書評  060604

リチャード・ドーキンス著 「利己的な遺伝子」
 紀伊国屋書店(2006年5月 増補新装30周年版)   日高敏隆、岸由二、羽田節子、垂水雄二訳
 
遺伝子DNAは自己複製を最大にする戦略をとる。これがダーウイン的進化である。
個体は遺伝子の乗り物にすぎない

本書は30年前1976年に出版され、生物学に留まらず各界に多大な思想的影響を与えた。著者はイギリスの行動生物学(エソロジー)の流れにある。決してこの本は遺伝学の本ではない。まして遺伝子工学や医学の本ではない。最新の遺伝子学の成果(D.ワトソン著 「DNA」 講談社 など)を十分に採用しているとも言いがたい。そんな必要はないのであって、実は古い生物生態学や行動学を遺伝子のキーワードで解説するものである。メンデルの遺伝子程度の知識で十分である。したがって遺伝子の内容はきわめて広大である(多数の遺伝子の総合効果ともいえる利己的行動、利他的行動というマクロな概念である)。ダーウインの進化論というものは所詮実証不能の学説であって、之を科学と言うのか哲学と言うのか、何百年議論をしても一向に一定のドグマ的体系をなさない。一人の学会のボスが(日本で言えば今西錦司のような)唱えて弟子が賛同するような類かもしれない。すべからく動物の観察に基づく学者の説は「一を言えば百の反論が出てくる」類である。解釈だけでなく、しかも反対の事象もある。私個人の偏見かもしれないが、生物学は既に解体していて、遺伝子工学や細胞生理学へ向かう学と社会学へ向かう学が存在する。京都大学の生物学者は今西錦司以来サルの研究をはじめ生態学から社会学(文明・文化論)へ偏向している。これらは自然科学と言うより観察学・博物学・社会科学の流れにある。

さて最初から私の偏見を述べて結論じみた予見を与えてしまった。それは私の本意ではない。確かに動物(本書は植物学や細菌学、ウイルス学、医学などについては一切言及していない)の世界は面白い事象に満ちている。人間だけが神のような存在である。動物の行動を目的という意識で完全に説明することは無理がある。擬人的説明はしばしばお笑いものである(キリンの首が長いのは、高いところの葉を食べるために長くなったという類である)。目的意識を持てば遺伝子にまで影響する説はラマルクの用不要説といって現在の遺伝学では否定されている。さすがそんな馬鹿なことは本書では述べていない。リチャード・ドーキンスは自身熱心なダーウイン進化論信奉者だといってはばからない。「自然淘汰には二つの見方がある。遺伝子からの見方と、個体からの見方である。」、「我々個体は生存機械つまり遺伝子という利己的な分子を保存すべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ」というセンセーショナルな書き出しで本書が始まる。そして動物の利己主義とか利他主義の行動が意識的なものではなく行動上のものであって、これを遺伝子の自己複写量を最大にする戦略(之も擬人的比喩にすぎない、遺伝的には個体が死んでしまって遺伝子プールが喪失することを防ぐ戦略、或いは逆に言えばある行動遺伝子をもったものだけが生き残って遺伝子が受け継がれるということ)と言う一貫したセオリーで進化を説明しようとするものだ。之には一理ある。

リチャード・ドーキンスは遺伝子の発生を生命の起源から推測した。「生命のスープの中でDNAという遺伝子が環境の資源を利用して自己複製の競争を繰り広げた。遺伝子の身を守るためには自分の入れ物つまり生存し続けるための場所を作った。これが細胞・個体という生存機械である」と言う推測であるが、真偽のほどは神話の世界であるから実証できるものでない。神話の時代から歴史の時代すなわちダーウイン的進化に世界へ移ろう。個体が遺伝子の生存機械であることは事実なのだから。

本書の流れは、攻撃という利己主義行動と自己犠牲を伴う利他行動をゲーム理論で分析してどちらの行動が遺伝子にとって有利なのか(これを進化的安定戦略ESSという)判定する。そして血縁淘汰、個体淘汰、群淘汰というレベルを数学的確率で考察するもだが、遺伝子をそのまま残すには大腸菌のように無性増殖(コピー)が一番であろうが、動物の有性生殖では子供に1/2づつしか親の遺伝子は遺伝子しない。四代続けば(ひ孫)遺伝子は1/16に過ぎない。赤の他人といってもいい。そうすると自分の遺伝子を残すのが動物行動の目的だというのは説得力に欠ける。(天皇の万世一系の血累も生物学的にはいい加減なもので、何が遺伝しているのか大いに疑問だ)

さてこの書の本論になる部分は膨大な量で動物学の面白さを教えてくれる。しかし煩雑になるのでここには題目しか取り上げない。興味をもたれた方は是非本書を買って読んでいただきたい。
・子育て、子作り両戦略の混合戦略
・雄と雌の遺伝的争いと結婚戦(最近雌の卵子細胞質遺伝からイブ起源説が盛んであるが)
・群れを成す動物の戦略
・社会的昆虫の役割と戦略
・寄生動物と宿主の関係
・裏切り的利己主義行動と互恵的利他行動のゲーム理論
・人の文化の創造の遺伝子を導く役割
・長い遺伝子発現連鎖としての「延長された表現型」にもダーウイン的進化が支配する(ビーバのダムと言った文化)。

リチャード・ドーキンスはこう言う。「自然淘汰は自らの増殖を確実にするように世界を操作できる遺伝子を選ぶ。これこそが延長された表現型の中心定理である。すなわち動物の行動はそれらの遺伝子がその行動をおこなっている当の動物の体の中にあってもなくても、その行動のための遺伝子の生存を最大にする傾向を持つ。」これが結論である。無性生殖よりも有性生殖の方が遺伝的多形を生み、変異が起こりやすくなるので進化しやすいとか、人遺伝子の持つ無意味翻訳領域エクソンの存在が進化の源であるとかいう最近の遺伝子研究成果などなどについては述べられていない。本書は遺伝子学の本ではないであしからず。


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