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徳田雄洋著 「震災と情報」 

 岩波新書 (2011年12月)

震災で情報はどう伝えられたか、情報空白から身を守るために

東日本大震災と福島第1原発が引き起こした日本の危機は、それまでの考え方に厳しい再検討を迫るものであった。平常時のきれいごとではなく、だいだい突発事故でそのシステムのボロが出るものである。災害の対応のカギは情報である。適切な情報があれば迫ってくる危機に対して個人は必要な対応を行なうことが可能となる。分からないままに津波にのまれたり、放射線の流れの濃い地域に向かって避難したり、「情報空白」は致命傷になりかねない。今回の大地震では2種類の情報空白が発生したという。ひとつは地震と津波で被災した東北関東地方で、通信システムの破壊、停電、高付加と接続規制などにより、人々が連絡不能となり警報受信を行なうことが難しくなった第1種の情報空白である。もうひとつは政府報道が故意に安全だとしか言わなくなり、大手メデァが政府・東電の公式発表しか流さなくなったことによって生じる、不正確で隠蔽された歪んだ情報しか入手し得ないという第1の情報空白であった。住民は危険な放射線汚染地域に長く居続けることになった。このときに意外な情報手段が命を救った例がある。常磐線の電車の乗客が携帯電話のワンセグ放送で大津波情報に気ずき、巡査の誘導で危機を回避した。3月12日午後3時福島県はSPEEDI拡散予測システムの結果を入手していたが、不正確だという理由で住民への公表を行なわなかった。情報の無い住民は原発からより危険な北西方向へ逃げた人々がいた。オーストリアやドイツの気象研究所は3月12日からインターネットで放射線拡散予測結果を公表しており、関係者は十分把握していたはずだが、政府・東電関係者らはこれを握りつぶしたのか正しい情報が報道されなかった。被災地の住民や役所の人間がインターネットを見ることは出来なかったにせよ、首都圏では閲覧は可能であった。

個人情報の重要性とあわせて、報道機関の情報空白が多くの人々を危険に曝した。日本のメディアの独自取材のお粗末さばかりが目立った。ニュースは買ってくるもの、官僚から流れてくるものとばかり考えているようだ。そしてメディアは第3の権力とうのぼれて、やたら政争に首を出し、世論を誘導して首相や政党の首を左右できると信じているようで、大地震と原発事故では直ちに現地に入ろうともせず、霞ヶ関で流される一方通行の安全宣言ばかりに終始した。被害者にとってこれは背信行為である。本書を読んで、これはニュース記事の羅列なのか、コミュニケーション論なのか、ウエブ論なのか、メディア批判の書なのか、情報の伝わり方を解析する情報論なのか迷うが、原発事故を解析する原発工学技術論やエネルギー資源論でないことははっきりしている。著者徳田雄洋氏のプロフィールを紹介する。1951年東京に生まれ、1977年東京工業大学大学院博士課程を修了し、カーネギーメロン大学、ピサ大学で研究生となり、現在は東京工業大学教授である。専攻は情報工学、ソフトウェア生成論だそうだ。主な著書には「初めて出会うコンピュータ科学」(岩波書店 1990)、「言語と構文解析」(共立出版 1995)、「コンパイラの基礎」(サイエンス社 2005)、「デジタル社会はなぜ生きにくいか」(岩波新書 2009)などである。著者の関心はやはり今回の大震災で情報が途絶えてことで、個人の危険性がいやがうえにも極大化したことであろう。「危機の中で生じる情報空白を乗り切る方法は、個人情報手段が私たちの唯一の希望のように思える」と著者はいう。著者の原発に関する個人的見解は「おわりに」一言述べられている。「日本では原子力発電は終らせよう。地震の多い日本では、リスクが巨大すぎて商業的発電方式として合理的コストに見合わないからである」と。

社会的危機の時には必ず為政者は自分達の主催する社会が信用に価するものだという事を守るため、いやな情報は隠蔽し「心配するな大丈夫」という一時的な嘘でもいいから不安を消す言葉と慰めしか言わない。これを「情報官制」といってもいい。原発は安全だという神話をまもるため、政府が言ったことは「直ちに健康への影響は無い」(実は5年後は影響があるかもしれないとも聞こえる)の繰り返しであった。ところが東日本大震災の地震、津波、原子力事故の影響は国外でも観測され公表されている。私は事故直後から福島第1原発のサイトの公表する放射線濃度データを見に行ったが3月11日でデータは切れていたので、茨城県東海原子力発電機構のサイトに公表する濃度データを見るだけであった。福島の現状は知る事が出来なかった。ところが世界中の総括的核実験禁止条約に基づく監視機構は、地震モニターが170箇所、水中音響モニター11箇所、超低周波モニター60箇所、放射線核種モニター80箇所がありデータも一部公開されている。なかでもアメリカEPAのRANDNETは事故後検出物質のデーターを公表している。アメリカエネルギー省は3月下旬より福島の土壌汚染地図を公表している。ところが日本政府はアメリカのデータ公表を差し控えるよう要請したという。何はともあれ先ず隠すことが日本の為政者のやることである。情報を隠して自分達の支配の非合理性を露にしないことを目論む。情報の公開による適切な行動、合理的な考えを犠牲にしても、自分達の支配の安全を図る。そのために国民が犠牲になってもかまわないらしい。それに日本の大手メディアが順応し政府の発言しか伝えない。そこに情報の空白が生まれる。これが日本の民主主義の限界のようだ。

1) 最初の1時間ーどこへ逃げたらいいのか

午後2時46分ごろ緊急地震速報は宮城県、岩手県、福島県、秋田県、山形県で強い地震が起きる事を知らせた。続いて気象庁の地震速報は東北地方で深度7の地震が発生したことを伝えた。さらに午後2時49分ごろテレビやラジオは大津波警報を伝えた。午後3時ごろ宮城県で6メートル、午後3時10分ごろ福島県で3メートルの津波が到着予定だと伝えた。被災地では広範囲に停電がおきテレビを見ることが出来なかった。午後3時15分に大きな余震が起きた。午後3時25分から40分にかけて途轍もなく大きな津波第2波が東北地方を襲った。地震の最大深度は宮城県で2933ガル(東京では259ガル)であった。マグニチュードは何度も訂正され、11日に7.9、13日に9.0と発表された。岩手県田老の世界に誇る10メートルの防潮堤も破られた。宮城県気仙沼では防災無線から「車を使わず徒歩で避難を」と呼びかけたが、高台に向かう道では車が大渋滞しそこに津波が襲って濁流に飲まれた。役所のウエブサーバーも地震や津波で破壊され、停電で使用不能になった。携帯電話の基地局が幸運にも維持されたところでは役所ツイッターで情報発信できた。ツィッターの登録をしていた役所は少なく2箇所にすぎなかった。緊急発信が出来るエリアメール、FM放送、ツィッター、携帯ワンセグ放送などで命が救われた例もあった。パソコンやスマートフォンが見ることが出来る地域では重要な情報源となった。

午後2時46分の地震で女川原発1−3号機、福島第1原発1−3号機、第2原発1−4号機、東海第2の原発が自動停止した。福島第1原発での地震の加速度は550ガルであった。地震による送電線倒壊で外部電源を失った。午後3時37分福島第1原発を14メートルの津波が襲い1−3号機は非常用ディーゼル電源を失った(4−6号機は検査停止中)。そして国に通報が行なわれた。核分裂反応が自動停止しても、炉心では崩壊熱を除去しなければ(冷却)炉心温度と圧力は上昇してゆく。午後2時52分非常用復水器の運転をなぜか運転員が手動停止した。そして格納器スプレーが行なわれた。午後3時30分原子力安全・保安院が記者会見を行い「原子炉の冷却機能は維持され、放射能レベルの以上は無い」と発表した。(2011年10月、ノルウェー・オーストリアの研究者らは3月11日午後3時には放射性キセノンが大気に流出していたと解析した。) 原子力事故時防災の司令塔となるべき「オフサイトセンター」は停電時に機能しない、原発近くにあるためすぐに避難対象区域になるなどの理由で全く機能しなかった。お粗末なハコモノ行政の典型といわれても仕方ない。

2) 最初の24時間ー連絡がとれない

地震発生後、音声通信(電話・携帯)やメール(パソコン・携帯その他)による連絡が取れなくなり、安否を確認することが困難になった。同時に安否情報を登録・確認する災害用のサービスが開始された。公衆電話から伝言ダイヤルが可能であった。なぜなら公衆電話は接続規制を受けない優先電話と同じ扱いとなるためである。12日よりツイッターの検索を容易にする災害用ハッシュタグ(♯で始まる文字列)が可能となった。グーグルは個人検索サービスを開始し40万件が検索可能となったという。こうした通信インフラの損傷や制限のみならず、鉄道・航空・道路・電力などのインフラも利用不可能となった箇所が多く発生した。3月15日になって気仙沼市では人工衛星を用いた臨時の超高速インターネット接続が出来て被災状況を発信できるようになった。首都圏では鉄道はほぼ全面的にストップし電話も不通、携帯メールも届いたかどうか不明状態であった。街には帰宅困難者が溢れ、幹線道路は大渋滞となった。3月11日午後8時50分福島県対策本部は第一原発の半径2Km圏内の住民に避難を指示した。そして午後9時23分官首相は半径3Km圏内の避難と半径3−10Km圏内の屋内退避を指示した。3月12日午前5時44分首相は半径10Km圏内の住民の避難を指示した。官房長官の説明は「放射性物質を放出するので、万全を期すため」ということであった。ベントを手動で開き格納容器内の圧力を下げるためであった。そして12日午後3時36分1号機で水素爆発が起きた。この時点で炉心のメルトダウンは5月の発表によると、1号機で100%、2号機で35%、3号機で30%であったという。11日午後7時1号機のメルトダウンが始まり、炉心のみならず圧力容器の底が抜けた。全電源喪失による炉心損傷だけでなく、地震により配管やフランジから冷却水が漏れ始め、データーを見れば圧力と水位低下となっていたと主張する専門家もいるが、東電はこの見解を計測器のエラーだといって受け付けない。

3) 最初の1週間ー避難すべきかどうか

最初の1週間は原発の状況が日々悪化してゆく、困惑と驚きの連続であったという。余震が何度も続き緊急エリアメールのチャイム音に脅かされた。3月13日東電は計画停電を行うと発表した。3月12日午後3時第1号機で水素爆発、午後6時半径20Km圏内の住民に避難指示が出て、午後7時1号機へ海水注入が開始された。13日午前第3号機、2号機のベント開放。14日午前11時第3号機で水素爆破が起きた。14日東電は福島第1原発から全面撤退を打診したが政府に拒否された。15日午前6時には2号機建屋で火災発生、続いて4号機で爆発・火災発生。16日福島県は国の指示により、50Km圏内の住民90万人にヨウ素剤の配布をおこなった。この1週間多くの人々は原子力事故についてテレビ放送に釘付けになった。テレビは原子力安全・保安院や官房長官の記者会見の様子を伝え、原子力工学者の専門家の解説を伝えた。官房長官は「直ちに健康に影響は無い」を繰り返した。御用学者からなる専門家は「心配は必要ない」を繰り返した。原子力事故に関して特に心配は無いという発表ばかりで、情報の空白状態が起った。発表について信用する人は少なく、かえって誰しも疑心暗鬼に陥った。日本ではCS放送やケーブルテレビで海外のBBCやCNNを見ることが出来る。BBC,CNNは1週間特別番組を組んで東日本震災報道を流した。海外に放送はもし福島原発で「最終的事態」が起きたら、放射能は首都圏に10時間で到着し、アメリカには1週間で到着するだろうと観測していた。日本のメディアでこのような憶測を報道すると不謹慎といわれそうなので自粛したようだ。日本のメディアの空気を読んだ自主規制好きはここに来て健在?であった。

ソシアルメディアのあるサイトでは海外番組の映像を見ることが出来た。アメリカのMITでは3月16日「原子力危機と日本政府」という講演会が開催された。政治学者Samuels氏は「日本の電力会社には情報隠しの前科があり、西欧が放棄した核燃料サイクルや高速増殖炉をいまだにやっている。そして原子力を推進する機関と安全規制する機関が同じ省にある事は理解できない」といった。カルフォニア大学サンタバーバラ校では16日物理学者Monreal氏による「日本の原子炉溶融はどれほど酷いか」が行なわれた。外国大使館は在日自国民に対して退避勧告を行なった。17日アメリカ大使館は原発から80Km以内にいるアメリカ人に退避勧告を行なった。イギリス、韓国もそれに続いた。原子力工学者による講演会を開いた大使館もあった。3月17日放射性物質を含む食品の冠する暫定基準値が原子力安全委員会の指針をことに厚生労働省から発表された。WHO基準は平常時で放射性ヨウ素と放射性セシウムについて10ベクレル/Kg、緊急時基準は100ベクレル/Kgであるが、日本の基準は放射性ヨウ素300ベクレル/Kg、放射性セシウム200ベクレル/Kgであった。WHO緊急時基準をもはるかに超えるものであった。3月19日茨城県産のほうれん草、福島県産牛乳から基準を超える放射線が検出され出荷制限が行なわれた。原発の放出放射線の影響が広範囲に検出される新たな状況となった。

4) 最初の1ヶ月ーどんな説明がなされたか

4月7日午後11時宮城県沖で震度6強の大きな余震が襲った。原子力発電所の外部電源が失われる事態が発生した。青森県東通原発、六ヵ所村再処理工場、宮城県女川原発で電源が遮断された。4月11日にも福島県浜通りで震度6弱の余震が起き、福島第1原発の注水作業が中断した。3月11日から4月14日までの間で、余震発生回数は福島県沖で113回、茨城県沖で111回、長野県で91回、新潟県で88回、福島県浜通りで86回、宮城県沖で54回、岩手県沖で46回であった。3月14日アメリカのエネルギー省は33名のチームを日本に派遣し航空機による放射線測定を行い3月23日に結果を発表した。日本では3月23日に放射性物質拡散シュミレーション結果(遅いSPEEDIではあるが)をたった一枚公表した。福島第1原発事故から放水・注水による冷却が行なわれ、敷地内に大量の高濃度放射性汚染水がたまっていた。一部は海に漏れた模様であるが、低濃度汚染水タンクに高濃度汚染水を貯留するため、4月4日から10日にかけて低濃度汚染水を海に放流した。4月4日フランスの原子力安全研究所IRSNは福島原発周辺の汚染シュミレーションを行なって公表した。

飯館村は原発から40Kmの距離にありながら放射線量は毎時2,3ミリシーベルト、高いところで10ミリシーベルトを超えた。3月15日福島県放射線健康リスクアドバイザーの長崎大学高村教授、さらに4月1日には同じく長崎大学の山下教授が、4月10日には近畿大学の杉浦教授が講演会にやって来てひたすら安全を強調して帰った。しかし3月28日京都大学の今村助教授らは独自調査を行なって、飯館村は危険であり避難の必要性を説いた。御用学者の安全宣言にもかかわらず、4月11日官房長官は年間20ミリシーベルトを超す恐れがある地域を「計画的避難地域」として認定し、4月22日飯館村を含む5市町村を対象に避難を指示した。4月22日原発から半径20Km圏内を罰則を伴う「警戒区域」に指定した。20−30Km圏内は「緊急時避難準備区域」と指定された。低レベルの放射線の人体への影響はいろいろ議論されており、化学物質の毒性評価のもとである「閾値無害説」は「比例的影響説」、そしてその亜流である「非比例的影響説」などがあって結論は出るべくもないが、3月29日食品安全性委員会は「食品中の放射性セシウムによる年間5ミリシーベルトの内部被爆は緊急時の対応基準とすることは妥当である」という見解を発表した。通常の被爆量は(外部+内部)被爆基準を1ミリシーベルト/年とし、緊急時は20ミリシーベルトを採用している。したがって食品由来内部被爆基準を5ミリシーベルト/年に引き上げることである。栄養士と放射線測定士が毎日の食事を記録しない限り実効性を持たない議論である。

原子力災害支援システムは200億円以上をかけて開発された、緊急時対策支援システムERSSで放射性物質の放出量を予測し、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムSPEEDIが放出量を初期値として、気象データに基づき核酸予測を行なう。しかし実際にはこのシステムによって住民はどの方向へ逃げたらいいのかという情報はついに提供されなかった。同様な拡散シュミレーションはオーストリアのZAMGが3月12日から発表しており、ノルウエー、ドイツ、フランスも福島原発からの放射性物質拡散シュミレーションを世界に向けて3月19日から発表している。丁寧にも日本語版も流していた。御用学者の判でおしたような「安全」のご神託を聞くより、なかなか出てこない政府発表を待つより、海外の速報を見る方が合理的な情報が得られたようだ。これぐらい大規模な事故となるといくら政府が隠そうと、世界中の機構が衛星を使って、航空機を飛ばして、船舶で福島沖まで出かけて測定し、解析し、汚染状況を予測しインターネットで刻時公表する世の中である。こちらに調べようとする意思があるかぎり、政府は隠せない事を悟るべきである。まして外国政府に公開しないように要請するとか、海外機関のロボットや原子力工学者の援助を拒むということは世界に恥じをさらすようなものだ。

5) 最初の半年ーだんだん分かってきたこと

原発事故から1ヶ月もたつと生活や生産活動の一部再開にともなって、家畜のえさ、食品や商品などが流通し始め、事故の影響は日本全体に広がった。4月12日政府はチェルノブイリ原発事故と同じレベル7と発表した。そして事故後1週間で放出された放射性物質の合計は37万テラベクレル、さらに7月には77万テラベクレルであったと訂正した。(ちなみにチェルノブイリ事故で放出された放射性物質は550万ベクレルであった。) 8月には福島原発からセシウム137の量は広島型原爆の168倍、放射性ヨウ素は広島型原爆の2.5倍であったと発表した。 文部科学省は4月26日計画的避難区域(年間20ミリシーベルトを超える地域)の推定線量地図を発表した。6月9日政府は計画的避難区域外においても年20ミシシーベルトを越える地域がスポット的(地形の凸凹に由来する班状構造的)に見られると発表し、6月30日伊達市、南相馬市の一部を「特定避難勧奨地点」として指定した。4月19日文部科学省は校庭の空間線量が毎時3.8ミリシーベルト以上の場合は使用しないと発表したが、日本弁護士会や小佐古内閣官房参与の強い抗議があった。5月2日の原子力安全委員会は年間20ミリシーベルトの学校基準は認められないと述べた。文部省方針はICRPの3月21日声明「一般公衆の非常時参考レベルでは1−20ミリシーベルトの範囲」の上限を学校規準にとったに過ぎない。5月27日文部省は学校基準を撤回し、年間1ミリシーベルトを目指すと訂正した。4月27日郡山市は小中学校28施設の校庭・園庭の表土を2,3cm削り取った。5月9日二本松市ら3市は校庭除染の判断基準を国の半分の毎時1.9マイクロシーベルトとした。9月27日福島市は校庭の除染目標を2年以内に1マイクロシーベルト以下にするとした。

5月9日神奈川県南足柄市で茶葉から暫定基準を超える放射性セシウムが検出された。7月8日福島産和牛から基準地の4倍以上の放射性セシウムが検出された。牛のえさである高濃度汚染の稲藁が原因である分かった。9月15日粉ミルクなど乳児用食品の新暫定基準を設けることが発表された。10月12日福島県は新米の放射線物質検査が基準(500ベクレル/Kg)を下回ったとして、一部の地域をのぞき出荷できることとなった。9月8日日本原子力研究開発機構は福島原発から海洋への総放出量が1万5000テラベクレルと推定されると発表した。10月27日フランスのIRSNは福島原発からの海域放出総量は2万7100テラベクレルで過去最大だと発表した。5月23日参議院行政監視委員会で参考人が意見を述べた。テレビ中継はされていなかったが、ユーストリームでは生中継が放映されていた。原発政策に批判的な原子力工学者小出氏、元原発設計者後藤氏、地震学者石橋氏、ソフトバンク社長孫氏らが意見を述べた。この頃になると、テレビでも「100ミリシーベリトでも健康には影響ない」とする御用学者の意見は影を潜め、1ミリシーベルトをめぐる熱い論戦が戦わされていた。

福島原発事故は世界の政府の原発政策に大きな影響を与え始めた。5月25日スイス政府は2034年までに脱原発を行なうと発表し、6月6日ドイツのメルケル政権は2021年までに国内の17基の原発を閉鎖し再生エネルギーに変えると発表した。6月13日イタリアでは国民投票を行い原発凍結賛成が94%を占めた。6月30日ドイツ連邦議会下院は2022年までにすべての原発を廃止する法案を可決した。8月イギリスのセラフィールド原子力施設の再処理工場は日本との取引を失って閉鎖され、9月ドイツのジーメンスは原子力事業から撤退を決めた。イタリアでは地震専門家・役人への非難が高まり、9月20日過失致死罪の裁判が始まった。そして著者の結論をまとめると、「災害時のインターネットのアクセスは基本的人権である。そして放射線の測定データとその判断基準へのアクセスは基本的生存権である」という。すると東電のデータ隠蔽・後出しやSPEEDIのデータを隠し続けた政府は住民の避難を妨害した犯罪者である。


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