩は魔法にかけられているので、これを解くには小さな家にいる婆さんには返事をせず奥の部屋に往き、飾りのない指輪を持ってきて欲しいといいました。その通りにしますと森の一つの木が男の人に変わり、他の木も家来に戻りました。この男の人は王子様だったのです。下女は王子様と結婚しました。

* KHM 124  三人兄弟
ある男は三人の息子を持っていましたが、家屋の他には財産はなく、誰に家屋を譲るかと悩みました。そこで三人のうち一番いい職人になった者に家を譲ることにしました。三人は修行に出かけ、長男は蹄鉄工に、次男は理髪師に、三男は剣術使いになって帰ってきました。腕の具合をくらべて三男に家を譲ることに決定しましたが、兄弟はめいめいの仕事に精進して仲良く家で暮らし、裕福な一家となりました。そして三人とも同じお墓に眠っています。

岩波文庫 第4卷

* KHM 125  悪魔と悪魔のおばあさん
兵隊が三人あまりに給料が安いので軍隊を脱走し麦畑に隠れた。そこへ悪魔の化身である火の竜が降りてきて、7年の奉公をするなら救ってやると約束しました。そして7年後にやって来て謎々の答えられればお構いなし、答えられなければ命を戴くという悪魔の契約書に三人の兵隊さんは署名しました。その代り悪魔はお金の出る小さな鞭を与えて7年間の生活を約束しました。7年の年季が近くなると兵隊さんは心配で、悪魔がどんななぞが出すのか知りたくて、森の岩の小屋に住む悪魔のおばさんに助けを求めました。おばさんは兵隊さんを岩の下に隠して、魔法のおばさんと竜との話を聞き漏らさないように指示しました。竜が用意しているなぞとは、肉とは北海の海に横たわった尾長ざるのことで、銀の匙とは鯨のあばら骨のことで、酒のコップとは馬の足首の骨のことでした。こうして兵隊さんはなぞをクリアーして、命を悪魔に取られずにすみ、鞭のお陰で何不足ない生活を送ることが出来ました。これは「悪魔にさらわれ方がましだ」というような縁起の悪い事をいうと、悪魔に乗じられるというボヘミヤ地方の話が基になっています。

* KHM 126  実意ありフェレナンドと実意なしフェレナンド
貧乏な人のところに男の子が生まれ、なずけ親になってもらえる人を探しに隣村へ行こうとしました。途中貧乏臭い男に出会い、「実意ありフェレナンド」という名を貰いました。この男は鍵を渡して男の子が14歳になったら野原の城へやり、鍵で開けるとその子のものになると言いました。こうして「実意ありフェレナンド」は14歳で白馬を得て旅に出ました。途中に道端で鵞ペンを拾い、お魚を助けて呼子笛を貰い助けが必要な時に現れるといいます。更に行くと「実意なしフェレナンド」という悪意のあるずるい奴と一緒に旅をすることになりました。「実意ありフェレナンド」は宿屋の娘の口利きでお城の王様の馬番として雇われました。ところが「実意なしフェレナンド」が「実意ありフェレナンド」を陥れるため、数々の難問を王様に注進し、「実意ありフェレナンド」はその度に白馬の助言を得て、魚に助けられてクリアーしてゆきます。王様のお妃は奇術を使う女で、王様の首を落として、「実意ありフェレナンド」と結婚しました。この話はつじつまのあわない箇所が幾つかあり、終わりの結婚も怪しげな話です。かなり話の脱落と混雑、無理が目立ちます。

* KHM 127  鉄のストーブ
火気のあるストーブとは地下の魔界、地獄の事だそうです。地獄には閻魔様のような裁判官がいるので、人間には打ち明けられないようなことを裁判官い訴えるわけです。どこかの王子様が魔法にかけられ大きな鉄のストーブのなかに閉じ込められました。一人の王女様が森に迷って鉄のストーブに出会いました。中から声がして王女様に帰り道を教えてあげるから魔法をとくためこの鉄を削って穴を開けて欲しいと頼みました。王様のお城に帰る事ができた王女様は刀を持って森に向かい、鉄のストーブに穴を開けました。王子様がでてきて、結婚を約束しましたが、王女様に3語以上喋ったらいけないといいました。お城に帰った王女様は約束を忘れ夢中で話したので、王子様はどこかへ消えてしまいました。森に戻った王女様は婆さんヒキガエルに会い、針と車の輪と胡桃を3つ貰いました。そして川岸に大きなお城があり、王女様は城の台所の下女としては入りました。すると王子様の結婚式が挙げられようとしています。王女様は胡桃を割ってきれいな衣装を出して王子様に近づき、王子様が寝ている横で2人の婚約の事を吹き込みました。3日目のとき王子様はようやくこの王女の事を思い出し、2人はめでたく結婚しました。胡桃と衣裳の話はグリム童話で何回も出てくる常套手段です。

* KHM 128  なまけものの糸くり女
ある村のあかみさんは怠け者で減らず口をたたいては亭主を困らせていました。糸巻きをしないのは糸枠がないからだといい、亭主が糸枠の木を切りにゆくと、森の中で糸枠の木を切る人は呪われるということをつぶやいて亭主のやる気をなくさせました。糸を煮る段になって、くず糸の塊を放り込んで手に負えません。こんなのは女の屑といいます。

* KHM 129  名人四人兄弟
貧乏な人の4人の息子がいました。手に職を就けさせるため修行の旅に出しました。4年後に帰ってきて腕比べをするためです。長男は盗人、次男は天文のぞきに、三男は猟人に、4男は仕立て屋となりました。親の目からすると誰もが素晴らしい技を持っているようなので、実地の試練に臨みました。お姫さまが空を飛ぶ巨蛇にさらわれました。お姫様との結婚をご褒美にお姫様救出作戦となりました。先ずどこにいるかは次男の遠めがねで発見できました。お姫さまをオロチから助け出したのは長男の盗人です。オロチを殺したのは三男の猟人です。逃げるとき舟が難破してこれを縫い合わせて修繕したのは4男の仕立て屋です。こうしてお姫様と結婚できるのは1人ですので兄弟げんかになります。そこで兄弟は国の半分を貰って仲良く暮らしました。

* KHM 130  一つ目、二つ目、三つ目
ある女には三人の娘がいました。うえから一つ目、二つ目、三つ目を持つ娘でした。人並みに二つ目を持つ中の娘が母親や一つ目、三つ目の姉妹からいじめられるお話です。食事を十分に与えられない二つ目の娘はいつも腹ペコでした。山羊の番をさせられているとき、魔法使いの女が現れ、「子山羊メーとなけ、おぜんやしたく!」という呪文をとなえると、山羊がお膳を用意するようにしました。それから二つ目のむすめは家の粗末な食事には手をつけなくなったので、いぶかった娘らは二つ目を監視することにしました。一つ目の姉が草原に山羊番を監視に来たときは、眠り歌を歌って姉を眠らせてから、例の呪文を唱えて二つ目は食事をしました。次の日は三つ目が監視役です。「三つ目やおやすみ」というところを間違って「二つ目やお休み」といったものだから、三つ目娘の一つの目は眠りませんでした。そして食事の秘密を見られてしまったのです。そして山羊を殺してしまいました。ここまでが前半の話で、後半はまた魔法使いの女があらわれ、「殺された山羊の臓物を家に前に埋めると運がよくなる」と告げました。そこに銀の葉を持ち金の実がなるリンゴの木が生えました。一つ目と三つ目は金のリンゴの実を取ろうとしますがうまくゆきません。そこへ王子様が現れ実をくれればなんでも謝礼をするといいましたが、一つ目と三つ目は実が取れません。二つ目が実を差し出すとお礼として、城に連れて帰り二つ目に食事を与えて結婚しました。標準的で当たり前の様相をしたものが化け物的なものにいじめられるという転倒した話です。(逆ならよいといういうわけではありませんが)

* KHM 131  べっぴんさんのカトリネルエとピフ・パフ・ポルトリー
箒つくり職人のせがれピフ・パフ・ポルトリー(ぱちぱちぽんぽんがたがた坊主)の、べっぴんさんのカトリネルエへの求婚話ですが、問答形式童話の典型です。地の語りはなく、活気あるリズムの掛け言葉の応酬で成り立っています。等差級数的に後へ行くほど言葉が多くなってゆくリズムです。

* KHM 132  狐と馬
老いぼれた馬が役に立ったないので、「ライオンを連れてくるくらい力があれば飼ってやるのだが」と言われてお百姓の家から追い出されました。追い出された馬は森で狐に会い窮状を話しました。狐は一計を案じて、ライオンを馬の尻尾の毛でぐるぐる巻きにして、百姓の家に引き摺って行きました。それを見たお百姓はまた馬を飼ってあげました。

* KHM 133  踊りぬいてボロボロになる靴
王様には美人ぞろいの12人のお姫様がいました。毎晩どこかでダンスをやってきて靴がボロボロになっていましたので、王様はお姫様がどこでダンスをするのか見つけたら、誰か1人のお姫様を嫁にやるが、3晩たっても分からなければ打ち首というお触れを出しました。多くの若者が命を落としました。そこへ除隊となった兵隊が魔法使いのおばあさんから、姿がみえなくなる合羽を貰いました。そしてお姫さんの監視に出かけましたが、お姫さまから眠り薬の入った葡萄酒を飲んで眠ったふりをして、お姫様らが地下の舞踏会に出かけるのを、兵隊は合羽を着てかくれて付いて行きました。林を抜け河を渡って、立派な御殿で魔法をかけられた12人の王子様と舞踏会が行なわれました。兵隊さんは証拠品として盃を一つもって帰り、王様に報告しました。そして王様はお姫様を問い詰め白状させました。兵隊さんは一番上のお姫様と結婚し、王国を引き継ぎました。どこの親も娘の行動には苦労させられるという話です。

* KHM 134  六人の家来
どこかのお妃は魔法使いで、そのお姫様は絶世の美女でしたので求婚に来る王子たちにお妃は難問を出し出来なければ命を奪うという事をやっていました。ある国の王子様がが求婚に行く途中で、体がでかくなるデブ男、何でも聞こえる耳を持つ男、縄のようにひょろ長いせい高のっぽの男、おそろしい目つきで相手を破裂させる男、熱くても寒いという反対の感覚を持つ男、遠くまで見通す千里眼の男の6人を家来にしてお姫さんのいるお城に乗り込みました。お妃の第1問は紅海に落とした指輪を取ってくることでしたが、千里眼の男が先ず場所をさがし、デブ男が紅海の水を吸い込み、背高のっぽの男が指でつまんで拾いました。第2問は牛300頭、葡萄酒300樽を食べつくすことでした。これにはデブ男が活躍しました。第3問は娘と2人で12時まで寝ないことです。寝ずの番をしていた全員がお妃の魔法で眠りこけ、起きたのは12時の15分前で、お姫様の大捜索隊を組み無事探し出して王子はお姫様と結婚しました。ここで話は終ってもよいのだが、なぜか王子様の身の上話で豚飼いの一件は理解に苦しむ。別の話が紛れ込んだようだ。

* KHM 135  白い嫁ごと黒い嫁ご
白い色は清浄無垢の貴い色で天上界へ導きます。黒い色は冥府(地下界)の色で、喪の色でもあります。ある母親が実の娘と継娘を連れて草刈に出かけました。途中あわれな格好をした神様が道を尋ねましたが、母親と実娘はにべもない対応をし、継娘は親切に教えてあげました。神様は母親と実娘に罰を下し黒い醜い姿に変え、継娘に祝福を与え白く美しい娘にしました。継娘にはレギーネという兄がいて、王様の馭者をしていました。レギーネは美しい妹の絵を描きましたが、これが王様の目に留まり亡きお妃にそっくりだったので王様は継娘を妃に迎えようとしました。実子の黒娘はこれを妬んで母親に魔法の術で馭者を半盲目に、継娘の耳を聞こえなくしました。そして黒娘と母親は王様の迎えの車に継娘と一緒に乗り込みました。継娘の花嫁衣裳、金ぴかのぼうしを剥いで黒娘に着せお城に着きました。目の見えない馭者は妹だと言って王様に紹介しましたが、王様は醜い黒娘をみて怒り馭者を牢に閉じ込めました。魔法使いの母親は王様を魔法にかけ黒娘と結婚させ城に住みました。そして継娘を河へ落としこみ殺しました。ところが継娘は白鴨となって三日晩お城の料理番の小僧のところに現れ話かけます。不審に思った小僧が王様に話しますと王様は台所に出かけ白い鴨の首を切って落としました。すると魔法が解けて美しい白い娘が現れ、王様は魔法使いの母娘を処罰し娘と白い結婚しました。

* KHM 136  鉄のハンス
ある国の猟人が何人も行方不明になる事件が起こり何年も経ちました。ある猟人が森には入り池のなかから猟犬を引き摺り込む腕を見て、池の水を掻きだし泥底にいた大男を捕えて城へ引き立てました。王様は大男を鉄のかごの中へ入れ鍵をしました。それ以降は森の中で行方不明となるものはいなくなりました。ところが小さな王子様が毬を鉄かごの中へ入れ、大男(鉄のハンス)は毬を返して欲しければ、鍵を持ってくるよう王子様にいいました。外に出られた大男は王子様をさらって森にゆき王子様を養育しました。池の水に触れた王子様の指や髪は黄金に染まりました。王子様が大きくなったので、鉄のハンスは王子様を世に戻すことになり、森で「鉄のハンス」と叫べばいつでも助けに行くと約束しました。ここまでが前半の話です。後半は王子様の武者修行の話です。ある城で料理番の使いとなりさらに園丁の使いとなりましたが、城のお姫さまにお花を届けに行くたびに帽子をとられて金髪を見られ、ご褒美に金貨を貰いました。お城が戦争になり敵が強くお城が危なくなりました。王子様は鉄のハンスを呼び、天馬と兵隊を授かって敵を打ち破りました。お城ではこの騎士が誰であるのか詮議しましたが、園丁の使いであったとは分かりません。そこでお姫様が三日間金のリンゴを撒くので騎士が拾いに来ることにすると、王子様は鉄のハンスから栗毛の馬、白馬、黒毛の馬をもらって三つとも金のリンゴを獲得し姿を消しました。その時金髪の頭を見られてしまいましたので、園丁の使い走りであったことが分かりました。そして王子様はお姫様と結婚しました。鉄のハンスは実は魔法をかけられていた王様だったのです。

* KHM 137  まっくろけな三人のおひめさま
魔法をかけられている人間が救われなかった話ですが、内容の混乱と理解できないことが多いので、紹介できない。

* KHM 138  ずんぐりやっこと三人のせがれ
途轍もない支離滅裂な話でいわゆる「ホラ話」である。5つくらいの話が混合しておよそ筋をなさない。

* KHM 139  ブラーケルの小娘
聖像を都合のいいように利用して人をからかう話である。ブラーケルの小娘が聖アナの御堂にゆき、殿御が欲しいと願をかけました。祭壇の後ろにいた納所坊主がこれを聞いて、「殿御は授からん」と怒鳴りました。ブラーケルの小娘はキリストの坊やが答えたかのように聞こえたので、「坊主に聞いたのではない。お母さんが答えろ」と怒鳴り返しましたとさ。

* KHM 140  眷族
2人の男がワルぺに向かう途中で交わした鸚鵡返しの繰り返し連鎖童話である。これも言葉遊びの一種である。親族などの名前を聞いては過去の分も含めて繰り返すので、段々と台詞は多くなってゆく。KHM 131 の「べっぴんさんのカトリネルエとピフ・パフ・ポルトリー 」もこれに近い。

* KHM 141  小羊と小ざかな
小さな兄妹がいました。継母は魔法を使って、兄をお魚に、妹を子羊に変えました。そしてお客さんが来たので子羊を殺すように料理番に命じました。台所の上で子羊を縛り上げますと、こ魚がきて子羊に話しかけのを聞いた料理番は、これは魔法にかけられているに違いないと思って、子羊は殺さず別の肉で料理してお客さんに出しました。料理番は子羊を連れて神通力のある女のところへ行き魔法を破りました。二人の兄妹は人間の姿にもどり、森の中でなに不足ない暮しをしました。

* KHM 142  ジメリの山
「開けゴマ!」(ゴマははじけて散ることから開くことの象徴です)で有名なアラビアンナイトの「アリババと40人の盗賊」の話に類似しています。二人の兄弟がいました。貧乏な弟は大きなはげ山に差し掛かると、盗賊が12人も現れ「ゼムジの山や、開け」と呼びかけると岩が開け中に入ってゆくのが見えました。暫くすると盗賊は出てきて「ゼムジの山やしまれ!」と呼びかけると岩が閉まりました。これを見た弟は言葉を覚えていて同じ号令で岩を開きました。中に入ると財宝が一杯あって弟は財宝をかすとって岩を閉めて逃げ帰りました。何度かゼムジの山へ出かけて急に裕福になった弟をみて、金持ちの兄は弟を問い詰めました。弟はしかたなしに教えましたが、入るときの言葉は間違えなかったので、財宝を積める限り車に積んででようとするとき言葉を間違って「ジメリの山や開け」と叫んだので戸は開きません。そのうち12人の盗賊が帰ってきて兄を見つけ殺しました。

* KHM 143  旅にでる
貧乏な女に知恵の足りない息子がいました。旅に出て稼ぐつもりで家を出ました。状況に応じて言葉を使う事を知らず、教えられた言葉を正反対の状況で使ってお仕置きを受けるという手の込んだ連鎖話です。漁師の前で「たんとない」と言ってどやされ、「うんととれ」と言えと教えられます。首吊り台のまえで「うんととれ」といってお上からどやされ、「神よ永劫の罰を受けた魂を慰めたまえ」と教えられます。このような失敗談を次々と展開する話ですが、結局村へ帰り二度と外へは出ませんでした。

* KHM 144  ろばの若さま
動物婿話型の童話です。ロバは愚鈍や剛情の象徴です。王さんとお妃の間にロバの子が出来ました。陽気な子どもに育ち、とりわけ琵琶がうまく弾けました。ロバの王子様は当てのない音楽修行のたびに出ました。ある国にはいり王様から歓待されお姫様と結婚しました。お姫様の寝室に入るとロバは皮を脱ぎ捨てりりしい人間の姿になりました。そこである夜王子様が皮を脱いでベットに入ったのを見計らって、王様はその皮を焚火で燃やしました。

* KHM 145  親不孝なむすこ
年老いた親が息子の家に来たところ、息子は鶏の丸焼きを隠しました。親には食べさせたくなかったからです。お父さんが帰ってから息子は焼き鳥を食卓の上に乗せようと掴むと、鶏はいつの間にか大きなヒキガエルとなっていました。そして息子の顔にぴたりくっついてはなれません。このヒキガエルを親不孝息子は毎日養ってゆかなければなりません。気がふれた息子は家を出て歩き回っているということです。

* KHM 146  かぶら
兵隊を除隊になった兄弟がいました。兄は金持ちで、弟は貧乏でした。弟は百姓になり、小さな畑をたがやして蕪の種を植えました。蕪はどんどん生長し荷車いっぱいの大きさになりました。男は大蕪を王様に献上し、生活の窮状を訴えると王様は兄以上の金持ちにしてくれました。これを聞いた兄は蕪ひとつで金持ちになれるならと。金貨と馬を王様に献上しました。王様はこの返礼に大蕪を授けました。怒った兄は弟を殺そうと企み悪者を抱きこんで、ある森の中で弟を袋に入れ立ち木につるした時に、馬音がしたので悪者は慌てて逃げ出しました。書生が馬に乗ってきたので、弟は書生に呼びかけこの袋は知恵袋で自分はすっかり知恵者になったと騙して、自分は木から下ろしてもらい、代わりに書生が入り木につるしましたという。最後の落ちが不自然で、書生を何も騙す必要はなく、救助を求めればいいだけのことです。

* KHM 147  わかくやきなおされた小男
中世の詩人ザックスの笑話詩「猿の起源」を散文化したようなものだそうです。神様が鍛冶屋に立ち寄ったとき、見るもあわれな年寄りが恵みものを無心にやってきました。神様は鍛冶屋からふいごと炉を借りて、この爺さんを炉に入れて水で冷やして20歳ぐらいの若者に焼き直しました。これを見ていた鍛冶屋は年寄りのしゅうとめをつかまえて炉に入れ水ふろに入れましたところ、婆さんは真っ赤な顔をしてヒーヒー泣いていました。これを見ていた女2人が子供を生みましたが、お猿のような顔をして生まれるとすぐに森にかけこみましたとさ。これがお猿の起源です。

* KHM 148  神さまのけだものと悪魔のけだもの
神様はすべての動物を作られましたが、山羊だけは作られませんでした。悪魔が尻尾のある山羊を作りましたが、山谷で引っ掛けて邪魔になるので悪魔は山羊の尻尾を全部切り落としました。神様はなぜあんな害になるものを創ったのか悪魔に問いましたが、悪魔は人の害をするのだから仕方がない、よい性質の山羊にするには金が必要だと神様をゆすりました。神様は柏の木の葉が枯れたころ金を渡すからと約束しました。悪魔がやってくると神様はコンスタンチノープルのお寺の柏の葉はまだ緑だといって金は渡しません。柏の木はドイツでは堅実剛健ならびに自由独立の象徴で、ゲルマン・ケルト民族の神木です。柏の葉は新葉ができても古い葉は落ちません。悪魔は神様に一杯食わされました。

* KHM 149  うつばり
魔法使いが鶏が木の梁(うつばり)を担ぐ術を披露しましたが、側で見ていた女の子が4つ葉のクローバー(うまごやしの葉)を持って、鶏が持っているのは梁ではなく藁だと叫んだ途端、魔法は破れました。4つ葉のクローバーは幸福をもたらすものとされていますが、昔は悪魔の妖術を見破ることが出来るとされていました。この話はここで終っても良かったのですが、後半に悪魔が娘に報復をする話は蛇足ではないだろうか。落ちが悪く児童にどう教えていいのか苦しむ。

* KHM 150  こじきばあさん
乞食のおばあさんに焚火で体を温めるように勧めた若者がいましたが、おばあさんの着物に火が移りました。若者は気が付いたのですが、消しませんでした。この話は内容が断片的で混乱しています。

* KHM 151  ものぐさ三人兄弟
王様には三人の息子がいました。誰を世継にするか、ものぐさ度で判定することになりました。三人は自分のものぐささを自慢げに吹聴します。一番末の息子は、自分が絞首台で首に縄をかけられて、誰かがナイフを渡したとしても自分は面倒だから死んだ方がましだと考えるといって王様を感心させました。世継は末弟に決まりました。

* KHM 152  牧童
賢い羊飼いの男の子がいました。その評判は国の王様の耳には入り、王様は男の子を呼び3つの謎掛けをしました。第1問は大海の水滴の数、第2問は空にある星の数、第3問は永劫とは何秒のことかということです。男の子の答えはかならずしも理解できませんが、「一休さんのトンチ比べ」のようなもので屁理屈に過ぎません。参ったというか反論するかそれは王様次第です。

* KHM 153  星の銀貨
小さな女子の父も母も無くなって、酷い貧乏なくらしでもっているものはパン一切れでした。女の子は信心深い人でひたすら神様を信じておりました。路で会った腹を減らした人にそのパンをあげ、かぶるものがない人に自分お帽子をあげ、着る物がない子どもに自分の胴着を与えて自分は裸になりました。そのとき空から降る星の如く、女の子の頭に銀貨が落ちてきました。一生涯女の子はお金持ちで暮らしました。流星は幸運をもたらすという民間信仰と考えられます。

* KHM 154  くすねた銅貨
良心の呵責に苦しむ子どもの魂を描いた小品ながら質の高い童話です。ある家にお客さんが来て食事をしていましたが、雪のように白い女の子がものもいわず入ってきて隣の部屋にゆき、物音立てずに出てゆくのを見ました。お客は2日目も見ました。3日目にその女の子を見ると、お客は家の夫婦に指さして尋ねましたが、夫婦には見えないようです。お客さんは隣の部屋をよく見ますと、女の子は床の板の隙間を指でほじくっているように見えました。この話を家の夫婦にしますと、それは一月ばかり前になくなった娘ではないかといいました。そこでお客と夫婦は隣の部屋の床をはがして調べますと銅貨が2枚出てきました。これは貧しい人にあげるといって、お母さんから子供が戴いたのですが、どうやら隠し持っていたようです。死んでからも心が落ち着かず、毎日お昼にその銅貨を探しに来ていたようです。夫婦はその金を貧しい人にあげますと、子どもの姿は見られなくなりました。

* KHM 155  嫁えらび(おみあい)
若い男は三人娘の誰をお嫁さんにしようかとお母さんに相談すると、チーズのきり方を良く見て御覧ということでした。一番上の娘は外皮ごと食べ、2番目の娘は外皮を切り取りましたが、まだ食べられる部分も一緒に捨ててしまいました。3番目の娘はちょうどいい具合に外皮を切り取りました。そこで男は末娘をお嫁さんにしました。

* KHM 156  ぬらぬらの亜麻のかたまり
お嫁入りする娘がいましたが、生来怠け者でものぐさでした。亜麻の糸を紡ぐとき少しでも結び目があると捨ててしまいました。働き者の女中はその結び目を拾っては、丹念に解き糸を紡いで自分の衣裳を作りました。結婚式で女中のきれいな衣装を見てお婿さんはそのわけを尋ねますと、ものぐさ嫁さんはあの女中娘は私の捨てた亜麻糸で衣裳をこしらえたと話しました。お婿さんはお嫁さんのものぐさに気がつき、女中の働き者を気に入って、婚約を破棄して女中と結婚しました。

* KHM 157  親すずめと四羽の子すずめ
親雀は世間の厳しさや危険を良く教えずに巣立ちした4羽の小雀のことが心配でした。小麦畑に集まった小雀4羽にこれまでの経験を尋ねました。餌のとり方や鳥の罠のこと、とにかく危険が一杯です。一番下の小雀は教会堂に住んでお説教を聴いていて、「自分体や食べ物のことは神様にお任せして、毎日神様のくれるものをありがたく頂戴していれば怖いものには出会わない」と言いました。

* KHM 158  のらくら国のお話
怠け者天国のほら話です。嘘はでかいほどうけるのです。

* KHM 159  ディトマルツェンのほらばなし
これも上と同じほら話で、嘘で固められ筋を追う必要などありません。

* KHM 160  なぞなぞばなし
女三人が魔法をかけられ花に化けていました。毎日一人だけは夜に家に帰ることが出来ました。夜明け近く野原に帰らなければならない女が亭主に、野原にある花を一本折れば私の魔法が解けるので、野原に来て花を折って欲しいとお願いをしました。亭主は露の付いてない花を選んで折ると自分の女房の魔法が解けました。夜は家にいたので夜露が付かなかったからです。

* KHM 161  雪白と薔薇紅
貧乏な寡婦に二人の女の子がいました。1人は雪白、1人はバラ紅といいました、2人はとってもいい子で森の中で遊んでいても動物達と仲良しで危険な目に会ったためしはありません。雪の降るある夜、戸を叩く音がして、戸を開けると熊が凍りそうなので入れてくれと頼みました。お母さんは心よく暖をとらせ小屋の中に眠らせてあげました。子供達も熊になついてじゃれて遊びました。春が近づくと熊は家を出ようとするので、どこへ行くのか尋ねますと、春になると地もぐり一寸ぼうしが悪さをしに出てくる(啓蟄のように)ので見守らなくてはといって出てゆきました。しばらくして2人は薪拾いに森には入りました。するとこびとのひげが木に挟まれてじたばたしておりましたので、2人は木をどけようとしますが取れません。そこで雪白が鋏でこびとのひげを一本切ってやるとこびとは自由になりましたが、こびとは大事なひげを切られて悪態をついて逃げました。またある日川のそばで、こびとが釣り糸にひげが絡まり、かかった魚に引き摺られていました。そこで雪白は又鋏でこびとのひげを切って助けてやりましたが、こびとは恩知らずに悪態をついて逃げました。さらにある日、荒野の岩の上でこびとが鷲に掴まれてヒーヒー言っていましたので、二人は鷲からこびとを引き離して助けました。こびとは悪態をついて逃げましたが、帰り道に野原でこびとは宝石の袋をぶちまけて弱っていました。そこへ黒熊がやって来てこびとは命乞いをしますが、熊はこびとに一撃を食らわし殺しました。すると熊は金ぴかの王子様に変身し、一寸ほうしに呪われて熊になっていたと事情を話しました。雪白はこの王子様と結婚し、バラ紅は王子様の弟と結婚しました。

* KHM 162  ちえのあるごんすけ
話の筋そのものは理解できないが、「だんなの言いつけなぞにかまわず、自分で思いついてやってみたいと思うことはおしまずやることが大事」という教訓だけが前面にでた話。もう少しストーリーを作って脈絡をつければ腑に落ちる話になるのに残念だ。

* KHM 163  ガラスのひつぎ
ちびっ子の仕立て屋の職人が旅でました。森の中で夜を迎え葦で編んだ小屋を見つけて一夜の宿を頼みました。翌朝凄まじい声に目を覚まされ、表に出ると牡牛(魔法使い)と牡鹿(魔法で変えられたお姫様の兄)が決闘をして、牡鹿が牡牛を刺し殺しました。そして角に仕立て屋を引っ掛けて駆け出し、ある岩の前に仕立て屋をおいて、角で岩を打ち砕きました。仕立て屋が岩の中へはいると大広間があり、どこからともなく声がして広間の真ん中の石を踏むと大きな幸福がおまえにやってくるといいます。石を踏むと下降して、広間には2つのガラスの棺が向かい合っていました。片方にはお城が、片方にはお姫様が眠っていました。仕立て屋はお姫様の声にしたがって棺の蓋を持ち上げると、お姫様が起き上がり地上へ出ました。お姫様は囚われた事情を話しました。もとは伯爵家の娘でしたが、両親は幼いころになくして兄と暮らしていましたが、あるとき悪魔のお客さんがやって来て、お姫さまを嫁に欲しいというのでお姫様は拒否しましたところ、兄を牡鹿に変え、お姫様をガラスの棺に閉じ込めました。仕立て屋さんはお姫様と結婚しました。

* KHM 164  ものぐさハインツ
ものぐさのハインツは山羊1頭の番をするだけの仕事でつらいと思って何とか楽をしたいと考えました。そこで山羊を一頭持っている太っちょのトゥリーネ娘を嫁に貰って山羊2頭の世話をさせました。ところが嫁のトゥリーネも人一倍ものぐさで、山羊2頭の世話を面倒がり、蜜蜂の巣箱と交換しました。蜜の詰まった大きな壺を寝室の壁の上においてネズミが出たら棒でぶん殴って追い払う積もりでベットの横に棒を置きました。ところがそれも億劫で、蜜を鵞鳥と交換しようと考えましたが、世話をさせる子どもが怠けたらどうするかを考えて棒でぶっ叩くといって、棒を振りますと蜜の壺にあたって蜜が床に流れ、二人はそれをなめつつ朝寝をしていましたとさ。

* KHM 165  怪鳥グライフ
前半の話は導入部で、この話の後半はKHM 29  「金の毛が3本生えた鬼」と殆ど同じですが、相手が鬼ではなく怪鳥グライフだということです。怪鳥とは上半身が鷲で下半身がライオンという、王室の紋章に使われています。怪鳥は威厳があって、宝物の番をするという伝説に基づいています。お百姓には三人の息子がいました。長男がユーレ、次男がゼーメ、三男がハンスと言いました。ある国のお姫様が病弱で病気を治す果物を持ってきたものにはお婿さんにするというお触れが出ました。そこでお百姓は納屋にある真っ赤なリンゴをかごに入れて兄弟に持たせてお城へやりました。城へ行く途中鉄色をしたこびとがあらわれ、かごの中のものをしまいます。長男と次男はこびとをからかってでたらめをいうとその通りのものになってお城ではこっぴどく怒られます。末のハンスは正直に小人に接したので、病を治すリンゴとなりお姫様は元気になりました。王様はハンスに姫をやるのが惜しくなり、条件として三つの難問を言いつけます。以降はKHM 29 に同じです。

* KHM 166  強力ハンス
この話は前半の強盗に捕まった母と子が家に戻るまでと、前半はハンスが12歳までの話で後半は力持ちとなった若者ハンスが旅に出て小人からお姫様を救い出す豪傑修行の話となっています。

* KHM 167  天国へ行った水のみ百姓
信心深い水のみ百姓が死んで天国へ行きますと、ご門の前にお金持ちのだんなさんがいて、門番の聖ペトルス様は金持ちを先に天国へ入れました。そして天国の内から歓迎の音楽が聞こえました。つぎに水のみ百姓が天国の中に入ると何もなく静かなものです。天国なんて不公平なものだと不平をいうと、聖ペテルスさまは、貧しい水のみ百姓は毎日でも天国にやってくるが、お金持ちが天国に来ることは極めて珍しいから歓迎会をやったのだといいました。簡単なようで含みの深い話で小品ながら佳作である。

* KHM 168  リーゼのやせっぽっち
リーゼとレンツという粉ひきの夫婦は身が粉になるくらい働いても一文無しでした。リーゼはもし1グルテンの金があれば更に金を借りて4グルテンで牝牛を買うという話を亭主のレンツに持ちかけました。そしてレンツは牝牛のミルクを飲みたいものだというと、おかみさんのリーゼはミルクは子牛に飲ませるのだといって大喧嘩になりました。ちょっとほほえましくて悲しい話です。

* KHM 169  森の家
末子成功譚型の話です。貧乏な木こりには三人の娘がいました。木こりが森に出かけるとおかみさんは一番上の娘の弁当を持たせてやりました。木こりが撒いておいた黍の実をたよりに娘は森には入りましたが、黍は鳥などに食われて跡形もなく娘は森の中で迷いました。灯りが見えたで娘が宿めてくださいと頼むと、おじいさんは雌鳥と雄鶏と牝牛に聞いて小屋に娘を入れてやり食事を与えてました。娘は自分だけ食べてそのままグーグー寝てしまいました。動物達は怒って娘を地下に押し込めました。又次の日二女が木こりが撒いた豆をたよりに森にお弁当を届けに行きましたが、豆は一粒も泣く道に迷っておじいさんがいる小屋にたどり着きました。長女と同じく動物達を無視したので地下に閉じ込められました。次の日末娘は木こりの撒いたえんどう豆を頼りに森に弁当を届けに行きましたが、やはり道案内はなくなっており道に迷い、おじいさんがいる小屋に着きました。末娘は持参した大麦を鶏に与え干し草を牛に与え水も汲んでやりました。その夜小屋は大きく震えました。翌朝末娘が起きると大きな御殿の広間にいました。そして王子様が現れ、魔法でおじいさんに変えられ、召使は3匹の動物と変えられた。心底善人で誰にでも親切な人が着てくれて魔法を破るのを待っていたということでした。末娘は王子様と結婚式を挙げることになり、姉2人を下女にされました。

* KHM 170  苦楽をわかつ
仕立て屋さんの亭主は喧嘩好きで、信心深いおかみさんにいつも暴力を振るいました。気違いのように暴れだすと近所の人も手がつけられません。役所の人が暴力を使わないように忠告をしますが、約束は何度も破られてきましたので、裁判に訴えられました。亭主は言を左右にしていいわけをしましたが、裁判官は罰を下しました。現代のDV訴訟を見るようです。

岩波文庫 第5卷

* KHM 171  みそさざい
昔は物の音がなんでもかんでも意味を持っていた。鳥の鳴き声を例にして紹介しよう。むかし鳥はてんでばらばらで、ひとつ王様を選挙しようではないかということになり、五月の穏かな日に一羽残らず鳥が集まり、一番高くまで飛べるものを王様にしようと決めました。なべけりという鳥はこの企てには反対で、「ウヲー、ブリーウ、イック?」(おやどはどこ)と鳴いて去りました。青蛙は「ナット、ナット」(いかん、いかん)と鳴いて戒めました。カラスは「クワルク、クワルク」(どうでもいいや、どうでもいい)と鳴いて知らん振り。空高くとぶ競争は鷲が一番だと思って降りましたが、鷲の胸にかくれていた小鳥がいて、自分が王様だと叫んだとさ。この小鳥のことを「垣根の王様」みそさざいといいます。とかく隠れることが得意で,梟の難を逃れて生きています。

* KHM 172  かれい
海の中のお魚が秩序を作るために、王様を選ぼうということになりました。一番早く波を乗り切って進める者を王さまにしょうということで競争しました。先頭は鰊だと呼び声がしたので、後ろの方で泳いでいたひらめが「なんだ、裸の鰊か」と悪態をいいました。その罰としてひらめの口は斜めになっています。

* KHM 173  「さんかのごい」と「やつがしら」
牛飼いの番をする鳥がいました。肥沃な草原で牛を飼っていたさんかのごい(青鷺)と、高い山の荒地で牛を飼っていたやつがしら(ほととぎす)のことです。さんかのごいの牛はわがまま一杯に育ち人のいう事を聞きません。さんかのごいが「ブント、へリューム」(ぶちよ こい)と言っても牛は聞く耳を持ちません。やつがしらの牛は痩せていて元気がありません。やつがしらが「ウップ、ウップ」(起きろ 起きろ)といっても起き上がる元気はありません。ですから牛の放牧地は草が肥えすぎていても、痩せすぎていてもダメです。この話はKHM 171  「みそさざい」の動物の鳴き声に意味があるとした作品と同系列の話です。国、地方、人によって動物の鳴き声は様々に表現されています。

* KHM 174  ふくろう
大きな梟が森から出てきて町屋の納屋に入り込んでしまいました。梟の姿を見て他の鳥たちは逃げてしまいました。町屋の下男が薪を採りに納屋に入って肝を潰して逃げました。つぎに家のだんなが納屋へ行きましたがこれも肝を潰して逃げました。町内の人間が集まってわいわいがやがや大変な騒ぎになり、一番勇気のある人が乗り込みましたがダメで、次に槍を持った豪傑も納屋へゆきはしごを掛けましたが結局退散しました。そこで町長さんが納屋を買い取ってそれに火をかけて焼き払いました。梟も焼け死にました。

* KHM 175  お月さま
昔は夜になると垂れ幕をたらしたように鼻を突くように真っ暗になりました。4人の職人が旅に出て諸国を歩いていました。よその国に入ると柏の木の上に明るいものが吊り下げてあり、柔らかな光が遠くまで照らしていました。村人に聞くとこれは「お月様です」といいます。職人はこれは便利なものだといって、このランプを盗み出し故郷へ持ち帰りました。この新しいランプは村中や野原を照らし、鬼も一寸法師も出てきて踊りだす始末です。そうしているうちに職人がなくなり、お棺に月の1/4をもって冥界に行きました。次々と職人が亡くなってとうとうお月様は全部地下に持ってゆかれ、村は再び真っ暗になり逆に地下の霊界は明るくなって死人たちは大はしゃぎでドンちゃん騒ぎになりました。すると天国の門番である聖ペトルス様が地下界がうるさいので、お月様を取り上げ地上に持ち帰り、空にぶら下げておくことにしました。

* KHM 176  寿命
神様がこの世界をお作りになった時、生き物の寿命を一律30年と定めようということになり、生き物の意見を聞きました。ロバには最初30年を与えようとすると、荷はこびの苦労の多いロバの寿命が30年とは長すぎます短くしてくださいというので18年としました。そして苦しみの多い生物の寿命を短くしてやり、犬は12年、猿は10年ときめました。人間は30年では短すぎますというので、他の動物の寿命を全部足して、30+18+12+10=70年が人間の寿命となりました。本川達夫著「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学 」(中公新書)という本がありますが、心臓は15億回打って止まるという説があり、人間の寿命は26年だそうです。そんないい加減な話を生物学者がしております。実寿命は病気との戦いだという事を考えていないようです。

* KHM 177  死神のおつかいたち
含蓄に富んだお話です。死神が大通りで大入道と喧嘩になり殴り飛ばされ気絶しました。そこへ通りかかった若者が介抱し水を与えて蘇生させました。死神はこれを恩に来て,若者に死ぬ前には多くのお使いを出すという約束をしました。若者は元気に暮らしておりましたが、年をとっていろいろ病気や体の苦しみが現れましたが、死神の使いは来ないからまだまだ生きられると考えていましたのが、突然後ろに死神が立っていてお迎えにきたといいました。男は使いが来なかったと抗議しましたが、死神がいうには「病気や体の不調は死神からの使いだったのだ」といいました。耳鳴り、通風などの老化現象は死の前兆である事をお忘れなく。「ぴんぴんころり」は理想ですがね。

* KHM 178  プフリームおやかた
聖書マタイ伝にある「梁木を認めぬ偽善者」とは、自分の至らないことに気がつかず、他人の欠点ばかりあらさがしする人への戒めです。この話を童話化したのが本小品です。靴屋のプフリームおやかたは小柄な痩せた人ですが、体と目の動きは俊敏でせっかちな性格で、人のすることは何でもけちをつけました。おかみさんの無駄使い、女中の無駄話、職人の仕事ぶり、大工の仕事にもけちをつけ、あたるものすべて気に入りません。ある夜天国へ行く夢を見ました。天国の門にノックの輪がないとか、天人の梁の運び方、水汲みの仕方、荷車の運び方までけちをつけてぶつぶついうので天国ではこの親方を追い出し親方は下界に戻りました。

* KHM 179  泉のそばのがちょう番の女
石のような婆さんが荒れ野の小さな家に住んでいました。鵞鳥を沢山飼っていました。婆さんは毎日杖を付いて森には入り果物や草を積んでかごに入れて背負って帰ります。人は魔法使いの婆さんといいましたが、この話はしだいにこの婆さんが魔法使いではなく優しい神通力を持った婆さんであることを示してくれます。森の中で婆さんが仕事をしていますと若い伯爵の王子様が通りかかり、親切心から婆さんのかごを背負って家に帰る事になりました。ところがそのかごは次第に重くなり、もう歩けないほど疲れて家に着きました。その家には年をとった下種な娘がいて鵞鳥の番をしていました。少し休んでから伯爵はお暇をするとおばあさんは玉で出来た小箱を渡して、これをもっていると福が来るといいました。伯爵は3日かけても森を出て、見知らぬお城には入りました。その城のお妃がいうには、姉妹三人が王様に召されて王様をどれだけ大事にしているか言葉にしてみよといわれました。長女はお砂糖ほど、二女はきれいな衣装ほど、末娘は料理の塩ほど愛していると言いました。王様は塩とは馬鹿にしていると怒りましたので、末娘はいたたまれなくなり家出をしました。それから娘を探しましたがとんと行方が知れません。伯爵は玉の小箱をお妃に見せますとその中には涕の真珠が一粒はいっていました。話はかわって荒野の一軒屋では婆さんと娘は糸取りをしていました。夜遅くなって娘は山あいに入って泉に出ました。泉の前に坐って姥皮を脱ぐと娘はそれは美しいお姫様でした。泉の前で娘は泣き涙の玉が真珠となって落ちました。後ろでがさがさと音がするにで娘は又姥皮をかぶって家に帰るとお婆さんが家の掃除をしています。ちょうどその日の12時が娘がこの家に転がり込んで3年目となるので、もとのお姫様に戻りお別れの時間が迫っているとばあさんが言います。伯爵と王様とお妃はこの森に入って泉の近くに来た時、娘が姥皮を脱いで美しいお姫様になり涕を流しているのを見たのです。そして三人は婆さんの家まで追跡し娘に再会しました。婆さんは娘にこの家をやるといって姿を消しました。すると小さな家はおおきなお城になり、伯爵と結婚しました。泉の鵞鳥はお女中に変わり、楽しい生活をおくりました。婆さんは3年間娘を見守ってくれたことになります。決して悪い魔法使いではありませんでした。この話には単純な繰り返し部はなく、綿密な話の密度は高い。充実した童話である。ただ児童がしなやかな話の展開についてゆけるかどうかが心配である。

* KHM 180  エバのふぞろいの子どもたち
アダムとイブは楽園を追放されてから、汗水たらして自分の生活をしてきました。アダムは田を耕し、イブは綿を紡ぎました。沢山の子ができましたが美しいこどもと、醜い子どもが半々に出来ました。神様は彼らの生活ぶりを見るため、まず天使を遣わしました。アダムとイブは美しい子どもを身奇麗にし丁寧な受け答えを教えました。醜い子どもらは家の中に隠しました。そうして神様は戸をたたき、美しい子供らに祝福を与え王様から学者までの職業を与えました。醜い子どもらも神様の前に出すと、神様は百姓から下男までの職業を与え祝福しました。人間誰しも祝福されて生きる、神様の思し召しどおりそれぞれの階級で生きてゆくのだとおっしゃいました。この話はちょっといただけない内容を持っている。カースト制度(階級固定化)、王権神授説につながり、近代革命で否定された内容である。ただ職業に邁進することはマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理観」とも一致し、資本主義の倫理を構成した。

* KHM 181  池にすむ水の妖精
粉引きの夫婦がいました。以前は金回りが良かったのですが最近はすっかり貧乏になり、夫は気分晴らしに水辺を散歩していると、池から水の精が現れ、男の悩みを聞いて金回りを良くしてやるかわりに、家に帰って一番最初に生まれたものを水の精に差し出すという交換条件を出しました。男は犬か猫ぐらいだろうと思って承諾しましたが、家に帰ってみるとおかみなさんが男の子を生みました。水の精は男の子を要求していたのです。粉引きは男の子に池に近づかないようにして養育し、男の子は青年になりました。猟人に弟子入りをして、ある庄屋のお抱え猟人になってそこの娘と結婚しました。あるとき猟人は鹿をおいかけて森に入り見事うち倒して、臓物を取り出し血だらけの手を洗おうと池の水に手を入れた瞬間、池の中から白い手が出て猟人を水面下に引きずり込みました。それっきり猟人は帰ってきませんでしたので、お嫁さんは心配して池の周りで夫を探しました見つかりません。疲れ果てて眠ると夢をみました。山の上におばあさんがいて手招きをしている夢です。お嫁さんは目が覚めると山に登りました。すると夢の通りにお婆さんがいてお嫁さんの心配事を聞いて黄金の櫛を与え、満月の夜池辺で髪を梳いで櫛を置くといいことがあらわれといいました。その通りにしますと夫の頭が現れましたがすぐに消えました。次にお婆さんは笛を与え、満月の夜この笛を吹いて池辺に置くといいことがあるといいました。そして夫の上半身が池の中から現れて消えました。3度目におばあさんに相談すると、糸車を与えて満月の夜糸を紡いで池辺に置くといいことがあるといいました。すると夫が池から抜け出して二人は手を取って水の精から逃げましたが、波が追いかけてきて飲まれそうになり、お嫁さんはお婆さんに助けを求めると、魔法で2人はカエルに変身し、水が引けると人間の姿にもどりました。しかし2人は記憶をなくして山で羊飼いになりました。男が満月の夜黄金の笛を吹きますと、お互いに愛し合った夫婦である事がわかりました。

* KHM 182  こびとのおつかいもの
仕立て屋さんと背中にコブを持った飾りやさんが一緒に旅をしていました。遠くで音楽が聞こえるので2人は丘の上に出ましたところ、月の明りの下でこびとが輪になって踊っていました。真ん中におじいさんがいて、二人に輪の中に入って一緒に踊らないかと誘われ、二人も狂ったように踊りました。鐘が12時を告げるころ、おじいさんは2人に石炭をポケットに詰めて帰るようにいいました。翌日2人が目を覚ますと石炭は金になっていました。飾りやさんは欲張りなので、次の夜袋を沢山もって又金を貰いに丘に出かけました。一杯石炭を詰め込んで帰りましたが、翌朝開けて見ると石炭のままでした。昨日貰った金も石炭に戻っていました。その上胸に新たなコブが出来ていました。日本の「コブ取り爺さん」の話に似ています。

* KHM 183  大入道と仕立屋さん
大法螺ふきでけちな仕立て屋さんが旅に出て森の中で大入道に出会いました。一寸おつむの足りない大入道はこの仕立て屋さんを下働きに雇うことにしましたが、仕立て屋の大法螺についてゆけず、怖くなり早く縁切りをしたいものだと考えました。そこで撓めた柳の枝に仕立て屋さんを乗せ、遠くへ飛ばしました。今でも仕立て屋さんは空に居るとさ。

* KHM 184  く ぎ
商いのうまい商人が下男に金貨の一杯詰まった箱を馬の背に引かせて家路を急ぎました。下男が馬の蹄鉄の釘が1本抜けていますので、鍛冶屋で修繕した方がいいのではといいましたが、商人はあと6時間ぐらいならもつだろうとみていましたが、あと1時間くらいのところで蹄鉄が外れてしまいました。それでも商人はそのまま強行しましたので、馬は足を折り商人は自分の背で箱を運んだということです。急がば回れですね。

* KHM 185  お墓へはいったかわいそうなこぞう
羊飼いの小僧の両親が亡くなり、ある金持ちに里子になりましたが、この金持ちがけちで小僧にまともな食事さえ与えませんでした。鶏やひよこの番でしくじってはお金持ちからぶたれて死ぬような目に合わされました。そして裁判官の家に葡萄かごを届ける使い走りに出されました。途中小僧はおなかが減ったので舞踏を2房食べてしまいました。小僧は足腰が立たないくらい打たれました。今度は藁を切る仕事をさせられましたが、汗をかいたので上着をぬいで藁と一緒に上着まで切り刻んでしまいました。こんな失敗をしたら殺されるとおもった小僧は自殺しようとして、おかみさんがベットの下に隠している毒の壺を食べました。実はこれは蜂蜜なのでした。つぎにだんなの棚にはいっている蠅取りの毒薬を飲みました。これは実は葡萄酒なのです。酔っ払って小僧はてっきり死ぬのではないかと思い、自分で墓を掘って横たわりました。そして小僧は凍死しました。脳みその足りない小僧の笑い話とは思えない深刻な話です。「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」の話のように、身寄りのない子どもにとってこの世は残虐で過酷な世界なのです。

* KHM 186  ほんとうのおよめさん
この話は2つの部分から成り立っていて、殆ど異質な話の結合である。前半は継母に苛め抜かれた娘が難問を仰せつかって途方にくれていると、魔法のお婆さんが現れて助けて仕事をかたずけてくれます。最後に継母が事故で死んで御殿で裕福な生活を送るというハッピーエンドの話です。後半はその娘の求婚譚です。王子様が求婚に現れ、すぐに記憶喪失なのか、魔法に掛けられたのか、心変わりなのか、この娘と婚約したことも忘れてどこかへいってしまう理不尽な展開(これも童話の常套手段)となります。王子様を探して娘は旅に出ますが、ある城で王子様を発見しますが、王子様の目を覚まさせるため衣裳を変えては王子様に迫ります。3度目の接吻という色仕掛けではじめて王子様の記憶が戻りました。

* KHM 187  兎とはりねずみ
イソップ寓話の「かめとうさぎ」が原型となる話です。話の筋は足の速い動物と足の遅い動物が競争をして、後者が前者に勝つというだけの事ですが、ここで足の遅い動物がたゆまず歩いて怠け者の前者に勝つか、後者が奇計を用いて誰かの援助で前者に勝つか、後者が前者の体にくっついて最後のところで前者を抜き去るという3つの類型があります。倫理的には後者がまじめで前者が怠けるか、あるいは前者が後者を侮蔑するかということで、後者の奇計(悪知恵)にも関らず世間の同情が後者に移ることが条件です。この話は兎がハリネズミを侮蔑(言い争いに近い)することから駆けっこが始まります。ハリネズミは別の仲間の協力で出発点と折り返し点に配置して、先に着いているかのように兎をペテンにかけます。知恵比べの勝ち負けに、さてどちらが誉められるでしょうか。

* KHM 188  つむとひ(梭)とぬいばり
親を亡くした女の子どものなずけ親のおばあさんは、小さな家で糸を紡ぎ、機を織り、着物を縫って生活をし、子供を引き取って養育していました。おばあさんが病気なりいよいよという時子供を呼んで、「この小さな家と紡錘と梭と縫い針をあげる。これで生活をして神さまだけを大切にして生きなさい」と遺言しました。それから女の子はつつましく働いて作る着物は評判を呼びよく売れました。王子様がお嫁さん探しに村を訪れました。仕事に精を出していた娘は窓を開けて王子様の後姿が見えました。そこで娘が紡ぎに王子様を呼んでおいでというと紡ぎは王子様を追いかけて家に連れてきました。娘が梭にいい物を追織っておくれというと素晴らしい織物が出来、針におうちをきれいにしておくれといいますと、家具にきれいな織物を縫って掛けました。こうして娘は王子様と結婚しました。

* KHM 189  お百姓と悪魔
愚かな悪魔が悪知恵のあるお百姓に騙されるという笑い話です。百姓が悪魔と取り引きをして、地上にある物は悪魔の物、地下にある物は百姓の物と決めました。百姓は蕪の種をまいておいたのです。そして百姓は地下の蕪を収穫しました。怒った悪魔は今度は地上にある物は百姓の物、地下にある物は悪魔の物と決めました。百姓は小麦の種をまきました。百姓は狐はこうしていじめてやるもんだと笑いました。悪魔は悪い者だから騙してもいいという倫理があります。

* KHM 190  つくえの上のパンくず
雄鶏が女房の雌鳥に机の上におかれたパンくずを食べようと誘いました。いえのおかみさんが帰ってきて棒でさんざん鶏を蹴散らしました。雌鳥は「グゼ、グゼースト、アーベル」(コケコッコー、それみたことか)」といい、雄鶏は「ハーン イス ニト グエスト(おんどりのせいじゃないよ)」と鳴きました。鶏の鳴き声に意味を持たせる話です。ドイツ語がわからないと理解できませんが。

* KHM 191  あめふらし
末子成功譚の話です。ある国の王女様は気位が高く、どこでも良く見える12面の窓を持つ塔に住んで、王女様に見つからないで体を隠せた者はお婿さんにするが、見つかったら打ち首にするといいます。これまで97人が打ち首になりました。そこへ三人兄弟が運試しにやってきました。長男はすぐ見つかり98人目の打ち首に、次男も見つかり99人目の打ち首になりました。猟人の末弟は途中で鴉、魚、狐の命を殺さなかったので命拾いをした動物は末弟を助けるといいます。まず鴉は卵の中に隠れよと指示しますがこれは見破られ100人目の打ち首になる所を再チャレンジを許され、魚の腹の中に隠れてこれも失敗し、再再チャレンジを許され、狐は商人に末弟はアメフラシ(かたつむり)に化けて城には入りました。商人はこっそりアメフラシを王女様の髷の中に隠しました。王女様は窓から見つけられません。元の体に戻った末弟は王女様と結婚しました。

* KHM 192  どろぼうの名人
貧乏な百姓の家の前に4頭立ての馬車に乗って立派な紳士が尋ねてきて、田舎料理をご馳走になりたいといいました。百姓には昔息子がいましたが、不良息子で若いうちに家を飛び出して今はどこで何をしているやらよお百姓は話をしました。顔はもう忘れたが肩にほくろがあるのが目印だといいますと。やおら紳士は片腕を脱ぎそのほくろを示しました。なんとその紳士は極道息子だったのです。いまでは金持ちを狙う泥棒の名人(鼠小僧次郎吉みたい)となって立派な暮しをしてようです。驚いた親父は領主の伯爵がなずけ親だったので、見つかると縛り首になるので恐れましたが、息子は自ら領主の元へ出かけ挨拶をしました。領主は腕ためしを3題クリアーしないと縛り首にするといい、第1は領主の馬を盗むこと、第2は夫婦のベットのシーツとお妃様の指輪を抜き取ること、第3は寺から坊主と納所坊主を盗みだすことを条件としました。第1の問題は変奏した泥棒が睡眠薬の入った葡萄酒を下げて、馬小屋にゆき見張り兵を眠られせて難なく馬を盗みだしました。第2の問題は処刑場から死体を運び出して、城の寝室の窓にはしごを掛け死体を窓まで上げますと、領主は鉄砲で死体を打ち落としました。領主が死体を埋めにいっている間に、領主の声色を使ってお妃からシーツと指輪を受け取りました。第3の問題は坊さんに化けて大きな袋をもち寺へ行き、天国に行きたい者はこの袋には入れと叫びましたところ、坊主と納所坊主が入り込みました。ということで泥棒の名人はおとがめなく、領内から無罪放免となりました。

* KHM 193  たいこたたき
若い太鼓たたきが湖水のほとりに白い亜麻の布が3枚置いてあるのに気がつき、1枚をもって帰りました。ところがその夜自分を呼ぶ声がしてその白い布を帰して欲しいといいました。理由を問うと元は国王の娘で魔法にかけられてガラス山に閉じ込められている。毎日女姉妹3人で行水をしていましたら、あなたに布を盗まれ飛んで帰ることが出来ませんという(羽衣伝説に似ている)。太鼓たたきは布を返して魔法を破る方法はないものかと問うと、大入道がいる森に行けといいました。そこで太鼓たたきは森に入りこの大入道を言い負かして、ガラス山まで肩に乗せて運ばせました。そして飛ぶことが出来る鞍を手に入れガラス山に登ると、目の赤い魔法使いの婆さんがいて3つの難題を課されました。その3つの難題は娘の指輪をぐるりと回すことで解決し、婆さんを火にかけて殺して王女様の魔法を解きました。ここまでで話は終わりにしてもいいのだけれど、なぜか蛇足のようにKHM 186  「ほんとうのおよめさん」の話にでてくる記憶喪失と3度の衣裳の話がつけられています。

* KHM 194  麦の穂
神様が地上をふらふら歩いておられた頃、土地の実りは豊過ぎて、誰も実りに感謝する者はいません。泥拭きに麦の穂を使う有様でした。怒られた神様は麦には少ししか実をつけないことにしました。遺伝子操作や育種で穀物の生産性を上げることが可能となったら、また神様を怒らすことになるのかな。

* KHM 195  どまんじゅう
あるところに裕福な百姓がいました。貯えも十分で何一つ心配なことはないようですが、自分の心を叩く声が聞こえました。「おまえは貧乏な人に親切にしてやったかい?」という問いかけにびっくりした裕福なお百姓は隣の貧乏な人のところへいって、お金を恵みましたが、そのときの条件は、お百姓が死んだら3日3晩お墓のお守りをして欲しいということでした。間もなく裕福なお百姓は亡くなり、隣の貧乏なお百姓は墓の寝ずの番をしました。1日、2日は無事過ぎましたが、3日目の夜兵隊くずれが現れ一緒に墓の番をしました。するとお墓の死体を食いに二人の前に愚かな悪魔が現れました。二人はてこでも動かないので、悪魔は金で釣ることにしました。そこで兵隊さんは長靴を取り出しここにいっぱいの金をくれたらという条件をだしました。悪魔は金を集めて一杯のお金を長靴に入れましたが、実はこの長靴はそこが抜けていましたので、長靴には金が溜まりません。又悪魔は金を集めてもって来ますが、やはり金は長靴には溜まりません。とうとう悪魔は退散しました。2人はこの金を山分けにしようとしましたが、兵隊さんは半分を貧乏な人に分けてやり、後の半分で2人は仲良く暮らしました。

* KHM 196  リンクランクじいさん
王様にはお姫様がおりました。王様はガラスのお山をこしらえて、この山を駆け足で越えたものに姫を嫁にやるといいました。お姫様には意中の人がいましたので二人でガラスのお山を駆け上りましたが、途中でやまがぱっくり口を開けお姫様を飲み込みました。王様とお婿さんがガラスの山を探しましたが見つかりません。お姫様は深い地の底に落ち込んで、そこには長いひげを持ったおじいさんがいました。お姫様は長い間閉じ込められていました。お姫様も年をとりマンスロートおばさんと呼ばれ、おじいさんはリンクランクじいさんと呼ばれました。マンスロートはおじいさんの身の回りに雑用を言いつかっていました。おじいさんは昼間ははしごを掛けてガラスの山に上がり、金銀財宝をもって帰ってきました。マンスロートおばさんはあるとき、帰ってきたリンクランクじいさんを中へ入れないで戸を締めきりました。リンクランクじいさんが窓に首を入れたとき窓を閉めますとひげが挟まり取れなくなり、爺さんは大騒ぎです。マンスロートは爺さんからはしごの在り処を聞き出し、ついにガラスの山に上がって逃げました。王様とお婿さんに再会し、2人はガラス山に入りリンクランクじいさん を殺して、金銀財宝を手に入れました。年取ったお姫様とお婿さんの夫婦が結婚しました。

* KHM 197  水晶玉
魔法使いの女に三人の息子がいました。女は息子に脅かされる事を心配し、長男を鷲に変え、次男は鯨に変えましたが、三男は危険を察して逃げ出しました。三男は金陽城に魔法をかけられた王女が救いを待っていると聞いて出かけました。途中で大入道から念じればどこでも行ける帽子を手に入れ、金陽城へゆき魔法にかけられ灰色の顔をした王女様を発見しました。魔法を解くには火の鳥のおなかにある水晶の珠が必要です。まず番をしている野牛を剣で殺し、火の鳥を兄の鷲が襲って、火の鳥は卵を落としました。卵は小屋に落ちて大火事となりましたが、兄の鯨が水を吐いて消しました。卵から水晶の珠を取り出し、王女と2人の兄の魔法を解きました。この話では水晶は魔法使いの命で、古くはエジプト第19王朝のパピルス文書(紀元前1250年ごろ)の「2人の兄弟の話」に原型があります。

* KHM 198 マレーン姫
王子は別の国のお姫様であるマレーン姫を恋仲でしたが、姫のお殿様はこの結婚を許さないで、別の方との婚約を考えていました。マレーン姫はこれに応じなかったので王様は剛情な姫を腰元と一緒に塔に閉じ込めました。何時しか7年の日が過ぎ、食糧も底を突いて餓死寸前になったところで、姫と腰元はナイフで塔の石を削って穴を開けました。しだいに穴は大きくなり2人は外に出られましたが、お城は戦争で壊され、王様も住民も1人残らず殺されていました。二人の女は職を求めてある城の台所の下女に雇われました。なんとその城は元の婚約者の王子様の城でした。王子様は結婚の準備中で教会で婚礼式を挙げる日が近づいていました。ところが婚約者のお姫様は醜い顔をしていて人前に出るのがいやなものですから、下女のマレーン姫を身代わりにして婚礼に出しました。王子様と下女のマレーン姫の婚礼の道すがら、マレーン姫は道端のイラクサを見て歌を歌い王子様になぞ掛けをします。橋を見てはマレーン姫は王子様になぞ掛けの歌を歌います。教会の戸口でマレーン姫は謎かけの歌を歌いました。こうして婚礼の式は終り王子様はマレーン姫の首に首飾りをかけました。お城に帰るとマレーン姫は衣裳を脱いで下女に戻りました。醜いお姫様が王子様の部屋に行くとき、面?をつけ顔を隠して面会されると、王子様はあの3つの歌の意味を質問します。事情の分からないお姫様はその度に台所の下女に聞きに行き王子様は不審を持ちます。そして王子様は下女を呼んで面会し、その人こそマレーン姫である事を知って、サイド婚礼の式を上げました。この話は筋に不自然さが目立ちすぎますが、歌合せの童謡とみなされます。

* KHM 199  水牛の革の長靴
兵隊さんが除隊になって、何一つ手に職は無いので乞食のように施し物で旅をしていましたが、森に入って迷子になりました。兵隊さんは怖いもの知らずで唯一自慢できるのは水牛の皮で作った乗馬用の長靴です。森の中で猟人の姿をしきんぴかの靴をはいた男に出会いました。かれも森で迷ったのです。暗くなり腹も減ったので、遠くに見えた灯りの家に行きました。お婆さんがいたので一晩の宿と食事を頼むと、ここは強盗の家だそうです。それでも腹の虫には勝てません兵隊さんは猟人と一緒に家に入りました。そしてストーブの後ろにかくれていました。間もなく12人の強盗が帰ってきて食事を始めました。怖いものしらずの兵隊さんはえへんと咳をして強盗らのテーブルに出ました。すぐにも首をはね酔うとする強盗に向かって、死ぬ前に飯を食わせと兵隊さんはいいました。強盗らはあっけにとられて兵隊さんに肉を食わせたうえ、酒まで出しました。兵隊さんはコップを取って「みなの衆長生きなされ」と祝杯の呪文を唱えると強盗らは固まりました。これは金縛りの術です。それから兵隊さんと猟人はたらふく食って酒を開け、夜が明けたらお婆さんに道を教えて貰らい町へ出ました。軍隊にゆき強盗の場所を教えて強盗を一網打尽にしました。ところが都では凱旋ムードで、王様のお帰りだそうで見物していると、隣にいた猟人が服を脱ぐと王様の衣裳が見えました。兵隊さんの勇猛に感心した王様は兵隊さんを面倒を見てやりました。ただし金縛りの術は許可が必要となりました。

* KHM 200  黄金の鍵
貧しい男の子が薪を集めてそりに積み込み帰ろうとしましたが、焚火をして暖をとってからと、地の雪を掻き分けたら、金の鍵がみつかり、さらに掘り進むと鉄の小箱が見つかりました。男の子が小箱を開けたら何が出てくるでしょうね。

児童の読む聖者物語

* KHM 201  森のなかのヨーゼフ聖者
ヨーゼフ聖者とはイエスキリストの養父です。意地悪な母親の三人の娘がいました。長女は行儀が悪く意地悪でした。二女は多少至らぬところがありますが大体は出来のよい娘で、末娘じゃ信心深い善い子でしたが、母親は長女をかわいがり、末娘を邪険にして森へ出しました。どうせ迷って出てこれないだろうと考えたからです。森で道を見失った末娘は灯りのついた小屋の前に出て白いひげのおじいさん(ヨーゼル聖者)に出会いました。おじいさんは食べるものは木の根草の根ほどのものしかないがといいましたが、末娘は持っていたパンと卵菓子を混ぜてお粥を作り、おじいさんに沢山あげて食べました。そして自分は藁に寝ておじいさんをベットに寝ていただき夜を過ごしました。翌朝おじいさんは消えていなくなり、戸口に金の入った大きな袋がおいてありました。末娘は重い袋を持って家に帰り母親に話しました。母親は翌日二女を森にやりました。二女はヨーゼフ聖者にお粥を作って一緒に食べ、聖者が勧めるように自分はベットに寝て聖者は藁の上で寝ました。翌朝お金が少し入った袋がありこれをもって二女は家に帰りました。翌日長女が森に行き、聖者には少ししか食事を与えず、自分はさっさとベットで寝ました。翌朝長女が起きて見ると自分の鼻の上の別の鼻がついているので、ワーワー泣くと聖者は別の鼻はとってやり、5銭銅貨を2枚やりました。長女は家に帰り袋は森で落としたと嘘をついたので、母親と長女は森に探しに出かけ、長女は蛇に刺されて死に、母親は足首を刺されました。

* KHM 202  十二使徒
主キリスト誕生の300年前、酷い貧乏な母親に12人の息子がいました。母親は息子らを食わすことが出来ないので、めいめい自分でパンを探すように言いつけました。一番上のぺートルスは森へは入りましたが、道を見失い眠ってしまいました。そこへ光り輝く天使の子が現れ、ペートルスを黄金の揺籠に寝せました。次次に男の子がやって来て12の揺り籠で300年間眠りました。救世主の誕生と一緒に起きて十二使徒と呼ばれました。十二使徒とは、@ペテロ Aアンデレ Bゼベダイの子ヤコブ Cヨハネ Dヒリポ Eバルトロマイ Fトマス Gマタイ Hアルバヨの子ヤコブ Iタダイ Jシモン Kユダ です。

* KHM 203  ばら
貧乏な母親に2人の子がいました。下の子は毎日薪取りに森へ行きましたが、ある日小さな子が手伝って薪を拾い集め家の前まで運んでくれました。バラの花を渡してこの花が咲いたら又来るといってすぐに消えてしまいました。ある朝下の子が起きてこないので母親が見に行くとベットの中で死んでいましたそして横にバラの花が見事に咲いていました。バラは無常や死の象徴です。その花が咲くことは未来永劫の命が開けることでもあります。

* KHM 204  貧窮と謙遜は天国へ行く路
王子様がどうしたら天国へ行くことが出来るのだろうかと、おじいさんに尋ねると「貧窮と謙遜の道を通ってゆくのだよ。世の中の苦しみを全部知り尽くしなさい」というので、王子様は衣裳を脱ぎ捨て世間に出て難行苦行を重ねました。王子様はとうとう餓死しましたが片手にバラ、片手にユリの花を持っていました。

* KHM 205  神様のめしあがりもの
2人の姉妹がいましたが、姉は金持ちで妹は5人の子持ちの寡婦でした。子どもに食べさせるパンもなくなり、お姉さんにパンを貰いに行きましたが断られました。その話を聞いた姉のだんなさんが妹の家に駆けつけると、すでに三人の子は餓死しており、妹は「もうこの世の食べ物は入りません。三人は神様が召されてお腹が張らせていただきました」と答えました。そして二人の子もすぐに息を引き取り、妹の心臓も止まりました。

* KHM 206  三ぼんのみどりの枝
預言者エリアの故事です。信心深い隠者はいつも水を山に運び動物に与えていました頃は天使も食事を運んで見守っていましたが、この隠者が刑場へ曳かれてゆく罪人を見て「いよいよこの男にも報いがきたな」とつぶやきました。それが神様に気に障ったのでしょう、天使は隠者に食事を運ばなくなりました。隠者はどのような罪の贖いをすればいいのかお伺いをしましたところ、小鳥が「枯れ枝に緑の小枝が3本芽吹くまで持ち歩き寝るときも枕の下に枝をおき、戸口に立って食事を乞い、ひとつの家に一晩以上足を止めてはいけないというのがおおおせつかわれた罪の贖い方ですよ」と教えました。この隠者の姿は多くの人の感銘を与えました。

* KHM 207  聖母のおさかずき
葡萄酒を積んだ荷車が轍に取られて動けなくなりました。車夫が弱っているところに聖母様がお通りになり、葡萄酒を1杯いただければ動かせるようにしますよといわれるので、酒盃のかわりにひるがおの花似葡萄酒を注ぎました。こうして車は動くようになりました。ひるがおには「聖母のさかづき」という名がついています。

* KHM 208  おばあさん
ある町におッ婆さんが居ましたが、夫を亡くし子どもを小さいうちに亡くし、親戚をひとりのこらず亡くして、最近は友人も亡くしてしまい天涯孤独となりました。神様をお恨みしたこともありましたが、ある夜が明けるころお婆さんは教会にいました。そこには死んだ知り合いが一杯いました。そして見ると、1人の息子が首吊りになって、もうひとりの息子は車に轢かれていました。こんなことにならない前に亡くなった息子は幸せです。神様の采配はお婆さんの浅はかな心には分からないのです。

* KHM 209  天国の御婚礼
天国へ入る者は真っ直ぐ進まなければならないと教えられた百姓の子せがれは、一直線に進んで都の教会につきました。子せがれはこれが天国だと思い、子せがれはそこを出ません。牧師さんは子せがれに教会で働く事を勧めました。こうしていただいたパンを木像の聖母さんに半分あげたところ、しばらくすると木像が肥ってきました。不思議に思った牧師さんが小僧の行動を見て納得しました。小僧が病気になって聖母様にパンをあげられなくなると、聖母様は小僧を召されました。

* KHM 210  はしばみの木のむち
聖母さまが赤ちゃんのために苺を取りに森に出かけました。森で蝮に襲われてはしばみの木の後ろに隠れると、はしばみはどこかへいってしまいました。はしばみはスイスの民間信仰では悪魔を退散させると信じられています。


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