ごまめの歯ぎしり  04.09.04

    

北オセチア学校占拠事件にみるテロとその解決法

 
これを善良な市民に対するテロとすれば何も見えない  

[インタファクス通信などによると、ロシアの学校占拠事件は3日午後、治安部隊が校内に突入、武装犯人グループと激しい銃撃戦が続いたが、ほぼ制圧した。約30人の子供と女性は脱出した。約330人とみられる人質に犠牲が出たかどうかは不明。9月3日(19:24)asahi.comより]
このようなニュースが9月3日午後6時30分ごろからテレビを駆け巡った。おそらくロシア軍が強行突入を開始したようだ。惨事はこれからだ。なぜこのようなテロが起きたのか。最近の米国は国際紛争をすべてテロと呼び捨てにしているがほんとうにそうなのか。ニューヨーク9.11事件以来、米軍のアフガン侵攻、イラク戦争、イスラエル紛争、今回のチェチェン共和国独立紛争などをテロ事件だけで見ていると袋小路に陥る。米国が何一つ解決できないでいるのはこれらを対テロ戦争の延長戦で対応できると信じているからだ。結果から言うとこれらの戦争は政治プロセスで見ていかなければ前には進展しない。国際テロ組織アルカイダとその影響下にあるイスラム原理主義という捉え方では宗教・民族の憎しみあいからくる原理主義的戦争になる。
アフガニスタンにいた国際テロ組織アルカイダは実はソ連のアフガン侵攻に対処するために米国がパキスタンで養成した軍隊であった。つまり東西関係で見なければならない。いわば飼い犬にかまれた米国であるが、いつからアルカイダが反米に方針転換したのかその理由はなにかといえば、米国の中東支配に対するイスラム圏の反発の線上にある。つまり米国原理主義に対する闘争である。経済的には米国の中東石油資源の横取りを恐れたイスラム圏の戦争と見ていい。
今回の事件はチェチェン共和国独立紛争の延長戦にある。ロシアは旧宗主国としてどれほどチェチェン共和国に利権があるのかは勉強不足で分からないが、この事件を政治的に解決するには共和国の独立承認しかありえない。またそのプロセスはソ連崩壊後の民族独立の流れそのものである。その政治的時流に目をつぶってテロ事件だけ軍事的に解決しようとしても火に油をそそぐ結果になることはまさに火を見るより明らかである。ロシアもまだアフガンの教訓を学んでいない。米国が9.11事件から何も学ばずお門違いのイラク侵攻を行ったのと同様な愚である。
テロを擁護するわけではないが、弱いものが強いものに抵抗するには最初はナイフしかない。つまりかってはゲリラと呼ばれていたが、テロもゲリラと同じである。社会不安を引き起こして政権を不安定にするにはテロが最も効果的である。幕末には薩摩長州の討幕派が京都で起こしたテロ事件が幕府の威信を傷つけ幕府の内部崩壊を招いて明治維新を成し遂げた。薩摩長州のテロが悪いとは歴史では誰も言わない。勝てば官軍だからだ。テロは弱いものが引き起こす抵抗手段である。強いものはこれらをテロと呼んで精神異常者か殺人鬼扱いにして抹殺しようとする。
無抵抗な市民を巻き添えにするから悪いというような道徳的価値体系でも計れない。なぜなら米国は太平洋戦争末期沖縄占領後本土上陸の前に日本軍の抵抗力を落とすため広島、長崎で原爆を落とした。無抵抗の市民が30万人ほど即死した。これは無抵抗な市民を狙ったテロではないか。
メディアはテロと呼称することで正常な判断力を失い政治的プロセスを論じることを忘れている。


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