070422

五十嵐敬喜・小川明雄著  「公共事業をどうするか」

 岩波新書(1997年3月)


戦後公共事業は無制限に肥大化し、官政財複合利権と化し、国家と地方財政を破綻させた。なぜそうなったのか、そして国家を破産から救う道はあるのか。

行政・財政改革を求める世論を考慮することなく、暴走を止めない公共事業。政治家・官僚・財界の利権がらみの計画決定過程と、しゃにむに予算をつけ決して見直さないシステムはどうして出来上がったのか。確かに戦後復興や地方振興策や社会インフラ整備という前向きな面があった、ケインズの景気刺激策に比ゆ的に見られるしゃにむな公共投資はもはや国家財政の限界を通り越した。それが地方自治を歪め、福祉など生活面のサービスを圧迫し、増税や赤字国債発行につながっている。1977年は「行政改革元年」、「財政改革元年」とされるが、はたして日本再建のシナリオはあるのだろうか。

筆者五十嵐敬喜氏は法政大学教授で都市行政の専門家、小川明雄氏は朝日新聞編集委員(いずれも1977年当時)である。この二人の共著で日本の直面する問題を研究した一連の岩波新書が四冊ある。
1)五十嵐敬喜・小川明雄著 「都市計画ー利権の構造を超えて」 岩波新書(1993年)
2)五十嵐敬喜・小川明雄著 「議会ー官僚支配を超えて」 岩波新書(1995年)
3)五十嵐敬喜・小川明雄著 「公共事業をどうするか」 岩波新書(1997年)
4)五十嵐敬喜・小川明雄編著 「公共事業は止まるか」 岩波新書(2001年)
今回取り上げようとするのは、国の公共工事による財政破綻問題である。従って後者の二冊の本を取り上げたい。本書の内容も少し古い点は否めない。情報公開制や道路公団の民営化や保険庁の解体、公共事業の見直しも不十分ながら実現した。しかし今地方自治体の財政も破綻しつつある。その原因を私なりに考えてみたいと思っていたが、自治体の債務や財政諸表を見ていると自治体が進んで計画した工事なのか国から消化するよう押し付けられた委託事業なのか判然としない。私が住む自治体の債務総額は自治体の一年の予算を超えている。国も自治体も借金漬けである。大阪商人や優秀な一族企業は決して借金をしない。ところが関東の企業は当座の資金も借金で自転車操業が当たり前になっているようだ。チェーン店の経営で一店舗で儲けた資金で次の店舗を新設してゆくのは堅実な経営である。新店舗の売り上げ拡大効果から全国に借金で新店舗を展開してゆく経営はどこかで借金に圧迫され採算分岐点を越える。民間企業は採算分岐点を越えれば倒産すればいいのだが、国や自治体の借金は何処まで増えれば経営上のブレーキがかかるという仕組みがないのだ。国は無制限に赤字国債を発行すればいいと考え、次の世代へ借金を贈りつけるのだ。地方自治体は国の土木工事なしには成り立たないほどに依存体質になってしまった。だから知事などは戦前の任命制のように旧建設省や自治省・総務庁の官僚が中央とのパイプ役と称して、地元土木企業の応援を得て知事選挙で勝利する。これでは地方自治体とはいえない。中央集権制の地方役所にすぎない。この悪しき伝統が戦後55体制として50年以上も続いて、地方自治は崩壊している。地方分権とは委託業務のことかといいたい。昨年春の市町村合併騒動は中央の補助金を削減することが目的で、地方自体体は財政的には負担ばかりが増加している。財政悪化・サービス低下に拍車をかけたようなものだ。

本書は6章からなるが、前半に「破綻する公共事業」、「公共事業が止まらないわけ」という公共事業の現状と問題点をまとめ、後半では「公共事業を外堀から攻める」、「公共事業の再生」、「21世紀のデザイン」をまとめたい。

前章:「破綻する公共事業」、「公共事業が止まらないわけ」

公共事業の七割は旧建設省、二割は農水省、一割は旧運輸省というシェアーである。(現在の省割では国土交通省が八割、農水省が二割ということになる)一般会計の累積赤字は240兆円、特別会計の債務残高80兆円、合計国の債務残高は320兆円になる。都道府県・市町村の債務は130兆円、旧国鉄など隠れ債務が43兆円、総計で485兆円という膨大な債務を日本国が背負っているのである。迫る財政破綻に対して国は公共事業にブレーキをかけるよりは増税による財政再建を目指している。しかし前倒し補正予算と整備新幹線のように公共事業は「呼び水」ではなく「真水」だという認識で止めようとはしないのである。

破綻する公共事業をいま少し見て行こう。日本道路公団は1956年発足以来、財源を財政投融資資金(郵便貯金、年金、簡易保険)を主とする借入金で借金を重ね1996年に累積債務は22兆円である。支出の半分以上は借金返済に充てられている。可住面積あたりの高速道路長は世界一であるのにまだ止めようとしない。都市用水需要は1973年以来飽和になっているにもかかわらず、全国総合水資源計画の予想では2000年でその1.4倍の水需要を見込んでダムを作り続けようとしている。農水省も米需要は減少しているにもかかかわらず、土地改良事業、中海干拓事業などを計画し、いまや予算の半分以上は公共事業に使うれっきとした土木官庁である。(農道空港を4箇所も作り採算割れで中止という無駄をやっている)農業改善事業は第4次計画10年間では41兆円に達した。ところが都道府県は消化不良を起して予算を実行できない状況である。旧運輸省の港湾作りは1100箇所(農水省の漁港は3000箇所)になったが、行政監察局から無駄直港だという指摘を受けた。いまもやっているのかやっていないのか判然としない計画も多い。全国総合開発計画第5次計画でぶち上げられた「新国土軸開発」、「首都移転計画」などである。

ここで公共事業の定義を「主として税金や起債による資金、それに財政投融資などの公金を使って行われる単独または複合的な事業」としておこう。その原点は1950年の「国土総合開発法」である。1962年度から一全総(1970年まで)、1971年から二全総(1985年まで)、1985年より三全総(1987年まで)、1988年から四全総(2000年まで)となっている。理論的には全総があって公共事業が発生するのだが、現実は公共事業のために全総が作られるという面もある。「道路整備緊急措置法」が5カ年計画を定める。緊急というはずが11次までつづき永久法のように機能し、しかも事業計画は「閣議決定」で決定され、予算書が国会へ回される仕組みである。従って計画段階で官僚以外にだれも内容を吟味することはない。第11次の事業量は76兆円(一年の国家予算規模)に膨張した。道路事業の根拠は「道路法」が憲法となって、計画は「国土総合開発法」、「道路整備緊急措置法」により、道路財源関係法では特定財源として「揮発油税法」、「自動車重量税法」などが確保され、道路を無限に作り続ける財政的保障になっている。組織法として「日本道路公団法」などがあり、公団理事長が石原国土交通省大臣から辞めろといわれてもこの法を楯にとって抵抗したことは有名である。道路を含めた公共事業の総額は一年当たり48兆円にのぼるとされる。(1996年の一般会計予算が75兆円である)その財源には、租税、赤字国債、地方債、補助金、財政投融資が当てられる。更にこれらの金を特別会計(特定の歳入をもって特定の歳出にあて、一般会計と区別して経理する)とい財布に入れるのである。特定財源が3/4を占め、一般財源は1/4に過ぎない。この財布は国民の目に晒されない(一般会計しか出てこない)のである。公共事業は決定から予算まですべて闇の世界(官僚の裁量にまかされた)にある。1996年段階で特別会計は38で、公共事業の特別会計は11会計であった。さらに1996年の道路予算14.4兆円の内訳は、特別会計の国費は23%、地方債が56%、財政投融資が19%である。特別会計といっても道路全予算の1/4以下にすぎず、道路公団はそれ以外に莫大な金を借りているのである。

公共事業には国が行う直轄事業、自治体に補助金を与えて行う補助事業、自治体が単独で行う単独事業がある。公共事業関係費の事業内訳は1980年以来変化はないが、道路事業が28%、下水道が18%、治水治山が17%、住宅が12.7%、農業農村整備が13%、港湾・漁港・空港が7.6%である。公共工事は天下りと官製談合入札がセットになって腐敗を生んでいる。国の補助金が全事業費を出してくれるわけではなく、足りない部分は県市町村が負担する。これを受益者負担というが押し付け負担ということも出来る。地方自治体はこの押し付けを拒否することが困難で、それが地自治体の膨大な財政負担になっている。これまで日本は不況になると膨大な補正予算を組んで公共事業の前倒し景気対策を実施してきた。バブル不況対策に1990年以来その総額は70兆円を越している。それが赤字国債によっているため日本国家の財政破綻の直接原因となった。先進国では公共事業中心の景気対策を取っているところはもう見当たらない。ケインズ理論に頼るのは日本だけというわけだ。

後章:「公共事業を外堀から攻める」、「公共事業の再生」、「21世紀のデザイン」

この官政財公共事業複合体の専制によって、国家財政破綻を招き、福祉水準は大幅に後退した。そしてダム、原子力など膨大な廃棄物を抱えてしまった。OECDの調査によると、日本の政府固定資本のGNP比率は6.4%と先進国中ダントツトップである。アメリカは1.6%に過ぎない。反対に社会保障の対GDP転換率は12.6%と、社会保障切り捨て国アメリカと同じレベルである。フランスは23%である。そして日本の国家一般会計の伸び率よりも飛びぬけて増加しているのは公共事業関係費と経済協力費ODAである。そのしわ寄せが国民負担の増大である。厚生年金保険料、国民年金保険料、健康保険本人負担増加、消費税3%から5%と増加した。低成長下で増加し続ける公共事業費の増加は国家財政破綻に拍車をかけている(軍事費の増大よりはましという意見も有るが)。

この「白い巨塔」ならぬ「公共事業官政財複合体」の動きは果たして止められないのか。官僚を全て首にしてもどうなるものでもない。それには彼らの動きをじわじわと追い込んで身動き取れないように牽制する、いわゆる「外堀を埋める」事から始めよう。その中心は一に「情報公開法」の制定である。幸いこの法は成立したものの、道路公団のような特殊法人に関する情報の開示には至っていないのが問題だ。つぎに1993年に出来た「環境基本法」にもとずく環境アセスメントの実施である。残念ながら計画段階でのアセスメントがないこととか、アセスメントの実施者は事業者であるなど問題点が多い。事前検討会から説明会と公聴会を義務づけ事業者は計画の修正と中止に持ってゆけるようにしなければならない。市民活動促進法NPOはできたが、許可制ではなく登録制にして幅広い市民団体の参加を可能としなければならない。そして真の地方分権の確立である。1995年「地方分権推進法」ができた、現在の公共工事は殆どが機関委託事務とセットになった補助金を受けた補助事業である。いまも都市計画は全て国が作り、国から委託された「法定受託事務」と「自治事務」では、地方自治体は押し付け事業と債務負担の圧迫に苦しんでいる。そして最後の課題はl規制緩和であるが、公共事業は規制緩和対象からはずされ方向違いの規制緩和となっている。権力と金食い虫の日本道路公団、日本鉄道開発公団、森林開発公団、資源開発公団などの特殊法人を縮小したり、民営化,もしくは解体することが求められる。道路公団の民営化はきまったが、骨抜きにならないか監視しなければならない。

公共事業が官僚独裁になっている理由は「総合計画の最終決定者は総理大臣であり、個別計画の場合は閣議決定になっていて国権の最高機関である国会は一切この決定過程には参加できない仕組みである。この法律に基づいて官僚は独裁的に計画や個別事業を裁量できるのである」mた「国土審議会」に諮られるというがこの審議会なるものは、官僚の計画に賛成の大政翼賛会的な審議会で反対論者は最初から官僚によって排除されている。タウンミーティングみたいなものである。ここで筆者らはこう提案する。「総理大臣や閣議決定ののち、国会の議決を経てという条件をいれるべきだ」という。すれば事業計画なるものは情報開示されアセスメントの内容も十分審議できる。何よりも計画の内容を国民に向けて説明しなければならない。」そして1960年代にできた「国土総合開発法」は一度廃止して、無限延長を断ち切らなければならない。これまでも度々問題になった幽霊計画(5ヵ年以上何も手をつけていない計画)は消滅させる「サンセット方式」の採用とすべきである。そして何よりも国会議員が官僚の計画の承認機関たるを止め本来の活動を活発にすべきである。それは議員立法である。議員も奮起して法案を作るべきである。


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