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ノーム・チョムスキー著 「覇権か生存かーアメリカの世界戦略と人類の未来ー」

 集英社新書(2004年9月)


本書は2001年9.11同時テロを期に、ブッシュU世によってアメリカの世界覇権戦略が露骨にむき出しの形で遂行されるようになった。それまでアメリカの覇権戦力は多くの国々の市民の命を奪ってきた歴史を持っている。1989年アメリカとの軍拡競争で疲弊したソ連邦崩壊とそれに先立つ東欧衛星国家の地すべり的崩壊によって、米国の前には強力な敵の連合軍はいなくなった。もはや米国の戦略を妨げる勢力がいない状況での米国の国家テロは、無辜の人々の血がどんなに流されても、それが米国及び支援国家の行為である限り、テロと呼ばれることはない。なぜなのか。
いま米国は史上最強の軍事力と科学技術力を持つ国家として、覇権を一層推し進めようとしている。しかしそれは同時に多く人々の生存を危うくする。本書は9.11以降の米国の覇権戦略に焦点をあて、その歴史的経過もたどりながら分析して米国の戦略をあぶり出し、脅かされる国際社会のあり方と人類存続へ警鐘を鳴らすことが目的である。

著者チョムスキー氏については、本ホームページ書評でも酒井邦嘉著 「言語の脳科学」で生成文法理論を打ち立てた言語学者であることを紹介した。著者チョムスキー氏は米国MITの教授で「言語に規則があるのは、人間が規則的に言語を作ったためではなく,言語が自然法則に従っているためである。人間の特有な言語能力は、脳の生得的な性質に由来する。」という説を出した脳科学的な言語学者として有名である。その言語学者がアメリカでこのような反米思想にもとずく過激な思想を展開していたとは私は不勉強で知らなかった。その辺が米国が懐の深い社会で、外交機密文書にもアクセスできる情報公開制度をもつ開かれた社会の一側面も示している。他の後進国なら直ぐに死刑宣告を受けたであろうと想像に難くないほどの、恐ろしい事実と国家戦略を曝露し米国覇権主義を赤裸々に世界に向かって告発する書である。
ただ米国人が米国を告発するストーリのために本書の文章表現が非常に難解(皮肉と見れば簡単)そうに見えるのが欠点だ。本書の趣旨を他国人が書けばもっと分かりやすくなっただろう。権力者の言と告発者の言が同時に同一人からでるため、振り子が二つの極端を揺れ動くようにややこしい。少し意味をとるのに時間が必要になる。翻訳者はそのあたりを心得て、多少意訳でもいいからトータルとして言いたいことを表に出せば、途中のややこしい表現は省いても良かったのではないか。

2002年9月、ブッシュ大統領は国家安全保障戦略を発表し、アメリカの世界的な覇権に異を唱えるものを武力に訴えて排除する権利がアメリカにあるという宣言した。サダムフセイン打倒のプロパガンダが始まった。2003年の幕開けと共にイラク攻撃を必然のものとした。次々とブッシュはアメリカ一国主義的政策を打ち出し、宇宙の軍事利用禁止に向けた国連の取り組みを妨げ、生物兵器による戦争を防ぐ国際交渉も打ち切り、地球温暖化防止枠組み条約から脱退して独自の気候変動科学プログラムを発表したが数値目標のない成り行き任せで14%も排出量が増えても良しというもので欧州との友好関係も悪化の一途をたどり始めた。地球上にはアメリカを制約するものは何一つない超大国と、対立する世界の世論の二つしか存在しなくなった。

一般大衆を支配することは何時の時代でも権力者や特権階級の関心事である。少数ながら善良なものたちで統治するのが米国政府の責任で、米国ではエリートが意思決定し、一般大衆がそれを承認するシステム、つまり「多頭政治」であって民主主義ではない。しかし米国内で強制的な手段は用いるのは憚れるので主に世論と国民意識を操作するいわゆる巨大広報産業(メディア)支配が発展した。いわば合意のでっち上げで特権階級は世論をうまく交わして利益を管理するわけである。意志決定者となるべき責任ある人間とは特別な才能が必要なのではなく、現実の権力機構に服従する忠誠心さえあればいい。こういう世論操作がとりわけ重要問題になるのは、一般大衆の反対する政策を権力者が目論むときである。

国内の反対者に対しては徹底的なプロパガンダ(美辞麗句と脅迫文で)によって統制しなければならないが、国外の反対者にはより直接的な手段が遠慮会釈なく講じられる。「テロとの戦い」を宣言して、アメリカによる国家テロ即ち大量虐殺や軍事行動がおこなわれる。過去にニカラグア、エルサルバドルの中米でアメリカ主導のテロがおこなわれ野蛮な破壊と生活基盤の略奪(流民)が白昼堂々と行われたが。メディアは大衆には何も公表しなかった。全ては闇に葬られた。

生命の誕生して10万前に文明形成に必要な知的能力を持った生物「人」が生まれた。しかしこの数百年で人類は自己をも他の生物をも滅ぼす能力を示してきた。人類は生命を維持する環境や生物多様性を破壊し、同じ人類をも虐殺する計画的残虐性を持つことが判明した。はたして人類という知的生物は進化において有利な働きはしなかったというべきだろうか。将来人類は破滅に向かって着実に進んでいる。

アメリカ帝国の壮大な戦略

アメリカの国家安全保障戦略は、対等な競争相手のいない一極世界を維持するために根本的に取り組みべきことは、相手が対等になろうとする意志を挫くことである。そのために防衛の国際的な規範(国際法、国連憲章)を無視し、アメリカを制約することから徹底して自由になることである。アメリカは意のままに「予防戦争」を開始する権利を主張する。「恐れがある」と思えば国連を無視して、自由にイラク戦争をすることが出来るのである。アメリカ帝国の壮大な戦略の目的はアメリカの権力と地位と威信を脅かす全ての朝鮮を阻止することだ。予防戦争の標的になる場合次の条件がなければならない。1:相手には抑止力が無い、2:倒すべき価値のあること、3:相手を究極の悪と決め付け我々の脅威と描く方法があること である。そういう意味でフセインとイラクは理想的な相手であった。(イラクは湾岸戦争以来経済封鎖で崩壊寸前まで窮迫していたので戦争する力はなかった、石油資源の管理はアメリカエネルギー産業にとって垂涎の的だ、フセインにはクルド人虐殺という汚名がある。あとは大量破壊兵器を持っている恐れがあるという口実だけで十分だ。徳川家康が幼少の豊臣秀頼を絞め殺すくらい簡単なこと)まさにイラクはアメリカにとって予防戦争政策の実験台にとってうってつけであった。拒否権の行使によってアメリカ単独行動主義は国連をお払い箱にした。ブッシュとパウエルに「アメリカには国連安全保障理事会はいらない」とまで言わしめた。今日最大のならず者国家とはアメリカのことで、アメリカを抑制するには大量破壊兵器の抑止力が必要だとして、北朝鮮やイランは核武装に邁進した。北朝鮮がどんなひどい圧制国家だとしても軍事力を持っている限りアメリカに損害が予測されるので標的としてふさわしくないと考えられている。なんてことは無いアメリカは弱いものいじめをやっているだけなのだ。

アメリカ国家テロの歴史

近年、支配的超大国アメリカとその同盟国から明白な支援を受けて実行されたテロと残虐な犯罪の歴史をみてゆこう。
1997年にトルコのクルド人抑圧のため莫大な軍事支援がなされた。
1999年には左翼ゲリラ撲滅のためコロンビアがアメリカの軍事支援の最大の受益国となった。コロンビアでは貧しい農民を麻薬撲滅戦争と農薬散布計画いう隠れ蓑で農地より追い出し、外国投資家とコロンビアの裕福層のため土地を明け渡した。更にコロンビアは石油産地国として重要な位置にあり、アメリカは強圧的な政府の人権蹂躙も黙認してきた。野蛮な政府ほど扱いやすく実利が得やすいのだ。
1999年英米の支援を受けインドネシアは東チモールで20万人虐殺したといわれる。内外の抗議を受けクリントンは支援を見直したところオーストラリアの国連軍が介入できた。
1999年セルビア系住民とアルバニア系住民の対立でアルバニア系住民の肩を持つ米英が中心となってNATOはコソボ空爆をおこなった。ミロシェビッチがボスニアでコソボで挑戦的な態度を取って米国ヨーロッパの外交の威信を傷つけたのが空爆の誘因だ。
もっと昔のことを言えば、イタリアのムッソリーニ政権の援助、イランのパーレビ王朝への軍事援助など数え切れない抑圧政権への軍事援助がある。「人権的介入」なんて口実に過ぎない。アメリカこそ人権抑圧政権を利用し援助してきたからだ。アメリカはアメリカ大陸のための経済憲章を定めた。これはあらゆる形態の経済的ナショナリズムを排除することを意図したものだ。つまりアメリカによるアメリカ大陸の経済的利益独占を狙っている。

1962年キューバ危機

1959年カストロゲリラ隊はバティスタ政権を打倒した。アメリカは経済封鎖を行って、キューバはソ連に武器などの援助を求めるだろうという想定で、攻撃のチャンスを狙っていた。1962年のキューバミサイル基地危機は人類史上最も危険な瞬間だった。まさに核戦争の瀬戸際に立った。ソ連の原子力潜水艦に各魚雷を発射せよという命令が下ったが、その命令を拒んだソ連軍人によって地球は救われたのである。キューバのミサイルを撤去する交換条件としてケネディはアメリカがキューバを侵略しないと保障し、トルコにあるジュピターミサイルを撤去するということで危機は回避された。これは一応の条件であって、現実には執拗にアメリカはカストロ政権の転覆活動を継続していたし、ミサイル基地撤去はポラリス潜水艦配備に置き換わっただけのことであった。このミサイル危機からヨーロッパはアメリカの戦略に一定の警戒感をもつようになった。それは核危機についてヨーロッパ各国に何も相談しなかったからだ。この辺の事情は日米安保体制と同じかもしれない。核の持ち込み移動という重要な事項は何も相談されず、聞いてもいけないようではアメリカの言いなりに過ぎない。
アメリカは、カストロ主義の影響が中南米一体の社会や経済状況の劣悪さに乗じて各国に急進的な変革運動がおきるのを警戒した。アメリカはブラジルで軍事クーデターを実行し、インドネシアでクーデータを起してスハルト政権を誕生させ、共産勢力の大量虐殺が始まった。アメリカの企みが成功しなかった例として、アメリカの支援を受けた南アメリカのアンゴラ侵攻に対してキューバの義勇軍が侵略者を撃退したことがある。米軍による南ベトナムのミライの虐殺は未だ記憶に新しい。さらに1981年ニカラグアがソ連の軍事基地になるとしてレーガンは国家非常事態宣言を行ってニカラグアを徹底的に破壊した。冷戦時代には中米で反乱が起きてアメリカに反抗的な国が出来ると、必ず経済封鎖をおこないそれに援助を求めさせるように仕向けた。そしてソ連の陰謀が発覚したとして圧殺する手続きにはいつものお決まりのパターンで、このプロパガンダにはアメリカ人は抵抗力を持たない。しかしニカラグアはこの手には乗らなかったが経済封鎖で深刻な崩壊に追い込まれ自滅した。アメリカが支配権を取り戻して10年後には国民の大半は流出し移民労働者になった。ニカラグアの経済と社会は完全に破壊された。

2002年3月イラク戦争

レーガン・ブッシュT政権の所謂新保守主義者は1001年9.11の惨劇で一斉に息を吹き返し、今まで以上に強力に世界戦略を推し進める機会を得た。ブッシュU世がゴア-との曰くつき大統領選挙で勝利し(?)、金正日と同じような品のない幼稚なというより滑稽な男が大統領になった。クッキーを食べて喉を詰まらせたときなどこれが大人のやることかと噴飯ものだった。要するに欲のむき出し状態の野蛮な政治に逆戻りしたのだ。
ブッシュU世が世に出る前にすでにレーガンが多くの台本を書いてきた。南アフリカ白人政権はアメリカの盟友であるが、ダイヤモンド鉱山で利益を独占し、1988年独立したばかりの隣国のアンゴラ、モザンピークに侵攻して160万人の死者を出した損害に責任を持つ。ネルソンマンデラの率いるアフリカ民族会議を圧迫する白人政権に肩を持ったアメリカの責任は重い。
カーターの時代にはソ連をアフガンにおびき寄せ世界中から恥をかかせるためにイスラムゲリラを養成し武器を与えてソ連をかく乱した。ソ連が撤退した後20年間イスラム原理主義者による恐怖政治と部族内戦が続き、国は荒廃した。その中から原理主義者集団の国際派オサマビン・ラディンが出てアメリカに噛み付くのである。正に飼い犬に噛まれるというのはこのことを言う。1993年インドパキスタンの争いに火をつけたのもこのイスラム原理主義者である。そしてそれはインドとパキスタンの核武装につながった。
イランイラクの覇権争いではアメリカはイラクのフセインを支持して援助した。1989年アメリカはフセインのクルド人毒ガス攻撃にも手を貸した。アメリカが援助したこのような極悪非道の政権指導者にはフセインの他に、フィリッピンのマルコス、ハイチのデュヴァリエ、チャウショエスク、インドネシアのスハルト大統領、ザイールのモブツ、パナマのノリエガ、ウズベキスタンのイスラム・カリモフ、ルクメニスタンのニヤゾフ、赤道ギニアのンゲマなどである。彼らは自国内の民衆を虐殺して恐怖政治を引くことで暴君ならず者と呼ばれる。
レーガンブッシュT世の時代は米国政府はフセインをさまざまな形で援助した。米国政府はイラクを冷酷に統治する政権を要求し、ほかに人物がいないならフセインでいいとした、1990年フセインが亜湾岸戦争でアメリカに非協力的になってからも圧制者の統治を黙認した。誰がイラクを支配するかは最大の問題だ。イラク戦争後の民生移管は絵に描いた餅にすぎず、イラクは石油産油国として重要な国なのだ。だから米国が管理しなければならない、国連にもイラク国民にも任せないというのがアメリカの本音であろう。シーア派のイスラム共和国はアメリカの好みではない。
レーガン時代は日本に押されて産業経済の停滞が続いて、新自由主義(新保守主義)政策が主流になった。アメリカのレーガン、英国のサッチャー、日本の中曽根が頂点に立つ。社会福祉の削減には熱意を燃やした。アメリカの軍事戦略と関係ない政策は敵視した。同情心、貧乏人を助けることは彼ら権力者の辞書には無い言葉であった。規制緩和で資本の手かせ足かせをはずして自由に活動させることが経済活性化のドグマとなった。民衆の生活を破壊することなどお構いなしとした。新自由主義にとって金融の自由化は国民の利益よりヘッジファンドやトレーダの利益のほうが大事とする政策である。民主主義はいつも金融市場から攻撃を受けている。規制緩和や民営化の圧力は国の教育や福祉・サービス部門を危険にさらす。大衆の反発は必至である。

世界の三極化とアメリカの戦略

1990年に東欧諸国が崩壊して欧州連合に加入したが、アメリカはこの動きを後押しした。東欧の人の賃金が西側の数分の一に過ぎないことから、ヨーロッパ連合は生活の質を落とす危険性に直面した。西側には長い伝統から高賃金、法人税、労働時間短縮、社会福祉制度が充実しているが、それを賃金が安く(多民族労働者による)社会保険健康保険もない無保証のアメリカシステム(貧乏な人は無能者とさげすませばいい)のむき出しの資本主義にさらすことになる。レーガン時代の新自由主義で大衆の生活は世界で最低のレベルまで悪化していた。極端な格差社会になっていて、それを自己責任という言葉で個人のせいにしてきた。欧州連合全体が貧困化する危機に瀕していたがドイツ、フランスの産業金融資本を中心にして独自の道を追求している。そこがアメリカの気に入らないところである。しかし世界におけるアメリカの富は、第2次世界大戦後50%だったのが、1970年代から具体化したアメリカ・欧州・東アジアの三極体制になると25%にまで低下した。物つくりの産業ではアメリカは力を失った。そこで金融市場で世界の富を取り戻そうとしているのである。アメリカの心配をよそに、東アジアは中国・日本・韓国・東南アジアの連合が独自の道を模索している。ASEANやアメリカも入れた環太平洋経済圏構想がそれである。欧州が主導した地球温暖化防止枠組み条約機構(京都議定書)からアメリカが脱退したのは、欧州連合に対するアメリカの不快感であろう。アメリカの孤立が噂される。

イスラエル問題とパレスチナ戦争

1998年アメリカのバトラー将軍は「イスラエルはすでに数百発の核兵器をもつ」という恐るべき内容を証言した。イスラエルは世界第2位の核武装国家なのである。イスラエルはアメリカと共同して国連の決議を無視してきた。このイスラエルの卓越した軍事力がアラブ社会に焦燥と焦りを生み果てしない大量破壊兵器の拡散になったのである。数度にわたる中東戦争でアラブ社会全体を敵にしてなお占領地を広げる卓越したイスラエルの軍事力はアメリカの援助によって出来上がったのである。小国ではあるが、イスラエルはアメリカの軍事及び科学技術の基地となる道を選んで生き残りをかけているのである。アメリカートルコーイスラエルが中東での「悪の枢軸」と呼ばれる。この3カ国同盟に最近ではインドも参加してきた。インドではヒンズー至上主義政権が出来て以来アメリカとイスラエルと軍事同盟を結んできた。
中東は第1次世界大戦中に英国が主導権を握って分割する今日の国割りが行われたが、第2次世界大戦後はアメリカは石油中心の資源争奪戦で中東を確実に支配することになった。アフガン戦争でアメリカは中央アジアに軍事基地をおき、イラク戦争で産油地域の中心に軍事基地をおくことができた。トルコーイスラエルの戦略的重要性が増すのは1979年イラン宗教革命でパーレビ国王が退位してアメリカがイランの地を追われたからである。現在のイスラエルにとってアメリカの軍事基地になり、アメリカの要求に従う以外に生きる選択肢はないといえる。日本も似たり寄ったりだ
1976年にアメリカはイスラエルと並存する形のパレスチナ国家建設を要求する国連決議案に拒否権を発動した。1979年キャンプデービット合意でイスラエルとエジプトは停戦した。これによりアラブの抑止力が排除されるとイスラエルは占領地の拡大を続け、1982年レバノンに侵攻し以降20年間占領を続けた。この侵攻は駐英イスラエル大使暗殺未遂事件を利用して、PLOの政治的立場に動揺をもたらしパレスチナ人の闘争を妨害できた。パレスチナ代表団を裏切ったアラファトは1993年オスロ合意に達したが、それはイスラエルの入植計画を続行させることが目的であった。200年のキャンプデービット会談は失敗に終わったが、クリントンーバラク案はヨルダン川を三区域に分断し、パレスチナ人地区をズタズタに切り裂いて、イスラエル人入植地域で包囲するものであった。ブッシュ二世の時代にはシャロンと組んで、外交的な解決は全く不可能になった。2003年においてはブッシュ政権の「二国家ビジョン」は曖昧なまま、現状はパレスチナ人を数百の地区に閉じ込め周囲をイスラエル占領軍が援護する入植者が包囲するものだ。いつかはイスラエルは入植活動を停止する約束だがそれまでは入植を拡大し続けるという馬鹿にしたような青田刈りのような状態に放置された。パレスチナ人は「インチファーダ(一斉蜂起)」によって抵抗を試みるが、報復としてそのたびにイスラエルの恐るべき虐殺が繰り返される。パレスチナのテロに対する2年半におよぶ激しい闘争は、イスラエル国防軍を冷酷無慈悲な殺戮部隊に変え、国防軍は清廉な軍隊から殺人マシーンと化しつつある。殺害されたパレスチナ人とイスラエル軍の比率が2000年の第2次インティファーダーの時代の20対1から、ほぼ今日では3対1に変化するにつれアメリカを大変苛立たせている。

テロリズムと正義

アメリカとイギリスのテロの定義はほぼ同じだが「テロリズムとは暴力を用いて損害や混乱をもたらし、政府に影響を与えて人民を脅すことを目論み、政治的、宗教的、思想的な目的の達成を目指す行動」とされる。しかし国家とは自分のテロを「対抗テロ」と呼ぶ。国家テロは行動の評価は結果によって決定することや他者への適用基準を自分にも適用する普遍性の原理をもともと採用しない。自分のテロはテロでないと言い張るのである。明治維新のとき薩長倒幕勢力は徳川幕府の威信を傷つけるため、外国人へテロを行った。薩長側ではテロとは言わず、勇敢な愛国攘夷活動というのと同じであろう。結果は同じでも自分は悪くなく相手のテロは極悪非道と非難するわけである。テロは弱者の武器といわれるが、強者にとっても通常兵器による攻撃と同じ効果をもたらすのである。したがってテロの定義としてはまともなものは何一つ無い。国際テロと侵略の違い、テロと抵抗運動の違いなど明確な定義は存在しないと言っていい。南アフリカのアパルトヘイト政権のマンデラ民族会議にたいする攻撃を非難する国連決議に反対したのはアメリカとイスラエルだけであった。アフガンに対する戦争やイラク戦争をアメリカは正義の戦争といっているが、世論の90%以上は支持していない。ブッシュドクトリンは「テロリストを匿えば匿った人もテロリストであり、テロリストを幇助すれば幇助した人もテロリストと見なして攻撃する」という残忍な軍事行動が許されるのである。アメリカの特権階級の道徳的慣行には世界の人々は違った考えを表明するだろう。アメリカは実はイスラム原理主義テロリスト部隊を養成援助してきたことは周知の事実である。旧ソ連で、中央アジアで、中東で、セルビアでさんざん利用して破壊活動を行った。9.11後もなお利用している。9.11とは何であったのだろうか。日本を真珠湾攻撃に誘い込んだ戦術と同じ手口で大衆を犠牲にした演出という説も飛び交うわけである。アメリカはいまなお陰に陽に原理主義者を利用している。
米国国家情報会議は将来の展望としてグローバル化は続くと見ている。長期にわたる財政上の困難と経済格差の拡大が見られ、経済成長の鈍化・規制緩和そして貧困層の生活破壊はますます深刻化する。その結果不況の深刻化、政治の不安定、思想的・宗教的・民族的過激主義が育成されその恨みが多くはアメリカに向けられる。つまりアメリカ政府はグローバル化によって世界中の非難が集中するのを承知しているのだ。この分析能力はすばらしい。そこまで分っていてなおかつ世界全部を敵に回して支配しようとするのがアメリカの世界戦略なのか。アラブの問題を解決しようとする気があるなら、アラブ人の生活権を認めるところから出発しなければならないが、アメリカはハゲタカに徹して略奪しつくすことをモットーにしているようだ(蒙古帝国より更にたちが悪い国家)。

アメリカの宇宙ミサイル開発戦略

アメリカの権力の中枢にいる者は大衆の恐怖と苦悩を利用して抵抗力をなくさしめ、富める者がさらに得をする過酷で情け容赦ない政策を実行し、大多数の人の社会保障を削減し金融資本の益することが愛国的行動と理解しているらしい。ロシアや中国さえ巻き込んで対テロ戦争に邁進した。米戦略軍司令部は核兵器が一瞬にして結果が出る効率的な武器であることを認識している。今でも核兵器を最も効果的に実戦配備している。そして相手に対してはアメリカが理性的、冷静であるよりは、決定的場面では理性を失い何をするか分からないと思わせるほうが有益だとする「マッドマン理論」を標榜する(ブッシュUはまさにその適役)。北朝鮮の指導者もその線で動いているようだ。気違いに刃物を持たせたような態度のほうが相手に恐怖心を抱かせるのである。2003年に「核は抑止力ではなく戦闘手段として、通常兵器近くの区別をなくする」というブッシュ政権の核計画を承認した。これが核兵器の新時代への扉を開いた。軍拡競争は宇宙まで拡大し、弾道ミサイル防衛計画(BMD)や戦略防衛構想(スターウオーズ SDI)は攻撃的目的で宇宙利用する独占権の獲得を目指すものだ。弾道ミサイル構想は衛星通信に頼るところが大で衛星は撃墜されやすい。そこがSDIのガンである。そこを狙って中国が最近衛星破壊を試みているのである。これは悪夢であって欲しい。アメリカによって世界が破壊されないように連帯しようではないか。


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