書評  050810

柳澤桂子著 「生きて死ぬ智慧」

   
 小学館 (2004年10月10日初版)
 
「般若心経」の読み方、無と命の関わりが語られる
 

「般若心経」とは、皆さんよくご存知の「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時・・・・・・・」で始まるお経です。お経については素人ですので、とにかく意味は分からなくとも音読みに読み下せばありがたいものとしか考えていませんでした。中学生の時姉が亡くなって、このポピュラーな般若心経を頭から音読暗記したことを憶えています。非常に短いお経ですので容易に暗記できました。そして同じ言葉の繰り返しが単調なリズムを生んで覚えやすかった。
柳澤桂子氏は三菱化成生命研究所で「発生」の研究者でしたが、「周期性嘔吐症候群」という原因不明の病で研究を中段し退職され、小康を得た現在サイエンスライターとして活躍されている。その35年に及ぶ闘病生活で悟られた命の存在形式と般若心経の教えがこの本で語られています。まず般若心経とその読み下し文、柳澤桂子訳の要約を示します。

般若心経
般若心経     ()は読み下し文 柳澤桂子氏訳文概要
観自在菩薩 (かんじざいぼさつ)
行深般若波羅蜜多時 (ぎょうしんはんにゃはらみたじ)
照見五蘊皆空 (しょうけんごうんかいくう)
度一切苦厄 (どいっさいく)
舎利子 (しゃりし)
色不異色 (しきふいしき)
色即是空 (しきそくぜくう)
空即是色 (くうそくぜしき)
受想行識亦復如是 (じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ)
舎利子 (しゃりし)
是諸法空相 (ぜしょうほうくうそう)
不生不滅 (ふしょうふめつ)
不垢不浄 (ふくふじょう)
不増不減 (ふぞうふげん)
是故空中 (ぜこくうちゅう)
無色 (むしき)
無受想行識 (むじゅそうぎょうしき)
無眼耳鼻舌身意 (むげんにびぜつしんい)
無色声香味触法 (むしきしょうこうみそくほう)
無眼界 (むげんかい)
乃至無意識界 (ないしむいしきかい)
無無明 (むむみょう)
亦無無明尽 (やくむむみょうじん)
乃至無老死 (ないしむろうし)
亦無老死尽 (やくむろうしじん)
無苦集滅道 (むくしゅうめつどう)
無智亦無得 (むちやくむとく)
以無所得故 (いむしょとくこ)
菩提薩た (ぼだいさった)
依般若波羅蜜多時 (えはんにゃはらみったこ)
心無けい礙 (しんむけいげ)
無けい礙故 (むけいげこ)
無有恐怖 (むうくな)
厭離一切顛倒夢想 (おんりいっさいてんとうむそう)
究竟涅槃 (くきょうねはん)
三世諸仏 (さんぜしょぶつ)
依般若波羅蜜多故 (えはんにゃはらみったこ)
得阿耨多羅三藐三菩提 (とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)
故知般若波羅蜜多 (こちはんにゃはらみった)
是大神呪 (ぜだいじんしゅ)
是大明呪 (ぜだいみょうしゅ)
是無上呪 (ぜむじょうしゅ)
是無等等呪 (ぜむとうどうしゅ)
能除一切苦 (のうじょいっさいく)
真実不虚 (しんじつふこ)
故説般若波羅蜜多呪 (こせつはんにゃはらみったしゅ)
即説呪曰 (そくせつしゅわつ)
羯諦 羯諦 (ぎゃてい ぎゃてい)
波羅羯諦 (はらぎゃてい)
波羅僧羯諦 (はらそうぎゃてい)
菩提薩婆訶 (ぼじそわか)
般若心経 (はんにゃしんぎょう)
全てを知り覚った方に申し上げます
真理に対する正しい智慧の完成をめざしていたとき
宇宙には五つの要素があることに気がつかれました
一切の苦しみから解き放たれたお方
シャーリ菩薩様
これらの要素は実体を持ちません
形あるものは形が無く
形の無いものは形があるのです
感覚、表象、意思、知識も、これまた実体がないことを悟られました
シャーリ菩薩様
あなたはこれらの要素が空であって
生じることもなく、無くなることもなく
汚れることもなくきれいになることもなく
増すこともなく減ることもないことを悟られました
だから空という状態には
形がなく
感覚もなく,意思もなく、知識もありません
眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく
形もなく、声もなく、香りもなく、触るものもなく、心の対象もありません
眼の領域から
意識の領域まで全てないのです
真理に対する正しい智慧がないということもなく
それが尽きることもありません、迷いもなく迷いがなくなることもないのです
こうしてついに老いもなく、死もなく
また老いと死がなくなるということもないという悟りに至るのです
苦しみも苦しみの原因も、抑える方法もないのです
知ることもなく、得るところもありません
得るということがないから
悟りを求めて修行する菩薩様は
永遠なる真理を求めて永遠に努力し
心を覆われることなく生きてゆけます
心を覆うものがないから
恐れがなく
道理を間違えるということがないので
永遠の平和に入ってゆけるのです
このように過去現在未来の三世の仏様は
永遠の真理によって存在します
深い理性の智慧もまた永遠に存在するということです
それゆえ仏の智慧は
まことの言葉
一切の智慧
この上ない真実
比べようがない最大の真言です
一切の苦を取り除く
真実で偽りのない言葉です
ゆえに真実の智慧を話そう
その真実の言葉とは次のとうりです
行くものよ、行くものよ
真理を求めるものよ
完全な真理を求めるものよ
悟りよ幸いあれ
般若心経
(般若心経の漢字で二箇所がIMEパッドで漢字はあるのですが、なぜかブラウズにすると?マークがつきます。ひらがなで表しておきます。)

柳澤桂子氏はかなり意訳で行との対応がつかないときもありますので、私は言葉の注に従い行に対応して直訳してあります。また柳澤桂子氏は行間を読んで多少長文になっていますので、あえてカットしました。まず原文を理解してから個人でよくその意味を考えて見ましょう。

次に訳ではカットしましたが、柳澤桂子氏が付加された「色即是空」の解釈で面白いところがあります。
「宇宙では形という固定したものはありません。実体がないのです。宇宙は粒子に満ちています。粒子は自由に動き回って形を変えて、お互いの関係の安定したところで静止します。」
「形のあるもの、言い換えれば物質的存在を私たちは現象としてとらえているのですが、現象というものは時々刻々と変化するものであって変化しない実体という物はありません。実体がないからこそ形を作れるのです。実体がなくて変化するからこそ物質であることができるのです。」
「あなたも宇宙の中で粒子でできています。宇宙のなかの他の粒子と一続きです。ですから宇宙も空です。あなたという実体はないのです。あなたと宇宙はひとつです。」

この部分の解釈がこの本を出す意義のある所かもしれない。宇宙のビッグバンの時に宇宙には塵の濃淡があって、星やガスを構成しついには地球に生命をもたらしたという現代宇宙物理のセントラルドグマである。そのセンタラルドグマに異を唱えるつもりはないが、この本の般若心経が説く「色即是空」の概念に当てはめるのが妥当かどうか考えてみよう。

般若心経は、否定の否定の繰り返しで結局何も分からない居直りに終始しているように見るのは浅智慧かな。「否定の否定」論理の悪循環から逃れる手立ては西洋では不可知論に埋没することであった。インド仏教では輪廻の論理で桎梏から逃れるため輪廻を断ち切ることで永遠に生きられると説いた。「否定の否定」論理の悪循環が言語上は同じ言葉の繰り返しと少しのバリエーションとなって単調なリズムを生んでいる。「私も宇宙の塵に過ぎない。集まっては形をなし死んでは飛散する」という概念は生きている内は心の安心には役に立つだろう。人間が分解すれば水と炭酸ガスと多少の無機物が残る。構成元素といっても炭素、水素、酸素、窒素、カルシウム程度である。物質論で人生が分かるのか私には大いに疑問である。

ちなみに般若心経全文の字数265文字のなかに、「無」という字が21、「空」という字」が6、「不」という字が8文字ある。これをみても般若心経が「無」の概念に徹していることが分かる。仏教が東洋思想の「無」に発展したことが明らかであろう。命の存在は無のなかの一瞬のきらめきかもしれない。だから大事に有意義に生きようではないか。


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