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近藤宣昭著 「冬眠の謎を解く」

 岩波新書(2010年4月)

シマリスから冬眠特異的蛋白質(HP)の発見への道

冬眠(Hibernation)とは、季節的な低温に対して、動物が摂食や運動を中止して代謝活動を著しく低下させた状態で冬季を過ごすことであるといわれている。冬眠をする動物には、陸生変温動物としてヘビ、カエル、カメ、昆虫などがいて、越冬するときに冬眠をし、体温は外囲の温度に並行して低下する。恒温哺乳類としてはコウモリ、ヤマネ、シマリス、ゴールデンハムスター、ハリモグラ、ハリネズミなどがおり冬眠時の体温は10度以下に低下する。大型のクマ、アナグマなどは「冬ごもり」を行うが、これは真の冬眠ではなく、むしろ睡眠に近い状態であり、体温の低下も数℃以内で、わずかな刺激でも目覚める。小型の動物では、体重に対する表面積の割合が大きいため、体温を維持するために大量のエネルギーを必要とするので、食料の乏しい冬季では冬眠する方が得策という説もある。冬眠とは生命を保護する驚異的な能力ではないかと著者はいう。冬季に冬眠する動物の体温が環境の気温より数度高いほどに下がっても低温にたえる驚異的な細胞の力に感服するのである。人の体温は30度以下に下がると、自力で体温を元に戻す力は失われ凍死するらしい。人間は冬眠しないが、極低温状態での生存例が報告されている。日本では2006年10月7日に兵庫県神戸市の六甲山で男性がガケから落ちて骨折のため歩行不能となり、10月31日に仮死状態で発見されて救助される事件があった。当初は「焼き肉のたれで生き延びた」などと報道されていたが、実際は遭難から2日後の10月9日には意識を失い、発見されるまで23日間、食べ物だけでなく水すら飲んでいなかったことが分かった。発見時には体温が約22℃という極度の低体温症で、ほとんどの臓器が機能停止状態だったが、後遺症を残さずに回復した。「いわゆる冬眠に近い状態だったのではないか?」と医師が話しているという。ヒトが冬眠するかどうかは別にして冬眠は低温下で生命を維持する生物の進化ではないだろうか。冬眠を研究している学者は少ない。近藤宣昭氏のプロフィールを示す。1950年愛媛県生まれ、1973年徳島大学薬学部卒業、1778年東京大学薬学博士課程終了、三菱化学生命科学研究所の主任研究員、(財)神奈川科学技術アカデミーを経て現在は玉川大学学術研究所特別研究員である。専攻は薬理学だそうだ。

冬眠の研究が難しいことの第1は、体温の低下によって判断されるが、冬眠の原因を知るには体温は指標としては全く役に立たないのである。第2の難関は冬眠に入った動物に何らかの刺戟を与えると、動物は異常を察知してすぐに覚醒して体温を正常に戻してしまう。第3の難関は冬眠が1年に1度しか起きないことである。これではスピードが大切な研究には向かない。そして冬眠動物の遺伝的に均一な系統が入手できず、バイオ研究の常套手段である遺伝子操作技術をつかえないもどかしさがある。冬眠を研究している学者はよほどのんきで浮世離れした人々なのであろうか。冬眠=体温低下という定義は正しいのだろうか。体温低下は結果であって、冬眠の原因ではない。これまで世界中の「冬眠」科学者(決して多いわけではない)が冬眠の原因を見つけようとしなかったわけではない。冬眠できない動物、非冬眠中の動物と、冬眠中の動物で変化する遺伝子を追い求めてきたが、決定的な結果は得られていない。冬眠の意義は明白である。環境温度が低くて餌の取れない季節では「省エネ生活」モードにはいることである。冬眠の能力を獲得したことは、動物の進化において有利な戦略であろうか。冬眠動物は餌と水を十分に与えて環境温度を23度に保った飼育室では冬眠はしない。ヒトにもその能力はあるのだが、必要がなくて働かないだけの事だろうか。本書は第1章で冬眠モードの心臓筋肉細胞の変化を、第2章で冬眠特異的蛋白質の発見、第3章で強制的に冬眠を起こさせる方法、第4章で冬眠型動物の寿命について述べられている。第1章から第4章まで、話は一応実験動物であるシマリスに限ったこととして話を進める。実験データがあるわけではない外の話題には飛ばないことにしよう。まして第5章の「ヒトと冬眠」は想像の範疇を出ない著者には悪いが無視する。想像は自由だが、本書を読む人が本当にするといけないので省略する。科学論文は、「序論」、「方法」、「結果」、「討論」で構成され、「討論」では得られた結果の範疇でしかその意義を述べてはいけないことになっている。外の動物や人にまでシマリスの結果が他の動物、まして人間にまで普遍的に及ぶという保証は無いのである。そして本書は科学論文では無く啓蒙書に類する「新書」ではあるが、全く実験結果を示さずに、新たな物質を発見したとか、大変重要な結論を述べているところが数箇所あり、はやる著者の気持ちは分るが、認めろと言われても困るのでこれも無視する。要するにシマリスから冬眠特異的蛋白質(HP)を発見したということが、本書の意義である。学会はこの結果をどう評価しているかは知らない。恐らく決定的な証拠とするには、物質の同定・結晶化・構造解析および遺伝子配列解析がされていないこと、精製された物質または遺伝子的に作られたその物質で強制的に冬眠を導入することが出来たかどうかについて、本書ではよく分らない。新しい蛋白質の発見というにはまだ少し足らないのではなかろうか。

1) シマリスの冬眠中の心筋細胞の機能変化

著者は心臓低温保存の研究からスタートしたという。心臓移植には健全な心臓が必要であるが、取り出された心臓はせいぜい1日しかもたない。脳死状態なった健全な心臓の提供者が現れるまで待たなければならない。取り出した心臓を長期的に保存できないだろうかと言う趣旨で始まったのが、心臓の低温保存研究である。日本での心臓移植は1960年代札幌医大の和田教授が試みたがうまく行かず、技術面だけでなく倫理面の問題が噴出したため、その後タブーとなり1980年代より再開された。それに伴って心臓保存の研究も盛んとなった。当時の心臓保存の研究は低温で保存して以下に細胞のダメージを軽減するかということで、主として生理液組成が検討された。心臓の働きを維持するため細胞内外のイオン濃度環境を低温下でどう作るかということである。膨大な研究が行われたがイオンの出し入れをこなう細胞膜の損傷を生理液組成で解決することは不満足な結果に終った。イオン環境以上に致命的な問題が山積していたといえる。心筋細胞の働きについておさらいをしておこう。 血液などの体液が流れると、その中に含まれる電解質(イオン)が電磁波を引き起こすので、心電図、筋電図、脳波などの測定が出来る。細胞膜を通じてイオンを移動させるには、膜に埋め込まれている「チャンネル」と言われる膜蛋白質(イオンポンプ)の働きが必要となる。「チャンネル」が開くと細胞内外のイオンの濃度差(浸透圧)によって、イオンの流入・流出がおこなわれる。例えば細胞内のナトリウムイオンと細胞外のカリウムイオンはNa+・K+ATPアーゼによって交換され、細胞内のカルシウムイオンはCa2+ATPアーゼにより運び出される。その際ミトコンドリアから供給されるATPという高エネルギー化学物質の助けが必要で、多くのエネルギーを必要とする仕事である。その他ナトリウムイオンとカルシウムイオンを交換する相互に交換するNa+・Ca2+交換蛋白質もある。通常細胞内はマイナスに荷電していて心臓細胞では−90ミリボルトほどになっている。このように、心臓や神経、筋肉などの興奮性細胞は、エネルギーを消費することにより細胞膜を隔ててイオン濃度の差を作り出している。心筋細胞が収縮・弛緩を繰り返して血液を送り出し吸い込むポンプ機能をもっているには、イオンによる筋肉の刺戟収縮作用によるのである。まず最初ナトリウムイオンを通すチャンネルが開くと細胞内の電位は一気にマイナスからゼロに上がる。この電位変化が引き金になってカルシウムイオンチャンネルも開いて、一瞬電位は+になると、心筋細胞はカルシウムイオンの増加によって収縮淡白が活性化され、ATPを消費して収縮力を高める。カルシウムチャネルは直ちに閉じて今度はカリウムK+チャンネルが開くことで細胞内電位は−に低下してゆく。細胞内に過剰となったカルシウムとナトリウムイオンを減らし、減ったカリウムイオンを取り込むため、Na+・K+ATPアーゼやNa+・Ca2+交換蛋白質が活躍する。このような心筋細胞のイオン交換が周期的に活動することがシマリスでは1分間に450回の心臓の拍動を生むのである。全身の細胞に酸素と栄養分を送り、老廃物と炭酸ガスを排出することで代謝活動が営まれている。この心筋細胞は低温状態でミトコンドリアの破壊が進行し、細胞が壊死して収縮力が次第に低下する。この低温死は必然的である。

ゼロ度近い外気温でも冬眠中の動物の心臓は動いている。この機構を調べることが著者の研究の目的であった。まず実験動物としては、海外では殆どジリスが使われていた。シマリスの文献は無い状態で、著者は飼育法、繁殖法、冬眠誘導法などをゼロから開発しなければならなかった。ジリスの欠点は1年間に何回も「冬眠」をするので実験結果が不鮮明になることである。それにたいしてシマリスの冬眠は1回きりで深い。これが研究の明暗を分けたといえる。では著者は最初から分っていてシマリスを選択したのかと言えば嘘になる。偶然のなす幸運であろうか。6月ごろ餌と水を与えて飼育温度を4−5度に設定し照明を切る。10月にはついに冬眠したが、個体により冬眠時期はまちまちだ。体温は6−7度に下がっている。途中で機械的刺戟を与えると覚醒するが、非震え熱生産(蓄積した脂肪により発熱)で体温は37度の正常体温にすぐに上がって覚醒する。冬眠中数日から一週間おきに定期的に中途覚醒する。1日くらいで再度冬眠状態に入る。冬眠中の心臓はどうなっているのだろうか。23度の温室で飼育したシマリスは冬眠しないので、冬眠したシマリスの心臓と冬眠しないシマリスの心臓の心筋の膜電位波形を比較した。心臓の心室と心房の弁の乳頭筋を切り出して電極をセットして数ミリ秒電流を流す。すると筋は瞬時収縮してから弛緩する。その間の電位変化を記録した。非冬眠時の心筋は100ミリ秒ほど収縮する間に、電位は−80ミリボルトから瞬時+に振れ、次第にもとの−80ミリボルトに戻る。冬眠時の心筋は−80ミリボルトから瞬時+に上がるが、瞬時に−50ミリボルトに鋭く下降し、後は緩やかに−80ミリボルトに戻る。非冬眠時の緩やかにプラスから下降するプラトー域が半減したのだ。これは冬眠時にカルシウムイオンの流入量が少なくなっていることを示す。冬眠時カルシウムイオンチャンネルから流入する量は減少していたが、収縮力は非冬眠時と同じであったので、細胞内の小胞体からのカルシウムイオンが供給されていたのであろう。冬眠した心臓では細胞内の筋小胞体にためられたカルシウムイオンに依存した収縮を起こしていた。強心薬のイソプレナリンを投与して強制的にカルシウムチャンネルを開かせると、電位のプラトー相は非冬眠時に戻るが筋の収縮力は増加しないという変な結果が起きた。カルシウムは細胞に入っているのだがどこかに貯蔵されて隠されたように収縮力の増強とならなかった。この理由は心筋細胞内のカルシウム貯蔵庫である小胞体が冬眠時細胞で異常なまでに増強されていたことに秘密があった。このことは小胞体へのカルシウムイオン取り込み阻害剤によって証明された。低温で細胞内に流入したカルシウムイオンはたんぱく質や脂質を分解する酵素(キナーゼ)を活性化させる情報伝達物質であり、細胞を損傷したり、ミトコンドリア内に蓄積して機能低下させ細胞壊死を促進する。冬眠中はカルシウムイオンを調節することが重要になる。それにはカルシウムチャンネルを開かなくすることである。そしてカルシウムイオン供給を小胞体に任せたことである。そしてカルシウムを遊離した後、小胞体膜にあるCa2+ATPアーゼによって強力にカルシウムを回収している。このような微妙なカルシウム濃度調節機構を小胞体が有することが分った。冬眠中の心筋細胞の電位変化が、冬眠に入る前のシマリスの心臓でも起きていた。つまり冬眠モードになっていたのである。冬眠の時期に合わせて予め低温で働ける心臓に切り替える準備が整っていたのである。自律的な周期を支配する冬眠物質への探求がはいじまった。

2) 冬眠特異的蛋白質(HP)

1960年代冬眠物質HIT(Hibernation Induction Trigger)の発見と騒がれた時があったが、冬眠実験の不確かさから決定打を欠いたまま下火となった。それは外国の科学者がジリスが何度も冬眠するので判定に困ったようだ。そして冬眠中に新たに発現される遺伝子についてくまなく探索されたが結論は出なかった。筆者は冬眠物質はホルモンのような情報伝達物質に違いないから血液中に存在するはずだと確信したという。冬眠中のシマリスからの採血は困難を極めたが、血漿中のたんぱく質の液体クロマトグラフィーで、非冬眠と冬眠中の分子量分画の比較を行なった。すると冬眠物質なら新たな分画が発見できると期待するのが常識だが、なんと冬眠中の血漿にはピーク減少となった。これをどう解釈するかで研究方向は違ってくる。減少した冬眠蛋白分画と非冬眠蛋白を集め。それを電気泳動にかけた。非冬眠蛋白には55KDaと他の3種の蛋白(20KDa,25KDa,27KDa)であったが、冬眠蛋白分画には55KDaが消失していた。アミノ酸配列から55KDa蛋白はαアンチトリプシンに似た蛋白で、3種の蛋白(20KDa,25KDa,27KDa)は末端配列にコラーゲンに似た配列があり、三重ラセンを構成していた。これら4つの蛋白は全て新しい蛋白質であったので、冬眠特異的蛋白質HPと名づけた。遺伝子配列は北里大学の協力で行なわれ、HPは肝臓で生産されていることが分った。同じリス科のタイワンリスではHP遺伝子は持っていたが、遺伝子の一部が変更を受けてm-RNAが作られていなかった。睡眠の中枢は脳にある事から、脳の血管中ではなく脳脊髄液中にHP蛋白が見出されなくてはならない。脳室には血液脳脊髄液関門があって血球などは出入りできないが、脳内に物質が運ばれる脳脊髄液で満たされている。そして脳脊髄液中のHP濃度が冬眠していない時期に較べて、数十倍に跳ね上がっていた。冬眠が始まり睡眠が深くなるにつれ、血液では急激に濃度がへり脳では急激に増加した。HP蛋白質の阻害物質と考えられるHP55KDaがはずれて、脳脊髄液中にはHP20KDaが活性化されていた。ではこのHP20cを破壊すると冬眠から醒めるのだろうか。蛋白HP20cの抗体を兎で作成し、脳脊髄液中に注入する中和実験を行った。赤外線カメラで体温変化を見た。冬眠期間を前、中、後期と分けて抗体を脳内に入れると、前期と後期には確実に冬眠を覚醒できたが、中期だけは効果が一定しなかった。これは中期ではHP濃度が高いためであろうと考えられた。これからHPは冬眠になくてはならない物質であると結論された。

4) 冬眠の意義

冬眠をする動物には体内冬眠時計が埋め込まれているようである。周期的な機能には「概日時計」と「概年時計」があり、「概日時計」は明暗の周期に支配されているが、「概年時計」のほうは別の機構が働いているようだ。冬眠といっても哺乳動物種や個体によってかなり変動が大きい。そこで冬眠の定義を「体温が10度以下に下がり、それが1日以上続いた後、自力で元の体温に戻れること」とした。「浅い休眠」、「日内休眠」、「冬篭り(巣篭り)」と区別するためである。動物は体温を上げるために代謝だけでなく筋肉という運動器官を用いる。亀など爬虫類は変温動物といい大きな体を有し、体温の保持が楽になったが、低温ではやはり凍死する。筋肉を使って体温を一定に保持できるのは哺乳類と鳥類の獲得した恒温性である。脳の視床下部の体温調節中枢が重要な役割を果たしている。この恒温性動物からさらに省エネモードを獲得したのが冬眠動物といえる。変温動物の冬眠中の体温はすべて自然任せで、環境温度が上がるまで冬眠から脱することは出来ないが、哺乳類の冬眠動物は体温調節機構が安全装置となって、冬眠中でも何度も覚醒を起こせる。冬眠期間の長さを「冬眠能力の高さ」という。では何のために中途覚醒を起こすのだろうか。代謝老廃物の排泄、および水分摂取であろうといわれている。シマリスの生存曲線を比較すると、冬眠するシマリスは典型的な逆S字型曲線を示すが、暖かい恒温室で冬眠をしないシマリスは時間にそって直線的に下降し、最終的には最高生存年齢が11年である事に違いは無い。寿命には個体差が大きいが普通である。そして驚くべきことはHPが概年周期で変動しないシマリスは若年で死亡することであった。冬眠能力を持っていない個体は普通の鼠並みに2年が寿命であった。少なくとも冬眠能力を持ったシマリスは持っていない個体よりも健康で生きている。しかしやはり8年ごろから急速に死亡率は高まる。これを冬眠の秘密という。後進国と先進国の死亡率の比較のようだ。こうして変温性から恒温性、そして冬眠能力の獲得という風に進化が進んできたのかもしれない。


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