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本間 龍著 「原発プロパガンダ」 
岩波新書(2016年4月)

電力会社と政府による原発推進宣伝の国民洗脳テクニックの数々

2011年3月11日の東電・福島第1原発事故以前、国内のほとんどのメディアは、政府及び原子力ムラによる原発礼賛の広告、または翼賛記事を大量に掲載、放映していた。それらはいずれも「原発は絶対に事故をおこさない」、または「万が一事故が起きても放射線漏れは絶対ない」といった明らかに事実に反する虚偽の主張に基づく「安全神話」で彩られていた。このほかのキャッチフレーズには「原発はクリーンエネルギー」、「原発はリサイクルエネルギー」というフレーズを流していた。これら「安全神話」の流布を、国民を原発推進に駆り立てるための「原発プロパガンダ」と呼ぶ。本書は、約40年にわたり(1970−2010年)、原子力ムラと政府が使った国民を欺くテクニックと、その実行主体と協力者、そして事例を明らかにする。1950年代から国策として国が主導し、政官学と電力業界を中心とする経済界が展開した原発推進PR活動、その期間・巨額の予算からして、世界でも類がないほどの国民煽動プロパガンダであった。政府・推進側の権力が原発推進のために効果的に行う啓蒙宣伝活動は、戦後社会に浸透した消費市場になくてはならない「広告」という手法であった。最も効果的な展開計画を?つあんし実行したのが、電通をはじめとする大手広告代理店であった。原発は豊かな社会を作り。個人を幸せにするものだという幻想に満ちた広告が繰り返し、専門家や文化人、タレントを使って展開された。見る人、聴く人は何回も繰り返されるにつれて、それが本当のように受け取るようになる。これはナチスの宣伝省の戦略であった。その広告のために電力会社9社は約40年間に使った普及開発関係費(広告費)は実に2兆4000億円に上った。これはトヨタやソニーのようなグローバル企業の宣伝費を上回る。原発プロパガンダを実施したのは電力会社だけでなく、その業界団体である「電気事業連合会(電事連)」が全国宣伝を代行した。さらの経産省資源エネルギ―庁・環境省・文部省・NUMO(原子力発電環境整備機構)などの政府広報予算に投下された税金は、電力業界が使った宣伝費匹敵する。この広告は表向きは国民への原発次号の宣伝という目的の他に、メディアへの巨額な仕事を提供し、一度広告費を受け取ると経営計画に組み込まれ、なくてはならない収入源となってしまい、広告を引き上げるという殺し文句でメディアを支配し、メディアを原発推進派の宣伝部隊に化すことができる。原子力ムラの代理人としてメディア各社(新聞・テレビなど)との交渉窓口になるのが、電通と博報堂に代表される大手広告代理店である。日本で大手広告代理店2社が独占体制ととれるのは、欧米にある「1業推1社制」(同じ業種には1社の広告代理店しか入れない)がないため、1社の広告代理店が例えば自動車会社数社と契約できる(水平独占)。また欧米では広告制作部門とメディア購入部門の分離が大原則であるのに対して、日本では広告制作からメディア購入まで一貫体制(垂直独占)が敷ける。この垂直独占禁止制はいま電力の自由化で採られようとしているが、電力製造と電力流通の分離別会社がどこまで実効性があるのか疑問である。さらの日本だけで特殊な営業スタンスが、「メディアの枠をスポンサーに売る」という体質である。欧米では「スポンサーのためにメデァの枠を買う」となっている。つまりメデァは大手広告代理店に「広告を買ってもらう」という弱い立場にある。同じような構造は大手旅行代理店とホテル・交通媒体(航空機・JR)の関係でもいえる。スポンサーを顧客個人、メディアをホテル・交通媒体と読み替えれば、大手旅行代理店の優位性が際立つことが分かる。反原発報道を好まない電力会社の意向が大手広告代理店によってメディ各社に伝えられ、隠然たる威力を発揮する。だからメディア(新聞・テレビなど)は反原発報道をしてパトロンのご機嫌を損なうと、広告費を一方的に引き上げられ経営的にピンチとなる。広告費を形にした恫喝・メディア支配を行うのが、広告代理店の仕事である。メディアは批判的報道を控えるという自粛策をとる。メディアの報道内容については電事通が日常的に監視しており、反原発報道が出ると電事通は専門家を使って執拗な記事の訂正・修正を求めるのである。こうして3.11までは、巨大な広告費による呪縛と原子力ムラによる監視と攻撃によって、原発推進勢力は完全にメディアを制圧してきた。つまり日本の広告業界の特殊性が、原発プロパガンダの成功の大きな要因であった。本書の主な目的は、原発の安全性に関する科学的・技術的問題を追うのではなく、原発推進側の宣伝プロパガンダの歴史を検証し、そして日本の戦後広告史の暗黒面を検証することである。

一般商品の「宣伝広告」と「プロパガンダ」はどう違うのだろうか。それはプロパガンダという言葉に非常に特殊な、政治的な思惑を伴うことである。つまり「宣伝・広告戦略」である。プロパガンダになぜか危険な香りがするのは、それはナチスドイツのイメージが重なるからである。ゲッペルスの宣伝省という機関に、連合国側が狂信的ユダヤ人排斥イデオロギーを実行した悪の機関というマイナスのイメージを刷り込んだからである。そもそもプロパガンダという言葉はナチスの発明品ではなく、第1世界大戦でプロパガンダは国家間の戦争において必要不可欠なものであった。ラジオや映画を主体としたメディアを最大限に利用したのはイギリスであった。むしろ連合国側が盛んに使った手法をナチスが真似たというのが正しい。このプロパガンダ=広告宣伝は時代の技術を取り入れ世界各国で展開されたが、日本では原発推進宣伝において強烈なテクニックを駆使して展開された。日本は1950年代における原発推進を国策と決めたが、これには政治家中曽根氏と読売新聞社正力松太郎の力が大きい。米軍基地反対闘争を力づくで排除してきた国家権力であるが、「原子力平和利用」を謳うからには国家暴力を用いるのは得策ではない。円滑に原発建設を進めるためンソフト戦術、つまり「合意の捏造」でもいいから、多数の国民は原発を容認しているという世論形成を目指した。それには全国紫の巨大メディアと地方に根差したローカルメディアの両方を活用して国策宣伝に努めた。「原発は安全で必要不可欠なシステムである」という意識を浸透させる必要があった。しかし日本列島は地震大国で、原発は隠してきたが事故続きであること、原発推進には致命的な欠陥を徹底的に隠して宣伝しなければならなかった。これはもう宣伝というより神がかり的な「安全神話」を偽造して流布することになった。真実を広く知ってもらうという本来の宣伝目的ではなく、最初から国民をだますという基本スタンスに立っていた。40年間に電力事業者が使った広告宣伝費が2兆4000億円という途方もない金をつぎ込んで、しかも国民の多くがプロパガンダに気が付かないという究極の目的を達成したと言われる。原発プロパガンダの歴史とは、そのまま日本のメディア史、広告業界の歴史と重なっている。この宣伝システムが長く露見しなかった最大の要因は、本来っ警鐘を鳴らすべきメディア(新聞、テレビ、雑誌など)が完全に抱き込まれ、原発推進側の共同体となってしまったからである。メディアは長年「広告費」を貰うことで原子力ムラを批判できなくなり、プロパガンダの共犯者に成り下がった。各地で原発事故が起こっても、原子力保安院や御用学者・専門家が言う軽微な「事象」というオブラートに包んだ報道しかしなかった。しかし関係者のリークがあって度重なる事故隠しや偽造データーの程度が悪すぎること、そして決定的には2011年3月11日の原発事故発生で、電力業界の奴隷であったメディアも批判の目を向け始めた。長年メディアが原発プロパガンダの片棒を担いできたことの事実をほとんどのメディアは検証しなかった。自己批判をしたのは、朝日新聞2011年10月「原発とメディア」だけであった。原子力ムラの宣伝部であった読売新聞は黙したままどころか、再稼働宣伝の先頭に立っている。筆者は大手広告代理店である博報堂営業部に18年間勤務して、企画立案・広告制作・媒体購入・販売施策を担当し集金まで行ってきた経験から、その宣伝の流れのすべてを把握していたという。しかし事故後数年たってもメディや広告代理店は過去を反省しない実態を目にして、その仕組みを世に問うつもりで関係書籍を数冊刊行した。関係著書を羅列すると、@「本書」2016/4、A「大手広告代理店のすごい舞台裏」2012/6、B「電通と原発報道」2012/6、C「原発広告」2013/9、D「原発広告と地方紙」2014/10、E「誰がタブーをつくるのか」2013/2である。プロパガンダは気づかれずに人々をマインドコントロールすることが真骨頂であるので入念な計画を練る。3.11以前の原子力ムラのキャッチフレーズは以下のようであった。@原発は日本のエネルギーの三分の一を占めている、A原発は絶対安全なエネルギー、B原発はクリーンエネルギー、C原発は再生可能エネルギーというものであるが、@という既成事実を除いて、すべてはすぐにばれる真っ赤なウソである。人々は何となくそれを信じてきたのだろう。2009年の内閣府「原子力に関する特別世論調査」でプロパガンダの効果(世論)を測定している。原発に賛成が60%、現状維持が19%であった。原発賛成・容認は国民の80%を占めると政府は安心したようである。スリーマイルズ島事故もチェルノブイリ事故も東電のトラブル隠しも経験してきた日本でこの世論誘導は見事であるとしかいいようがない。事故の詳細や本質を隠し大したことはないように報道し、事故のことを考えさせないようにしてほかのことに気を向けさせる。それは大量の原発宣伝広告とメディアの翼賛報道の結果であった。9電力会社の宣伝広告費は過去40年で2兆4000億円であるが、広告費の原資は利用者から集めた電気料金にある。その電気料金は総括原価方式で計上される。つまり電力会社は地域独占で競争がないことにより経費節減の圧力がないので、宣伝費に歯止めをかからない構造であるからだ。

1960-1970年代の高度経済成長期に取り残された、福島県、福井県、青森県、新潟県など原発を誘致した地方は。過疎のより地域衰退に追い込まれていた。そういう地域に「ゆたかな生活」という甘い幻想をもって声を掛けたのは、原発立地地域における原発プロパガンダであった。立地県におけるメッセージは以下のようなものであった。@原発を誘致すれば、電源三法交付金が自治体に入り、地域経済が豊かになり、個人の暮らしも豊かになる、A電源三法交付金で地域のインフラを整備すれば、地域発展の起爆剤となる、B原発は日本経済に絶対不可欠の電力供給の根幹であり、国策に則った政策強力になる、C原発は何重もの安全防御に守られており、絶対事故は起きない。万が一にも放射線漏れはない。といった内容の広告と記事が地元ローカル紙、テレビ局に大量に掲載され、1910月26日の「原子力の日」には著名人を呼んだシンポジウムが開催され、電事連などの広告や政府広報が配布された。その代わり都会の電力消費地には@−Bの経済効果の宣伝はなく、もっぱらCの「原発の安全性」が強調された。そのほかD原発の発電コストは安い、1997年京都議定書締結後はE原発は炭酸ガスを出さないクリーンなエネルギーであるという文言が使用された。東京電力の1965年からの普及開発関係費(広告費)の推移を見ると、最初は7億円/年だった広告費は原発の増設と共に飛躍的に膨張し、1989年には200億円/年を突破し、300億円/年に迫った。そして広告費の増加にはある法則が見られる。事故やトラブルが起きるたびにそれを隠すようにして広告費が激増するのである。事故によるネガティブな印象が広がる前にメディアの紙面を独占し、大した事故ではないかのように派手な広告が多量に流れるのである。原発広告の目的は一般商品広告とは違ってユーザーへの商品訴求ではない。巨額の広告費を払うことで、その広告を掲載するメディアに対して暗黙の圧力を加えることが目的の一つである。原発事故がおきてもメディアの批判記事を自粛させる効果がある。大スポンサーの御機嫌を損ねると、広告を引き上げられるのでメディアの経営に影響が出るから、スポンサーへの批判記事や報道は不断から自粛するという。平時における電力会社の広告出稿は、常に原発礼賛してもらうための「賄賂」であり、事故などの有事の際は、メディアに報道次週を迫る「恫喝」手段となる。原発プロパガンダの司令塔は政府と関連省庁(経産省エネルギー資源庁、文科省、環境省)そして電力会社であろう。すでに破たんが決定的な高速増殖炉「もんじゅ」、一度も運転をしたことがない六か所村の「核燃料リサイクル」の施設に、現在でも税金を注ぎ続ける無責任と無自覚は、日本官僚組織の悪弊である。原発プロパガンダの普及には、それを推進する多くの組織(原子力ムラ)が存在した。分類すると以下になる。
@ 政府自民党及び行政機関:経産省、文部省、環境省
A 電力会社:全国9社及びグループ企業
B 原発メーカー:日立製作所三菱重工、東芝、建設会社、および周辺機器メーカー
C 東大を頂点とする原子力関連研究機関(医学部も含む)
D メディア:新聞社、テレビ、出版社、ラジオ局
E 大手広告代理店:電通、博報堂
テレビ、ラジオCMの放送枠購入は電通や博報社など大手広告代理店を通さないと不可能である。特に電通は東電や電事連のメイン代理人として絶大な支配力を持っている。これらの原子力ムラを総攬する金融機関を含む432社の「原子力産業協会」が存在する。これが「原子力ムラ」の一覧であり、日本一流企業のほとんどが加盟する日本社会そのものである。(本書末尾の付録として原子力産業協会登録432社の一覧表が掲載されている。一度目を通しておかれることをお勧めする。又同様に軍事産業企業一覧表も知っておかれるほうがいいと思う) 原発プロパガンダはいくつかの要素で構成される。それは繰り返しになるが、@あらゆるメディアを使用した広告展開(対象は国民)、A電事連によるメディア監視(対象はメディア)、B巨額広告費を背景にした言論封殺(対象はメディア)である。特にAの電事連によるメディア監視は、執拗で高圧的である。例えば2004年の4月・5月の2か月8つの新聞記事をチェックして、抗議文と質問状を送り付ける。専門家の立場からの質問状はメディアをみくだしたような細部にわたる技術的内容である。記者は面倒だから原発記事を書くのは止めようという気にさせるらしい。そして電事連のHPにアップし攻撃を加えてきた。原発プロパガンダの仕組みこそが、メディアによる批判と検証を封殺し、福島第1原発事故の悲劇に要因となったのである。

1) 1968-1979年の原発プロパガンダ

日本における原発の始まりは、1970年の敦賀原発(日本原子力発電)、美浜原発(関電)、1971年の福島第1原発(東電)の営業開始からである。敦賀原発の連合広告(電力会社と小路会社)が1968年福井新聞両面見開き(30段)に掲載された。この頃の広告媒体は新聞が圧倒的に多かった。県紙といわれる地方ローカル紙が世帯普及率が50%を超えていた時代のことである。元請け工事会社が金を出して掲載する竣工記念として地方紙を飾った。60−70年代の原発立地県の地方紙に掲載された原発広告の段数は、1970年で166段、74年で332段、79年で780段と次第に広告段数が増加していった。片面全面広告は1970年代ではショッピングモール、自動車、パチンコ店などに限られており、原発広告は地方新聞社の貴重な収入源となった。その後原発広告は、関連企業だけでなく電事連や政府広報も抱き合わせで掲載され、地方新聞には経営の柱となって止められない仕事になった。記事なのか意見広告なのかいまひとつはっきりしない形態であった。福島でも1971年の東電福島第1原発の稼働開始とともに、原発広告が福島民報と福島民友(両紙合わせて60%以上のシェアー)に掲載された。この2紙の論調に差はなく、原発は安全である、立地に伴う電源三法交付金で地元は繁栄できるというものであった。スポンサーは原発を管理する東電と、福島に電力供給する東北電力の2社共同出資であった。福島民友が1975年11月に「原発を見直す」という連続企画を立て、ひたすら原発の安全性を強調した。また福島民報も1978年2月に「エネルギーと新電源開発」という連載記事を掲載し、石油危機への対応と経済的恩恵を強調した。全国紙の朝日新聞と読売新聞は、1974年石油ショックで広告が激減した背景を受け、意見広告の形で掲載を開始した。1974年7月6日より、朝日新聞に10段広告で原子力文化振興財団がスポンサーになって、「70年代、新エネルギー正規の始まり」というタイトルで毎月1回掲載され、計14回シリーズとなった。執筆陣はほとんどが大学教授で原発の構造や安全性を語った。使用済み核燃料の最終処分をどうするかは当然問題にされたが、そのうち何とかなるだろう式の無責任きわまる原発を、最終処分場のないまま40年間も原発を運転した責任は大きい。1976年ノンフィクション作家の田原総一郎氏が「原子力戦争」を刊行して電力会社と広告代理店の癒着を告発した。テレビ東京で連載していたら、東電と組んでいた広告代理店の電通から、スポンサーの圧力で連載中止か、辞任を迫られたという。スポンサー探しを全面的に電通に依存していたテレビ界としては、スポンサーを降りるという言葉に震え上がったようだ。1970年に稼働した福井と福島の原発はその後次々と原発を新設した。1970年代に福井で8基、福島で6基、島根・玄海・浜岡・伊方で5基、合計19基が新設された。1979年3月28日アメリカのスリーマイルズ島で起きた事故は、初めての大規模事故となり政府と業界に衝撃を与えたが、福井や福島での記事の扱いは少なく、むしろ心配を打ち消すかのように広告出稿が増加した。1979年の1年で広告は200段以上と突出した。福島ではこの年稼働した原発は6号機のみであったが、福島民友・民放はそれぞれ「福島第1原発完成特集」といった120段(8ページ)の大広告を打った。1970年代の広告掲載段数の合計は3103段であった。その内容は、原発はすでに全電力の1割を担っている、安全確保は万全、電源三法で町は潤った、今後も原発があれば町は豊かになるという、原発信仰ともいえるっ提灯広告である。実は潤ったというのは大熊町と双葉町だけであるが、電源三法は一定期間だけの交付であり、それが切れると町の財政は途端に苦しくなるので、原発増設に頼らないと生きてゆけないという薬物依存患者になっていた。

2) 1980-1989年の原発プロパガンダ

1980年代になると、全国各地で原発建設・稼働が開始され、そのため各地のローカル紙への広告出稿も飛躍的に増加し始めた。原発の増設は、玄海、伊方、福島第2原発、高浜、敦賀、浜岡、島根と続き、新設原発は女川、川内、柏崎刈羽、泊であった。1980年代の原発は合計17基となった。1980年代の広告掲載段数の合計は5415段であった。1970年代の広告は大学教授や専門家の解説や説明の文言が多かったが、1980年代には表現が多様になり、写真・イラストが多くなった。また原発建設現場や原発で働く人の笑顔を入れて親近感を持たせた。1980年代にハ東電やや中部電力が早くもテレビCMを開始した。そしてタレントや著名人と電力会社幹部との対談シリーズ広告が登場した。原発先進県である、福井県と福島県ではメディアの論調に温度差が現れるようになった。1981年敦賀原発1号機の放射性物質漏洩を日本原電が隠していたとして、福井新聞は「放射能漏洩」を取り上げた。1991年美浜原発第2号機で細管破断事故がおき、あわや反応炉が空焚きになる寸前に緊急冷却装置を作動させて難を逃れたという重大事故が発生した。その時の福井新聞は厳しい批判を展開した。これに対して福島では原子力ムラとメディアの甘い関係が続いていた。敦賀原発事故が起きた1981年4月福島民報は他人事のように、福島の安全管理は完璧と安心を前面に出した記事を掲載した。福島民報は同年10月「エネルギーと地域開発」を9回シリーズ記事を掲載するが、原発の経済的恩恵のみを宣伝した。1986年ソ連のチェルノブイリ原発で爆発事故が起き、日本でも大規模な反原発運動が巻き起こった。東電は86年の宣伝費を150億円にあげて、「原発事故はソ連という国の特殊事情で、日本ではありえない」という反チェルノブイリ事故キャンペーンを展開した。その後宣伝費は増え続け、1989年には年額200億円を超えた。美浜原発3号機事故の2005年には293億円に達した。1988年全国紙の朝日新聞と読売新聞に、「原子力発電、あなたの質問にお答えします」(全15段)の4回シリーズ広告を打った。このシリーズは博報堂の制作で、読者の質問に電事連が答える形をとったが、読者からの質問ではなくやらせ記事であった。結論は「チェルノブイリのような事故は、日本では決して起きない」と言いうものであった。青森県の東奥日報は原発広告を掲載し続けた。1986年の掲載段数は777段と群を抜いた掲載ぶりであった。スポンサーは日本原燃と関係2社、電事連、青森県、資源エネルギー庁、科学技術庁であった。青森県庁は県民の税金を使って精力的に核燃料リサイクル事業を宣伝していた。東奥日報の場合契約段が777段だと約1億4300万円の収入となる。地方紙としては破格の広告収入であった。東奥日報は原子力産業協会に加盟しており完全に推進側に立っている。それでも不思議なことに福島民報や民友のような一方的な原発翼賛記事ばかりではないことには、広告部と編集部のある程度距離(独立性)があったのであろう。それでも原発の存立にかかわるような痛烈な批判はしなかった。「広告批評」誌を主宰していた天野祐吉氏は同誌1987年6月号に「原発広告」を特集し、高木仁三郎、野坂昭如、広瀬隆、杉浦孝明氏の論評を掲載し、意見広告に日本では反論権がないことを指摘して一方的な金持ちの意見だけが横行する原発意見広告を批判した。そして大手広告代理店は原発広告から手を引くべきだという主張した。1988年青森放送局の日本テレビ系列「NNNドキュメント」は六か所村の核燃料サイクル施設建設をめぐって、分断される地元の苦悩を描いた「核まいね」(核はいらない)番組は好評を博した。数々の賞に輝いた7回のシリーズにまで発展した。この番組にクレームをつけたのが科学技術庁と日本原燃であった。ついには青森放送の社長の首を切り、報道制作部を解散させ、番組を終了させたのであった。これは1993年の広島テレビの「プルトニウム元年」事件と同じである。国の直轄事業である核燃料サイクル事業を批判することは許さないという、政府の露骨な権力威圧であり、時代は戦前なのかと疑うばかりの事件であった。

3) 1990-1999年の原発プロパガンダ

1990年代は、原発事業所の新設は高速増殖炉もんじゅと青森県六か所村再処理事業所(どちらもすぐに運転停止)だけで、既設原発事業所内での増設が相次ぎ、柏崎刈羽(2,3,4,5,6,7号機)、泊、大飯(3,4号機)、浜岡、玄海(3,4号機)、伊方、女川で合計16基が稼働した。1990年代の広告掲載段数の合計は7447段であった。1990年代は原発推進派が体制を立て直して原発PR の完成に至る時期である。1991年に「原子力PA方策の考え方」という指針をしめして原発広告の表現方法に一層の磨きがかる。御用学者に加えてタレントや知識人を出演させた対談形式を多用し、専門知識と親しみやすさが合体した広告パターンが出来上がった。またこの頃から東電による「報道番組提供戦略」が始まり、報道番組のスポンサーになることで、原発のネガティヴイメージを払しょくすることが常套化した。90年代はこれまで原発建設の中心であった福井や福島に代わり、宮城女川、新潟柏崎刈羽、青森六か所村でのローカル紙広告出稿が増加した。1996年に新潟県で牧原原発建設の可否を巡って住民投票が行われ、投票を有利にしようとした原子力ムラが、6月から8月に新潟日報に集中して出した719段の広告数は、集中豪雨のような断トツの宣伝攻勢であった。結果は原発反対が勝利した。大量の広告を出しても事故が起きるたびに騒ぎ立てるメディアを懐柔しておく必要性に迫られた、原子力ムラは文部省科学技術庁に原子力文化振興財団に委託して「原子力PA方策の考え方」の作製させた。PAとは「パブリックアクセプタンス 社会的受容」のことである。原子力PA方策員会の委員長は中村政雄読売新聞社論説委員、委員には田中靖政学習院大学法学部教授、赤間絋一電事連広報部長、片山洋三菱重工広報宣伝部次長、柴田裕子三和銀行綜合研究所主任研究員の4名であった。事務局に松井正雄原子力文化振興財団事務局長、オブザーバーには松尾浩道と村上恭司科学技術庁原子力局から2名であった。この中で委員長の中村政雄読売新聞社論説委員と、委員の社会心理学者である田中靖政学習院大学法学部教授は原子力ムラでも名高い論客であった。特に中村は原子力ムラの広報官をもって任じていた。読売新聞は原発推進のオピニオンリーダーであったし、3.11後もその露骨な推進姿勢を改めていない。「原子力PA方策の考え方」は世の中の眼に触れない内部資料という気安さから、露骨なメディア対策と支配方法のマニュアルである。その内容はT全体論とUマスメディア広報からなり、T全体論は@広報の具体的方法、APAのPR についてからなる。@広報の具体的方法について一番内容が多く、対象、頻度、時期(タイミング)、内容(質)、考え方(姿勢)、手法、その他からなる。APAのPR については、ラジオ・テレビ、反対派対策、国の役割からなる。Uマスメディア広報は@ス論、Aマスメディアの活用からなる。Aマスメディアの活用については活字メディア、映像メディア、マスコミ関係者に対する広報が記されている。印象的な内容だけをピックアップする。タレントと専門家を併用する必要性を対談スタイル広告や漫画の活用も述べている。短く分かりやすいメッセージを繰り返し発信することが広告の基本であり、刷り込み効果の重要性を説いている。本来危険な原発を万全な方法で封じ込めていることを、専門家の口を通じてのべること。原発だけでなく自然放射線、医用放射線も併せて語る手法や、原子炉は多重防御で守られていることを繰り返す。電力エネルギーの1/3は原子力というスローガンはあらゆる広告で徹底すること。新聞記者を取り組むための個人的接触や接待について臆面もなく述べられている。反対派との討論を提案しているが、逃げていたのは推進派である。原発文化人の育成を大々的に展開して推進派ロビーの形成を述べ、反対派文化人の排除を目論んでいた。原発賛成書籍部数をふやすこと、見学会の開催など啓蒙活動の必要性が述べられている。1990年代の特筆すべき出来事が2つあった。一つは1993年広島テレビ制作の報道「プルトニウム元年」事件である。この番組は日本テレビ「NNNドキュメント」で全国放送され、93年の放送関係に与えられる多数の賞を得た。っところが中国電力と電事連から執拗な抗議を受け、大問題に発展して報道局の4名の配置換えが行われた。広告に依存する割合が高いローカル局は、次第に自主規制という、原子力ムラへの隷従を余儀なくされていった。1988年の青森放送の「核まいね」事件とまったくおなじ圧力であった。もう一つの出来事は1996年東北電力巻原原発住民投票での住民による原発否定であった。原子力ムラは洪水のような広告宣伝を6月から8月に集中させたが、ローカル紙として広告を載せた新潟日報の記事面での公平性は揺らがなかった。同社の記事は賛成・反対双方に平等に配分され、主張は厳格なまでに中立であった。原発立地県のローカル紙としては珍しいほど矜持を示した。

4) 2000-2011年の原発プロパガンダ

2000年代の原発稼働は北海道の泊原発のみであったが、全国紙、テレビでの宣伝活動は切れ目なく続いていた。それは2002年に東電トラブル隠し発覚により、それまで原発翼賛一色だった福島県民の姿勢を変えた。2000年代の原発PRの特徴は、NUMO(原子力発電環境整備機構)の参加があげられる。それまで先送りしてきた放射性廃棄物の処分場問題がいよいよ喫緊の問題として電力会社に迫ってきたのである。それまで原発プロパガンダの2本柱であった東電と電事連にくわえて、NUMOが加わり、3本柱によるPR体制が確立した。NUMOは全国数十か所でシンポジウムを実施し、地方紙に広告を出稿していたが、処分場に手を挙げた自治体は存在しなかった。NUMOの活動費は年間40億円であるが、電力9社が電気料金から負担している。テレビキー局のニュース番組の多くを東電、電事通、NUMOが提供していたんは、番組提供すれば原発に批判的なニュースが流れないようにするためであった。また2000年代はプルサーマル計画の実施に当たり、その周知のための出稿量も増加した。例えば2009年の広告掲載段数は4364段、2010年は3731段と過去最大であった。東電の普及開発関係費は常時年間200億円を下回ることはなかった。1997年の京都議定書採択以降推進派は環境保護という名目で「原発はクリーンエネルギー」というコピーを大いに活用した。クリーンエネルギーという命題は炭酸ガスを出さない発電法という点だけでは正しいが、原発工事による山や海の環境破壊、排出される大気と海水中の放射性物質、そして使用済み高レベル核燃料廃棄物処分などの問題、作業者への被曝問題、最後に事故による人的健康被害、避難問題など膨大な影響を与える発電法であり、クリーンという言い方は虚偽広告に当たる。2008年JARO(日本広告審査機構)h「発電時に炭酸ガスを出さないだけを捉えてグリーンと表現すべきでない」とくぎを刺したので、それ以降では「クリーンエネルギー」表現は減った。2002年8月29日東電のトラブル隠しがアメリカから内部告発され、2003年4月より5月15日まで東電の17基の原発は運転を休止した。信用失墜をカバーするため2004年から東電の宣伝費は増加し2005年度は293億円と過去最高となった。電事連は2000年代の民放テレビ局の対報道番組の担当シフトを徹底させ、夕方のニュース番組お数多くスポンサーして原発に対するネガティヴ報道を牽制した。報道番組はスポンサー集めが難しいので、電力会社がスポンサーを引き受けてくれ事はテレビ局にとってうれしいことで年間スポンサー料も数億から数十億円になった。日本のテレビ局と新聞社は資本が?がっているので、経営レベルにおける自粛体制は新聞社にも及ぶことになった。テレビで流された原発関連CMには、実に多くのタレントや著名人が起用された。作家佐高信氏が著した「原発文化人50人切り」に登場した文化人は膨大な数であるが、なかでも2006年4月―2011年3月までの新聞記事度は経済評論家勝間和代氏が断トツ1位、つづいて星野仙一氏、草野仁氏、玉木宏氏、北村晴男氏、岡江久美子氏、渡瀬恒彦氏らの順であった。3.11事故が起きても彼ら著名人は心の痛みは感じないのだろうか。最終核廃棄物処分場整備を行うNUMOは2000年から2011年までの12年間で総額478億円を使いながら、成果はゼロつまり処分場候補地は見つからなかった。2000年代の原発広告の特徴は、広告主と雑誌社が協力して広告紙面を作る「タイアップ広告」である。豪華なカラー版印刷で著名人との対談形式でおこなうので、読者にとって一見して記事か広告か判別がつきにくい。原子力ムラはこの「記事か広告かわかりにくい」形式を活用した。2010年度にこの原発広告を掲載した新聞社は読売新聞が10回、産経新聞が5回、日経新聞が3回。毎日新聞が2回であった。また原発広告を掲載した雑誌社は、潮が24回、婦人公論が20回、文芸春秋が12回、週刊新潮が11回、週刊ダイヤモンドが11回、週刊東洋経済が9回などであった。国民の原子力アレルギーは次第に深刻となり、もはや新規の原発建設は青森県大間原発以降は、建設計画や予知買収さえままならぬ状況になっていた。そこで原子力ムラは「原子力ルネッサンス」というキャッチフレーズで新規巻き返しを狙ったが、2011年3月11日東日本大震災と東電福島第1原発の事故によって新局面を迎えることになった。事件直後からメディアの元締めであった電通は報道管制を画策したが、情報統制を諦め社内東電チームを解散した。原発プロパガンダに手を染めていたメディアや企業・団体はいっせいに証拠隠滅に走り、HP上の記事や広告を削除した。大手新聞社や雑誌社の過去広告事例集からも原発広告は削除された。

5) 2013年以降の原発プロパガンダ

2011年3.11の事故当時、事故の全容が判明せず、それまで原子力ムラの呪縛下にあったテレビメディアは、なかなか東電批判には踏み切れなかった。事故当日の夜には原子炉内で燃料棒のメルトダウン、原子炉壁のメルトスルーはおきていたが。政府保安院と東電は5月末まで、メルトダウンを認めなかったが、広告費の呪縛が解けた多くのメディアは、東電福島第1原発で起きている現況について一斉に報道を始めた。3月19日から6月25にTまでの雑誌の取り扱い頁数は「週刊現代」が614頁、週刊ポストは180頁であった。また2011年3月から2012年3月末までの原発関連著作の発行数では、講談社が67冊、小学館が13冊、文芸春秋が21冊、集英社が24冊、宝島社が41冊、光文社が9冊であった。原発プロパガンダの中心であった東電は事実上の国有化となり、原発はすべて停止させられた。電力会社は軒並み赤字となった。そしてあからさまな原発広告は姿を消した。のど元過ぎればの言葉通り、民主党政権が選挙で大敗し自民党安部政権が誕生した2012年9月から原子力ムラは息を吹き返した。そして事故後最初の原発広告の再開が、2013年3月24日に電事連と日本原燃が青森県のローカル紙東奥日報に掲載した30段広告(見開き全面広告)であった。原発プロパガンダの表看板神津カンナが話を聞く体裁で原発翼賛広告であった。「失敗こそ成功のカギ」とか「国家の自立にはなくてはない技術」というコピー文句には事故の反省が全くなかった。2014年1月から「週刊新潮」に不定期に掲載された電事連の広告は「原発が停止すると、割高な原油を購入しなければならず、国富のマイナス」という新しいロジックだが、逆に原油安が進行し電力会社は事故後はじめて黒字となったという皮肉な結果であった。このシリーズ広告は4回あり登場した著名人は、デーモン閣下、手島竜一(外交評論家)、舞の海、宮家邦彦(外交評論家)であった。タレントの発言は本院の考えではなく、コピーライターの書いたシナリオである。タレントは高額のギャラで出演するのだが、欄外に「提供:電気事業連合会」とあるので広告と分かるのだが、一見座談会風に作られている記事のように装っている「騙しのテクニック」が使われている。この広告費用はカラー版でゆうに1000万円を超えている。外交評論家の口を借りる態で、「複雑な問題に簡単に白黒をつけることに違和感を感じる」と反原発世論に対して説教をしている。3.11事故の前と後では広告の訴求点がどう変化したかを見てゆこう。事故前では@原発は絶対安全、A原発はクリーンエネルギー、B原発は日本のエネルギーんの1/3という3本柱が必ず盛り込まれていた。2000年以降はプルサーマルの宣伝にC原発は再生可能エネルギーが追加されていた。3.11後は電通や博報堂は次のスローガンを考えた。@原発は日本のベースロード電源、A化石燃料に頼る発電は炭酸ガスを排出する(環境に優しい)、B経済発展にはエネルギーベストミックスが必要(原油輸入は国富の流出)というフレーズに変えた。青森県の六か所村再処理工場を運営する日本原燃と、福井県の高速増殖炉もんじゅを経営する原子力研究開発機構(文部省系)には共通の悩みがある。それは巨額の投資を行いながら事故・故障で一度もまともに動いていないことである。六か所村は今まで2兆円以上の建設費を投入してなお19兆円の費用が掛かると試算している有様である。核燃料はワンパスが一番経済的で、再生事業は成り立たないと欧米では結論をだしているにもかかわらず、日本では止めないのである。だからプルトニウム核抑止力という軍事利用の疑いを世界中から持たれているのである。そういう事実を隠すかのように、青森県では広報活動が盛んである。青森県のテレビ3局とラジオ2局で提供番組を持っている。福井県では2015年2月8日に福井新聞の15段(片面全紙)広告を出した。「ガンの原因は生活習慣」といった根拠薄弱な主張、理屈を超えた安全性強調がそれである。ところが「もんじゅ」は1995年のナトリウム漏れ事故以来一度も運転していないばかりか、2013年に「無期限運転停止処分」を受け、運営者である日本原研機構の解体を勧告されていたのである。この厚顔破廉恥さにあきれ入るばかりである。3.11事故以来メディアも広告受け入れに慎重になり、原発の安全性を謳う広告がほぼ不可能になった。そこで原子力ムラは原発事故の矮小化と、「事故で放出された放射線の危険性は小さく、健康への心配はない」という「安心神話」の流布に切り替えた。高線量被曝は原爆と同様に死亡につながるが、低線量被曝は直ちに影響が出るというわけではなく一定時間が経ってガン発生につながることを無視して、影響はないと居直ったのである。福島県を中心に「復興対策費」から「健康不安軽減対策」や「風評被害対策」という予算が付くようになった。2014年9月福島県は中間貯蔵施設」の受け入れを決めた。県内で発生した汚染土や焼却灰を最長30年間保管する施設で、1兆1000億円の建設費が見込まれている。建設業者がにわかに色づき始めた。他の県ではそれらは「指定廃棄物」として最終処分場を建設しなければならない。2014年8月環境省が電通に委託して7億円で広告を作成したが、住民が「指定廃棄物は原子力施設で発生した放射性廃棄物ではありません」といった詭弁(原発の事故で漏れた放射性物質によって汚染された廃棄物であるにも関わらず)を弄したことに対して「国はウソを言っている」と反発し、9月環境省に修正をせまった。2012年ー2013年の環境省の廃棄物情報の広報に使われた広告費はすべて電通が受注し、合計41億円であった。

3.11事故以来、政府は「安全・安心」を言い出した。原発は決して安全でないことが分かったので、頼るべきは国民の非常にあいまいな「安心」意識に訴えようとするものです。安全対策や安全でるという基準などを曖昧なままにして、どうぞ安心してくださいという矛盾した訴求であり、もともと本質的に合理的ではない論理です。論理より情緒をターゲットにしたようです。ですからその広告内容も、およそ根拠のないことを平気で言います。福島県内のKFB福島放送で放映されている「なすびのギモン」では、汚染土の仮置き場で「4メートル離れれば、周辺空間と同じになります」と言いながら、線量グラフは0.5μシーベルより下がっていません。除染対象地区の多くが0.23μシーベルトを基準にしていることを忘れたかのようです。何とか今の福島は大丈夫ですというイメージを植え付けようとしています。「ダイジョウブだから大丈夫」という論理を超えた説得です。まるで宗教です。2014年8月17日に、朝日・読売・産経・日経の全国紙と福島の福島民報と民友に掲載された「放射線についての正しい知識を」という政府広告が1頁全面で掲載された。東大病院放射線科の中川恵一教授が「福島では小児甲状腺がんはない」とか「放射線に慎重になりすぎると発がんリスクを高める」という持論?を述べている。この広告費用は約1億円で取り扱い窓口は博報堂であった。この政府広告は前の年に発生した「美味しんぼ」の鼻血表現騒動を受けて内閣府予算で作られた。驚くような医者の非常識が露見された。子供の甲状腺がんが増えつつあることを無視し、気にするとがんになるというあきれた逆襲をする。医者の片隅にも置けない御用学者で、大体東大はこのような御用学者の養成場なのだろう。現在政府は、事故の深刻さを伝える報道や発言を「風評だ」と言って退け、「事故による健康被害はおきていない」ことを信用させようと躍起になっている。2014年度の政府広報予算は65億円と前年度44億円を大幅に上回った。事故前の各省庁の広報予算は総額350億円で政府広報予算は90億円であったが、民主党政権時代に大幅にカットされ、それが今また復活している。福島県を中心に実施されている「放射線被ばくリスクコミュニケーション」事業は、2015年度に7億8100万円を計上した。環境省を中心として各地でリスクコミュニケーションのセミナーを実施している。2015年3月千葉県で行われた環境省主催の「放射線の健康影響に関する住民セミナー」では、@身の回りの放射線と自己由来の被曝、A福島第1原発事故後の健康リスクを考えるという内容であった。環境省の「放射線健康不安の軽減に資する人材育成事業と住民参加型プログラムの開発」から出る資金で運営されている。このプログラムは原子力ムラの原子力コンサルタント会社が作成した。論点はもともと自然界にも放射線はあるし、医用放射線被ばくもあり、福島原発事故はそんなに心配することではないと強調するものだ。この考えには積算被曝線量が足し算で増加するという点を無視し、かつ放射線リスクは閾値がないという国際学説も無視している。リスクを否定するリスク論はそもそもあり得ない。まるでリスクコミュニケーションを知らない人がやっているようだ。2013年に「日本原子力産業協会」に広告代理店である博報堂とADKが相次いで加盟したことは重要である。電通はもともと加盟していたが博報堂も原子力ムラの一員になったのだ。一方福島県庁と福島民報は同会を脱退した。復興予算に電通は深く食い込んでいる。2012年度の環境省からの電通の受注額は40億円近いし、2013年度「風評被害対策」には各省から45もの事業に予算がつけられた。だが原発事故による被害を風評だと言って切り捨てる姿勢は、事故の本質を隠ぺいする意図が見え見えで、原発再稼働を狙う安倍政権の世論誘導策である。その再稼働世論形成に読売新聞は一役買っており、2014年7月5日に掲載された10段広告では同社特別編集委員の橋本五郎氏とタレント春香クリスティーンの対談型で「エネルギーベストミクスを考えよう」、阻止T2015円6月14日には橋本五郎氏と電事連の八木誠氏による「何故原子力が必要なのか」と題した15段広告を掲載した。さらに2016年2月28日にはカラー版15段広告「資源なき経済大国、日本のエネルギー」と題して、評論家勝間加代子氏、元知事増田寛也氏、タレント優木まゆみ氏を交え読売新聞橋本五郎氏が司会する形の対談形式となっていた。全国版の1面広告の広告費は5000万円近い。原発再稼働をめざす電力会社は2015年になって一斉に「安全PR」に力を入れた。東電を除く九州電力、関西電力、東北電力、中部電力らはメディアへの出稿を始め、仲でも中部電力は突出しており、2015年12月21日静岡新聞にカラー版15段広告「私は、浜岡原子力発電所で働いています」を掲載した。さらに勝間田加代子氏ら絵御使った[女性エネルギー考」7段広告シリーズを展開している。恐らく静岡新聞の広告掲載料は1回500万円、シリーズものを入れると合計7回で約3500万円となる。年間約1億円の広告掲載料を中部電力から得ていることにある。中部電力は、静岡新聞以外の原発広告量もいれると年間で約2億円をこえる。さらの中部電力は電力自由化のための企業イメージ広告『中部電力はじめる部」の制作・掲載・放映料を含めると、年間広告費は4億円を超えるだろうとされる。広告の説得力(効果)はどうしてもその出稿回数に比例するので、中部電力としても、まだまだ中途半端な広告出費である。メディアを黙らすか、自粛させるにはとうてい少ないと言わざるを得ないが、それでも地方ローカル紙静岡新聞の2014年の売り上げが239億円(利益10億円)にとっては大切なお客様となる。現在のプロパガンダの中心が「風評被害の撲滅」とか「震災からの復興」では、政府が主体となったリスクコミュニケーションとなり、受益者も曖昧でいまいち力が入らないというのが実情である。反対に原発プロパガンダに対するリテラシーはどうあるべきを考えると、第1には目の前の二ユースを軽々と信用しないで、自分の頭で考えることが重要だる。第2にプロパガンダ媒体以外に、ウエブ、ツイッターなどを活用して独立系メディアの情報を知ることである。第3に大事なことは、原子力ムラがスポンサーしている広告に虚偽をみつけたら、掲載メディアに抗議の声を届けることだという。資金を持っている政府は大企業は凄まじい量のPRで国民意識を麻痺させようとする。それに抗う第1歩は、個人の意識をしっかり持つことである。



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