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山岡耕春著 「南海トラフ地震」 
岩波新書(2016年1月)

M8-9規模の南海トラフを震源域とする巨大地震をどう予測し、何が起きるか、どう備えるかを考える

2011年3月11日午後2時46分40秒、広い範囲の震源による地震が起きた。マグニチュード9.0という巨大な規模であった。宮城県の最大震度は7、茨城県では震度6弱となった。自宅2階で本を読んでいた私は経験したことない強い揺れに恐怖を感じた。本棚にあった本やCDは飛び出して散乱し、出窓に置いてあった植物(蘭)の鉢はすっ飛んで床は泥だらけになり、棚に乗せてたオーディオのアンプは床に落ち大きな打痕を残していた。フロワースピーカーは大きく揺れていたので、慌てて手で押さえにかかった。すぐに揺れはおさまるだろうと思ってみたが、何時まで経っても揺れは続いた。その時間が非常に長く感じた(後の情報では5分持続したそうだ)。揺れが静まってからは、各部屋の点検を行った。地震が発生した時間帯が昼下がりだったので、ガスやストーブは使っていなかった。1階の座敷の仏壇は倒れて、観音扉は分解し用具が散乱していた。不思議に茶箪笥のガラスや陶器の器などは散乱していなかった。要するに軽いものは吹っ飛んだが、重いものは飛ばなかった。本棚、箪笥類、机、テーブルは動かなかった。直下型地震でなかったから飛び上がらなかったからである。屋根の上から瓦が落ちていたが、フェンスのブロックは崩れていなかった。数日後家の外壁のひびが数か所発生しており、家の内壁のクロス張の紙のはがれは数限りなく発見された。屋根の修理を知り合いの業者に頼んで緊急の青いシートを張ってもらい、数ケ月先の工事を予約した。1年後家のモルタル塗装と家内部の壁クロス張替を専門業者にお願いした。かかった家の修繕費用はあわせて200万円を超えた。これは税控除の対象となるので確定申告を行い、所得課税はゼロとなった。家族にけがはなった。ただ常磐線の動いている範囲の上限であった取手駅まで息子を車で迎えに行く時、信号は停電で点灯されなかったので、交差点で必ず止まって安全確認をするため所要時間は2倍かかった。停電はその日のうちに復旧したが、断水は数日かかったので、学校の校庭で給水を受けるため長蛇の列を並んだ。トイレに流す水は、風呂の水が流さずにあったのでそれで用を足した。スーパーは休業していたが、飲料水は大量に蓄えていたし、食材は冷蔵庫にあったので不自由はなかった。調理用のガスはプロパンボンベ式なので困らなかった。電気はその日のうちに、水道は1週間以内に復旧したが、不幸中の幸いであった。車は日常的に使っていなかったが、ガソリン補給ができたのは数日後のことであった。パソコンなどの通信機器は無事で、その日から使えたが、電話や携帯は使えたがパンク状態でどこにも連絡はつかなかった。以上が3.11東日本大震災による我が家の被災状況です。なお家は築24年(1991年建築)の住友林業の和風建築で1981年耐震基準を満たしていましたので、後日住友林業の人が点検に来てくれましたが大丈夫だそうでした。山岡耕春氏のプロフィールを紹介する。山岡 耕春氏は、日本の地震学・火山学者で名古屋大学大学院環境学研究科教授。専門は固体地球惑星物理学(要するに地球物理学)で地震や地震予知の専門家として著名である。1958年静岡県生まれ。岐阜県立大垣東高等学校、名古屋大学理学部を経て、1986年に名古屋大学大学院理学研究科博士課程(地球科学専攻)修了。「球殻テクトニクス : リソスフェアの沈み込みにおける座屈現象について」で博士学位を取得した。 その後、東京大学地震研究所助手(伊豆大島火山観測所)などを経て、現在、名古屋大学大学院環境学研究科教授(地震火山・防災研究センター)。また、地震予知連絡会、火山噴火予知連絡会の委員などを務めている。

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(著者はそう呼ぶ)によってずれ動いた断層の大きさは東西200Km、南北500Kmという岩手から茨城県にまたがる巨大なものであった。ずれの大きさは解析によって若干異なるそうだが、最大50mを超えた可能性が高い。体験したマグニチュード9の地震とは、このような巨大な震源の規模を示す地震であった。東北地方太平洋沖地震の震源域では、太平洋プレートが日本列島の下に西向きに沈み込んでいる。プレートは沈み込みによって日本列島の地殻を引きずり込む。それによってプレートと地殻の境界面(断層面)に沿って、引きずり込みをもとに戻そうとする応力が発生し、やがて応力が境界面の摩擦力を越えて大きくなると、境界面は一気にずれ動き最初の地震が起きる。境界面がずれると応力は低下し、その部分の歪は解放されるが、周辺の境界面では応力が発生し同じ原理で次々とずれが発生し、地震の震源の規模はドミノ式に拡大する。東北地方の太平洋沖は広い範囲で中小規模の地震が頻繁に発生する場所である。東北地方の太平洋沖で断層がどのようにずれていったかは、地震波形・地殻変動・津波データーを用いて解析した結果、午後2時46分18秒では宮城県沖のプレート境界で最初のずれが発生した。この境界周辺の範囲で終わっていればマグニチュードは8クラスであった。1−2分後にはずれの範囲が発生点の東つまり日本海溝に近い領域の応力が高まり、づれの範囲が日本海溝に達した。海溝はプレート境界の端であり、もはやずれを抑制する領域は存在しない。こうして2−3分後に日本海溝に沿ってずれは南北に拡大した。3−4分後にはずれは茨城県沖まで拡大してやっと停止した。5分間の出来事であった。さて本書の主題である南海トラフは駿河湾の一番奥の富士川河口から四国の足摺岬の沖まで伸びている。一番新しい巨大地震は1946年四国沖を震源とした「昭和の南海地震」である。1944年には紀伊半島沖の熊野灘を震源とする「昭和の東南海地震」が発生している。その前の巨大地震は1854年四国沖で発生した「安政の南海地震」と「安政の東海地震」である。さらにその前の超巨大地震は1707年に発生した「室永地震」である。この地震は遠州灘から四国沖にまで広がった。安政から宝永自身までの間隔は147年、安政から昭和の地震までの間隔は90年であった。さらに古い巨大地震の記録は600年頃までさかのぼることができる。新しい順に述べると、1605年「慶長の地震」、1498年「明応の地震」、1361年「正平の地震」、1099年「康和の地震」、1096年「永長の地震」、887年「仁和の地震」、684年「白鳳の地震」である。これら一連の巨大地震は100年から200年の間隔で発生している。これフィリッピン海プレートと呼ばれる海底が南海トラフからに西日本の地殻の下に、北西向きに沈み込んでいることが原因である。その速度は1年間で5cmほどで、100年間で5mである。このため西日本の地殻は北西方向に縮んでいる。だから確実にプレート境界にかかる力は高まって(歪は蓄積されて)きているので、板バネ(地殻)がはじける時に巨大地震は必ず発生する。

1) 南海トラフ地震の特徴と歴史

南海トラフとは東海地方から西日本太平洋側の海底に付けられた名称である。トラフとは「桶」のことでプレートが沈み込む場所であるが、東北地方の日本海溝と違って穏かで比較的浅い凹みが続いている。南海トラフを含めて、フィリッピン海プレートが沈みこむ場所は、関東の南岸から九州・沖縄に沿って台湾までの太平洋側、さらに台湾からフィリッピン諸島の東側海岸に連なる。このうち南海トラフと呼ばれているのは、伊豆半島付け根の駿河湾から四国沖にかけてである。九州から沖縄にかけては南西諸島海溝と呼ばれる。世界中にはプレートが沈み込むトラフは数か所存在するが、南海トラフの知名度、関心が一番高い。伊豆半島を軸として、左右対称に駿河トラフと相模トラフに別れて、南海トラフは湾曲して日本列島にぶつかる。相模トラフは1923年関東地震の震源域であった。トラフが日本列島にぶつかっ後は、相模トラフの延長は国府田―松田断層帯、駿河トラフの延長は富士川河口断層帯で富士山の地下にもぐっている。この二つの断層帯は地震があると連動してずれる可能性があり、縦ずれの逆断層型である。南海トラフ地震で富士山が連動する可能性は否定できない。東海地震は東名高速道路、東海道新幹線といった経済の大動脈であり、ずれ変位は最大10mと推定されており、大惨事は免れない。南海トラフ沿いには、東から御前崎、潮岬、室戸岬、足摺岬富崎が並んでいる。御前崎岬付近では地震予知のため国土地理院は25Kmおきに水準測量を行っている。毎年26cm沈降しており、沈降の傾向が反かして隆起に転じることが地震の前兆であると考えられるからである。御前崎から伊勢湾までの海域を遠州灘と呼んでいる。なだらかな海岸線であるが、静岡県の海岸は砂浜で、愛知県の海岸は崖で、三重県の海岸はリアス式海岸となり、入り江が複雑に連なっている。だから静岡県では津波によって海水が侵入する。愛知県は津波の影響は少ない。伊勢湾は出入り口が小さいので津波の影響は軽微だろうと思われる。三重県は津波が高く押し寄せ被害が甚大になる可能性が高い。伊勢湾と若狭湾を挟む地域は本州のくびれになっており、直線距離で100Kmしかない。この地域はプレートが浅い角度で潜り込み、地殻の沈降が顕著なちいきである。潮岬は南海トラフの巨大地震にとって特別な場所である。潮岬を境として東側と西側で別々に地震が発生している。東側で発生する自信を東海地震とよび、西側の地震は東南海地震と呼んでいる。潮岬の紀伊半島の先でプレートが深い角度で沈み込んでおり、押し込む圧力が高い。摩擦力も大きくずれにくいので東西の地震は連動しにくいと言われる。潮岬より西、四国沖にかけては南海地震の震源域である。南海地震の長期評価で、今後30年間の発生確率が60−70%程度という根拠は室戸岬にある。1707年の宝永地震、1854年の安政地震、1946年の昭和地震のときの隆起量が計算に用いられた。巨大地震が発生するとプレート境界がずれ動くことで室戸岬が隆起する。隆起量と次の地震までの時間には相関があると仮定して計算をするのである。南海トラフで発生した津波は和歌山県、高知県、徳島県の海岸に押し寄せる。「稲村の火」で有名な和歌山県広川町の浜山梧陵は1946年の昭和南海地震から村人を救った逸話がある。室戸岬と足摺岬の間にある高知市は地震の際に沈降することが知られている。昭和地震で1mも沈降した。沈降した分は時間をかけて元に戻る。プレートの押し込みで室戸岬と足摺岬が陸側に押し込まれ、反対に高知市付近は海側に移行するからである。四国と九州の間にある豊後水道はスロースリップで知られている。地震を起さずにゆっくりずれ動くことである。浜名湖付近の東海スロースリップとともに有名である。地震はおきなくとも周囲の歪はしわ寄せによって大きくなる。豊後水道のスロースリップによって南海地震の震源域や日向灘の震源域の歪が高まる。南海トラフ巨大地震で連動するのは九州パラオ海嶺までとされる。

南海トラフの歴史を見てみよう。南海トラフ巨大地震は600年頃まで遡ることができる。古い文書記録が残っているからである。記録に残る最初の南海トラフ巨大地震は684年11月29日におきた「白鳳地震」で、紀伊半島の西都から四国沖を震源域として発生した。土佐に津波が押し寄せたこと、地盤が沈下したことなどが記されている。次は887年8月26日に発生した「仁和地震」である。紀伊半島東の遠州灘から四国沖までが震源域であった。津波で摂津(今の神戸)が大きな被害を受けたこと、京都で家屋の倒壊が多く発生した。次は平安時代後期の1096年12月17日の「永長東海地震」である。津波が伊勢や駿河を襲ったと記されている。2年後1099年2月22日には紀伊半島西で発生し、「康和南海地震」と呼ばれた。1361年8月3日紀伊半島から四国沖を震源域とする地震が発生した。摂津・阿波・土佐に津波被害があったとされる。1498年9月20日紀伊半島の東で「明応東海地震」が発生した。津波は紀伊半島から房総半島まで押し寄せた。浜名湖はこの地震で海とつながった。鎌倉まで津波が来たという。1605年2月3日被発生した「慶長地震」がある。犬吠埼から九州に至る太平洋岸を津波が襲った。揺れによる被害が記されていないので津波地震であったと考えられる。津波地震は沈み込んだプレート境界の最も浅い部分が狭い領域でずれたために起きる津波である。次は南海トラフで発生した歴史上最大の地震である「宝永地震」が1707年10月28日の発生し、マグニチュードは8.6と推定される。紀伊半島沖の西と東が同時に震源域になった。震度6以上の地域は駿河湾沿岸から九州東部まで及び、伊豆半島から四国まで5−10mの津波が襲った。三重県の尾鷲では津波は10mとなった。1ヶ月後の富士山が噴火し、江戸の大量の灰を降らせた。1854年12月23日には「安政東海地震」が発生した。震源域は紀伊半島東沖から駿河湾までであった。静岡県、山梨県は震度7となったほか、愛知県岐阜県三重県は震度6であった。その32時間後に「安静南海地震」が発生した。紀伊半島から九州までが津波に襲われた。1944年12月7日、紀伊半島南東沖熊野灘を震源としてマグニチュード7.9の巨大地震「昭和東南海地震」が発生した。静岡県・愛知県・三重県に強い揺れがおき、熊野灘沿岸には津波が押し寄せ、地震による死亡者は1183人と言われている。戦後になって包括的な調査が行われ1997年に報告書が出た。2007年に内閣府の報告書が出た。震源域の形状が楕円形で短軸方向に津波が高く、長軸延長上は津波は低かった。静岡県が長軸の延長と見なされる。短軸の延長は紀伊半島東側沿岸である。三重県の死者406人の多くは志摩半島より南部に集中した。伊勢湾内部は津波の高さが低かった。これは渥美半島と志摩半島が防波堤に役目を果たしたからであった。地震によるずれの全体像を把握するには今日ではGPSによる地殻変動データーや長周期地震波形を用いるが、当時はそのような技術はなかったので主に津波記録から推定した。「昭和東南海地震」の2年後1946年12月21日四国から紀伊半島を震源域とするマグニチュード8.0の巨大地震が発生した。「昭和南海地震」である。この地震により1400名の人が犠牲になった。紀伊半島から四国で震度6、濃尾平野や瀬戸内海で震度5となり、和歌山御坊には6.1mの津波が襲い、高知県須崎では5mの津波となった。津波被害は和歌山、徳島、高知県で顕著であった。全体としての震源域は紀伊半島潮岬沖から高知県足摺岬沖までとし推定される。地震における地殻変動で注意すべきは、フィリッピン海プレートは南海トラフから沈みこみ、上に載った近くを陸側に向けて押している。地震時にはプレート境界が一気にずれ動き、押し付けられた地殻が跳ね上がるのである。そのため岬では地殻が隆起し、離れた場所では地殻は沈下する。この地震で高知市は1mも沈下した。地震の後でゆっくり地盤が戻る(隆起)することを余効変動と呼ぶ。「昭和東南海地震」と「昭和南海地震」との間に、1945年1月13日愛知県東部を震源地とするマグニチュード6.8の「三河地震」が起きた。愛知県を中心に2300人の犠牲者が出た。この地震に因って地表に断層が現れた。蒲郡では1.5mも隆起した断層があった。又三河地震には1週間前から前震を伴っていた。三河地震は「昭和東南海地震」によって誘発された地震であると見なすことができる。プレート境界で起きる巨大地震の直後には、思わぬところで内陸直下型の地震が発生することがある。

南海トラフでは600年以降を見ても、100年から200年の間隔でマグニチュード8クラスの地震が発生している。プレートの動きは地球全体のマントル対流の一部なので、急に方向が変わったり、休止するものではない。時間予測モデル(規模の大きな地震の後は長く休み、規模の小さな地震の休み感覚は短い)を用いた予測では、今後30年間で南海トラフの巨大地震が起きる確率は60−70%と言われるのである。過去の地震発生履歴から将来の地震発生を確率的に予測するためには一つの仮定と三つのデーターが必要である。整理して下に記す。
仮定: 「同じ規模の地震が一定の間隔で発生する」 固有地震モデル、または「同じ規模の地震発生頻度が一定」 ポアソン・モデル
三つの情報: @平均繰り返し間隔 A繰り返しのばらつき B最後に発生した地震の時期に関する情報
地震確率予測は別にして、地震関連データーは着々と計測され蓄積されてきている。地震予測観測データーの一つは、GNSS(グルーバルナビゲ―ションサテライトシステム GPS)により観測される地殻変動である。国土地理院による全国1300点以上観測点が設置されている。 衛星電波を利用すると数ミリの移動測定精度も可能である。これにより日本列島の変形がわかる。不動の大陸が日本にはないので、対馬を不動点として相対的に表現している。中部から西日本全体は北西方向へ動いており、それも南海トラフ沿いの動きが大きい。地震時に飛び跳ねるためのエネルギーを着々と蓄積していることを示している。又地震計の記録から南海トラフ沿いにプレートが30Km沈み込んだ場所で「深部低周波地震」の分布頻度が高くなっている。ここはプレートがゆっくりずれるスロースリップ現象による地震である。プレート境界面に働く摩擦力はその場所の温度によって変化する。温度が300度よりも高くなると、境界面でずれが始まっても摩擦力は小さくならず、ずれの速さが大きくなればなるほど摩擦力が大きくなるという性質がある。南海トラフでおおよそ40Kmよりも深い場所である。ここは低周波地震を伴うスロースリップが発生する領域である。その場所でスロースリップが始まると歪は解消されるが、同時にさらに浅い場所のプレート境界の歪を増大させる。これが巨大地震の震源域となる。この作用はひずみエネルギーを深部から浅い部に運送されると表現してもいい。

2) 最大クラスの地震とは

南海トラフで発生する巨大地震は、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とどのように違うのだろうか。南海地震はフィリッピン海プレートが沈み込む場所南海トラフ付近に震源域を持ち、太平洋東北地方は太平洋プレートが沈みこむ日本海溝付近に震源域を持つ地震である。プレートの年齢も暑さも自然条件もさらに社会条件も違いができる。地震発生様式えは、一言で言うと複雑さがまるで異なる。東北地方のプレート域では普段から地震活動が活発である。3.11の余震活動が非常に活発であり、その前からも多くの地震が発生していた。一方南海トラフ沿いでは普段の地震活動は穏やかである。南海トラフ沿いと日本海溝沿いの1930年以降におけるマグニチュード8以上の巨大地震発生頻度は南海トラフ沿いでは2回、日本海溝沿いでは3回とそれほど変わらないが、それより小さな地震の頻度圧倒的に日本海溝沿いの方が多い。日本海溝沿いの東北地方の地震の発生様式を見てゆこう。マグニチュード7.5前後の地震では東北地方三陸沖北部では、1968年5月十勝沖地震、1994年12月三陸はるか沖地震、マグニチュード7の地震は東北地方で8回も起きている。三陸沖中部では1896年に明治三陸地震、1933年に昭和三陸地震(M8.1)は沈みこむまえのプレートで発生したいわゆる「アウターライズの地震」であった。三陸沖南部から宮城県沖ではマグニチュード7.5から8クラスの地震が数十年おきに発生している。福島県沖では比較的地震活動は低調で、1937年のM7の地震だけである。茨城県沖ではマグニチュード7前後の地震が頻発して発生している。1943年、1961年、1965年、1982年、2006年の地震発生があった。2011年3月11日にこれらのすべてが震源域となった。つぎに南海トラフ地震の発生様式を見てゆこう。南海トラフ沿いでは普段の地震活動は低調であるが、100年から150年ごとにマグニチュード8クラスの巨大地震が発生している。1945年以降ではマグニチュード7クラスの地震は3つしかない。1948年、2004年に三重県沖で2回(M7.1M7.4)の地震発生である。この地震はプレート境界ではなくトラフ軸のプレート内部で発生した地震であった。南海トラフ沿いで地震が発生してもプレート境界面で発生するものは少ない。その理由はプレート境界の固着力が強く摩擦力に打ち勝っているからであるとされている。しかしずれるときには一気に巨大地震に成長してしまう。日本海溝東北地方と南海トラフ沿いの地域の自然条件によって、地震の揺れや津波被害が異なる。地震による揺れ(震度)の強さは主に二つの条件できまる。人遊は震源域との距離、二つは地盤などの地質構造である。3.11東北地方太平洋沖地震の震源域は南北500Km、東西200Kmの長方形であった。震源域の東側はプレートが沈みこむ日本海溝が限界になっている。西側は地殻温度が高くなってずれを起しにくくなる深さが限界となり深さは約50Kmであり、太平洋側の海岸線付近である。岩手県から茨城県にかけての500Kmで震度6強を記録した。南海トラフで発生する地震は伊豆半島から四国沖を通って日向灘までである。震源域は最大長さで700km、トラフ軸の直角方向に幅は100Kmである。限界は海側(南側)のトラフ軸まで、陸側は深さ30Kmとされている。東北地方に較べて浅いのはプレート年齢が若いためである。深さ30Kmはすでに陸の下にある。つまり陸地と震源域との距離は、南海トラフの方が東北地方よりも近い。その分だけ地震の揺れが強くなる。津波についても揺れと同様に震源域と陸地との距離が重要なポイントである。3.11東北太平洋地震では震源地が陸地から離れていたため、津波が届くのに時間がかかった。一番早かったのは岩手県釜石で30分後、福島県相馬では50分かかった。南海トラフ地震では時間的余裕はない。最短距離で3分、他の地域では20分後には津波が到着する。社会的条件の最大要素とは人口と産業の規模である。青森県・岩手県・宮城県・茨城県の人口の合計は約980万人である。一方南海トラフ地震で津波被害を受ける県としては、静岡県から鹿児島県までその人口は約3500万人である。産業規模は先の東北域4県のGDPは34兆円、南海トラフ域のGDPは136兆円である。南海トラフ巨大地震はいわゆる太平洋ベルト地帯と呼ばれる東西交通の要と大都市を地震と津波が直撃すると、政治的社会的な影響は甚大である。

ここで少し地震のメカニズムを科学的に考えてゆこう。現在の気象予測はスーパーコンピュータを用いて世界中の20Kmごとの格子点の大気測定値(アメダスデータ)を取り込んで計算するものである。そこで用いられる方程式は、大気の流れの流体力学の微分方程式、水蒸気の蒸発と降雨方程式などを用いる。こうした気象の数値予測が行われ、天気予報や警報の発表がなされる。地震発生についてはコンピューターによる数値予報は研究中である。地震発生の数値計算がいかに難しいかを述べることになる。地震現象を支配する微分方程式とは、媒体である岩石層の歪と応力の関係式、字椎の正体である断層運動方程式を求めなればならない。近くの粘弾性値は温度によって変化する。深さ15Kmよりも深い場所では粘性的な性質が顕著となる。地震の発生は岩石の中で起きる急激な破壊である。これら断層面に沿っ多ずれの動機を支配するのが摩擦の法則である。摩擦とは固体と固体が接触する面のずれを抑制する。摩擦則は滑り(ずれ)速度と状態に依存する。滑り速度が増加すると摩擦力が減少する性質を「滑り速度弱化」と呼ぶ。接触の強弱の割合を「状態」と呼び、状態によって摩擦力が異なる。摩擦則はそもそも経験則であることに加え、パラメーターも空間分布も不明である。ということで現在の地震予測を数値計算から求めることはまだ不可能である。過去の地震履歴事例から地震を確率的に予測する手法の開発も進められている。話をもとに戻して南海トラフ巨大地震が発生した時、東京、名古屋、大阪といった大都市で何が起きるだろうか。政府や各自治体が発表した被害想定に基づいて考えよう。東京は南海トラフから離れているため揺れの強さは震度5強程度に収まる。伊豆半島や三浦半島の陰になるため東京湾の奥での津波もさほど大きくはない。東京では長周期地震動と呼ばれるゆっくりとした振動の影響が懸念される。高層ビルや石油タンクなど巨大建築物に影響が出る可能性がある。3.11東北太平洋地震でも千葉県市原市五井石油コンビナートで大火災が発生した。東京都内で地盤の揺れやすさが異なるので、低地や埋め立て地は揺れやすいので地盤の流動化が起きるだろう。高層ビルでは高層部の揺れが地表部に比べて大きい。家具・ファイル書棚・コピー機やPCによるケガを防ぐために固定化が必要である。東京では建物被害は少なくても交通への影響は大きい。このように短期的には東京への影響は限定的である。名古屋市は南海トラフ巨大地震の影響を最も受けやすい都市である。市内のほとんどの地域の震度は6弱以上で、名古屋の南部や西部の揺れやすい地域では震度6−7となろう。そして液状化の可能性も高い。津波については入口の狭い伊勢湾の奥にあるので影響は比較的小さい。名古屋市の想定では巨財地震の最悪ケースで建物全壊が66000棟、仮設住宅6万戸の建設費は3000億円、死者数最大6700人とみている。ライフラインや交通の停止による生活困難が待ち構えている。電力停電と固定電話が不通となり復旧するには数日から1週間ほどかかる。電力は水道にも影響する。長期間の交通マヒが続き鉄道再開まで1週間はかかる。大阪市も歴史的に南海トラフ巨大地震の影響を受けてきた都市である。安政の南海地震では大阪湾を襲った津波による被害を受けた。大阪は河川と運河の張り巡らされた都市であるので津波被害が広がった。大阪府がまとめた被害想定を見よう。南海トラフの巨大地震の最大揺れは震度6弱とみており、名古屋より1段低い。建物倒壊による死者は70人程度で見ているのは、大阪府の耐震化率は80%であるからだ。揺れによる被害は限定的であることに比べて、津波による被害は、此花区で4mの高さで地域全体が浸水する。大阪では地震発生からつ津波が来るまで1時間半から2時間かかる。大阪駅や梅田も浸水域となり地下街に侵入する可能性がある。大都会では地震後歩いて帰宅する避難者で大混雑する時間帯に津波による浸水が起きたら被害が拡大されるだろう。地震後4−5時間は避難した場所に留まる方が安全である。事前にハザードマップを入手して、よく付近の起こりうる事態を把握しておくことが大事である。

3) 津波、連動噴火、誘発地震

南海トラフ地震のおさらいをしておこう。南海トラフ巨大地震は、フィリッピン海プレートが南海トラフから日本列島のしたに沈み込んで発生する地震である。震源域が海域にあるため津波を引き起こす。南海トラフ沿いのフィリッピン海プレートは1年あたり5cmほどの速さで動いている。その際に沈みこむプレートの上に載っている日本列島の地殻を陸側に押し込んでゆく。地震が発生するときには、押し込まれた地殻が反発して一気に元に戻ろうとする。地殻は上にある海水を動かして津波となって沿岸を襲うのである。特にトラフ軸付近まで反発すると海底が大きく隆起し高い津波を発生させる。南海トラフでは巨大地震が発生すると、最悪ケースとして駿河湾から日向灘まで広い範囲が連動するとされる。広域津波災害に発展する。さらに2011年3.11東北地震に比べて、地震発生から津波が海岸の到達するまでの時間が短くて、10分もない。津波災害の悲惨さは1993年の北海道南西沖地震で奥尻島の津波は一瞬にして逃げ場のない200名の命を奪った。押し寄せた津波は海岸線付近の家屋を根こそぎ押し倒し、倒壊した家を海へ持ち去った。津波が去ったあとの街はがれきの山となり大きな漁船が打ち上げられ、鉄道の線路もはがされ曲がった。津波ハザードマップをみるとき、堤防での津波の高さよりも陸上での浸水深さに注目するべきである。最高津波高さが維持されて地上を覆い尽くすわけではなく、波であるから高低があり、それに海岸からの距離や地形によって浸水する深さが異なる。注目すべき浸水深さは30cmと2mという値である。30cmは膝くらいまで水が来て帰るため、足をとられて転倒すると体ごと海へ持ってゆかれる極めて危険なのである。侮ってはいけない。浸水深さ2mを超えた場所ではほとんどの木造の家は流されてしまい。後には基礎しか残らないのである。だから高台まで避難できない時は鉄筋コンクリートの建築物に逃げ込む必要がある。津波の予測は震源の想定に大きく影響される。海底の地形が分かると津波の伝わる様子は予測できる。海上保安庁の作成した海底地形図が地震予測に参考となる。内閣府が「最大クラス」の震源モデルを作成し、そのモデルに従った津波ハザードが計算されている。南海トラフ巨大地震の特徴は陸地に近い場所が震源地域となるため、津波が海岸に到着するまでの時間が短いことである。太平洋に面した海岸には高い津波が直接到着する。一方伊勢湾、大阪湾、瀬戸内海沿岸など入り口が狭い湾内には津波は入り込みにくい。外界では数分から20分ほどで津波が到着する。伊勢湾では1時間ほど、大阪湾では2時間ほどかかって津波が到着する。沿岸各地の津波被害の予想を北から南へとみてゆこう。
静岡県は海岸線全体が外海沿いであるため津波の被害が大きくなる。かつ震源地に近いことから津波到達時間は短く時間的余裕がない。伊豆半島の下田では最大33mの津波が襲い、市街地の浸水深さは2mを超える。駿河湾の奥に位置する沼津市、清水市あたりは広い範囲で浸水する。焼津から御前崎にかけて高い津波が押し寄せ海岸線は浸水する。御前崎以西の砂丘海岸津波は砂丘を超えて市街地に達して浸水する。天竜川では津波が遡上し浜名湖のに陸にかけて広い範囲で浸水する。
愛知県は静岡県に比べて比較的津波の影響は少ない。それは愛知県の太平洋沿岸はほとんど崖になっているからで、津波が押し寄せても内陸への影響は少ない。愛知県が大きな影響を受けるのは渥美半島の伊良湖と知多半島の岬である。
三重県は、伊勢湾の外か内によって津波?街は大きく異なる。伊勢湾内では津波は低い。志摩半島から熊野にかけての外海はリアス式海岸である。尾鷲市では過去の地震で何回も津波に襲われた記録がある。
和歌山県は紀伊半島沿いに長い海岸線が太平洋に開いている。新宮から潮岬を経て和歌山市まで216Kmの長さの海岸線である。津波の高さは最大クラスの地震で10mを超える。県南部は20を超える場所もある。新宮市では最初に来る津波高さ(3m)より次の津波の方が高い場合(14m)もある。
大阪の高い津波被害は限定的である。ただし潮位があがると低地の場所では地下鉄や地下街が水没する被害が考えられる。
四国の徳島県では鳴門以南が津波の影響を大きく受ける。吉野川と那賀川河口では我国第1級の活断層が走っており、都市に人口が集中しているので津波や地震の被害が大きくなることが予想される。高知県は四国の中でも南海トラフの巨大地震による津波に最も警戒しなければならない。県のほとんどの海岸線は太平洋に面しており、海岸での津波高さは10mを超える。そして震源地との距離が少ないことからすぐに津波が押し寄せる。そしてさらに悪いことには高知市の地盤が地震によって1mほど沈下する。津波の影響をもろに受けやすくなる。愛媛県佐田岬以南が津波の影響を受ける。海岸線では5mを超える津波となり、場所によっては10mとなる。原発のある伊方、八幡浜市、西予市、宇和島市、愛南町が津波の影響が大きい。瀬戸内海側の津波の影響は相対的に小さい。
九州では日向灘までが震源地とされており、太平洋側の海岸線では津波が押し寄せる。及ぶ範囲は佐田岬半島と佐賀関半島までとされて、それより北へは津波は及ばない。南は鹿児島県東串良まで浸水深さが5mを超える地域が続いている。南海トラフ地震の震源範囲を日向灘で止めたため、九州パラオ海嶺で震源の想定はしていない。
1923年の関東大震災では10万人以上の犠牲者の内、9割が大規模火災による犠牲者であった。1995年1.17の阪神・淡路大震災では6500人の犠牲者のほとんどが家屋の倒壊や家具の転倒による犠牲者であった。2011年3.11の東北地方太平洋沖地震では2万人近い犠牲者行方不明者の大部分は津波による犠牲者であった。関東大震災の教訓は「グラッと来たら火の始末」、阪神・淡路大震災の教訓は耐震化家屋と家具の固定であった。2008年時点で住宅の8割は耐震化されている。過去に例のない災害は見過ごされがちである。それは海抜ゼロメーター地帯の災害である。海抜ゼロメータ地帯は関東平野、越後平野、濃尾平野、嵯峨平野など広く存在する。なかでも南海トラフ地震の影響を受けるのは濃尾平野である。伊勢湾の奥にある濃尾平野に高い津波が襲ってくることは少ないが、堤防の破壊は揺れによる堤防直下の地盤が液状化し、堤防の重みに耐えられず沈没するために発生する。ゼロメーター地帯は堤防によって守られている。このことは2015年9月の鬼怒川流域の堤防崩壊による水害の様子にも明らかである。

南海トラフで巨大地震が発生すると、連動して富士山が噴火する可能性が指摘されている。南海トラフの地震史上最大の1707年宝永地震が発生した49日後に富士山が噴火している。江戸に火山灰を降らせた。富士山は活発な火山活動で形成された火山である。その美しい山の形は噴火ブルが積もることによって滑らかな地表が形成され、火山活動が活発な証拠である。マグマには成分によって玄武岩マグマ、安山岩マグマ、流紋岩マグマに分類され、富士山は主に玄武岩マグマによって形成された火山である。マグマの成分は二酸化ケイ素の含有量によって分類され、玄武岩マグマは二酸化ケイ素の含有量が最も少ない。二酸化ケイ素の含有量はマグマの流れ易さに関係し、玄武岩マグマは最も流れやすい。流紋岩マグマは最も流れにくいので、流紋岩からなる北海道有珠山はごつごつした地形が特徴である。マグマに含まれる水分や炭酸ガスの揮発成分は地表に近づいて圧力が下がると気泡を発生する。気泡が多くなるとマグマの密度が下がり上昇速度が増加する。流れやすい玄武岩マグマは火口から勢いよく吹き出し流れやすい溶岩になる。流れにくい流紋岩マグマは地表で一気に気泡が爆発し粉々の火山灰を噴き上げる。1991年に40人以上の犠牲者を出した雲仙普賢岳の火砕流がそれである。富士山の火山活動は3つの特徴がある。@大量のスコリア(黒い軽石 気泡を含んだまま固化した粒子)や火山灰を噴き上げる、A大量の溶岩を流す噴火、B山体崩壊である。宝永噴火では@のスコリアと火山灰の噴火であった。火山灰は江戸にまで降り注いだ。Aの溶岩を流す噴火は866年の貞観噴火に見られた。標高1400mの火口から大量の溶岩が流れ、現在は青木ヶ原樹海豊?れる樹林となっている。富士山は溶岩を流す噴火は何回もおき三島市はその溶岩流の上に立っている。B山体崩壊は「岩屑なだれ」と呼ばれ、2900年前の御殿場岩屑雪崩が知られている。さて南海トラフ巨大地震で富士山が噴火するだろうか。火山噴火の基本的な仕組みは、地下深部のマントル内で発生したマグマが火山直下5−10Kmでマグマだまりを形成し、その一部が地表に噴出する現象です。大量の気泡を含んだマグマが上昇するとされている。だから火山が噴火するには、マグマが蓄積されマグマ内の気泡が増加することが必要条件である。だがマグマだまりで噴火の条件が整っているかどうは分る方法がない。宝永地震から300年、富士山は沈黙を保っている。もし地震のゆれでマグマが移動しやすくなったり圧力が低下した時、富士山が噴火した場合、祖生影響は非常に大きいと予想される。風向きによっては関東一円に火山灰を降らし、大雨が降ると泥流を発生させる。溶岩流がどこへ流れるかは火口の位置できまる。富士山の山体が崩壊することが一番厄介な想定である。南海トラフ巨大地震が発生すると、その後に日本列島の内陸で地震活動が活発になることが考えられる。場所によっては地sンが発生しやすくなる。地下の岩盤中の割れ目が急速にずれ動くことが考えられるからである。何回もずれを繰り返して大きく発達した割れ目が活断層と呼ばれる。南海トラフ巨大地震が発生した後、10年くらいは西日本の内陸全体でマグニチュード6以上の地震活動が活発化する。特に近畿地方での地震活動が活発化する傾向がある。フィリッピンプレートの押し込みによって内陸部地下のひずみが蓄積し、特に紀伊半島の圧縮隆起が大きいからである。国の地震調査研究推進本部がm留めた全国で110の活断層の地震発生可能性評価では、深溝断層は対象外である。誘発地震はどこで起きるかは予想できない。最後の問題は南海トラフ巨大地震の影響が、日向灘で切れずに琉球列島まで及ぶかどうかである。琉球列島では過去にプレート境界を震源域とするマグニチュード8クラスの地震が起きた記録はない。フィリッピン海プレートは琉球列島に沿っても沈み込んでいる。琉球列島では「南西諸島海溝」と呼んでいる。ところが国土地理院のGEONET観測網データでは琉球諸島は北西へ押し込まれていない。大体南から南東方向へ島嶼が移動している。諸島の大陸側に沖縄トラフという「背弧海盆」が形成されている。日本海と同じように大陸側からの力を受けて、琉球諸島は大陸からは離れつつある。琉球諸島が大陸から離れるときに地殻が割れマグマが侵入して新たなトラフ(沖縄トラフ)が形成され、沈み込んだプレートが「南西諸島海溝」と沖縄トラフで支え合っている構図である。沖縄の過去の地震津波はマグニチュード8クラスの巨大地震がなくても、巨大な津波は発生した。津波は、1771年4月24日の明和八重山地震津波(M7.4)では遡上高さ30m、犠牲者は約9300人であった。この津波の原因ははっきりしていないが、海溝沿いの比較的狭い範囲が急激にずれて海底の地殻変動を起し、津波を発生させる「津波地震」ではないかという推測がある。

4) 地震予測と震災対策

2011年4月27日「3.11東北地方沖地震を教訓とした地震・津波対策に関する専門委員会」が設置され、同年9月28日報告書を取りまとめた。この報告を受け内閣府は南海トラフの巨大地震モデル検討会を設置し、2011年12月に中間とりまとめ、2012年8月29日に詳細な計算結果を公表した。2012年4月に南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループが内閣府の設置され、2012年8月に第1次報告、2013年3月に第2次報告を、5月に最終報告を公表した。同時に南海トラフ沿い大規模地震の予測可能性に関する調査部会(著者が座長)の報告がなされた。報告書はすべて内閣府ウエブページからダウンロードできる。国の想定は津波に関して11のケースを、地震発生場所につては4つのケースを想定した。個人の防災対策には都道府県別の被害想定、さらに市町村別の被害想定の方が役に立つ。内閣府の建物被害の想定の原因別内訳としては、揺れによる被害、液状化による被害、津波による被害、急傾斜地崩壊による被害、火災による被害という分類で検討されている。県別では静岡県、愛知県、大阪府・和歌山県、高知県別に補がい想定をまとめている。インフラの被害については、電気・ガス・水道の被害、通信の被害、交通・運輸の被害をまとめている。詳細は興味の場所が個人的に異なるのでここでは省略する。つぎに防災体制については、2014年3月内閣府は「南海トラフ地震防災対策推進基本計画」を発表した。耐震対策、地震火災対策、津波対策、事業継続計画BCP、防災教育と広報活動、防災訓練、防災力の向上などが書かれている。行政的内容は予算的裏付けによって実効性が決まるので、お題目を並べた官僚文書は抽象的であり、ここに記しても意味はないので省略する。



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