書評  060110

永井均著 ウィトゲンシュタイン入門

 ちくま新書(1995年1月初版)
 
現代哲学の鬼才 「写像・文法・言語ゲーム」哲学入門 語りえぬものこそ重要だ


初めから白状しておこう。私は哲学書は系統的に読んだことはない。入門書、概説書、科学者兼哲学者(デカルト・パスカルなど)の書物ぐらいである。哲学とは逆説とたわいもない比喩、例題から高等な結論を導き出してくる摩訶不思議なアートという理解でしかない。そしてその結論は現実には何の実利もない屁のようなものだとたかをくくっていた。数学のような公理命題という観点から見ても、哲学の命題は曖昧で恣意的でトリック的で、とても足したりひいたりして結論が出てくるとは思えなかった。誰がやっても同じ結論が出てくるわけではないので信じられない分野、科学では理解の及ばない分野と思っていた。たしかに哲学は科学ではなくヒトの心(究極的には人の倫理)を扱う分野である。しかし近年、教育や社会的問題も科学的手法で考える方向である。しだいに文科系の分野は狭くなってきている。文科系の最後の牙城が哲学だということで、理科系の人間として哲学をバカにしていただけで、別に勉強していたわけではなかった。最近「脳と心」の問題を考えるにいたって、文科系の学問も傾聴してみる価値がありそうだと思うようになった。

なぜウィトゲンシュタイン哲学入門書を読むに至ったかというと、脳科学に関する書物を読んでいたとき、同じちくま新書で茂木健一郎氏の「意識とはなにか」の中に、ウィトゲンシュタイン哲学の「語りえぬものこそ重要だ」という言葉が紹介されていた。茂木氏の著書の展開に深くは関与しておらず僅か一行に満たない記述であったが、この逆説に満ちた言葉が私を痛く刺激した。そして酒井邦嘉著 「言語の脳科学」を読むと、「文法はヒトの脳のメカニズムから生まれるもので、教わるものではない。それを科学的に解明することが言語科学の今後の使命である」と文法のアプリオリティ性が書いてあった。現在では言語学のアプローチには、伝統的言語学、発達心理学、言語哲学、脳科学などの境界領域型アプローチがなされている。本書はウィトゲンシュタインの「写像・文法・言語ゲーム」哲学入門であると書いてあるので、言語哲学書かなと思った。脳の言語を生む機能とこの哲学がどこかで繋がるのではないかという期待観があった。さてその期待観はどうであろうか。残念ながら私は哲学的思考に慣れていないので、書かれたことの半分も理解できていない心配が残る。

本書が書きたかったウィトゲンシュタイン哲学の神髄

本書の前書きで永井氏は「本格的な哲学学説に関して、問題をその神髄において共有できるかどうかが重要である。哲学では答えを出すことが本質的な事ではなく、いままで誰も指摘しなかった問題に気がつくことが偉大なのだ。哲学をその神髄においてて批判したり乗り越えることは不可能である。」とのっけからパンチを浴びせてきた。ウィトゲンシュタイン(1889-1951)の独我論は「私の意識だけが唯一本当に存在するもので、他の一切は私の意識へのあらわれである。他人は私が本当に言わんとすることを理解できてはならない。」というが、ここにいう私とはウィトゲンシュタインその人ではなく脱人格的自我である。これを超越論的(先験的)主観という。彼の哲学の基本図式は「語りうるもの」と「語りえぬもの」との対比からなるが、独我論をめぐる論議はすべて「語りえぬもの」に属する。ここがウィトゲンシュタインの天才的な目である。語りえぬものについては当然言及はないが、語りえるものとそうでないものを明晰に分別してゆけば自ずから語りえぬものを追い詰めることになる。ウィトゲンシュタインは生涯の前期、中期、後期を通じて、この「語りえぬもの」を「論理形式」、「文法形式」、「生活形式」として展開した人であった。そして問題を提起し続ける自己否定の人であって、生涯の自己矛盾を指摘しても意味のないことである。変転極まりない哲学の徒であり「思想の価値は勇気の量で決まる」というのだからしかたがない。

ウィトゲンシュタインてどんな人

さて恐らくウィトゲンシュタインて誰も知らないでしょうから「ウィトゲンシュタインてどんな人」という質問が必ずあるでしょう。簡略に紹介すれば、人となりは「変人」の一言で済みます。それでは困るので、すこし生い立ちから述べます。1889年オーストリアの首都(オーストリーハンガリー帝国)ウイーンでハプスブルグ家健在のころに生まれました。オーストリア鉄鋼業界の大物のユダヤ人の父を持ち、ユダヤ系(3/4)の五男として誕生した。兄四人のうち三人は自殺し、彼自身も自殺の誘惑と闘い続けたようだ。母親はピアニストでウイーン社交界の中心であった。兄弟は絵画、演劇、音楽家に進もうとしたが父の反対で相次いで自殺した。当時のブルジョアジーの子弟教育のやり方として、彼は小学校には行かず家庭教師について勉強した。そしてリンツの高等実科学校で工学系の勉強をし、ベルリンの工科大学で機械工学を学んだ。卒業後、高層気象観測所に勤めた後、さらにマンチェスター工科大学で航空工学を学んだ。そして興味は数学基礎論や論理学へ移り、イギリスのラッセルのもとに入って論理学を専攻した。このときラッセルは「はじめ彼は天才なのか変人なのかよく分からなかった」と言った。1913年彼は初期の代表作「論理哲学論考」を書いたがなかなか出版できなかった。1914年ノルウェーで思索を重ねていたが、第一次世界大戦に従軍した。従軍中は相当の戦果を上げたといわれるが、その間も「草稿」を書き真理関数や写像理論などを深めていった。そして1918年「論考」が完成した。しかしそれでも「論考」の出版はかなわず、教員養成学校に入学して1920年小学校の教員となった。この間彼の精神状態は最悪で自殺をしなかったのが不思議なくらいだそうだ。そして難産の末1922年に「論考」の出版が日の目を見た。また1926年小学校での体罰がきっかけで小学校教員を首になった、時に37歳であった。ここからがウィトゲンシュタインが哲学者としての出発になる。

ウィトゲンシュタイン哲学@前期 「像」   主題:論理形式   主著書:「論理哲学論考」

「論考」は限界設定の書であるといわれるのは、カントの「純粋理性批判」と対比されるからである。カントの直面した問題はウィトゲンシュタインの問題と同系であった。「論考」の主題は言語の可能性の条件を明らかにすることであった。ウィトゲンシュタインは「およそ語りうることについては明晰に語りうる、そして、論じえぬものについては沈黙しなければならない。そして重要なのは実は後者の書かれなかった事です。」
世界について語るとき、言語と世界は内的関係(写像形式)にあり両者は論理形式を共有しているものである。この先験的に語りえぬものの一つである論理形式を主題にするのが超越論的(先験的)哲学である。「語りえぬものが変わったとしても(限界が変わる)世界が総体として別の世界になるとしても、そのことによって世界の論理形式(真理関数)が変わることはない」とウィトゲンシュタインが言う時、それは無数の偶然が重なったとしても其処を支配している論理(言語形式、人間の論理形式:脳のシステム?)は変わらない、選択だけが人生だということになる。

ウィトゲンシュタイン哲学A中期 「文法」  主題:文法形式   主著書:「哲学的文法T」

ウィトゲンシュタインの中で、直接的に把握されるべき「内的関係」、つまり語りえぬものが論理から文法へ広がってきたのが中期の特徴である。つまり「論理から文法へ」そして「写像から検証へ」というように、問題は文法に一元化されることになった。
「命題の意味とはそれを検証する方法のことである。命題の真偽を知るにはその命題の意味を既に知っていなければならない。それは文法規則に属することがらである。」とウィトゲンシュタインが言うのはそのことである。文法は自律的であるということだ。

ウィトゲンシュタイン哲学B後期 「言語ゲーム」   主題:生活形式   主著書:「哲学探究」

ところがウィトゲンシュタインは中期の文法規則という先験的絶対的な論理を自ら葬り去ろうとする(自己破壊)いわゆる「言語ゲーム」という展開になった。つまり先験的に働く文法という考えが、しだいに崩壊してゆく過程である。言語ゲームは規則から成り立っているのではなく盲目的な慣習によって出来ているという見解である。ゲームをすることはルールがなくても出来る。言葉の意味は使用することである
これには永井氏も手を焼いておられるようで「何を語りえぬものとして放遂しようとしたのか肝心かなめのこの点が理解できない。後期の観点から見れば、中期の独我論排除はそれ自他存在してはならないものである。」という風に、ウィトゲンシュタインの恣意性を指摘されている。
「言語ゲームとは子供が言語を使用し始める際に撮る言語形態のことである。言語ゲームは決して語られない、対象化されない生活形式の中にのみ基盤をもつのである。」というのがウィトゲンシュタインの定義である。したがって言葉の意味を決めるのは言葉を使うヒトの心に浮ぶものではなく、むしろ生活の形態である。このルールとプレイの逆転こそが後期ウィトゲンシュタインの「言語ゲーム」概念の最大のポイントである。


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