080319

盛山和夫著 「年金問題の正しい考え方」

 中公新書(2007年6月)

小子高齢化のもとでの年金制度の持続可能性

盛山和夫(せいやま かずお, 1948年-)は、社会学者、東京大学大学院人文社会系研究科教授(社会学)。専門は、数理社会学。鳥取県生まれ。東京大学大学院社会学研究科で学び、博士号(社会学)を取得。北海道大学助教授を経て、東大教授。統計学を用いての科学的社会学の構築を目指し、SSM調査を用いて日本社会の階層構造を調査している。著作は『制度論の構図』(創文社, 1995年) 『権力』(東京大学出版会, 2000年) 『社会調査法入門』(有斐閣, 2004年) 『統計学入門』(放送大学教育振興会, 2004年) 『リベラリズムとは何か――ロールズと正義の論理』(勁草書房, 2006年)がある。
東京大学人文社会系社会学研究室のホームページにある教授自身の紹介を記す。
「階級・階層、計量社会学、数理社会学などを専門領域としつつ、最近は、合理的選択理論や制度論・権力論の研究にも手を染めている。演習では「近代社会」の特性をとくに「自己」との関連において考察している。これは、近代社会の家族や教育や階層の変容を念頭におきながら、そうした変化を規定する近代の社会変動の基本的諸軸、たとえば個人主義化、普遍主義化、合理化など、について原理的に考えておきたいというものである。既存研究文献を読むことが中心になるが、それを通じて近代社会は自らについてどう考えてきたかを反省的にとらえるとともに、近・現代社会のアクチュアルな諸問題を理論的に分析する力を身につけてもらいたい。自由なディスカッションによる、社会学の基礎体力の養成と感受性の陶冶を重視している。また、毎年の社会調査法では、調査データを処理する技術だけではなく、データの紙背を読み解くおもしろさを伝えることに主眼がある。」

長妻昭著 「消えた年金を追って」リヨン社(2007年10月)

社会保険庁の杜撰な年金記録管理に腹を立てても年金制度の問題解決にはならず、"ワイドショー的年金劇場"では、制度の仕組みも問題点も今後の提案もぼんやりとしたままである。したがって、不安ばかりが膨らみ、年金制度が複雑であることも相まって、ますます不信感がつのることとなる。この読書ノートコーナーでかって長妻昭著 「消えた年金を追って」を紹介した。"ワイドショー的年金劇場"の主役である民主党のミスター年金といわれる長妻昭氏の社会保険庁ひいては厚生労働省への責任追及の糾弾の書であった。

その結果は昨年2007年10月29日の総務省「年金検証委最終報告案」 に出た。その内容を記事からまとめると、
 社会保険庁のずさんな年金記録管理を調べる総務省の「年金記録問題検証委員会」(座長・松尾邦弘前検事総長)の最終報告案の全容が29日、明らかになった。政府が「詳しい内訳は分からない」としている宙に浮いた5千万件について、検証委は住民基本台帳ネットワークと照合するなどして7840件のサンプル調査を実施。報告案に盛り込んだ。持ち主が分からず「宙に浮いた年金記録」約5千万件からのサンプル調査で、入力ミスや結婚による名前の変更前の分など、今後の持ち主の特定に支障が生じる可能性のある記録が最大で38.5%にのぼった。安倍前首相や舛添厚生労働相は「最後の一人、最後の一円まで確実に給付につなげる」としてきたが、作業は難航しそうだ。
 結果は、この38.5%のほか、住基ネット上の氏名や生年月日、性別などが一致し、生存の可能性が高い者の記録33.6%、死亡者や、加入期間が25年間に満たず年金受給の対象外の者、すでに持ち主に統合済みの記録27.9%――だった。
 38.5%の記録には、今後の名寄せ作業で問題になる「生存している人で本人を特定できなかったケース」と、住基ネットが稼働した02年8月以前に死亡して追跡できなかった人の分が両方含まれている。生きている人の割合がどれぐらいかは不明だ。
 社保庁は入力ミスや姓の変更があっても、ある程度、持ち主が特定できるプログラムを開発。来年3月末までに作業を終えて、本人に通知するとしている。ただし、記録自体が大幅に違っていれば、特定作業に支障が生じる可能性がある。
 また、少なくとも33.6%については持ち主の生存がほぼ確実で、現在の高齢者の受給漏れや、現役世代の将来の受給額の減少につながりかねない。しかし、本人が特定できたことで、今後の作業自体は比較的容易に進められそうだ。
 報告案は、支払ったはずの保険料の記録が残っていない「消えた年金」にも触れ、「(職員らの)横領が原因の一つという可能性が否定できない」とした。
 さらに、記録問題の根本的な理由として「厚生労働省、社保庁の組織全体の使命感、責任感が決定的に欠如」と厳しく批判。多くの職員が記録の誤りを漠然と認識しながら、「定量的に把握・検証・補正する組織的な取り組みが行われなかった」とした。

長妻昭著 「消えた年金を追って」を読んでも、社会保険庁の責任問題は政治問題として解決されるであろうが、やはり我々が持つ「年金問題は本当に大丈夫なのだろうか」と云う疑問には答えてくれない。国民年金は将来なくなるのではないかという不安が未払い問題を引き起こしている。しかし年金を払い込まなければ,結局将来は年金を受給できないと云うことを知っているのだろうか。年金未払い問題は収めなければ将来給付する必要はないのだから、年金財政バランスには関係はない。未払い問題で年金制度は崩壊しないのである。年金を講とみれば参加者が少なくても講は成立する。厚生労働省批判だけではお粗末な行政実態を知るだけで、年金問題の本当の恐ろしさを知ったことにはならない。

河野稠果著 「人口学への招待」中公新書(2007年8月)

年金問題の一つの重大な側面である小子高齢化については、河野稠果著 「人口学への招待」を読書ノートコーナーで紹介した。そのなかで出生率の予測と人口推計については、2055年には合計特殊出産率は1.26に、人口は9000万人になるとしている。これは概ね避けられない現実である。その要旨を示す。
人口問題の解明はこれほど困難だといいながら、経済予測に比べると人口予測は精度は高い。それは変化が緩慢で人口モメンタムというタイムラグが長いからだ。中でも出生率の予測は最も難しい。何故難しいかと云うと、一つは既存の出生力理論の人口推定に対する応用力の不足、第二に出生率変動の基本データの不足、第三に出生率の予測に社会経済要因を組み込む難しさにある。上の五つの理論(仮説)は残念ながら定性的説明に終始しており、定量的に数値解析できるレベルではないこと、そして国勢調査で個人プライバシー保護の観点からデータをアンケートできないことで決定的データ不足になっている、最後の社会経済要因は最も予測が出来ないからだ。 将来人口推計とは、人口学で最も実用的意味を持ち、国や地方自治体の経済社会計画と関連した行財政施策決定の基礎資料となる。コーホート要因法が1976年以来国際標準となった。「コーホート出産率法」は、世代を逐次おって出産数と生残数を繰り返し計算する方法であるがここでは説明は省略する。日本の人口の行方を「国社人研」の2006年度推計より結果だけ示す。1950年から2005年までが実測であり、それ以降2055年までは推計である。合計特殊出産率は2013年まで1.213まで下がり、2055年までに僅か1.264に上がるとと仮設している。2007年より日本の人口は減少傾向になり2055年には総人口は9000万人をきる。65歳以上の高齢化人口は2040年まで上昇し、14歳までの未就業人口は一貫して減少し続ける。100年後には日本の人口は4000万人以下となる。何らかの人口抑制策を講じて2025年にもし人口置き換え水準に恢復したとしても、2080年に人口は8000万人に一定化するが、2050年に人口置き換え水準に恢復した場合は2100年に人口は6000万人で一定化する。

盛山和夫著 「年金問題の正しい考え方」を読んで分るだが、合計特殊出産率と経済成長率の二つの因数の関数として年金給付水準が決定される。しかも、それは年金制度ではどうしようもない因子である。年金問題ではいつも経済予測が難しい事に比べれば、人口推計ははるかに予測精度は高いことである。年金問題の基礎として人口問題は前提として知っておかなければならない。

松谷明彦・藤正 巌著 「人口減少社会の設計」 中公新書 (2002年6月)

人口減少と小子高齢化が避けられない近未来的現実であるとすれば、人口減少社会へのソフトランディングを考えようではないかと云う本松谷明彦・藤正 巌著 「人口減少社会の設計」を読書ノートコーナーで取り上げた。人口減少が世界的趨勢にあることは地球温暖化よりも明白で、また地球温暖化防止の特効薬でもある。地球環境問題の本質は人口増による資源とエネルギーの配分問題であることをこれまで何度も述べてきた(環境書評を見てください)。これこそが人類を滅亡から救う苦肉の知恵であるはずだ。ところが「人口が減っ国が栄えたためしはない」、「少子高齢化は高負担社会をもたらし、日本経済を破綻させる」といった経済面からの主張する人が政府筋に多い。地球では養えないほどの人口を抱え破滅の寸前にある人類が生物的に直感した対応が人口減少である。人口減少は日本経済に対して資源配分や所得配分に変更を迫るもので、その方向へ進めば「労働時間あたりの所得増大」につながる。ところがこういう改善をしないで無茶な規模拡大の景気刺激を行ったらどうなるのだろうか。経済活動の牽引力と抑制力は「人間万事塞翁が馬」のことわざのように「あざなえる縄の如く」裏表の関係にある。牽引力はすなわち抑制力に転化するのである。これがアダムスミスの古典経済学における「神の手」である。好況を予測して設備投資に走って、しばらくすると飽和を予測して生産調整・在庫調整になり設備投資を控えることの繰り返しがいわゆる経済学で言う「ストック調整」である。人口減少化の元では需要も縮小するので企業は生産能力を落として規模を縮小しなければならない。しかるに経営者は自分の任期中にやりたくないものだから決断をずるずる引き延ばす。したがって景気の底が見えてこない、不況の長期化になるのである。企業経営者が売上高や企業規模にこだわらず利益率を重視するようになれば需要動向に速やかな対応が可能になる。経済活動のトレンドが縮小へのドリフト曲線にあるならば、景気循環はその上に載った波動と考えられる。この波の振幅幅を小さく押さえ込むことが縮小経済への対応策である。この曲線は電気工学をかじったものならばすぐ分かるようにネガティブフィードバックNFB制御の問題である。経済振幅を早く押さえ込むにはダンピングファクターを小さくする必要がある。そして常に反対の制御力を働かせることが必要である。ここでへたなインフレ策を講じれば発振して機構は破壊される。

松谷明彦・藤正 巌著 「人口減少社会の設計」には年金問題は論じていないが、年金問題のもうひとつの因子である「経済成長率」が人口問題とどう絡むかが示されている。年金問題の給付水準を決める二つの因子といったが、この二つの因子は独立ではなく相互に関係しているのである。したがって人口減少社会での小子高齢化(年金問題では現役納付人口/高齢者受給人口の比が常に重要)と経済成長率の絡み合いの解決にはかなり長い年月が必要である。経済成長率の減少を覚悟すると年金制度ははたして持続可能なのだろうかと云う深刻な問題に突き当たる。

年金制度の正しい理解のために 

高齢化は2004年度年金制度改正の時に前提としていた将来人口予測をかなり上回って進んでいる。厚生省自身が「このままでは年金は大変なことになってしまう」と云う意味のメッセージを出し続けていることが、年金への不安を煽って若い人の年金への信頼を崩しているようだ。月額年金保険料負担が、1993年で8400円、1995年には10170円、2007年4月には14100円と引き上げられてきた。「未納問題」、「議員年金」、「社保庁」などは年金問題からすると瑣末なことことであるが、年金総額が40兆円を越える今日では、年金財政バランスこそが日本国政府の最大問題である。この年金財政システム(基礎年金の消費税化、積み立て方式、民営化など)の議論が盛んであるが、年金制度は現代福祉国家の持続可能性に関る重大問題である。福祉国家日本では社会保障費全体で80兆円となり国家一般会計規模であり、年金給付総額は40兆円を超えGDPの約一割近くに相当する。積み立て方式、民営化方式は国家の年金制度そのものを廃止することで極めて無責任なお手上げ降参論である。基礎年金の消費税化論では消費税率を大幅に上げない限り(20−30%)給付金額の大幅引き下げは避けられない。本書の結論は年金制度を維持する立場から税支援拡大とスライド式調整による方式を提唱する。でそう結論するに至った経過を目次に従って詳細に検証してゆこう。

第1章 年金に加入するのは損か得か 

年金制度は国家が潰れない限り絶対に潰れない。信頼性は国債以上である。その理由を現在の年金構造から説明する。ただし現在の基本構造という限定条件で成立するのであって、未来永劫成立するとはいえない事は頭に入れておかなくてはいけない。  又たとえ成立しても殆どメリットがないのでは意味がないことも考えてゆこう。2004年7月に改正された現行年金制度の基本構造は、国民年金と厚生年金(共済年金)の二つのシステムである。国民年金の月額保険料は2007年時点で14100円で段階的に引き上げられて2017年以降は16900円である。先ず2017年時点での世帯主男性一人の国民年金を見てゆこう。保険料を40年間フルに収めた人には65歳から年額79万2000円の年金が支給される。納付金額合計は16900×40=811万2000円である。65歳まで生きた男性の平均余命は17年(男の平均寿命を82歳として)すると平均的に受け取る事ができる年金額は792000×17=1346万4000円である。これは納めた保険料の1.66倍(=1346400/8112000)である。単純に考えると国民年金に入らない手はない。これを国民年金でなく個人的に65歳まで預金した場合と比較すると、男性の場合平均的に82歳で死亡するとすれば、66歳から82歳まで年792000円を受け取るためには預金利子率は1.67%が必要である。今の貯金で利子率は1%以下である。株や信託投資で儲ければ話は別であるが。

厚生年金の場合も個人ベースでは入るべきである。保険料は2007年時点で給与の14.642%、2017年以降は給与の18.3%である。基礎年金部分と報酬比例部分からなり、しかも保険料は個人だけでなく事業主が半分負担するのである。個人負担分だけを考えると、保険料は2017年以降は18.3÷2=9.15%である。平均年間所得が500万円の人が40年間加入した場合、保険料総額は40×500万×0.0195=1830万円である。この人が65歳以降に受け取る年金額は、年間基礎年金分が79万2000円で、報酬比例部分が500万×40×0.005481=109万6200円で、これを17年間受け取る(男の平均寿命82歳まで)と3209万9400円となる。さらの専業主婦世帯の場合妻の基礎年金年額79万2000円が加わり、女の平均寿命88歳まで23年間受け取れば1782万円となり世帯合計で32099400+17820000=4991万9400円となる。納めた保険料に対する倍率は2.728倍である。厚生年金は確かに企業にとっては負担であろう。しかし厚生年金に匹敵するような企業年金を独自に運営することは長期リスクを考えれば不可能である。現在の年金制度は国民年金も厚生年金(共済年金)も基本的には加入したほうが得なシステムなのである。

第2章 世代間格差はなぜ生じたか

年金についてはいつも負担と給付の世代間格差が問題になる。2004年制度改正後の(給付/負担)倍率の世代間格差は、1935年生まれの人が8.2倍、1945年生まれの人が4.6倍、1955年生まれの人は3.3倍、1965年生まれ以降は2.5倍となって倍率は低いが世代間格差はなくなる。何故こんな世代間格差が生じたのだろうか。それは小子高齢化のせいではなく、1973年の高度経済成長期の大盤振る舞いのためである。厚生年金の給付の報酬比例部分の掛け率が現在では0.005481 であるが、1973年ではこれを0.010としたためである。しかも保険料率は3.8%で、受給開始は60歳からとした。そして賃金再評価と物価スライド制(この制度は今も継承されている)を導入した。何故こういう大盤振る舞いをしたかというと、年金制度立ち上げ期の当初に年金を受け取る世代数は少なく、現役世代から保険料が湯水のように流入したため極めていい加減な政治的配慮がなされたのであろう。こういった格差が生じる構造上の問題は、日本の年金制度が純粋な賦課方式(ある世代の年金保険料の徴収は、同時代の高齢者に対する年金の支給と関連付けられる。若い人からの徴収額で高齢者の年金額が決まると云う制度)でもなく、積み立て方式(その世代について徴収された元金としての年金保険料とその運用利回りと平均余命の関連付けられる)でもない。現在の制度は、拠出がその時点での給与と保険料率から計算され、支給は現役時代の平均給与から計算される。だから現在の支給と拠出は相互に関係ないのであり、同一世代の過去の給料に関係しているだけである。年金会計のバランスを取る仕組みが制度の中になく、保険料率や給付の掛け率を5年ごとに法律を改正して行うのである。

第3章 格差と負担増をめぐる二つの誤解

1973年の年金スキームが早晩破綻することは分っていたので、国民年金や厚生年金の保険料率は漸次引き上げられた。保険料率が引き上げられるたびに年金制度への不信が強まっていった。年金制度への不信には専門家の中でも二つの誤解があると著者は云う。一つは年金制度が積み立て方式ではなく賦課方式であると云う理解である。もうひとつは小子高齢化が予想以上に進行したからだと云う理解である。まず賦課方式犯人説を検証する。
積み立て方式とは、拠出した保険料を資産運用して積み立ててゆき、高齢になって年金支給に当てるものである。1973年の厚生年金スキームの内部収益率を計算する。先ず拠出保険料は1年ごとに84600×0.076×12=77155円で、加入期間27年の総額は208万3190円である。60歳からうけとる年金額は賃金上昇がなければ62万6900円となりこれを17年間受け取ると1065万7300円となる。208万3190円を17年間で複利で1065万7300円にする運用利回りは7.4%であり到底実現不能な運用である。2%の賃金上昇があったとすると、内部収益率は9%でなければならない。これもありえない運用である。したがって制度を積み立て式で行っても不可能である。

次には小子高齢化が犯人であると云う説を検証する。年金が賦課方式で運営されているため小子高齢化が世代間格差を拡大したと云う説である。これは一般論としては正しいが、1973年スキームの破綻の原因説明にはなっていない。1973年厚生年金スキームでは現役世代が年間7万7155円の保険料(企業負担込み)で高齢者の62万6900円の年金を賄うには8.1人分の保険料が必要である。1973年当時の人口構造(20−60歳/60歳以上)の比率は5.76であった。1973年当時の人口構造では到底養いきれない。これは高齢化人口比の問題ではなく、当時の年金受給者が制度発足間もないので圧倒的に少なかったのである。人口構造ではなく現役拠出者/年金受給者の比が13人であったので、持続不能なでたらめな大判振る舞いができた云うべきである。

第4章 年金会計の基本

年金制度の不安があるのは、これからますます小子高齢化が進み高齢者に支払う年金が増える一方で、その資金となる保険料を拠出する現役世代の数がどんどん減ってゆくと予想されるからである。2002年の人口推計によると、2000年時点で65歳以上の高齢者数は2204万人、20−64歳の現役世代数は7888万人で比率は3.6であるが、2050年には比率は1.4に低下すると云う。これは経済予測みたいに当たらないのではなく、かなりの現実性を持つ。この推測の基礎をなすのが「合計特殊出産率」である。生涯に女性が産む子供の数である。二人であれば現状維持である。2005年の合計特殊出産率は1.25である。この合計特殊出産率の予測には不確実性が伴うが、高位推計で1.62、中位推計で1.37、低位推計で1.10と見込まれている。2007年度より日本の人口は減少段階になった。

2003年度の年金会計を厚生労働省のデータから見ると、旧制度の基礎年金相当分の出し入れを除いた年金会計を示すと
  年金会計総収入              403512億円    年金給付   402823億円    積立金 196兆9000億円
 (内訳)保険料収入(事業主負担含む)  273157億円
     国庫負担金               61195億円
     積立金運用収益            34435億円
     繰越その他収入            54725億円
厚生年金、国民年金、共済年金の三年金構造を示すと
厚生年金  保険料 192425億円 国庫負担 41045億円 運用収益 22884億円 その他収入 40746億円   給付 208140億円
共済年金  保険料 61105億円  国庫負担 5187億円  運用収益 10028億円 その他収入  141億円    給付  61655億円
国民年金  保険料 19627億円 国庫負担 14963億円  運用収益 1523億円 その他収入   30億円    給付  22293億円
  三つの年金にはすべての年金の一階部分である基礎年金勘定への拠出と交付があるので複雑な出し入れである。国庫負担の殆どは基礎年金に対する三分の一の補助である。国民年金と厚生年金は赤字だが、三年金を合わせて辛うじて収支が合っている。

2004年度の年金改正で今後段階的に厚生年金と国民年金の保険料を引き上げ、さらに基礎年金部分への国庫補助を1/3から1/2に引き上げる事になっているが、将来の現役人口比率の低下と云う状況で、積立金の取り崩しを行ってでも年金制度は成り立つのであろうか。2006年から2025年にかけて、現役人口比は3.0から2.0へ下落する。平均人口比は2.5である。2004年厚生省の試算では、2050年以降年当たり5兆円から6兆円の赤字になるが、積立金が330兆円に増えているので、取り崩していっても長期的には年金制度は成立すると云う。この計算の条件は、賃金上昇率2.1%、物価上昇率が1.0%、積立金運用利回りが3.2%と仮定している。賃金上昇率2.1%と仮定して保険料収入が年率2.46%で上昇すると計算している根拠が不明である。給付の伸びは物価上昇率で決まるが厚生省は何故か1.878%と計算している。つまり収入を多めに、支出を少なめに評価している。そこで著者は2005年から2100年まで人口推計の中位推計を採用して,次のような仮定を設けてシュミレーションした。
1)収入についての仮定
*国民年金については2007年度の月額13580円を2017年度の16900円へ引き上げ、厚生年金と共済年金については2005年の13.944%から2017年度の18.3%へ引き上げる。
*厚生年金と共済年金の加入者の平均給与は年間560万円とする。
*高齢者給付人口に対する現役人口の構成比率は2003年度の3.0を固定する。
*納付者数は人口に対して平均55.7%とする
*基礎年金部分に対する国庫補助は2008年までの1/3、2009年度より1/2とする。
*積立金よりの運用収益率は1.75%とする。
2)年金支給の仮定
*受け取り条件は従来通リとし、遺族年金・障害年金などの追加的支給は全体の2割とする
*一人あたりの受給額は年間166万円と計算される。
3)経済成長がない場合の年金収支予測結果
経済成長がなければ、2015年までの収支は黒字であるが、それ以降は赤字となって積立金残高200兆円を食いつぶして2035年には破綻する。という恐ろしい結果が待ち受けているのである。

第5章 年金の収支バランスを維持するには

経済成長があれば平均賃金(名目賃金)が上がり保険料納付額も上昇する。労働力人口は2050年には4984万人と36%も減少する。賃金が上がっても労働力人口が減れば納付額の伸びも下がるのである。給付は「賃金再評価制度」によって上昇する。受給開始時までの平均賃金上昇に合わせて再評価する。それを過去の平均給与とするのである。大企業や官公庁の恵まれたサラリーマンだった人の年金が年400万円近くなるのはこの賃金再評価制度のお陰である。さらに3年に一回物価上昇に伴う給付金の見直しを行う。これを「物価スライド制」という。と云うことで経済成長があってもこの二つの制度のために年金保険料収入の増加は給付の増加によってキャンセルされるのである。計算結果は、経済成長率を2.1%とすると年金収支が赤字になる年は2033年で、積立金を食いつぶす年は2052年である。経済成長率が3.1%なら赤い字なるのが2042年で、積立金がなくなるのは2068年である。賃金上昇率が2−3%では年金収支はいずれ赤字に転落する。

2004年度の年金改正には、経済成長による収入の伸びは確保しながら,年金支給額を抑制する「マクロ経済スライド調整率」と云う仕掛けが導入された。部隊的には年金被保険者の数による調整を0.6%、平均余命の伸びの調整を0.3%、計0.9%を「賃金再評価上昇率」および「物価スライド上昇率」から差し引いて適用すると云う年金支給抑制策である。この「マクロ経済スライド調整率」と云う制度は2004年から2023年まで適用される。厚生労働省が想定している、賃金上昇率2.1%、調整率ー0.9%の著者のシュミレーション結果では2035年度に赤字に転落する事は先に示した通りである。では赤字に転落しないためには、賃金上昇率を2.1%として、「マクロ経済スライド調整率」を賃金についてー1%、物価についてー0.9%としなければならない。微妙な調整率の違いであるが、それでも景気の動向によって大きく左右されるのが年金制度の「弁慶の泣き所」である。年金保険料率や支給掛け率は法律によって四年ごとに見直すが、「マクロ経済スライド調整率」は法律に定めないで政府の裁量と云う舵取りに任せるのである。あたり前のことであるが、年金収支バランス維持の条件とは、(成人人口数)×(成人一人の平均拠出額)>(受給高齢者人口数)×(平均年金受給額)である。この関係が逆転しないためには「入るを図って出るを制する」ことに尽きる。しかし拠出保険料を余り高くしたり、年金支給額を余り抑制したのでは制度のありがたみがなくなって制度が見捨てられることになる。

第6章 相対的年金水準とは何か

ということで、年金制度を維持するためには、ある程度の経済成長に期待するとともに、「マクロ経済スライド調整率」を活用して賃金上昇による年金支給水準の上昇を大幅に抑制する政策が必要だということになる。そして年金制度の根本的矛盾は、保険料を拠出する時と年金を受給する時が世代的にずれていることである。ここに「世代間格差」と云う問題は避けて通れない。過去の拠出額を現在の受給額と比較する事は余り意味がない。そこで持ち出されるのが「相対的年金水準」という指標である。現役世代の平均給与に較べて年金受給額をどの水準に置くかと云うことで、2004年改正の年金支給水準は現役世代の可処分所得の50%を維持するように、保険料率と基礎年金額や支給金収入相当分掛け率が設定される。「相対的年金水準」は(平均年金受給額)÷(現役平均給与)である。ここで高齢者年金受給額は(現役の拠出年金保険料率)×(現役の平均給与)×(成人人口比率)であるので、「相対的年金水準」=(現役の拠出年金保険料率)×(成人人口比率)となる。つまり「相対的年金水準」は成人人口比率と保険料率で自動的に決まるのである。2017年度以降の保険料率は18.3%なので人口比率3とみれば「相対的年金水準」は54%となる。経済成長率2.1%の2004年の厚生省スキームでは可処分所得を500万円として専業主婦世帯で「相対的年金水準」は50%とみた。著者のシュミレーションでは「マクロ経済スライド調整率」を入れても37%である。経済変動や人口比率は政府の責任でどうこうできるわけでないので、将来に対しては年金制度収支の予測変動幅は大きいといわざるをえない。いくらでも都合のいいパラメータをいじくる事ができるわけである。

「相対的年金水準」=(現役の拠出年金保険料率)×(成人人口比率)であるので、若し50%の「相対的年金水準」を維持するには(成人人口比率)が3では保険料率は11.4%、(成人人口比率)が2では保険料率は16%、(成人人口比率)が1.5では保険料率は20%と設定しなければならない。したがって日本の現状では35−40%が適当ではないだろうかというが著者の見解である。

第7章 未納は本当に問題なのか

現在の国民年金制度は法律では国民皆保険制度で強制加入で、保険料未納の場合は罰則まである。今国民年金の未納率は36%(2003年)にものぼる。2006年度には未納率を下げるため分母の加入者数を減らす所謂「不正免除」なることが社保庁で行ったことが明るみにされて社会問題になった。国民年金の未納問題は、1986年の改正で基礎年金(15兆2174億円)を三年金で共通化したため、国民年金自体の収支状況は特に問題とならない。なぜなら2003年度の未納額1兆978億円は基礎年金全体の10%であり、年金保険料収入全体の4%、国庫負担を含む年金収入総額(42兆3512億円)の2.6%にすぎないからである。といっても基礎年金が減少する対策としては保険料の増額と国庫負担の増加が図られる。結論から言えば未納があろうがなかろうが年金の存続には関係がないと云うことである。皮肉な話だが納入者が増えると将来の給付金が増えることになり、かえって収支は悪化する。

将来の無年金者老人と云う問題は別途考えるべき問題である。未納者の割合は25歳から60歳までの人口の14%である。同じ人がずっと納入しなければ14%の人が無年金労人になるが、将来の老人人口が3000万人とすると無年金者は420万人となる。一時的に未納であれば14%少ない加入期間になると云うことである。この人たちを生活保護で救済すると、月額151000円の生活保護費を支払うと無年金者420万人に合計6兆3000万円を支払うことである。この膨大な社会的費用を考えれば、国としてはやはり年金に加入してほしいのである。生活保護(年180万円)よりも少ない国民年金(年79万円)と云う現実は皮相ではあるが。これは財産形成があっての年金支給と云う前提と、高齢化して生活費用は少なくなると云う前提があるから、直接の比較にはならない。

第8章 基礎年金の消費税化を検討する

かって細川内閣で基礎年金の税方式を言い出したら内閣が潰れた。民主党は年金の一元化と基礎年金の税方式を主張している。その利点といわれる 1)未納問題を解決 2)年金会計を安定化 3)世代間格差を是正 4)保険料負担を軽減 5)徴収・管理コスト軽減などを挙げている。しかし著者の論点は消費税化のメリットは幻想だと云うことである。「消費税化」というのは基礎年金部分の徴収を全廃して、基礎年金支給を全て消費税から賄うと云う方式である。それに対して「税支援拡大化」と云うのは,保険料の徴収を基本的には残しながら、支給に足りない分を消費税などの税収入でカバーすると云うものである。重要な事は保険料の支払い(拠出)と年金受給額(給付)が関係付けられるかどうかということである。財源安定化のためなら消費税化でなくても税支援拡大策で十分である。未納の問題なら今の年金制度は未納には給付はないので無関係である。今の年金は加入者のリスク救済制度であって、生活保護とは次元が違う。世代間格差の問題は消費税化でも変わらない。現役世代の消費税が年金資金になり、高齢世代の消費税も年金資金になる。その合計の資金が高齢者の基礎年金となる。高齢者の消費税は又自分の年金になるのだから、現役世代の消費税が高齢者の生活費になることになんら変わりはない。基礎年金の消費税化で喜ぶのは財界や企業である。企業負担がなくなって減税と同じ効果をもたらす。基礎年金の構造を見ると、約10兆円の基礎年金保険料収入の内訳は共済年金1.33兆円、国民年金2.08兆円、被雇用者負担3.38兆円、企業負担3.38兆円となっている。これを全部消費税化するとして必要な消費税率は約4%で9.51兆円、国庫から0.66兆円が加わる。消費税は従来の5%に上乗せされて9%になる。結局消費税化で得をするのは企業だけとなって、負担が増えるのは働く人と高齢者である。可処分所得が多い現役世代の負担は凄まじい。消費税化は政治家・官僚を気楽にさせて企業を優遇し、そのしわ寄せで給与所得者と高齢者を苦しめるとんでもない仕組みである。

第9章 年金の一元化とは何か

現行年金制度の数は極めて多岐に渡っている。これは年金制度が確立する過程で、先行して存在する企業や組織固有の年金制度を組み入れていったからである。このような制度の複雑さでいつも問題になるのは公平性である。すなわち「同一拠出には同一給付」と云う原則が守られているかどうかである。共済年金が潤沢なのは国庫補助で優遇されているからである。共済年金は自立していたいだろう。厚生年金と国民年金には越え難い溝がある。厚生年金は収入把握を前提とした収入比例の納付制度である。これらを全て厚生年金に統合すると云うのが「年金の一元化」というなら、とても大変な事業といわなければならない。まだ案も出ているわけではないので、まともな議論は出来ない。

第10章 税方式あるいは積立方式への転換論について

年金制度への不安や疑いが依然として払拭されていないので、問題の根源は保険制度や賦課方式といおう基本構造にあると考える識者が多い。現行の保険方式から、完全な税方式への転換や積立方式が主張されたり、民営化論まで飛び出す始末である。第8章で論じたように完全消費税化は問題が多い。著者は橘木俊詔著「消費税15%による年金改革」を取り上げて論駁している。詳細は省くが、橘木の描く将来は15%の消費税で2025年に65歳以上の高齢者に(夫婦世帯)月17万円の年金を一律支給するというものだ。厚生年金受給者にとっては現行よりかなり低い支給レベルである。反対に取られる消費税15%は可処分所得を500万円とすると年75万円である。現行厚生年金保険料率は2017年度18%になると年90万円となる。それに対して給付金の落差が350万円ー200万円=150万も下がることになる。どうみても消費税化は現行より年金水準が落ちるので納得できない。これによって達成できる企業の減税効果は年金を理由にすることが欺瞞である。

保険方式としての「税支援拡大化」と云うのは,保険料の徴収を基本的には残しながら、支給に足りない分を消費税などの税収入でカバーすると云うものである。重要な事は保険料の支払い(拠出)と年金受給額(給付)が関係付けられるかどうかということである。財源安定化のためなら消費税化でなくても税支援拡大策で十分である。現行制度でも2009年度より基礎年金の財源の半分は税金となる。これを一部消費税で補うとしても、それは「税方式」ではなくあくまで「保険方式としての税支援拡大化」である。超高齢化社会は中位推計で、65歳以上の高齢者に対する20−64歳の現役世代人口比は2040年で1.38、2060年で1.08となるらしい。2080年頃には殆ど1対1となる。したがって年金財政バランスの条件では、この人口比から来る収支では現役世代の保険料拠出金の3.21倍の収入が必要になる。国庫負担を増やすしか手はない。

「積立方式」や「民営化」と云うのは、世代間の助け合いとか難しいことは考えないで、老後の生活はその世代間、個人の責任にしてしまえと云う乱暴な議論、国家の放棄に近い考えである。生産年齢(現役)人口の変化率をαとし、平均賃金上昇率をβとすると、その積α・βが運用利子率より高くなる事が賦課方式と積立方式の分岐点の原則である。α・βとは名目GDP成長率であるので、これが運用利率を下回るようでは賦課方式より個人の積立方式のほうが望ましい。GDPと利率は相互に関係しているので、簡単には論じられない。年金制度はまさに経済成長がなければ即顛倒する自転車操業みたいなものである。舵取りが難しいのである。民営化にいたってはこんな超長期リスクに耐えられる商品は設計できないだろう。そもそも保健とはリスクを広く薄く分かち合う協働の仕組みであり、個人の支出が後になって受け取る報酬に反映されなければインセンティヴは働かない。また超長期だということは、その原資は全く異なる世代の負担になると云うことである。この仕組みの円滑な運営を国家が引き受けるのが公的年金である。


随筆・雑感・書評に戻る  ホームに戻る
inserted by FC2 system