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宮崎勇・田谷禎三著 「世界経済図説」 第3版

 岩波新書 (2012年2月)

世界金融危機・ユーロ危機を経た現在の経済状況を図説から読む

21世紀初頭は第2次世界大戦後40年以上続いた東西2分体制と冷戦が終って、「争いから平和」へ、世界グローバル市場への期待が高まった時期であった。しかし経済的には日本で言えば1990年代初めの土地バブル崩壊から、不良債権処理に始まる長期デフレ不況がいまだに尾を引き、アメリカでは金融構造改革で一時好況を呈したが、21世紀なると日本の後を追って土地バブル(サブプライムローン問題)から金融商品(債券など)の信用に疑問が発生し、2008年にはリーマンショックによる世界金融危機が勃発した。その影響は2012年のいまでも株価低迷、消費減退などが続いている。政治的経済的に東西二大陣営の対立の構図の軸がなくなったかわりに、世界中で民族紛争が活発化し、経済ブロックの分裂と再構成、新興国中国の躍進に見られる世界の多極化が進行したといえる。政治軍事経済の絶対的覇権国家アメリカのゆっくりとした衰退過程に、アジアの龍「中国」の台頭とヨーロッパ統合「EU」、さらにその財政問題に発する欧州危機が重なり、機軸通貨ドルに替わる通貨も存在しないまま世界経済の不透明感は増している。グローバル市場経済の出現と同時に世界経済の多極化の進行も著しい。

経済活動は人間が生活するための活動であるので、政治と密接に連動しており、経済の覇者が思い通りの収益を上げるために政治や政府を利用しているのか、主権国家と政府が生き残りをかけて総力戦をやっているのか、我々素人にはすっきり理解することは難しい。人間活動を経済というなら、人口や環境問題・資源問題も経済的に考えなければならない。石油資源の有限性からその消費にチェックをかけるため、地球温暖化問題がクローズアップされ原子力発電に導く勢力がこれに乗っかって現在の地球規模の人口・資源・環境問題がグローバル化したといえる。これらもすべて経済とは無縁ではなくなってきている。日本経済も今大きな転換期に来ている。バブル崩壊で昭和はおわり、平成となってずっと長期デフレ不況に苦しんできた。経済の空洞化による日本沈没も懸念される中、2011年3月11日「東日本大震災」と「東電福島第2原発メルトダウン事故」が勃発した。「泣き面に蜂」とはこのことである。復興事業に莫大な国債が発行されようとしている。国家財政の半分を赤字国債にたよる財政不健全化は長く続いておりそれがこの震災の復興事業で加速されるであろう。世界市場への対応と不況脱出(雇用回復と内需拡大)に向けた構造転換が求められている。

本書「世界経済図説」は1990年に第1版、2000年に第2版、2012年に第3版が出版されることになった。著者宮崎勇氏のプロフィールをみる。宮崎 勇(1923年生まれ、2012年でなんと89歳 )は、日本の経済企画官僚、エコノミスト。インターアクション・カウンシル事務局長。東京大学経済学部卒業後、経済安定本部、経済企画庁事務次官を経て、1980年に退官後は、1982年から大和証券経済研究所代表取締役理事長を務め、民間エコノミストとして活躍。1984年「陽はまた昇る−経済力の活用と国際的な貢献」(「中央公論」1983年7月号)で石橋湛山賞を受賞。1995年8月から翌年の1月まで村山改造内閣の経済企画庁長官を務めた。著書には「日本経済図説」(岩波新書)、「人間の顔をした経済政策」(中央公論社)ほか。共著者の田谷禎三は1954年生まれ、立教大学法学部卒業後、国際通貨基金、大和証券を経て大和総研理事、日銀政策委員、現在は立教大学経営学部特任教授である。要するに宮崎氏の経歴から見て本書は「経済白書」のダイジェスト版とみなしていいだろう。

本書の構成は明確な企画を持っていてわかりやすい。全体を10章に分かち、各章には10の項目を設け、うち9の項目には本書を見開いて右の頁は解説を、左の頁に図表を2-3枚掲載し、最後の項目はまとめに相当する解説のみからなる。したがって10×10=100の経済関連項目を解説し、項目ごとの頁数は表紙を入れて2×9+1+1=20頁で、全体は20×10=200頁の本となっている。この規則性には唖然とさせられる。いかにも明晰な頭脳の持ち主である。複雑で内容の多い項目もあればそうでない項目もあるはずで、それをこのように規格化するのである。いかにも官僚好みの癖ではなかろうか。内容的には、新書版ということもあり、経済白書のようなボリュームを盛ることは出来ないので、記述内容は以外に素っ気無い、というより物足りない気がする。そして記述内容を裏付けるべき図表も少なすぎて、このデータだけでどうしてこのようなことが言えるのかと疑問に思われる。それよりは解説を言葉だけでは信用しない人に根拠を見せる程度の図表であろう。それも新書版という制約から来る物足りなさであり、もっと知りたければ問題別、アドヴァンスコースの本を読めばいいということである。(本書の中でなじめない言葉が2つあった。「指令経済」と「権威主義体制」である。内容を読めば分かるが、その含む範囲がその言葉でくくっていいものかどうか疑問である。歴史的文化的にあまりに多様な内容を含んでいるからだ。文化的にイスラームとくくるようなものだ。)

1) 世界経済の輪郭

@国の数、国土
 国の数は第2次大戦後増加傾向にあり、195カ国(2011年12月)となった。世界は民族的な結びつきを中心に再分化し、経済の国境が無くなるにつれて、地域化という動きが強まっている。  
A人口・民族
 世界の人口は2011年秋に70億人を超えたと見られる。1億人以上の人口を持つ国は10カ国あり、多い順位に中国、インド、アメリカ、インドネシア、ブラジル、パキスタン、バングラディシュ、ナイジェリア、ロシア、日本である。世界は約7000−8000の民族からなるとされる。世界人口の60%がアジアに集中している。殆どの国家は複数民族からなり異民族の共存共栄は重要である。
B国内総生産
 2009年の世界のGDP総額は58兆ドル程度と推計される。シェアーはアメリカが24.4%、日本は8.8%、EUは合計して28%、中国は8.6%であった(2011年で中国は日本を抜いた)。アジア全体では29.4%であった。ロシアは最近復興してきたが2%に過ぎない。人口一人あたりのGDPは、アメリカ、カナダ、日本、EUの順である。
C産業構造
 ウィリアム・ぺティの法則によると、一般的に開発程度によって産業構造に占める率は第1次産業(農産業)から第2次産業(工業・製造業)そして第3次産業(商業通信業サービス)へ移行するといわれる。2008年の農業・工業・サービス業の比率は、アメリカが1.3%,22%,76%、日本は1.5%,29%,69%であった。中国は11%,48%,40%であった。製造業比率の一番高いのは中国。ロシアで、サービス業比率の高さはアメリカ,EU,日本の順であった。産業構造は付加価値の分布、就業者配分に変化をもたらす。世界的には分業体制の明確化を現すものの、国によって様ざまな発展形態があり簡単にはいえない。
D天然資源・エネルギー分布
 再生可能な農業とは異なり、鉱業石油などの天然資源は有限資源(枯渇資源)といわれる。主要なエネルギー資源を見ると、石油埋蔵量では中東が56%、天然ガスでは中東・ロシアが64%と圧倒的なシェアーを持つ。石炭は世界的に分布しており、アメリカ、ロシア、中国、オーストラリアなどで産する。金属資源も偏在しており、南米、ロシア、南アフリカ、オーストラリアなどが金銀鉄ボーキサイトニッケルを産する。レアメタルが注目される。日本は石炭を除いて鉱物資源は皆無である。
E技術
 財やサービスの生産は、原材料、労働力、資本が揃って行なわれるが、その効率を決めるのは技術である。ただし経済学的に技術水準を評価することは難しい。またキャッチアップ国にとって技術を真似することは日本、中国の例を見るまでもなく極めて効率がいい。2008年度の国の研究開発費のGDPに占める比率は日本が一番高く3.8%、韓国が3.2%、アメリカが2.8%、ドイツが2.5%であった。中国は1.4%である。特許出願数は日本が多くて1位であるが、研究成果の発表ではアメリカのシェアーが半分以上でその他の国は10%以下である。
F交通・情報通信
飛行機による旅客輸送が激化する安値競争で伸び悩むなか、船舶による貨物輸送が1990年以降急速に増加した。携帯電話とインターナット利用者の急速な増大は経済的社会的に大きなインパクトを与えた。中国、アメリカ、インド、日本などでは人口に比例して利用者数は増え続けている。中でもインターネットの普及は革命的なもので、産業構造、物流構造、金融構造などを一新しつつある。眠らない世界では24時間体制で証券取引、金融決済、商品取引が行なわれている。
G社会資本・国民生活
社会資本とはインフラのことで、鉄道、道路のキロ数、空港数、発電量、病床数や医師数、携帯・インターネット利用者数で見ると公的資金を投入した公共事業が必要であった。戦後日本は多額の投資を行なってきたが、国土が狭い点を差し引いても欧米先進国に比べると整備水準はまだ低い。社会保障や国民生活の点では日本は欧米の水準に追いついており、平均寿命や発電量では勝っているが、労働・生活の安定性などで不足していることはいなめない。国民生活指数などは急速にアメリカ化してきた。
H政治と経済
もともと政治と経済は不可分で「衣食足りて礼節を知る」「貧すれば鈍する」のとおり、経済的発展のためには政治的安定が不可欠である。その成功例が中国であったといえよう。中国の今後の課題はこれまでおろそかにしてきた社会保障と環境保護問題の解決であろう。家計の貯蓄率という点では、高貯蓄率・高生産性を誇ってきた日本は2000年以降急速に貯蓄率が減少した。家計に占める貯蓄率はフランス・ドイツが10%以上であるが、日本はこの10年で4%以下となりアメリカ並みとなった。2000年以降の構造改革によって、賃金が下がり、消費が減退し、労働環境の劇的悪化により労働生産性も減少した。
I国際化の進展
冷戦が終って国際化と共生の時代に入った。人、物、金、技術、情報は国境を越えて移動する「国境なき市場経済」の時代となった。政治的対立に替わって経済の時代が到来した。経済が世界的規模で一体化する一方、国家民族の対立が先鋭化してきたことも、政治と経済の矛盾をはらんだ展開となっている。

2) 国際貿易

@一般貿易
交換を通じて国際分業の利益を得ることが貿易である。多くの国は対外貿易を拡大することで成長・発展してきた。世界で貿易規模は12兆ドル(2009年)となった。世界の平均経済成長率が3.6%であったに対して貿易の伸びは6.4%であった。こうして世界ノ総輸出高の国内総生産に対する率は10%−20%に上昇した。経済成長は輸出によって支えられている構造が理解できる。1995年から2009年まで輸出のシェアーが上昇してきたのはアジアで、なかでも中国のシェアー拡大(世界の輸出の10%)が際立っている。逆にシェアーが低下したのは日本5%、イギリス2.9%、アメリカ8.6%の斜陽化が目立つ。輸出のシェアーはEUが40%、アジアが30%、北アメリカが15%程度である。アメリカは輸入のシェアーが13%と高い特徴がある。輸出が輸入を上回る国は日本、中国、ドイツなどで、輸入超過はアメリカ、イギリスなどである。
A貿易収支と貿易構造
1国の輸入と輸出がバランスすることは殆ど無い。したがって収支は変化する。かって黒字収支の典型は産油国であったが、1990年代前半は日本欧州の黒字拡大となり1990年後半以降はサウジアラビアと中国の黒字が目立つ。先進国の貿易収支赤字の筆頭はアメリカである。2000年以降先進国の収支赤字、途上国の収支黒字の差は拡大した。貿易全般については輸出品目は工業品、なかでも電気・電子機器である。途上国の輸出品は農産物、原油、衣料である。2008年輸出国のシェアー順位はドイツ、中国、アメリカ、日本、フランスであった。
Bサービス貿易
サービス貿易とは「貿易外取引」と呼ばれ、運輸、旅行、政府・民間サービスなどがあるが、海外投資からの配当利子などの受け取り(所得収支)が含まれる。2003年以降所得収支が急速に拡大し一般サービスを上回るようになった。2008年の一般サービス貿易は4兆ドル、所得収支は3.9兆ドル(財の輸出は16兆ドル)となった。財の貿易額の半分くらいとなったこの貿易外取引は先進国全体で黒字、途上国は赤字である。日本は運輸や民間サービス、旅行で大きな赤字で所得収支で世界一の黒字国となった。アメリカは直接投資以外の投資収益が赤字で、民間サービスと直接投資収益は世界一の黒字国である。国の経験や得意とする分野でいろいろな変化があるようだ。
C情報・技術貿易
サービス貿易のうち急速に増大してきているのが情報関連取引である。技術取引は特許・ノーハウ取引だが、情報取引はコンピュータサービスや情報関連サービスに関する費用の受払いをいう。この取引に関する統計データが利用可能な先進工業国に限ってみると、情報・技術貿易収支はアメリカ・イギリスが軍を抜いて黒字国である。日本は対欧米で赤字、対アジアで黒字である。途上国はサービス全体が赤字である(インドだけは黒字)。そういう意味でアメリカは技術立国・情報(金融を含む)立国になっている。
Dエネルギー貿易
1次エネルギーはまず石油であり、ついで天然ガスである。石油生産の半分、天然ガス生産の2割が国際取引されている。一方石炭は世界各地で生産と消費がなりバランスしており貿易は限られている。石炭の最大輸出国はオーストラリアであり、最大輸入国は日本である、石油の輸出シェアーは中東が34%、ロシア17%、中南米10%、西アフリカ8%である。中東は買っては6割のシェアーであったが最近は低下気味である。輸入国はアメリカ22%、欧州26%、日本8%、中国10%、インド6%である。天然ガスの輸出国カナダ、ノルウエー、ロシア、カタールで半分以上を占め、輸入国は先進国全体で60%を占めている。エネルギーは政治的商品の性格を持つので国際紛争のたびにリスクを負う。
E一次産品貿易
世界の農林水産輸入総額は2008年で1兆1000億ドルであるが、全商品貿易にしめるシェアは低下傾向にあり6.7%であった。石油などエネルギー商品とは違い、所得との連動が低いた経済成長に比例しないためである。一般に先進国が赤字(輸入国)、途上国が黒字(輸出国)であるが、先進国の中でも農業国であるアメリカ、オランダ、オーストラリア、フランスは黒字である。中国、イギリス、日本は赤字となっている。日本は農林水産品の最大輸入国である。
F関税・非関税障壁
先進国の関税収入の国税に占める比率はおおむね1−3%に過ぎない。WTOによる関税撤廃、非関税障壁の引き下げの推進は各国に事情があってなかなか進まない。そこで地域ごとに合意できる国同士で自由な貿易を求める動きとしてTPP交渉が開始された。関税や非関税障壁は国内産業の保護と時間調整のためである。貿易を拡大する為には自由貿易が必要だが、自国産業の保護育成の時間稼ぎも必要ということで、難しい調整となる。2009年の平均関税率は日本は1.3%、アメリカは1.9%、EUは1.6%、中国は4.7%、インドは7.8%、ロシアは6%と途上国ほど関税率は高い。
G直接投資
企業は貿易ばかりではなく、直接投資や貸付で国際的な経済活動を行なっている。その主役は日本ではかっては総合商社であったが、いまや多国籍企業が外国で活発な事業経営を行なっている。その形態の資源開発型投資、市場密着型企業、販売拠点つくり、タックスへヴン型移転、最近では通貨変動や国内産業の構造変化に応じて生産拠点を海外に移動することが増えている。ボーダーレスといいながら母国政府の保護を受けながらサービス、資本、技術、情報の移転を進めている。対外直接投資残高の高いのはアメリカ、フランス、イギリス、ドイツ、オランダ、香港、スイス、日本の順である。
HGATT/WTO体制
世界自由貿易体制の軸となってきたのは、IMFとGATTであった。自由貿易・無差別貿易を推進するため1995年WTOが設立され紛争解決改善に当たってきた。しかし拘束力が無いとか多国間調整には時間がかかるなどから、結局2国間交渉で輸出自主規制というあいまいな解決に頼っている。
I経済摩擦と国際協調
WTOのルールに照らして公正自由でないケースがあると貿易摩擦となる。その最大なものは1980年代の日米経済摩擦であった。双方の言い分は一理あると云うものの両国の友好関係にひびをいれかねず、政治決着が図られた。近年中国の台頭が米国、EUとの経済摩擦を生んでいる。

3) 国際金融

@資本の流れ
国際的な資本の流れは国際間の資産取引から生まれ、債権・債務関係を変化させる。資本取引は1980−2000年間に財・サービスの経常取引の倍以上の伸びを示した。それ以降も高い成長を示し2010年4月の1日あたりの為替取引は英・米・日の三国だけでも3兆ドルとなっている。中でも債券・株式・証券を対象としたポートフォーリア投資の高い収益をもとめて24時間資本は世界を移動している。為替取引の中心はロンドン、ニューヨークの2箇所が断トツである。それらより一桁少ない規模で、日本、香港、スイスなどが動いている。意外とドイツは資本移動の少ない国である。資本は経常収支黒字の国からアメリカに移り、アメリカが新興国へ投資するという形である。この資本の流れが2008年リーマンショックで世界金融危機となった。
A金融資本市場
国際的な資本の調達運用市場としては、ロンドン・シティー、ニューヨーク・ウォール街が中心である。東京は世界金融センターの仲間入りをしたが近年地盤低下気味である。開かれた市場として金融資本市場とユーロ市場がある。資本調達には、銀行借り入れと証券発行がある。銀行融資ではイギリスがマーケットとしては最大である、銀行としてはドイツ、日本、アメリカ、フランス、スイスが大きい。債券発行は固定利付債が中心である。世界の国外銀行融資残高は2010年6月で21兆ドル、国際債務証券発行残高は27兆ドルであった。世界の株式時価総額は55兆ドル、国内債務証券発行残高は64兆ドルであった。
B金利、株価、金融派生商品
資本は国境を越えて自由に高収益を求めて移動するが、いつでも為替リスクが存在する。各国の長期金利の差は資本移動の誘因となる。先進国の長期金利は連動するする傾向にあり1990年以降低下の一途をたどっている。日本の実質金利ゼロ政策に比べると、欧米は2008年までは約5%の金利を保っていた。株価指数も日本は低迷しているが、欧米では1980年度を100とするとアメリカ・イギリスで1000以上となっている(これはバブルだという説もあるが)。金利、株価、為替相場変動リスクを回避するため先物、オプション、スワップ取引(デリヴァティブ 金融派生商品)は活発になってきている。
C国際収支と資本取引
財及びサービスの「経常収支」の収支尻が黒か赤かによって同額の長期資本収支と照合する。もとより短期的には収支尻が一致することは無い。現在アメリカが最大の債務国で、日本は最大の債権国である。しかし1990年以降経常収支尻をはるかに超えた資本の流入(キャッシュフロー)があり、アメリカの経済は拡大してきた。更にアメリカから新興国に向けて資本が流出するぐらいである。この大きな資本の流れが世界金融危機を誘発する原因となった。2008年には資本流入は先進国でGDPの20%にまで拡大し、リーマンショックで破裂した。一般に新興国の経常収支は黒、先進国は赤となっている。2000年以降、対外資産は拡大を続ける日本・ドイツに対してアメリカ・イギリスはマイナスとなっている。
D国際金融活動の拡大と監督強化
従来の事業企業による直接投資、銀行による対外貸付に加えて、銀行の対外投資活動、保険会社の投資運用、投資信託・年金・ヘッジファンド・ソブリンファンドによる活発な投資活動を行なうようになった。成熟市場における機関投資家とは投資会社・年金基金・保険会社が等分の割合となっている。各国の金融活動の規制・監督を共通化するためBISバーゼル委員会による銀行の自己資本比率規制(1998バーゼルT:8%、2004バーゼルU)で強い財務体質を求めた。しかし2008年リーマンブラザーズの破綻を契機に、バーゼルVでは中核的自己資本比率を7%からスタートし段階的に2019年までに引き上げることになった。
E為替レートと対外準備
世界各国は相当額の公的対外準備を持っている。緊急時の輸入代金の支払いと為替相場の安定のための介入資金である。2000年代に入って対外準備資産は財・サービスの年間輸入額の約50%に拡大した。2010年における外貨準備の最大の保有国は中国で3兆ドル、次は日本で1兆2000億ドル、EUは8000億ドルである。多くの国は変動為替制度を採用しているといえども、固定と市場主義の狭間で様々なリスクに対応するため市場に介入する。
Fユーロの拡大
1999年欧州統一通貨ユーロがスタートした。欧州中央銀行ECBが金融政策を決定し、ユーロ内では固定為替制度のメリットを受けられることから参加国が拡大した。現在は17カ国となった。ユーロ圏の2010年のGDPは12.2兆ドル、人口は3.3億人となり、アメリカを抜く経済規模となった。問題は財政基盤の脆弱な地中海沿岸諸国を含み、それがユーロ危機の誘因となったことである。ユーロの信用を取り返すには、財政規律の向上など今後の進展を見守る必要がある。
Gドル・ユーロ・円・人民元
国際通貨体制は多極化してきた。米ドル基軸体制は1971年の金ドル交換停止以来揺らぎ始めている。ドル崩壊も懸念されているが、今後の通過体制はドル・ユーロ2極体制になるかもしれない。現実的には為替市場で取引される通貨はドルが圧倒的なウエイトを占め、2010年で米ドルが85%、ユーロが39%、日本円が19%、イギリスポンドが13%(全体は200%)である。外貨準備中の通貨は米ドルが62%、ユーロが26.5%、英ポンドが4.2%、円が3.3%である。
H為替制度
一般に現在の為替制度は変動相場制といわれえるが、実際はそうでもない。2008年の為替制度の形態は、殆どの先進国とユーロ圏は独立フロート(変動為替制)で40カ国、多くのアジアアフリカ諸国は管理フロート制(特定の中央値を設定しない)で44カ国、多くのアフリカ、中東、中央アジア、中南米諸国は通常の固定相場制で66カ国が主流であるが、ほかにもカリブ海諸国や香港のようなカレンシーボード制は12カ国、ボリビア、中国などはクローリング・ベッグ制で8カ国である。アジアの共通通貨が話題となっている。
IIMF体制
第2次世界大戦後に発足した国際通貨基金IMFでは為替相場の切り下げ競争を防止するため、固定平価制度を取り入れ平価の上下1%以内に為替制度を維持するよう義務付けて国際決済資金を融資してきた。しかしこの体制も1971年の米国の金ドル交換停止(ニクソンショック)で崩壊し、今日の変動為替制度に至った。しかし変動為替制度でも国際収支不均衡は全くなくなってはいない。東欧の市場化支援、金融通貨危機への対応など金融システムの安定のための新しいあり方が問われている。

4) 多極化と地域統合

@世界経済の再編成
第2次世界大戦後、弱体化した欧州・日本を尻目に見て、一人アメリカの軍事力政治力経済力が世界に君臨し「パックスアメリカーナ」の時代が1980年頃まで続いた。経済復興と高度経済成長で力をつけた日・欧と中国などの新興国が成長し、相対的にアメリカの位置が低下し世界は多極化した。しかし1990年ごろから世界市場化と金融・情報革命などで各国の経済パフォーマンスに差がつき始めた。アメリカは直線的な右上がりの成長を続け、日本を含むアジア・中南米は通貨危機に見舞われ経済成長は停滞した。2000年にはいるとBRICs4カ国は経済成長が目覚しく、中国では10%以上の成長が続き2011年には中国のGDPは日本を追い抜いた。アジアでは中国と日本のビッグ2が際だっている。欧州ではドイツ・フランス・イギリスが中心である。
Aアメリカ経済の復活と金融危機
1980年代日本の製造業の圧迫を受け、1990年代に日本はバブル崩壊で低迷を始める時期に、アメリカは大きく経済構造の転換を図った。「japan as No1]という製造業中心と公共工事型の日本式経済構造の優位性は瞬く間に失墜した。アメリカは1990年代に物価安定の成長が続き、戦後最大の景気拡大となった。情報通信分野での革命、金融制度改革と金融工学、国防費の削減などの効果が大きかった。端的にいうと経済は製造業から金融業へ大きく舵を切ったのである。2000年春株価下落を経験したが、その後再び長期にわたる経済成長を遂げた。しかし2007年サブプライムローン問題で金融信用不安が生じ、2008年リーマン・ブラザーズ破綻を契機に金融危機が発生した。世界は大混乱に陥った。サブプライムローン問題は日本の地価暴騰バブルとおなじ本質を持っており、アメリカの双子の赤字も膨大である。
BEUの拡大
ドイツとフランスの「永遠の和解」という政治目的でスタートした欧州共同体ECは、1993年統一市場をめざして欧州連合EUとなった。EMUとECBによる金融政策の一元化は外交・安全保障・司法・貿易・産業規格の統一まで進んだ。なかでも共通通貨ユーロの誕生は意義深い。2011年には財政政策の一本化を目指すことになった。政治的統合は道半ばであるが、EUは拡大と深化を続けるであろう。
CNAFTA
北米自由貿易協定NAFTAは1992年にアメリカ・カナダ・メキシコ三国で結ばれ、関税撤廃・投資規制廃止を目指している。実質は米・加の協定にメキシコが加わったのであるが、更に中南米も入れた世界最大の市場を作ることにあるといわれる。ただ格差があまりに大きい(GDPではカナダはアメリカの1/10、メキシコは1/15)ので欧州のように容易にはゆかない。中南米諸国では一部に警戒感を持つ国もいる。
D地域間貿易
現在最も活発に貿易取引が行なわれている地域は、EUを中心としたヨーロッパ、北米、そして東アジアである。EUは水平分業による域内貿易依存度が高い。北米では均衡に近いが域内輸出は少ない、東アジアは輸入超過であるが、域内貿易は少ない。北米では東アジアとの貿易比率が高く大きく輸入超過である。東アジアでは日本、アジアNIEs、ASEAN、中国がアメリカ・EU貿易で大きな黒字を出している。
Eアジアの地域統合
2010年でアジアの日本、中国、アジアNIEs、ASEANの合計GDPは世界の23.6%である。アジア貿易における特徴は垂直分業的(植民地型)であった。つまり日本を除くアジアは先進国へ第1次生産品を輸出し、先進国から工業品を輸入していた。それが経済の発展とともに水平分業になってきた。アジアでは地域貿易の活発化によって、緩い形でのグルーピングが出来つつある。ACEAN+3(日本・中国・韓国)である。
F日・韓・中の経済関係
アジアの経済発展はいわゆる雁行形態で日本、アジアNIEs、中国、ベトナムの順に台頭してきた。高貯蓄、勤勉、開放政策が特徴であった。こうした中で漢字文化圏である日本、中国、韓国の相互依存的な発展が注目される。日本が資本・技術面で、中国が資源・労働力の面で、韓国がそれを補完する形で発展することが望まれる。三者の中では中国ー日本、中国ー韓国間の貿易が盛んである。
Gその他の地域統合
欧州、東アジア、北米以外の地でも経済統合の動きがみられ、多くの協定が結ばれている。EFTA(欧州自由貿易連合)がEUとEEA(欧州経済領域協定)を結び、中南米ではメルコスール(南米南部共同市場)を1991年に発足し、95年には関税同盟に発展した。アジアではACEAN+3(日本・中国・韓国)、2011年TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)ができた。アフリカにはCOMESA、東南アジアにはAFTAもできた。
HG7・G20サミット
国家間の経済交流が拡大すると、分業の利益と規模の利益を求めてそれぞれの加盟国の経済発展が加速される。各国間の話し合いと世界への責任が重要な意味を持つ。G7・G8はそういう意味で出来た先進国の会議であるが、国際通貨安定について討議するため主要先進7カ国財務・中央銀行総裁会議とその首脳の会議がサミットである。1999年から新興国11カ国が加わりG20財務・中央銀行総裁会議が、2008年からは首脳会議も始まった。サミットで議論されるのは、経済情勢、通貨問題、通商問題、新興国問題、地域紛争、核拡散、金融システム安定化などが取り上げられる。2010年の世界GDP(62兆ドル)の内訳はG7で51.2%、G7をのぞくG20で26.5%である。
I経済協調と国民国家
世界規模で市場経済化が進めば、モノ、人、金、情報、技術がますます自由に国境を越えて単一市場の形成が容易になる。それが国民国家を解消するかどうかは別問題である。経済活動は国境を越えるが、分業という言葉は共同体(国民国家)の活動を前提としている。今世界では多極化が進み、その中でグループ化、地域統合が進んでいる。国家を基本として主権、自主性を尊重しながらグループとしての協調性が求められているのである。国益との衝突調整が常に付きまとう。武力介入や内政干渉は特に避けなければならない。アメリカ流の「人権外交という名の内政干渉」はいつも中国が嫌うところである。

5) 指令経済と「南」の市場経済

@社会主義対資本主義ではない
1991年にソ連が自壊し社会主義対資本主義の構図は消滅した。しかしここで問題とするのは指令型経済のことである。しかし中国では社会主義市場経済が存在するし、独自の社会主義を唱える国もある。指令経済とは@官僚的非高率な経済運営A人為的資源配分B政治軍事優先経済C対外的閉鎖措置D軍事部門の独立による軍民経済圏の分離という特徴を持つ経済のことであった。では中国はどうかというと釈然としない。ようするにこの5章で述べるのは先進資本主義市場経済以外の経済体制国を扱うということである。それらの国が全部指令経済かといえばそうでないのである。社会主義経済国と後進国経済をごちゃ混ぜに議論しても意味が無い。
Aソ連の解体、混乱と復興発展
1991年のソ連邦崩壊によって、市場経済への移行がスムーズに行かず、企業経営の経験不足からロシアの経済成長は一時マイナスとなったが、2000年ごろから回復し5%以上の成長率を続けた。ロシアの回復は中国のような貿易依存型ではなく(輸出入とも世界の2−3%シェア)、2010年では経常収支の対GDPは5%と黒字となった。これはプーチン政権以来の資源貿易でBRICsとして経済発展を遂げた。インフレ率も沈静化し5−6%ほどである。産業構造は1次産業が5%、鉱工業などの2次産業が36%、サービスなど3次産業が59%である。中国よりは第3次産業への傾斜が進んでいる。
B中国の市場経済化と発展
1993年の全人代で憲法改正を行い中国は「計画経済」から「社会主義市場経済」を目指すと変更した。分権と市場化を2つの柱とする。政府は混合体制の中で国有企業の改革、金融改革、行政組織改革を始め「開放・改革」の真っ只中にある。生産・雇用の約30%は外国企業や香港・マカオ・台湾の資金を受けている。海岸部では成果が上がったが、今内陸部へ向かっている。金融証券の国際化は始まったばかりであるが、経済大国への道を歩み始めた。2011年にはGDPで日本を追い抜き世界第2位となった。
Cインドの経済発展
インドは市場経済と社会主義的経済の混合経済体制である。1990年以降インドは目覚しい発展を遂げ経済成長率は5−10%を維持している。現在インドの経常収支は赤字である。産業構造はサービス業が50%、製造業が30%、農業が15%であり次第に成熟社会に入りつつある。なかでもインドはIT情報関連産業発展が目立つ。ただ地域間格差が大きい。人口抑制政策は中国ほど顕著ではなく幼少人口が多い。(中国:釣鐘型、インド:ピラミッド型)
Dアジア諸国(日本・中国を除く)の経済発展
アジア諸国は輸出中心の経済発展を遂げて、1998年のアジア通貨危機に見舞われたが2000年には再び発展の軌道に乗った。韓国、香港、台湾、シンガポールは「四匹の龍」といわれ、21世紀は平均4%を超える経済成長率を維持した。ACEAN中核国(マレーシア、ブルネイ、タイ、フィリッピン、インドネシア)、ベトナム、ミャンマーの順で経済発展をしてきた。なかでもベトナムの経済成長率は高くこの10年で平均7.3%であった。また域内貿易比率が高く経常収支は黒字である事から経済成長は高めで推移している。この地域の経済成長の貿易依存体質は、GDPに対する輸出比率で見ると、2008年で韓国が45%、台湾70%、香港168%、シンガポール185%、マレーシア90%、ベトナム68%などから分かる。ちなみに中国は33%、日本は16%。アメリカは8.8%であった。
E中東欧諸国の経済改革と発展
ソ連邦の解体後、この地域はヨーロッパとの交流により市場経済への移行を行なってきた。ルーマニア、ブルガリアでは経済成長率は1990年以降マイナスが続いたが、ポーランド、ハンガリーでは5%程度の経済成長があった。東欧といっても一概には論じられない。民族問題もからんで政治改革が先行し、ポーランド、ハンガリー、チェコなどは1990年以降EUとの交流が始まりく経済復興も順調である。90年代は高いインフレ率であったが、2000年に入ってインフレ率は収束し5%程度となり順調な成長軌道に乗った。世界金融危機の影響を受け経常収支の改善が急務である。
F中南米経済の安定化と発展
ひところ中南米といえばインフレ、財政赤字、累積債務から資本逃避の著しい諸国であった。21世紀初頭で見て経済状況は随分改善した。もともとコロンビアはよかったが、ブラジル、メキシコ、チリで改善され、アルゼンチン、ペルーも改善傾向が出てきたが、ヴェネズエラは遅れている。国営企業の効率向上、貿易収支の改善に取り組んだブラジル、コロンビア、チリの経済には改善があった。2000年以降の経済成長率はペルーが5%、コロンビアが3.8%、インフレ率はコロンビア、ペルーチリーで10%以下となって安定してきた。
Gその他地域の経済情勢
中東諸国経済は2003年以降石油価格高騰もあって比較的好調である。国の経済の石油依存体質からの脱却は容易ではない。イスラエルとの紛争解決という難問題を抱えている。北アフリカの民主化要求による政権交代が進んでいるが政情不安は絶えない。サハラ南のアフリカ諸国は植民地支配の遺産で民族紛争が収まらない。石油鉱物資源を持つ国とそうでない国の格差が大きい。政治的に安定し鉱物資源に恵まれた南アフリカだけが唯一G20のメンバーに加わっている。中央アジアの旧ソ連邦であったCIS諸国は市場経済への移行を果たし高い成長率を達成した。現在中国との経済関係を強めている。カスピ海の石油天然ガス資源に恵まれたアゼルバイジャンの経済成長率は13.8%、カザフスタンは8.3%であった。
H南北問題と経済格差
富める国が貧しい国を援助する「南北問題」(格差問題)は世界経済の大きな課題である。ところが格差は拡大している。先進国は途上国にODA援助を行なってきたが、途上国全般の対外累積債務問題が登場し、先進国の「援助疲れ」も顕著である。2009年主要国のODAシェアーは、アメリカが24%、フランスが10%、ドイツが10%、イギリスが9.6%、日本が7.9%である。日本はかって1位であったが、今は5位に低下した。
I市場経済化と先進国による後押し
市場経済への移行の第一義的責任は当該国にある事はいうまでも無いが、先進国の援助は自助努力を援助するものであって、非支援国への影響力を強めたり、グループ化を進めるのでは「新植民地主義」という批判が出てくる。支援の第1は非支援国の国際機関への参加促進である。第2に金融支援である。第3に貿易の支援である。

6) 人口・食糧・エネルギー・資源

@世界人口の急増
世界の人口は2000年に60億人であったが、2011年には70億人を超えた模様である。2050年には100億人になるという予測もある。人口の増加はアジアの途上国で顕著に見られることから、途上国の経済発展を人口が食ってしまって、一人当たりの所得格差は縮まらない。1日2ドル以下で生活している人々は2000年には43億人いた。人口増加はエネルギー・食糧の問題があり、環境損傷や都市過度集中も懸念される。
A世界の食糧事情
栄養水準の低い飢餓線上の人口が四億−9億人いるといわれる。食糧供給側からみると、2004−2009年の人口増加率が年1%で、食料生産増加率は2%である。世界の穀物収穫面積はこの30年間低迷しているが、生産性が向上し穀物生産量は直線的に増加してきた。一人当たりの穀物生産量は1990年をピークにして減少または横ばいである。
B食糧消費の高度化
食べる内容の変化についてみると、所得水準の上昇とともに穀物消費が減り、肉類の消費が相対的に増えた。これは個人にとって栄養バランスの問題で肥満や高脂症などの病気の誘引になっている。そして食品のゴミ(食い残し)の増加となっている。マクロ的には肉類生産のために家畜用の飼料穀物の増大や水産物生産量の増加による世界的な資源問題をともなっている。
C世界のエネルギー需給
世界のエネルギー消費量は2007年において石油換算120億トンとなった。内訳は石炭27%、石油が34%、ガスが21%、原子力は6%である。中東・カナダ・ロシア・オーストラリアはエネルギー供給超過で、欧州・アメリカ・アジアでは需要過剰である。エネルギー消費の面で見ると人口の15%を占める先進工業国が世界のエネルギー消費の45%を使っている。エネルギー源としては天然ガスの伸び率が高い。
D石炭・水力発電
石炭の確認埋蔵量は約1兆トンで、アメリカ29%、ロシア19%、中国14%、オーストラリア9%である。2000年に入ってから中国での石炭消費量が増大している。可採年数は石炭が130年程度である。世界の総発電量は2007年で13兆kWhで火力が69%、水力が16%、原子力が13.6%である。アジアでは水力発電が世界の1/3を占め中国がその半分を占める。石炭発電や水力発電を有効利用しない手はない。
E石油・天然ガス
石油は相対的にコストが安く、可採年数は42年である。天然ガスでは61年、石炭は130年、ウランは80年といわれる。石油の輸入国は北米、アジア、欧州である。輸出国では中東、ロシア、アフリカなどであるが、OPECの世界シェアーは一時35%ほどに落ち込んだが、今では40%を超えるほどに復活している。石油消費量は年1%の増加であるが、クリーンエネルギーの天然ガスの消費量は過去30年で年2.6%で増えている。
F原子力発電
原子力発電設備容量は、北米・欧州・ロシアでは1990年以降全く増えていないが、アジアで増加しつつある。2009年の原発の国内発電シェアーはアメリカで19%、フランスが77%、日本が27%、ロシア16%、ドイツ27%、韓国35%、カナダ15%、中国2%などである。国民に不信感が強い欧米、ロシア、日本では大きく増えることは期待できない。
G省エネルギー・新エネルギー
1970年初めの第1次石油ショックにより省エネルギー社会が進み、GDPあたりのエネルギー使用量(原単位)は劇的に減少した。2000年に入ってからの石油価格上昇は更にエネルギー源の代替、省エネルギー、産業構造の転換を促すだろう。現在の風力・地熱・太陽光・波力の新エネルギーの発電量は世界的に1%に過ぎない。
H資源問題
垂直型分業とは先進国が途上国から資源を買い、製品を途上国に輸出する構造である。それは政治的に植民地主義を生み紛争の種となった。石油価格の引き上げは産油国の政策発動である。アジアの経済発展は水平分業型に変わりつつある。
I国際協力(エネルギー・食糧・資源)
エネルギーの生産・消費を巡ってこっかん利害が衝突しやすいだけに、国際協調が不可欠である。エネルギー問題の国際協調という意味で、地球規模の環境問題(地球温暖化と原子力発電促進がセットになって)が世界的な話題となった。人口・エネルギー・食糧・資源・環境問題の根はおなじである。輸入に頼らざるを得ない「資源を持たない国」日本は国際協調システムに参加しなければならない。

7) 地球環境保全

@個別被害から公害へ
日本は1960年代の高度経済成長によって、産業活動による大気汚染・水質汚濁が急速に進行し「公害」と呼ばれた。1970年代に公害対策と省エネ技術開発を成し遂げた日本は世界に躍進した。1990年代からは1国の公害問題ではなく、オゾン層破壊問題、地球温暖化問題、生態系問題など地球環境問題の時代に入っている。現在の中国はまだ公害の時代である。中国が「衣食足りて礼節を知る」のはもう少し先であろう。
A広域化する環境問題
石油消費の増大と運輸交通のモータリゼーションが進み、騒音、大気汚染(Nox/Sox,粒子)、ヒートアイランド、ゴミ問題など都市公害を深刻化させた。さらに近年公害の隣国への影響が問題視され、酸性雨、大気公害などが広域化してきた。それを更に拡大して地球規模での影響を問題するのが地球環境問題である。オゾン層破壊、地球温暖化、森林破壊、砂漠化、海洋汚染(放射線を含む)、生態系などである。
B途上国の環境問題
途上国・新興国の環境問題の背景には、人口増加と格差拡大による「貧困」がある。原始農業と燃料化による森林破壊、土地の荒廃、先進国の材木買い付けによる熱帯林の破壊、プランテーションによる生態系破壊、本国で禁止された有害物の途上国生産など矛盾が途上国にしわ寄せされている。
C大気汚染・地球温暖化
大気汚染とは、化石燃料燃焼による窒素酸化物、硫黄酸化物、粒子状物質が人体へ悪影響を与え、酸性雨や光化学スモッグ、森林破壊の原因となっている。日本では発生源(火力発電所など)対策でかなり抑制されてきた。オゾン層破壊はフロン抑制対策を行なった。ICPPは燃焼による炭酸ガスの発生が地球温暖化の原因だというので、先進国間で京都議定書が締結された。
D水資源問題
水の利用は大半が農業用で、工業用は30−40%、家庭用は15%程度である。日本の河川の水質汚濁防止、有害物質規制、工業用水のリサイクルは効果を上げ、昔に比べると河川の浄化が進んだ。中国はこれから水資源問題で試練を迎えるであろう。
E土壌汚染・砂漠化
フロン・重金属・農薬による土壌汚染は同時に地下水汚染につながる。日本では厳しい規制が進んで問題となる事件は少なくなった。土壌の劣化や砂漠化・乾燥化は日本では考えられないが、中国・アフリカでは水資源問題と連動して深刻な問題である。
Fゴミ・廃棄物
日本の2007年一般廃棄物4800万トン・産業廃棄物4億2000万トンは、焼却場・最終処分場不足で一部不法投棄されている。2000年の世界の廃棄物量は127億トンである。
G都市問題と環境
世界中で都市に人口が集中しており、その生活環境は悪化している。交通混雑、騒音、大気汚染、スラム化、ヒートアイランドは止まない。今後地方分散・地方分権をすすめなければならない。
H自然環境と生態系
戦争および自然災害以上に自然環境を破壊するのは人間の経済活動である。(自然搾取) 森林の喪失はアフリカ。中南米で著しい。自然環境が失われると生息する生物種の生態系も破壊される。その生態系の理解はまだ科学的にできていない。
I国際協力(自然環境と開発)
「環境と開発に関する国連会議」(地球サミット)が1992年リオで開かれ、1997年京都議定書を初め一連の国棹会議が開催されている。地球環境保全に必要な費用も莫大にあると考えられるので、国際的な取り決めが必要となる。

8) 軍縮の経済と「平和の配当」

@軍拡のムダ
冷戦の軍拡競争(特に核ミサイル戦略)の軍事費支出はソ連を崩壊に導き、アメリカの経済の財政悪化と相対的地位低下をもたらした。人材と労働力の軍事部門への傾斜は民需を圧迫し、国際競争力を弱めた。軍事部門には価格と市場原理が働かないために自由主義経済の硬直化となった。1990年に冷戦は終焉し「争いよりは平和」の機運が生じたが、いまでも紛争は絶えず湾岸戦争・イラク戦争そして中東への軍事圧力などでアメリカは手を緩める気配は無い。軍事費のGDP比率はアメリカが4.9%、中国が1.3%、ロシアが2.4%、日本は0.9%である。
A軍縮のコスト
冷戦の終焉と東西対立の解消は、軍事費を再配分する「平和の配当」に及ばなかった。理由のひとつは軍縮の経済的コスト(ミサイル廃棄処理コスト)であり、軍縮よりは装備の近代化に振り分けられ、余った兵器などの途上国への武器輸出に替わったことである。戦略核弾頭の削減交渉は「STARTT」に始まり、モスクワ合意から新STARTで米ロは1550発を目指している。ただ軍縮の経済的コストが核兵器を作る費用より高いという論点は経済といえどもおかしな話である。これは原発廃止のコストおよび放射性廃棄物最終処理コストが高いので、原発は止めないという論理に繋がる。最終処理まで考えないでスタートし、最終処理コストを廃棄コストに含めるのはおかしい。大体こういう議論には注意が必要である。
B軍縮の経済効果
軍縮の経済効果は、@財政の健全化 A技術の開放 B国際協力 C経済の合理性・価格メカニズムの再生である。アメリカは冷戦終了後一時国防費が縮小したが、近年再び増加に転じている。不景気を戦争で吹き飛ばす効果を期待しているわけでは無いだろうが不気味である。アメリカの国防費のGDP割合は冷戦終了前が6%、冷戦終了後の1990年代は着実に低下し3%程度となったが、2000年から増加に転じ2010年では4.8%となった。アメリカ・中国の国防費の増加は著しい。
C軍需から民需へ
人工衛星打ち上げ数を見ると1990年の冷戦終了後には100個/年あった軍事衛星打ち上げは激減し、商業通信衛星に替わった。現在2011年で軌道上にある人工衛星数はロシアが1400個、アメリカが1100個、日本126個、中国が117個、欧州各国は50個程度である。軍事技術が民需に全面移管できるかというと、民需事態の拡大余地が少なく軍事部門が参入するのは容易ではない。市場ノーハウがないなどで軍事部門技術の進出は難しい。アメリカではインターネットなど通信技術の民需適用が比較的スムーズに進んだ。
D軍事技術と民間技術
軍事技術は一般に民需技術より有意な条件(利潤の確保)で国家の保護を受けるため、軍事技術が「民需技術を圧倒してきた。航空機産業は積極的に軍事技術移転につとめ、逆に民需部門の電子機器、半導体、コンピュータの開発が軍需部門に適用されるケースも増えてきた。アメリカでは冷戦終了後国防費が民需技術を刺戟し、情報通信と医療分野で顕著な効果が現れた。アメリカの国防研究費7兆円は民需研究費24兆円と絡み合って、民生技術と国防産業の発展を促している。
E武器取引
国際間の武器取引は1990年以降減少の傾向を見せていた。その中心は1990年まではアメリカと旧ソ連でったが、ロシアとなってからは激減した。しかし2000年になってから再び武器取引が増える兆しを見せている。輸入では途上国が全体の3/4を占めている。国連常任理事国のアメリカ・ロシア・フランス・イギリスで武器輸出が続いているのは政策の整合性がないといえよう。国内の武器需要の縮小を恐れた葺産業が輸出市場に活路を求めている結果であろう。2005−2009年の武器輸出の30%はアメリカが、ロシアは23%、ドイツは11%、フランスは8%、イギリスは4%である。
F地域紛争と難民
冷戦終結で大国間の衝突の可能性は遠のいたものの、地域的紛争や部族紛争は激化している。地域紛争の慢性化により難民が常態化し今日では3650万人になるという。アジア、アフリカがその悲劇の舞台である。
G軍縮と援助
先進国は途上国に経済援助を行なう一方、武器輸出を行うという政策矛盾がある。途上国では経済援助を受けながら武器を輸入している。国連の「人間開発報告」、世銀・IMF合同会議、OECD閣僚会議は過度の軍事支出をする途上国への経済援助を打ち切るべきだという。日本の2003年閣議決定による「ODA大綱」では軍事的利用や紛争助長の恐れを重視した。
H軍縮のプログラム
軍縮を確実に実施するためには周到な「軍縮プログラム」を立てなければならないとされながら、実施されたためしは無い。民間レベルで試案が出されているが国際的な「目標設定委員会」を設け、経済的なプログラムを作成する必要がある。
I日本の教訓と役割
日本は平和憲法で自主・民主・平和の実現と経済発展を図ってきた。戦争放棄と武力行使はしないという憲法下で目覚しい経済発展が可能となった良い例である。国防費はGDPの1%以下とする閣議決定と、武器輸出三原則、核兵器三原則の堅持を実行してきた。こうしてアジア諸国に安心感を与え、アジア地域の安定と発展に寄与した。しかし周辺諸国では日本の軍事費は決して少ない額ではなく世界6位にある(中国4位)こと、またプルトニウム大国で潜在的核兵器大国であり、ハイテク技術の軍事利用の潜在力が高いことから、いまだに不安の眼で見ていることは確かである。

9) 経済危機

@繰り返される経済危機
市場経済では短期、中期、長期の景気循環があるとされる。経済危機は金融の混乱を原因とすることが多い。金融危機は維持的な流動性('短期資金)の不足か、あるいはインソルベンシー(債務超過)を区別することは難しい。金融危機としては債務不履行、銀行危機、通貨危機、高インフレなどが繰り返し起ってきた。土地などの資産価格バブルと崩壊は過去でも度々起った。物価や株価が短期間で10−30倍になることもあり、崩壊後社会的経済的混乱が生じた。1990年以降の経済危機は日本の土地バブルと不良債権処理に始まり、1993年ポンド危機、1994年メキシコ通貨危機、1998年アジア通貨危機からロシア通貨危機、ブラジル通貨危機、アルゼンチン通貨危機と続き、最近では2007年アメリカ発グローバル金融危機、2010年南欧諸国の財政危機(ユーロ危機)となっている。
A1930年代の大恐慌
1929年アメリカの株価暴落によって始まった世界恐慌は、繁栄を謳歌したアメリカの金不胎化政策によって、他の国が金流出を恐れ金利を上げたため不況となり、銀行の倒産となった。欧米は高関税の経済のブロック化によって自国産業保護に努めたため、後発国のドイツ・日本と衝突して第2次世界大戦となった。恐慌は蓄積された市場の歪を是正する為に必要なショック療法という見方もある。ケインズ経済学の政府による有効需要の創出がうまく行かなかったためという見方もある。
Bプレトンウッズ体制の崩壊
戦後は国際通貨基金IMFと世界銀行の創設を行い、ブロック化と貿易の縮小の反省に立って自由貿易を維持することが必要であると云う見地に立った。こうしたプレトンウッズ体制は固定為替比率による金・ドル本位体制をとり、貿易アンバランスが生じたときはIMFが融資が受けられた。アメリカの貿易収支が悪化し始め、1971年にクソン大統領は金ドル交換停止を宣言し、73年より主要国通貨は変動相場制に移行した。そこから貿易収支黒字、為替相場で強くなったのはドイツと日本であった。
C中南米の累積債務問題とその後の通貨危機
中南米諸国の通貨レートは1980年より急速に切り下げられ、累積対外債務問題は1982年メキシコ、1987年ブラジル、1988年アルゼンチンで顕著となり国債金融市場は混乱した。これは中東のオイルマネーが新興工業国NICsに大量に流れ込んだためである。為替レートの切り下げはこの諸国に急速なハイパーインフレを引き起こし、1990年より相場をドルに固定することでインフレは沈静化したが、財政再建はならなかった。その後中南米諸国は次々と通貨危機に見舞われ変動為替制度へ移行した。
D日本のバブル経済と崩壊後の調整
日本経済は1985年プラザ合意後の円高で不況となった。不況脱出のため金融が緩和され長期化したため、金がだぶつき金融機関は需要のあった不動産への融資を積極化した。地価と株価の急上昇はあきらかにバブルの様相を呈し、地価は4倍、株価は3倍となった。バブルは崩壊して日本は資金、設備、労働の3大過剰に直面し、景気は縮小した。銀行不良債権は100兆円に達したという。景気は1996年ごろから回復し始めたがアジア通貨危機、グローバル金融危機もあって日本は長期のデフレ不況に陥った(平成不況)。株価は日経平均が1990年に3万円を超えたが、2010年では7000円までに下がった。実質経済成長率はこの20年間殆どゼロ近辺をうろついている。
Eアジア通貨危機
1997年タイから始まった通貨価値急落は東アジア全体に拡がった。事実上アジア諸国は米ドルに対して固定相場制(ドル・ベッグ制)をとっていたが、95年以降ドル高になって経済不振が目立った。貿易収支は赤字で外国資本の流入により過熱気味だった経済も抗しきれず通貨価値が暴落した。多くの国はIMFの融資を受け引き締め政策を取ったため経済は不況となった。これがアジア通貨危機と不況の原因である。危機後アジア諸国は例外なく経常収支を黒字にし2000年以降GDP成長率は5%程度に回復した。
Fアメリカ発グルーバル金融危機
2000年春をピークとしたITバブルの崩壊を前に、アメリカは金利を引き下げ、物価は安定していたので金融機関は信用の膨張から、10年以上前の日本の土地バブルと同じ住宅バブルを引き起こした。日本とは様相は大分異なるが、金融工学商品の活用で債務が証券化され、他の債券と混ざって不可視化した。そして不良債務は金融機関に拡散し世界中にばら撒かれた。複雑な証券の信用性が暴落すると金融危機を発生させた。証券会社リーマンブラザーズの倒産は危機を倍増させ、世界的な景気後退をもたらした。
G南欧諸国の財政危機(ユーロ危機)
2010年ごろよりギリシャを始め南欧諸国(ポルトガル、スペイン、イタリア)やアイルランドの財政危機が起った。アメリカ発グローバル金融危機によって、銀行の救済は公的資金の投入を必然とし、同時に政府債務の増加となり財政が悪化するのである。特に問題は経常収支が赤字で政府債務が外国の投資化によって持たれている場合である。(日本は国債は日本の機関投資家が殆ど) 債務履行リスクが高いため高い金利を設定せざるをえないので財政再建自体も難しくなる。財政規律をあいまいにしてユーロの一員となり低金利のメリットを享受してきた。今後財政規律の罰則強化などになるだろう。殆どの先進国はアメリカを筆頭に政府債務の大幅増加の情況である。財政危機がどこまで広がるか予断を許さない。
H新興諸国におけるインフレ、資産価値上昇
主要国における低金利資金は高いリターンを求めて世界中を駆け巡る。新興国の不動産市場や証券市場がそのターゲットとなっている。外国資金流入は悪いことではないが、行き過ぎた投資はバブルを生みやすい。そのマイナス面を抑制する何らかの規制強化が必要である。新興国の株価は2001年を100とすると、インドネシアで10倍、ブラジルやボンベイで3−4倍となっている。中国の不動産価格は2009年に一度落ち込んだが、その後15―20%の上昇を示している。消費者物価指数は東南アジアで5%程度である。
I国際的経済政策の協調
国際的な経済危機を見るとほとんどの場合国際資金移動が係っている。経常収支の不均衡すなわちグローバルインバランスを是正する努力が求められる。ある国の経常収支が赤字なら同額の資本収支の黒字がある。何らかの理由で資本の流入が滞ると経常収支の赤字を縮小しなければならない。為替レートが急落したり、国内金利が急騰したりそうした混乱は世界に波及する。経常収支の黒字国歯内需の拡大を、赤字国はもっと貯蓄を高める必要がある。貿易立国は為替レートを低めに設定して輸出のメリットに魅力を感じるだろう。中国のように外貨準備高を積み上げ万一に備える必要がある。しかしそれは通貨切り下げ競争や保護貿易を誘発する。資本を国内で利用する方向へ振り向けるべきであろう。

10) 世界経済の構造変化 

@市場経済の諸形態
市場経済を大まかに分類すると、アングロサクソンアメリカ型(自由競争、市場放任、株主利益優先)、大陸欧州型(市場と社会の関係重視、利害関係者優先)、日本型(欧州に同じだが労働者と顧客重視)、中国の社会主義市場経済型がある。
A世界経済の一体化
分業体制を特徴とする市場経済では開放政策・自由化政策が推進される。これが市場経済のメリットである。新興国の経済成長は例外なく貿易をてこに実現してきた。その過程でモノ、ヒト、カネ、技術、情報が国境を越えて移動し、全員参加型の世界経済の一体化に向けて発展している。しかし通貨に見るように国の利害対立・摩擦が生じる場合、国益が優先されてきた。新興国の台頭は我利我欲だけでなく、国際協力の必要性を理解しなければならない。
B覇権国としてのアメリカ
圧倒的な軍事力と経済力に支えられたアメリカの覇権の絶頂期は第2次世界大戦直後だけのことかもしれない。双子の赤字(貿易・財政)に長年苦しみ(今も)ながら、産業構造を製造業から金融サービス業に切り替え、ITバブルで甦ったかのように見えたアメリカ経済は世界金融危機を招いて、アメリカのGDP世界比率はかっての25%から20%に低下し、新興国の台頭によって相対的な地盤低下に悩んでいる。しかしドル下落(崩壊)はそれほど心配することはない。替わり得る通貨が存在しないからだ。
CEUの挑戦
現在27カ国からなる欧州連合EUを形成し、その内17カ国が同一通貨ユーロを使用している。EUはGDP、人口ともにアメリカよりも大きい規模である。アメリカと並んで世界の極となり得る大きさになった。しかし2010年に始まるギリシャ危機以来、ユーロは試練に直面している。財政政策の規律がバラバラで金融政策を一本化する危険性は指摘されていた。リスクはそのままに低金利のメリットのみを享受しようとする意欲が先行したのだ。財政危機の発生した国々では国債価格が暴落し金利が急上昇した。ドル/ユーロレートも1.45を最高にして最近は1.3まで低下した。外貨準備高も停滞し一時の勢いをなくしている。
D中国経済の躍進と今後
年平均10%の経済成長を続ける中国は、2010年のGDPが世界第2位にまで躍進した。粗鋼生産量は断トツに世界第1位、輸出は世界第1位、輸入は世界第2位である。しかし1人あたりのGDPは日本の1/10で日米の水準に追いつくにはあと30年は必要である。更に国民の所得格差は拡大している。農村(内陸)と都市(沿岸)の格差は大きいままである。都市流入者の所得お引き上げ、社会的地位の改善に努めているが、その成果は今後の事である。配分の調和が求められる。
E中国の政治経済体制の行方
中国の民主主義、民意の反映について懸念する人は多い。社会主義市場経済において、国有企業と民間企業の間で政策適用に差別があると指定される。日本でもNHK、NTT、docomo、JP、JR、電力会社などへの優遇策と民間会社への態度が問題とされるが、中国ではもっと差別があるようだ。国際競争力重視から中国でも中小企業切り捨て論が盛んである。これらは日本の明治政府以来「上からの資本主義化」がたどってきた道である。中国の情報開示と説明責任が求められる。
Fその他新興国の行方
1990年以降新興国特にNICs、BRICsの経済パフォーマンスの向上がはっきりしてきた。先進国のGDPが数%に低迷する中、新興国への直接投資は2005年以降3兆ドルを超え、新興国のGDPは5-10%の成長を続けたため、世界のGDPに占める新興国と先進国の差が縮小し、2015年ごろには逆転する予測である。中国を除いたBRICsではインドの成長が顕著である。
G権威主義体制の行方
この「権威主義体制」という言葉もよく分からない定義である。中国のことかと思えばそうではなく、ようするに東欧、中東、北アフリカ諸国、特に中東・北アフリカのことらしい。著者の政治音痴によるグルーピングのせいか乱暴な分類である。著者は長期独裁政権をイメージしているらしい。経済的には石油輸出依存で、インフレ率が高く、失業率も10−15%の国が多かった。アジアの新興国の経済発展に触発され、社会の停滞に対する国内不満が高まっている。問題は政権が倒れても受け皿となる政治行政基盤の脆弱である。別の独裁者が現れるだけでは革命の意味がないのである。
H内なる格差の拡大
1980年代のレーガン・サッチャー路線(規制緩和・新自由主義)以来、世界中で所得の国内格差が広がっている。技術革新・経済のグローバル化・金融構造改革・市場主義の徹底などが要因となった。政府による教育援助・福祉政策の縮減や所得再配分によって格差が加速された。所得分配の不平等度を測る「ジミ係数」は先進国で増大しつつある。途上国のジミ係数は6000近く、中国で4100、アメリカが3700、日本は3200程度である(2005年)。先進国で一番低いのはスウェーデンの2300である。
I世界の中の日本
日本はバブル崩壊の1990年以来緩やかな経済停滞に陥っている。ただGDP、貿易、経済協力などの経済指標では依然として世界のトップクラスの位置を維持している。平成不況からどのようにして脱却するのか、次のような点に注意しなければならない。@決して軍事大国をめざさないこと。A国内経済を整えること。持続的な経済成長を目指す。労働、生活の質の安定を目指す。B経済力による国際社会への貢献である。共生と平和に貢献することが日本の生きる道である。


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