070305

若宮清著 「真相」

 飛鳥新社(2004年7月)


北朝鮮拉致被害者の子供たちはいかにして日本に帰還したか

著者若宮清氏はジャーナリスト、コンサルタントで、台湾、フィリッピン、タイなどとの太いパイプを持つようだ。何で飯を食っているのかは詳しくは知らないが、所謂フィクサー的な仲介業ではないか。各国の要人と携帯電話で話しが出来,日常的に連絡が取れるという。政府官僚からすれば胡散臭い男になる。私がこの本を知ったのは、原田武夫著 「北朝鮮外交の真実」に書いてあったからだ。何も出来ない外務省を尻目に民間密使が拉致家族の開放に向かって暗躍したということを知った。原田氏はその著書の中で「日朝協議では外務省は伝言役に過ぎないとさえ言われる。拉致問題で拉致家族を取り戻したのは裏の世界とある大物政治家らしい。これをエージェント・アプローチ(密使)という。政府は全くの無能であった。エージェント・アプローチには相手国の意志決定者が誰かを知り、アクセスできる人物を持っていることで交渉は意外な展開を見る。そのような諜報機関が必要である。」といっている。原田氏自身が外務省北朝鮮班長であって何も出来なかった悔しさが、彼をして名門家の牛耳じる外務省からスピンアウトせしめた原因である。

若宮氏が描く北朝鮮拉致被害者子息の奪還交渉は、2002年6月の韓国金泳三大統領宅での拉致家族会と亡命北朝鮮労働党書紀黄長Y氏との面談会に始まる。1990年に金丸信自民党副総裁の訪朝にも関係し、拿捕船長帰還と見返りに50万トンの食糧援助が行われた。そして2002年9月電撃的に(小泉首相の好きなテクニック)小泉首相が訪朝して、金正日は平壌宣言において拉致問題の存在を認めて謝罪し、拉致被害者五名の帰国がなった。そして日朝国交正常化に向けた外交交渉が開始されるかに見えた。しかし外務省の北朝鮮との交渉は遅々として進まず、拉致被害者蓮池。地村氏の子息らと、曽我氏の夫と子息の帰還は暗礁に乗り上げたまま放置されたかのようであった。そこから本書の描く帰還交渉が開始されるのである。2003年9月自民党平沢議員と若宮氏、北朝鮮との窓口吉田氏の間で秘密裏に帰還計画が練られることになった。それがついに2003年12月20・21日北京会談につながる(第1次交渉)。場所は北京日航系ホテル京倫飯店、出席者は日本側は平沢議員、オブザーバーに「救う会」の西岡議員、民社党の松原議員、若宮氏、吉田氏、北朝鮮側は鄭泰和日朝担当大使、宗日昊外務省副局長、魯正秀副大臣補、通訳許成晢、安熙晢であった。最初はけんか腰の原則論で物別れだったようだが、翌日朝一番で宗日昊と平沢議員の交渉で打開の糸口が見つかった。宗日昊は「北朝鮮の面子が立つなら五名の子息を帰還させることは保証する」といったらしい。北朝鮮は核を切り札に国際社会から援助を引き出そうとしている。援助物質が尽きる度にのるかそるかの瀬戸際外交をやらなければならない。北朝鮮が本当に欲しがっているのは日本との国交正常化による安定した経済援助である。2002年9月拉致被害者五名を帰さざるを得ないとき、北朝鮮は誰を帰すかということを議論しただろう。それには「思想強固」で人質の子供がいる五名を選択したのだろう。しかしその後政府間交渉は進展せず、五名を日本に取られて経済制裁論議が盛んになってくる情勢を見て、北の日朝担当者は追い込まれていったと考えられる。この辺の日本での世論を導いた拉致被害者の会の活躍は大きかった。日本における北朝鮮問題のキーマンは当時の安部幹事長であって、福田官房長官と外務省ではなかった。それを受けて2003年2月11日外務省田中審議官と藪中局長が訪朝したが、何も進展さすことが出来ず空しく帰国した。特権意識丸出しで外交交渉は外務省の専売特許で外部の人間の口出しは許さないという言葉は勇ましいが、実情は何もせずノンキャリアーにまかせっきりの実務では進展するはずもなかった。悲しいことにこの外務省の無能は北朝鮮にも読み切られ、最終的には日本政府首脳と交渉するつもりでも、その前の話を煮詰める相手は日本外務省ではなく、言質に責任が持てる大物政治家にしたいのが北朝鮮の対応であった。

そこで現れたのが前自民党副総裁で小泉首相の友人で今浪人中の山崎拓氏であった。この第二次交渉の代表者を北に打診してお膳立ていたのが若宮氏と、山崎氏に近い女性ジャーナリスト二瓶絵夢氏であったらしい。山崎、平沢、若宮、二瓶、吉田氏は頻繁に会って交渉の前打ち合わせを行い、それは小泉首相、細田官房副長官には報告されていた。出かける前には山崎氏は公明党の冬柴幹事長の了解も取り付けた。公して2004年4月1日大連で第二次交渉が行われた。それを受けて2004年5月22日小泉首相が第二回目の訪朝をして子息五名を引き取った。しかし曽我さんの家族については交渉が間に合わずに(ジェンキンスさんの軍法会議逮捕の問題で米国の理解が得られなかった)、後日インドネシアでの家族再会・日本帰国が実現するのである。

これで2003年拉致被害者の子息の帰還交渉を裏で画策した若宮氏などのエージェント(フィクサー)の動きが本書に明らかになった。これをすべて信じていいものかどうか私には分からないが、原田武夫著 「北朝鮮外交の真実」と付き合わせると、つじつまが合う。要するに外務省は何もしなかった。する戦略も人的ルートも持ち合わせていなかったことは確かそうだ。膨大な機密費を酒と食事に浪費しながら名門家を誇る外務省(摂関家や第二次大戦の阿南大将の息子がどこかの大使にいるような)には外交をする能力はなかったようだ。だから原田氏は外務省を飛び出してコンサルタントになったのだろうか。


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