書評 061124

小澤勲著 「認知症とは何か」   
 岩波新書(2005年3月)


認知症患者はどう感じているのか、その病態に内側から迫る



小澤勲氏は精神科医で京都の病院に長く勤務され、認知症患者の精神病理を明らかにした労作「痴呆を生きるということ」(岩波新書2003年)を著した。本書はいわばその続編である。本書は二部構成で、前部では外側(医学側)からみた認知症の知識を、後部では認知症を生きる人たちの不自由と心のあり方に迫ろうとするものである。

第一部  認知症の医学

認知症は症状レベルの概念である。記憶障害、見当識障害、思考障害などいくつかの症状の集まりに対する命名である。原因には2つある。脳組織変性疾患(アルツハイマー病など)と脳血管性認知症である。2006年11月20日 93歳になる私の母が認知症と要介護度4で老人介護施設に入所した。そこで本書の内容も主として脳血管性認知症について纏めてゆきたい。処々に私の母の病態を記述して認知症の進行の記録としたい。母の診断は多発性脳梗塞と脊椎変形、膝関節変形(要するに足腰が立たない歩行不能)によって要介護度4と認定された。

認知症の経過は、脳血管性認知症の場合は脳梗塞が起きるたびに機能が失われるので段階的に進行するのが特徴である。年齢相応の軽度な認知障害である前駆状態から、日時を何度も尋ねたり財布の場所を忘れ大騒ぎになったりトイレで便を流さないなどの症状が私の母では2年前から始まった。これが初期症状だそうだ。初期は記憶障害に始まり妄想や不安などの精神症状が現れる。人によっては抑うつ状態や、人柄が丸くなったり烈しく怒鳴りつけるなどの変化が現れる。母の場合はそれはなかった。中期には行動障害が前面に出てくる。徘徊、気分変動、興奮、自分のものと他人のものの区別がつかなくなることは、デイケアーでは日常茶飯事らしい。私の母の場合は足腰が立たないから徘徊はなかったし、他人の物を持ち帰ることはなかったが、気分変動が烈しかった。気分のいい日は昔話を繰り返し話してくれた。5回くらい同じ話を聞くのは覚悟しなければならない。しかし自分の座る場所と便器を間違えたりベットの場所が分らない見当識障害が始まり、自分の着物をはさみで切り裂く行動には正直戦慄を覚えた。また排便や排尿をおまるという便器内で収まらず部屋中に散布するのには私自身が強いストレスを感じパニック状態になった。現在私の母はこの中期にいるようである。最後の重度期には何を言っているか分らなくなったり寝たきりで覚醒睡眠のリズムがはっきりしなくなる。いわゆる人間らしい応答がなくなる時期である。

第二部  認知症を生きる心の世界

私は認知症患者ではないので、正確なところ母親の心理はわからないが、母は頭が明晰なときはよく「自分の頭はまだら状態だ」といった。あるところは明瞭に分るが、全く分らないところところが徐徐に広がっていく不安に苛まれていた様だ。認知症とは「後天的に獲得した知的機能が年とともにしだいに失われてゆくことであるが、感情という機能や記憶は存在している」といわれる。従って日々の喪失が重なりまわりの世界から離れてゆき、自分が誰なのかさえ分らなくなって孤独と不安に押しつぶされるよう世界なのだろうか。自分をそこで介護する側に立てば、未だ存在する感情的な機能に訴え「人とのつながりの中で生きているのだ」といういわば「虚構の世界」を母との間に構築して安心して生活できる環境を整えることが重要になろうか。そのためには介護施設など利用できることは利用すればいい。

本書では認知症患者との交流から認知症の「体験としての中核症状」を整理した。つまり患者は何を感じ何を訴えるかを纏めた。
身体的不調:偏頭痛、肩こり、筋肉痛、リラックスできない
疲れやすさ:緊張して必死にもがいているようだ、抑うつ状態
身体反応の遅れ:物を持つにも努力が必要、転びやすい、階段の下りが困難
記憶再生の遅れ:身体反応とおなじく記憶再生にも遅れがでる
奥行き知覚の障害:エスカレータに怖くて乗れない、床の距離が分らないので転びやすい
感覚のスクリーニング機能の障害:自分に不要な刺激を棄てることができないので、何でも知覚に入って集中できない
同時進行機能の喪失:2つ以上のことを同時に出来ない、2つ以上の動作からなる一つの行為ができない
全体的把握の困難:全体の情景から何を意味するのか分らない、部分しか頭に入らない
状況の中の自分が把握できない:テレビドラマの筋が追えない、日常生活で何からやるという順序立てが出来ない
応用が利かない:教えられたこと以外に状況を把握できない
分類できない:スプーン、ナイフなど分類して保管することができない
実行機能の障害:日常生活の仕事は自分の手に負えなくなり、計画、順序立てが困難だ
調整機能の障害:日常生活の行動判断選択という微調整が出来ない
人の手を借りることができない:失禁など人に声をかけることに困惑している
自覚できない:自分の認知症が自覚できない
知的な私が崩壊する:この世界は巨大で早くてどうしていいのか怖い、バラバラの自分があるだけ

認知症患者は自分の崩壊の不安から「自己の同一性」を信じて、周囲とぶつかり迷惑をかけ、自信を失ってゆく。不自由に怯え、何とか不自由を乗越えようと抗い挫折して諦め、あるいは無視して日々を生きている。この無理な生き方が知的な私をさらに破壊しているのかもしれない。
従って「虚構の世界」でもいい「すばらしい介護を受けて揺れの少ない生活を送っておれば、ゆったりと自分の気持ちに従って安定した生活が出来るのではないだろうか」ということが本書の結論だ。


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