文藝散歩 

 今昔物語  福永武彦訳 ちくま文庫

平安末期の説話文学の宝庫    さあー都大路へタイムスリップ


平安朝の文学はこの今昔物語によって、全く異色な世界を展開した。一方の極に華麗な貴族文化「源氏物語」、「枕草紙」、「和歌集」を生んだが、王朝文学とは全く異質な文学を対極に生んだ。それが今昔物語である。今昔物語に扱われた題材から推して、今昔物語が作られたのは平安朝も末期に近い12世紀の前半と考えれている。いわゆる院政期の時で世の中は武家階層の台頭で動揺しつつ不安な世相であった。今昔物語は創作ではなく説話集であるので、著者は恐らくは無名の書記僧ではなかったかといわれる。説話の教訓的落ちに仏法臭いところがあり、今昔物語の構成は天竺・震旦・本朝の三部構成で、本朝篇に「仏法」が含まれているので、仏教に詳しい者でなければ書けないからだ。全体で1040話からなる膨大な作品群である。本書は福永武彦氏が選んだ本朝篇からの作品155話を紹介したものである。今昔物語の本文は漢字片仮名交じり文で、いかにも固い印象である。女性が優美なひらかな文を使用したのに比べると漢字片仮名交じり文ははっきり男性の文である。同じ口語表現とはいえ独特の単語や言い回しは永く男性の教養として伝えられ、明治以降の森鴎外の名文に結実した。何と言っても今昔物語の魅力は題材の豊富さ、幅の広さにある。天皇・貴族、僧、随身、舎人、武者、下人の女、強盗、乞食、農民、商人、果てには狐や猪まで登場する。題材の新鮮さと描写の巧みさには舌を巻くものがある。しかし描き方は情緒や心理、切ない気持ちのほうへは向わずに、ドライに事を述べ人の有様を描くことで終わる。これはあくまで男の発想である。

「今は昔・・」で始まる、今昔物語は31巻からなり、天竺(第1巻から第5巻まで)・震旦(第6巻から第10巻まで)・本朝(第11巻から第31巻まで)の三部構成である事は先に述べたが、訳者福永武彦氏は、似たような話を類別して第1部(世俗)、第2部(宿報)、第3部(霊鬼)、第4部(滑稽)、第5部(悪行)、第6部(人情)、第7部(奇譚)、第8部(仏法)に分けておられる。氏の分類に従って作品を紹介するのが私の務めである。話の最後の一、二行に付け足しのような抹香臭い教訓を垂れるところがあるが、話の面白さには何の関係もないので無視する。

日本文学にもこの今昔物語に材をとった作品は多い。有名なところでは芥川龍之介の「鼻」、「芋粥」をはじめ、杉本苑子「今昔ファンタジア」や、田辺聖子「今昔まんだら」、そして訳者福永武彦氏は「風のかたみ」を始め19作品を今昔物語から取っている。訳者福永武彦氏は本書を1964年河出出版より発刊した。ちくま文庫本は1991年の発刊である。福永武彦氏は異色の知的作品の作家として知られているが、むかしは韻律詩の習作をし、長い療養生活の間に作品を書き、学習院大学仏文科教授のかたわら作家活動をしていたが1979年に亡くなった。


第一部 世俗

一話 「夜の町から家来が現れる話」

関白藤原道長(宇治殿)に仕えていた護持僧明尊僧正が宇治殿の使いで三井寺に行く時、警備に平の到経が付き添った。御殿から出発するときは到経一人で徒歩のお供であったが、2町行くごとに二人の騎馬武士が寄り添い、賀茂の河原を出る比には総勢30人の騎馬武士に守られ、無事任務も果たして帰洛できた。この周到なお膳立てに驚いた明尊僧正が宇治殿に報告したが宇治殿は平然と到経の采配を知悉していた様子だったという話。勇猛でかつ冷静な振る舞いはしたたかな武人の代表みたいだ。武士階級の実務に長けた振る舞いを称賛する話となっている。

二話 「無我夢中で賊を切り倒す話」

陸奥の国司で橘則光は武士ではなかったが胆力備わり、思慮も深く、力も強かった。宮中の宿直所から女の家に通う途中、次々と襲ってきた強盗3人を、無我夢中で見事に刺し殺したと云う話。並外れた胆力を賞賛する点で全段と似ている。

三話 「童の機転で大の男が助かる話」

前段の橘則光の子である駿河の国司橘季通の太っ腹で沈着した行動が童の機転をえて身を助けたと云う話。身分の高い人の屋敷に住んでいた女房にしのんで会いに来ていたが、ある日、その屋敷にいる侍どもが則光に恥をかかせてやろうと、屋敷を塞がれて逃げ出すことが出来なった。そこで季通の召使の童が往来で女童の身ぐるみを剥いで騒ぎを起し、警護の侍が往来へ飛んでいった隙に屋敷を脱出することが出来た。前段の父則光も子の季通も女好きで問題を起しそうになったときに、冷静な胆力の備わった行動で難を避けたと云う話である。男の危機も胆力で救われた。

四話 「大力の僧が賊をいじめる話」

比叡山の西塔に実因僧都と云う、とんでもなく力の強いそ僧がいた。内裏での加持祈祷の修法が行われて帰途、負ぶってあげようと云う泥棒が現れた。僧都はそれと分って、足を相手の腹にからめて絞り上げた。痛みに耐えかねた賊が僧都の云うことを聞いてあちこちに月見に出かけたと云うお話。騙そうとした賊が逆に僧都にいたぶられたと云う話である。ありえないことだが面白い。ユーモアに満ちた落語のような話。

五話 「蛇と力競べをした相撲人の話」

丹後の国に海の恒世と云う相撲取りがいた。川に遊びに行ったとき、蛇に足を絡まれて引きずり込まれそうになったが、満身の力を込めて踏ん張ると、蛇の体がちぎれてしまったと云う話。百人力の力持ちの相撲取りの話である。庶民の怪力伝。


六話 「人質の女房が力を見せる話」

前段と同じ庶民の怪力伝。甲斐の国の大井光遠と云う相撲人の妹がまた怪力の持ち主であった。ある日人に追われた男がこの女房の部屋に逃げ込んで、女房に刀を差し当て抱きしめて人質に取った。ところがこの女房が指先で矢柄を潰すのを見て恐れをなした男は一目散に逃げ出した。とんだ怪力を見て女房にひねり殺されるより逃げるが勝と見た話。

七話 「田んぼの中に人形を立てる話」

高陽の親王の京極寺荘園で、ある夏ひどい日照りで田んぼも賀茂川も干上がってしまった。親王は四尺ばかりのからくり人形を作って田んぼの中に置いた。両手に抱えた器に人が水を注いで一杯になると顔に水をかけると云う人形だった。面白がった見物人は毎日水を持ってきては人形に注いだ。そして親王の田には水が満ちて旱魃を避けられたと云う話。できた話だが、細工の上手、腕のよさが危機を救ったということだ。

八話 「絵師が大工に敵討ちをする話」

百済の川成という絵師と飛騨の工という大工の技量の較べ合いの話。大工の作った4面の堂に入ろうとすると扉が閉まる仕掛けと、そっくりの死骸の絵に驚かされると云う話である。前段と同じ工の腕のよさを讃える。

九話 「碁の名人が女に負かされる話」

殿上法師仁和寺の寛蓮は醍醐天皇の碁のお相手をする名人で世の評判であった。内裏から仁和寺への帰途、ある女に誘われて碁の勝負をしたが、置目なしで寛蓮の石は散々に囲まれては殺された。恐れをなして寛蓮は逃げ帰ったと云う話。その女の正体は分らず終い、変化の者かも知れないと取り沙汰された。名人の上にも名人がいるという戒めか。

十話 「瘡を治させて逃げた女の話」

典薬頭で腕のいい医師がいた。貴人らしい女が股のできものを治して欲しいとやってきたが、医師は後でものにしようとスケベ根性で、懸命に治療して瘡は治ったが女には逃げられたという残念な話。大笑いになったのは医師の方で、女は賢明だと専らの噂。文章は結構艶めかしく書かれている。


十一話 「蛇の嫁いだ娘を治療する話」

河内の農家の娘のほと(陰)に入った蛇を、医師が調合した薬で追い出して殺したが、三年後また蛇が娘に入って娘は死んだと云う話。この話は医師の力、薬の効能をほめてはいるが、なんかおかしい。蛇は昔から男根の象徴で、三年後に再び別の蛇が娘を襲うと云う設定は何を意味するのか。蛇の執念の勝利のようにも思える。

十二話 「地神に追われた陰陽師の話」

文徳天皇の御陵を選定する大納言安倍の安仁と陰陽師滋岳の川人が、地の神を怒らせて命からがら逃げて、嵯峨寺で体を隠すことが出来たと云う話。地鎮祭(地を裂く式)に失敗して、神が暴れ逃げ惑って陰陽師の祈祷で難を逃れたと云う平安時代。

十三話 「天文博士が夢をうらなう話」

近江の国司のところで穀蔵院の使いが都に帰る途中、陰陽師で天文博士の弓削の是雄に夢占いをしてもらったところ、家に帰ると殺し屋が丑寅の方角に隠れている。弓で追い出すと姿を現すだろうというお告げを貰った。京の家についてから言われた通りやるとなんと女房の頼みで自分の命を狙う僧が隠れていた。妻と主の僧が出来ていたので、帰ったら殺してしまおうと隠れていたと白状した。長年連れ添った妻でも心を許してはならない。霊感あらたかな陰陽師に命を救われた話。

十四話 「陰陽師の子供が鬼神を見る話」

賀茂の忠行と云う陰陽師の子に保憲と云う子がいた。保憲が鬼神を見たというので、良く教育してやると立派な陰陽師に成長したと云う話。暦を作ることが出来るのはこの賀茂家以外にない。

十五話 「死んだ妻が悪霊となる話」

ある男が長年通っていた妻を捨て、別の女のところへ行った。妻は嘆いて思い死にした。その家で白骨の死体となっていたが髪の毛は抜けず恐ろしい形相であった。男はきっと祟り殺されると思って、ある陰陽師に相談したところ、身の毛のよだつような思いをするかもしれないがじっと我慢をすれば遁れられると教えた。陰陽師のいうように妻の白骨死体にまたがって髪の毛を掴んで離さないようにしていると、夜になって白骨死体はやわら起き出して、町を走り出した。必至にしがみついて手を離さないでいると、事は収まった。そうして男は難を逃れたと云う話。妻を無碍なく捨てることはしてはいけないと云う教訓。


十六話 「朱雀門の倒れるのを当てる話」

登照と云う僧は相見の名人であった。ある日朱雀門の前を通りすぎる時、人の顔に死相が見られたので、ひょっとすると朱雀門の倒れるではないかと思い、人々に向って逃げろと叫んだ。するとどーっと朱雀門が倒壊したではないか。うまく逃げた人は助かり、バカにして逃げなかった人は死んだ。死相をみて功徳によって難を逃れることもあると云う話。

十七話 「算道で女房どもを笑わせる話」

丹後の国司高階の俊平朝臣の弟でぐうたらをしている男があった。藤原の実成卿のお供で九州大宰府の行った時、宋人から算木に術を習った。随分上達したので宋へいってさらに算道を勉強すれば、算木で人を呪い殺すことも教えてやるといわれたが、この男は結局京へ戻ってしまった。すっかり落ちぶれてしまった男は僧になったが、俊平朝臣の家でぶらぶらしていたので、女房におかしな話の一つもして笑わせてごらんと言われたので、算木を取り出して術を施すと女房は狂い笑いを起したと云う話。算道と云うのは恐ろしい術だということ。

十八話 「玄象の琵琶が鬼に取られる話」

村上天皇の御時、玄象という琵琶が内裏から不意に消えうせた。源の博雅は管弦の道を究めた人で、ある夜南の方角から琵琶の音が聞こえてきたので、探しに出かけた。羅生門の上から琵琶の音が出ていたのである。子細を話すと門の上から琵琶がするすると下りてきた。天皇は喜んで鬼が取ったのだと仰せになったと云う話。

十九話 「和歌を添えて鏡を手放す話」

大江の定基朝臣が三河の守のころ、世の中は飢饉で人々は困窮していた。大宮人の困窮も同じで、女の人の大事な鏡を売りに来たので定基はその鏡を見ると、添えられた和歌には鏡を惜しむ気持ちが込められていた。そこで定基は鏡に添えて米十石を女に送った。和歌を読んで人の情けを知る話。

二十話 「前の妻が和歌を詠んで死ぬ話」

十五話とおなじく男に捨てられた妻が、男の言葉を待ちつつ死んでしまう。是を知った男の主、筑前の守源の道済が男の無常なやり方に怒って男を追い出した話。人の情けを知らない男の末路の話。


二十一話 「無学の男がわからぬ歌に怒る話」

播磨の守高階の為家朝臣の佐太という侍がいた。年貢取立てに行った郡司の家にいた美しい哀れな下女に懸想をいたし、強引に口どいたが、女は和歌を詠ってやんわり断った。佐太はこの歌の意味が理解できず怒り狂って郡司に当り散らしたので、為家守は事情を知ってこの佐太を追い出した。女には着物などをやった。人情を知らぬ男の末路の話。前段に同じ。

二十二話 「東国の武士が一騎打ちをする話」

源の宛と平の良文と云う二人の武士がいた。互いに武勇を競っていたが、ついに一騎打ちで雌雄を決めようではないかと云うことになった。何度も矢を射たが決着が付かず、互いの手並みを認めて親友の付き合いとなったと云う話。武士と云うものはこういうものだ。

二十三話 「親の敵と知って討ちとめる話」

上総の守平の兼忠がその子余呉将軍維茂を招いて宴を張った時、維茂の従者太朗介と云う男が、兼忠の侍の親の敵である事がわかり、この侍は太朗介を闇に紛れて討ち取った。この話は親子の信頼関係と侍の敵討ちが絡んだ複雑な展開となるが、敵討ちをした侍は尊敬されたということで終わる。

二十四話 「大盗袴垂にねらわれる話」

大盗賊袴垂が付けねらった相手が、肝大きく強力無比の摂津の国司藤原保昌で、結局威圧されて襲うことが出来ず降参した盗人の話。保昌は武家の家柄並みに扱われた。

二十五話 「約束を信じて人質を許す話」

河内の守源頼信朝臣とその乳兄弟藤原の親孝が上野の国に赴任していた比、盗人が親孝の家に入り見つかって、その子を人質にとり刃を突きつけて物置へ逃げ込んだ。親孝は醜態したが、頼信は盗人に問いただし、殺すつもりはなく逃げたいだけに人質を取ったのなら、逃亡を許すから人質を離せと云う説得した。盗人は同意したので、道理に従って、盗人に食糧と馬を与えて放免したという話。信が置ける頼信の武士としての威信は揺ぎ無いものになった。

二十六話 「親子で馬盗人を追いかける話」

前段と同じ河内国司源の頼信朝臣と云う武士の話。東国から名馬が届いたのを聞いて息子の頼義が頂戴しようと来たが、その夜馬盗人馬を盗まれ、親子で盗人を追跡し、逢坂山の麓で盗人を息子の頼義が討ち取り馬を取り返した。そして頼信はこの馬に立派な鞍をつけて息子に褒美としてあげた。武士は誠にこうした心構えを持つべきだ。


第二部 宿報

二十七話 「鷲に赤んぼを取られる話」

但馬の国のある若い夫婦の赤ん坊が、鷲にさらわれ行方不明になって十余年が過ぎた。この父親が用事で丹後の国に出かけた折り、「お前なんか鷲の食い残しじゃないか」といじめられている女の子を見て、その家の主に故を聞いたところ自分の子供が鷲にさらわれた時期に一致した。顔も良く似ており間違いなく自分の子だと喜んだ。養い主の親とも親子縁組をして、その女の子は二組の親と仲良く暮らしたと云う話。親子の縁、前世からの宿報に落ち着く。

二十八話 「蕪とまじわって子ができる話」

京から東へ下る者がある場所で淫欲を我慢できず、蕪に穴を掘って射精した。その蕪を食べた農家の娘がなんと子供を生んだ。男が何年かして再び都へ帰る途中、冗談に蕪に穴を掘って射精したことを喋ったのを聞いた娘の母親が問いただし、子供と面会させたところ男と瓜二つなので是も宿縁と男は娘と結婚をしその村で親子三人が仲良く暮らしたと云う話。前段におなじ親子の縁、前世の宿報と云う落ち。

二十九話 「洪水に流されて木にすがる話」

美濃の国の因幡河はよく氾濫する川であった。ある年例年になく出水し、屋根ごと水に流されゆくうちに、家に火がつき家族は皆死んだようだったが、一人男の子が水に飛び込んで流された。運よく枝にしがみついて溺れなかったが、水が引いてみると断崖の木の枝の股にしがみついていた。そこで村人は下にありとあらゆる網を張って、男の子を受け止め命を救ったと云う話。きっと前世の宿報がよほど強かったのだと噂しあった。

三十話 「危く密男とまちがえられる話」

藤原の明衡と云う博士が、さるところの女房と親しくなり、下人の小屋で密会をすることになった。小屋を貸した妻は別室で寝ていたが、その小屋の主は妻が間男と会うらしいと勘違いをして、間男を殺してやろうと密会の小屋に忍び込んだ。この下人の主は明衡の義理の弟の甲斐殿の屋敷で使われていた雑色で、明衡を見知っていたから、危いところでこの密男が明衡と判明し、明衡は殺されずに済んだと云う話。是も前世の縁。


三十一話 「生き埋めにされた子が助かる話」

陸奥のさる国の介(次官)に、権勢並ぶものがない兄弟がいた。兄は晩年に出来た子供をいつくしんでいたがふとしたことで母親が死に、子供が成人するまでは後添えを貰わないと決心した。しかし仕事が忙しいので弟夫婦に子供の面倒を見てもらっていた。そこに強引に後妻に押しかけた女をやむなく結婚したが、介が70歳と余命少ないので、女は自分の連れ子の女の子に財産が移るよう欲が出た。そこで使用人を自分の妹の夫にして抱きこんで、男の子を亡き者にしようと相談した。その男は介の弟の家に連れてゆくと子供を騙して、山の中に穴を掘って男の子を埋めた。しかし仏心が出たのか粗雑に土を被せ男の子は何とか息が出来た。介の弟は行方不明になった男の子を捜して助け出し、女と使用人の男を捉えて問い詰め白状させた。介殿の兄は怒り狂って殺そうとしたが、弟は子供のために良くないといって殺さず追放するだけという賢明な処置をした。愚かな後妻の欲望が身を滅ぼし、介兄弟とその子には益々権勢と福が授かった、めでたしめでたし。

三十二話 「生贄の男が猿神を退治する話」

山深い飛騨の国で道に迷った行脚の僧が、誘われるようにして別天地の隠れ里に入り、とんでもないもてなしを受け妻まで与えられた。おかしいと思いながら過していたが、ある日山奥の猿の神の神社に生贄にささげられる予定だったことが分った。この男は慌てず刀をもって神社に乗り込み、豪胆にも猿を4匹退治して村へ引き連れて帰った。そして村の長にも猿を見せて、こんな猿に脅かされて毎年生贄を出していた愚かさを分らせた。そのうえ神社を破壊して焼き払い、猿を懲らしめて逃がした。この男は村に住みつくことになり、村の長になって幸せに妻と共に暮らしたと云う話。

三十三話 「百足と戦う蛇に加勢する話」

加賀の国の漁民は七人一組で漁をしていたが、ある時暴風に吹き流されて島に漂着した。その島に住む蛇が風を起して漁民達を招いたらしく、漁民達に百足との戦いに助太刀してくれという。翌日大きな百足が海から現れ、島から大きな蛇との一騎打ちになった。戦い半ばになって漁民達は蛇に味方して矢を百足に射て、斧で百足の足を切り取って殺した。戦いに勝った蛇は感謝の印に漁民達にこの島に住むように勧めた。いちど村に帰って妻子を呼び寄せなければと云うことで、蛇に風を起して貰って村に帰り、島へ行きたい者を募り荷物も一杯持って船七隻に仕立て、加賀の蛇の神の分社にお参りして沖への風を吹かせ島に渡った。この島を「猫の島」という。畑を増やし土地を広げ豊かな生活を送ったという話。

三十四話 「無人島に住みついた兄妹の話」

土佐の国幡多の郡の農民が船で別の浦にある田に出かけた時、幼い兄妹を船に残して用事に出た。潮が上り風が吹いて船は沖に流され,はるか南の島に漂着した。苗や鍬や農具も船に積んでいたので、その島で農業を始め生活することになった。そして成人した二人の兄妹は結婚して、子供を作り子孫は繁栄したと云う話。

三十五話 「犬の鼻から蚕の糸が出る話」

三河の国のある郡司には二人の妻がいて蚕を飼って糸を紡ぐを生業としていた。あるとき一人の妻の蚕が全滅したので、男はその妻を見捨てて通わなくなった。ただ1匹の蚕だけを貧窮した妻が養っていたが、あるとき飼っていた白い犬がその蚕を食べてしまった。すると犬の鼻から真っ白い糸がどんどん出てくるではないか。四、五千両ほども巻き取ったときに犬はばったり死んだ。犬の死骸を桑の木の下に埋めると、その桑から蚕が休みなく繭をつくって、この繭から見事な白い糸が取れたと云う。この糸は宮中へ収められ、代々「犬頭」という糸を内裏御用達に家柄になったと云う話。この話は「花咲爺さん」の筋と同じだが、薄情な男が気にかかる。


三十六話 「雨宿りをして金持ちになる話」

「上緒の主」といわれる兵衛の佐の男が都大路を東に向って歩いていると夕立に襲われ、ある小屋に雨宿りをした。腰掛けた石をはたくと銀であることがわかり、こっそり貰い受け産を成した。つぎに京の西の湿地帯を安く買い上げ、難波の海岸に生えた葦を大量に刈り取って、湿地帯を埋め立て土を持って家を建てた。その土地を隣の大納言が買い上げたので益々金持ちになったと云う話。目をつけた仕事がとんとん拍子にうまくゆくサクセスストーリみたい。運は確かにあるのかなという気にさせてくれる。

三十七話 「芋粥を食って飽きる話」

越前の国の有仁という豪族の婿になった利仁と云う侍はかって関白家につかえる侍だった。関白家で宴会があった時、大夫という侍が宴が終わった流れのご馳走で芋粥をさぞうまそうに食べているのを見た利仁は、この男を芋粥を死ぬほど食わせてやろうと越前に誘った。途中狐の伝言の話もいれて無事越前に着いた。地元の下人に命じて大量の芋を集め、五石いりの大釜を五つも炊いて芋粥を作って大夫という侍にさしあげたところ、男はげっそりしてもう結構でございますといったと云うお話。大夫という侍は1ヶ月ほど滞在して愉快に過ごし、帰りには色々なお土産を戴いた。

三十八話 「生まれた子の命を予言する話」

東国へ下る男が裕福そうな家に一夜の宿を借りた時、その家でお産があった。お産が終わったと見えた時、恐ろしい男が「年は8歳、命は自害」といって立ち去るのを聞いた。不思議なことと思ってその家を辞し、東国で8年を過ごし京へ戻る道すがら、礼をしようとあの家に立ち寄って、家の女主人に聞くと、生まれた男の子は8歳の時、木の枝を打ち払うため釜を持って登ったところ、足を踏み外してその釜が頭に刺さって死んだとさめざめ泣いて話した。それであの不気味な男の言葉の意味が判った。あれは鬼神だ。人の命は生まれる時には決まっているもんだと云う話。

三十九話 「愛欲の心を起した修行僧の話」

犬を使って山の猪や鹿を追う猟師は山へはいると、幾日も戻らない。いつものように猟師が山へ入った時のこと、若い妻が留守番をしていると修行僧がきてお経を唱えて食を乞うた。ありがたそうな僧に見えたので家に上げ話を聞くと、修行僧は陰陽道の祈祷や祭りも行うというので、3日の精進のあと山で祭りをすると云うので女はついていった。祈祷が終わると修行僧は若い妻に淫欲を覚え藪の中へ女を引きずり込んだ。僧が女の上になって欲望を満たしている時、がさがさと云う音を聞きつけた猟師が獲物に違いないと弓を一杯に絞って射かけると見事命中し、僧は死に絶えていた。妻を引き出して問うと仔細はしかじかということなので、僧を谷底に突き落として妻をいたわって帰ったと云う話。今昔物語ではめずらしく情けのある男である。

四十話 「下女に打ち殺された武士の話」

九州のある国の勇猛な武士が合婿と双六で遊んでいる時、口論となり力の強い武士は合婿の髪を引きずって殺そうとしたが、見ていた下女数人が手に持った杵で数発頭を殴って武士を打ち殺したと云う話。勇猛な武士が下女に殴り殺されるというあきれた話。

四十一話 「暗闇で矢を射かけられる話」

山城の国の里に二人の兄弟がいたが、弟が兄の命を狙って帰りがけの門のところで闇から弓を引いた。近くから射たのでよもや射損じることはないはずだったが、矢は兄の刀の目貫に当って撥ねとび、兄の命は救われたと云う話。


第三部 霊鬼

四十二話 「水の精が人の顔を撫でる話」

冷泉院の池のほとりに住む人が寝ている時、ひやりと頬を撫でるものがいて、人々は水の精と呼んでいた。腕自慢の男がいてその精を捕まえたが背の低い老人であった。自分は水の精だと名乗ってするりと水の中に逃げたと云う話。

四十三話 「内裏の松原で鬼が女を食う話」

光孝天皇の御代にこと、武徳殿の松原を三人の若い女房が歩いていたところ、見知らぬ男に声を掛けられた一人の女房が鬼に食われたのか、手足だけが残っていた云う話。

四十四話 「怪しのものが御燈油を盗む話」

醍醐天皇の御代に、仁寿殿の御燈油を真夜中に盗んで紫宸殿のほうへ逃げることが頻発した。天皇は源の公忠にその正体を正すよう命じた。ある夜公忠は仁寿殿に隠れて見張っていたが、怪しい者が油を盗んで逃げるときに飛びついて捕まえ足を蹴飛ばした。自分の足の爪が剥がれたが、相手の傷を負っているらしく、紫宸殿のほうへ点点と血の跡があったので、追跡すると紫宸殿の塗籠の間に血が流れていた。それ以来怪しい者は油を盗みにこなくなったと云う話。

四十五話 「安義の橋に現れた鬼女の話」

近江の守が安義の橋が通らずの橋になっているわけを知りたくて、馬のしりに油を塗って安義の橋を渡ろうとした時、鬼女が現れ守は一目散になんとか逃げたおうした。陰陽師に相談したら鬼は再び襲ってくるというので、厳重に物忌みをした。その日弟と云う人がやってきて母が死んだというので、家の中に入れたところ、弟を装った鬼は守を襲って食い殺されたと云う話。油断禁物ということか。


四十六話 「子を産みに行き鬼女に会う話」

身ごもった女房が人に知られないようこっそりお産をするため、南山科の山に入った。壊れかけたような家があったので、お産をしたいと申す出るとその家の老女は快く入れてくれ無事お産が出来た。子供と女房がうつらうつら昼寝をしているとその老女は「なんとうまそうな」とつぶやいている。是は鬼女だとばかり、女房は必死に逃れて京へ戻ったと云う話。

四十七話 「恋人と泊まった堂に鬼が出る話」

正親の大夫が若い頃、ある女房と恋仲になり、逢引の場所に七条大宮あたりのお堂を選んだが、真夜中になって女の童が出て、早く出て行くがいいという。そして命からがら逃げ出て戻ると、翌日女房が息を引き取ったと云う話。

四十八話 「鬼のため妻を吸い殺される話」

五位の位を貰うため東国から都に上った夫婦が、東六条あたりの河原の院に宿を取った。夜寝ているときに妻が隣の部屋に引きずり込まれ、傷一つないまま殺されたと云う話。

四十九話 「寝ている侍を板が圧し殺す話」

ある貴族の屋敷に仕える若い二人の侍が寝ずの番をしている時、棟から板が出てきた。おかしいと思った侍は刀に手をかけじっとにらんでいると、板は客殿でのうのうと寝ていた五位の侍に襲い掛かり押しつぶしたと云う話。

五十話 「近江の国の生霊が京に来る話」

尾張の国に帰る下郎が都大路を歩いていると、女にある屋敷の道案内を頼まれしぶしぶ送っていったが、近江の娘と名乗る女がその屋敷の中へ消え入るように入った直後、屋敷ではものものしい騒ぎが起き、屋敷の主が死んだと云う様子。いそいで帰国する途中近江のある村のその女の家に立ち寄ると、その女が現れ礼をされお土産まで貰って帰国したと云う話。なんでも屋敷の主は近江で妻にしていた女を捨てて都に帰ったので、恨んだ女の生霊が主を殺したらしい。


五十一話 「嫉妬心から妻が箱をあける話」

下総の守藤原の孝範は、美濃の国にある関白の生津の荘園も管理していた。この荘園の紀の遠助を都に派遣していたが、その男が美濃へ帰る時、瀬田の橋である女から箱を渡してくれるよう依頼された。決して中を見ないようにと云う約束で簡単に引き受けた紀の遠助は、箱を渡すのを忘れ家に持って帰った。妻がそれをいぶかしげに思い蓋を開けると人の目玉やまらが入っていた。慌てて約束のところで女に箱を渡したが、女の怒りを買い、その男は間もなく死んだと云う話。

五十二話 「猟師の母親が鬼になる話」

二人の猟師の兄弟が、猟に出て木の上で獲物を待っていたが、兄の髻を掴んでぐっと引き上げる腕があった。弟は驚いて矢を射ると手ごたえがあり周りに骨と皮の手首が転がっていた。家に帰ると母親のいる部屋からうめき声がするので、覗くと手のない母親が襲い掛かった。その母親は間もなく死んだと云う話。この話はどうも落ちがない。兄弟は母親に飯を食わしていたのだろうか。ひもじさに鬼になった母親こそ哀れだ。

五十三話 「人の姿をした鬼が射られる話」

播磨の国で死人が出たので穢れをはらう陰陽師に話を聞くと、鬼がやってくると云うことで厳重に物忌みをしていた。屈強の息子が思い切って弓を門にいた鬼に放った。当ったはずだが矢は撥ね返されたが、その後その家には何の祟りもなかった。どうも陰陽師が企んだ芝居らしい。

五十四話 「死んだ妻とただの一夜逢う話」

身分の低い侍が人の世話で遠い国に仕事を見つけ赴任するとき、長年愛した妻を捨て新しい妻と任国へ下った。任国では生活ぶりも良く任期が終わると京へ戻った。元の妻に会いたくなって荒れ放題の家に着くと、妻が一人座っていたので、ねんごろに一夜を過した。朝起きてみると自分の隣には枯れた骨と皮ばかりのかっての妻の死体が横たわっている。年頃夫を恋い慕っていた妻は思いつめて一人淋しく亡くなっていたのが、恋する夫と添い寝をしたのだろうと云う話。当時の男は身勝手で、女の哀れさがひとしお伝わってくる話に出来上がっている。

五十五話 「同じ姿の乳母が二人もいる話」

丹波の中将源の雅通の屋敷で、乳母が子供を遊ばせていた。しばらくすると左右から乳母二人が子供を引っ張り合いしているではない。中将は狐が化けて子供を取りに来たと思って、刀を抜いて近づくと一人の乳母は消えてなくなったと云う話


五十六話 「三善の清行が空き家へ引っ越す話」

善宰相といわれた三善の清行は学問教養も深く、非の打ち所もない人であった。五条掘川に空き家があったので買取り、先ず畳一枚を運びこんで一夜を迎えた。恐ろしく荒れた家で、その夜はものの怪が次から次へとあらわれたが、三善の清行は鬼神をにらみつけ、勝手に家にいついた鬼神を叱りつけ追い出した。そして翌日から掃除修理をしてその家に移り住んだと云う話。

五十七話 「応天門の上で青く光る物の話」

西ノ京に母親と住む二人の兄弟がいた。兄は侍で、弟は比叡山の僧であった。ある日弟は出かけたが、母親が急に様態が怪しくなり、兄は弟を呼びに出かけたところ、内裏の裏通りを歩いて応天門あたりに来ると青いものが光り奇妙な声を上げ、兄を追いかけてくる。その丸い光物に向って矢を射って一目散に逃げ帰ったと云う話。狐の仕業かもしれない。

五十八話 「印南野の夜に葬式が出る話」

西の国から飛脚が都に向う途中、播磨の印南野で日が暮れたので、どこかで寝ようと粗末な小屋に入った。すると鉦を叩き松明を持った大勢の人が念仏を唱えながらお棺を担いで近づいてきた。飛脚の男はじっと息を凝らしてみていたが、小屋の近くでお棺を埋め塚を築いた。人々が去ってから塚が動き裸の男が小屋のほうへやってくる。飛脚の男はきっと鬼に違いないと刀を構えて、表にさっと出る瞬間にその男を切りつけた。夜が明けて近所の農家の人々と小屋の前を調べたところ、切り殺された猪が横たわっていたと云う話。

五十九話 「女の童に形を変じた狐の話」

播磨の安高という舎人がいた。内裏の裏の豊楽院には人を騙す狐がいると云う噂を聞いていたが、ある夜女の童に出会ったので、組み伏せて衣服を剥ぎ取ろうとしたら、臭い小便をひっかけて狐が逃げていったと云う話。

六十話 「人に憑いた狐が恩を返す話」

物の怪に悩まされる病人がいたので、若い侍は巫女に憑き物をさせご宣託を聞いてみると、仏法加護の鬼神に取り込められているので開放してくれれば恩を返したいということであった。若い侍が応天門あたりを歩く時不気味なので狐を呼んで案内をさせた。盗賊集団にぶつかりそうになって難を逃れる恩返しを狐から受けたと云う話。


六十一話 「高陽川の狐が滝口をだます話」

仁和寺の東に高陽川が流れていた。暗くなるとこの川に近くで女の童に化けた狐が人をだますという。蔵人に仕える警備の武士で年少の滝口がその狸をつかまえようとある夕刻馬に乗って高陽川に来た。かわいい女の童が馬のお尻に乗せてくれと云うので、乗せてやって捕まえたが一度はうまくだまされて逃げられた。今度はしっかり捕まえて松明で狐の毛を焼くと、二度とこの狐は人前には現れなくなったと云う話。

六十二話 「産女の出る川を深夜に渡る話」

源の頼光が美濃の守に赴任していた時、川の渡し場に産女が現れて赤ん坊を抱かせるという噂があったので、頼光の四天王といわれた平の季武がこれを退治しに出かけた。三人の武士が物陰でこの様子を見ていたが、産女が季武に赤ん坊を渡して抱かせたが、季武は赤ん坊をしっかり自分の懐に入れて馬を走らせ館に戻った。そして懐から赤ん坊を取り出そうとすると、なんと木の葉があるだけであったと云う話。狐のいたずらだろうが、勇敢な侍を褒め称えている。

六十三話 「鈴鹿山の古堂で肝を試す話」

近江へ行く三人の男が鈴鹿山の古堂にさしかかった。鬼がいると云う噂で誰も近づかない古堂であったが、三人は肝っ玉を自慢する男達で鬼を試してやろうと古堂に入った。一人の男が途中で死人を見たので担いでくるといって出て行った。もう一人の男が先回りをして死体を谷底に転がし、自分が死体の代わりになって寝転んだ。それと知らぬ男はそれを担いでお堂に帰ったと云う話。留守番をした男も肝っ玉が大きいが、死体を担いだ男より、死体に化けたほうが肝っ玉が大きいかという。

六十四話 「山道で常陸歌を歌って死ぬ話」

歌のうまい近衛の舎人が使いで陸奥の国から常陸の国に越える焼山にを通った時、淋しい心を慰めるため二、三度常陸の歌を歌った。すると山奥で面白やと手を叩く声がした。この男はその夜宿屋で死んだと云う話。山の神がうれしくてその旅人を呼びこんだのであろうか。


第四部 滑稽

六十五話 「稲荷詣でに美人の女に逢う話」

近衛府の舎人らが伏見稲荷神社に酒、飯を持って参拝に出かけた。茨田の重方という舎人はたいそうな色好みで、妻も嫉妬心が強く日頃言い争いが絶えなかった。この日も参道にいたきれいな女に声を掛け、しきりにああだこうだと誘っていたがなんとその女は妻だったのだ。女は重方の髻をむんずと掴み、人々の面前で激しく罵った。こうして亭主に恥をかかせ重方に愛想をつかしたと云う話。

六十六話 「屈強の侍どもが牛車に酔う話」

摂津の守源の頼光の家来で、平の貞道、平の季武、坂田の金時と云う三人の武士は腕力に優れた兵であったが、賀茂の祭りを見物するため、馬で行くのも野暮ということで、人から借りた牛車に三人が乗って出かけた。途中激しく揺られ車酔いでへとへとになり紫野についたら地べたに寝てしまった。起きた時には祭りも過ぎて人々は帰るところだったと云う話。馬の上なら勇ましい武士といってもお門違いの牛車ではどうしようもなかった。

六十七話 「越前の守為盛が謀をめぐらす話」

藤原の為盛が越前の守でいた時、官庁に出す年貢米を一向に納めなかった。近衛府、衛門府、兵衛府の役人は米がなくては生活が出来ず困り果てて、為盛の屋敷に大勢で談判にでかけた。それを知った為盛朝臣は計をめぐらせ、わざと炎天下で数時間も待たせ、屋敷に入れると喉の渇いた役人に塩辛い魚や腐った酒に下剤の朝顔の種を磨り込んだ物を飲ませた。効果てきめん役人は腹を抑えて厠に走ったと云う話。為盛朝臣のなんと腹黒いいやがらせというかいたずらであった。

六十八話 「言葉咎めをして渾名がつく話」

一条の摂政殿の屋敷で秋期の御読経が行われた時、たくさんの僧侶が集まって話しに花が咲いていた。興福寺の中算と云う僧侶は「木立」をきだちと発音するのを、木寺の基僧(きでらのきぞう)と云う僧が咎めて、それはこだちというのが正しいといったところ、待ってましたとばかり興福寺の中算は、それではあなたの名前は(こでらのこぞう)と云うのだなとやり返したと云う話。

六十九話 「大事な場所で一発鳴らす話」

秦の武員と云う近衛舎人が禅林寺の僧の話を聞く場で、音も高く一発やらかした。皆は黙って笑いをこらえていたが、武員が「ああ死にたい」といったので座は爆笑になったと云う話。恥ずかしいところを逆手にとって笑いを取るとは機転の利いたことだ。

七十話 「名ある僧が長持ちに隠れる話」

祇園社の別当で感秀と云う色好みの僧がある国の守の奥方のところにこっそりしのんできた。この仕業に気づいた守は部屋に押し入ると、長持ちに鍵がしてあった。これは怪しいとにらんだ守は侍数人にこの長持ちを担がせて祇園社に持参させた。ところが祇園社の僧は別当がいなくては開けるわけにはいかないので騒いでいる時、長持ちの中から「別当がいなくても、所司が立ち会って開ければいい」という声がした。開けてみるとなんと当の別当がでてきて、大恥をかいたと云う話。恥をかかせるだけで我慢をした守も偉いが、とんちを聞かせて中から指示をした別当も面白い。


七十一話 「盗人をたぶらかして逃げる話」

内裏から夜更けてから帰る史がいたが、たいそう頭の切れる人で、車に乗るとまず衣服を脱いで畳みの下に隠し裸で車を歩ませた。車が美福門あたりに来た時、予期した通り盗人が現れ簾を開けると裸の史がいた。問うと「あちらの都大路であなた方のような人に私の装束を持っていかれた」と答えたら盗人は笑って引き上げたと云う話。盗人より一枚上手の役者でした。

七十二話 「御読経の僧が平茸にあたる話」

御堂関白の枇杷殿に住んでいた僧が宗像神社の境内で見つけた平茸を童といっしょに食べて中毒死した。関白殿はご同情になり葬式を出してやった。それを聞いた東大寺の僧は同じように平茸を食って平然としている。先ほどの僧が茸を食って死んだばかりなので、皆が不思議がって何故そんな危険なことをすると問うと、僧は「自分は死んでも道端に捨てられるだけですので、殿の同情にすがって葬式を出していただきたくて平茸を食いましたが死ねませんでした」と云う話。もともとこの僧は毒キノコを食っても当らない体だったと云う噂で持ちきり。

七十三話 「鼻を持ち上げて朝粥を食う話」

池の尾の禅智内供と云う僧の寺は大変栄えた寺であったが、禅智内供の鼻は顎に下まで垂れている大きな鼻であった。三日に一度は大きな鼻を蒸して、足で踏みつけ鼻の中の虫を追い出すと小さくなルということを繰り返していた。朝粥を食べるときは、慣れた弟子が食事係りについて板で鼻を持ち上げる役をおおせつかっていたが、ある日病気になって出られなくなったので、給仕の童に代理をさせた。童は禅智内供の食事の途中、急にくしゃみが出て板をはずしてしまった。鼻が粥椀の中へ落ち、えらいおしかりを受けた。禅智内供がいうに「他の偉い人の鼻を持ち上げて失敗したらもっと大変なことになる。馬鹿者め」、それに対して小僧は「この世の中にこんなひどい鼻の持ち主がほかにいるものか」といって、皆が大笑いをしたと云う話。芥川龍之介の小説に出てくる有名な小話。

七十四話 「米断ちの聖人が見破られる話」

20歳ごろから米を食べない坊さんが「米断ちの聖人」といわれ、天皇の帰依を受け神泉院に住んでいた。これを聞いた殿上人が好奇心から聖人の家に出かけて、米を食わない人の糞はどんなものかと興味を持ち厠を調べた。便に米がたくさん混じっているのでおかしいと思って部屋の畳の下を調べると、米の壺が隠してあったという話。人の尊敬を受けるために米断ちと称して、隠れて米を食っていた。それがばれて大いに恥をかいて逃げ出した。

七十五話 「尼と木こりが山中で舞を舞う話」

京の木こりが北山に入った時、山奥から尼さんたちが舞を舞いながら姿をあらわした。茸を食べたら勝手に体が舞いだしたのだと云う。木こりたちも茸を食うとやはり体が勝手に動いて舞を舞うではないか。この茸を舞茸と云う話。


七十六話 「猫に怯えた腹黒い大夫の話」

大蔵の大夫藤原の清簾は大和、伊賀、山城に荘園を持つ裕福な官であったが、猫が苦手で「猫恐の大夫」と云う渾名であった。大和の守藤原の輔公朝臣が租税の納入を清簾に迫っても言い訳ばかりで少しも収めなかった。そこで業を煮やした輔公朝臣は猫恐な清簾を屋敷に呼びつけ、部屋に押し込めてたくさんの猫を清簾にけしかけた。恐怖に陥った清簾に米蔵の出庫証文を書かせて年貢を領収したと云う話。平安時代も末期になると、年貢を納めない荘園主が多くなったと云う時代背景が見える。律令制の崩壊である。

七十七話 「亀に抱きつかれ唇を食われる話」

大蔵の大夫紀の助延は米を貸して蓄えも大きかったので「万石の大夫」と呼ばれていた。紀の助延が備後の国にゆき滞在していた時、家来連中が亀を捕まえて遊んでいた。なかでもいつも口からでまかせを言っている半馬鹿な家来がいて、その亀に向って自分の女房が逃げて姿を見せないのはこの亀に変身したに違いないといって、亀の口を吸おうとした。頭を隠していた亀が家来の口に噛み付いたのでえらい騒ぎになり亀の首を切り落として、亀の口を裂き歯を抜いてようやく亀をその家来の口から離したと云う話。大蔵省の官僚の話が二題続いた。今も昔も悪い大蔵官僚がいたものだ。

七十八話 「谷底に落ちても平茸を取る話」

信濃の国司で藤原の陳忠が任期を終えて京へ帰る途中、御坂で馬ごと谷底に落ちた。家来達はどうしたものかと思案していると、谷底からかすかに「籠に縄を長くつけて下ろせ」と云う声がしたので、主に違いないと思って引き上げた。軽いなと思っていたら籠には平茸が一杯詰まっていた。するとまた谷底から「もう一度下ろせ」と云う声がしたので、籠を引き上げるとずっしり重かった。2回目には藤原の陳忠が手に平茸を持って上がって来たので家来衆はびっくりしたと云う話。「受領は倒れても土を掴め」と云うことわざ通り、国司は取れるものはなんでもしっかり取ってくるものだと感心した。国司のえげつない物欲を半分冷かした話。

七十九話 「胡桃酒を飲んで溶けうせる話」

腹の中に寸白(寄生虫)を持っている女が生んだ子供が成人して信濃の国司として赴任した。歓迎会の宴席に胡桃ばかりの料理があるので、その国司は厭な顔をしたので、国の老人が怪しく思って酒に胡桃を混ぜた濁酒を差し出した。国司は実は自分は寸白男で飲むわけには行かぬといって水に溶けて逃げたと云う話。

八十話 「異端の術で売りを盗まれる話」

七月の暑い日、大和の国から京へ瓜を運ぶ大勢の下人がいた。途中下人は籠のなかから瓜を取り出して食っていると、杖を突いた老人が現れ喉が渇いたので一つ瓜をくれないかと頼んだが、下人らは断った。するとその老人は瓜を作って食べようと言い出し、懐から種をまくと瓜の蔓がすくすく伸びてたくさんの瓜を実らせた。老人はそれを採って食べ、人々にも配って食わせたが、その老人がいなくなると下人らの籠の中の瓜が一つ残らず無くなっていたと云う話。瓜を惜しんだから術を使われ瓜を盗まれたということ。


八十一話 「がま蛙を退治しようとした学生の話」

近衛の陽明門に人を転ばすがま蛙がいた。学生寮に一人のふざけた男がいて、この話を聞いてだまされるのは馬鹿だと広言して陽明門に出かけた。がま蛙が石になってうずくまっていたのを、飛び越えようとした。冠が飛び、散々石を踏みつけたが、大路で転んでしまって傷だらけになったと云う話。馬鹿な学生の話である。

八十二話 「自分の影におびえる豪傑の話」

豪傑を気取っている家来がいた。朝早く出かけるので妻が用意をしていたが、有明の月の光が差し込んで妻は自分の影を盗人と間違え、びっくりして亭主を起してら、亭主も自分の影に震え上がったと云う話。臆病なくせに強がる侍はものの役には立たない。

八十三話 「墓穴を宿とした二人の男の話」

美濃の国に行く下人が近江の篠原で夜になり雨も降り出したので、どこか雨宿りの宿を探したが、見当たらないので鼻穴(横穴式)に入った。この男は下人ながら分別もあり智恵もあったので、ずっと奥にはいって息をつめていると、また誰かはいってくる気配がした。その新参の男は神さんが住んでいるならお供えをしますといって、何かを置いて、それから荷物をどかっと置く音がした。下人の男は暗闇の中から手を出してお供えを掴むと餅が三個あったのですぐに食べてしまった。餅がなくなっているのに気がついた新参の男は肝を潰して逃げ出した。後には反物や絹、綿の袋がおいてあったので下人の男はそれらを頂戴してさっさと逃げ出したと云う話。肝っ玉の違いで損をする人、得をする人が分かれるということ。


第五部 悪行

八十四話 「宣旨により許された盗賊の話」

西ノ市の蔵に入った盗賊を、検非違使と放免らが取り囲んで捉えようとしていたが、盗人が言いたい事があると云うので、周りの人が止めるのも気にせず検非違使の指揮官「上の判官」が一人で蔵に入って盗賊と話しをした。そして内裏天皇に奏上し、宣旨により追捕しないことになった。夜になって、上の判官は蔵に入って盗人に天皇の宣旨を伝えると、盗人は涙を流して消えうせたと云う話。解せないが、ひょっとすると盗人は天皇家につながるものだったのか。

八十五話 「何者とも知れぬ女盗賊の話」

侍が京の町を歩いていると格子戸の家から男を呼び込む声がした。目の覚めるような女がいて、侍はその女と関係し幾日もその家でもてなしを受け、立派な衣装も貰ってなんとも不思議な優雅な生活を楽しんでいた。20日ほどたって女は自分の云うことを聞くかどうか問うと、男は命を掛けて誓うと答えた。鞭打ちの試練にも耐えた後、男は強盗の見張り番の役を引き受けさせられたが、立派に盗賊の役を果たすこと七八度に及んだ。二三年も経って、あるとき用事があって京の町に出かけて帰ってみると、家も蔵もすべてなくなっているという不思議な話。うまく女盗賊に使われた男のテレビドラマのような話。

八十六話 「世に隠れた人の婿に入る話」

身寄りのいない男がどこか婿の口がないかと探していたら、独り身で何不自由なく暮らしている女を紹介された。その女の家に通いだして、女が妊娠した頃、顔色の悪い人が現れ云うことには、女の親であるが生活の資は十分にさせていただくのでこのまま娘を御願いするということであった。蔵の鍵と近江の荘園の預かり状を置いていった。男は色々考えたあげく今まで通りいっしょに暮らすことに決心した。蔵の中に一通の手紙が置いてあって、むかし知人の加勢をして恥をかいて世の顔を出せぬ境遇になった。財産はあるのでどうぞ娘を宜しくと云う話。男なら労せずして生活できるうまい話だ。

八十七話 「人質の女房が凍えて死ぬ話」

下野の守藤原の為元の屋敷に強盗が入り、女房を人質にして逃亡したが、途中その女房の衣類を剥いで身柄を捨てて逃げた。捨てられた女房は寒さのために死んで死骸は野犬に食われる始末であった。検非違使左衛門大の尉平の時道がこの盗人を取らえて詮議し白状させたと云う話。哀れなるは女房一人。

八十八話 「念仏の法師が天罰を受ける話」

阿弥陀の聖と云う念仏僧がある山で荷物を背負った男と道連れになった。山中でその男に弁当を分けてもらったにもかかわらず、念仏僧は欲心を起して、道ずれの男を殺し衣服と荷物を奪って、ふもとの村にたどり着いた。人家に宿を願うと、女主人は気前良く家に入れてくれたが、女主人がその僧を見るとどうも袖からみえる服が主人の服と同じなので訝って、隣の家の男等四五人を集めて僧を詮議したところ、箱の中から主人の持ち物が出てきたので僧は自白した。僧はどうしてこうも早く分ったのかと村人に問うと、お前の殺したその人の家に来たからだということ。村人が僧を案内させて山中に入ると現場には主人の死体があって、僧はそこで射殺されたと云う話。

八十九話 「瓜一つ盗んだ子を勘当する話」

瓜を厨子に入れておいたところ、家の子阿字丸が盗んで食べたのを知った男親はこのこの将来を案じ、そこまでと云う人もいたが村人に勘当の証文に連署してもらいこの子を勘当した。後に成人した阿字丸は貴族の家に仕えていたが、そこでまた盗みをやって検非違使に?まった。検非違使の別当は親を呼んで罪科を決めようとしたが、親は勘当の証文をだして自分の子ではないと言い張った。そして親はお咎めなく子だけ逮捕したと云う話。子を見る目のあった親の見識を讃える話に仕立てられているが、この話は現代の教育にも通じることである。何処まで親は子の責任を持つのか、子ども自身の責任を問うことだ。子供の借金や麻薬などで親は苦しい立場に追い込まれる。子のように教育した親が悪いとばかりマスコミは書き立てる。しかし自立した成人となった子供の責任は自分が負うものである。そこまで親は面倒を見ていられるか。

九十話 「空家にして盗賊の裏をかく話」

大和の守藤原の親任の舅の源の忠理と云う人は博識で頓智に長じた人であった。あるとき方違えのため時自分の屋敷近くの家に移り泊まっていた。すると表で二人の侍が源の忠理の屋敷に強盗に入ろうと云う相談をしているの聞いた。侍の一人は自分が抱える家来で、盗人の手引きをしていた。忠理は一計を案じて、家来のいない時をねらって、屋敷の家財をすべて運び出した。それと知らぬ盗賊団は決められた日に屋敷に押し入ったが、何も取る物がないのであきれて出て行った。ところが別の侍は余りに屋敷に何もないのでいくら勤めても得はしないとあきらめお暇を願って去ってしまった。うまい頓智で盗賊は煙に巻いたが、日頃使い慣れた家来には逃げられると云う話。


九十一話 「盗賊から身の災難を教わる話」

民部の大夫で則助という者が屋敷に帰ったところ、馬小屋から見知らぬ男が出てきていうには、自分が馬を盗みに入ろうとしていたら、あなたの奥方が男に鉾を渡して男が屋根の上に上るのが見えた、これは何ぞやあなたに災難がかかるのではないかと心配して申上げるということであった。そこで則助は武士数名を呼び屋根裏を捜索したところ、鉾を持った男が主人の寝室の屋根裏で潜んでいるのが捕まった。詮議すると子の男は奥さんの情人で亭主を殺すように依頼されたと云う話。毎日の新聞紙上をにぎわしている女房による亭主の以来殺人事件ですね。女も恐ろしい。

九十二話 「悪事を働いた検非違使の話」

検非違使が盗人を逮捕し帰ろうとする時、ある検非違使がまだ怪しいことがあるといって盗人の家に入った。出てくるとどうも袖が膨らんでいる。検非違使の仲間達はこれはおかしいと思って、その男が服を脱ぐように仕向けて袖の中を調べると糸の束が見つかった。どうも盗人の家から検非違使が盗んだらしいと云う話。現代版悪徳弁護士か、悪徳警官を見ているようだ。

九十三話 「小屋寺の大鐘が盗まれる話」

摂津の国の小屋寺の九十ばかりの法師が訪ねてきて、鐘つき堂の下で休ませてくれという。鐘も付いてくれると云う約束で法師の休息を許可したが、二晩は鐘を突いたが、翌朝法師が死んでいるのが発見された。地元の祭りの近いので寺から穢れを出すのを嫌がった村の衆は誰も堂に近づかない。ところが男が二人寺にやってきて、播磨の国から出て行った親父を探しているのだが法師は通らなかったかと問う。鐘つき堂に案内すると自分達の親父に違いないといって、今夜葬式を出させてくれと云うので、誰もが嫌がっているのでこの者達は更に四五十人も集めて夜鐘つき堂から死体を運び出して、松原で焼いた様子である。翌日寺の僧が鐘つき堂を見ると死体と鐘がなくなっていた。これは一大事と寺では騒いでみたが後の祭り。どうも法師は死んだ振りをし、鐘盗賊団が仕組んだ芝居のような話。とんでもない詐欺団と財産横領のプロのやり口で、現代でももっと手の込んだ詐欺事件は多い。

九十四話 「羅生門の上で死人を見る話」

摂津の国より盗みをやろうと京に上った男が、羅生門に立って休んでいたが、人目を憚って二階の楼によじ登った。すると白髪頭の老婆が若い女の死体から髪の毛を抜き取っていた。鬘の毛として売れるからである。男は老婆と死人の女から衣服を剥ぎ取り、髪の毛も奪って逃げ去ったと云う話。芥川龍之介の小話に出てくる有名な話しだが、芥川は殆ど直訳で小説仕立てもなく書いている。それで「羅生門」が有名になるのだから不思議なことだ。

九十五話 「袴垂が死んだ真似をする話」

袴垂という盗賊が牢獄から赦免になって娑婆に出たが、盗みを企て路上で大の字になって死人のまねをして横たわった。見物人も多く出て遠回りに囲んでいたのを、立派な武士の一行が通りかかったが、矢を番えて慎重にその場を去った。また郎党も連れないで一人の武士が死体の傍に寄って、弓の先で死体をつついたところ、袴垂はさっと相手の武士の刀を抜きとり、武士を一瞬に刺し殺して衣服と武器と馬を奪って逃げたと云う話。袴垂は追いはぎをやりながら道中仲間を集め二三十人の大盗賊となった。隙を見せなかった武士は平の貞道と云う侍であった。


九十六話 「明法博士が強盗に殺される話」

律令格式を扱う明法博士である清原の義澄は70歳で学識が高いと云う評判であった。ある日義澄に家に強盗が入ったが義澄はうまく隠れて難を逃れた。何も取る物がなく賊は引き上げたが、義澄は表に出て散々賊に悪態をついた。それを聞いた賊は引き返して義澄を打ち殺したと云う話。

九十七話 「鳥部寺で追剥にあった女の話」

物詣でのすきな三十ほどの女が女童をつれて鳥部寺に詣でたが、刀を突きつけた追剥に着物を取られ犯されたと云う話。女の物好きも程ほどに。

九十八話 「大江山の藪の中で起こった話」

芥川の短編「藪の中」の原題。京の男が妻を連れ妻の故郷の丹波の国に行く途中、大江山で道ずれになった屈強な男にだまされて刀と弓を交換した。弓を得た男は山中で弓で脅して夫を木に縛り付け、妻を犯した。妻のいとしさにほだされた男は妻も夫も命を奪わなかった。妻は夫をふがいない思いで実家に帰ったと云う話。芥川は話の後半を粉飾して近代的な女の心理に変えている。この時代に女が盗賊に犯されても、女はそんなに深刻に思い詰めないドライな風俗が面白い。

九十九話 「夫の死後に妻が売られる話」

近江の国の人が病気でなくなったが、三十歳ごろの残された妻が頼りにしていた使用人にだまされて、ある屋敷に売られてしまった。絶対服従しないと誓った妻は食も取らず一週間後に死んだと云う話。屋敷の主人が丸損した。

百話 「丹波の守が胎児の生き肝を取る話」

平の貞盛朝臣が丹波の国の国司でいた時、体に悪い瘡が出来た。京から来た名医に診断してもらうと胎児の生き肝を薬とする以外助かる道はないという。貞盛朝臣は子の左衛門の尉維衡の妻の胎児を差し出すよう命じたが、維衡は医者と計らって、血筋の胎児は薬にならないといわせたので、貞盛は別に雑仕女の胎児を殺して病気を治した。ところがこの噂が都に伝わるとまずいと見た貞盛朝臣は維衡に医者の殺害を命じた。維衡は医者に恩があるので、身代わりを射殺して恩に報いたと云う話。それにしても貞盛朝臣の身勝手な悪にはあきれ果てる。なんだか現在の臓器移植問題に通じるような気がするのは深読みか。


百一話 「日向の守が無実の書生を殺す話」

日向の守某が任期を終え事務引渡しの文書を都合のいいように作成する作業を書生にさせ、嘘がばれないようにこの書生を殺すように命じた。捕まった書生は逃れられないと諦め、最後に母親に別れをしてから首をはねられたと云う話。

百二話 「主殿の頭が無用の殺生をする話」

主殿の頭源の章家は無用の殺生が好きで、日柄、場所も弁えず動物を見つけては殺生をし続けたと云う話。

百三話 「身代わりとなって死んだ女の話」

京から拉致されて阿弥陀の峰に囲われた女が、清水に詣でる男を誘惑して阿弥陀山の家に連れ込み寝た後に、しのんでいた盗賊が鉾で刺し殺し衣服を剥ぎ取ると云う強盗団の一味になっていた。いわば現代版美人局である。近衛の中将が清水に詣でてこの女に誘惑されて一夜を寝ると、女は男に惚れたのか「もう罪作りはしたくない、ここで私が鉾を受けて死にましょう、あなたは逃げてください」という。後ろ髪を惹かれる思いで逃げ出した中将が振り返ると火事の煙が見える。盗賊団が検非違使に追捕されるの恐れ家に火をつけたらしい。近衛の中将は後阿弥陀の峰の家跡に寺を建てたと云う話。テレビの時代劇のような悲しくも怪しい気持ちにさせてくれるストーリである。

百四話 「わが子を捨てて逃げた女の話」

山の中を赤ん坊を抱いて歩く女を乞食二人が襲って犯そうとした。女はその前に下痢をしそうだからそこらで遣らせてくれ、逃げない証拠に赤ん坊を預けるからといって、まんまと逃げ失せた話。勿論赤ん坊は殺されていたが。倫理的にどうかと云う詮議建てはともかく、生きるための知恵比べである。

百五話 「新羅の国で虎と鰐(鮫)とが闘う話」

九州の商人が商いのため朝鮮の新羅の国に行って、帰りは海岸伝いに船を進めていた。崖の上に虎が船を狙っていたので慌てて船を海岸から離すといなや、虎は船めがけてジャンプして突っ込んだ。虎は海に落ちたが、そのとき鮫が虎の右足を食いちぎった。海岸に逃れた虎にめがけて鮫は更に突進してきたが、虎は左の足の爪で鮫を引っ掛け陸に揚げ、食らい付いて三本足で崖の上に駆け上がったと云う話。


百六話 「犬山の犬が大蛇を食い殺す話」

陸奥の国に犬を連れて猟をする猟師が、山中で夜になり大きな木の空洞に寝た。一匹の犬が主人のいる空洞に向って激しく吠え立てている。怪しんだ主人が身構えた瞬間、犬は空洞に向って飛び上がり、何かを咥えてどかっと落ちた。それは空洞の上から主人を狙っていた大蛇であった。刀で大蛇を切り殺して一難を遁れた話。

百七話 「助けられた猿が恩を報じる話」

九州の海岸で磯物を取る賎しい女がいた。ある日、猿が大きな溝貝に手をくわえられ砂の中に手を引きずり込まれていた。仲間の海女らは猿を殴り殺そうとしたが、その女は猿を助けてやったところ、猿は近くにいた子供を抱いて山に方へ案内するようだった。海女らは泣く子供を追って山に入ったところ、猿が枝をしならせて襲いかかる鷲を打った。そうして五六羽の鷲を打ち落としたころ、猿は子供をそっと木の下に置いた。騒ぎを聞いて駆けつけた夫はその鷲を取って、尾羽を売ってお金に換えた云う話。猿の恩返し。

百八話 「蜂の群れが山賊を刺し殺す話」

京の町に水銀の商いをして伊勢の国としょっちゅう往来している者があった。長年鈴鹿山を往復しているが一度も盗賊の災難に逢ったことがない。その理由はその者が京で酒を醸して蜂に飲ませて養っていたから、蜂が盗賊を襲って主を守ってきたからであると云う話。

百九話 「蜘蛛が蜂の復讐を逃れる話」

法成寺の阿弥陀堂の軒下に一匹の蜘蛛が巣を作り、ある日蜂を捕らえてまさに殺そうと云う時、法師らは蜂を助けてやった。蜂は翌日仲間を揃えて蜘蛛に復讐にやってきたが、蜘蛛はうまく蓮の葉の裏に隠れて攻撃から逃れたと云う話。法師らは蜘蛛の智恵に感服した。

百十話 「蛇に見入られて立てぬ女の話」

京の小一条で女が急に小用をしたくなり、塀の前でしゃがんで用を足していたが、何時までたっても立ち上がることが出来ない。通りがかった侍が訝って土塀を見ると、前に小さな穴が開いていて大きな蛇の頭が見える。さてはこの蛇が女の陰をみて邪心を起し入ろうとしているに違いないとみるや、穴の前に刀を立てて脅かすと蛇は急に飛びついた。蛇は刀の刃に当って身が裂け死んだと云う話。


第六部 人情

百十一話 「雨宿りの宿に一夜を契る話」

閑院右大臣藤原の冬嗣の御子に若い内舎人良門がいたが、その良門の御子に高藤という鷹狩りの好きな人がいた。高藤がまだ十五六のころ南山科に鷹狩りに出かけて雷雨に逢い宿を借りようと入った家が、その地の長官を務める宮道の弥益の家であった。高貴な高藤の身なりから家の主は娘を出して接待させたが、高藤はこの娘といい仲になった。その後十年ほど鷹狩りをやらずその家の道も分らないので通わなかった。しかしその娘が忘れられず再びその家に行って自分の子供を生んだ娘を京の屋敷に迎入れた。高藤はその後大納言になり、子の娘を宇多院の女御に入れ、女御は醍醐天皇を生んだ。醍醐天皇が即位されると高藤は内大臣になったと云うめでたいお話。宮道の弥益の家を勧修寺と云う寺にした。今も南山科の西にある。

百十二話 「平中が本院の侍従に恋する話」

兵衛の佐、平の定文はたいそうな色好みで、いい女なら言い寄らない女はいなかった。本院の大臣の侍従の君と云う若い女房優れた美貌の持ち主で、定文は恋心を抱いて、付け文をしたが一向に取り合っても貰えなかった。恋焦がれた定文は必死にアタックするが悉く退けられもう恋の奴隷になった。そこで、女の不浄の物を入れた箱を入手して何とか諦めをつけようとしたが、その箱に入っていたのは香のもので、またもや定文は惨めにもからかわれ病気になって死んだと云う話。

百十三話 「定中に逢った女が出家する話」

この一話は歌物語になっている。平の定中と云う者は世に知られた色好みである。あるとき東七条の后藤原温子につかえる女房の一人武蔵に恋文を送り、一夜契りを結んだ。当時は契った翌日に女に文を送るのが常識であったが、女のもとには何日待っても文が届かない。振られたと思い面目を失った武蔵は1週間後に尼になった。実は平の定中は翌日から宇多院のお供をして大井川に行ったので、文が出せなかったのだがあとの祭りと云う話。

百十四話 「近江の国に婢となった女の話」

中務の大輔は娘に婿をとって婿の世話をしていたが、中務の大輔が死に母も死ぬと、この家はしだいに没落してきた。娘は夫の世話も出来かねるようになって、協議離婚を夫に勧めた。夫の出世を願っての離婚で夫も断りがたいが承知した。暫くたって女は人の薦めがあって近江の男と一緒になり近江へ移り住んだが、本妻がいたので、結局奴婢に身を落とすことに成った。近江の国に新しい国司が赴任してきたので、婢となった女の郡司の家は国司歓迎の宴を催した。その席で物を運ぶ姿を見た新国司はその女を召したが、実は新国司は元の夫の出世した姿であった。女と話をするうちに国司は元の妻である事に気がついたが、女は自分の身の恥ずかしさから夫の手の中で死んでしまったと云う話。当時は妻が夫の生活の世話をするもので、夫の出世のために離婚することもあったらしい。現在は反対で、夫が失職すると女房は直ぐに離婚して苦労は共にしない風潮である。当時は男にとって住みよい世界であった。

百十五話 「葦を刈る夫にめぐり合う話」

前の話と逆で、生活が苦しくなって夫のほうから前世の報いといって離婚を申し出る。妻は泣く泣く承知した。女は見め形も美しかったので、摂津の国司の妻となり、夫は益々零落して摂津の国に流れ着いて、難波の海の芦刈り人夫となっていた。もと妻が摂津の国に行く途、下人の芦刈りの中にもと夫らしい人を見つけ、木本を歌を贈ったと云う話。


百十六話 「大納言の娘が安積山で死ぬ話」

大納言の娘に惚れた使用人の侍が、娘を拉致して陸奥の国の安積山まで逃げそこで所帯を持った。娘はある日井戸でやつれた自分の姿をみて絶望して悲しみの余り死んだと云う話。北朝鮮拉致被害者のような悲惨なことだ。

百十七話 「信濃の国にあった姨捨山の話」

信濃の更科というところに、年老いた叔母といっしょに暮らす夫婦がいた。妻はこの叔母を世話することに嫌気がさし、亭主に叔母を山に捨てて来るように迫った。夫は一度は叔母を捨てたが、翌日可哀そうなことをしたと反省して叔母を家に連れ戻ったと云う話。姨捨伝説の源流の一つ。

百十八話 「海松と貝によって縁を取り戻す話」

いやしからぬ公達の夫が、今までの妻を捨て今風の女の家に通うようになった。男の荘園が摂津の国にあって、保養に出かけ難波の海で蛤と海松を拾い、妻のもとに送ろうとした。使いの童が間違ってもとの女房の手に渡してしまった。女房は間違いにうすうす気がついたが、貝と海松を水の中で活かしておいた。男が京へ帰って新しい妻に聞くと妻は知らないと答え、持って来てくれたら焼いたり酢の物にして食べたのにと語った。これを聞いた男はすっかり興ざめがして、もとの妻とよりを戻したいう歌物語。

百十九話 「燕を見て再び夫を迎えない話」

夫に死なれた妻が、両親の再婚の勧めに対して、「雀さえ夫を亡くすると別の夫は持たないものです。まして人間は心があります」といって後家を徹したと云う歌物語。


第七部 奇譚

百二十話 「賀茂祭に高札を立てた翁の話」

賀茂祭りはいつも混雑して老人子供には危険である。一条東の洞院に「ここは翁の見物する場所である。入るべからず」と云う高札がたった。町の人はてっきり陽成院が来れれると思って開けておいたが、祭りの日にやって来たのは八十歳になる西八条の刀禰であった。このことが評判になって陽成院が翁を召して聞かれるに、翁は孫が祭りの行列に加わっているので見てやりたかったという話。賢い(ずるい)老人のやること。

百二十一話 「別れた女に逢って命を落とす話」

右少弁藤原の師家は通っていた女のところへ行くことも少なくなり、女はひどくうらみに思っていた。途絶えてから半年ばかり過ぎて師家が女の家の前を通り過ぎようとすると、家の中から使いが出て師家に家に入るようにと伝言があった。師家が屋敷にはいると、男の言い訳も聞かず女は法華経を長い間読んで男の前でこと切れたと云う話。

百二十二話 「灯影に映って死んだ女房の話」

女御に仕えていた小中将の君と云う女房に美濃守藤原の隆経朝臣が時々通ってきた。夕刻の御灯油を差し出す時、この女房の姿が美しく映し出された。それから二十日ほど過ぎてから女房は病みつき里に帰ってなくなったと云う話。古女房が云うには燈影に立って見える時は、その燃え残りを掻き落して必ずその人に飲ませなければならない。それはその人の命が燃え尽きることにつながる事なのか。

百二十三話 「不破の関で夢に妻を見る話」

常澄の安永と云う宮家の下司がいた。宮家の年貢を徴収する任務で上野の国にゆき、帰途美濃の不破の関にかかって一夜の宿を取った。安永には京に若い妻を残してきたので、早く逢いたい一心で眠りについた。すると妻が夢に出てきたので、おかしいと思って翌朝急いで京に戻ると、妻も全く同じ内容の夢を見たと云う。不思議なことだ、お互いに思いつめていると同じ夢を見るものかなと云う話。

百二十四話 「九州の人が度羅島に行く話」

九州の人が大勢で船に乗って外国に貿易に出かけていた。九州の南西の方向に大きな島を見つけ船を近寄ると、島の山から大勢の人間が遣ってきてこちらを睨み付ける。怖くなって船を島から離して沖に出ても海岸まで迫って睨んでいるの一目散に船を遠ざけて難を逃れたと云う話。後で村の老人が、あの島は度羅島といい化け物が住むので良く逃げ帰ったと語った。

百二十五話 「道に迷って酒泉郷を訪ねる話」

修行僧が大和の大峰山に入って道に迷い、やがて山里にたどり着いた。その里には酒を湧き出す泉があって桃源郷のような里であった。すると村人が現れ食事などを施した後、修行僧を殺そうと誘い出した。僧は必死に他言しないことを誓って僧でもあるので命だけは取られずに、道を教わり村に帰ることが出来た。ところがこの僧は元々信義に乏しい口軽の人間だったので、この酒泉郷のことをぺらぺら喋った。老人達は止めたが、村人は早速探検隊を作って捜索に大勢の人間で出かけた。ところが誰一人帰還する者はいなかったと云う話。自分ひとりの命だけでなく多くの人の命を無駄にした軽はずみは僧の話。


百二十六話 「馬に化身させられた僧の話」

修行僧三人が四国の辺地を歩いていたところ迷って山に中に入ってしまった。屋敷が見えたので道を尋ねたが、頑強そうな僧が出てきて家に入れと云う。食事を世話してくれたが、そのうち二人の修行僧を鞭で叩いて馬に化身させた。三人目の僧は生き埋めにするつもりだったようだが、必死に二十町も逃げると別に屋敷があって、そこに女房がいてかくまった上逃がしてくれた。これは鬼の妻で、鬼の夫に愛想を付かしていた比だった。無事里に戻った修行僧は二人のために善根を努めたと云う話。

百二十七話 「北山の犬が人を妻とする話」

京の男が北山に野遊びに出かけ、道に迷って夜になった。ある庵にたどり着いたが、そこにいた女房は「ここは人の来るところではない。私は京の娘であったが、犬にさらわれ妻とされ囲われている。兄が来たと云うことでこの場を切り抜けるが、翌朝逃げて帰る様に。このことは他言しないように」といった。男は翌朝京の町に逃げてこのことを町で喋った。若い者が二百人ほど弓矢をもって犬退治に出かけたが、犬と妻はどこかへ逃げ去ったと云う話。

百二十八話 「大きな死人が濱に上がる話」

藤原の信通朝信が常陸の守で赴任している頃、濱に大きな死体が上がった。陸奥の国でも大きな死体が上がったらしい。守は京へ知らせるべきかどうか悩んだが、厄介なので報告しないで済ませたと云う話。常陸の国(ひたちなか市)には今も大男の民話がある。

百二十九話 「自ら鳥部野にいって果てる話」

尾張の守の親戚で歌詠みと知られる女がいた。子供も成人していなくなり、女も年老いたので誰も面倒を見なくなっていた。体が弱って病気になると、親戚のものはここで死なないでくれといわんばかりに追い出した。女は仕方なしに自分で鳥部野(京の墓場)にゆきそこで果てたと云う話。

百三十話 「太刀帯の陣で魚を売る女の話」

三条の院が東宮の頃、太刀帯の陣(侍の詰め所)に魚の干物を売りに来る女がいた。味が良かったから皆昼飯の菜として買っていた。ある日侍たちが北野に鷹狩りに出かけたところ、その女が野原で蛇を捕まえているのを見かけた。女は捕まえた蛇を切り裂いて干し、魚の干物と称して売っていたと云う話。現代の食品偽装事件に似たところがあります。

百三十一話 「怪しい振る舞いをした物売り女の話」

門の前で鮎鮨を売る女がいた。ひどく酔っ払って、鮎鮨の中へ反吐を吐いて、分らないようにかき混ぜているのを見た。その人は街で売っている物はいずれも穢いものばかりで、自分の家で確かに料理したものでなければ食べないことにしたと云う話。


第八部 仏法

百三十二話 「鬼に追いかけられて逃げる話」

肥後の国の書記が馬に乗ってゆく途中道に迷って、女の鬼がいる家に出くわした。男は横穴の墓に逃げ込んで、必死に観音さまお助けくださいと祈るばかり。馬は鬼に食われ、愈々自分も危ないと云う時、助けてくれたのが妙法蓮華経の妙と云う字であった。いままで千人の人を鬼から救った。それ以降男は法華経を念仏し観音を信仰したと云う話。

百三十三話 「死んでも舌が残った僧の話」

元明天皇の時代、紀伊の国熊野の村に永興禅師というえらい坊さんがいて、人からは菩薩と呼ばれていた。その禅師の下に修業に来た僧は日柄法華経を読んでいた。何年か経って、ある日僧は修行に旅立った。禅師は品々をこの僧に授けたが、僧は案内の従者にこの品々を与えて帰して、自分は水筒と麻縄だけを持って山に入った。二年ほど経って、熊野の人が木を切って船を作るため山に入ると、熊野川上流あたりでかすかに法華経を読む声がする。村人は手分けして探すと崖に一個の死体があった。足元には水筒があり、足を麻縄でくくって岩に身を打ち砕いて自殺したようだ。骸骨を見るとなんと舌だけは生きていた。禅師の下で修業していた僧が身を投げたものと判明したが、3年ほどして師が山に行くと法華経を読む声は依然として聞こえたと云う話。

百三十四話 「岩と化した尼さんを見る話」

京の東山に長楽寺があって、僧が仏花を摘みに山に入ると夜になり法華経を読む声が聞こえてきた。どうも苔むした巌石から聞こえてくるようである。この巌に近づくと、岩が動き出して六十歳ばかりの尼さんになった。若い僧であったので尼さんが愛欲の煩悩心を起して人間の形に戻ったと云う。修行した尼でさえ,煩悩から逃れるのは難しいと云う話。

百三十五話 「女の執念が凝って蛇となる話」(娘道成寺の原話)

熊野権現へ行く二人の僧があった。若い僧はすこぶる美男子だったので、とある民家のやもめ女が懸想をして僧に言い寄った。僧はうまくだましてその女から逃げたが、だまされた女は嘆きうらみ逆上して蛇に化身してしまった。蛇は逃げた僧を追って道成寺に追いつき、鐘の中に隠れた僧に取り付いて、鐘をぐるぐる巻きにし焼き上げた。鐘の下には僧の灰があるのみであった。老僧の夢に若い僧が現れ、二人は愛欲煩悩の身に生まれ変わって地獄の責め苦にあっているという。老僧は二人のために供養して二人は浄土に生まれ変わり救われたと云う話。女の業火の凄まじさ逃れるべからず。


百三十六話 「扇に顔を隠して死んだ狐の話」

美男子の侍が二条朱雀大路の交差点で、十七八のきれいな娘をみて言い寄った。交われば死ぬ運命にあるので死んだら法華経を写経して弔って欲しいと云うので、約束して契った。翌日武徳殿の中に一匹の狐が男が与えた扇で顔を隠して死んでいた。男は昨日交わったのは雌狐であったと思って、法華経を供養して成仏させた。

百三十七話 「弘法大師が修円僧都に挑む話」

嵯峨天皇の時代に、弘法大師と山階寺の修円僧都が天皇の護持僧として密教の祈祷術の優劣を争った。二人の仲はお互いに呪詛して殺そうとした。弘法大師は殺されたと云う噂を流して、相手を油断させ相手が結願の準備をしている間に呪い殺したと云う話。当時の宗教とは天皇のための加持祈祷であり、庶民の救済と云う宗教思想は平安時代末期の浄土宗から始まる。

百三十八話 「京の町で百鬼夜行にあう話」

西三条の右大臣良相の息子で大納言左大臣常行と云う若い色好みがいた。女の家に通うことが慣わしであった。ある夜女の家に行く途中美福門辺りにおいて、大勢の鬼が松明を持ってやってくるのを見て、常行は神泉苑に入って隠れていたが、鬼達は尊勝陀羅尼が邪魔して捕まえられないといって走り去った。どうして難を逃れたのか常行が家に帰ってから不思議がっていると、乳母がいうには魔よけの尊勝陀羅尼の字を書いた紙を若様の襟に縫いつけておいたと云う話。

百三十九話 「源信僧都の母君の往生の話」

比叡山延暦寺横川の源信僧都には京に老いた母親がいた。華やかな僧になるよりは聖人になることを期待し、日頃は修行の邪魔になるといって会う事はなかった。母がいよいよの時、虫が知らせたのか源信僧都は母の家に急いで間に合った。母上は念仏を唱えるうち明け方に消え入るように亡くなったと云う話。

百四十話 「蟹を助けて蛇の難を免れる話」

山城の国久世の郡に住む娘は信心深く、七つのとき観音品を十二歳で法華経を習い終わった。ある日道端で蟹を下げた男に出会ったので、その蟹を貰い受け川に放してやった。父が道端で蛙を飲み込もうとしている蛇に向って、蛙を許してやったら娘をやろうと約束した。すると夜になって男が門に立って約束の娘を頂きに来たと云う。娘は一心に観音様に御願いしていたら、幾千万と云う蟹が現れて蛇を切り殺して恩返しをしたと云う話。いまも久世には蟹満多寺と云う寺がある。


百四十一話 「とんだ婿入りして笑われる話」

備中の国賀陽郡に良藤と云う銭商いがいた。てんで女には目のない男で、散歩の途中に逢った女の家に行きその家に婿入りした。失踪した良藤の家では兄弟が捜索したが見つからず死んだものと諦めて、供養のために十一面観音を作って礼拝した。この十一面観音が呼び出したのか数日後に良藤が帰ってきた。何処にいっていたのだと問うと蔵の下から狐が飛び出した。良藤は狐にだまされていたと云う話。

百四十二話 「危く賊難を逃れた夫婦の話」

九州大宰府の大弐の息子は小弐を勤めていたが、その地で娘を娶って夫婦となった。息子は京に上って仕官しようと夫婦揃って旅に出た。途中播磨の国印南野で出遭った法師がこの夫婦を強引に家に案内した。この家は盗賊の巣窟であった。男は殺されるところを必死で逃げ逆に盗賊の頭を切り殺したと云う話。

百四十三話 「鬼の唾で姿が見えなくなる話」

若侍は日頃観音様を信じて六角堂にお参りをしていた。大晦日の日、知人の家から遅くなって帰路に着いたが、一条堀川の橋で鬼の一団に捕まり、殺されはしなかったが唾を掃き掛けられて姿が見えない透明人間になってしまった。家に帰ったものの家族は分らず死んだものと嘆いていた。六角堂でお祈りをしていると夢に僧が現れて、術から逃れるすべを教えてくれたと云う話。

百四十四話 「貧しい女がついに福運を得る話」

貧しい身寄りのない女が清水の観音を信仰していた。貧しい生活から逃れられるように観音さんに御願いすると、観音さんは途中で会う男についてゆくが言いという。男に会って付いてゆくと八坂寺に連れて行かれた。ここは盗賊の巣で男がいない時、女は絹や綾を懐に入れて逃げた。そのとき検非違使が盗賊を召し取ったところであった。女はからくも盗賊から逃れてその反物を売って暮らしも出来るようになったと云う話。

百四十五話 「恋の虜となって仏道に励む話」

比叡山の若い僧は身を入れて学問することがなかったが、法輪寺に詣でて虚空蔵菩薩にお祈りしていた。法輪寺からの帰り道、暗くなったので一夜の宿を借りるつもりで行った家に美しい女房がいた。恋心を抱いた若い僧が言い寄ったが、女は法華経を諳んじられたら逢うと云うので、一心腐乱に励んで、女の家に行き逢えると思ったら今度は一人前の学僧になれば逢うという。それから三年ばかり比叡山で修行してひとかどの学僧になって、女の家に行き女と寝ようとしたら全てが消えうせ嵯峨野にただ一人たっている事が分った。これらは虚空蔵菩薩が僧の色好みを利用して学問させようとする謀であったと云う話。


百四十六話 「僧の稚児さんが黄金を生む話」

比叡山の学僧はすこぶる貧乏で後に雲林院に住んだ。僧は鞍馬寺に参拝し帰り道、出雲路で年の頃は十七八で美しい少年に出会った。僧は雲林院につれて帰り稚児(僧の男色相手)にした。ところがその稚児は女だったようで間もなく子供を生んだ。お産の直後稚児は消え去り、残ったのは金色の塊であった。これは僧を助けようとする鞍馬寺の毘沙門天の功徳であると云う話。

百四十七話 「東宮の蔵人宗正が出家する話」

東宮の蔵人宗正の妻があえ無く亡くなり、葬式の前に棺を覗いた宗正が出家遁世の心を深く持ち多武の峰の増賀聖人の弟子となった。修行を積んで世にも稀な道心の人となったと云う話。

百四十八話 「銅の煮え湯を飲まされる娘の話」

大和大安寺の社務の別当の娘に宮中の蔵人が婿に入っていた。あるとき昼寝をしたら夢を見た。家中でがやがや騒がしく、皆で銅の煮え湯を飲んでいる。男にも煮え湯が注がれるところで夢から覚めた。社務の別当と云うのは寺の実入りを勝手に懐にしまいこんでがつがつ生活している、なさけない夢であったと云う話。

百四十九話 「密造した酒の中に蛇がいる話」

比叡山で修行した僧がうだつが上がらないので、山を去って摂津の国の里に住みついた。葬儀や供養などを生業としていたのでお供え物や貰い物が多くある。僧の妻はカビの生えたもちで酒を作ろうとした。大きな壺で醸造して、いいころに妻が蓋を開けると中に蛇がうじゃうじゃいる。びっくりした妻は僧と相談して野原に捨てた。少し過ぎて三人連れが野を歩いていてその甕を見つけた。蓋を開けるといい匂いのする酒が入っていた。そして皆で飲んだ。このことを僧に話すと、僧は深く反省し、勝手に仏の供物を独り占めしてはいけない、人々に分け与えるべきだと悟ったと云う話。

百五十話 「木の梢に現れ給う仏の話」

醍醐天皇の御世に、五条の道祖神の傍の実のならない柿の木があった。この柿の木の梢に仏様が花弁を散らして現れると云う噂が立った。光の大臣はこれを疑い、外道の仕業なら七日は持たないといって、七日目に出かけた。金色の光を放って梢に仏様が現れたが、大臣はじっと睨みつけること二時間、するとどさっと鳶が落ちてきたという話。


百五十一話 「天狗に狂った染殿の后の話」

文徳天皇の后で染殿と云う方は日頃から物怪に悩まされていた。天皇は大和金剛山より尊い聖人を招して祈祷させたところ、物怪は狐によるもので退散した。ところが后を御簾からちらりと見た聖人は欲心を起して染殿に襲い掛かった。大騒ぎになって当麻の鴨継と云う典医が聖人を取り押さえ。、天皇は牢に閉じ込めたが、恐ろしい執念で鬼になっても本意を遂げずにおくものかというので、恐ろしくなって金剛山に放免した。金剛山で死んだ聖人は鬼となり、后の寝所を襲って,人々の見ている前で后と契ったと云う話。この話には落ちがない。后といえども鬼に取り入られるということ。いい訳じみたおためごかしより、救いのないストーリは斬新だ。

百五十二話 「天狗を祭る法師に術を習う話」

外道の術に長じた賎しい法師がいた。そこへ若い男が術を教えてくれと入門したが、法師は自分では教えず、鬼神に直接面会するよう紹介した。その場に刃物を帯びてこないと云う約束を怪しいと睨んだ若い男は懐に小刀を隠して鬼神に面会したら、鬼神は消えうせ、法師は頓死したと云う話。この話にも落ちはない。合理的理由も思い浮かばない。だから面白いストーリなのかもしれない。

百五十三話 「まちがって魂が他人に入る話」

讃岐の国山田郡に女が疫病にかかって死にそうになってので、門にご馳走を置いて難を逃れようとした。地獄から閻魔の使いで鬼が女を引き取りにやってきた。ところが門の前のご馳走をたべて仏心を起した鬼は、同姓同名の女が鵜足郡にいるのを聞いて、この鵜足の女を替わりに閻魔さんの前に連れて行った。閻魔さんは帳面を見て女が違うことを見抜き、鵜足の女を帰して山田の女を連れて来いと命じたが、すでに鵜足の女の死骸は焼かれてなかったので、鵜足の女の魂を山田の女の死骸に入れた。鵜足の女の魂の入った山田の女は生き返って、鵜足に戻ろうとして両家では大騒ぎになったと云う話。よくある魔法使いの映画のストーリ仕立てである。

百五十四話 「欲心から娘を鬼に食われる話」

大和の国十市郡の鏡造という資産家に娘がいた。ある人が車三台に財宝を積んで贈り物にして娘を欲しいといってきた。親は欲にくらんで結婚を承知したが、初夜の夜娘の悲鳴が聞こえたが、翌朝見に行くと頭と指を残して無残にも鬼に食い殺された死骸が残るばかりであった話。

<完>

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