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飯尾潤著 「日本の統治構造」ー官僚内閣制から議院内閣制へー

 中公新書(2007年7月)

日本独特の官僚内閣制を排して、1990年以降の一連の改革で首相の権限強化を図り、憲法が意図した議院内閣制に変りつつある。

日本を支配しているのは官僚か、はたまた政治家かという単純な政権担当2元論が横行していた。たしかに戦前から議会政治を敵視した超然内閣というわけのわかない制度を元老西園寺公望が作ってきた。それが戦後にも後を引いて独特の官僚内閣制になって、政治家が民主憲法で保障された大胆な政治力を発揮できず、一時は大統領制の導入さえ主張されてきた戦後日本の政治体制。しかし1990年以降の一連の改革は、首相に対してアメリカ大統領以上の権限をあたえるなど、日本国憲法が意図した議院内閣制に変えた。本書は議会、内閣、首相、政治家、官僚、政党、選挙制度、政策過程など議院内閣制の基盤を、歴史的、国際的比較から日本の統治構造の特徴を明らかにするものである。

本来日本国憲法が定めている「議院内閣制」とは一言で言うと、「行政権の私立根拠を、議会の信任におく制度、具体的には議会で多数派を形成した政党が行政権を握る制度である」。欧米ではイギリスを中心とする議院内閣制とアメリカを中心とする大統領制の二つの制度がある。そして議院と大統領が別の選挙で選ばれ、権力が厳然と分立する大統領制よりも、議院内閣制における議会と行政府の双方を掌握する内閣の長である首相のほうが本来大きな権力を持つと理解されている。ところが日本では憲法上では議会内閣制をとりながら、戦後の政治体制では首相の権力が制約された状態に長く置かれていた。日本こそ世界的に見て異様な形態であったのだ。それには日本の政党内閣の歴史や官僚制内閣の伝統的因習などが戦前戦後と継続してきたという見解もある。本書では政策論はとりあえず脇において、望ましい政策を実現するためにどのような政府構造をとるべきかを考える。著者飯尾潤氏は政策研究大学院大学教授で専攻は政治学である。「民営化の政治過程」や「政治改革1800日の真実」、「日本の財政改革」などの著書が多い。本書は政治体制論ということで多少固い面が目立つが、戦後自民党の役割なども具体的に書かれているので面白い本である。公平な目で官僚や政治家の役割が見える意味で、私にとってはメデァの「官僚悪玉論」に毒されていた嫌いもあるので反省もし、お恥ずかしいながら政治の難しさを再認識した次第である。ただこの本だけでは日本の統治主体は見えてこない。

1:官僚内閣制と省庁代表性

現代日本では「議院内閣制」と「内閣制」の区別がなされていない。1885年に就任した初代伊藤博文内閣から連続して歴代首相を数えている。明治憲法と日本国憲法での内閣は天と地の違いがある(明治憲法では天即ち天皇が認めた内閣、民主化日本国憲法では地即ち普通選挙に根拠を持つ内閣という違い)。戦前の政治体制では選挙で選ばれた衆議院の権限は貴族院・枢密院や軍部への統制は及ばず、内閣の存続は衆議院の支持によるとは限らない。明治憲法には意外にも「内閣」という定義もない。戦前の政治体制は民選選挙による衆議院の統治への警戒心に満ちた制度である。非政党内閣である「超然内閣」こそが正統な制度であった。とはいえ大正デモクラシーの時代には1924年から1932年の犬養毅内閣まで政党政治が続き議院内閣的政治が実現してにすぎない。1885年の太政官達し「内閣職権」で天皇親政ではなく「大宰相主義」からなる内閣が施政にあたり、国務大臣が行政長官を兼務する体制である。ところが1891年の勅令「内閣官制」では内閣という言葉さえ使わず内閣総理大臣の権限は大幅に制約された。天皇機関説で有名な美濃部達吉氏は内閣規定がなくとも「内閣官制」の拡大解釈で議院内閣制度的運用は可能であるとした。上杉慎吉氏は天皇絶対主義から権力分立を説き、天皇親政としての行政権が議会に制約されることを恐れた。戦前の政党内閣制は突き詰めれば元老西園寺公望の内閣首班指名に関する天皇への助言に現実的な根拠を持っていた。1932年の5.15軍人テロ事件で政党内閣は終焉した。明治憲法体制は、権力集中による独裁者を生みだしたことで崩壊したのではなく、天皇の前で誰が主導するのか不明なまま意思決定中枢を欠く為事態打開の決断が遅れ、軍部の積み重ねた既成事実が益々選択肢を狭め、日米決戦という破滅的決定を下し崩壊へと突き進んだのである。

では終戦後民主化日本国憲法で定められた政治体制「議院内閣制」とはなんだろうか。そのまえに日本を実質的に単独占領したのは米国占領軍(マッカーサー)である。その米軍が何なぜ自国の大統領制を押し付けずに、イギリスの「議院内閣制」を憲法に盛り込んだのだろうか。本書にその解は見えない。大統領制といっても、ドイツやイタリアの政治の実権は首相にあり大統領は象徴的存在に過ぎない。また韓国の大統領制はかなり大統領の権限が強く、中南米諸国の専制的大統領の近い面もある。発展途上国では巨大な大統領特権が必要なのかもしれないが、いつも軍部専制と腐敗の匂いが付きまとい大統領は政権打倒の対象になる。米軍は日本の政治体制にこの専制的大統領が出現することを最も恐れたのかもしれない。議院内閣制の最も重要な特質は、行政権を担っている内閣が議会の信任によって成立していることである。議院内閣制は政党政治の存在を不可欠の要素とする。したがってヨーロッパの諸国ではこうしたイギリスをモデルとしながら各国の事情に合わせて議院内閣制という政治体制を採用したのである。有権者が衆議院の国会議員を選び、国会が首相を選任することで首相は内閣を組織し、首相は行政権を行使するため複数の国務大臣を選任し内閣の構成員とする。したがって大臣の権限は首相に由来するのである。各大臣は分担して行政事務を行うが、その際官僚の補佐を受ける。大臣は資格任用制があるので官僚を自由に解任できない。この一連の流れが議院内閣制の一元代表性となり、また民主制の一形態であることが理解できる。国会議員とりわけ衆議院議員の仕事は立法だけではなく、首相を選び内閣を支える役割があり全体としてみれば行政権を適切に維持することも議会の重要な機能である。

ただ現実には55体制が成立してから自民党による政権が続いて、選挙によって政権政党が変わるということがほとんど起きていない。衆議院選挙とは関係なく自民党総裁選挙で首相が交代することは常態化したため、議院内閣制では首相選任に選挙民が関与できないという誤解が定着した。派閥の力学によって閣僚選びが舞台裏で進行する為、大臣は首相のために働くというよりは派閥のために働くという印象が支配的になる。大臣はポストであるので誰もが順番を待っている。大臣の任期は原則1年という慣行もできた。つまり素人大臣が入れ替わり、主体的に動ける経験も見識もない大臣が官僚のお膳立てに乗って言われるままに行動する大臣が出てくるのもやむをえない。議院内閣制の原則が逆転し、省庁官僚制の代理人となってしまうのである。内閣はそれぞれ拒否権を持つ大臣の合議制に変質し、議院内閣制は機能不全に陥ってしまった。日本国憲法の条文を見る限り、内閣総理大臣は巨大な権限を持っている。憲法66条で内閣総理大臣は任意に国務大臣を罷免任命する権限を有する。また行政機能では憲法72条で「内閣を代表し議案を国会に提出し、国務外交関係を国会に報告し、ならびに行政各部を指揮監督する」というものである。憲法では各省庁の指揮監督権は首相にあって、国務大臣にはないのである。この点でも首相と大臣の位置関係が現実には逆転している。ところが「内閣法」では戦前の体制が復活している。内閣法第三条には「各大臣は主任の大臣として行政事務を分担管理する」と規定されている。憲法とのねじれがおきている。このような「強い分担管理原則」の下では首相の権限は奪われ、各省大臣がそれぞれ省益に拘束され独立した基盤をもつのである。官僚からなる省庁の代理人たる各省大臣が集合する内閣である「官僚内閣制」は、分担管理原則に負うところが大きい。したがって閣議は省庁の根回しが終わった案件に形式的な追認を与える花押という特殊な署名をする「お習字教室」に変質している。会議としての閣議が機能していないという重大な問題を孕んでいる。閣議の前日に開かれる事務次官会議において反対のなかった案件のみが閣議の議題になるといういわば無責任体制の「官僚閣議」が全てを決めているという戦前の体制が引きずられている。歴代の首相では橋本龍太郎内閣は内閣主導体制を作ろうとしたが、官僚内閣制の呪縛に絡めとられた。「政冶と行政」を「立法と行政」に重ねてしまうと、政治家が立法権のみを担い、行政権は官僚が担うという呪縛に陥る。これは議院内閣制の原理に反する。国会議員とりわけ衆議院議員の仕事は立法だけではなく、首相を選び内閣を支える役割があり全体としてみれば行政権を適切に維持することも議会の重要な機能である。行政府の方針を決めるのは大臣などの政治家の仕事であるが、それを実施するの党派性を持たない官僚が担うということが重要である。行政権が官僚にあるのではなく、かつ行政権が中立であるということはありえない。

「政官財三位一体的支配構造」という言葉はかならずしも適切ではない。統治構造は一枚岩的構造ではない。日本の支配者は誰かという議論は別にして日本政治構造を多元構造と規定する考えが米国の多元主義から由来した。日本政治では政治活動の舞台があくまで省庁の縦割りを軸に設定されている。日本官僚制の特質は1つに人事における自律性である。国家公務員法といえど有名無実な法で慣行が全てを支配している。一人動かすにも大きな連鎖人事が必要なのだ。誰も手をつけられない領域と信じられている。予算や組織運営でも省庁の自律性は確保される。公共事業費の省庁間比率は全く変動しない。予算は「漸変主義」で前年度確保が前提である。政策面でも「権限争議」が激しい。まさに割拠制の「省庁連邦国家日本」である。政策形成は所轄課長や課長補佐が審議会や業界や族議員と検討を繰り返し積み上げ式に稟議書で正式の意思決定へ持ってゆく。予算は対面交渉で総務課へ提出し、会計課がバランスをとる。9月からは各省庁の概略予算は財務省と交渉に入る。局長級の官僚が課長級の主計官と交渉するが、内容や詳細数値の検討は稀で概要項目のみの検討である。12月に政府予算として公表され翌年から復活折衝にはいり、3月までに議会の承認を得るのである。日本の予算編成の特徴は、イギリスなどの諸外国に見られるような分野別割り振りを決めてから内部をつめるのではなく、予算積み上げの過程で調整を行うので変化の乏しい調整である。まさに言いなりの各省独立王国の予算要求で国家が破綻しても誰も責任を取らない官僚王国である。中央政府の各省庁は地方政府(自治体)に政策実施委託している。機関委託業務や補助金配分を通じて中央政府が指示する関係は地方自治体の三割自治と呼ばれてきた。1990年以降「地方分割一括法」が地方と国は対等であると規定したほか、改革知事の出現で津法文献が急速に進みつつある。戦後の中央と地方関係は高度の融合的体制であった。何処までの範囲でどちらに責任があるかも不明であった。地方の警察、税務署、土木部、総務課などの長は国の若手官僚の研修の場に過ぎず人事権も支配されていた。知事までが国の官僚が選挙で転進する場合が殆どである。国の省庁のみならず公社公団という特殊法人などさまざまな機関が地方に食い込んでいる。この関係を「政策ネットワーク」というらしい。「政策コミュニティ」という利害団体の運命共同体も構成されている。サラリーマンの税金は自分では申告しない。源泉徴収制度により会社が税務署の役割を担っているからである。すべて税務署にオンラインでつながっているので筒抜けで、商店主のような節税対策はとれない。日本の国家が深く社会に浸透しているということは、逆に言えば国は末端の部分から社会の浸透を許しているということも出来る。業界・学界・住民との審議会の多さと役割の強さは国と社会の相互浸透とも言えるのである。官僚内閣制は省庁という仕切られた多元主義で生命力を得ているが欠点や制約も多い。

2:政府与党二元体制と政権交代なき政党政治ー55体制

官僚内閣制が省庁代表性を通じて独自の社会基盤を持っていたが、議員は別の形で官僚と内閣の行政権を統制する方法を見つけた。それは与党自民党本部機能の拡大と族議員の隆盛である。日本では「政府・与党連絡会議」というものがある。政府と与党は明確に区別されている。議院内閣制ではでは政府と政権党は一体化されるはずだが、日本では「政府・与党二元論体制」と呼ぶべき仕組みが成立した。自民党では党本部での活動が実質的な立法活動であるといってよい。自民党で与党活動の中心は政務調査会と税制調査会である。部会は省庁別に組織され法案の審査手続きは所轄官庁の完了が有力な議員に概要を伝え説明することから開始される。政調の部会は政府提出が予定される法案全てを審議する。国会の委員会での法案審議が形式的で実質審議がないのに比べて、自民党政調部会での法案審議は実質的である。官僚が与党に法案説明する国は何処にもない。部会では「全会一致方式」または「一任」で決定するが、どうしても反対の議員は退席して議事進行を妨げない。総務会で決定された法案は議員に対して総務会が党議拘束をかける。逆に総務会決定がなければ閣議へは提出できない。こうして全ての法案は与党の事前審査を経ない法案は閣議決定を行わないという慣例の成立である。閣議はこういう与党審査を経ているから実質会議もなく署名だけの儀式になっているである。国会運営も政府とは区別された与党と野党の国会対策委員会(国対)を通じて相互交渉が主流になる。国対政冶は議院内閣制をとる国としては異例なほど野党に配慮してきた。多数派で与党は押し切っていいはずであるが、野党が国会無視と騒いだりしないためにも無理難題を飲んできたり妥協をした。このように法案成立に向けて政治家と官僚の接触は多く、政治家は官僚に圧力や脅しを加え行政権に介入ができたのである。省庁別の族議員の役割は否定的な面が多いにもかかわらず重要である。族議員が業界団体など利益集団と関連官庁につながって日本型の「鉄の三角同盟」が形成されている。調整型官僚に対しては政治家は強い態度でのぞむのでいわゆる「政高官低」という力学も生じている。与党自民党の派閥はかっての首相になろうとする人の個人派閥ではなく、総主流派体制では派閥は固定化され、派閥の長が止めても派閥は維持される。そして当選回数に応じて誰でも閣僚になれるのである。(当選7回が入閣の基準)政治家と官僚の交渉によって融合または交錯が進み、行政的政治家や政治的官僚が生まれる所以である。このように法的責任が内閣にありながら、与党機関に実質的な決定権がある場合、与党側の責任の所在は不明確になる。

議院内閣制が機能するには政党政治の確立が不可欠である。議院内閣制で最も重要なのは政権選択としての総選挙と衆議院での首相指名選挙である。ところが日本では55体制が出来て以来、自民党が長期にわたって衆議院の多数派政党を独占し、1党優位体制が固定化した。つまり有権者の選択によって首相や内閣が変ることが非常に少なくなった。政権の座は自民党内の派閥抗争に限定された。政権交代は自民党内部の事情できまる。こうした状況で少数野党の抵抗で,選挙で敗北したはずの野党も政策に影響力を持っている。この様な野党に対する細やかな利益配分は、自民党長期政権下に於ける重要な慣例となった。それは一定の利益を野党に与えることで政権交代のエネルギーを蓄積させないという仕組みかもしれない。中でも自民党長期政権の秘密は衆議院における中選挙区(定員が3-5名)にある。政党は同一区で複数の候補をたてるので政党中心の選挙活動が出来ない。どの候補者を選ぶかという個人選択になる。又与党自民党の公約は極めて多数の項目に渡り抽象的な表現にならざるを得ない。選挙民は公約なんか読んでいない。中央直結の利権呼び込みが魅力的に見えるのである。日本政治において最も基底的な問題は、政権交代可能な民主政治はどうすれば可能かということであろう。強い政権党が継続して政権を握っている場合、強い野党を作るためには小選挙区制の持つ魅力を利用することであろう。1994年の公職選挙法改正による選挙制度改革が必要である。
内閣提出法案に対する自民党の事前審査制によって国会審議が空洞化し、議決を行うだけの機能に低下し、「討論して決定する」という審議過程がないのである。見世物としての国会審議を「アリーナ型」といい、ドイツ、アメリカのような審議中に法案の修正形成が為される「変換型議会」は形骸化して,委員会重視になった。この委員会での妥協も難しい。「会期不継続の原則」で審議未了で廃案になる。野党としては「強行採決」は「抵抗する野党」という人気を得られるので、こういう事態も野党にとってありがたいのである。参議院どころか衆議院でもその存在意義は極めて曖昧になっている。野党が議会対策の策を弄して自民党を追い詰めるというパターンを繰り返しているが、それで政権交代になるという道筋があるわけでもない。国民には与野党のメンツの立て方による馴れ合いにしか移らない。

3:統治機構の比較ー議院内閣制と大統領制

これまで日本の政治制度独特の「制度と運営の乖離」現象をみてきた。そこでもう一度各国の政治制度を権力の集中と分散と言う観点で比較する。
イギリス:議院内閣制
イギリスは議院内閣制の発祥地である。歴史的には絶対君主制から議会が次第に実権を奪っていったという側面が重要である。1742年二大政党政の成立で議会の多数となった政党が行政権を手に入れ議院内閣制が成立した。19世紀には二大政党制を前提に次第に選挙が拡大し、議会は民主政治の舞台として機能するようになった。1910年下院は上院に対する優位を確立した。同時に総選挙で政党と首相候補、政策プログラム(マニフェスト)の三者が選択されるというイギリス型の選挙制度が定着した。イギリスでは議会の多数派政党が組織する内閣の強力な権力集中を認める政治的緊張を持った仕組みである。政府提出法案は多数決で成立することが当たり前である。このモデルの議院内閣制はオーストラリア、カナダ、ニュージランドなどのかっての英連邦諸国で広まった。
アメリカ:大統領制での権力分立論
アメリカは独立に際しモンテスキューの権力分立論を導入した。連邦制は州政府を基本とした国家体制で、連邦政府の権限は憲法で定めら得た範囲に限定された。立法権は権限の対等な二院制に分けられ両院が賛成したときのみ法が成立するが、大統領に拒否権を与えられるという抑制的な制度であった。外交や軍事に関して大統領に権力が集中している。19世紀南北戦争後共和党、民主党の二大政党体制になった。1930年代ルーズベルト大統領は行政国家化して大統領権限を強化した。ホワイトハウスは大統領官邸ではなく巨大な行政組織として機能するようになった。そうして次第に三権分立の原則が崩れていった。
フランス:議院内閣制の失敗と半大統領制
18世紀の革命で樹立された体制は議会中心主義とでも言うべき体制であった。さまざまな政治形態を経て戦後の第四共和制において元首としての大統領を置くが、基本的には議院内閣制の国となった。フランスの内閣は安定性がなく、1958年に成立したド・ゴール大統領の第五共和制下、大統領は直接公選となり大統領権限は強化され、大統領が任命した首相が組織する内閣は議会の信任を必要とする議院内閣的な側面を残した。したがって「半大統領制」といわれる。議会で反大統領派の政党が大統領派の政党を上回る「コアビタシオン」という状態になるとフランスの半大統領制は機能不全になる。2001年シラク大統領は大統領の任期を5年と短縮して議会選挙と同時に行うようになってようやく議会と大統領支持が一致するようになった。
韓国:大統領主導体制
日本の議院内閣制が権力の分散をもたらし、韓国の大統領制が権力の集中をもたらすというねじれ現象が見られるのは、政治的後進国同士の運命なのだろうか。韓国では伝統的に法の支配の概念が弱い。また議会制の伝統がなく議会が国民統合の主役になることはない。軍事政権の全斗喚、盧泰愚大統領の政権後1993年に成立した民主政権金泳三大統領以来、前政権の腐敗を糾弾することは政治体制として成熟していないことをうかがわせる。大統領が議会をコントロールすることに違和感がないこともおかしい。こうした権力分立的でない大統領制は独裁的といわれるラテンアメリカでも広がっている。これは民主化過程での一つの政治体制かもしれない。

政冶システムは議院内閣制といった制度面だけでなく、「政官関係」といわれる政治家と官僚の力関係にも注目しなければ理解できない。政冶行政分断論と政治行政連続論がある。アメリカでは猟官制という形で公務員の選任が選挙と連動している。日本では官僚は一定の独立性を持って行政を行うべきだという主張が強い。選挙で選ばれない官僚が行政において独自の判断をする正当性は何処になるのだろうか。昔は天皇の僕という独立性であった。今はそうはゆかない。
アメリカ:政治的任命制
官僚は大統領選の後に入れ替わる。連邦の主要な役職3200程度が政治的任命による。政治的任命制は有権者が政府の担当者を選ぶという民主制の現れである。強固な官僚制を許さず、政策形成過程を政府内に留めないで開放することがアメリカ政治の活力なのかもしれない。
イギリス:恒久官僚制と政治的中立
恒久官僚制というのは終身雇用を前提に高級官僚が育成される。オックスフォードやケンブリッジといった名門大学を卒業した人材が生涯官僚の身を歩む。これは日本の官僚像に近い。イギリス独特の政治的中立性という原則がうまれ、大臣以外の政治家との接触は忌避される。政冶官僚化している日本の官僚はこの点で厳格でない。又官僚と政治家の仕事は別であるという観点から、官僚から政治家への転身は稀である。イギリスでは政冶行政分断論が厳格に実現している。
フランス:高級官僚の二分化
フランスはしばしば官僚支配の国家といわれるように、高級官僚が社会のエリートとして厳然たる勢力を占め、各界上層部に官僚出身者が溢れている。ナポレオン帝政期に作られたフランスの大官僚団のトップは国務院官僚、財務監察官、会計監査官といわれる。エリート官僚は政冶的任命の色彩が強い。内閣が交代または大臣が辞任すると官房の官僚も辞任する。しかし官僚には身分保障があるので下野するのではなく閑職で遊んでいるのである。
ドイツ:市民としての官僚と連邦制
戦前の特権的官僚団についての反省から「市民としての官僚」が強調される。ドイツは連邦制の原則で、連邦政府の官僚は少なく企画中心の職務である。州政府が実施するため権力は分断されている。利権とは距離がある。

議院内閣制の確立と政党政治の限界と意義

戦後日本の政治構造は、全体として擬似議院内閣制として機能してきた。確かに内閣だけの運用を見れば官僚内閣制的な慣行を引きずっており官僚優位的な面もある。しかしそれは政府・与党二元論体制を前提とした政治家と官僚が渾然一体化した政策決定プロセスを経ているのである。政治家は十分に官僚をコントロールしている。官僚も省庁代表性というバイパスで官僚原理を利用した社会的利益の集約を行って民意を吸収しつつ政策決定に資するのである。自民党長期政権は選挙による首相選択を奪われた選挙民に対して、派閥抗争による首相交代劇場を演じて有権者のうさばらしを提供してきた。1990年以降経済の破綻を解決する日本の政治システムの機能不全が明らかになり、なかなか成果が上がらない。
では日本の政冶システムには何処に問題があるのだろうか。第一に政治の方向を決める「権力核」の不在である。(戦前の日米開戦に陥った国家体制におなじ)改革という言葉は溢れているが何をどう改革するのか論理がない。第二に権力核の民主的統制の強化が課題になる。選挙による政権選択の問題である。第三の問題は政策の首尾一貫性の確保の難しさである。
議院内閣制を存分に機能させるにはどうしたらいいのだろうか。衆議院選挙における政権選択選挙の実現と内閣総理大臣の強化である。有権者が選挙で政権政党と首相候補と政権公約の3つを同時に選ぶことが必要だ。1994年の選挙制度改革で衆議院議席の6割に小選挙区制が導入された。しかしそれから13年経つがいまだに政権交代はなされていない。自民党の問題というより、野合野党「民主党」にほうに宿命的な問題があるようだ。議院内閣制度を強化するには首相自身の魅力も大事だが、内閣官房の強化(首相官邸のホワイトハウス化)が必要かもしれない。特に日本の閣僚の危機管理にはお寒いものがあるからだ。
近年政冶行政改革によって政治構造も変化し始めている。なかでも選挙制度改革1996年10月橋本内閣の衆議院選挙で敗北した小沢一郎の新進党は解党し、1998年民主党が発足した。1998年7月の参議院選挙で自民党は少数派となって橋本内閣は退陣した。小渕内閣、森善郎内閣は短命に終わり、小沢一郎の自由党は2003年民主党へ合流し二大政党の兆しが現れた。2001年4月小泉内閣が発足し、改革路線に反対する自民党の保守派を壊すと宣言し高い支持率で政権を維持した。道路公団民営化、郵政民営化、公共事業削減を「断行」して2005年9月の郵政衆議院解散で小泉は大勝し与党で議席の2/3を占めた。しかし2007年7月安倍首相での参議院選挙では自民党は大敗を喫した。橋本内閣は2001年中央省庁の抜本的改革を行い大蔵省は消滅した。また内閣官房の強化したことは後の内閣にも継承されていった。小渕内閣では副大臣政務官制度が導入されたことは政治家の行政への監督責任強化になった。小泉内閣では閣僚候補に関する派閥推薦を受けず首相専断とした。さらに経済財政諮問会議を多用して重要な課題に関しては首相の前で閣僚が会議を行い首相が裁断するという閣議の実質的な活性化を図った。大蔵省スキャンダルは自民党の複雑な感情が爆発した政治問題で、結局大蔵省は解体し、財務省と金融監督庁に分解した。さらに2000年に私立した「地方分権一括法」による地方自治体の自立は相対的に中央官庁の権力の地盤低下につながっている。こうして官僚による自己完結的な官僚内閣制的な運用は難しくなり、小泉内閣の下で議院内閣的運用が大きく進展した。

グローバリズムや地方分権の流れの中で、国家の立場が次第に変化しつつある。第一の問題として二院制の問題では、内閣は衆議院に基礎を置くものであることを強調しなければならない。現在衆議院と参議院のねじれ現象で立法機能が不全になる危険性がある。衆議院にはさまざまな優越性をあたえているが、日本の両院制は対等に近いものである。議院内閣制が衆議院の基礎を置く体制を完結するためには参議院のは衆議院の方針に反対しないとか、参議院を廃止するとか、参議院の機能制限または集約にする必要があるのではないか。第二の問題として官僚制の再建の問題がある。党派化した行政府を真に専門家知識と中立性から下支えする機能も必要である。そのためには統制の規範として政治家の命令には従うのが当然である。第二に分離の規範である。政治と一定の距離をおくことである。第三に協働の規範である。政治家と官僚の協働である。あのお粗末で無責任で役人天国的な社会保険庁の解体と民営化に象徴されるように、政府機能の民営化については公共的内容は政府中枢が決め、実施活動は市場原理的要素も入れて民営化するという発想が大事である。


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