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中尾武彦著 「アメリカの経済政策」

 中公新書(2008年2月)

購買力、ドルの信用、先端技術と金融センターといったアメリカの強さは維持できるのか

岩波新書は啓蒙書をしてもうひとつの世界に目を開かせる事を目的としているとすると、中公新書は一流の専門家や学者がその分野の一定の理解が得られるように分りやすく解説する入門書として定評がある。それぞれが特色ある出版事業で日本の読書界をリードしているのは日本文化の進展にとって喜ばしい限りである。私は最近色々な社会的問題に興味をもって読書をしているが、中公新書クラスの現在の学説は常識として身につけておかないと、とんでもない袋小路に陥ったり、無駄な意見に踊らされる事になりかねないと自戒するようになった。さて世界の巨人アメリカの言動は「よきにつけあしきにつけ」日常的に話題にならないことはなく、いや世界の運命はアメリカの一挙一足に注目しているといっても過言ではないのである。私はこの読書ノートコーナーにおいてアメリカに関する書物を取り上げてきた。アメリカの安全保障と世界軍事戦略に関しては広瀬隆著 「アメリカの巨大軍需産業」 とノーム・チョムスキー著 「覇権か生存かーアメリカの世界戦略と人類の未来ー」 、アメリカの政治体制に関しては砂田一郎著 「アメリカ大統領の権力」 、アメリカの経済戦略に関しては広瀬隆著 「アメリカの経済支配者」、原田武夫著 「仕掛け、壊し、奪い去るアメリカの論理」 、ポール・ポースト著 山形浩生訳 「戦争の経済学」、そして本書である中尾武彦著 「アメリカの経済政策」などである。アメリカという巨象は色々な面を持っている。一筋縄では理解できないのである。

著者中尾武彦氏は現役の財務官僚である。東大卒業後大蔵省入所、主税局をへて国際金融局から国際通貨基金IMFへ出向、主計官、国際局開発政策課長から2005年より2年間日本大使館財務担当公使、帰ってきてから現職は財務省国際局次長だそうだ。国際金融の専門家だそうだ。その2年間の駐米大使館時代に見たアメリカの強さと最近のサブプライムローン問題による金融市場の混乱を目のあたりにしたことが本書執筆に起因となったそうである。

アメリカは1996年から2006年の10年間で、バブル崩壊後の金融負債処理とデフレに悩む日本に対して、国全体としては高い成長率を維持し、圧倒的なパフォーマンスの差を見せ付けた。しかしその恩恵は特殊な技能を有する階層に集中し所得格差が拡大し、年金、医療保険など財政赤字は膨らむ一方である。より構造的な問題はアメリカの家計は住宅価格の上昇を背景にローンを組んで消費を図り、家計貯蓄率はゼロに近づいている。国の財政赤字とあいまって消費と投資が生産を上回っている。これだけ借金ができるのもアメリカのドルの強さ、市場としての魅力なのであろうが、何時までもGDPの6%を越える赤字を続けられるわけがない。世界はアメリカに物を売ることと儲けた金を投資(アメリカ国債を買う)することによって世界経済が成り立っている。アメリカのドルの信用がなくなったら世界経済は崩壊するのである。世界は実に危い幻想の上に立っている。

第1章 アメリカ経済10年の成果と課題

アメリカ経済は1992年以降、2001−2002年にIT バブルがはじけて景気後退があったが2006年までは概ね3%から4%前半の非常に強い成長を続けてきた。その間コアーの消費者物価指数(石油と食品を除く)は2%−3%と安定し、賃金も上昇して失業率は歴史的な低水準にあった。この強い経済成長を支えたのは、低い長期金利に象徴される安定した金融環境と、企業の好調な収益によって株価は一貫して上昇し1997年7月には14000ドルとなった。1996年から2006年の10年間の日米のパフォーマンスの違いは歴然であった。GDPの増加はアメリカは1.69倍、日本は1.01倍、一人当たりGDPはアメリカは1.52倍に増加、日本は0.93倍に縮小、GDP規模は1996年には日本はアメリカの59%であったのが2006年には33%に低落した。この高い労働生産性は、IT投資環境、労働力の移動といわれるが、金融、IT、宇宙航空産業、文化産業、高等教育への特化によるアメリカ経済のダイナミックな変化であった。世界は高成長を維持した。アメリカをはじめとする先進国の経済成長と、中国、インドなど新興国の高成長の貢献が大きい。そして近年の世界経済の拡大基調の特徴は年々の変動率の縮小である。大きな景気の波がないのは,中国の経済が一貫して高成長を遂げているからである。この大いなる安定は世界経済の高成長のおかげである。この10年で大きな差をつけられた日本は、まさに「失われた10年」の「つけ」は大きいといわなければならない。

しかしその10年でアメリカの経常収支不均衡は許容限界を超えてしまった。アメリカの経済でよく言われる「双子の赤字」、「三つ子の赤字」とは貿易経常収支の赤字、政府財政の赤字、家計部門の赤字である。経常収支のGDPに対する比率は、アメリカは1995年にー1.5%、2006年にはー6.2%に拡大した。日本は一貫して黒字で2006年には3.9%の黒字に拡大した。ユーロは2006年で収支が釣り合っている。中国は黒字幅は2006年に9.4%に拡大した。先進国の経常収支の赤字(アメリカだけだが)は新興国の黒字とバランスしている。また連邦政府の財政は2000年度は黒字であったが、以降は赤字となり2003年度はGDPの3.5%となった。2006年には1.9%の赤字に縮小した。家計の貯蓄率は一貫して下がり続け2006年には殆どゼロになった。住宅の資産価値上昇を担保とするホーム・エクティ・ローンの活用で家計の消費性向を高め、高い経済成長を需要面で支えてきたが、家計の財布は空から借金まみれになったのである。アメリカは国全体で見ると1985年以来投資と貯蓄のバランスは一貫して赤字である。日本では家計の貯蓄率は減少しているがアメリカの比ではない。日本では企業が替わって貯蓄に励んでおり負債を償却している。それにしてもアメリカの債務国振り(GDPの20%)はすでに名目GDPの伸びを上回っている(GDP6%以上)のでこれは健全ではない。アメリカの経常収支赤字、貯蓄不足は新興市場国や産油国の貯蓄と表裏一体である。この巨大な貯蓄がアメリカのドル建て金融資産を含めてグローバルポートフォーリアで運用されている。これで世界経済は高成長を続けられるのは、アメリカの巨大な購買意欲に頼っているのである。この金の流れが世界経済である。

第2章 グローバル化と技術革新がもたらす変化

このアメリカの高成長をもたらしたグローバル金融資本と技術革新がアメリカ経済に与えた変化を主に格差と云う観点から見て行こう。アメリカで議論が行われている経済問題の一つは近年の高成長の中での賃金の伸びの低下と所得格差の拡大である。アメリカの賃金は2005年まで年率2.8%の伸びであったが、実質では0.3%に留まり、この間の労働生産性の伸び3.1%よりはるかに低い。賃金に医療保険の雇用者負担などを含めた総労働対価の実質の伸びは1.4%も高い。賃金は確かに生産性の上昇に遅れる傾向があるのでもう少し長い目で見なければと云う意見もある。それにしても労働への分配率が変わらなければ、理論的には実質賃金の変化と労働生産性の変化は同じでなければならない。労働への分配率が下がっていることを示している。企業が利潤を多く取っているか、労働組合の組織率の低下によって賃金交渉力がなくなってきていることによるのかもしれない。OECDが発表した雇用報告書によると1995年から2005年にかけて、上から10%の労働者の所得が、下から10%の労働者の所得に対して何倍になっているかと云う倍率で、所得格差の拡大がわかる。アメリカは4.6倍から4.9倍に拡大している。これはハンガリー、韓国、ポーランドなどの格差拡大国と同じランクである。それに対して日本は3.0%から3.1%の拡大に過ぎない。これは欧州の各国のレベルである。北欧三国では格差は2.3倍である。富裕層の所得の拡大は昔のように資産(遺産)ではなく労働(所得)からもたらされるのが特徴である。累進税制による所得分配の平等化が、今のアメリカでは働いていないようだ。

労働者所得の格差拡大の原因としては、技能者への偏った高賃金給付や、海外アウトソーシングによって国内労働者の賃金低下、アメリカ特有の低技能者移民が賃金を下げている、法令上の最低賃金の改定の遅れが指摘されている。ワシントン郊外に最近「リッチスタン」という新しい富裕層のコミュニティーが出来ているそうだ。高級技術者、ベンチャービジネス成功者、金融投資アナリスト、企業CEO、弁護士、高級官僚などらしい。所得格差を生むことはアメリカ経済の力強さ、アメリカ社会のダイナミズム、経済のグローバル化の進展と深い関係にある。新興国での生産がグローバリズムに組み込まれると、同じ要素価格は均等化する途云う理論がある。アメリカはグローバリズムの最大の受益者である。低廉な生産物は消費者を潤おし、新興国からのドル資金流入はアメリカの消費や投資を援助する。富がアメリカに流れ込んでくるのである。アメリカ自身は金融、IT産業、軍事産業、航空宇宙産業、最高の教育や医療サービス、アミューズメント産業のメッカに世界中の最高の能力を高級で雇い入れて卓越した競争力を得ている。これこそがアメリカ経済のダイナミズムと強さの源泉である。というとらえかたがアメリカ人では一般的である。アメリカが平等な機会の国である事は論を待たないとしても、格差の極端な拡大はミドルクラスの崩壊につながり結局は社会全体が病んでいくのである。アメリカには高齢者向けのメディケア、低所得者向けのメディケイド途云う公的医療保険制度はあるが、国民皆保険でないため人口の15%5000万人ほどは無保険者である。これは高所得者優遇税制とあいまって格差社会の固定につながり、社会の不安定化に流動化する。企業幹部の報酬が高すぎるのも不透明感を増している。優秀な移民はアメリカ社会のダイナミズムの原動力であるが、不法移民は低賃金と結びついて最下層社会の公的負担を増大させている。

第3章 マクロ経済政策の視点

最近のマクロ的な財政政策はケインズ的な景気調整に使う考えは後退している。適切なタイミングで財政政策を景気調整に使うのは困難で、景気調整のために財政赤字を拡大することは期待した効果をもたらさない、インフレや債務の累積をもたらすとか、拙速な歳出拡大策は非効率な歳出と成りやすい、減税は再度の改正が困難になるなど問題点が多い。そもそも財政とは国民の税金をどう集めてどう使うかという、いわば議会民主主義の出発点であり、最も政治的なプロセスである。現在では、財政は持続可能な政調を促進してゆくという中長期的な観点から、公共財(道路,国防など)やセーフティネット(年金、医療)の供給という政府の基本的な機能の充実に使われべきであり、経済活動を歪めない中立的な税制で資金を集め、赤字を減らして民間活動や国民に負担を与えないことが重要になっている。ミクロ経済理論の公共経済学では、「市場の失敗」に介入する大きな政府からレーガン・サッチャーの新自由主義路線は効率的な規制緩和に向かい、独立行政法人制度の導入、情報公開法、政策評価法、国地方のバランスシートの会計の公開という流れとなった。

マクロ的な金融政策は中央銀行の所掌であるが、金融政策を短期的観点から景気刺激のために使うという考え方は世界的に退潮している。かっては雇用とインフレは背反するというフィリップス曲線理論は過去にスタグフレーションを経験し、その反省から現在では、中央銀行の政策目標はより長期的視点に立った物価の安定であい、経済環境を整える事で持続的成長、高い雇用水準の実現を目指すようになった。こうした考えに立つ中央銀行(日銀)の政策枠組みとしては、短期的な政治圧力をうけない独立性を保ち、中長期的物価安定をめざして、市場とコミュニケーションを重視して市場の期待を誘導する政策を実施し、日銀の利用できる金融調整手段である貨幣供給の増加操作を行いつつ、大きなリスクには果断に対応するという能力が求められる。G7の財務省・中央銀行総裁会議において1980年代はプラザ合意やルーブル合意のように「政策協調」(協調介入)は一定の成果を挙げたが、新興国にはかえって混乱を与える事になった。このような経験を経て現在では時に実際に協調行動を取る必要がある時でも、基本的には各国が自国において適切な経済政策を追求することが大事であるとされるようになった。国際金融のトリレンマとは為替の安定、金融政策の独立性、国際的な資本の自由な移動を同時に満たすことは出来ないということである。現在の変動相場制は為替の安定性を犠牲にした政策である。

アメリカの財政収支をマクロ経済より見て行こう。2000年度(クリントン大統領最期の年度)では財政収支はGDPの2.4%も黒字であった。ブッシュ大統領の最初の2001年度も1.3%の黒字であった。しかるに2001年にIT バブルがはじけ、9.11テロ事件からアフガン侵攻と戦費が増加したために、2002年度より1.5%の赤字に転落しそれ以降赤字は拡大する一方で2004年度は3.6%の赤字となり実質GDP成長率3.9%と同じレベルになってしまった。2006年には赤字幅は縮小1.9%(実質経済成長率3%)となったが、予定では2012年度で黒字に転換する見通しである。今後の名目経済成長率を5%以上という前提があって、2006年以降の住宅市場の落ち込みと2007年後半に発生したサブプライムローン問題によるアメリカ経済の減速が気になるところである。

予算教書による長期的な連邦財政の見通し(対GDP比)を見ると、歳入を2006年度の実績(18.3%)が続くという前提である。裁量的支出を4.8%に減らして、義務的支出(年金、メディケア、メディケイド、他)は2005年10.8%から一貫して増加し2050年には15.5%を見ている。2012年度に黒字に転換する予定の財政収支は再度悪化し2050年にはマイナス4.7%となる。これは義務的経費の節減策を実施した上の見通しである。年金などの財政支出増加は日本でも同じ問題である。盛山和夫著 「年金問題の正しい考え方」 を参考にして欲しい。小子高齢化の人口問題から起きる世界共通の課題である。医療に関しては人口の15%に上がる無健康保険者の問題は深刻である。アメリカでは2億人が高い民間の健康保険に頼らざるを得ない状況である。国民皆健康保険制度をとっていないのは先進国ではアメリカのみである。社会保障制度を民間に放置する事が国民福祉にとっていいことなのかどうかアメリカ社会の問題の根は深い。

アメリカの中央銀行は連邦準備局FRBである。2006年1月31日18年間君臨したグリーンスパン議長からバーナンキ議長へ交代した。バーナンキ議長はインフレ・ターゲット論者で有名であるが、FRB内部での意見の一致は見ていない。原油価格の高騰はそれが1回切ならインフレ率を持続的に上げることにはならない。2005年より上がり始めた原油先物価格WTIは2008年1月で既にバレル100ドルを突破した。全体の個人消費デフレータPCE原油価格と連動して3.6%に上昇した。中央銀行の操作する短期金利は2001年より小刻みに下げて2002年から2005年度は約1−2%を維持し、2005年から再び小刻みに上昇し2007年には5%になった。にもかかわらず長期金利は概ね4−5%に留まっている。これは謎だ。サブプライムローン問題による最近の金融機関の信用低下問題は、春山昇華著 「サブプライム問題とは何か」 を参考にして欲しい。ここでは言及しない。

第4章 新たな地政学的環境の中での対外経済政策

2006年の国民総所得GNIはアメリカが世界の27.7%、日本は10%、EUが29.9%、BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)が10%である。アメリカと同盟関係のEUが同じ規模になり、アメリカは落ち目の日本よりはBRICsのほうを脅威に感じている。資源大国を目指すロシア、世界の工場を目指す中国、知的産業のインドの成長が怖いのである。2006年度のアメリカの中国貿易では圧倒的に輸入過剰でバランスを欠いている。アメリカの対中国輸出は730億ドル、輸入は2960億ドルで、対日貿易は輸出600億ドル、輸入1480億ドルより著しく輸入が多い。日本の対中国貿易は輸出が15兆円、輸入が14兆円でバランスが取れている。アメリカは中国貿易から安価で質の安定した工業製品を得ており、輸出も伸び始めており、かつ中国はアメリカの直接投資国で輸入品の多くはアメリカ企業の製品である。そこでアメリカは中国との戦略的経済対話を2006年12月、2007年5月の2回行ったが、人民元の為替レートの柔軟化は余り進行してしないので国内の保護主義者の苛立ちが起きている。

2001年9.11テロ事件はアメリカの経済政策にも影を落としている。安全保障に関る胎内直接投資の制限、テロや大量破壊兵器開発に関る資金の移動、国境をまたぐ人と物の移動の制約である。ところがいままで発動されたのは2、3件で、開放経済のアメリカではほとんど影響は起きていない。テロとは直接関係ないが、直接投資と保護主義の関係で「国家ファンド」が問題になっている。「国家ファンド」とは各国政府や政府関係機関が国の資産を主として外貨建て資産で運用するためのファンドで、流動性の高い外貨準備とは違い、より積極的な運用を目出すものである。日本やアメリカの年金運用などは国家ファンドとは呼ばない。中東、ロシアの石油ガス資源の資金、シンガポールの年金や余剰財源を資金とする、中国のように外貨準備金の一部ファンドとして利用する物を指す。(定義がはっきりしない印象である)IMFが2007年9月にまとめたレポートでは、国外資産の規模は外貨準備が5.6兆ドル、国家ファンドが2.9兆ドル、機関投資家53兆ドル、ヘッジファンド1.5兆ドルである。国家ファンドはヘッジファンドくらいの規模である。米国国債残高9兆ドルの民間保有額4.4兆ドルが狙われるのではないかと心配しているようだ。20世紀末ヘッジファンドがアジアの経済を破壊したことに較べれば、国家ファンドを何故アメリカが恐れるのか、身勝手な話である。

アメリカの経済政策を論じる時、世界への援助政策を忘れることは出来ない。第二次世界大戦後、世界経済の復興のために世界銀行、国際通貨基金IMF、GATTの果たした役割は測り知れない。戦争を起さないためには、経済開発以外にはないという思想である。日本がその優等生になったのである。欧州に対してはマーシャルプラン、日本とドイツに対してはガリオア・エロア支援であった。1960年からは国際開発協会、開発支援委員会、国連開発計画、アジア開発銀行などが次々と設立された。1990年代よりは国家のインフラ整備から貧困削減の重視、社会インフラと言った「新たな援助潮流」となった。もとよりこれらの援助は経済援助であると同時に、アメリカの市場開発の一環でもあった。「なさけ(ODA)は人のためならず」という思想が国家戦略ではいつも働くのである。日本は経済縮小からODA大国第三位におちた。

第5章 変革の進む金融セクターとその政策

世界経済は1980年代の経営資本主義から1990年代以降はグローバル金融資本主義へ移行した。「物つくり」から「金つり」へ移行したのである。日本が「JAPAN AS NO.1}から脱落したのである。この金融資本主義の台頭は、世界のGDPに対する金融資産は2005年には316%となった事に示される。アメリカはさらに徹底して405%である。金融が投資的になったこと、デリバティブに代表される金融商品と金融工学という技術開発がめまぐるしいこと、先物買いで暗躍するヘッジファンドなどのプレーヤが多く生まれたということが特徴的である。なぜこのような変化が生まれたのかは規制緩和と世界中を結ぶ技術開発が最大の原因である。それと安定的な環境を整えた中央銀行の役割と、世界的な余剰貯蓄がもたらした低金利状況の原因の一つである。金融セクターの中でも資産をバランスシートに長期保存する商業銀行ではなく、資産を取引仲介する投資銀行が支配力を高めている。そして証券会社と銀行の分離という規制がなくなったことが投資銀行への傾斜を一層加速した。この金融資本主義は生まれたばかりで混乱を防止する装置やリスク回避機構が不十分であるなどの課題が多く試練をまだ受けていないで、ただ効率のよさに酔いしれている段階である。こつこつと機械の改良にいそしむ技術者の努力と、財テクで儲ける人間のどちらが尊いか社会的・道徳的にも未解決である。

金融セクターの機能は明らかに増大している。必要な時に支出を可能にするサービスが必要である。そして情報の非対称性によって顧客に対する投資対象の事前審査が重要である。事後の継続的モニターも必要である。リスクの平均化などのポートフォーリア商品開発、効率的な決済手段の提供、ベンチャー企業への流動性制約の解消などの機能が求められている。金融セクターにはその機能を十二分に発揮するだけでなく、同時に適切な規制を行うことが必要である。第一は金融システムの安定性確保である。適切な預金保険制度を整備する事は政府の重要な任務である。第二に投資家保護である。当局が銀行に対して規制、監督、検査を行うことである。第三に市場の健全性確保である。2000年に日本で金融庁が発足したのはそのためである。アメリカの銀行の数は連邦銀行で1732行、州法銀行で5618である。ちなみに日本では150行(都市銀行5行、地方銀行45行など)である。アメリカの証券会社の数は5143社である。生命保険会社・損害保険会社は国は管理せず州が管理するのでその数も多い。これだけ多いと金融規制の一元化も困難だと言わざるをえない。

アメリカでは「1932年銀行法」で金利の上限を設けたことから金利規制が始まった。1980年「預金金融機関規制緩和法」が通り1982年に金利規制は撤廃された。1994年「リーグル・ニール州際銀行業務効率化法」によって州を超えて支店が開設できるようになった。また1932年銀行法では禁じられていた銀行と証券会社の分離原則は、1987年、1990年、1997年と段階的に緩和され1999年「グラム・リーチ・ブライリー法」で完全分離原則は撤廃された。1986年イギリスの金融ビックバンで金融持株会社による融合が進んだ。アメリカでは1990年に12343行あった銀行も2007年には2/3以下に整理統合が進んだ。FRBが認定する金融持株会社は655社である。一方アメリカの四大投資銀行であるゴールドマン・サックス、モルガン・スタンレー、メリル・リンチ、リーマン・ブラザーズは証券専業として高い収益力を維持している。M&A業務の手数料や膨大な買収資金貸し付けからの利子収益で潤っているようである。

アメリカの資本市場はこの15年で非常に強化された。世界の取引所の上場企業時価総額は1990年には、アメリカ、欧州、日本はほぼ一線にいたが、2006年ではアメリカが20兆ドル、欧州が15兆ドル、日本は4兆ドルと隔絶な差がついた。また2006年のアメリカの家計の金融資産は40兆ドルにのぼり、かつ預金が50%以上を占める日本と違って、投資信託、株式、ファンドへの出資など市場性のある資産に幅広く投資されている。

アメリカを始め世界の金融市場で各種のファンドが存在感を増している。1997年のアジア通貨危機にヘッジファンドなる言葉が市場をにぎわしたが、2007年度IMFのレポートでは1.6兆ドルに拡大したと言われた。米国市場ではハイリスク債権の25%、金融派生商品の58%の取引を占めている。日本の金融機関は8.8兆円のヘッジファンドに投資する商品を販売した。ヘッジファンドが市場に流動性を供給し、市場の効率化に貢献したことは否定できない。金融機関もヘッジファンド的戦略をとることが拡大している。ヘッジファンドの特徴は為替、債権、株式、金融派生商品に投資し、価格変動による運用収益を目指す事にある。投資企業への経営参加は想定していないし、投資期間は短期である。ヘッジファンドのレテール化(小口化)に動きに合わせて市場規律の強化、金融商品取引法による登録制などが必要ではないか。ヘッジファンドに続いて私募(特定少数有力顧客のみに募集を行う)といわれる、プライベート・エクティ・ファンドPET、アクティビスト・ファンドが出てきた。物言う株主として「村上ファンド」が有名になったが、結局は企業価値(話題性)で株価を吊り上げて上がったところで売却して利ざやを稼ぐ集団であった。


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