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養老孟司著 「養老訓」

 新潮社(2007年11月)

養老先生が説く老いの快適な生活

江戸時代の本草学者、儒学者で福岡藩士 貝原 益軒(1630年 - 1714年)の「養生訓」をもじって、養老先生は自分の名前をつけて「養老訓」と云う本を書いた。言葉通りにいえば「老いをいつくしんで生きる指針」ということだが、別の意味は「養老先生の垂れる人生訓」と云うことでもある。養老孟司氏は1937年生まれであるから今年70歳である。十分老人の域におられる。氏は「もう年を取ったのでなにか言っておきたいことは言っておこう」と考えたそうです。養老先生は云うまでもなく解剖学一筋の変人である。東大教授、北里大学教授であったが恐らく現在は無職の自由人であろう。私は養老孟司先生の本の愛読者である。今まで読んだ本は下に示す。
養老孟司・玄侑宗久対談  「脳と魂」 筑摩書房
養老孟司著 「死の壁」 新潮新書
養老孟司著 「いちばん大事なことー養老教授の環境論」  秀英社新書
養老孟司著 「無思想の発見」 ちくま新書
養老孟司著 「脳の見方」、「からだの見方」  ちくま学芸文庫
養老孟司著 「カミとヒトの解剖学」   ちくま学芸文庫
養老孟司著 「唯脳論」  ちくま学芸文庫
養老孟司著 「バカの壁」 新潮新書
脳科学の関連で読んできたわけであるが、「言語も宗教も文明も脳が生み出した産物」ということである。今回の書「養老訓」は気楽な自由人の人生訓の話である。今スローライフと云う言葉がはやっていますが、現役の生活者がなかなかできる物ではありません。その点年寄りは拘束が少ないですから、余生はストレスの少ないスローライフでやっていけばいいようです。その際に年寄りが心がけることを示したのが「養老訓」です。本書は9の訓を述べています。とりわけテーマ別と云うことでもなく、色々な事柄につけて老人の訓が気楽に聞けて面白い。内容を別に紹介するほどのことでもないと思うが、気に入った含蓄のある言葉を紹介してゆきたい。

第一訓 「不機嫌な年寄りにならない」

男の老人はいつも不機嫌です。おばさんはよく笑います。年寄りはもはや社会的評価や競争からははずされています。何をやってもいいのだが、やはり何かを残すように考えると楽しくなってくるじゃないですか。何で不機嫌なのですか。はずされて喜べばいい。

第二訓 「感覚的に生きる」

若いときは言語的・思考的・概念的に生きてきた人も、老人になればその束縛から放たれ感覚的に生きよう。テレビの画面もひとつの見方に過ぎません。幸せな老後は定義は出来ませんが、感受性が大事です。

第三訓 「夫婦は向かい合わないほうがいい」

夫婦二人きりで過すと直ぐに喧嘩になります。夫婦は適当に離れてすごし、睨み合いを避けるべきです。「バカの壁」にも書いたように二人の間の認識には埋められない深い溝が横たわっています。親しい人と会話する時は直角の位置に座ることです。

第四訓 「面白がって生きる」

本ばかりを読まないで、頭の中の固定化された概念から離れて、山地を感覚的に歩くことです。すると色々なことが見えてきます。人との関係でも、風景でも新しい視点が蘇ってくるのです。すると俄然世の中が面白く見えてきます。1日10分でもいいから外の物を見ましょう。考えるな体を使え。

第五訓 「何でもやる」

経済界の業績主義・能力主義の考えでは「仕事は自分のために」でいいとされてきたが、仕事は世の中から与えられたものです。社会の為に働くことが仕事で、厭なこと、金にならぬこともしなければならないのです。しかし自分のために働くことと社会のために働くことを二つ持てばバランスのいい人生になります。年寄りにもまだまだやれることはあります。地域、教育、ボランティアなんでもやればいい。

第六訓 「こんなことをしたらだめ」

人を責める口うるさい老人になったらだめです。自分の思い通りには世間は動きません。「仕方がない」で片付けましょう。頭が考えることと生身の人間は違います。年寄りは分ったような顔をしないで、一日に一度は感動して生きるのが楽しい生き方です。年寄りは団体行動は避けましょう。

第七訓 「年寄りが生きるのに金はいらない」

リスクに万全な社会はコストが高くつきます。飛行機が落ちたら運が悪かったで済ましましょう。年金よりは長生きすることがとくです。お金を稼ぐのには教養はいらないけれど、お金を使うには教養が要る。年寄りは持っている金を有意義に使えばいい。日常が無事に過せれば、実はお金は要らない。お金よりは健康です。年寄りは田舎で暮らそう、僻地ではなくそこそこの田舎で安らかに土をいじくって体を動かそう。

第八訓 「決まりごとに束縛されない」

国も会社も役所も法律もみんな「約束事」に過ぎない。何時かころっと変わるものです。法が変わらなくとも、実情に合わせて生きるすべはいくらでもあります。日本人は憲法と自衛隊のようにダブルスタンダードでやりくりが得意です。不信はコストが高いが、信用は安心して生きられる。

第九訓 「人生は死ぬことです」

人は毎日睡眠と云う意識の不連続点を持っている。毎日死んでるようなもので、記憶が連続性を維持しているのです。呆けはこの記憶連続性をも失くしてしまう。死は記憶が戻らないことです。「人生50を過ぎたら禍福なし」と云うことで、余命を期待しないのが爽やかな生き方につながります。平家物語の「見るべきほどのことをば見つ」と思えば未練はありません。老人は笑って生きましょう。


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