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ぺートル・ベックマン著 田尾陽一訳「πの歴史」

 ちくま学芸文庫(2006年4月)

円周率πの計算精度を上げる歴史から数学の幅広い展開へ

本書はプラハ生まれのベートル・ベックマン(1924−1993)によって書かれた。彼は1963年アメリカのコロラド大学電気工学科の教授となってアメリカに永住した人である。本書は、いたるところに反教会主義、反ナチズム、反ソ連、反科学主義への毒舌を散りばめている事もひとつの特徴となっている。そういう意味で彼は啓蒙派知識人である。彼の反骨精神は皮肉をいう程度ではない、毒舌火を噴くのである。私の最も苦手とする数学関係の本を取り上げてしまった。今になってどうしてまとめていいのか反省することしきりである。πとは円周率のことで、円周/直径の比が一定である事にきずいた太古の昔から、人類が綿々とπを求めるために費やした時間と努力を振りかえって見ることはあながち無駄ではないはずだろうという軽い気持ちで読み始めたら、数式をあまり使わないと謳ったこの本の著者の宣伝文句に騙されたことに気がついた。最初からバビロニア(メソポタミア文明発祥の地)人の60進法(時計の数え方)でπを表現するやり方が全く理解できなかった。5000年以上前の文明レベルをも理解できない自分の頭脳にあきれたものだ。私は科学の古典を読んですんなり完璧に理解できたことなんて一度もなかった。私の経験でもケプラーの天体運動の本を読んでも全く理解できなかったし、デヂキントの「数と連続」を読んでも分った様な分らないような曖昧な気分であったことを憶えている。アインシュタインの「一般相対性理論」もちんぷんかんぷんであった。数学は特に演繹の学問で定理から経験の宝庫に下ってゆくもので、ひとつでも分らなければそれ以上は進めないものとあきらめていた。だから私は経験科学の最たる「化学」に進んだ。事実の寄せ集めから一般法則へむかう帰納法の世界で、矛盾だらけの世界で暫くは平気で過ごせるのである。πとは円に関する定数(常数)で、人類の歴史が線と輪から文明が発生したように、円周率は人類の歴史と切り離せない関係を持ってきた。円はすぐさま三角関数と結びついて、円周率と同じように、半径=円弧のなす角度を1ラジアンで表すようになり、360度=2πで等価になった。そしてこれが微積分法と結びついて様々なπの公式が爆発的に生まれた。ついにオイラーが自然対数(e)と結びつけてe(iπ)=−1を得た。

本当かどうかは保証の限りではないが、著者は推測だがと断った上で、円周率を求める一番原始的な方法を示している。まず中心をきめて一定の長さの縄の端を中心に固定して、砂の上で縄の他方の端に棒をつけてぐるりと1周する。すると棒の先は円周の溝を描くだろう。つぎにこの縄の2倍の長さの縄を作る。これが直径である。この直径に相当する縄を円周の溝に入れ、端と端の位置の砂に印をつけ、又縄を持ち上げて何回か繰り返すと3回目の縄の端は出発点の少し前で終わりとなる。この少しのあまりを無視すれば円周率は3といえる。一桁の精度の円周率である。円周上に残った余りの溝に合わせて短い縄を作り、それを直径の上においてゆくと7回やって少し余るが、8回やるとはみ出してしまう。そこで円周率は3・(1/7)<π<3・(1/8)となる。すると円周率は3.142857<π<3.125となり、精度は2桁となった。古代バビロニア人(メソポタミア文明のシュメール人 紀元前3000年程度の頃)はπ=3・(1/8)、古代エジプト人の書記アーメス(紀元前2000年)が記す書によると、伝承として「9単位の直径の円の面積は、一辺8単位の正方形に等しいという作図からπ=3.16049を得たという。古代バビロニアよりほんの少し悪いが、有効精度は2桁である。インドでは5世紀の書「シッダーンタ」はπ=3.1416を得ているが、これはアルキメデスの多角形法によっているようだ。インドのブラフマーグプタは698年π=√10=3.162277を得ているが、アルキメデスの384角形から得たπ=√98694/100=3.14156(有効精度5桁)をかなり粗くした近似である。中国では後漢の130年にπ=3.1622を得ているが、これはインドと同じやり方を起源に持つようだ。3世紀魏の劉微はアルキメデスの3072角形よりπ=3.14159を得た。精度は6桁もあった。5世紀には祖沖之は3.1415926<π<3.1425927を得ている(精度は7桁)が、これは西洋では16世紀になるまで到達できなかった値である。当時の書物ではπの計算に殆ど根拠や証明らしきものは記されていないので、結果だけを信じるしかない。特に日本や中国の東洋の数学は営業秘密のように手法や証明は記さないのが常であった。これは芸事のように秘伝であって科学ではない。だから論じることができない。πの実用精度はコンピュータでは2倍精度定数として17桁のπ=3.14159265358979324が用いられている。この2倍精度計算は必要な時だけで、π=4arctangent1を計算している。17桁以上を計算することは実用上、科学上の価値は無い。

本書をまとめるにあたって、年代を追うのが煩わしいのでまず第1部でπの歴史と計算精度を暦年でまとめておこう。年譜のように利用できるからと、計算精度向上の競争は近年になって、コンピューター時代なると数学的興味というよりは、数値工学的プログラムの改良によるものである。その「精度の進歩」が半導体の集積度に比例しているようなので、学問的興味はなくなる。著者は計算上手を「アホウな奴隷」と呼んで軽蔑しているようなので、精度向上は本書の歴史の目的ではない。第2部で円周率の数学の進歩を数学の巨人の歩みとともに見て行こう。とにかく昔の人の作図法は天才的である。πの計算のためには何が必要だったのかを歴史的に見る作業である。

1) 円周率πの狩人達の記録(年代、人名、方法、πの範囲または小数点以下の有効桁数) 

@ 紀元前5世紀  ギリシャ アルキメデス  内接・外接正多角形漸化式 96角形で 223/71<π<22/7 3.14084<π<3.14286 2桁
A 1世紀 ローマ ウィトルウィウス(建築家)  π=25/9=3.125 1桁
B 2世紀 プトレマイオス π=377/120=3.1417 3桁
C 2世紀 後漢 張衡 外接正方形 π=√10=3.162 1桁
D 3世紀 魏 劉微 正多角形3072角 π=3.1416 3桁
E 5世紀 隋 祖沖之 内接24576角形 3.1415926<π<3.1415927 6桁
F 6世紀 インド アリアバータ 内接384角形 √9.8684=3.1414 3桁
G 1220年 イタリア フィボナッチ 正96角形 平方根の近似値 π=814/275=3.141818 3桁
H 1579年 ブルターニュ フランソワ・ヴィエト 内接外接正393216角形 無限乗積解 3.1415926535<π<3.1415926537 9桁
I 1585年 オランダ アドリアン・アンソニス 333/106<π<377/120 π=3.14159292  6桁 
J 1610年 ドイツ ルドルフ・ファン・コイレン 正32212254720角形 35桁
K 1621年 オランダ スネリウス 内接・外接6角形 3.14022<π<3.14160 のちにホイエンスにより改良され 3.1415926533<π<3.1415926538 9桁
L 1655年 イギリス ウォリス 円の解析幾何学で積分をフェルマー・パスカルの公式で展開 有理数の無限乗積解 計算できないほど級数の収束が悪い
M 1671年 スコットランド グレゴリー グレゴリー(ライプニッツ)級数arctangentでπの無限級数を得る
N 1699年 イギリス シャープ グレゴリー・ライプニッツ級数にX=1/√3を入れた  72桁
O 1706年 イギリス マチン πをarctangentで表すマチンの公式 100桁
P 1761年 フランス トーマス・ラグニー   シャープの方法   127桁
Q 1722年 日本 建部賢弘 正1024角形法  42桁
R 1731年 オイラー πの公式π=20arctangent(1/7)+8arctangent(3/79)  オイラーはπの数値計算公式に終止符を打った 20桁
S 1789年 スロベニア ユリ−・ベガ  マチンの公式  137桁
21) 1852年 イギリス ラザーフォード マチンの公式 441桁
22) 1945年 ファーガソン 540桁 これよりπのp計算は計算機の時代になる
23) 1849年 ライトウィーズナー ENIACによりマチンの公式を計算 2037桁
24) 1958年 ニコルソンとジェニューイ IBM704  1万桁
25) 1961年 レンチとシャンクス IBM7090  10万桁
26) 1973年 ギュ−とブイエ CDC7600  100万桁
27) 1985年 ゴスパー シュリニヴァーサ・ラマヌジャン公式を用い 1752万6200桁
28) 1989年 グレゴリー・チュドノフスキー 4億8000万桁  金田康生 5億3687万桁、そして10億桁
29) 1994年 チュドノフスキー兄弟によって新たな無限級数が発見された
30) 1997年 金田ら HITACHISR2201を用いて 515億3960万桁
31) 1999年 金田ら HITACHISR8000を用いて 2061億5843万桁
32) 2002年 金田ら 高野の公式 分割有理数化法 1兆2411億桁
33) 2009年7月 筑波大学 2兆5769億8037万桁
34) 2009年12月 フランス ファブリ・ベラール チュドノフスキーの級数法  2兆6999億9999万桁

2) 円周率に偉大な足跡を残した人々

古代メソポタミア文明は60進法で、古代マヤ文明は20進法であるといわれても、今の10進法を基本とする私たちの生活からはピンとこない。中国では比較的古くから10進法であった。しかし60進法は時計の秒から分、時までに残っている。時から日は24進法で、日から年は365進法で4年に1回は1日を追加して調節している。このように数字は農耕生活のリズムを刻むもので、暦と切り離せない関係を持ってきた。円周率の歴史は古代ギリシャに始まる。紀元前490年マラトンの戦いでペルシャを打ち破ったギリシャは民主主義が生まれて学問が栄えた。哲学者と数学者を輩出した。学問と民主主義は切り離せない同盟関係がある。軍事独裁政権では同質の量や大きさは求められるが、異質な動きは圧殺される。ローマ時代とは科学や思想の革命的進歩が何もなかった凡庸な時代だと筆者は語る。民主主義は異論の存在を尊び、それが進歩の原動力であるとする点で大きな質的転換が行なわれうる時代なのだ。ミルの「自由論」と同じ考え方である。そういう意味でギリシャ時代はいまのヨーロッパ文明の出発点であった。円周率を求める理論的な公式の研究は18世紀前半のオイラーの仕事で終止符を打った。それ以降はπの桁数を上げる腕力と執念の時代になった。第2次大戦後には計算機の仕事になり、1980年以降はもっぱら半導体の集積度を競うだけの仕事となった。πは17桁だけでも過剰な精度といわれているのに、億から兆桁を求めることの実用的意味は無い。国家主義と財政主義と半導体製造能力をバックとした奇妙な人間の営みである。高エネルギー加速器による素粒子研究と同じように、国家権力的研究が流行している。先進国が後進国を差別化するのに内容よりも規模しかないとき、先進国は腐敗する。次にπの画期的研究を行なった数学者の面白い研究を数式と図形なしで説明したい。数式と図形を知りたい人は本書を購読してください。

2.1) ヒッピアスの円を正方形にする作図

古代ギリシャの時代、円周率に関係する幾何学者に面白い人物が4名いる。アナクサゴラス(BC500-428)は円と同じ面積をもつ正方形を作図する事を始めた。アンテフォンは「埋め尽くしの原理」という重要な手法を考案した。それは円に正方形を内接させ、次々に辺を2倍にした正多角形を内接させる考えで、かぎりなく多角形の周辺の長さは円周に近づくであろう。この原理はユークリッドによって正当化された。ヒポクラテスは半月という曲線の求積法を作図した最初の人である。そしてヒッピアスは直線や円以外の曲線を初めて定義した(しかも0で発散する超越曲線)。「クアドラトリックス」という曲線であるが、後にパッボス(3世紀)がこの曲線上で「円周率πを幾何学的に作図」することが出来ることを証明した。

2.2) ユークリッド「幾何学原論」

国際的貿易港で学問の都アレクサンドリアの偉人ユークリッドの前に、3角関数表を完成したエラストネス(BC273-192)を挙げなければならない。円周率の公式は殆ど3角関数の級数展開で成り立っており、3角関数なしではπは考えられない。彼は5% 以内の誤差で地球の周を求めたことで有名である。「幾何学原論」の偉人ユークリッドは、直線、円、直角、平行の自明の公準からユークリッド幾何学というピラミッドを構築した。彼は与えられた長方形の面積に等しい正方形を作図することを考えた。ユークリッド幾何学の公理では円を正方形にする作図は取り扱えないのだ。

2.3) アルキメデスの多角形法

シラクサのアルキメデス(BC287-212)は浮力で比重を計り金の合金を判定したというエピソードで知られている、アレクサンドリアのユークリッドに学んだといわれる科学的な物理学者の父であった。彼の科学的知識は戦争機械の技術的問題を解決し大いにローマ軍を悩ましたといわれる。最も重要な著書は1906年に発見された「方法」(近代科学を開いたデカルトの「方法論序説」に匹敵する)である。限りなく近づけるという意味で微分・積分法のすぐそばまで来ていた。彼は望みの精度でπを計算する方法「内接する正n角形の周囲の長さは円周より長く、外接する正n角形の周囲の長さは円周より短い」という事実に基づき、nを十分大きくとることで、両者は円周に限りなく近づくだろう。アルキメデスは正96角形に到達した。それによりπの小数点以下の精度は2桁を得た。アルキメデスの方法は極めて簡単でこれが長い間πを求める出発点となった。17世紀中頃にはホイエンスの円弧法にとって替わられた。後の人がやったことは、3角関数の計算に無限級数を用いて収束を速め、数値計算を可能にする公式を工夫したことである。

2.4) クザーヌスとホイエンスの定理

中世における唯一つの進歩は大司教クザーヌス(1401−1464)の円弧の近似法である。角θを臨む円弧は(3SINθ/2+COSθ)に近似できそれをブルック。テイラー展開すると計算できる。2世紀後オランダの物理学者ホイエンスがこのクザーヌスの近似を確認した。

2.5) ヴィエトの解析的な式

ルネッサンス期の素人数学者ヴィエト(1540−1603)は、アルキメデスの多角形を6角形ではなく正4角形から出発して始めてπの解析的な式を得た。πを√1/2の無限乗積で表した。ヴィエトの結果はπの歴史の一里塚でありルネッサンス数学の最高峰であった。ルネッサンスでは素人の大学者が次々に出たことが面白い時代であった。しかし問題は平方根を開く計算が厄介で収束が遅いため、ヴィエトは自分の公式を使わずにアルキメデスの方法で計算したという落ちがある。

2.6) スネリウスの「測光法」

オランダの数学者スネリウス(1580−1626)は光の反射と屈折の法則を発見した光学の大家として知られている。スネリウスはクザーヌスの方法と同じく円弧の長さの近似に下限と上限をきめる作図を行なったが、彼自身はこれを証明できなかった。またしてもホイエンスが1654年「円の大きさ」でユークリッド幾何学を用いてπの上限と下限を計算し、πを8桁まで求めた。アルキメデスの方法では40万辺の多角形の精度に相当した。

2.7) デカルトの解析幾何学

解析幾何学の創始者にして近代科学の祖といわれるデカルト(1596−1650)はヴィエトの方法に似て、正多角形を内接円の上で辺の長さを無限に分割して、πの公式を得た。tangentの半角公式を使えば無限の列を得たはずだが、デカルトは天才的な作図法でπを求めた。

2.8) パスカルの三角形

射影幾何学の祖で多彩な数学者パスカル(1623−1662)は円積法や新しいπの計算法を「4分円の正弦に関する論文」1958年に表した。「歴史的な3角形」で∫(sinθ)2dθの積分を行い、πの歴史上非常に重要な公式を得た。

2.9) ウォリスの無限乗積解

円積法の基礎に貢献した人の中にπの計算を導く新しい公式を作った人にウオリス(1616−1703)がいた。当時ニュートンもライプニッツの積分方を発見していなかったので、4分円の面積をデカルト風に書くと∫√(1−X2)dx=π/4(Xは0-1間)であるが、ウオリスはまだ積分する方法を知らなかった。2項定理を使って展開し(カヴァリエリ・フェルマー・パスカルの公式)、π=2×(2・2・4・4・6・6・・・・・・・/1・3・3・5・5・7・・・・・)という有理数しか含まない最初の公式を得た。魚リスの公式はπの歴史における偉大な里程標となった。数値計算の障害となる平方根の開法を含まないからだ。

2.10) グレゴリーの無限級数

スコットランドのグレゴリー(1638−1675)は微分積分法の発見に重要な働きをした。彼は1/(1+X2)の積分がarctangentとなることを発見し、カヴァリエリの公式を使って級数で表しグレゴリー級数を得た。arctangent(1)=π/4よりπの級数を得た。π=4(1-1/3+1/5-1/7+・・・・・・・) これがπに関する最初の無限級数であった。この級数はライプニッツが1674年に発見したことからライプニッツ級数と呼ばれることもある。唯この級数の収束があまりに遅すぎたため実際の計算には使わなかったようだ。もっと収束の早い級数はニュートンに残された。

2.11) ニュートンの積分法

偉大な科学の巨人ニュートン(1688−1744)の運動の法則はいまも殆ど無傷で成立する。アインシュタインが相対論でエネルギーと質量の交換性を指摘した程度である。ニュートン力学に較べると多少重要度は落ちるかもしれないが、数学では微分積分法を発見した功績も大である。1671年「プリンキピア」で分数ベキの2項定理をみつけ、無限級数と微分の発見の口火を切った。巨人ニュートンにとってπの計算などは行きがけの駄賃みたいなものであった。∫1/√(1−X2)dx=arcsin(x)を発見し、2項定理を使って1/√(1−X2)を級数展開して、各項を積分してX=1/2、atcsin(1/2)=π/6を代入すると有理数から成るπの級数を得た。この級数はグレゴリーの級数よりずっと早く収束する。ニュートンの時代、他の狩人たちはグレゴリー級数の改良を取り上げ収束の早い級数を見つけた人には、シャープ、マチンらがおり、100桁のπの値を得ていた。ここからπの計算精度は飛躍的に高まった。

2.12) オイラーのarctangent級数解

最も偉大な数学者(ガウスだという人もいるが)スイス生まれのオイラー(1707−1783)は多作な研究者であり、総数886冊の論文・著書を出した。指数関数と3角関数の関係や、変分計算法と複素関数論が有名である。数値計算に驚くべき才能を発揮したのも天才的な記憶力によるものであるといわれる。オイラーは出る限りのほどのπの公式を出しつくしたといわれる人物である。逆2乗級数の和は長い間数学者を困らせていた。1736年オイラーはこの問題を楽々と解いた。ニュートンのSIN(x)=X-(1/3!)X3+(1/5!)X5-(1/7!)X7・・・・から、πの2乗を整数の逆2乗級数であらわし、πの4乗を逆4乗級数、・・・・・・と数多くのπ式を出した。πと結びついた問題を徹底して扱ってしまったため、彼の後にπの計算式でよい方法を編み出した人はいない。オイラーは数値計算に関しては、πの仕事を全て終らせたといわれる。と言っても最も重要な仕事はオイラーの公式 eix=COSx+iSINx ( X=πでは eiπ=-1)を発見したことであろう。


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