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新藤宗幸著 「技術官僚」

 岩波新書(2002年3月発行)

技術の衣をかぶった技術官僚の独善的事業継続と業界行政が日本官僚制度の病理である

著者新藤宗幸氏は専修大学、立教大学、千葉大学で行政学を教え研究された。日本の行政はいったいどこまで、市民の生命や安全や生活に無関心なのだろうか。怒りとも諦めともつかない感情が社会に蔓延している。1983年非加熱血液製剤によるHIV感染問題での厚生省の対応、、2001年狂牛病問題での農水省の対応、そして国家財政破綻の近い状態まで債務を背負った道路建設や農水事業などの公共事業がまだその建設を辞められない事態には、解決に向わない政冶に多くの責任があるが、行政の病根も言うべき日本の官僚制の弊害が克服されないままにある。なかでも行政で事業を遂行するのは技術系の大学を卒業した職員である。彼らが技術官僚(テクノクラート)である。国家公務員試験T種合格者のうち、事務系が169人に対して、技術系は417人(2001年)であった。国土交通省、農水省、厚生労働省といった特定の化学技術に依存する度合いの大きい官庁では、技術官僚集団の存在は無視できない。

本書の結論から言うと、「技術官僚王国論」ということばあるが、技術職といっても彼らは高度の科学技術的専門性をそなえたプロフェッショナルではなく、殆どの業務は外部委託をする技術の衣をかぶった行政官にすぎない。だからこそ彼らは事務官が口を挟むことを排除しつつの既存の事業の継続に固執し、業界行政に走っているのである。事務官達も技術官僚との共生関係を維持することで膨大な予算の執行とファミリー企業の繁栄によって自らのキャリアパスを安定させるとともに、省益の確保を追及しているのである。そういう意味からして日本の行政を改革するには技術官僚をどうこうというよりも、官僚制度そのものの病理現象の改革を行う必要がある。

本書は著者新藤宗幸氏が行政学を専門とする大学教授であることからして、日本官僚制に焦点があてられる。そのためかメディアとかジャーナリストなどが書く行政の弊害論よりは論点も少なく、攻撃的ではない。とくに業界企業や族議員政治家の利益からみた官政業の三位一体論よりは迫力に欠ける。市民にとって官僚とは鼻持ちならぬ為政者で腐敗したエゴイストというイメージである。そういう彼らが膨大な官僚機構を背景にバカな政治家を操って行政をほしいままに専行し、市民の感情にはお構いなしに独善的な無過失神話でずさんな仕事をし、結果には一切責任を持たないという構図が2007年度の年金不明問題であると理解しているのである。誰が見ても官僚の最大の病根は生涯同じ省で仕事をすることである。悪いことばかり考案するのはそのためである。米国のように省の管理職は政権が変わるたびに、外部から任用すればずっと風通しのよい組織と機能性が出来るはずだ。官僚の仕事に素人を驚かすようなすごい専門性があるわけではない。やたら複雑化して驚かすだけの効率の悪い組織である。官僚組織に風穴をあけ、他の省にも移動させ経験をつませることだ。企業でも金を扱う部門は頻繁に移動させる。悪いことを考えさせないためである。そうすれば省益という概念もなくなり、国全体のことを考えるようになるはずだ。現在の様な閉鎖的な省単位の組織に生涯いること事態が腐敗の原因で、小人閑居して不善をなす由縁である。激しく役人を移動させよ。すれば前任者の不正や愚かさに対して批判の視点が育成される。

日本の官僚制と技術官僚

で日本の中央省庁は一府十一省一委員会であり、内閣官房の中に内閣府が設置された。各省と内閣府には複数の副大臣がおかれ大臣、副大臣と大臣政務官は省庁における政権チームとして官僚機構へのリーダシップが期待された。「所轄の原則」は「主任の大臣」が行政機関の事務分担管理を定め、首相といえど省の事務事業を直接指揮することはできない。これは首相の指導体制の確立にとって法制上の重大な欠陥である。大臣は抵抗しても事務から無視されたり情報遮断されるので、直ぐに省の事務官僚に取り込まれ丸め込まれるのを常とした。要するに首相を初め大臣さえ省の事務官僚の団結の前には無力なのである。行政組織法と行政作用法によって日本の行政組織は権限の限りない増殖を生み出すメカニズムを備えている。あいまって行政組織ごとの任務と責任が明記されていないため誰が責任者であるか特定できない構造になっており、日本の行政が「無責任の体系」と呼ばれる所以の一つである。キャリアー組の幹部は官庁の意思決定に深く関与しているが、膨大な業務の実行はノンキャリアー組職員によって担われている。こうして首相と内閣による統治の弱体さにはじまる行政機構の特性と、官庁間の割拠制が強まって、行政の改革なき権限の増殖が生み出される。これが日本の官僚制の最大の構造的特質なのである。日本の行政研究は、されまで官庁における意思決定過程の研究が主要なテーマで、かつそれは法制官僚(事務官)を対象としてきた。キャリア官僚(事務官)は複数の局を移動しつうゼネラリストとして養成されるのにたいして、キャリア技術官僚の多くは最初の配属された局に生涯勤務する。一般に日本の行政組織では法制官僚が重用されてきた。この国の近代化はなによりも法制度の整備から始まったからである。たとえば農水省では多数の技術職員がいるが、彼らが官房長や局長職に就くことはない。これを「ガラスの天井」と呼ぶ。国土交通省では事務次官は建設系と運輸系が交代で事務次官を出すが、運輸系は事務官を、建設系は事務系と技術系が交代である。したがって技術系から事務次官が出るのは3年に一回程度でしかも任期は事務系が2年、技術系は一年である。しかし技術官僚は巨大な公共事業や専門技術性が高い行政分野で事務官を排除して仕事を進める。しかも一人で法を作るのではないから、官庁外の専門家集団のネットワークに身をおいて仕事を進めるということがいわゆる「技官王国」といわれる所以である。

日本の官僚制を歴史的振り返ってみることも意義がある。明治政府の行政機構整備は1885年の内閣制度の発足によって定着を見る。1887年には文官試験制度が定められ官吏登用の道が決まった。1889年には明治欽定憲法が制定され、1890年には地方団体法が定められ地方行政機関が位置つけらられた。1886年帝国大学令によって文官採用システムは裏つけられた。官僚機構の初期は法整備が最大の課題であったため、技官は冷遇されいたようだ。1917年大正期には「技術者水平運動」が展開され、工政会、林政会、農政会などに結集した技術官僚は事務官と技官の区別の廃止を訴えたが認められなかった。1931年満州国の建設に治水や電気事業の技術官が動員され、戦時体制のもとで事務官と技官は協力して総動員体制を官僚が指導した。戦後1947年に国家公務員法が制定され、官僚は天皇の臣から「公僕」という位置づけがなされ、建設省でははじめて技術官僚から事務次官が生まれた。以降建設省では人事慣行として事務次官には事務官と技官が交代することになった。河川局や道路局長は技官の独占となった。こうして高度経済成長と科学技術の著しい進展は、技術官僚の指導できることではなくなり、技術官僚は技術の衣をまとった行政官に過ぎなくなった。事業と業務の制度つくりと慣行の維持をおこなう官僚である。技術官僚の強い結束と排他的性格は事業と計画の固定化をもたらし、行政責任の欠如を露にした、まさに日本の官僚機構の閉塞状態を生んだといわなければならない。

何故公共事業は止まらないのかー土木技術官僚

私はこのホームページの書評で猪瀬直樹著 「 道路の決着」、猪瀬直樹著 「 道路の権力」、五十嵐敬喜・小川明雄編著  「公共事業は止まるか」、五十嵐敬喜・小川明雄著  「公共事業をどうするか」、村尾信尚著 「行政を変える」などの書を紹介してきた。そこで道路公団の民営化など公共事業の問題は十分に論じられているので参考にして欲しい。本書では「何故公共事業は止まらないのか」という題で簡単に公共事業の現状をふりかってみよう。

中央政府一般会計の公共事業費に占める道路建設事業費の割合は約24%である。ついで住宅環境整備が15.8%、上下水道・廃棄物処理施設15.8%、治山・治水が13.7%、農業農村整備10%、森林・水産基盤整備4.1%、港湾・空港・鉄道が6.4%である。つまり国土交通省関係が約80%、農水省関係が約15%を占めている。日本の国内総生産GDPの6%が公共事業に費やされている(欧州では2%)。
ここで道路特定財源のおさらいをしておこう。2001年時点では、自動車重量税は1兆円以上であった。そのうち7割が国へ3割が地方へ配分される。国では更にその8割が道路特定財源に入る。金額にすれば6000億円である。自動車取得税4800億円、自動車税1兆2000億円、軽自動車税1300億円と以上車体にかkル税金の小計は4兆2000億円、揮発油税2兆8000億円、軽油税1兆2000億円、石油ガス税300億円、消費税3600億円、以上走行燃料課税小計は4兆3600億円、車体と走行合わせて税収入は9兆円になる。目的税は道路整備特別会計へ回り、地方税も道路事業に回る。こうして道路特定財源は5兆8000億円となる。
ここで四道路公団の会計をざっとまとめておこう。日本道路公団の年間収入は2兆円強、借金は27兆円。首都高速道路公団の年間収入は2600億円、借金は5兆円。阪神高速道路公団の年間収入は2000億円、借金は4兆円。これでは首都高速と阪神高速の債務を返済することは不可能で自立のめどは立たない。しかし四公団の年間収入合計は2兆6000億円、借金総額は40兆円である。
道路とは何か。道路とは資源配分の象徴であり族議員の集票装置なのである。また全国の知事にとって、道路公団の建設は地方自治体の負担ゼロで行われる建設工事というプレゼントであり全員の知事が熱烈に乞い求めるものであった。そしてこの構造が日本の政治を歪め、国家財政を危機に瀕するところまで追いやって政治家は誰も省みる事がなかった。
現在、各種の公共事業に関連する長期計画は16本ある。これら16本の長期計画はすべて閣議決定のみで決定されている。国会の審議はないのである。ここに官僚のやりたい放題の計画が殆ど議論なしに承認されるのである。閣議に実態はよくご存知のように、官僚の書いた計画を全く形式的に承認しサインするだけの御前会議である。政治家の無責任もはなはだしい。しかし閣議決定されれば毎年の予算請求では金科玉条の根拠となり、道路局官僚の裁量による事業の拡張が続くのである。長期計画に織り込まれる事業量は初めから実現可能値ではなく、最大の期待値(架空値)である。そして毎年右上がりの予算が請求される。道路族といわれる実力者には、古賀誠氏、亀井静香氏(江藤隆美氏)、野中広務氏(鈴木宗男氏)、橋本竜太郎氏という大物が控え頑強な鉄のスクラムを組んでいた。これスクラムを崩すのは容易なことではない。国交省が道路公団を使って道路を建設できるのは潤沢な道路特定財源があるからである。国交省の道路整備特別会計は財務省の一般会計とは別で完全な聖域である。政冶ー官僚ー業界の三位一体構造(鉄のスクラム)が作られている。これが戦後の「土建王国日本」の政冶55体制の裏付けでもあった。

旧建設省の人事では建設技監を頂点とする技官が大臣官房人事課などを支配する事務官僚から独立した領域を形成した。技官は道路局、河川局など入省した段階で決められたコースを退職まで歩むことになる。技術技官集団は、事業技術分野で仕切られた「縦一系列」で中央から地方まで事業分野ごとに一系列の利益共有集団がつくられ、これが意思決定の基本単位である。長期計画といっても極めてアバウトな計画である。これらの計画は審議会に諮問されるが、同省の事務官僚が口を挟んだり質問することはない。一括審議による了承が基本である。これが官僚が好んで使う「粛々と進める」ということである。公共事業の計画には三つのレベルがある。一つはルーティン化された予算要求では次年度予算御概要要求案が作成される。査定権限を握っているのは局の総務課である。総務課長は事務官であるが、技官筆頭課長補佐が決定を左右する。こうしてルーティン化した公共事業は予算概算要求段階から実行段階にいたるまでまさに技官任せであり事務官の介入の余地はない。第二に新規重点事業案の作成は、各局では課長補佐がアイデアをまとめ、局全体の課長補佐会議にかけられる。そこで大臣官房は省としてのキーワードに合致するテーマを選択するのである。新規事業とは、自治体や住民の要望を先取りしたもの、他省との対抗案(たとえば国交省の下水道整備、農水省の農村集落排水事業、厚生労働省の家庭合併排水処理浄化槽が対抗する)、より高度の技術開発を伴うものである。第三に大規模プロジェクトの作成は、たとえば木曽川水系工事実施基本計画から「長良川河口堰事業」が飛び出した。事業計画は実に長期にわたるもので、基礎的調査では工事を大規模にするために常に都合のいいありえない数量値が採用され問題となる。基本計画原案作成そのものがシンクタンクへ外部委託され、環境評価も外部委託される。このように工事が巨大化すれば仕事は技術官僚の手を離れ、設計業務も委託され、委員会も専門家を集めて組織する。このように技術官僚は技術専門官僚というよりは、行政官としてのコントロールと進捗状況監視に成り下がるのである。霞ヶ関周辺にはコンサルタント業者、設計会社、業界の協会法人、学者、公益法人がひしめいていて、計画・見積もり・評価・設計などの仕事を受注するいわばファミリー企業をつかって官僚はプロジェクトを計画するのである。技官はいわばコーディネータの役割である。こうして事業計画作成段階から培われた技術コミュニティーは事業実施段階となると癒着といっていい官業関係を作る。そこでは受注企業への官僚の天下りがある。たとえば農水省関東農政局(1992年)の発注事業では工事費総額の93%を天下り先企業が受注している。祇樹幹量のゼネコンや設計会社、コンサルタント会社への天下りは当然のように行われる。事務官僚の建設関連企業への天下りも多い。キャリアー官僚は道路公団など特殊法人には天下り役員のほうが生え抜きよりも多い。殆ど官僚の第二の職場である。そして特殊法人道路公団には自ら作った事業体(ファミリー企業)を多く抱えていて天下り族には第三の職場を持っている。こうしてキャリア官僚は天下り先を転々として数億円の収入を得るのである。だから官僚は辞められない。無理してでも東大に入って官僚になるべきである。これが官僚の人事政策であり、生涯甘い汁を吸える仕組みを作るのが官僚としての仕事が出来る男と評価される。その甘い汁の財源は国費である。1998年で公益法人は2万7137あるが、国所管法人は7383法人、建設省関係は341法人である。日本道路公団の管理費用4000億円のうち3000億円は全てファミリー企業へ落ちる仕組みである。過去三年間のファミリー企業への公団職員の天下り数を調査したところ、03年度だけで57人もいた。

なぜHIV薬害事件は起きたのかー医系技術官僚

先進国の中で日本ほど大規模な薬害を繰り返した国もない。1960年初頭の「サリドマイド」事件では四肢奇形の原因を睡眠薬、胃腸薬であった「サリドマイド」を1962年に販売禁止にするまでに多くの犠牲者を生んだ。次に世界最大の薬害「スモン病」事件が起きた。チバガイギーが製造するキノホルムを主成分とするアメーバー赤痢治療薬が原因であった。1960年アメリカのFDAはキノホルムは脳脊髄炎症を引き起こすので店頭販売を止めるようという警告を出した。ところが厚生省や武田製薬はこれを無視して使用を止めなかった。実に1974年になって厚生省は病気の原因とする確定的結論を出した。このほかにもクロロキンによる網膜症、予防接種MMR、脳硬膜移植によるヤコブ病など薬害事件は後を絶たない。なかでも厚生省が適切な対策を迅速に打たずに薬害を広げてしまったHIV薬害事件派あまりに悲惨である。

非加熱血液凝固剤が日本で製造承認されたのは1977年であった。アメリカの売血制度の支えられた血液製剤は肝炎ウイルスの危険性は知られていたもののエイズ汚染に事実が報告されたのは、アメリカのCDCが1981年にエイズの原因かもしれないという警告を出したのが始まりである。日本では村上省三がCDCの研究を知って、後輩であった厚生省の生物製剤課長の郡司氏に論文のコピーと手紙を書いたのが1983年2月であった。そこで郡司氏は1983年6月に厚生省エイズ研究班(安部英帝京大教授が班長)を設置し、血友病治療薬非加熱血液製剤のHIV問題研究調査研究が始まった。郡司氏は1983年7月日本赤十字に国内新鮮血液によるクリオ製剤を打診した。安部はクリオ製剤の使い勝手が悪いと反対した。同時に郡司氏は加熱血液凝固剤の輸入を超法規的に計画したが薬事法に違反するとして撤回した。1983年11月に国内製薬会社に製造依頼を加速して84年半ばに申請が可能とした。郡司氏のあとを引き継いだのが村松明仁氏(1984年7月〜1986年6月)である。1984年11月村松氏は鳥取大学から国内血友病患者にHIV感染者がいるとの報告を受けた。1984年夏には郡司氏の依頼で日本赤十字が開発したクリオ製剤が供給可能になったが、、村松氏は使い勝手が悪いという理由で承認を放置した。1985年1月に厚生省エイズ分科会で鳥取大学の栗村教授は帝京大学病院の患者にHIV感染者がいることを報告した。1985年3月安部氏が帝京大学の患者血液を米国でHIV検査した結果、23名がHIV陽性で、2名は既に死亡を確認した。1985年7月加熱血液凝固製剤は製造承認を受けた。しかし非加熱製剤の処分について厚生省は議論をせず、製造禁止・回収・使用禁止に通達は出されなかった。そして厚生省は1987年3月まで市場からの非加熱製剤の回収状況は調査しなかった。その間非加熱製剤は使われ続け、500名の患者がエイズで死亡し、今も1000名からの患者がエイズを発病している。にもかかわらず厚生省生物製剤課は1996年菅直人厚生大臣が文書提出命令を出すまでは、一貫してHIV関連調査研究はしてないと嘘をつき続けた。

厚生省の事務次官は事務官が就くことになっており、多くの局のうち医系技官が局長を勤めるのは医療・保健・公衆衛生の三ポストである。問題の生物製剤課は薬務局にあり、生物製剤及び抗菌性製剤(抗生物質)の生産指導監督・製造輸入の許可承認・基準及び検査検定・輸出検査法・配給を主な業務とした。厚生省の医系技官の大半は公衆衛生の専門家であり、所謂臨床医や基礎医学の専門家はいない。エイズ班長の安部氏は血友病の大家であったが、エイズには素人であったことが感度の悪い原因であった。エイズ研究班の人選も血友病研究者ばかりで、安部氏の意向がにじみ出ている。薬事法と薬事行政は一般的にいって不正医薬品の取り締まりに力点が置かれていた。実態として薬事行政は業界行政である。薬務局長は事務官であり医系技官の指示能力はなかった。そして薬務局長の天下り先は製薬会社である。非加熱製剤に対する断固たる迅速な処置をしなかったのは、在庫を抱えた業界への配慮といわれても致し方ない。こうし2001年9月東京地裁は松村元生物製剤課長を業務上過失致死罪で禁固一年、執行猶予2年の有罪判決をした。安部被告は途中で病気(痴呆症による裁判維持困難)で免除された。この判決はたしかに行政官の不作為に刑事罰を科すという点で画期的であるが、行政組織の構造と行政官の責任については追求が不十分であった。HIV薬害事件はたえず責任を分散させる行政組織の構造そのものに問題があるのである。日本の行政組織はポジションごとの職務権限と責任が全く不明である。

行政組織の改革

行政組織法制の改革は今猶難航している。小泉首相は163の特殊法人と認可法人を所轄する各省に2001年8月末までに改革案を出すように指示したが、各大臣はすっかり官僚に取り込まれており改革案はゼロ回答であった。小泉改革の骨子は@道路公団民営化A政府系金融機関八法人の組織変更B都市基盤整備公団・地域振興公団・住宅金融公庫は廃止C163の特殊法人と認可法人の多くを独立行政法に改組するというものであった。6月22日小泉首相は閣僚会議で特殊法人に投入されている補助金5兆3000億円のうち2割削減(1兆円)を打ち出した。個別事業の見直し原案は行革推進事務局(官僚)の主導権で流れる様子であった。各省は8月10日見直しに対してゼロ回答を行い小泉首相に抵抗した。9月3日には2回目の見直し要請に対してまたも各省はゼロ回答を繰り返し抵抗を強めた。前小泉首相は郵政民営化と公団民営化をセットで遂行した。郵政民営化と道路公団民営化は入り口と出口の関係で、郵便貯金や簡保の金を使った財政投融資で、道路公団は無制限の道路建設を続け40兆円の借金を背負うまでになった。両方を民営化しないと政府の財政危機は救えないと小泉首相は考えた。郵政民営化は竹中平蔵氏、公団民営化は猪瀬直樹氏に白羽の矢が立った。

本書で注目すべき行政組織法制の改革は幹部職員の政治的任用であろう。これは米国の例を採用しようとするものである。現在は事務次官会議が閣議案件を調整しており、ここでの合意がなければ閣議にかけられることはない。つまり日本の議院内閣制はじつは「官僚内閣制」なのだ。事務次官会議は即ち閣議なのだ。閣議は形式的にサインをするだけのセレモニーに堕落している。そこで第一の改革は、幹部公務員制度に改革の手を加えるべく、局次長以上のポストを内閣が任命するものとして、現在の事務次官を廃止する。そして管理職の権限と責任を明確にしなければならない。
第二の改革はキャリアパスの改革である。すでに技官のレベルは技術化発の進歩についてゆけないことは明白で実質的にも技官は技術コーディネータに過ぎない。そこで技官の閉鎖性と「縦一系列」を廃するため、技官は採用せず必要に応じて外部専門家を利用する。第三の改革は省間の垣根を低くし移動をよくすることである。第四の改革は行政組織は内閣統治を基本とし、独立行政委員会で省の仕事を監視することである。2007年度の政府の債務は実に860兆円に達した。もはや生涯職の官僚に仕事を任せては置けない。官僚団のコミュニティーの論理と行動を放任できない。生涯職という身分の安定が無責任体制と腐敗をうみ、国税を食い物にして反省がないのである。行政官を激しく移動させることが必要である。悪いことを考え実行できる余裕を与えないことである。


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