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文藝散歩 

泉鏡花著 「歌行灯」、「高野聖」、「眉かくしの霊」、「夜叉ケ池」、「天守物語」
岩波文庫 (2013年6月改版、1957年改版、1984年)

浪漫詩人泉鏡花の世界に遊ぶ: 傑作小説二篇 「歌行灯」、「高野聖」と 傑作戯曲二篇 「夜叉ケ池」、「天守物語」

舞台 夜叉ヶ池        舞台 天守物語
舞台 「夜叉ヶ池」               舞台 「天守物語」

文芸の趣味人でないと泉鏡花の名前を知らない人も多い。そこで蛇足とは思うが泉鏡花のプロフィールをたどっておこう、泉 鏡花(1873年11月4日 - 1939年9月7日)は、明治後期から昭和初期にかけて活躍した小説家です。小説の他に戯曲や俳句も手がけた。金沢市の生まれです。父・清次は、工名を政光といい、加賀藩細工方白銀職の系譜に属する象眼細工・彫金等の錺職人で、母・鈴は、加賀藩御手役者葛野流大鼓方中田万三郎豊喜の末娘で、江戸の生れです。、鏡花は終生、摩耶信仰を保持した。1884年(明治17年)金沢高等小学校に進学、翌年には日本基督一致教会のミッション・スクール北陸英和学校に転じ英語を学ぶ。1889年(明治22年)尾崎紅葉の「二人比丘尼 色懺悔」を読んで衝撃を受け、文学に志すようになる。1891年(明治24年)10月、尾崎紅葉に入門を許されて、尾崎家での書生生活をはじめる。小説家の手ほどきを紅葉から受け小説家として執筆活動に入る。主な作品を年譜で示す。
1893年(明治26年) - 京都日出新聞に「冠彌左衛門」を連載。「活人形」、「金時計」を発表。
1895年(明治28年) - 文芸倶楽部に「夜行巡査」、「外科室」を掲載。
1900年(明治33年) - 「高野聖」を発表。
1907年(明治40年) - やまと新聞に「婦系図」を連載。
1913年(大正2年) - 「夜叉ヶ池」、「海神別荘」を発表。
1919年(大正8年) - 婦人画報に「由縁の女」を連載。
1937年(昭和12年) - 東京日日新聞、大阪毎日新聞に「薄紅梅」を連載。帝国芸術院会員になる。
1939年(昭和14年) - 中央公論に「縷紅新章」を発表。癌性肺腫瘍のため逝去。
泉鏡花の作品は、江戸文芸の影響を深くうけた怪奇趣味と特有のロマンティシズムで知られる。また近代における幻想文学の先駆者としても評価される。幽玄華麗な独特の文体と巧緻を尽くした作風は、川端康成、石川淳、三島由紀夫らに影響を与えた。ここに取り上げた五題の短編の簡単な解題を示しておこう。

1) 『歌行燈』(1910年、新小説)小説

 能と謡を背景に、「芸」に賭ける人間の心を描く 『歌行燈』は、泉鏡花が愛した「能」が深く物語に関わっている物語です。泉鏡花自身が「芸」を仕事にしている人物であるがゆえ、それに命を懸け、全身全霊を込めることの美しさとロマンを彼自身の現身としての主人公の内面でしっかりと語っています。明治の末の霜月、三州桑名の廊内のうどん屋に、喜多八を名乗る男がやってくる。旅の弥次郎兵と捻平が早く旅籠に落ち着きたいと不機嫌になるので二人は桑名では一番の湊屋という旅籠へ急ぐ。その途中門口から惚れ惚れするような声で博多節が聞こえてくる。その芸人はやがてうどん屋へ入ってきておかみを相手に熱燗をあおるが、按摩の笛に怯える様子を見せる。しかしついに按摩を呼び震えながら療治を受け、自分が按摩を恐れる訳を明かし始めた。芸人は恩地喜多八という、かつては能楽界の鶴と呼ばれた男であった。三年前、伊勢古市に按摩上がりで謡をよくする宗山という男がいて、その不相応な芸名と妾を三人囲うとの噂を聞いた喜多八は若気の正義感に駆られ、客を装って宗山と対面し、その謡に鋭い拍子を入れてその息を散々に挫いたのであった。結果宗山はその日の内に命を絶ち、娘のお袖は売られ、喜多八は叔父であり養父である恩地源三郎から勘当を受け、今の身の上になったのである。一方、湊屋の喜多八男と捻平の座敷に気まずい雰囲気が流れている。慰みにと呼んだお三重という芸妓が酌もできず、三味線も弾けない。お三重は「舞の真似を少し」と言いだすと『海人』の一節を舞い始めた。その気組、形に驚いた捻平が尋ねると、伊勢山田で門付芸人から七夜で習ったという。教え手は喜多八に相違ない。お三重こそお袖であった。実は喜多八男は恩地源三郎、捻平は鼓の名人辺見雪叟で源三郎の傷心の旅を案じて旅の供をしていたのだった。雪叟はお袖に改めて舞を所望すると名鼓を取り出す。そこへかけつけたのは雪叟の鼓の音を聞きつけた喜多八。源三郎は喜多八にお袖はお前の嫁女だと言い、勘当を許す。喜多八はお袖の手を握り、過去の悪夢を払うかのように祝言の『高砂』のキリを謡い始めるのだった。
芥川龍之介は「泉鏡花は明治大正期のロマン主義を打ち開いた」と評価します。自然主義文学の交流に伴い泉鏡花のロマン主義は顧みられなくなった。尾崎紅葉の衣鉢を受け継いだ唯一のロマン主義作家として孤高の塁を守った。田山花袋率いる「早稲田文学」に拠った自然主義の文学は現実暴露の悲哀一色に塗り込められたという。自然主義文学の全盛期は明治39年の島崎藤村「破戒」に始まり、田山花袋の「蒲団」、谷崎潤一郎「刺青」の明治43年ごろまでである。明治39年ごろは泉鏡花は生活にも困るほど貧窮した。そこで鏡花は「文芸革新会」という反自然主義運動に参加し、「新小説」雑誌に拠って孤塁で奮戦した。「歌行灯」は明治43年1月の「新小説」に載った。ときに鏡花38歳であった。この小説の文章は夢幻感、恍惚感、神秘感にあふれている。文章に頻繁に引用されるのは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」で、能役者恩地源四郎愛読の書である。「歌行灯」は明治33年の作品「高野聖」とならぶ鏡花の最高傑作の一つといわれる。「歌行灯」は鏡花の能楽ものの代表作で、能楽が明治40年代に復活したことが背景にある。能役者恩地源四郎のモデルは鏡花の伯父松本金太郎といわれ、もう一人の老人宗山は佐渡の能楽師金子高次郎氏だといわれる。「歌行灯」は桑名、宇治山田、鳥羽など伊勢地方を主な舞台とする。明治42年文学革新会が結成され、その講演旅行が伊勢神宮参拝から始まった。伊勢から桑名に向かい船津屋(小説では湊屋)に宿泊した。この旅行で鏡花が愛読書である十返舎一九「膝栗毛」第5篇を携帯していた。喜多八に舞を伝授された哀れな能無し芸妓お三重は全くの創作である。二人の老人が旅館湊屋に向かう途中、門付喜多八の博多節を聴くことから物語は展開する。博多節を歌った喜多八はうどん屋に入り、痛飲してなぜか按摩を呼び寄せ、3年前伊勢山田で謡に傲慢不遜な按摩宗山を芸の上で打ち負かして憤死させたことを懺悔する。宗山の娘芸妓お三重が博多節の門付から「海人」の舞を伝授されたことを語る。お三重は源三郎の地で舞を披露し、謡曲「海人」を耳にした喜多八が湊屋に駆けつけて唱和する最終場面で大円楽を迎える。旅館湊屋に一室が現実ではない空間に変わって、芸術の威厳と人間の温かみとの溶け合う心持ちが現出されています。

2) 『高野聖』(1900年、新小説)小説

 『高野聖』は、泉鏡花が作家として成功するきっかけとなった短編になります。語りの軽妙さ、物語の面白さもさることながら、何より評価されているのはその表現の豊かさです。物語には、泉鏡花最大の魅力である多くの形容詞を用いる語彙力の高さが存分に生かされており、読み終えるころには、彼が形作る世界のとりことなっていることでしょう。若狭へ帰省する旅の車中で「私」は一人の中年の旅僧に出会い、越前から永平寺を訪ねる途中に敦賀に一泊するという旅僧と同行することとなった旅僧の馴染みの宿に同宿した「私」は、夜の床で旅僧から不思議な怪奇譚を聞く。それはまだ旅僧(宗朝)が若い頃、行脚のため飛騨の山越えをしたときの体験談だった。若い修行僧の宗朝は、信州・松本へ向う飛騨天生峠で、先を追い越した富山の薬売りの男が危険な旧道へ進んでいったため、これを追った。怖ろしい蛇に出くわし、気味悪い山蛭の降ってくる森をなんとか切り抜けた宗朝は、馬の嘶きのする方角へ向い、妖しい美女の住む孤家へたどり着いた。その家には女の亭主だという白痴の肥った少年もいた。宗朝は傷ついて汚れた体を、親切な女に川で洗い流して癒してもらうが、女もいつの間にか全裸になっていた。猿やこうもりが女にまとわりつきつつ二人が家に戻ると、留守番をしていた馬引きの親仁(おやじ)が、変らずに戻ってきた宗朝を不思議そうに見た。その夜、ぐるりと家の周りで鳥獣の鳴き騒ぐ声を宗朝は寝床で聞き、一心不乱に陀羅尼経を呪した。翌朝、女の家を発ち、宗朝は里へ向いながらも美しい女のことが忘れられず、僧侶の身を捨て女と共に暮らすことを考え、引き返そうとしていた。そこへ馬を売った帰りの親仁と出くわし、女の秘密を聞かされる。親仁が今売ってきた昨日の馬は、女の魔力で馬の姿に変えられた助平な富山の薬売りだった。女には、肉体関係を持った男たちを、息を吹きかけ獣の姿に変える妖力があるという。宗朝はそれを聞くと、魂が身に戻り、踵を返しあわてて里へ駆け下りていった。
「高野聖」は泉鏡花の最高傑作の一つと言われます。ときに鏡花28歳でした。この小説に素材を提供したのは、友人の体験談でした。「麻を刈る」に述べられているように、この体験談をヒントにして鏡花一流の夢幻的空想をほしいままにした。息のかかる人間たちを次々に馬、牛、蟇蛙などに変えてしまう美女は中国の怪奇譚「三娘子」に拠った。富山の薬売りが美女に惑わされて馬にされ、馬市に売られる話もこの「三娘子」からとったものである。もう一つ作者のネタ袋には上田秋成の雨月物語の「青頭巾」がある。雨月物語は鏡花の愛読書の一つであった。「高野聖」の女主人公と同じように妖怪変化ではなく人間であり、他国から12,3歳の少年を連れてきて生活の助けとし、それによって人界を脱する存在となる点、そして旅僧が誦経して難を逃れる点など共通する共通している。文章も似ているといわれる。「高野聖」はもっと派手に妖艶に仕立て上げた。そして上田秋成と泉鏡花の系統は日本文学中の一筋の流れをなしている。そしてそれは川端康成にも及ぶかもしれない。説話体で語られ、事実は語り部の感覚に染められ、主観的、ロマン的作風にふさわしい文体である。しかしこの神秘的・非現実的題材・思想の一面において、主人公の女は妙に現実的で俗っぽい下町風の世話女房を演じるのである。これが鏡花好みの女性であろう。この美女が白痴の夫にかしずくところが鏡花のマゾヒスチック的な性的倒錯世界である。すなわち現実離れした趣味嗜好と俗っぽさが入り乱れ、鏡花文学の妖艶世界を醸し出して世に受けたのであろう。奇怪な性的倒錯、マゾヒズム、豊肥妖艶への肉欲が官能小説に陥る寸前で、美に対する一途な心で救われている。改まって言うと、恋愛賛美、女性崇拝、ブルジョワ的俗悪や家族制度への嫌悪などが、明治中期における道徳や封建的感情に対しての鏡花のアンチテーゼとなっているといえます。

3) 『眉かくしの霊』(1924年、苦楽)小説

  鏡花のSM的嗜好が表れているのが「眉かくしの霊」。幽霊と虐げられた女が二重三重に重なり合う。境が宿の風呂に入ろうとすると先客がいる。どうやら女性客らしい。事情を話すと宿の者が青ざめる。実はそれが「お艶様」の幽霊。この「お艶様」と呼ばれる幽霊がなぜ出るようになったのかという因縁話を伊作という料理人が語る。それが実に奇妙な姦通(まおとこ)事件。夫を東京に残したまま、若夫人が地元に帰ってきて姑との二人暮らしを始めたが、この姑が吝嗇で傲慢なその名も「大蒜屋敷の代官婆」。あるとき大蒜屋敷に東京から夫の友人という画師(えかき)がやってきた。まんまと代官婆の仕組んだ罠にはまった若夫人は画師と二人きりでいるところに踏み込まれてしまう。若夫人は後ろ手に縛られ、裸のまま村内を連れまわされる屈辱を受ける。しかし、幽霊として現れるのはこの若夫人ではない。お艶はこの姦通事件に巻き込まれた画師を助けようと東京からやって来た芸者である。奈良井の鎮守のお社の奥に桔梗ヶ池という池がある。そこに「奥様」と呼ばれる幽霊が出る。奥様というのは眉を落としているからだが、お艶は私のような愛人がいながら、画師が木曽街道の女などに手を出すわけがないというはずが、自分より美しいかもしれない「奥様」がいると聞き戸惑う。懐紙で眉を隠してお歯黒のお艶は、「奥様」にぴたりと重なり合う。「奥様」についての因縁は何も語られることはない。しかし、「若夫人」「お艶」「奥様」が現世における被虐、死、幽霊の象徴として二重三重映しに現れるのである。
一人の画家が引き起こす芸者お艶さんと妻との三角関係に、代官婆の嫁虐待が絡み、多少ややこしい人間関係です。そして眉かくしの女の身分や死に至った事件などは省略され理解に苦しむ点がある。話の筋書きも不自然である。大正10年の未完の長編「彩色人情本」がその話を肉付けするつもりであったようだ。鏡花晩年の作品です。鏡花はお化けの存在を信じ、またしてもお化けの物語、幽霊の出る小説を書いた。現実と非現実との連鎖を信じ、容易に彼岸の世界に移行する鏡花はこの意味では前近代的であるといえる。本人が彼岸の世界を信じているかどうかは知らないが、現在の作家では浅田次郎氏もそうである。口碑伝説に残る怪異は、むしろ鏡花に取って魂の故郷なのであろう。画家のモデルは鏡花自身であった。だから「眉かくしの霊」は小説「彩色人情本」」も舞台化脚本であったようだ。雪の山家の真っ白の情緒が幽霊を出したくなる風情なのである。そして鏡花が描きたかったのは、この風情、この情緒にしたたり出現する美女の面影である。つまり本作品は散文の骨子を省略した、情緒、場面に陶酔する詩人の魂である本作品については。筋書きを追うなということである。

4) 『夜叉ヶ池』(1913年、演芸倶楽部)戯曲

  夜叉ヶ池の龍神伝説を題材としている。ゲアハルト・ハウプトマンの『沈鐘』が元ネタといわれている。激しい日照りが続いていた大正二年のある夏の日、岐阜県と福井県の県境にある三国岳の麓の琴弾谷のある村に一人の男がやって来た。諸国を旅する山沢学円という学者兼・僧侶である。偶然出会った百合という美しい女性に山沢は語った。一昨年のこと、萩原晃という自分の友人の学者が各地に伝わる不思議な物語の収集に出たまま行方知れずになり、その足跡を辿って諸国を旅しているのだと。そこへ百合の夫という男が現れる。その男こそ萩原であった。久々の再会を喜ぶ山沢に、萩原は自分がこの地に住み着いたいきさつを語る。一昨年、この地を訪れた萩原は、村で鐘守を務める老人と出会った。彼によると、昔、よく暴れ回り大水を起こしていた龍神を行力によって、三国岳の山中にある夜叉ヶ池に封じ込め大水を終息させた時、人間との誓いを龍神に思い出させるために、村では昼夜に三度鐘を鳴らさなければならない決まりになっているという。この決まりを現在も一人厳格に守っていたその老人が死んだため、その意志を継ぐべく百合と結婚して村に留まり、鐘を撞いていたのだった。夜叉ヶ池の龍神・白雪は、剣ヶ峰の恋人のところに行きたくて仕方がないのだが、彼女が動くと大洪水となってしまうためなかなか行く事が出来ず、眷属たちが止めるのと萩原と百合が鐘を撞くのを疎ましく思っていた。その頃、村では代議士・穴隈鉱蔵や神官・鹿見宅膳が年頃の若い娘を雨乞いのため夜叉ヶ池の龍神への生贄にしようという、恐ろしい提案を行なっていた。そして生贄に選ばれたのは、なんと百合だった。夜叉ヶ池を見に行った萩原と山沢の留守中に、村人たちが百合を強引に連れ出してしまう。騒ぎに気付いて駆け付けた萩原と村人たちとの押し問答のさなか、百合は悲嘆のあまり自害してしまう。これに怒った萩原は撞木の縄を切り鐘を撞けないようにして、百合の後を追った。かくして、鐘を撞く誓いがついに破られ、白雪は剣ヶ峰の恋人のもとへ飛び立たんと、天翔けていった。その時、夜叉ヶ池の水があふれ出し、大洪水となって村を押し流してしまったのであった。
大正期の鏡花戯曲の双璧をなすのは「夜叉ヶ池」と「天守物語」です。おしなべて妖怪の出て来る鏡花の戯曲には、そのモティーフと構成において似ているところが多い。第1に妖怪は必ず水に縁がある。その水は人間に対して洪水のような害もあるが、選ばれた人間に対して、彼らが人間性を捨て妖怪とともに新たな生を生きる契機となる。天守物語においてはこの舞台に水は表れてこないが、天守夫人富姫が元舌を噛んで自害した受難した人妻で、その恨みによって何年も洪水が続いたという。俗世間と選ばれた人間の対立を契機として展開し、最後には人間が妖怪の庇護によって救われるか、あるいは霊界に蘇生するというパターンが多いので、水は人間社会と妖怪世界を画するための必須のエレメントであった。戯曲「夜叉ヶ池」は、鏡花が共約したハウプトマンの「沈鐘」の影響がみられる。夜叉ヶ池の主は龍神の白雪姫であり、鯉、蟹、鯰といった魑魅魍魎の眷属を従えている。白雪姫も妖怪である。鐘を一日に3回つけば人の社会を守るといった人間との約束を固く守る律儀な妖怪である。その約束が何百年も続いているのである。人間の娘である百合の子守歌を聴いて心打たれるという優しさを持つ女の妖怪である。しかしこの約束は隙あらば村中を洪水の中に沈めてやるという破壊的な意思を持つ妖怪との一触即発の危機をはらんでいた。妖怪の破壊から村を守っているのは人間の中の美しい人間の心情であった。白雪姫と百合は相似形的な存在関係で、龍神になる前の白雪姫が人間であった頃百合と同じように旱の人身御供にされ夜叉ヶ池に身を沈められた経歴があった。人間社会と妖怪世界との間の緊張した対立関係には、人間と妖怪のどちらが倫理的かというパラドックスを抱えているのである。

5) 『天守物語』(1917年、新小説)戯曲

 時は封建時代で、ある城の天守閣。自害し、死後何度も洪水を起こした妖しい夫人富姫は魔のものとなっている。白鷺城の最上階にある異界の主こと天守夫人の富姫が、侍女たちと語り合っているところへ、富姫を姉と慕う亀姫が現れ、宴を始めます。その夜、鷹匠の姫川図書之助(ずしょのすけ)は、藩主播磨守の鷹を逃した罪で切腹するところ、鷹を追って天守閣最上階に向かえば命を救うと言われ、天守の様子を窺いにやってきます。しかし富姫に二度と来るなと戒められて立ち去りますが、手燭の灯りを消してしまい、再び最上階へと戻り火を乞います。すると富姫は最上階に来た証として、藩主秘蔵の兜を図書之助に与えますが、この兜から図書之助は賊と疑われ、追われるままに三度最上階へ戻ってきます。いつしか図書之助に心奪われた富姫は、喜んで彼を匿いますが、異界の人々の象徴である獅子頭の目を追手に傷つけられ、二人は光を失ってしまいますが。
「天守物語」と「夜叉ヶ池」は極く近い関係にあることは明白である。天守夫人富姫は龍神白雪姫に似ている。舞台も天守と夜叉ヶ池が出てくる。天守物語には夜叉ヶ池にような大洪水のシーンは無いが、城の垂直的な空間があって、5層以上は人の入れない妖怪の空間、それより下層の空間は人間社会である。それが舞台の上に浮き上がるように工夫されている。この「天守物語」の幻想が、江戸期の随筆「老温茶話」のエピソードを核にして発展されたことは疑いようがない。地上と天守は一方が醜い人間の社会、他方が美しい妖怪の世界として対立する構図である。播州姫路の白鷺城の5層に住む富姫のもとに、猪苗代の姫君(むろん妖怪だが)亀姫が猪苗代亀城の主武田衛門介の生首を土産に持って富姫を訪問する。この光景はサロメの舞台と同じである。おどろおどろしい魔界の世界である。白鷺城の聖所に登ってきた圖書介を一目見るなり富姫は恋に落ちるのである。天守を囲んだ播磨守の軍勢が押し寄せ、妖怪のメタフィーとしての獅子頭の目を傷つけ、二人は失明し、もはやここまでかと思われたとき工人の近江之丞桃六が鑿で目を修復し、二人は目が見えるようになるという大団円を迎える。

映画化された作品も少なくない。最後の映画だけを記すと、「滝の白糸 」は1956年版(大映) 出演・若尾文子、菅原謙二、「婦系図 」は1962年版(大映) 出演・市川雷蔵、万里昌代、「歌行燈」は1960年版(大映) 出演・市川雷蔵、山本富士子、「日本橋 」は1956年版(大映)出演 淡島千景、山本富士子、若尾文子、「折鶴お千」は1935年(松竹) 出演・山田五十鈴、夏川大二郎、「白夜の妖女」は1957年(日活) 出演・月丘夢路、葉山良二、滝沢修、「みだれ髪」は1961年(大映) 出演・山本富士子、勝新太郎、「夜叉ヶ池」は1979年(松竹) 出演・坂東玉三郎、加藤剛、山崎努、「陽炎座」は1981年(日本ヘラルド映画)出演・松田優作、大楠道代、加賀まり子、「草迷宮」は1983年(東映) 出演・三上博史、伊丹十三、「外科室」は1992年(松竹) 出演・吉永小百合、加藤雅也、鰐淵晴子、「天守物語」は1995年(松竹)出演・坂東玉三郎、宍戸開、宮沢りえであった。 これだけ映画化(舞台化)されているのを見ると、泉鏡花の作品は筋書き展開の面白さ、舞台スペクタクルの華やかさに特徴があるようだ。これらの作品を読む人は、恐らく舞台背景やセリフや演技を想像して描きながら読んでいると思われます。舞台コンテが書きやすい作品ばかりです。その点心理描写はありません。心理描写は鏡花の嫌いだった自然主義小説に任せたらいいのでだろう。鏡花は小説家というより、脚本家、シナリオライターというべきかもしれない。


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