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岩井克人著 「21世紀の資本主義論」

  ちくま学芸文庫(2006年7月)

グローバル市場経済の危機は貨幣経済資本主義の宿命

この陰鬱な衒学者の経済エッセイ集の紹介も3冊目になった。本書は2000年1月1日筑摩書房から発行された単行本が、2006年に文庫本になったもので、含まれる内容は「21世紀の資本主義論」のみが書き下ろしで、あとのエッセイは1985年から1997年に発表された文章の収録である。本書の趣旨はあえて言えば、ソ連の崩壊による社会主義の終焉と20世紀末に起きたアジア金融危機(ヘッジファンドの資金引揚げによる)を契機として、グローバル市場経済の持つ本質的不安定さを論じた論文集といえる。特に21世紀にばら色の経済があるわけでもないし、繰り返される大恐慌を防ぐ手立てを論じているわけでもない。そんなことは無責任な経済評論家がやることである。いいことも悪いこともこの貨幣市場の資本主義の宿命である。この現実を直視せよというだけである。奇しくも2008年末にまた金融大恐慌が全世界を襲い、2009年の現在も実経済に深刻な影響を与えている。なんどやっても資本主義の不安定さは改善されるどころか、グローバルになった分だけ影響の規模が大きい。本書は大きくは「21世紀の資本主義論」、井原西鶴やギリシャ神話の経済学的解釈、ケインズと近代経済学、法人論と日本資本主義論、市民社会論からなるといえる。10頁以下の比較的短いエッセイは省略する。

21世紀の資本主義論

投機と危機
1991年12月ソヴィエト連邦の崩壊という事態に世界は動転した。同時に市場が経済を支配する「アダムスミスの時代」のなったのである。市場経済における価格メカニズム(いわゆる神の手)が需要と供給を均衡させる仕組みが全地球上に到来したといわれる。この時代になって華々しい成功を収めたのが香港、シンガポール、台湾、韓国のいわゆる「四小龍」であった。「四小龍」だけでなく東南アジアのタイ、インドネシア、マレーシアの経済成長率も平均5.7%を経験した。これを「東アジアの奇跡」という。市場の開放と資本の流入、国家の経済政策が効を奏したのである。ところが1997年7月タイにおいて投機筋の為替市場の売りに抗し切れなかった自国通貨が暴落し、東アジアから連鎖的に金融危機が始まった。1998年にはロシアにも飛び火して債務モラトリアム宣言となり、1998年米国の大手ヘッジファンドLTCMが倒産した。1999年にはブラジルの通貨暴落となった。この金融危機の際、金融工学理論で武装したヘッジファンドや国際投資銀行などの投機筋の活動が全世界の人の注視と批判の的になった。確かにヘッジファンドは預かった資金を元手にして10倍くらいの金を借金して投資する(レバレッジ効果)ことをやって被害を大きくしたことはあるが、ヘッジファンド=「悪人博徒集団」という図式は正確ではない。市場経済のなかではすべての関係者は機をみて売り買いをしている事から全員が投機家なのである。投機は危機を生み出す、市場経済は本質的に危機を内在した社会である。
金融危機論

アダムスミスの理論は「投機」をあまり考えていなかった。投機をあくまで市場の見えざる手の延長線で理論ずけしたのは、自由主義の旗手フリードマンの「投機理論」である。安い時に買い、高い時に売るのは合理的であるという。この理論は投機家が生産者から物を買い、消費者に物を売るという商人的存在という想定ならば正しい。しかし投機は価格がどう動くかと予測する思惑の連鎖の上での「知力の闘い」である。そこでは実物の物の過不足ではなく、人が何を思っているからどういう手を打ってくるかという思惑の上に立つもので、そこで成立する価格は投機家の思う価格に過ぎない。これを「予想の無限の連鎖」という。現実という錨を失った思惑の連鎖は,当然実経済と著しく乖離している。2008年夏のニューヨーク石油先物価格を見れば明らかで、需要の10倍の市場で価格が高騰したのである。まさに気違い沙汰である。2008年秋のサブプライムゾーンに端を発するアメリカ金融危機は、2009年の現在でも全世界の実経済を同時不況で苦しめている。いまや金融市場は専門的投機家が支配する市場である。もともと金融市場とは時間やリスクを有価証券という形で商品化したもので、債権、株式、外国為替、商品先物市場のことを指していた。実体的経済活動が必然的に含んでいる投機的要素を切り離して商品化し、それを生産者や消費者から専門的投機家に転嫁した仕組みである。ここに金融市場のパラドックス(矛盾)が生まれた。金融市場は時間やリスクの回避を商品として売り買いするチャンスを提供し、実体的経済活動から売り買いの非効率を取り除いてくれるシステムであるが、専門的な投機家がお互い同士で売買すると、思惑で動いて価格の乱高下となり、市場は不安定化するという2律背反がここにある。さらに1970年代数理金融理論の発達によって(賭博のために統計学が生まれように)、金融先物、金融オプション、金融スワップという金融派生商品(デリバティブ)が開発された。抽象的な利益構造で専門的な投機家がうごく市場は、実体と二重、三重に乖離している。
ドル危機論

20世紀末を襲った金融危機は市場経済にとって本質的な現象であり、21世紀になっても繰り返されるであろうという。(この予想は2008年の世界金融危機となった)しかしこの金融危機はグローバル市場経済にとって真の危機ではない。ユーロや円や元の危機に留まっている限り、グローバル市場経済に根底を揺るがす事にはならない。21世紀の市場経済の真の危機とは、基準通貨としての「ドル危機」のことである。石油取引はいうに及ばず世界中の取引はドル建てで行われている。ドルでもって世界中の物資を買う事も出来るし、貯金も出来る。ヨーロッパのEUも及ばない国境のない経済体制である。ドルは世界統一貨幣といってもよい。どうした経緯でドルが基準通貨になったのかについては諸説紛々であるが、アメリカの覇権、アメリカ経済の支配力と関係あると云う説もある。現在のドルは金に兌換することはできないし、アメリカが世界に命令したわけでもない。まして世界中央銀行もない。結局世界中に流通し続けるという信頼が基準通貨である。マルクスは資本主義の危機を「恐慌」と見ているが、恐慌は商品よりも貨幣に執着する事によって引き起こされたデフレ現象である。世界の歴史は資本主義は何回もこの恐慌を乗越えて市場はますます拡大してきたことを示している。これに対して「ハイパーインフレ」とは人々が貨幣を棄て去ることを指す。貨幣からの逃避で、昔から金持ちが「金信仰」に走ることである。一時的インフレは脅威ではないが、実体以上に貨幣への信用が収縮すると「ハイパーインフレ」となり、市場経済そのものが成り立たない。悪しき物々交換の非効率の時代に逆戻りである。市場経済をめぐる効率性と不安定性との根源的な二律背反が全面的に曝露された状態である。基準通貨はグローバル市場経済の貨幣である。グローバル市場経済にとって真の危機とは、「ハイパーインフレ」によるドル崩壊である。流通する貨幣がなくなっては市場は成り立たない。ドルが紙くずになる日が、ドルが1国貨幣に成り下がる日である。基準通貨を介した世界貿易、金融取引は不可能となり、ブロックごと、2国間取引という恐ろしく非効率・不便な時代となる。ドル危機の行き先はグローバル市場経済そのものの解体である。アメリカは基準貨幣がドルであることにより、通貨発行権者の利益「シニョレッジ」を享受してきた。その利益と同時に基準通貨国の行動にはグローバルな責任が課される。ところがアメリカは1986年に債務国に転じてからグローバル市場基準国としての自覚を失いつつある。ドルを過剰に発行したり、対外債務の負担軽減からドル安政策に陥っている。アメリカが国際競争上で自国保護政策に走る時、ドル基準通貨のグローバル市場経済は崩壊に向かうであろう。アメリカの相対的位置の低下は世界のブロック化に向かい、複数の貨幣が圏内で使われる多極化の時代こそ不安定な世界市場となる。もしグローバル市場経済の危機に対する真の解決策があるとしたら、それはグローバル世界中央銀行の設立以外にはない。ではグローバル中央銀行の設立に向けて世界的なコンセンサスが生まれるとしたら、それは地球が運命共同体になるような経済危機が起きた時でしかない。
市場経済と資本主義
グローバル市場経済にしてゆく原動力は資本主義のアクティヴィティである。資本の活動で利潤を生み出し、さらに資本を増殖させる無限の活力である。18世紀後半の産業革命は重商主義から産業資本主義を生み、国民国家と国民市場を生んだ。資本主義は当初は農村という外部を利用し、19世紀後半より植民地主義という後進国を外部とした。20世紀中頃から後進国を外部とすることも出来なくなって、人類は初めて「純粋な市場経済」を経験した。自由主義社会と資本主義はそれは同意義である。危機に満ちたグローバル市場経済の中で生きざるを得ない宿命を自覚してゆくほかに処方箋などは無いというのが著者の結論である。なんと陰鬱な結論である事か。しかし「花見景気」の掛け声で奈落の底へ落ちるよりは自覚があるだけましか。

西鶴の大晦日

江戸時代に刊行された井原西鶴の「日本永代蔵」(1688年)、「世間胸算用」(1692年)はいわば経済小説(堺屋太一氏のように)である。「世間胸算用」卷1の1は次のような文章で始まる。「世の定めとて大晦日は闇なる事・・毎年一つの胸算用ちがい、節季を仕廻いかね迷惑するは覚悟あしき故なり・・銭銀なしには越されざる冬と春との峠」江戸時代には商いの決算は大晦日に行われていた。キリスト教の最後の審判のように売り買いの商売の決算をしなければ年を越されなかった。決算が済んだら年越そばが食えるのである。庶民の借金取りの声におびえながら逃げ迷う姿は落語の話しによく出てくる。江戸時代の貨幣制度は「三貨制度」と呼ばれ、金貨、銀貨、銅貨が流通していた。当時の国際通貨は銀貨であり、大阪では貿易が盛んな事から銀貨が主に流通していた。貨幣には金貨や銅銭のように「定位貨幣」といって刻まれた額面の数値で流通する貨幣と、銀のように正確に重さを測る「秤量貨幣」に分かれていた。関東は「定位貨幣」、関西は「秤量貨幣」という二つの貨幣圏が並行するダブルスタンダードな貨幣経済であった。ところが幕府は「改鋳」によって定位貨幣の質を下げ、貨幣としての価値と「金塊」というものとしての価値の間は乖離していった。ものとしての貨幣より「定位貨幣」の方が貨幣の論理からははるかに発達した形態である。「秤量貨幣」は秤量という面倒な手間がかかることから、大阪では両替屋が発行した「預り証」すなわち「預り手形」や「振り手形」による支払い方法が始まった。銀のかわりにこの手形が廻り流通したので「廻り手形」ともいう。両替屋は自分の蔵に蓄えた銀の量をはるかに超える(自己資本の7倍くらい)預り手形を廻す事により、裏付けの無い手形が発行されたのだ。これを「貨幣の論理(誘惑)」といい、発行者はこの誘惑に勝つ事は難しい。「銭銀なしには越されざる冬と春との峠」である大晦日には、銭金なくても手形を渡せば済むようになり、銀決済をする必要がなくなった。こうして日本の近代は「浮世」という貨幣経済に移ったのである。決済という終わりの時期は無くなり、無限に拡大してゆく時間への移行は、貨幣の論理から資本の論理への移行を告げていた。

ギリシャ神話「パリスの審判」

ギリシャ神話「パリスの審判」とは、三人の女神(へーラー、アテーナー、アプロディーテー)の美しさを判定する役目をするトロイの王子パリスが、美の女神アプロディーテーとの取引でスパルタ王の妻へレネーを奪って駆け落ちをするというホメロスによって歌われたトロイ戦争を描いた。なぜギリシャ神話が経済学の話題に出てくるのかというと、ケインズが「雇用・利子・貨幣の一般理論」において株式市場における投機家の行動モデルとして「美人コンテスト」を取り上げたからだ。人間の主体的な判断によって美しいとされる近代的な美の原理も取引対象にされ、美は「使用価値」も失った交換対象すなわち商品となった。だれが美人かという個人的価値基準(趣味)から離れ、コンテストで賞金を得ようとする人々は他人が誰に投票するかということの心を奪われる。他人の思惑の無限の連鎖が投機家の動機である。

ケインズ経済学とシュムぺータ経済発展理論

ここでケインズ経済学を取り上げる。新古典派経済学には「見えざる手」が円滑に動いている限り、自由放任が最適な政策であってミクロ経済学しか眼中に無い。マクロ経済学ケインズ経済学の別名である。マクロ経済学とは国民総生産や国際収支、インフレ率や失業率といった「マクロ的集計量」の変動を研究する経済学である。すなわち見えざる手の働かない世界に関する経済学である。ミクロ経済学では「市場の失敗」と表現する市場経済の失業やインフレに見舞われるのはそれが正真正銘の貨幣経済であるからだ。第2次世界大戦の前後はケインズ的財政政策と福祉国家理念の混合資本主義体制であったが、1980年代レーガン大統領の主導のもとに規制撤廃と競争の活性化がもたらされた。国際的な規模で従来の価格形成方式が崩壊し、先物取引に代表される自由な価格形成の場が形成され、それが時として需給関係と乖離してバブルを引き起こすのである。ケインズは株式市場の「本来の社会目的」である予期される将来利潤において最も有利な企業や産業に向けての資本の移動を容易にするものであるという考察をしている。だが株式市場の存在が可能にした所有と経営の分離は、ある時は投資を促進するが、ある時は体制全体の不安定性を拡大する。株式市場における投機家の平均的予想は他人の思惑を読む「美人コンテスト」のように本質的に不安定なものである。ケインズは「実物交換経済」と「貨幣経済」と二分して考えた。まさに貨幣経済は脱線路線をとる可能性を秘めているのだ。絶えず崩壊の危機に脅かされる定常状態とは「不完全雇用形態」のことである。シュムペーターは「経済発展の理論」(1919)と「景気循環論」(1936)でケインズが「不完全雇用均衡」となずけた状態も経済発展の一局面と位置づけた動学体系を提唱した。企業は革新と模倣の繰り返しで経済は循環しつつ発展するという長期の経済論である。利潤は差異から生まれるということに着目したのはシュムぺータ経済発展理論の功績である。

無限性の貨幣経済

サムエルソンは「世代重複モデル」は未来永劫にわたって続く一つの経済世界を想定する。年金と同じように、世代間で無限の先送りをするのが「貨幣」である。物々交換経済なら、自分の世代が終って生産性が無くなると、自分は「姥捨て山」に行くしか手は無いのだが、貨幣のおかげで次世代から次次世代へと受け継がれ老人も生活できるのだという。貨幣とは世界に終りが無く、時間が無限であるからこそ貨幣なのである。貨幣は確かに一つの虚構に他ならないが。虚構であるからこそ無限性を獲得できたのである。

企業法人論と日本式資本主義論

1990年代より企業買収M&A、LBO、TOBが盛んとなり、「物言う株主」による企業活性化かファンドによる企業食いつぶしかと議論されてきた。いわゆる「ハゲタカ」という言葉が流行した。「ホリエモン」や「村上ファンド」がメディアをにぎわせたのはついこの前のことである。この策動に対して日本企業は昔から「株主安定工作」を実施している。乗っ取られないために系列同士・グループが株式を持ち合うという慣行があった。この日本企業法人方式は世界でも特異な存在として、米国ファンドからは目の仇にされてきた。所有者としての資本家はヒトであり、生産手段や製品はモノである。個人企業であればヒトである資本家は同時に経営者としてモノを所有するかもしれない。しかし個人企業から株式会社への規模拡大過程で、ヒトとモノの関係は分離した。共同企業はヒトとして扱われる「法人」となり会社となった。法人が生産手段や製品を所有し資産を管理するので、株主や資本家はモノを所有しない。株主が勝手に会社のモノを奪えば窃盗罪になる。法人は資本家に対してはモノであるが、資産に対してはヒトとして振舞うという両義性を持つ「鵺的存在」である。米国資本主義はこの法人に対して拒否反応をする。ある意味では法人は最も進んだ形の資本主義形態かもしれない。利潤追求のマシーンであり、雇用を生む公的存在なのだ。会社については神田秀樹著 「会社法入門」 岩波新書(2006年)に詳しいので参照して欲しい。

市民社会論

経済学説以外の岩井克人氏の論点の一つに「市民社会論」がある。1991年12月のソ連崩壊で、人々は「資本主義の勝利」といって狂喜する人もいたが、実はアダムスミス的均衡経済(閉じたシステム)という理念が失われたという人もいる。社会主義とは何だったのだろうか。社会主義とは市場の無政府主義を廃棄し、中央集権的国家統制のもとで、労働をはじめとする生産手段の社会的配分を合理的に行うことを意図した体制であった。スミスの「見えざる手」のアンチテーゼであったが、その補完でもあった。これで世界が安定してきたことは否めない。古来資本主義は地域での価格の差異を仲介して利潤を生む商業資本主義であったが、18世紀半ばから労働生産性と実質賃金との差異に基づく利潤を追求する産業資本主義の時代にはいった。それゆえ現代の資本主義が資本主義であり続けるのは、差異そのものを創造する新技術、新製品、新市場に邁進することである。ソ連崩壊の同年ペルシャ湾の石油資源をめぐって湾岸戦争が勃発した。戦争そのものはあっけなくイラクの敗戦と米国の勝利に終わったが、勧善懲悪的な戦争ドグマも終焉した。アメリカの一方的軍事力優位が確定し、国家間戦争から次の戦争ドグマはテロに変身した。

まさに資本主義という経済機構は、自由の理念と民主主義にもとづくいわゆる市民社会とは別物である。資本主義の完成度とは別に、市民社会の成熟度という座標において、新たな目標を定めなければならない。19世紀のイギリスのメイン卿は「身分から契約へ」の中で「近代の市民社会とは、固定的な身分制度から開放された、自由で平等な個人の存在を前提とした社会である」といった。この市民社会の定義を岩井克人氏は「身分から契約と信任へ」と書き換える。信任とは「他の人のために一定の仕事を行うことを依頼によって任されたjこと」という。代議員制という間接民主主義の言い換えかもしれない。会社という法人も医療関係者も契約であっても実質は信任であろう。信任されたほうの倫理観・職業倫理には「信任義務」が付いてくる。いまや分業化(分知化)によってすべての業務は専門家たらざるを得ない。日本社会の市民社会に向けた改革のためには、市民と国家の相互関係を今一度確認する必要があると氏は結論した。


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