2013年6月15日

文藝散歩 

大畑末吉訳 「アンデルセン童話集」(第1冊ー第7冊)  
 岩波文庫 (1984年改版)

デンマークの童話の父が語る創作童話集 156話

アンデルセン

ハンス・クリスチャン・アンデルセン(Hans Christian Andersen、1805年4月2日 - 1875年8月4日)、デンマーク語読みでは "ハンス・クレシテャン・アナスン"(以下アンデルセンと呼ぶ) は、デンマークの代表的な童話作家・詩人である。1805年4月2日デンマーク、フュン島の都市オーデンセで産まれる。22歳の病気の靴屋の父と数歳年上の母親の家で産まれた。彼の家は貧しく、1816年に靴職人の父親が亡くなると自分の進路を決めなければならなくなり、学校を中退する。15歳の時、彼はオペラ歌手になろうとしたり困窮を極めたという。彼が創作する劇作や歌なども認められなかった。その後も挫折を繰り返し、デンマーク王や政治家のヨナス・コリンの助力で教育を受けさせてもらえる事になり、大学にまで行くことが出来た。1828年大学に入学し、文献学と哲学を学んだ。1829年には、「ホルメン運河からアマゲル島東端までの徒歩旅行」を自費で出版した。その後、ヨーロッパを旅行した。デンマークに戻って1835年に最初の小説「即興詩人」を出版する。この作品は、発表当時かなりの反響を呼び、ヨーロッパ各国で翻訳出版されてアンデルセンの出世作となった。日本では森鴎外訳を得た。同年始めて『童話集』を発表した。その後も死去するまでの間に156話の童話を発表した。アンデルセンの童話作品はグリム兄弟(ヤーコブ・グリム1785-1863、ウィルヘルム・グリム1786-1859)の様な民俗説話からの影響は少なく、創作童話が多い。初期の作品では主人公が死ぬ結末を迎える物も少なくなく、若き日のアンデルセンが死ぬ以外に幸せになる術を持たない貧困層への嘆きと、それに対して無関心を装い続ける社会への嘆きを童話という媒体を通して訴え続けていた事が推察できる。しかし、この傾向は晩年になってようやくゆるめられていき、死以外にも幸せになる術がある事を作中に書き出していくようになっていく。またいろいろな逸話が残るほど極度の心配性であったらい。グリム兄弟、バルザック、ディケンズ、ヴィクトル・ユーゴーなど旅先で多くの作家や学者と交友を深めた。生涯独身(未婚)であった。その要因として、容姿の醜さ、若い頃より孤独な人生を送ったため人付き合いが下手だったこと、自伝を送るという変な癖があったことを指摘する人もいる。この自伝は死後約50年経て発見された。70歳の時に肝臓癌で死去する。彼の生まれ故郷オーデンセにはアンデルセンの子供時代の家とアンデルセン博物館がある。また、1956年には彼の功績を記念して国際児童図書評議会 (IBBY) によって「児童文学への永続的な寄与」に対する表彰として国際アンデルセン賞が創設され、隔年に授与が行われている。この賞は「児童文学のノーベル賞」とも呼ばれ、高い評価を得ている。

岩波文庫の本書は大畑末吉氏の訳になるもので、デンマーク語原典から翻訳したという。昭和12年から21年の9年間をかけて完訳が完成し出版された。改訳版は1970年(昭和45年)に出た。本書は1984年にその改版がでたものである。全部で7冊からなり、アンデルセンの発表年順どおりに並べてあり、第1冊16話、第2冊26話、第3冊33話、第4冊18話、第5冊18話、第6冊24話、第7冊21話で全156話が集録されている。訳者の大畑 末吉氏(1901年 - 1978年)は、ドイツ・北欧文学者、翻訳家である。東京帝大文学部を卒業後、戦後は立教大学、一橋大学、早稲田大学で教授を務めた。主な著書には、「アンデルセンの生涯」( 羽田書店、1949年)、「アンデルセン」 松田穰絵、(講談社1955年)、「ゲーテ哲学研究 ゲーテにおけるスピノチスムス」( 河出書房新社、1964年)、「ファウスト論集」(早稲田大学出版部、1972年)がある。翻訳書は数え切れない。

1) 火打箱

除隊となった兵隊さんが故郷へ帰るべく、背嚢を背負ってサーベルを提げて街道を急いでおりました。道端で魔法使いのお婆さんに出会いました。魔法使いのお婆さんは兵隊さんに木の洞にはいって火打箱を持ってきてくれれば、銅・銀・金を取り放題にできるとも持ちかけました。銅の部屋、銀の部屋、金の部屋には大きな目をした番犬がいるが、敷物に坐らせるとおとなしくなるという。こうして兵隊さんは金・銀・銅をもてるだけ持って、そして火打箱も持って出てきました。魔法使いの婆さんに火打箱の意味を問うたのですが、婆さんは決して話さないので兵隊さんはサーベルで切り殺してしまい火打箱を奪って街へ行きました。街では兵隊さんはその金で立派な紳士になったのですが、すぐに金を使い果たしロウソク1本も買うことが出来ません。そこで火打箱を取り出し火を切りました。すると番犬が出てきて「何のご用ですか」というので、これは何でも手に入る魔法の箱だったのです。こうして又裕福になった兵隊さんはお城のお姫さんを見たくなり、火打石を切って犬にお姫さんを連れてくるように命じました。犬は眠っているお姫さんを背負ってきて翌朝にお城に戻しました。城ではお姫様が夜いなくなることに気付いて、蕎麦の袋をお姫さんの服に縫い合わせ、粉がこぼれて行き先が分かりました。兵隊さんは捕えられ死刑台に連れられて行きましたが、そこで兵隊さんは火打ち石を3度切ると、3匹の番犬が現れ家来や王様やお妃を殺しました。こうしてお城の王様となった兵隊さんはお姫さんと結婚しましたとさ。

2) 小クラウスと大クラウス

ある村に2人のクラウスという農夫がいました。村人は馬を4頭持っている者を大クラウス、馬を1頭しか持っていない者を小クラウスと呼びました。小クラウスは週に一度だけ大クラウスの馬を借りて農耕に使わせてもらっていました。まるで自分の馬のように使うので怒った大クラウスは小クラウスの馬を打ち殺しました。ここから小クラウスが交換で富を増やしてゆく話が始まります。殺された馬の皮を街にもって行き、ある農家に宿を乞いその家の女将さんと役僧の浮気を暴き、皮袋を魔法の袋と思わせて大農家の主人に売りつけてたっぷり金を稼ぎました。それを妬んだ大クラウスも自分の4頭の馬を殺して川袋を売りに出かけましたが誰も買うものはいません。その時小クラウスのお婆さんが亡くなりました。怒った大クラウスは鉈を持って小クラウスの家に行き死んでいたお婆さんを小クラウスと思って脳天を殴りつけました。こうして小クラウスは談判して大クラウスから大金を貰いました。このようなたわいもないほら話が何段も続いて、あわれな小クラウスは大クラウスに仕返しをしながらお金をためてゆきましたという話。弱そうな小クラウスはなかなかしたたか者でした。

3) エンドウ豆の上に寝たお姫様

王子が本当のお姫様を見つけようと、何枚もの敷布団の下に小さなえんどう豆をおいて、そこに寝せたお姫様がこの豆に気がつくほど繊細かどうかを調べたという話。本当の深窓の令嬢の条件だそうです。

4) 小さいイーダ−の花

夢見る少女イーダ−の花とおもちゃに囲まれた生活です。「おもちゃのチャチャチャ」という歌はこの話から連想を得たものと思われます。イーダーは学生さんから、窓に置いたお花が萎れてしまうのは毎晩舞踏会を開いて楽しく踊って疲れているからだと教えられました。こうしてイーダーはお花とおもちゃの舞踏会を空想します。その光景がお話の内容です。そして死んだお花を庭に埋めてお葬式をしましたとさ。

5) 親指姫

子供が欲しい婦人は魔法使いのお婆さんに頼みました。お婆さんは一粒の種を鉢に植えればなんかが生まれるだろうと言いました。するとチュウリップの花の中に小さな女の子がいました。親指姫と名づけて、胡桃のゆりかごに入れて養育しました。ある晩窓からヒキガエルが入ってきて、胡桃の殻ごと引っ張って川の中へ連れ去りました。醜いヒキガエルの息子と結婚させられそうになった親指姫は載せられていた蓮の葉の茎を小魚に食いちぎってもらい、川の流れに乗って漂いそして白い蝶に紐をつけて更に遠くへ逃げました。森に上がった親指姫は冬になって凍えるように寒くなり食べるものもなくなりました。野鼠の家に入って、お部屋の掃除をする代わりに家の中に入れて貰いました。隣の家はモグラの家です。モグラは地下道を造り食糧を蓄えています。その地下道の倉庫に死んだツバメが横たわっていました。よく見ると死んだのではなく季節が過ぎて南に飛ぶことが出来なかった弱ったツバメだったのです。親指姫はツバメを介抱し元気にしてやることが出来ました。そのうち野鼠のおばさんの肝いりで親指姫をモグラの嫁にという話が持ち上がり、こんな暗い地下で醜いモグラの嫁になって住むのはいやだと親指姫はツバメの背に乗って南の国に向かって飛び立ちました。素敵な暖かい野原に着いて、ツバメの背から花の上に降りました。そこには親指姫ほどの大きさの王子様と紳士・淑女がいて親指姫にいろいろな贈り物をしました。なかでもハエの羽のプレゼントで、親指姫は花園を飛びまわることが出来ます。優しいツバメと別れて親指姫は王子様と南の国で楽しく暮らしましたとさ。

6) いたずらっ子

愛の天使「キューピッド」のお話です。寒い雨の振る夜、独りの年取った詩人の家に小さな男の子が舞い込みました。寒さで震えていたので詩人は暖かい暖炉と食事でもてなし男の子は元気を取り戻しました。名前は「アモール」(恋愛)といいとてもいたずらっ子で手には弓を持って、人の心臓めがけて矢を射ります。

7) 旅の道ずれ

お父さんを亡くしたばかりの人のいいみなしごの少年ヨハンネスは、数シリング銀貨を手に神の助けを信じて旅に出ました。野原の太陽や生き物はみんなヨハンネスを祝福してくれているようです。道中年取った乞食に出会ってシリング銀貨をあげて更に進みますと夜になり、古い教会には入りました。すると2人の男が死んだ人のお棺を開けて死人以外を加えようとしていました。聞くと死人に金を貸したが死なれてしまってはらいせに死人を暴いているようなので、ヨハンネスは2人に持ち金全部を与え死人を丁寧に葬ってあげました。ヨハンネスが森を出たとき見知らぬ男が道ずれになりました。道中お婆さんが転んで動けなくなっているのみて、道連れはお婆さんに膏薬を塗ってすぐに歩けるようにしてやり、お婆さんが持っていた笞3本を貰い受けました。村に入って人形芝居の小屋で、壊れた人形の腕に膏薬を塗ると独りで動く人形になりました。他の人形にも膏薬を塗ると操り糸がなくてもひとりでに動ける人形になり、人形小屋の親方からサーベルを貰い受けました。高い山に登ってふとみると1羽の白鳥がおちて死にました。死んだ白鳥から2枚の羽をサーベルで切り落として持ってゆきました。山を越えて長い距離を歩いて町に出ました。そこには立派な大理石のお城がありました。宿の主人が言うには、お城の王様はいい人なのですが、お姫様は魔女で結婚をするためには3つの難問にこたえなければ首を切られ、これまで何人もの王子様が命を落としているそうです。ヨハンネスは町でお姫様の行列を見てすっかりきれいなお姫様に恋をしました。三日間毎日お姫様が何を思っているかに答えなければなりません。旅の道ずれはお城に忍び込んでお姫様を観察すると、夜12時になると山に向かって飛び出しました。追いかけてお姫様を笞打つとお姫様が何を思っていることを口走りました。こうして三日間の答えを得た道ずれはヨハンネスに教えて難問をクリアーしました。正答は靴、手袋、顔でした。こうしてヨハンネスはお姫様の婿になりました、お姫様は魔物でしたのでうまく行きません。そこで道ずれは白鳥の羽と水薬をヨハンネスに渡して、お姫様を水の中に3度沈めると魔物は退散するといいました。お姫様から魔物が取れると一層きれいなお姫様になりました。ところでヨハンネスに幸せをもたらした道ずれとは、教会においてあった死人のことなのでした。

8) 人魚姫

海の底のお城にはやもめの王様と6人のお姫様の人魚が楽しく住んでいました。特に末の姫は一番きれいで夢見る少女でした。王子様のような大理石の像を大事にしていました。王様のお母さんが娘の教育を仕切っておりましたが、15歳になったら海の上に浮かび上がっても良いと言い聞かせていました。一番上の娘から順に海の上に見学に出かけました。その上の世界の印象を楽しく姉妹に語ることで、新しい世界の勉強と体験学習がなされました。末の娘が海の上に行く番が来ました。海の上には3本マストの大きな船が浮かんでおり、夜には花火や舞踏会が行なわれました。末の人魚姫は船の窓越しに美しい王子様を見ましたが、突然嵐が起こり海が荒れて船が難破しました。人魚姫は王子様を見つけて海岸の砂の上に運びました。人魚が出来ることはそこまでで、後は陸の人間にまかせましたところ、そこへ一人の若い娘がやって来て救助の人々を呼びました。そして王子様は正気に返って無事お城に帰りました。ところが人魚姫はそれからというものは王子様にすっかり一目ぼれで、毎晩海の上に浮かんでは王子様を慕いました。王子様のお城もわかって、人魚姫は人間の中へ入って行きたくtrしかたありません。どうしたら人間になれるかとお婆さんに尋ねますと、お婆さんは「人魚には300年の寿命があるが不死の魂はなく死んだら海のあわとなる。人間には肉体がなくなっても魂は永遠で美しい世界に上ってゆくそうです。人間になるには、心から愛した人と神父さんの前で永遠の愛を誓うことで人間の魂を貰うことが出来る」と結婚の儀式を述べました。そこで人魚姫は魔女にお願いして人間の形になる方法を教えてもらいました。そして魔女は、「一度人間の形なると2度と人魚には戻れない。結婚しなければ人間の魂は授からない。もし王子様が他の女と結婚するなら姫は海のあわになる」といいました。魔女の交換条件は舌を切って美しい声で歌えなくなることでした。それを承知して人魚姫は魔女の調合した薬を飲むと人間の足が出来て、それは美しい女性に変身しました。姫は王子様と再会潮城に入れましたが、王子様の最愛の人は浜辺で最初に王子を見つけて救出してくれた村の娘でした。そして王子がその女と結婚する段取りが進むと、人魚姫は王子様と結婚できないと死んでしまいます。海へ戻るには王子様を刺し殺すことが必要です。人魚姫は王子様を殺すことは出来ず、ついに空気の精となって昇天しました。人魚姫の悲劇の恋の物語です。この話にはある典型的なパターンが描かれています。王子様と結婚することが最高の幸せで、実現不可能なジレンマにおちいった者は魔女と取り引きをします。取引は、願望がかなうという面と自分自身が引き裂かれるというジレンマの駆け引きです。悲劇の場合は後者となります。喜劇の場合は魔女を殺すか騙すかして前者だけを享受するという按配です。

9) 皇帝の新しい着物

日本では「裸の王様」という題で有名なお話です。権威に頼りきって真実を見ない人は道化になるということです。政治家・権力者は肝に銘じておかなければなりません。「共同幻想」という言葉を使った哲学者がいましたが、否定的な見方をすれば、同じ夢を見れば虚構も現実となるというから人間の性は救えません。

10) 幸福の長靴

文庫本で50ページにもなる、童話してはかなり長編です。これを履いたひとは時と場所をタイムスリップしてどこへも行けるとか、なりたいと思う人の心になれるという不思議な長靴が巻き起こす悲喜劇です。この長靴はドラえもんの「何でもポケット」のようなものです。この長靴を次々と履く人として、クナップ法律顧問官、夜警番、病院の助手、警察書記、牧師志願の学生の5人の体験談ですので、いくらでも話は繋いでゆくことが出来ます。その地を語り締めくくるのが幸せと悲しみの2人の仙女です。結論としてはなりたいものになっても碌なことは無いということです。ひたすら今の自分を大事にして生きてゆきなさいという教訓がのこりますが、話は面白おかしくいくつでも作ってゆける漫画的世界です。クナップ法律顧問官の場合は、中世のハンス王(15世紀末のデンマーク王)の時代が良かったと思うが、いざいってみると不便で淋しいだけの田舎に過ぎなかった。時代の進歩の方が良いという意見の勝ちです。夜警番の場合は裕福そうな中尉殿になったものの、内実は貧しくて恋に悩むだけの生活で幻滅したという話。今の生活の方が充実している事を再確認する話です。病院の助手の場合は人の心の中に入って心を読みたいのですが、人の心の内面はどれもこれも興ざめなことばかりでした。気が狂いそうになって逃げ出したという話です。警察書記の場合は勤勉で静かな暮しから、詩人に憧れ詩人の心情になって愚にもつかないことばかりの悪夢を見てしまう話しです。牧師志願の学生の場合は旅をしたくてスイスやイタリアの南の国にゆきますとただうるさくなれない生活にうんざりするというお話です。そして最後に悲しみの仙女が「この人の魂には、自分に定められた宝を掘り出すだけの力がまだ備わっていない」といって大円楽を迎えます。

11) ヒナギク

雛菊とは野に咲く小さな花で可憐な姿を見て雲雀が愛でます。ひなぎくは喜んで精一杯美しく咲き誇り、ひばりが来るのを待ちました。ところがひばりは子供たちに捕えられ鳥かごに入れられていたのです。そしてひなぎくの花も籠の中に入れました。ひなぎくはひばりに会えて嬉しかったのですが、子供らは鳥に水を与えるのを忘れていましたので、ひばりは衰えて死んでしまいました。ひなぎくを愛でたひばりとひなぎくは共に亡くなりました。可憐ないかにも悲しいお話です。

12) しっかり者の兵隊

ある家のテーブルの上に12人の鈴で出来た兵隊さんの人形がありました。鋳物型に鈴の湯を流し込んで作ったので、皆同じ兵隊さんの格好をしていましたが、ひとりだけ片足がありません。それは錫が途中でなくなってしまったからです。この話の主人公は可愛そうな片足の兵隊さんです。テーブルの上には12人の兵隊さんのほかに、紙で出来たお城がありました。お城の窓をのぞくと踊り子の娘さんが片足を高く上げて踊っていました。兵隊さんにはこの娘さんも片足しかないと見えましたので、自分と同じなのですっかりこの娘さんに恋をしましたが何もいえません。夜12時にビックリ箱の蓋がぱちりと開いて、中から小さな黒鬼がいて兵隊さんを睨みつけました。翌朝窓から風が入って兵隊さんは4回から下に庭に真っ逆さまに落ちました。坊ちゃんらは庭を探しましたが見つかりません。そこへ腕白小僧が2人通りかかり、兵隊さんを見つけて紙のボートに乗せて溝に流しました。兵隊さんは大変な目にあって、どんどん流されついには大きな掘割にボートごと沈没しました。水の中に投げ出された兵隊さんをお魚がぱっくり飲み込みました。それからは闇の中で暫くいましたが、突然明るくなって魚の腹から出られました。なんというめぐり合わせでしょうか。漁師がこの魚を釣って買った女中さんがお料理する為に腹を割いたら兵隊さんが出てきました。その家は兵隊さんが元いた家のテーブルの上でした。兵隊さんは娘さんに再会できて嬉しいのですが何もいえません。二人はじっと見つめあうだけでした。するといらず小僧が兵隊さんを掴んで燃え盛るストーブの中へ放り込みましたので錫の兵隊さんは溶けてしまいました。そして紙で作った踊り子の娘も風に飛ばされてストーブの口にはいり燃え尽きました。幸せにも2人はストーブの中で一緒になりました。

13) 野の白鳥

王様には11人の王子様と一人のエリサというお姫様がいました。王様が悪い継母と結婚したため、子供らは酷い仕打ちを受けました。一人娘を百姓の家に追いやり、11人の王子様を白鳥に変えて追い出しました。百姓のうちで育てられたエリサは美しい信心深い娘になり15歳のときお城に帰りました。継母はヒキガエルに命じてエリサを色の黒い醜い姿に変えました。エリサはお城を逃げ出して、お兄さんたちを探しに森に入りました。森の中でお婆さんに出会いました。お婆さんは近くの川で金の冠をかぶった11羽の白鳥を見かけたといい、エリサを案内してくれました。お日様が沈むころエリサは11羽の白鳥が下りてきて立派な王子様に変わるのを見ました。再会を喜び合った兄弟姉妹ですが、お兄さんらは日中は白鳥の姿で、日が沈むと又人間の姿に戻るそうです。そしてエリサを籠に入れて11羽の白鳥は旅立ちました。陸や海を転転として美しい仙女に出あい、王子様を元の姿に戻す方法を教えてもらいました。教会の墓場に生えているイラクサを集め11人分の「くさりかたびら」を作らなければなりません。何年かかっても完成するまでは口を聞いてはいけないということです。山の中でエリサはくさりかたびらを作り続けました。そこへ狩をしていた他国の王様がおしのエリサを見つけ、可愛い娘を城へ連れて帰りました。お城の大きな部屋でもエリサがイラクサ製のくさりかたびらを作り続けましたが、王様はエリサをお妃にしました。毎晩教会の墓場にイラクサを取りに外出するお妃を見て大僧正はエリさは魔女だという悪い告げ口をしました。そしてエリサは火あぶりの刑に処することになり、刑場へ連れて行かれてそのばで11人分のくさりかたびらが完成して11羽の白鳥が飛び降りてきました。それを白鳥に投げかけると11人の王子様が現れ事情がわかり、お妃と王様は結婚式を挙げました。

14) パラダイスの園

旧約聖書の「楽園」を追放されたアダムとイブの物語を一人の読書好きの王子様が追体験するお話です。子供向け聖書物語となっていますので、繰り返しません。ただお話の前半はお婆さんと4人の息子(東西南北の風)の面白い地理の見聞録です。

15) 空飛ぶトランク

大金持ちのし商人にひとり息子が、親の死後財産を使い果たして無一文となり、友人から古いトランクをもらいました。これは世にも不思議なトランクで、息子が乗って錠前を押すとトルコまで飛んで行きました。お城にはお姫様が居られましたが、誰とも会おうとはしません。商人の息子はトランクに乗って城の中の姫様の部屋まで飛んで行きました。息子が結婚を申し込みますとお姫様はOKですといって王様とお妃に何か面白い話をする事を約束させられ、お姫様からサーベルを貰いました。王様には木の棒から作るマッチ棒のお話をしました。この話には鉄鍋、手桶、買物籠、土鍋、お皿、箒、火箸、お茶碗、古いペン、湯沸しが登場しにぎやかな愉快なお話となりました。この話を気に入った王様はお姫様を息子に与える約束をしました。婚礼の日に息子はトランクの中に花火を仕込んで打ち上げますと、トルコの人々は大喜びでした。ところがトランクはこの火で焼けてしまって、もうトランクに乗ってお城に行くこともできなくなりました。根も葉もない話は夢に消えました。

16) コウノトリ

コウノトリのことをペーターと呼ぶいわれ(こじつけ)の話です。コウノトリのお母さんは屋根の上で4羽のヒナを育てていました。そこに下の道で人間の悪がきらがコウノトリの悪口を歌っていました。ひな鳥はこの子供らに何とか仕返しをしたくてしようがないのですが、母親鳥はまずヒナ鳥に飛ぶことを教えなければなりません。秋の大演習を無事パスして南の国エジプトへ旅立つ前に、子供の4羽のコウノトリがお母さんに仕返しをねだると、お母さんコウノトリは「悪口を言わなかった子供には良い赤ちゃんをプレゼントし、悪口を言った子供には死んだ赤ちゃんを渡そう。良い子供の名前はペーターだったので、コウノトリもペーターと呼ぶことにしましょう」といいました。

17) 青銅のイノシシ

この話は大きくは2つの部分から成り立っています。前半はイタリアフィレンチェのグランドゥーカ広場を貧しい少年が猪に乗って散歩する話、後半はこの少年が手袋職人に拾われて隣に住む画家の青年に絵を教わり立派な絵描きになる話からです。背景となる主題は、この世では救われることがない少年が、「死んで天国へ行き幸せになる」という希望を持つということです。フィレンチェのグランドゥーカ広場のポルタ・ロッサという通りに市場があり、その前に立派な青銅製のイノシシがありました。そのイノシシの鼻だけはピカピカに光っていました。それは乞食の少年たちが水を飲むために手をかけるからです。ある夕方大公家の庭園を追い出された少年は、グランドゥーカ広場の青銅のイノシシの背に乗って眠りました。するとイノシシが動き出し少年を背に乗せグランドゥーカ広場の名所を案内してくれました。子供と遊べるイノシシにとっても幸せなひと時です。少年とイノシシは広場のミケランジェロの「ダビデ」などの銅像を巡りました。そしてウフィチ宮殿の「メディチのビーナス」などの大理石像などの美術品を見て回りました。ブロンチィーノの「地獄へ降りるキリスト」の絵には天国へいけると信じている子供の顔の表情に少年はじっと見とれておりました。つぎにサンタクローチェ聖堂のお墓には、ガリレリ、ダンテ、マキャベリらが祭られていました。こうして家に帰った少年はお金を稼げなかったため、乞食をさせている「母親」からこっぴどくいじめられ、家を逃げ出してある手袋職人のおじいさんに拾われました。その家で手袋職人になるように教えられましたが、隣に住んでいる若い絵描きに絵を教えてもらい、ついに少年は絵描きになりました。

18) 友情のちかい

ギリシャのパルナッソス山の近くにあるデルフォイという地で、トルコからギリシャ独立を志す義兄弟の盟友の話です。父はトルコ人に殺された友人の娘を引き取り、自分の息子の兄弟にして育てました。娘の名前はアナスターシャといいます。その父も盗賊という言葉で殺されました。母と兄妹は捕らえら、許されて故郷へ向かって旅する途中の聖堂でアフタニデスに会い友人となったのです。故郷では羊番をして暮らしましたが、幾年かが過ぎまして兄妹も立派な若者と美しい娘に成長し、兄はその頃義妹を好きになっていました。そこに友人アフタニデスが旅の途中に立ち寄りました。2人の義兄弟は聖堂で妹アナスターシャを仲介人として義兄弟の誓いをしました。友人アフタニデスもアナスターシャを恋していましたが、あるだけの金をプレゼントしてその地を去りました。

19) ホメロスの墓のバラ一輪

小アジアのスミルナにはイリアスの詩人ホメロスのお墓があります。墓のそばの一輪のバラの花にナイチンゲールが愛の悩みを歌っていました。北欧の詩人はこれを「ホメロスの墓のバラ一輪」と呼びました。

20) 眠りの精のオーレ・ルゲイエ

オーレ・ルゲイエおじさんは子供たちが行儀よく勉強しているときにやって来て、子供たちを眠りに導き夢の中でいろいろなお話を聞かせてくれました。ヤルマールという坊やに1週間毎晩お話をしました。
月曜日: オーレ・ルゲイエおじさんはヤルマール坊やに今日は飾り付けをしようといって、部屋中を花や木で飾りましたが、ヤルマールの机の引き出しの中はごちゃごちゃです。算数の数は間違っており、字はひん曲がっていました。そこで文字体操をさせるときれいになりましたが、翌朝見るとやはりごちゃごちゃです。
火曜日: オーレ・ルゲイエおじさんはヤルマール坊の部屋の家具に注射器でさわりますと、皆は喋り始めました。そして壁の風景画にさわりますと小川は流れ陽はかがやき鳥はさえずりました。オーレ・ルゲイエおじさんはヤルマール坊やはボートに乗って冒険のたびに出ました。ヤルマール坊やの知り合いの人たちが一杯楽しげに手を振ってくれました。
水曜日: ひどい土砂降りの雨の日、立派な船に乗って外国へ行きました。南の国にゆくコウノトリの群から一羽のコウノトリが疲れて降りてきました。船の中に飼っている鶏、アヒル、七面鳥の小屋に入れると、コウノトリはみんなからいじめられましたので、小屋の外に出してやると南の国に向かって飛んで行きました。
木曜日: ヤルマール坊やははつかねずみから結婚式に招待されました。オーレ・ルゲイエおじさんはヤルマール坊やを小さくして床下の結婚式場に出かけ、それはにぎやかな結婚式を見学しました。
金曜日: お姉さんの持っている着せ替え人形の結婚式に出かけました。お姉さんは人形の衣裳を変えるために何回も結婚式や誕生日をやっています。結婚する二人は祝福され、どこに住むかということになりました。渡り鳥のツバメは南の国の楽園を薦めますが、砂利場に住む鶏はキャベツに恵まれたこの地がいいと主張します。新婚さんは旅をしたくないので、鶏の言うことを採用しました。
土曜日: オーレ・ルゲイエおじさんは今日は忙しく、空のお掃除です。それを見ていた壁のひいじいさんの肖像画がオーレ・ルゲイエおじさんにいい加減な事を子供に教えるなとクレームをつけました。オーレ・ルゲイエおじさんは自分は「夢の神」であなたよりずっと古いといって、今日はひいおじいさんにヤルマール坊やのお話をまかせて出かけてしまいました。
日曜日: オーレ・ルゲイエおじさんの弟は「死神」でした。人を馬にのせ「成績表」を見せろといいます。成績のいい人には面白い話を、成績の悪い人には恐ろしい話をしました。ということで、子供に、いい話が聞きたかったら、成績が良くなるように努力するように仕向けました。 

21) バラの花の精

バラの花のなかに妖精がすんでいました。昼間は花園の花から花と飛び回っていましたが、夕方涼しくなるとバラの花びらが閉じてバラの花の精の帰る家がありません。バラの花の精は庭園のあずまやに行きますと、そこには若者と娘がいて話をしていました。2人は愛し合っていましたが、娘の腹黒い兄さんが二人の仲に反対しているので若者と娘は別れ話をしていました。娘がもっていたバラの花のなかに、バラの花の精はもぐりこみ2人の話を聞きました。そして2人は別れましたが、バラの花は若者が持って帰りました。帰り道で腹黒い兄さんが待ち伏せをしていて、その若者をナイフで刺し殺し首を切り、死体を菩提樹の根元に埋めました。バラの花の精は一部始終を見て、枯葉にくっついてその兄の髪の毛にもぐりこみ、兄妹の家に着きました。バラの葉の精は娘のベットに行き、眠っている娘の耳元にあの殺人のことを夢として語り聞かせました。翌朝娘はバラの花の精に教えられた通り菩提樹の木の下に若者の死体を発見し、自分の家に若者の首をもって帰り、大きな植木鉢のなかに若者の首を入れてジャスミンの枝をさしました。バラの花の精は娘の部屋のバラの花の中に住みましたが、娘は毎日ジャスミンの鉢の前でなき続け次第に衰えて亡くなりました。そのときジャスミンの白い花が咲き甘い香りを部屋中に放ちました。そのジャスミンの花の中に妖精が住んでいました。若者の殺人の事もよく知っています。なぜなら妖精は若者の首から生まれてきたからです。バラの花の精が蜜蜂の女王に兄への復讐を頼みに行っている間に、ジャスミンの妖精らが眠っていた腹黒い殺人者の兄を刺し殺しました。蜜蜂の群れが家に到着しジャスミンの鉢の前でぶんぶん回っていると、ジャスミンの鉢が落ちて壊れ、なかから若者の首が現れ事情が露になりました。

22) 豚飼い王子

皇帝のお姫様に結婚を申し込んだ王子様は、お姫様にバラの花とナイチンゲールをプレゼントしました。ところがお姫様は本物のバラの花やナイチンゲールよりも作りものがお好きなようです。そこで王子様は豚飼いとして宮中には入り、匂いを嗅ぎ分ける仕掛け壺、音楽を奏でるガラガラ(オルゴール)をお姫様に見せました。お姫様は興味を示し譲って欲しいといいますが、豚飼いの王子はお姫さんにキスをする条件で承諾しました。豚飼いとお姫様がキスをしてるところを皇帝が見咎め、2人は城を追い出されました。豚飼い王子は身分を話して、本物より作り物を好きなお姫様をなじって、本物のよさを理解できないお姫様と結婚しませんでした。

23) ソバ

ソバの実が真っ黒になっているわけを雀から聞いたお話です。畑の真ん中に一本の大きな年取った柳の木がありました。周りの畑には、カラス麦やソバ畑がありました。ソバは剛情で高慢でしたので、自分が一番豊かな穀物だと言い張っていました。麦は実るほどに穂の頭を下げますが、ソバは頭を立てています。だから稲妻を見据えたため焼かれて黒くなったのだという話です。

24) 天使

お涕なしには聞けない悲しい子供の話です。子供が死ぬと天使がやって来て天国へ舞い上がります。その途中子供が遊んだ花園によって想い出の早や草を摘んで天国へ持参します。ついでに天使は街中の露路に捨ててあった鉢の土くれを拾いました。子供がそのわけを聞くと、天使はその鉢は以前に貧しい男の子が横丁のある地下室に住んでいましたといいます。その男の子は病気で地下室を出たことはなく、1日30分だけ日が差す地下室の部屋にぶなの枝を植えて水をやって育てていました。彼にとって唯一の花園であり、いいにおいのする夢を見せてくれる宝だったのです。その子が死ぬとぶなの鉢は枯れ投げ捨てられてゴミになりました。その鉢の土を天国へ運ぶのだ天使は答えました。どうしてそんなに詳しく知っているのかと問えば、その病気の男の子は天使の事でした。天国で神様が萎れた花にキスをしますと、花は歌を歌い天国は幸福で満たされてゆくのでした。死んでからしか幸福になれない不幸な子供に、幸せな夢を見させることで生き甲斐を与えるお話です。

25) ナイチンゲール

中国の皇帝のお庭に一羽のナイチンゲールがやって来て、それは美しい声で歌を歌うので世界中で評判となりました。そしてこのことは本にも書かれました。しかし皇帝は実物を見たことはなく本でしか知りませんでした。そこで宮中では誰もナイチンゲールのことはしらないというので大捜索が始まりました。台所で働いていた娘が知っているというので、森に行ってナイチンゲールに宮廷で皇帝に歌を歌ってくれるよう頼みました。そしてナイチンゲールは宮廷の金の鳥かごに住むことになりました。ところが皇帝に作り物の野名沈ゲールが贈られてきました。楽長は作り物の鳥の声は世界一と誉めたため、本物のナイチンゲールはこの国を追われました。作り物の鳥はある日突然壊れて鳴かなくなりました。5年ほど経って皇帝は病気となり次第に衰弱して死神が立ちました。皇帝は最後に美しい声を聞きたいと思うのですが、作り物の鳥は鳴きません。すると窓に一羽のナイチンゲールが舞い降りて、美しい歌を聞かせました。皇帝は次第に元気を取り戻しました。皇帝は死神を追い払ってくれたお礼に宝物をナイチンゲールに出そうといいますと、ナイチンゲールは歌は人の心を喜ばす宝石ですといって辞退しました。翌朝廷臣たちが訪れ、皇帝はなくなったと思っていましたら、元気なお姿で現れましたとさ。

26) 仲良し

独楽と毬がおもちゃ箱の引き出しに居りました。こま吉、まり子といいます。まり子はモロッコ革の着物を着ていることが自慢でした。ある日おもちゃの持ち主の坊ちゃんが来て、こまに色を塗りました。そこでこま吉は立派な姿になったと思ってまり子にプロポーズしました。まり子は位が高く、ツバメと婚約したといってこま吉に肘鉄をしました。ある日まり子は外で遊んでいるうちに見えなくなりました。こま吉はまり子の事を思ってぶんぶん回りますが、思いは募るばかりです。5年後こま吉は体中金色に塗られて、回って飛び跳ねた時見えなくなりました。こま吉はゴミ箱にとび込んだのです。とその中に年をとったふやけたまり子がいました。まり子は何年もの間雨樋に引っかかって水ぶくれしていました。まり子はこま吉に気がついて喜びましたが、こま吉はよれよれになったまり子を見て、昔の恋も冷めてしまいました。女中がゴミ箱から金色のこまを見つけ部屋の中にもって帰り、こま吉は命拾いしましたが、まり子は捨てられました。妙に現実的な話です。

27) みにくいアヒルの子

これは有名なお話で、なにも申すことはないでしょう。貴種伝説の一種かもしれません。本当は貴なる生まれであったものが俗に紛れて存在していたが、やがて貴種であることが表れてその位置についてハッピーエンドという流れです。

28) モミの木

樅ノ木(モミの木)とは北欧ではクリスマスツリーのことです。船のマストにもなる丈夫な木ですが、幹が切られてクリスマスイブの夜には綺麗な飾りつけが施されて、子供たちを喜ばせます。主人公は若いモミの木です。早く大きくなりたい、立派な木になりたいと願っていましたが、太陽は「あせらないで、おまえの若々しい成長を、若々しい生命を楽しみなさい」と諭されました。クリスマスが近づくと、若い木が次々と切られて町へ運ばれました。このモミの木も切られ、町の家の中に運びこまれました。そして子供たちは樅ノ木を金箔や人形で飾りつけ、その前でお話を聞いています。樅ノ木もその話をきいて楽しい夜を過ごしました。クリスマスの翌日クリスマスツリーは屋根裏に投げ込まれ、樅ノ木のお話し相手といえばネズミくらいで、樅ノ木は楽しかったクリスマスの夜のことを思い出します。いつか樅ノ木は部屋から表に出され、薪に切られて燃やされましたという。クリスマスの日だけ、樅ノ木は最高に幸せな記憶が残りました。

29) 雪の女王

雪の女王という話は次の7つのお話からできている、童話としては長編物語です。
@ 鏡とそのかけらのこと: 小人の悪魔たちが鏡を作りました。人の本性やみにくいものが見えるというものです。悪魔たちはこの鏡を担いで天国へ持ち込もうという大それたことをしましたが、天国に近づいてこの鏡は粉々に砕け地上に降ってきました。そしてこれらのかけらが人に刺さると、その人をいやな人間に変えてしまうのです。何でも反対に見たり、物事の悪い面ばかりを目にするという不幸をまき散らしました。ここからお話が始まりました。
A 男の子と女の子: 貧しい屋根裏部屋に向かい合って住んでいる男の子の名前はカイ、女の子の名前はゲルダといいます。屋根の上に野菜を植えていました。仲良しのカイとゲルダが絵本を見ていたとき、あの鏡のかけらがカイの胸と目に刺さりました。それからというもののカイの性格ががらりと変わり、急に分別くさくなりました。ある雪の降る日カイはそりに乗って遠くへゆきましたが、降りしきる雪は雪の女王に変身してカイを誘いました。こうしてカイは行方不明になりました。
B 魔法を使うおばあさんの花園: 春になっても戻らないカイを、ゲルダは赤い靴を履いて探しに出かけました。ゲルダはボートに乗って川を下ると、桜の園に小さな一軒家を見つけました。その家には魔法使いのおばあさんがいました。おばあさんはゲルダを手元に置きたがって家に入れました。そしておばあさんの花園に行って、花にカイの消息を聞きましたが、だれも自分の話をするだけでカイの手掛かりはありません。
C 王子と王女: すっかり秋になってゲルダはさらにカイを探して旅をつづけました。雪の空にカラスを見つけてカイのことを尋ねますと、王女様のお城にいる婿さんがカイではないかといいました。この王女様は面白い話をしてくれたら婿様にするということで、王子様が気の利いた話をして婿になったその人がカイではないかというのです。グルダはカラスと一緒にお城にゆき婿様の姿を見ると、それはカイではありません。直接カイにつながらない挿話でした。
D 山賊の小娘: グルダは王女様から頂いた金の馬車に乗ってさらに旅をつづけました。ある山のなかで、グルダの乗った馬車は山賊に襲われ、山賊のばあさんはグルダを取って食おうとしましたが、山賊の小娘が助けてくれて、グルダと小娘は一緒に馬車に乗って山賊のお城に出かけました。お城には鳩とトナカイがいました。鳩はカイが雪の女王の車に乗っているのを見たといいました。場所はラプランドという北の遠い地方です。ゲルダはその場所をよく知っているトナカイに乗って女王のお城に向かって出発しました。
E ラップ人の女とフィン人の女: トナカイに乗って北の国にゆき、そこの住民であるラップ人の女とさらに北にいるフィン人の女にラプランドの雪の女王について話を聞くことができました。フィン人の女には雪の女王に勝つのみ薬を調合してもらい、あのガラスのかけらがカイの心臓と目に刺さっているのをまず取り除かなければなりません。それにはゲルダの勇気と愛が必要です。雪の女王のお城に近づくと、雪の軍勢がゲルダに襲いかかりました。ゲルダは主の祈りを唱えますと天使の軍勢が雪の軍勢を打ち負かしました。
F 雪の女王のお城であったこと: 雪のお城はどの部屋もオーロラで照らされ一面氷が光っていました。ゲルダがお城に入り夕べの祈りを唱えますと、氷の塊をとかし、辺り一面のガラスの破片を洗い流しました。そしてゲルダが讃美歌を唱えますと、カイは泣き出して目に刺さったガラスの破片も流されました。カイはすっかり元気になり、カイとゲルダはトナカイに乗って帰りました。心が理知の氷で閉ざされ、人間性を失ってしまった人も、神への祈りで救われるという宗教話です。

30) ニワトコおばさん

ニワトコはお茶にして飲むと風邪に効くといわれとぃます。男の子が風邪をひき始めましたので、お母さんは男の子にニワトコのお茶を飲むと、おじいさんがお話をしてくれるといってお茶を飲ませました。おじいさんのお話は「ニワトコおばさん」のお話です。昔ニュボアーという港町に、ニワトコの木のある家に老人夫婦が住んでいましたとさ。二人はもうすぐ金婚式を挙げるところでした。昔おじいさんは船乗りで年中海外に出かけておりました。その夫婦の長い人生のささやかな思い出話です。

31) かがり針

くらいの高い「かがり針」と指のお話です。破れた靴を修理するため、料理女の指は針を通そうとすると繊細で長いかがり針はすぐに折れてしまいました。料理女はネクタイピンとして再利用したのですが、なんかの拍子に針は流しに落ちて、どぶに流れました。どぶの中ではごみやガラスの破片がいて、かがり針はいわば{ゴミダメに鶴」という心境で、気位の高さだけで生きていました。ある日いたずら坊主がどぶを掻き回して金属類を回収しました。そのとき道端に捨てられた針は馬車にひかれてしまいました。

32) 鐘

遠くのほうから教会の鐘の音がきこえてきますが、だれもその場所を知りません。王様は、鐘の響きがどこからやってくるのか調べた者に称号を与えると約束しました。森の中のふくろうの声だという人もいました。堅信礼を終えた子供たちが鐘の響きの探検に出かけましたが、一人抜け二人抜けして最後に残った子供が王様の子供と貧しい家の子供でした。そして二人は高い岩山の頂上で荘厳な景色を見て、これが目に言えない聖なる鐘の響きでした。天国の鐘という、これは子供向けの宗教話です。

33) おばあさん

おばあさんはお話をたくさん知っています。そして美しい花模様の着物と銀の締め金のある讃美歌の本を持っています。その讃美歌の本にはバラの花の押し花が挿してありました。このバラの花はおばあさんの若かったころ、青年からもらったバラの花でした。その青年は行ってしまいました。果たせぬ恋の思い出のしおりです。このバラの花のにおいをかぐと、おばあさんはすっかり若くなって青年との思い出に浸ることができました。しかし子供たちにお話を終わるとおばあさんは静かに息を引き取りました。おばあさんの棺にはバラの花のしおりの入った讃美歌の本を置きました。

34) 妖精の丘

妖精の丘では王様の娘のお見合いの準備で大忙しでした。なんせノルウエイからドウレ山の小人の主が二人の息子を連れてお見合いにやってくるのです。妖精の女中がしらは舞踏会や晩餐会に招待する上品なお客さんの連絡で飛び回っています。やがてドウレ山の小人の主が到着し、妖精の娘らの踊りが始まり、娘の紹介となりました。ところが山の主の息子二人はは野原を駆け回って結婚なんて眼中にありません。この話には落ちがない。ただ妖精の丘が騒ぎでにぎやかだったというだけのことです。

35) 赤いくつ

カーレンという名のかわいい女の子がいました。いつもは木の靴をはいていましたが、おばさんに赤い布の靴を作ってもらいました。お母さんの葬式によくないと思いながらこの赤い靴をはいて参列しました。娘は年寄りの奥様に貰われ、堅礼式を受ける年頃になり、としよりの奥様にエナメル皮の赤い靴を買ってもらいました。娘はキリストのことより赤い靴のことばかり考えていました。聖餐式に赤い靴を履いて教会に向かいましたが、途中に年取った兵隊(これが魔法使いだったのです)がカーレンの赤い靴に「なんときれいなダンス靴じゃ」と呪文をかけました。聖餐式の時もカーレンは赤い靴のことばかり考えていました。教会から出ると、外にあの年取った兵隊がいて「なんときれいなダンス靴じゃ」といいますと、足と靴が勝手にダンスを始めて奥様の足を蹴飛ばしました。そのうち奥様は病気で寝付いてしまいましたが、カーレンは看病もせずに赤い靴を履いて舞踏会に出かけました。ところが足と靴はカーレンの意思とは無関係に勝手に踊りだし暗い森の中へ入ってゆきました。墓地の中で天使は「死ぬまで赤い靴を履いて踊るのだ」と呪いをかけました。怖くなったカーレンはさらに踊り続けて、首切り役人の家にゆき、足ごと赤い靴を切り落としてもらいました。そして木の靴と松葉つえで歩くようになり、教会で賛美歌をうたい懺悔をしました。こうしてカーレンの魂は神様に召されました。キリストのことも忘れて、自分の興味にかまけていると悪魔に取りつかれ、懺悔も手遅れになるということです。

36) 高とび選手

ノミとバッタととび人形の3者が王様の前でとび比べをしました。一番高く飛んだものにはお姫様が貰えるのです。ノミは目に見えないくらい早く飛びました。バッタはノミの半分くらいの高さでした。とび人形はお姫様の膝まで飛びました。王様はとび人形を一番としました。悔しがったノミとバッタは「一人前にみられるには、体が必要なんだ」と言い続けましたとさ。

37) 羊飼いの娘とエントツ掃除人

部屋の中にある古い箪笥の表には複雑な文様が浮き彫りにしてありました。その文様の中にヤギが彫られており、子供たちはこれを「ヤギ足総司令官」と呼んでいました。部屋の鏡の前には陶磁器で出来た羊飼いの娘と煙突掃除人と年取った中国人の人形が置かれていました。羊飼いの娘と煙突掃除人は恋仲で婚約をしていました。年取った中国人は娘の親で、頭が前後に振れるお辞儀人形でした。箪笥の「ヤギ足総司令官」が羊飼いの娘を嫁にするため、年取った中国人に申し込みますと、中国人はこっくりとうなづきました。これで承諾を得たと思った「ヤギ足総司令官」は結婚式の準備を進めました。これを嫌った娘と煙突掃除人はこの部屋から逃げました。暗い煙突を通って屋上に出ると、あまりに明るくて広い空にびっくりした娘は、もう一おちついた部屋に戻りたいと言い出し、部屋に戻ると年取った中国人人形は床に落ちて首が離れていました。煙突掃除人はかすがいを当てて首をくっつけました。すると首はもう振れなくなりました。「ヤギ足総司令官」がもう一度中国人に返答を迫りますが、首はたてには振れませんでしたとさ。

38) デンマーク人ホルガー

デンマークのエーレンソン海峡は北の国の船が行き交う要所で、そこにクーレンソンという古い城がありました。このお城の下に「デンマーク人ホルガー」の像が立っていました。デンマークの国が危険に陥った時だけホルガーが地上に現れデンマークを救うと信じられていました。このデンマーク人ホルガーの像はデンマーク船のへさきにもつけられています。この像を彫る木彫師のおじいさんがいました。おじいさんはデンマークの紋章のついた楯を彫る仕事をしています。デンマークの紋章には、ハート形とライオンが彫られています。ライオンは力を表し、ハートは柔和と愛のしるしだといわれています。そしてデンマークの偉大な王の歴史が簡単に語られます。木彫師のおじいさんが若いころギリスとの戦争(1801年4月2日)で、兵隊としてイ艦隊「デンマーク号」に乗った時のお話です。イギリス艦隊から打ち込まれる砲弾の嵐の中で、少しもおじけず冷静に指揮を執っている男には砲弾さえ避けて流れているようだったという。おじいさんはあれこそ デンマーク人ホルガーに違いないと信じていました。

39) マッチ売りの少女

涙なしには語れないあまりにも有名な童話です。胸をかきむしるような「断腸」という古臭い言葉がぴったりのお話です。救い難い貧しさは死ぬことによってのみ救われるというテーマです。死んで神の国に行ってはじめて幸せになれるという奴隷の信条です。詳細の物語がなく短い内容だからこそ、読む人の想いと悲しみが膨らみます。

40) 城の土手から見た風景画

城の土手のちかくに木の柵で囲まれた牢獄の家がありました。日も差し込まない重犯罪人の独房が並んでいます。しかし小さな窓から光の気配と小鳥の声は聞こえます。それが唯一の囚人の慰みだったのです。

41) 養老院の窓から

ヴァルトーの養老院の年取った一人の女が住んでいました。女は窓から外を眺めて、貧しい子供たちの遊ぶ姿を見て、自分の幼少のころを思い出しては懐かしんでいるようです。

42) 古い街灯

魚油をともす古い街灯が、ガス灯にとってかわられる時が来ました。市の36人委員会が検査をして、別の利用を考えるか鋳直しをするかが決定されます。街灯は長い間町の人々を見守ってきました。いろいろな思い出が走馬灯のように流れました。結局古い街灯は鋳直されてろうそくを立てる立派な燭台となり、長くこの街灯の面倒を見てきた夜番の老人の家に貰われてゆきました。

43) おとなりさん

村はずれの沼にバラの花が生きることを楽しむかのように映っています。バラの木の前の農家の屋根に生まれたばかりの数羽の小雀と母親スズメがピーピーとお話をしています。そうバラの花とスズメはお隣さんでした。人が美しいバラの花を胸に挿したりするのを小雀がみて羨ましがっていますが、母親スズメはバラの花を快く思いません。あれは人の目と鼻のためにあるのだといいました。ナイチンゲールもバラの美しさを褒めたたえて歌いますが、母親スズメはある屋敷の庭で飼っているクジャクが一番美しいのだといいました。ある日曜日母親スズメが子供を巣に残して出かけましたが、人間の子供が仕掛けた鳥網に引っ掛かり捕えられました。百姓家の作男が母親スズメに金箔を貼り付けて「金の鳥」に化粧して放ちました。ほかの鳥の好奇心の的になり、母親スズメは体中を鳥に突かれて死に絶えました。小雀らは巣立ちをして百姓家を離れましたが、そのとき百姓家は火事で丸焼けになり、残ったのは煙突と焼け焦げた梁と家の前のバラの木だけでした。ちょうど絵描きさんが通りかかり、その美しいバラの木と焼けた百姓家をスケッチしました。ある屋敷の庭に鳩がいるところに3羽の若い雀がが来ました。その3羽のスズメは百姓家の屋根にいた小雀だったのです。若い雀らが屋敷の部屋に入ると、壁に焼け落ちた百姓家とその前のバラの木の絵が描かれており、この部屋は絵描きさんの部屋だったのでした。それからずいぶん年が過ぎ、一番上のスズメはもう年寄りになっていましたが、一度は都会に出てみたいといってコペンハーゲンに行きました。立派な建物であるトールヴァルセン記念館の庭で兄弟スズメと出会い、みんなでトールヴァルセンの墓に立ちました。するとなんと墓のそばにお隣さんだったバラの木が美しい花を咲かせていました。それはあの画家がバラの株をこの墓のそばに移したのでした。再会を果たしたバラは「こうして花を咲かせて、昔の友達にも会え、なんと恵まれたことでしょう」といったとさ。

44) ツック坊や

ツック坊やはもっと小さな妹の面倒を見なければならないので勉強する時間がありません。あすは学校で地理の試験です。町や村の歴史を勉強しておかなければいけませんが、その時お母さんが隣の洗濯ばあさんのお手伝いをしてやりなさいといいました。桶で水を運ぶ仕事をして暗くなって家に帰ると、勉強するために灯りをつけてもらうこともできず、すぐ寝床に入りました。すると夢の中で町のことや港のこと、白のことを案内してくれる夢を見ました。翌朝早く起きて本を読み始めると、すらすらと頭に入ってゆきます。その時洗濯ばあさんがやってきて、「昨日はありがとう、親切な坊や、神様がきっとあんたの一番いい夢をかなえてくれるよ」といいました。

45) 影法師

これは複雑なお話です。本人とその影法師が入れ替わって、本人が影の奴隷となり下り、影に抵抗しようとすると、主役入れ替わった影法師に殺されるという話です。悪魔に魂を売った現代心理劇ともいうべきでしょうか。主人公は寒い国から学者で、暑い日差しを避けて日中は家の中に閉じこもっている陰気な生活でした。夜は部屋の灯で学者の影が反対側の家のバルコニーに映ります。向かいのバルコニーの窓の住民に興味を持った学者は影法師に窓の中を調べてくれるように頼みました。ここから面白くもない生活に嫌気がさした影法師の謀反が始まります。翌朝学者先生が日当たりに出てみますと、自分の影法師がなくなっていました。1週間ほどたった時、自分の足元に影法師が姿を現しどんどん成長してゆきました。学者が寒い国に帰国して何年か過ぎた晩に自分の部屋をノックする音がします。それは自分の影法師に肉体が付き、人として何をやっても成功しひとかどの金持ちになってやってきたのです。学者先生は影法師の自由と幸福を祝いますが、影法師は学者に自分を影法師と呼ばないように、そして「君」と呼ぶのではなく「あなた」と呼んででほしい要求しました。つまり学者と影法師は対等な人間としての取り扱いを求めたのです。どうしてここまで影法師が成功したのかというと、かげぼうしは「隣人の悪」が見えるからです。隣人(相手)はそれに恐怖して地位とお金を貢いでくれたからだといます。ところが真、善、美を追求する学者はさっぱり芽が出ませんでした。そこで影法師と学者は立場を入れ替える約束をしました。主人公と従僕が入れ替わりました。二人は旅に出て温泉場に着きました。温泉場には病気の美しい王女がおられて、王女の出す難問に影法師は学者を使って答えて信頼を得て結婚することになりました。そこで影法師は学者に影法師に徹するよう要求しましたが、学者はそれを断ると、影法師は王女の権力で学者を逮捕幽閉し殺害しましたというお話です。不気味な話ですね。

46) 古い家

アンデルセンの童話には、淋しさと孤独の中で古い記憶に支えられて生きる老人が多く描かれている。これは生涯独身だったアンデルセンその人の心の風景ではなかっただろうかと思われます。この話は一人の男の子と向かいの古い家に住む孤独な老人の交流の記憶です。その仲立ちをするのがおもちゃの錫の兵隊さんです。老人は昔は裕福な人であったようですが、今は下男の年寄りが毎朝お世話をしにやってくるだけで、一人っきりでこの古いおんぼろの屋敷に住んでいました。男の子は向かいの老人がさみしそうなので、錫の兵隊さんを贈りましたら、ご招待のお誘いがあったのでその古い家に出かけました。家の玄関を入ると、騎士や貴婦人の肖像画などがあり、壁は豚の革が貼ってありました。男の子がおじいさんにさみしくはないかと尋ねますと、老人は昔の思い出がやってくるので幸せだよといいました。贈った錫の兵隊さんはさみしくて床に落ちて行方不明となり、数週間後には老人もなくなりました。そして家も取り壊されて新しい家が建ちました。何年も経ち男の子は成人し、その家の隣にお嫁さんと引っ越してきました。そして庭の土の中から錫の兵隊さんを見つけました。

47) 水のしずく

水溜りの一滴のしずくを拡大鏡(顕微鏡)でみると、いろいろな水の中に住む生物が見えます。これを初めて見る人には興味津々ですが、見様によっては秩序のないうウヨウヨガヤガヤの世界です。人間が押し合いへし合いしている都会のようです。

48) 幸福な一家

フランス語で「エスカルゴ」というカタツムリの料理があります。白くて大きなカタツムリの夫婦がスカンポの森にすんでいました。カタツムリはこのスカンポの葉が大好物でした。そして自分たちは世界で一番上品だと知っており、お屋敷で自分たちが料理され銀の皿に盛られることを夢見ていました。このカタツムリの老夫婦には子供がいませんでしたので、普通のカタツムリの子を養子にして成長を見守っていました。子供は少しも大きくなりませんが、成長してお嫁さんを探す年頃になりました。老夫婦はあちこちに声をかけてお嫁さん探しをしましたが、結局グースベリーの木にいる小さなカタツムリを嫁に決めて、結婚式を挙げました。そして老父婦は亡くなりました。銀の皿には乗れなかったものの一家はそれはそれで幸せでした。

49) ある母親の物語

母親は今にも死にそうな子供を見つめていました。するとドアーをコツコツと叩く老人がいました。それは死神でした。母親が一瞬うとうとしたとき、子供と老人の姿が消えていました。母親は外へ出て必死に子供の後を追いましたが、自分のすべてに替えてでも子供を取り戻したくて、追いかけて死神の大きな温室に入りました。そこにはしぼみかけたサフランの花があり、それが子供の命を表していました。母親はほかの花を引き抜くと死神を脅迫して、子供の命を取り戻そうとしましたが、死神は、今元気で幸せな他人の子供の命を奪ってはいけない、どちらも神のおぼしめしだと半狂乱の母親を諭しました。母親はすべては神の御心のままにと命の定めを悟りました。

50) カラーの話

紳士の首を飾るカラーが靴下止めに恋をしてちょっかいを入れますが相手にされません。そしてカラーはアイロンや鋏や櫛に結婚を申し込みましたがどれも失敗です。カラーは高慢でほら吹きだったからです。とどのつまりは梳かれて白い紙になりました。白い紙には良くないことも印刷されて皆に知れてしまいました。カラーはとんだ「伊太公」でした。

51) アマの花

アマの花がきれいに咲いて、今に人の役に立つんだと元気いっぱいでした。それを聞いた生垣の杭は「ブルルン、ブルルン!ぐるぐる回る。楽しい歌もおしまいだ」と皮肉を言っています。アマの一生の変遷を見ましょう。成長したアマは繊維をとるため、裂かれて打たれてさんざんな目にあい、糸車にかけられて美しい大きなリンエルになりました。リンネルは反物になり切られて縫われて、下着が12枚も出来上がりました。下着も古くなるとつきつぶされ、ゆでられこうして白い上等の紙に梳かれました。その上に思想が印刷され1冊の本ができました。最後は紙は残らず焼かれて灰となりました。アマは「楽しい歌はおしまいじゃない、これこそすべての中で一番美しいものだ、だから自分は一番幸せ」といいましたとさ。

52) 不死鳥

アダムとイブのパラダイスの園のバラの花よりに一羽の鳥が生まれました。イブが禁断の美を食べパラダイスを追われた時、焼け落ちたパラダイスの巣にいた鳥がうまれました。これを不死鳥フェニックスといいます。フェニックスはアラビアの零鳥だけでありません。北欧のオーロラの中でもイギリスでもインドでも、フェニックスは輝いています。これは「詩」のことです。

53) ある物語

この話はキリストが人間の罪を愛で救うということです。人はもともと7つ罪に苦しんで生きています。こういう人たちを牧師が地獄へ落ちるという言葉でしかりつけても救えません。人間というものを知って、どんな悪い人の中にも神の一部分が宿っていることを教えます。親鸞の言葉「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」の考えを説いています。

54) もの言わぬ本

農家の庭の園亭に棺が置いてありました。亡くなった人の頭の下には草花の標本のような分厚い本がおいてあります。それは本人の希望で置かれたものです。そのしおれた花の一つ一つにこの人の生涯の思い出が結びついているのです。この人は元は秀才の大学生でしたが、どこかで身の上に激変が起き、勉強を捨て酒に身をおぼれさせました。そして体を壊してこの田舎にやってきたのです。暗い気分に襲われないときはおとなしいのですが、急に荒れ狂って暴れ出します。その時にこの草花の本を見せますと若い時の友人との思い出に涙を流して眺めていました。これまでの人生のあらゆる希望と悲しみを伴って浮かび上がってくるのです。思い出の中でこの人は安らぎを見出すのです。お墓の中へこの本を持ってゆきたかったのです。

55) ちがいがあります

人間には選民意識とか差別感とか、自分だけは違うんだとか、自分は神の恵みを受けて美しいと思うおかしな考えがあります。美しいものとして春のリンゴの花木を、つまらないものとしてタンポポの花をあげ、そのどちらにも神の愛が注がれるということを言う話です。

56) 古い墓石

とある田舎町の農家の台所の戸の前にある、古い大きな石の話です。その石は実は古い墓石で、取り壊された古い修道院付属の聖堂の墓石だったのです。その家の主人がいうには、亡くなった父がそのころ売りに出されたいくつかの石を買い取って、切って敷石にしたものの、大きな石はそのまま裏庭に置いたままになっていたということです。その石にはPとMという文字が読み取れます。そうです、その家のおじいさんと奥さんの名前だったのです。プレーベンさんとマリアさんはこの町の裕福な長者夫婦で、いつも玄関の高い石段の上の腰掛に座っていたものでした。奥さんが亡くなられた時もその腰掛で自分たちの結婚式のことを生き生きと思い出されて昔話をしていたということです。みんな忘れ去られる運命ですが、言い伝えの中でいつまでも生き続けているものです。

57) 世界一の美しいバラの花

女王様のお気に入りの花はバラの花でした。その女王様が重い病になって、今にも消え入りそうな状態におちいりました。医者の中で一番の賢者が、女王様に世界一のバラを差し上げれば助かるかもしれないといました。国中のものが一番と思うバラの花をもってきますが、賢者は良しとは言いません。その時小さな王子がベットに来て、主の書を見せますと女王様の顔は輝いて、その書の中に世界一の美しいバラの花を見ました。十字架の上に流されたキリストの血の中から咲き出たバラの花の姿でした。

58) 年の話

北国の四季を、冬ー春ー夏と遷り変わる野の姿を渡り鳥コウノトリに託して語らせるものです。「うまくいっている、暦通りじゃない」というのが結論です。

59) 最後の日に

生きとし生きる者のの一番神聖な日は、私たちの死ぬ日(最後の日)です。厳格な律法者に死神(死の天使)が訪れ、魂を伴って天空を旅しました。この間に死者はこれまでの自分を一目で見渡すことになります。お互いに非難しあうあさましい仮面舞踏会がこの人の人生でした。厳格な律法者の心の中には、行為には及ばなかったものの何一つよいものはありませんでした。それは隣人に心を傷つけてきました。戦闘的な律法者は悪人を憎み闘って来ましたが、それを天使はマホメットの「目には目を、歯には歯を」と叫ぶイスラエルの民だといいます。キリストの教えは和解と愛と恩寵である。こうして律法者は自分の傲慢・冷酷・罪の重荷をはっきり認識しました。

60) まったくそのとおり!

話が誤って理解され伝達されると、とんでもない話になるというお手本。現代情報学のことではなく昔の話です。鶏小屋に一羽のメンドリがいました。毎日卵を産む感心なメンドリです。止まり木にとまって毛つくろいをすると、一枚の羽根が抜け落ちました。「羽をついばめばついばむほど私は綺麗になる」と冗談を言って眠ってしまいました。隣のメンドリは「自分をきれいに見せようとして羽をむしり取るメンドリを私は軽蔑するわ」といいましたが、その話を聞いたフクロウそして鳩、そしてオンドリ、こうもりと話が伝わるうちに「一羽のオンドリに恋をしたメンドリが、自分をきれいに見せようと羽をむしり取りました。これを見たほかのメンドリが、みんな自分の羽をむしり取って、挙句の果てにはお互いをつつきあって血まみれになり、皆死にました」という話

61) 白鳥の巣

デンマークの民族の展開の歴史が簡単に記述されている。バルト海と北海の間の白鳥の巣(デンマークを指す)からいろいろな方角に、白鳥が飛び立った。イタリアのミラノ地方にはランゴバルト人が、ヴィザンチンにはヴェーリンガー人が、フランス沿岸、イングランド沿岸にもデンマーク白鳥が立った。そして天文学、音楽、彫刻美術、思想界に多くの人材が活躍した。デンマーク人の誇りを子供の心に植え付けるお話です。

62) 上きげん

私の親父は霊柩車の馭者でした。その父から受け継いだ生来の資質は上機嫌ということです。私が知っている世間とは墓地と広告新聞だけです。お墓とは背表紙の本みたいなもので、表題だけは読めますが内容はさっぱりわかりません。お墓にはたいへん幸福な人や不幸な人、ケチな人らが眠っています。お墓を散歩するのは楽しいことです。もし私がここに葬られるなら「上機嫌な男の墓」と書いてほしい。

63) 心からの悲しみ

皮なめし会社の未亡人が株式を売るために、チンを抱いてある屋敷にやってきました。このちんは1週間後に死にました。未亡人の孫たちが庭にチンの墓をつくってやりました。そしてその墓の前に瓶を置いて、チンの墓におまいるするためにはボタン1個の入場料が必要ということにしました。子供たちがぞろぞろやってきて瓶の中へボタンを入れて見学しました。しかし木戸の外にはボタンを持たない小さな女の子が中を覗こうとしましたが、結局見られずしゃがみこんで泣き出しました。このように私たち自身の悲しみでもまた他人の悲しみでも笑ってみていられるものなのです。

64) みんなその正しい場所に!

昔のことですが、ガチョウの番をしていた少女は道端で城主の狩の一行に出合い、避けることができずに橋のたもとの石の上に飛び上りました。城主は意地悪くその娘の胸をついてお前の居場所はどろの中だといって押し倒しました。そこに 行きがかった靴下行商人が娘を助け起こして、「みんなその正しい場所へ」といって乾いた道に引き上げてやりました。行商人は城下町に出かけ商売をしましたが、城主とその奉公人たちは居酒屋で賭博をしています。行商人はそんなところは性に合わないといって「みんな正しい場所に」と叫びました。何年かたって酒盛りと賭博に明け暮れた城では財産をなくして売りに出されました。その城を買ったのがあの靴下行商人でした。行商人はあのガチョウの番をしていた少女を奥様に迎えました。お城ではみんな幸せに暮らし、行商人は法律顧問官となりました。そして男爵の称号も得ました。それから百年経ちました。お城はなくなりそのあとに新しい屋敷ができました。男爵の子孫の家です。中に身分の高い夫婦の肖像画が飾られています。

65) 食料品店の小人の妖精

食料品店に小さな妖精が居ついていました。クリスマスイヴにオートミール1皿が貰えるからです。この食料品店の屋根裏に学生さんが下宿していました。学生さんが下の店に来てチーズを買いましたが、詩の本を破って包み紙にされているのを見て、学生さんはチーズの代わりに詩の本を店のおかみさんから買い求めました。「誌の価値が分からないなんて樽とどっこいどっこいだ」と皮肉を言うので、皆が寝静まった頃妖精はおかみさんの口を取り外して、樽に付けて樽の言い分を聞いてみました。樽は詩のことはよく知っているといいました。ほかの店の用具にも口をつけて意見を聞きますと皆は同じ意見でした。そこで小さな妖精はこのことを学生さんに伝えようと、屋根裏部屋の戸から中を覗きますと、ろうそくの下で学生さんが詩の本を読んでいるのが見えました。部屋全体が神神しい明りに包まれて素晴らしい光景でした。それから毎晩小さな妖精はその屋根裏部屋を眺めることが好きになりました。小さな妖精はおかみさんと学生さんの両方の縁を大事にしました。おかみさんにはオート‐ミールを貰えるからです。

66) 千年後には

アンデルセンが生きた北欧の19世紀の時代は産業革命のただなかにあり、未来は輝いていました。新興国アメリカが次第に力をつけてきました。裕福なアメリカ人が自分の故国である欧州を旅する(ルーツ探しの旅)ことが流行し、「1週間で見たヨーロッパ」のような旅行記が有名になりました。蒸気に乗って空を旅する(今の飛行機に乗ること)ヨーロッパ紀行の夢を与える童話です。

67) 柳の木の下で

幼友達の隣同士に住んでいた男の子クヌートと女の子ヨハンネの幼少の恋物語です。二人は成長して、ヨハンネは歌手を目指してフランスへゆき、クヌートはドイツからイタリアへと職人修行の旅を続けて、二人の関係はすれ違ってゆきます。幼い時の思い出を忘れられないクヌートは、失恋の思いを胸に故郷を目指して帰ろうとしますが、放浪の果てクヌートはヨハンネとの一番楽しい夢を見ながら柳の下で凍死するという話です。いつも男は夢を持ち続けるもので、女は現実的な幸せをつかむものというパターンです。ただ夢がかなわないこのやるせない悲しさはアンデルセン童話の通奏低音となっています。「マッチ売りの少女」のような幸せだった時の追憶は胸をかきむしるかなしさに通じます。

68) さやからとび出た五つのエンドウ豆

えんどう豆は一つのさやに5つの豆を持っています。豆もおきくなりそろそろはじける時期を迎えました。兄弟の豆は自分は一番遠くまで飛ぶんだといって飛び出しましたが、一番末の豆はなるようになればいいやといって飛びましたが、屋根裏部屋の窓の羽目板の隙間に落ちました。その屋根裏部屋には貧しい母親と病気で寝込んでいる子供がいました。母親は二人の女子を産みましたが、妹ははやく病気で他界しました。この娘も死ぬのではないかと心配しながら、やとわれ仕事で外に働きに出ています。ベットで留守番をしている病気の娘が窓の外に何かを発見しました。えんどう豆が緑の葉を出しているのです。母親はベットを窓の近くに移動してえんどう豆の成長がよく見えるようにしてやりました。それから娘は次第に生きる希望を見出したかのように元気になってゆき、母親も病気の子供がよくなるという希望と信念を持つようになりました。えんどう豆がどんどん伸びて美しい花を咲かせました。母親にはえんどう豆は神様の天使のように思えました。

69) 天から落ちてきた一枚の葉

ちょっとこの話の真意が分かりかねます。何が言いたいのでしょうか。天国の花園で天使が口付けをしますと、1枚の葉が地上に落ち世にも不思議な木になりました。植物学の先生もお手上げで何の木に分類できるかわかりません。そこへ一人の少女がやってきて、神のような美しい花を愛でました。少女は葉を一枚持って帰り聖書に挟みました。しばらくして少女は亡くなり、聖書を枕にして葬られました。その木は立派に育っていましたが、豚飼いの男が来て草もろともその木を倒して、焼いて灰を取りました。ところがこの国の王様は1年以上前から病気で、世界の賢者から病気を治す方法を聞きました。それによる神の木の葉を額に乗せると治るということです。早速神の木を求めますと既に切り倒され、歯のいちまいもありませんでした。神を信じる少女には天国へ召される幸せを与え、俗世の王様には何も与えないという神の意志なのでしょうか。

70) あの女はろくでなし

この話は筋の通った力作であると思います。洗濯女の母親は毎日川に入って冷たいきつい労働をしています。その息子は母親に小瓶半分のお酒を届けています。これは母親の気付け薬のような、冷えた体を温める元気の源であったのですが、町長はそれを見て息子に「お前の母親は大酒のみで、ろくでなし」とののしりました。母親には昔からの友達のマーレンおばさんがいました。この人は母親のことをよく知っていて理解しています。町長が毎日昼食会で飲む葡萄酒の量の多いこと、母親の飲む少量のお酒は体の冷えを救うためであることです。そのマーレンおばさんの語る母親の生涯はこうです。母親は若い娘のころ、町長の弟である法律顧問官がまだ学生だったとき、屋敷に奉公していました。そしてその学生さんと恋をしました。学生さんのお母さんは娘を呼んで、生活が違いすぎるのでうまくゆくはずはない、相応の人を選びなさいと諭しました。それから弟の学生さんは一生独身をとおしています。娘は手袋職人の男やもめと結婚しましたが、最初は順調にゆきましたが、借金で破たんし男もすぐになくなりました。それから母親は洗濯女として骨身をしまず働いて子供を育ててきました。町長の弟が死んだという知らせを聞いた母親は血の気が失せ、川の中で倒れました。マーレンおばさんが介抱して食事を与えて少しは良くなったのですが、翌朝また川に仕事に出かけて水に入った途端、急死しました。母親は貧民墓地に葬られましたが、墓の前で息子に、マーレンおばさんは「ろくでなしと世間は言うが言わせておき、お母さんはそれは働き者だったんだよ」といいました。町長の弟の遺言には母親か子供に、遺産を分与すると書いてありました。町長は息子の後見人となりました。貧しいことは恥ではない、むしろ息子には向上心と希望をもたらすものである。

71) 最後の真珠

ある金持ちの家に世継ぎの息子が生まれました。この家には健康が、富が、幸福が、愛がつまりこの世で人間がほしいと思うすべてのものがきらめいています。家の守護霊はすべてがそろったといました。しかし子供の守護天使が「まだ贈り物が届いていません、最後の真珠がまだ来ていません」といいました。家の守護霊は子供の守護天使とともに、その最後の真珠を探しに行きました。それは「悲しみの真珠」だったのです。人を亡くす悲しみによって、その人は高められるのです。悲しみの数ほど人は強くなれるということです。最愛の人を亡くすることは人の運命です。それを乗り越えなければ人ではありません。

72) 二人のむすめ

道路工事で敷石を突き固める道具があります。それを一般には職人は「石叩き」と呼んでいますが、年を取った「むすめ」(女性名称)という意味です。二人の「むすめ」は石たたきと呼ばれるのがいやでした。今では機械の杭打ち機に替わっています。言葉の話です。

73) 海のはてにすむとも

「海の果てに住むとも、汝の右のみ手われを保ちたまわん」という讃美歌のうたをお話にした筋らしい筋もない、短いお話です。神様は世界中のどこへ行こうとも守ってくださるということです。

74) 子豚の貯金箱

子供部屋にはたくさんのおもちゃがあります。箪笥の上に子豚の貯金箱があって、上からおもちゃを眺めるばかりです。おもちゃは相談して「人間ごっこ」をして遊ぼうといいました。人形芝居が始まりました。それを見ているうちに子豚の貯金箱はタンスから落ちて粉々に砕けましたとさ。

75) イブと小さなクリスティーネ

この話は幼いころの愛情の思い出に生きるすれ違いの男女を描いている点では、67)の「柳の木の下で」に共通したところがあります。グーゼン川の山すそに住む人々はつつましく自給自足の生活をしていました。木靴つくりの職人の息子であるイブは、艀の船頭の娘であるクリスティーネと幼馴染の遊び友達でした。船で二人が遊んでいるとき子豚が川に流されました。それを追って二人は道を間違って見知らぬ森に迷いこみ、途中年取ったジプシーの女に出合い、「3つの願いをかなえるクルミ」を貰いました。1つめのクルミは金ぴかの馬車がかない、2つめのクルミは綺麗な衣装がかなうクルミでクリスティーネがその2つを貰いました。3つ目は黒い土が詰まったクルミで「一番良いもの」がかなうクルミでした。何年かして堅信礼を受ける年頃になってクリスティーネは旅館の家に奉公に出ました。イブは木靴つくりの職人として家業を継ぎました。二人の間に年月が流れ、たまに手紙が来るくらいで、クリスティーネは次第に美しくなってゆきました。旅館の主人の息子がコペンハーゲンから帰ってきて、クリスティーネのことを気に入りました。幸福そうなクリスティーネの手紙を読んでイブは身を引きました。こうしてクリスティーネは結婚式を挙げまさに2つのクルミが約束した幸せを手に入れたようです。それから何年も経ち、旅館の両親もなくなり息子夫婦は財産を使いはしました。イブは土地を耕していますと、貴重な金ぴかの装身具を掘り当てました。これが3つ目クルミが約束した一番いいものだったのです。イブがコペンハーゲンの街を歩いていると、みすぼらしい女の子が一人出てきました。その女の子を見てイブはびっくりしました。クリスティーネそっくりだったからです。その女の子について部屋に入ると、病気の母親が寝ていました。二人は貧困と病気と飢餓の中をさまよっていたのです。そして子供をイブに託して母親のクリスティーネは亡くなりました。イブは今では裕福になってこの小さな女の子クリスティーネと暮らしています。

76) まぬけのハンス

この話は末子成功譚に分類されますが、粗雑な内容で別に感心するところはありません。お姫様と上手にお話ができる男を婿にするというお触れで、田舎の地主の息子3人が挑戦するという筋書きです。上の二人の兄は出来がよく博識、実務に優れたむすこで、末弟は馬鹿で粗雑で親からも「間抜けのハンス」と呼ばれていました。二人の兄は立派な馬に乗ってお城に行きましたが、お姫様の前で緊張したのか碌に話ができず失格しました。末弟のハンスは羊に乗ってお城に出かけ、独特の破天荒なことをしでかし、それが逆にお姫様のご機嫌を獲得することになったということです。話には全く説得性はありません。ただお姫様の興味を引いただけのことで、破綻することは見えています。

77) 光栄のイバラの道

世界の歴史に活躍した人類の恩人や偉人の殉教者がたどった道を「光栄のイバラの道」といいます。成功して光栄に浴した人、永遠の世界に託した人たちの抜粋です。ギリシャの喜劇アリストファネス、ソクラテス、ホメロス、フィルダウン、蒸気の発見者サロモン・ドゥ・コー、ガリレイ、ジャンヌ・ダルク、ティコ・ブラー、グリッフェンフェルト、ロバート・フルトンを例に挙げていますが、果たしてこれらの人が必要十分の条件を備えているかそれはわかりません。精神が自分の使命を悟った時の意識の一瞬の喜びを味わってください。

78) ユダヤ娘

キリストの教えはユダ教徒にも手を差し伸べるという話です。ある貧民学校にユダヤ娘がいました。明晰な頭脳を持ち本を読むことができますが、学校では先生の話をじっと聞いていました。お父さんは娘にキリスト教を教えないようにたのみましたので結局学校から退きました。その娘サラは何年か後にある家に奉公に出ました。イスラエルの民はモーゼの信仰を教える旧約聖書(イスラエル民族の歴史書)しか読みません。新約聖書をサラはご主人が読むのを聞いていました。イスラエルの信仰は復讐で、キリスト教はあまねく愛を説きます。奉公先のご主人がなくなり、サラは病気の奥様の看病と生活を支える仕事に疲れて亡くなりました。サラはキリスト教徒の墓地には入れてもらえず、囲いの外に葬られました。キリスト教徒になれなかったサラですが、十分にキリスト教えを実行していました。

79) ビンの首

葡萄酒のビンの生涯を、二人の婚約者の運命と重ね合わせて綴ったお話です。貧しい人たちが住む家の屋根裏部屋の窓に鳥かごがつるしてあり、水入れの代わりに瓶の口をさかさまにしてコルク栓をしてありました。小さなベニヒワが歌を歌っていました。瓶の口が小鳥に、不思議な身の上話を語り始めました。葡萄酒のビンが小鳥用の水飲みコップとなるまでのお話です。毛皮商人の小僧が上等の葡萄酒を一瓶と食料品を買いにに来ました。今日は森でお嬢の婚約式です。お嬢さんは幼馴染で航海士の青年と婚約することになり、瓶はかごに入れられて馬車に乗って森にやってきました。お父さんが瓶を取り出し栓を抜き楽しい乾杯をしたのです。空になった瓶は空高く放り投げられ、湖の近くの葦の中にころがりました。後日百姓の子供らが葦の茂みから瓶を取り出しました。そして子供の兄さんがあの航海士だったので、船出のためにその瓶に薬用ブランデーを詰めました。胃によく効く薬だったので船員仲間から重宝されました。長い航海のなか船は嵐にあい、船は沈みました。いよいよ最後のというとき若い航海士は紙切れに、婚約者と自分お名を書いた紙きれを入れて栓をし海に投げ込みました。最後のあいさつと死の知らせのメッセージでした。瓶は知らない国に打ち上げられ、20年も屋根裏部屋の棚上で眠っていました。そして瓶の中の紙は捨てられ、洗われて種が詰め込まれな長い旅の末、偶然故郷に戻ってきました。種が取り出されそのまま地下室に放り込まれましたが、わかる言葉が聞けるので瓶は大喜びです。また瓶には葡萄酒が詰められ、気球乗りに売られました。瓶は空高く気球とともに上がってゆき、空の散歩を楽しんでいたのですが急に気球は落下しました。草原に落下して瓶は割れましたが、口の部分だけが誰かに拾われました。こうして瓶の口は貰われて屋根裏部屋の小鳥かごの水飲みとして使われました。その屋根裏部屋に年寄りの友達が訪ねてきました。なんとその人がかっての毛皮商人のお嬢さんだった人です。昔話のなかに、楽しかった婚約式のことや若い航海士の思い出などが語られました。

80) 賢者の石

真・善・美という哲学倫理から次第に信仰心に集約されてゆく恐ろしく観念的なお話です。子供が聞いてもおそらく面白くないでしょうし、わからないでしょう。まさに哲学という知性を超えたところに宗教があるという設定です。そして物語の構成は5人の兄弟姉妹からなる末子成功譚の形をとっています。ソロモン王を超える賢者(人間界の最高の知性)がインドの太陽の木の国にいました。その賢者でさえ「真理の書」に書かれている死後の魂の世界については読めません。この賢者には5人の子どもがいました。4人の兄と末子の娘です。父である賢者は子供に真善美を凝縮した宝石「賢者の石」を見つけるように言いました。子供たちは五官をもとに賢者のみ石を求めて世界に出かけました。長男は資格に優れ人の胸の中まで見抜くことができましたが、悪魔が邪魔をして目の中へ塵を吹き込みました。二番目の兄は聴覚が優れ人々の心の鼓動までが聞こえます。聞こえすぎてうそや、聞き苦しい音や、悪口や蔭口まで聞こえとうとうだれも信用できなくなりました。三番目の兄は嗅覚に優れた詩人でした。詩人は太鼓を叩かせて真善美について歌い続けました。これを恐れた悪魔は名誉の香りを用意して、兄の嗅覚を迷わせすべてを忘れさせました。四番目の兄は味覚に優れ、口を通るものや心を通るものを支配できます。気球に乗って出かけましたが、教会の尖塔の上に下りてしまい、虚栄心を味わいたく風に吹かれて塔の上で動かなくなりました。こうして四人の兄はいなくなって太陽の木のお城には父と末娘だけになりました。末娘は生まれつき目が見えませんので、一生懸命糸をつむいで片端を父に持たせ、迷っても帰れるように自分で糸車をもって世界へ出発しました。兄たちに届けるため太陽の木から4枚の葉を摘んでもちました。末娘は真心という優れた気質を持っていました。光り輝く信仰心が美と善を引き寄せました。「自らを信じ、神を信ぜよ、さらば神のみ旨行われん、アーメン」これには悪魔も退散しましたとさ。

81) ソーセージの串でつくったスープ

「ソーセージの串でつくったスープ」とは、内容のないほら話ぐらいの意味です。決して料理のレシピではありませんが、実体のない「ソーセージの串でつくったスープ」とは何だろうかと空想をたくましくしても、話の筋は全くつかめてきません。そういう意味ではトリックです、結局はつかみどころのないほら話です。ネズミの王さんのところで宴会が催されました。そこで話題となったのが「ソーセージの串でつくったスープ」です。このレシピを求めて4匹の子ネズミは世界中に旅立ちました。内容は荒唐無稽なので記述しません。面白おかしく空想させて、後で落とすつもりなのですから賢明な読者は追随しない方が利口です。

82) ひとり者じいさんのナイトキャップ

コペンハーゲンの商業はドイツのブレーメンやリュベックの商人によって営まれていました。ドイツから手代(代理人)を派遣して、ヒュスゲン通りの小さな商店に住まわせていました。デンマークにいるドイツ人の手代は「胡椒の手代」と呼ばれて、主に香辛料の商いをしていました。コペンハーゲンの人は胡椒の手代をからかって「ナイトキャップをかぶったら、耳の上まですっぽり下げてお休みなさい」といいました。また胡椒の手代はドイツを出る前に、決してコペンハーゲンで結婚しないように約束させられます。だからコペンハーゲンで一生を終える手代は大概は生涯独身なのです。この通りに店を張る年のいったアントンさんがいました。アントンさんは長身で痩せこけたおじいさんでした。アントンさんは下にナイトキャップをかぶり、つばのない帽子をかぶっていました。この通りの手代たちは横のつながりはなく、いつも早めに店を閉めるので、夜はいつも暗いのです。仕事はそれほど忙しいことはなく、几帳面で用心深いので、明かりも早く消してベットに入ります。それはさみしい生活でした。ナイトキャップを目の上まで引き下げると、悲しみの涙があふれてきて、昔の思い出がとめどもなく流れては消えました。すると商人の息子である小さなアントン坊やと市長の娘のモリーちゃんがリンゴの種を植える光景が浮かびます。アイゼナハのヴェーヌスの山で遊んだ思い出も流れます。数年たったときモリーちゃんのお父さんがワイマルに移ってモリーちゃんとも離れ、手紙も来なくなりました。ワイマルにアントンは旅行しモリーちゃんに会いに行きましたが、モリーちゃんの気持ちはすっかり変わっていてさよならのあいさつをして別れました。それからアントン君の家も傾きだしたので、生活のため一家の柱となって一生懸命働きました。それから何年も経ってアントンさんはブレーメンで働いて年を取りましたが、手代としてコペンハーゲンに派遣されることになりました。アントンさんの生まれ故郷の聖女エリザベートがいつもアントンさんの心の中にいて、昔の考え、昔の夢、それは相変わらずナイトキャップの中で眠っていましたが、アントンさんはとうとう老衰で亡くなりました。孤独と寂しさの極みでしたが、アントンさんを最後にあの世へ導いたのは聖女エリザベートでした。

83) たいしたもの

5人兄弟の夢は世界に出てたいしたものになることです。1番上の兄は煉瓦つくりの職人になること、2番目の兄は煉瓦壁つくり工から親方になること、3番目の兄は建築技師になること、4番目の兄は建築設計(都市設計)のデザイナーになること、末弟はすべてを評価する評論家になることでした。煉瓦を作るだけの仕事はたいしたものとは思っていませんでした。5人兄弟はそれぞれ努力して望み通りのひとかどのものになりました。そして5番目の末弟は天国へ召されて天国へ入る門の前でみすぼらしいおばあさんと一緒になりました。このおばあさんは堤防小屋に住んでいましたが、1番上の兄の作った煉瓦のくずを分けてもらって雨風を凌いでいましたが、ある日空のかなたに黒い雲を見て、津波が来ると直感し浜辺で働く人の教えるためにわらに火をつけて自分に家を焼きました。その炎を見た浜辺の人が高台にあるおばあさんの家に駆けつけたため、津波からまぬがれました。天国の門の天使はおばあさんの行為をほめて天国へいれましたが、末弟の評論家は天国に入れませんでした。この話は末子成功譚の逆の末子失敗譚かもしれませんが、評論という仕事が理解されていなかった頃の話ですので、必ずしも失敗譚とは言い切れません。

84) 年とったカシワの木の最後の夢

人生を楽しんだかどうかは、寿命の長さでは推し量れないということを、365年間生きてきた柏の木と1日で死ぬカゲロウの命を比較して語っています。この柏の木が一番楽しい夢を見たのはちょうどクリスマスイブの夜のことです。この柏の木は楽しい夢を見ながら、周りの小さな命と喜びを分かち合えない孤独な心の、満たされない思いでいっぱいでした。ある夜猛烈な嵐で柏の老木はなぎ倒され一生を終えました。この木の365年の一生はカゲロウの一日の命と同じでした。

85) ABCの本

国語辞典の言葉(A,B,C)の記述内容が時代とともに変遷してゆきます。古い本は新しい本の内容にご不満です。子供に言葉を教えるときに役立つお話です。

86) 沼の王の娘

この文庫本の第4分冊の中では最長の童話で約70ページを占めます。コウノトリは子供を運んでくるという伝説に沿ったお話です。コウノトリの夫婦は冬は南のエジプトに渡り、夏はデンマーク・ヴェンシュッセル州のヴァイキングの家の屋根に住んでいました。この種一帯は泥沼です。足を踏み入れると沼の底まで沈むような不気味な森でした。この沼には「泥沼の王」がいるという噂ですが、誰も知りません。ある日コウノトリのお父さんは恐ろしい光景を見ました。3羽の白鳥になってエジプトから旅をしてきた妖精のお姫様が泥沼で、2羽の悪い妖精の白鳥に皮を剥がれて、泥沼に沈んでしまったということです。白鳥の毛皮がなくなってもう2度とエジプトへ帰れなくなりました。しばらくすると沼の水面に水仙の花が咲き赤ちゃんが寝ていました。これは沼の王とお姫さんの間にできた子に違いあいりません。コウノトリは子供をほしがっていたヴァイキングの奥さんのところへこの子供をを運びました。ヴァイキングの奥さんは子供を授かって喜んだのですが、この子はヘルガと呼ばれましたが、昼はかわいい女の子ですが、とても乱暴で手に負えません。夜はそれは悲しい目をした醜いヒキガエルとなります。つまり昼の姿はお姫さんですが心は沼の王で、夜の姿は沼の王ですが心はお姫様のようでした。恐ろしい魔法をかけられていたのです。コウノトリは寒くなると百羽以上の群れとなって南のエジプトに移動します。エジプトではお姫様のお父様である王様がご病気で、これには一番深く愛している人が病気を治す北国の沼の花を摘んでくることでした。そのために3人の姫様が白鳥の毛皮を着てデンマークの沼に出かけたのです。二人のお姫様は一番かわいいお姫さまは北国で亡くなったと王さまに作り話をしました。これを知ったコウノトリのお父さんは悪い二人のお姫さんから2つの白鳥の毛皮を盗み出し、沼の巣に隠しました。ヴァイキングは秋のはじめたくさんの捕獲品と捕虜を連れて帰ってきました。その中に牧師さんに夜の醜い姿の蛙が近づき捕虜の縛を解き放ちました。そして坊さんとヒキガエルは馬に乗って荒野に出て魔法を説く賛美歌を歌いました。激しい葛藤を経てヘルガの口から「イエスキリスト!」という言葉が出る魔法は解けました。次に坊さんとヘルガは北国の沼の底へ向かいました。底には美しい人が眠っていました。ヘルガのお母さんでエジプトから王様の薬を探しに来たお姫さまでした。沼の榛の木の根っこを引き抜いて眠りから覚めたお姫様とエルガにコウノトリは2つの白鳥の毛皮を投げ与えると、2羽の白鳥は水仙の花(健康の花)をもって空高く舞い上がりました。白鳥はヴァイキングの奥さんに挨拶をして南の国をめざして飛んで帰りました。王様の病気も癒えてエルガはアラビアの王子様と結婚しました。

87) かけっこ

かけっこの速さをきめる「ウサギとカメ」のデンマーク版です。判定がちょっとややこしいのは、物理的な速さだけでなく、努力とか人格まで考慮に入れなければならない点です。登場する動物はウサギ、カタツムリ、ツバメ、ラバ、ハエ、光、ミミズで、評定役には柵の杭、森の測量標などです。

88) 鐘ヶ淵

オデンセ川の古い女子修道院のまえ足りが一番深いところで「鐘ヶ淵」と呼ばれています。そこには川の精がすんでおり、教会の鐘の音だけが友達でした。丘の上は「尼僧の屋根」と呼ばれ古い女子修道院がありました。鐘は次のような話をしました。ある時、塔の上に少し頭の足りない下男がのぼってゆきました。下男はヴァイオリンを弾きながらクヌートという王様がいたころの昔話をしました。クヌート王は寺院や僧には丁寧でしたが、領民には過酷な王でした。ついに領民が反乱を起こし王様を追い詰めて、王様は教会に逃げ込みましたが、石にあたって死にましたという話です。鐘は高いところからなんでも眺めています。風はなんでも知っています。鐘は物知りです。教会にまつわる昔話です。

89) わるい王さま

戦争好きの王様は武力に任せて隣国を侵してわが物顔に領民を苦しめておりました。坊さんが「王様はえらいですが、神様はもっと偉いのです」というと、王様は神様を征服したくて、鷲にひ曳かせた船に乗って大軍団で天国へ攻め込みましたが、大風がふいて船は落下しました。7年後王様は再度「神に打ち勝つのだ」といって大船団を準備しましたが、神様がハチの軍団を使わして攻撃しましたので王様は気が狂ったように逃げ回ましたとさ。

90) 風はものがたる

ベルト海峡に面した岸に、昔赤い壁のお城がありいました。城主スティグのお城でしたが、新しいボレビュ屋敷となっています。その屋敷に何代にもわたって住んでいた王様の親戚のワレルマー・ドーとその娘のお話です。屋敷には3人の娘がいました。イーデ、ヨハンネ、ドロテアの美しい娘でした。屋敷の近くに柏の木の森がありました。奥様と3人の娘はその森で楽しく幸せに遊んでいましたが、奥様は亡くなりました。ワレルマー・ドーはその森の木を切り払って3層甲板の軍艦を建造し、王様に売ろうとしました。木の切り出しで忙しい森にワレルマー・ドーと3人の娘が出かけましたが、末のドロアテはコウノトリが巣をつくっていた木は伐り倒さないようにお父様に頼みました。海軍の将軍がこの船を買い付けにきましたが、採用されず船は売れませんでした。それからワレルマー・ドー家の没落が始まりました。次にワレルマー・ドーは金を得る錬金術に家財のすべてを費やし、夢の中で死にました。これで富栄えた生活は最後となりました。3人の娘はそれぞれ城を出て流浪の生活となりました。イーデは百姓の妻となり、ドロアテは男に成りすましてどんな仕事もやりました。ドロアテはコウノトリが巣くうため取り壊されなかったボロ屋に住んでいました。最後の讃美歌が聞こえるまでドロアテはコウノトリが見守るボロ屋で一生を終えました。貴族の没落は救いようがありませんが、恩をかけた者に助けられることはあるものです。

91) パンをふんだ娘

貧しい家の娘で高慢でみえぼうでしたので、靴を汚すまいとしてパンを踏んづけて沼に沈んだ娘の話です。娘の名はインゲル、生まれつき性悪で親を心配させてばかりでした。娘は上品な家に奉公に出ました。その家ではインゲルをかわいがり身なりも良く良くしてくれました。インゲルは美しくなりましたが高慢な心も一層つのりました。インゲルがお里に帰る日、奥様はインゲルに新しい靴と大きなパンをお土産にしました。インゲルは沼のそばの道が水にあふれていましたので、靴を汚さないようにパンを投げ入れて足を置きました。するとパンと一緒に娘は沼の底へ沈み、沼女の魔女に捕まって、地獄の玄関に飾る立像に変えられました。インゲルのために泣いてくれるおかあさんお涙のしずくが立像のインゲルに落ちてきました。パンを踏んで地獄へ落ちた高慢なインゲルのうわさは世の中に広まりました。ご主人夫婦も心配してくれますが、インゲルの心はますます人間を恨むようになりました。インゲルのうわさを聞いた小さい少女は。「かわいそうなインゲル、御免なさいとあやまるといいんいね」とインゲルのために泣いてくれました。これを聞いてインゲルの心は深く反省しました。月日が流れお母さんがなくなるときインゲルに呼びかけました。またご主人夫婦もインゲルに呼びかけました。そしてインゲルのために泣いてくれた少女も老人となって死ぬ間際に、祈りの言葉を聞いたインゲルの心がにわかに解かれて、1羽の小鳥となって人間世界に飛び立ちました。こうしてインゲルは救われたのです。

92) 塔の番人オーレ

塔に住むオーレは元はといえば学校を出た教師だったようですが、教区助監督のころ監督と靴墨のことで、けちんぼの防水油を使う監督と、艶出し油を使いたいオーレは仲たがいをして教区を離れました。オーレはいつも艶出し油を世間に要求して防水油しかもらえないので、ついに人間嫌いとなり隠者として教会の塔の上に住むようになったのです。しかしかれは人生の記録と自然界の不思議に興味をもって本を読んできました。オーレを訪問して聞いた話を2題お話ししましょう。一つは文士仲間が大晦日の夜に集まって、徹夜で放談会と作品を披露する「アマゲル島への魔王の行進」のことです。2つは元旦に飲み干す6つの杯の話です。第1番は健康の杯、2番目は小鳥の歌の杯、3番目は陽気な若者の杯、4番目は悟性の杯、5番目はカーニバルの杯、6番目は自我の杯で人間と悪魔が混ざり合うのだ。こんな話が童話になるのでしょうか?

93) アンネ・リスベット

アンネ・リスベットは陽気で美しい娘でした。醜い男の子を生んで里子に出し、伯爵家の赤ちゃんのお守りの奉公に出ました。里子の家にはお金を渡していましたが、アンネ・リスベットは一度もその子に会いにはゆきません。里子の家で食い盛り男の子は牛の番をしていました。このように誰にもかわいがられない男の子でした。男の子は船の手伝いをして船頭さんの舟に乗りましたが、大嵐で船が転覆して男の子も死にました。それから何年も経ち、アンネ・リスベットは伯爵家のお坊ちゃまに会いに出かけました。お坊ちゃまは14歳になっていましたが、アンネ・リスベットを見てもそっけない態度であしらいましたので、アンネ・リスベットは悲しい思いをしました。それから里子の家に行き、そこで嫌な夢を見ました。死んだ男の子が「葬ってくれ」と叫びます。アンネ・リスベットの為すことは、浜の幽霊を教会の墓地へ連れて行ってお墓を掘ってやることでした。こうしてアンネ・リスベットの心に平和とめぐみが現れ、魂は天に上りました。

94) 子供のおしゃべり

人の成功は決して生まれの良しあしではないことを言いたいお話です。ある卸商人の家で子供たちの大きなパーティーがありました。この人の家には上流の人が出入りしています。侍従の子、卸商人の子、新聞士の子供たち(女の子)が自分の家の家柄を自慢していました。そして名前のお尻にセンが付く人は、絶対にえらくなれないといいました。このおしゃべりをドアーの陰で聞いていた男の子の名前はトールヴァンセンといいましたが、貧しい家の子でしたが成人して偉い人になりました。血筋や財産、知識を自慢した子供は誰も偉くなりませんでした。あれはただの子供のお喋りでした。

95) 真珠の飾りひも

デンマークの鉄道がコペンハーゲンからコルセーまでしか通じていなかった頃のお話です。世界の大都会(真珠)とはパリ、ロンドン、ウイーン、ナポリなどですが、デンマークのコペンハーゲンとコルセーの間には6つの真珠があるといいます。小さくても真珠だというお国自慢とか郷土愛にたぐいするお話です。@フィレモンとパウキスの子屋という精神薄弱児の家、Aロースキレにある女王マグレーテの墓、Bシガステズのシーネ姫伝説、Cソーロェ学問の真珠、Dスラゲルセの司祭アナース伝説、Eコルセーです。コルセーに住むおばあさんが娘さんのころコペンハーゲンの司祭と結婚するために旅をしました。1815年ごろには鉄道もなかったので馬車で旅をしたおばあさんの紀行が記されています。

96) ペンとインク壺

ペンとインクという文房具はそれらは筆記材料でありますが、詩や文芸のハーモニーを生み出す楽器のようなものです。目くそと鼻くそが喧嘩するように、ペンとインク壺が自分の手柄にする掛け合い漫才のようなたわいないお話です。

97) 墓のなかの子供

4歳になる一番下の男の子が亡くなりました。上の二人の姉がいましたが、年の離れた末の男の子を両親はそれはかわいがっていました。お母さんは悲しみのあまり、人は土にかえり一切は無になるのだという、絶望的な虚無の世界に深く沈んでいったのです。(東洋人はこういう風に考えるのだが、キリスト教徒は永遠の魂を考える) お母さんは或る夜家人が寝静まった家を抜け出し、子供が眠る墓場へ向かいました。子供のところへゆきたいとお墓の上で泣き崩れていますと、現れた死神が、母親を墓の地底へ連れてゆきました。坊やは「お母さんが泣くと、お母さんから離れることができに。そうしたら神様のところへゆけなくなる」といいました。すると誰かがお母さんを呼ぶ声がします。そういわれてお母さんはこの世に残してきた人たちのことを思い出しました。お母さんは永遠の魂を行かせないで引き留めたことを反省し、生きている人への義務を忘れたことを悟りました。こうしてお母さんは一家の主婦として強く優しくなりました。

98) 農家のおんどりと風見のおんどり

農家の養鶏場の雄鶏と屋根の上の風見鶏の2羽の鶏がいました。地表をたくましく歩く雄鶏と高いところで見下したように思い上がった風見鶏はもともと出自が異なっています。この世は何もかもくだらないとぼやいていた風見鶏はぽきっと折れて地上に落ちました。

99) 美しいものよ!

若い彫刻家アルフレッドさんは、賞をもらってイタリアに留学して帰ってきました。お金持ちの家で夜会が催され、アルフレッドさんは集まった人にいろいろな見聞をお話ししました。質問攻めをするおしゃべりの奥さんの横に綺麗な娘さんカーラがいました。この家からご招待を受けて何回も訪問するうちに、アルフレッドさんはカーラと婚約しました。若い二人はコペンハーゲンで新居を持ちました。しかしアルフレッドは美しいものの形だけを見て、中身をしっかり吟味してこなかったことに気が付きました。イタリア旅行から帰ってきてカーラは病気になり亡くなりました。アルフレッドはすぐに美しくはないソフィーと再婚をしましたとさ。

100) 砂丘の物語

この話はユラン半島の砂丘の物語です。物語の発端は南の国スペインの貴族の夫婦がこの半島の近くで遭難し、妻と子供がこの近くで救助されますが、妻はすぐに息を引き取ります。その子供イェルゲンが主役の話です。この話はおそらくデンマークの昔の歌「イングランドの王子」に着想を取った話ではないか思われ、文中の各所にデンマークの王位についたイングランドの王子の歌が挿入されています。この岩波文庫第5分冊で60ページにおよぶかなり長い童話です。ではお話に移りましょう。スペインの結婚したての若い夫婦がいました。健康、明朗、富そして名誉、何につけても申し分ない幸福な生活でした。若い夫は王様からロシア宮廷の大使に任命され、赴任のため若い夫婦はスペインの海岸から出港しました。順調にゆけば2,3週間の船旅です。9月の末のことです嵐の夜に大きな船が砂洲に乗り上げ、荒波は船にぶつかり人々は海に飛び込みました。そうですロシアに向かうスペインの貴族の夫婦が海に投げdされました。半島の漁師は遭難者の救助を行い、赤ちゃんを抱いた若い女の人を担ぎ上げましたが、すでに女の人は死んでいました。船は沈没し全員が死亡しました。砂丘の漁師の家に一人の赤ちゃんが残されました。子供を亡くした漁師の家で育てられ、その子の名前はイェルゲンと呼びます。スペインの種がユラン半島の砂州で育ったのです。イェルゲン少年は親戚の人がなくなったので親子3人で葬儀に出かけました。海岸の砂丘から北東の方向へ内陸の荒野の砂丘へ向かう途中、ユラン地方の美しい自然と故郷の光景を見ながらの旅でした。イェルゲン少年は14歳になって、スペインにゆく船の客員となって初めて世間に出ました。初めて大都会というものを見ました。船の契約期間が終わって故郷に帰る前にお母さんは亡くなりました。イェルゲン少年にはモルテンという友達ができましたが、モルテン少年はイェルゲンが激しやすい性格なのを見てユラン人じゃないと直感したといいます。またイェルゲン少年は漁師小屋のまかないをしているエルセという女の子に好意を持ちました。ところがエルセはモルテンと結婚の約束をしていました。イェルゲンの父が亡くなったので遺産として家を相続しましたが、この家をわずかの金でモルテンに譲って、モルテンとエルセの結婚式のまえに故郷を去りました。母方の弟であるウナギ売りの叔父が住むフィャルトレンに向かうつもりだったのです。ところがここでモルテン殺人事件という大事件が起こり、イェルゲンはその容疑者として逮捕されボスボア城の地下牢にぶち込まれました。そのまま1年は拘留されていましたが、とんでもない展開となり盗人ニールスがモルテン殺人容疑で逮捕されたのです。モルテンが居酒屋でイェルゲンの家を買ったと吹聴しているのを聞いたやくざ者のニールスが家に盗み入りモルテンを殺害したという話でした。釈放されたイェルゲンはスカゲンの商人ブレネさんに拾われ、北のスカゲンに向けて旅立ました。イェルゲンはブレネさんの家族に歓迎され、クララ嬢に一目ぼれしました。クララ嬢はノルウエーのクリスチャンサンの街に出かけることななりました。おばさんお家で一冬過ごすためです。旅立ちの前の日家族はそろって教会の聖餐に出かけました。イェルゲンはたまたまクララ嬢の隣でひざまずきました。それがイェルゲンにとって印象的な思い出となり、胸を締め付けます。年明けて4月となりイェルゲンはクララ嬢を迎えに、ノルウエーへの船旅に出ました。この船は裕福な商人ブレネさんの持船でした。クララとイェルゲンはこの船に乗って帰る予定でした。船が灯台に近づいた時、突然船に水が入り座礁したのです。クララとイェルゲンはは海に飛び込みました。そう昔スペインの貴族夫婦が遭難したように、その息子は恋人と一緒に遭難したのです。難破船の板切れがイェルゲンの頭を直撃し、クララを抱いたまま救助ボートに救出されましたが、クララは死亡しておりイェルゲンは一命を取り留めたものの脳をやられて痴人となりました。人々は「哀れな白痴のイェルゲン」と呼びました。イェルゲンが30歳になった時、商人ブレネさん夫婦とクララ嬢の墓がある砂丘の丘の教会に行き、かってクララ嬢の隣にひざまずいた座席に腰かけて、イェルゲンは眠ったようです。そこには縁のあった人々が揃って集う楽しい夢の場で、イェルゲンが「愛の中へ、栄光の道へ。およそ命は失われることはない」と叫んで息を引き取りました。すると砂嵐が起こり教会の中まで砂が吹き込んでイェルゲンは埋まりました。教会の塔だけが残る、まるで巨大な墓碑のようです。

101) 人形つかい

旅回りの人形劇の男が人形を詰めた大きなカバンをもって、今日はラゲルセの街の駅舎で人形芝居をうちました。観客の子供たちの中へ、地方の指導に当たる工芸大学の学生さんがいました。芝居がはねたあと、その学生さんは講演を行いました。その話の内容の素晴らしいことは、目が覚める思いがしたものです。コイルに電流が流れると磁気が発生するように、人の頭に靈氣を呼び起こすようでした。そこで人形劇の監督は学生さんとぶどう酒を飲み語らいました。人形遣いは、生きた人間の芝居の舞台監督になりたい希望を述べました。すると酒の酔いか幻か、カバンが倒れて中から芝居用の人形が飛び出してきて、さっそく公演の話となりましたが、みんなが言う希望や文句など収拾がつかず、監督がお前たちは人形なのだからというと、人形は寄ってたかって監督をなぐり殺しました。人形が血や肉を持つをもつのはもうたくさんだということで、元の人形のままでいいというのがこの監督の結論です。

102) ふたりの兄弟

この話は、貧しかったアンデルセンを援助して学校に行かせ、世に送り出した恩人エアスデック兄弟への賛辞となっています。兄は物理学者、弟は政治家でした。

103) 古い教会の鐘

1975年11月10日南ドイツのウェルテンブルグ国に生まれた、ドイツの偉大で不朽の詩人ヨハン・クリストフ・フリードリッヒ・シラーを褒めたたえる賛歌です。王国の首都シュッツガルトにはその銅像が立っており、スイスの解放者ウイリアム・テルやオルレアンの少女を歌ったことで有名です。

104) 駅馬車できた十二人

暦の12か月を季節の移ろいと行事を合わせて子供たちに順々に紹介するお話です。「時というのは不思議ですね」で締めくくられています。

105) コガネムシ

家畜の糞の中で生活するコガネムシはきらきらする黄金ムシ色の足が自慢でした。皇帝の馬が日ごろの功績によって金の靴(馬蹄)を貰いました。そこでコガネムシは馬蹄を作る鍛冶屋に金の靴がほしいと頼みましたが、馬鹿にされたので馬小屋をぷいと出て、広い世界を見に行きました。花園には匂いにつられて蝶が飛んでいましたが、コガネムシは糞のにおい以外に知りません。ぷんぷん怒っているコガネムシは葉の上で転寝をする青虫の世間は狭いといって飛び去りました。こうして怒りんぼコガネムシの旅は続きます。カエル、ハサミムシなどと言いあっては誇り高いコガネムシは旅をしました。ところが小さな男の子につかまって、木靴の帆にひもで縛られて川に流されました。誰も助けてくれませんのでコガネムシは皆を恨みます。それを娘さんらに助けられて再び自由を得ると、元の馬小屋に戻りました。

106) 父さんのすることはいつもよし

わらぶき屋根の古い百姓家にお百姓さんとおかみさんが住んでいました。持ち物は1頭の馬だけです。お百姓さんはこの馬を町へ売りに行こうとして家を出ました。さてここからが荒唐無稽の物々交換のお話ですが、交換するたびに世間では価値の低いものに変えてゆくお百姓さんの気まぐれと無知を笑っていても仕方ありません。馬→牝牛→羊→ガチョウ→メンドリ→いたんだリンゴという風に価値の低いものになりました。そして最後の居酒屋に入ると、金持ちのイギリス人がお百姓の話を聞いて、これでは家に帰ると折檻されるぞといいましたが、お百姓さんは「接吻はされても折檻はされない」というダジャレをいいます。そこでイギリス人は賭けをしてもし折檻されなかったら金貨百ポンドをやると約束しました。イギリス人とp百姓さんは一緒に百姓家へ帰りました。するとおかみさんが出てきてお百姓さんの話を聞いて「父さんのすることはいつもよし」といって、すべての交換をよい理由をつけて納得しました。折檻の代わりに接吻を貰ったお百姓さんは百ポンドを貰いました。いつも下り坂なのに、いつも朗らかに夫を信じているおかみさんは立派な値打ちがあるというわけです。

107) 雪だるま

子供らが雪だるまを作りました。子供らは万歳を叫びました。夜になって満月が青く美しく東の空から上ってきました。雪だるまは歩きたいと思ったのですが、歩き方を知りません。番犬がワンワンと吠えて翌日お日様が当たると滑り込む方法が分かるといいます。要するに溶けて滑りやすくなるということです。番犬は地下室の管理人の部屋に住んでいましたが、暖かいストーブの話をしますと、雪だるまはすっかりストーブに恋をしました。一日中ストーブを見続けていましたので、炎の光で温められた雪だるまはすっかり溶けて亡くなりました。番犬は雪ダルマの体の芯にストーブの火掻き棒が入っていたことに気が付きました。それが体の中で動いたに違いないと思った。

108) アヒルの庭で

ポルトガル種の雌のアヒルが1羽、普通のアヒルや鶏と一緒に庭で飼われておりました。ポルトガル夫人と言っておきましょうか。ポルトガル夫人は鶏の甲高い鳴き声に閉口していました。そこへ猫に襲われた小鳥が屋根から庭に落ちてきました。ポルトガル夫人は羽を折った小鳥の世話をして、水療法として水をかけてやりましたが、小鳥は水鳥ではありませんので余計なお世話を受けて羽を乾かさなければなりませんでした。ここへ中国夫人の2羽のめんどりがやってきておしゃべりをして時、庭に餌が投げ込まれました。庭の鳥たちは慌てて起き上がって餌を食べ始めます。食べ終わってポルトガル夫人が横になっていると、小鳥はかわいがられようとしてピーと歌い出しました。食休み中のポルトガル夫人は驚いて、しつけのためといって小鳥の頭を突っつきましたら小鳥は死んでしまいました。アヒルというものは皆激しい情熱をもっていっます。同情が行き過ぎて小鳥を殺しました。

109) 新しい世紀のミューズ

この話は恐ろしく観念的で未来の詩の形を論じようとしたものですが、果たして童話としてはいかがなものでしょうか。詩とは感情と思想が鳴り響く音だといいます。産業革命後の機械文明の中で、新しい世紀のミューズが生まれようとしています。どんな時代にもそれに適した詩が生まれるという期待感を表現しています。

110) 氷姫

岩波文庫第5分冊の中で最大の長編童話です。約90ページにもなりますので15節に分けてあります。お話の舞台はスイスのアルプス地方です。スイスの雪のクレパスに落ちて死んだ母親と同様に、息子も氷姫にとらわれて水の中で死ぬという設定です。自然の厳しさと人の命の悲しさを表現したかったのでしょうか。話に入りましょう。氷河が小さな山の町グリデンワルトの近くの2つのホルンのふもとに広がっています。この町は観光の町で、お客さんが来ると子供たちが商売をするのです。家の人が作った木彫の小さな家の模型を売ります。ルーディという男の子がこの町にいました。母方のおじいさんが住んでいてそこに厄介になっているのでした。ルーディは羊飼いもできました。おじいさんの生まれたアイリンゲン村はスウェーデン人を祖先にするといわれています。ルーディのお父さんは駅馬車の馭者でしたが、ルーディが1歳のころ亡くなって、お母さんは赤ん坊を連れておじいさんの住むベルン高地に向かいました。ところが最後の峠でクレパスに落ちて亡くなりました。子供のルーディは助かりました。氷河に住むという氷姫は子供は助かったのを見て、あの子を自分の手に取り戻すと叫びました。こうしてルーディは氷姫から命を付け狙われたのです。氷姫は手下の「めまい」を選んでいけにえを誘い出し底知れぬ淵に誘い込むのです。母親方のおじいさんに養われてルーディは8歳になりました。ルーディの勉強のためと先々のため、ルーディは今度は父方のおじさんが住むローヌ渓谷の第2の故郷に移ることになりました。おじいさん、老犬アヨーラ、猫、山羊たちにさよならを言って、2人のガイドに伴われてユングフラウ、メンヒ、アイガーがそびえる山々を見ながら雪の海を歩くアルプス越えの旅に出ました。おじさんはまだ働き盛りの猟師で、桶屋の仕事もできました。道路ができこの地方の生活はずいぶん楽になったそうです。フランスの軍隊がこの地にやってきて道を切り開いたそうです。ルーディはおじさんに連れられた山に入り漁師の仕事をみっちり仕込まれました。ところがある日なだれが襲いおじさんは亡くなりました。それからはルーディがその家の柱になり、ヴァレー州で誰一人知らないものはいないほど射撃の名手となったのです。ルーディには女の子の友達がいました。先生の娘アネッテとベックス町の金持ちの水車小屋の娘バベッテです。ルーディの気持ちは18歳の娘バベッテに恋していました。あるひルーディはベックスの町へ出かけましたが、留守でした。バベッテさんと父親はインターラーケン(湖の間の町という意味)の射手組合大会に出かけていたのです。そこでルーディはインターラーケンに出かけ射手大会で一等賞をとり、バベッテ1家とすっかり親密になりました。ルーディは「幸運というものは自分自身を信じ、神様はクルミを下さるがそれを割るのは自分だということを忘れない人に現れるのだ」と確信している、いつも前向きの青年でした。インターラーケンからの帰り道の山の中で、賞品をたくさんもらって荷物がいっぱいのルーディに、氷姫が変装した娘が近寄り、山道を案内してあげようと手を握ってきました。その手の冷たいことにびっくりしたルーディは断って、無事に山を下りローヌ渓谷に出ました。ルーディの育ての母親は賞品を見て大喜びで、ルーディに運が向いてきたといいました。

ルーディはベックスの町の水車小屋へ出かけ、水車小屋の主人とイヌワシの話に花を咲かせて、バベッテ尾さんとむつまじく話し合いました。二人の間には内密の婚約まで進んだようです。そして後日ルーディはバベッテのお父さんに結婚を申し込みました。お父さんは鷲のひなを生け捕りにして持ってきたら娘をやるという条件を付けました。そこでルーディは友達を2人連れて、何段も梯子をかけて岩場をよじ登り、飛び掛ってきた親の鷲を鉄砲で撃ち殺し、巣の中にいた鷲のひなを縄をかけて捕まえました。岩場では氷姫と手下のめまいがルーディを陥れようと狙っていましたが、ルーディの巧みな岩場のぼりには手も出せませんでした。こうしてルーディは正式に水車小屋のバベッテと婚約の運びとなりました。夏には婚礼の予定でした。春がやってきて、ローヌ河に沿って緑は滴るばかりでした。鉄道を敷くために道路とトンネルをつくる人間の営みを見て、氷姫は「太陽の子といわれ精神力といわれる人間よ、自然の力こそ支配者なのだ。わしは滅ぼしてやるぞ」と叫ぶのでした。レマン湖もモントリオールという町にバベッテの名付け親のイギリス夫人が住んでいます。名付け親からバベッテ親子と婚約者ルーディに遊びに来るように招待されました。バイロンの詩「ションの囚人」に書かれた古いションの城があります。またこの話の展開として、名づけ親のいとこが二人の間に入ってきて、恋のさや当て(愛の遊戯)という嫉妬のお話が挿入されますが、そこへ氷姫の悪霊が介入してルーディを誘惑し氷の城に落とし込もうと画策します。水車小屋に戻ってから二人は仲直りをしました。婚礼の式は名付け親の希望としてモントリオールの教会で挙げることになりました。ローヌ渓谷にアフリカの熱い風フェーンが吹き荒れました。夜の幻、自然力の霊、それはめまいのなす技です。その夜バベッテは悪夢を見ました。結婚してから何年もしてルーディが山の中で消える夢でした。あすはいよいよ二人の結婚式です。3人はヴィルヌーブの町に向けて出発しました。ヴィルヌーブについてから夕方までにまだ時間がありましたので、二人は湖の小さな島へボートを漕いで島に上陸しました。そこで踊りを踊って二人は幸せの絶頂期にいました。するとボートのロープがゆるんで、ボートが流されたのです。ルーディは衣服を脱いで湖へ飛び込みました。すると湖の底に氷河のクレパスに落ちた人々が迎えに来ており、教会の鐘の音も聞こえました。そしてルーディは深く深く潜ってゆきました。再び浮かび上がることはありませんでした。氷姫がルーディをやっと捕まえたのです。

111) チョウ

チョウがお嫁さんを貰おうと、かわいい花を選びに旅に出ました。まず雛菊(フランス語でマルゲリット、占いの花)に申し込みましたが気に食わないと振られました。次にマツユキソウ、クロッカスには目もくれず、アネモネの毒気にやられ、チュリップの派手さに閉口し、水仙はみじめったらしいと敬遠し、ボダイジュの花は小さすぎるので敬遠し、リンゴの花の寿命があまりに短いのでがっかりし、エンドウの花に魅力を感じたのですが年増で萎れているので止めにし、スイカズラの花は顔が長細くてチョウの趣味に合いません、ハッカソウは花こそありませんが全身からいい匂いがするので結婚を申し込みましたが、ハッカソウは年を取っているのでこれを断りました。こうして雨と霧の季節になりチョウは誰とも結婚できませんでした。そして捕えられて今は標本箱の中でピン留めにされています。

112) プシケ

ラファエロやミケランジェロが活躍していたルネッサンス時代の、イタリアの名もない彫刻家の話です。プシケとはローマのアプレイウスの物語「エロスとプシケ」に出てくる、蝶の羽を持った美しい少女のことで、ギリシャ時代から登場しています。ローマの古い家に世間には知られていない一人の芸術家が住んでいました。才能も腕も確かな芸術家でしたが、作っては壊しして満足する作品は一度も発表していません。仲間の芸術家は彼のことを評して空想家だといい、現実の生活を楽しんでいないから、人生を知らないのだといいました。芸術家の陽気な破天荒な生活を味わったこのない、神聖なものを求めて尊いものを追い求めるタイプの芸術家だったのです。この芸術家が宮殿の庭の前を通りかかた時、ラファエロの描いたプシケの姿のようなお嬢様を見かけました。その姿は若い芸術家の心に火をつけました。さっそく粘土でプシケ像を作りました。友人や仲間内はこれを絶賛し、彼は大理石でそのプシケ像を刻み始めました。ローマの金持ちの殿様(少女の父)がやってきて、プシケ像の予約をしました。出来上がった大理石像の作品を芸術家仲間はギリシャ時代の巨匠に劣らない作品だと評価しました。そして若い芸術家は宮殿に行き作品の完成を告げましたが、その時現れたお嬢様に芸術家は愛を告白しました。びっくりしたお嬢様は「気が違ったのか、出ていけ、さっさと下へ」と叫びました。芸術家の仲間はこの若い芸術家が思いつめて血が頭に上ったと思って、酒を飲んでバカ騒ぎをすれば正気に戻るだろうということで、カンパーニアの娘のいる料理屋に連れてゆき浴びるほど酒を飲ませました。翌朝から熱病のように震えがきて、そのプシケ像の彫刻を井戸に投げ込み土をかけて埋葬しました。そして彼は修道院に入りました。この僧が死んで何百年もたったころ、修道院の跡地に女子修道院が立っていました。そこへ新たな修道女のを埋葬するために穴を掘りますと、大理石に刻まれた美しいプシケ像が発見されました。この世のものはすべて塵になりますが、この世のものならぬ聖なるものは死後の名声の中で輝きます。その名声が忘れられても、プシケ像は生き続けています。美しいものは永遠の生を与えられるのです。

113) カタツムリとバラの茂み

バラの花はこの世を謳歌して楽しく過ごしています。カタツムリは自分の殻に閉じこもり没世間で、自分の内面的発展にのみ賭けているようですが、外から見ると何もしていません。

114) 鬼火が町にと沼のばあさんがそう言った

この話はストーリーがあるわけではなく、アンデルセンの独り言です。昔は次から次と話の着想がひらめいて、おとぎ話がアンデルセンの方へやってきたものだが、最近おとぎ話が枯渇してきたので、おとぎ話のネタを求める旅という設定である。アンデルセンを沼のおばあさんに、鬼火をおとぎ話と見立てればおとぎ話は出来上がります。

115) 風車

オランダと風車は海辺の風景として欠かせないものです。その風車の機械にガタがきて古くなっていよいよ取り壊しの日がきました。故意かどうかは知りませんが風車が火事になって跡形もなくなり、そこに新しく素晴らしい性能を持つ風車がやってきた。古いものが役目を終えると、つぎにはさらに優れたものがやってくるという、進歩思想に置き換えて読むこともできます。

116) 銀貨

貨幣は交換可能という信用で成り立っているという、貨幣価値論を展開するつもりはないでしょうが、子供に貨幣のことを教えるために書かれた話でしょう。昔はある国の貨幣は鋳造しあっての金属価値の高いものであっても、ほかの国では流通しなかったので、今のような「為替」という信用交換システムがありませんでした。だからぴかぴかの銀貨でも。他の国では無価値の偽物として扱われた。その銀貨が外国で哀れな旅をして最後に自国へ戻って安住の気持ちになるという話です。こういう貨幣論という抽象的な話を子供に分からせるのは難しいかな。大人でも貨幣論がよくわからない人は、岩井克人著「貨幣論」(ちくま学芸文庫 1998年)を一度読むといいですよ。

117) ベアグルムの僧正とその一族

デンマークのユラン半島の北に砂丘が広がっています。砂丘の丘にベアグルム僧院という古い館がありました。北海の怒涛で難破した船の積み荷は砂丘の浜辺に流れ着きますが、これらはベアグルムの僧正オルフ・グローブのものになりました。僧正は強欲な世俗権威者で、僧正の親戚が死んだ時も、未亡人の土地・館を取り上げるため僧正は裁判に訴え、それがうまくゆかないとローマ法王に手紙を書いて自分に都合のよいお裁きを得て、未亡人を教区から追放しました。未亡人には一人の息子イエンスが外国にいたのですが、このイエンスは騎士となって12人の部下を連れて帰国の途にありました。未亡人の母親のため、イエンスが僧正一味を惨殺しました。昔の俗世と悪の思い出は闇に葬られました。このように僧職者が物欲の権化となって悪の快楽を尽くすことは、今では昔話になりましたということです。

118) 子供部屋で

お父さんとお母さんが芝居を見に出かけました。小さなアンナとなずけ親のおじさんがお留守番です。二人でお芝居をしてお遊ぶお話です。本で机の上に劇場をつくり、パイプの頭と古いチョッキと破れた手袋と長靴の形をした胡桃割りの4人が俳優です。家庭劇の題名は「パイプの頭とよい頭」で役割は、父親がパイプの頭、その娘に敗れた手袋、恋人にチョッキが、恋の邪魔をする求婚者に長靴のクルミ割りという塩梅です。

119) 金の宝

太鼓打ちのお父さんとお母さんのあいだに、ペーターという赤毛の男の子がいました。お母さんはペーターを大事にして「金の宝」と呼んでいました。この子は声がよかったのでお母さんは少年聖歌隊になることを期待していました。ペータは町の楽士さんに目をかけられ、ヴァイオリンを習いました。少年ペーターは兵隊さんになりたくて、戦争が起きるとペータは志願して戦争に行き、少年鼓手になりました。戦争は最初負けていましたが、ペーターの進軍太鼓のせいで奇跡の勝利をおさめ凱旋しました。ペーターもひょっこり家に帰っていました。おっかさんは大喜びです。ペーターはピアノが上手な市長さんの娘さんに恋をしましたが、恋に破れてからヴァイオリン奏者として猛奮発し今では皇帝や国王の前で演奏するようになりました。騎士十字章もいただきました。

120) 嵐が看板を移す話

おじいさんがまだ子供だった頃のお話です。赤い上着とズボンをはいて晴れ着に着飾って町のイベントに出かけました。靴屋の組合集会場の看板の引越しはそれは賑やかなお祭り騒ぎです。音楽隊の先頭に道化師が先導する催しものでした。おじいさんがこの町にやってきたとき、恐ろしい嵐が起こり、屋根瓦が飛び、看板が空を舞いました。ハリケーンのように番小屋は根こそぎになって道路を転がってゆき、町中の看板がほとんど全部場所を入れ替えました。翌朝町の人々は大騒ぎでした。

121) 茶びん

高慢な茶瓶がありました。この茶瓶は自分の容姿を自慢し、ふたにヒビが入っていることは隠していました。ほかの陶器からこの蓋のヒビのことを指摘されると、自分は欠点を上回る長所を持っていると自負するのでした。あるときお茶を入れようとして茶びんは床に落とされました。口も取っ手もかけて御用済みとなり、球根の入れ物として再利用されました。球根に花が咲いて成長しますと窮屈になりましたので、植木鉢に移すため茶びんは真っ二つに割られ陶器のかけらとなりました。でもこの美しい思い出だけが残りました。

122) 民謡の鳥

昔の異教時代、ヴァイキングの時代には、今はないルーネ文字に記された物語は吟遊詩人のたて琴に乗って歌われました。詩人が王の姿をした亡霊が浮かぬ顔をして嘆き悲しむ姿を見て、亡霊に尋ねますと、自分の若いころの勇気と力と業績を伝える人がいないので、安心して憩う事ができないというのです。吟遊詩人がその王の偉大さをたたえると、亡霊はうれしそうな顔をして空に舞い上がりましたとさ。

123) 小さなみどりたち

バラの木を食いつぶすアブラムシの緑の大群は「アリの乳牛」とも「小さい緑」とも呼ばれています。

124) ニッセと奥さん

いたずらをする小人の妖精をニッセと呼びます。庭師の奥さんは、本を読み詩をそらんじる文学の才能を持っていました。「つなぎ」と呼んでいる韻文によって美しい詩を作ることができました。庭師の旦那はそんな奥さんの文学の才能よりは、鍋に気を付けて料理してほしいだけです。奥さんの甥の神学生がきて、奥さんと美文について話を始めますと。奥さんは料理のことはほったらかしになります。そこでいたずら好きのニッセがいつもお鍋の火を吹いて煮こぼれさせました。ところが奥さんが「小人ニッセ」という詩を書いて読み上げると、それを聞いたニッセは奥さんの味方になりいたずらをしなくなりました。ずるいのは人間臭くなったニッセでした。

125) バイターとペーターとぺーア

コウノトリは神様から送られた子供を家庭に運ぶ役割を持っています。年取った1羽のコウノトリのお話です。市の32人会の一員であったパイターセン家の3人の子供、パイター、ペーター、ペーアの3人兄弟について語りました。パイターは盗賊になりたいといい、ペーターはごみやになるといい、ペーアはお父さんになりたいといいました。パイターはタチアオイに似て美術家のセンスを持ち、ペーターはキンポウゲに似て音楽に秀でた子で、ベーアは雛菊に似て学問と自然観察の優れた子でした。三人三様です。それはコウノトリが住んでいた沼の様子からきています。

126) しまうことは忘れることではない

泥水の濠をめぐらした古い館にメッテ・モーンズ夫人が住んでいました。ある日強盗団が押し入り、召使を殺し夫人を犬小屋に鎖でつなぎ、酒盛りを始めました。そこへ強盗団の手下の若者がやってきて、夫人の鎖を解いて、「私の親父はかってこの屋敷で夫人に助けてもらいました」といい、二人は馬に乗って逃げ通報して、強盗団はみな縛り首になりました。「しまうことは忘れることではない」と若者は言いました。恩はいつまでも覚えているということです。ほかに2話ありますが、省略します。

127) 門番のむすこ

将軍の家の地下に門番一家が住んでいました。庭にアカシアの木があり乳母が将軍の娘エミーリエちゃんをあやしていました。門番の息子ゲオルゲも踊って赤ちゃんをあやしておりました。エミーリエ画少し大きくなったころ、ゲオルグが新聞と郵便物を将軍のところへ持ってゆくと、お嬢さんお部屋のカーテンが燃えていましたので急いで消し止めました。エミーリエちゃんがマッチで遊んでいてカーテンに火がついたのでした。ゲオルグは将軍からご褒美に金貨をいただきましたが、それで絵具を買って絵をかきました。数枚の絵をエミーリエちゃんに贈ると将軍は素晴らしいとほめました。将軍と奥様は身分の高い貴族の生まれで、将軍は戦争に行ったことはなく外交で功績がありました。ゲオルグは絵を習うため夜学の美術学校に通いました。お嬢様が病気の時もゲオルグはクレムリン宮殿などの建物の絵を描いて贈りました。この絵を見た老伯爵はゲオルグの建築関係の才能に注目し、美術学校の教授に声をかけてゲオルグをその方面に進ませました。こうして才能を伸ばしたゲオルグはたびたび賞を貰い、ローマに留学することができました。娘になったエミーリエ嬢は宮中舞踏会で社交界デビューをして、3人の王子様からお相手を申し込まれました。将軍の奥様はすっかり上機嫌で持病の頭痛の亡くなりました。ある日伯爵家から将軍に晩餐会の招待がありました。そこでエミーリエ嬢は伯爵家のお城を設計中の建築技師ゲオルゲと再会しました。しばらくして宮廷舞踏会でもゲオルグに会いました。ゲオルグは宮廷にも出下りできるほど評判を上げていたのです。そして二人は恋に落ちました。それから数日後ゲオルグは将軍を訪れ結婚の許しを得ようとしましたが、将軍と夫人は困惑するばかりです。しばらくして宮廷で仮面舞踏会が催されエミーリエはプシケのように羽を着飾って出かけました。黒いドミノの男がエミーリエとダンスをしました。それが教授となり枢密院顧問官となったゲオルグでした。二人の結婚に将軍はもう反対しませんでした。エミーリエは枢密院顧問官夫人となりました。

128) 引越し日

搭の番人オーレをクリスマスの節季の引越し日に訪問しました。この日は棚卸や勘定の清算や人の移動があっていつも町の中は大忙しで騒然としています。町はごみ箱をひっくり返したような騒ぎです。小人の妖精まで樽の中に入って引越し騒ぎをしています。それより深刻なことは「死の神の厳かな引越し日」です。この世の清算日です。死神は人生という大銀行の頭取です。死神の乗合馬車こそ厳かな旅です。

129) 夏もどき

夏もどきとはマツユキソウの別名です。雪の下で眠っていた球根が太陽の光に刺激されて美しい花を咲かせます。季節はまだ身を切るような寒さですが、出てくるのが早すぎるという意味で「夏もどき」です。騙されて出てきた花という意味です。日本では雪割草という花がありますが、正月に咲く春の象徴のような花です。

130) おばさん

おばさんはただ芝居小屋を見続けて生きてきた人です。芝居小屋は私の学校ですとおばさんは言います。芝居から歴史や小説や文学や人生を学んできました。町に一つしかない大劇場では天井桟敷から芝居を眺めることができます。役者や道具方の動きが一覧できるので、通の客はこの天井桟敷を好みます。客席の出した火事のためにおばさんは死にそうになったこともありました。おばさんの遺産は結構あったので、ある身寄りのない独身の女の人に譲ることに決めてありました。遺産相続の条件とは、毎年の土曜日の夜は劇場の3階の席を予約し、その席でおばさんのことを思い出すことでした。そこでおばさんは生き続けていたいのです。

131) ヒキガエル

ヒキガエルの一家はよそからきて、お母さんを先頭に井戸の中へ飛び込みました。そこにはアオガエルが住んでいたのですが、ヒキガエルの一家も同居することになりました。醜いヒキガエルの一家には子供がたくさんいました。一番下のヒキガエルの子は井戸の外を見たくて仕方ありません。ある日水をくむ釣瓶の桶が目の前にきたので、その中に飛び込みました。水をくみ上げた下男は桶の中のヒキガエルを見て驚いて靴で蹴飛ばしました。さてここからヒキガエルの子の世界漫遊の旅が始まります。野原の池に住むアオガエルやヒキガエルの大合唱という音楽会にも参加し、前進をつづけました。キャベツ畑の青虫は別に広い世界に興味はありません。ヒキガエルの子は上へ上へと向かう憧れと理想に突き動かされています。コウノトリの背中に乗ってエジプトへゆきたいと近づいたところを、コウノトリの嘴はヒキガエルを捕らえて一飲みにしました。

132) なずけ親の絵本

私のなずけ親のおじいさんはお話上手で、新聞などから切り抜いた絵をノートに張り付け絵本にして、お話のタネにするのでした。なかでも42話)「古い街灯」や、飛行郵便新聞の記事「3本足の地獄馬」などがとても面白かった。今回のお話は魚油ランプからガス灯に遷り変わろうとしているこの晩にコペンハーゲンの全歴史を物語ろうというものです。岩波文庫第6冊のなかで45頁をしめる長編です。年代に従って神話時代から19世紀にいたる23の話題を子供に教えることで、デンマークそしてコペンハーゲンの歴史を語るお話です。
@水と風 砂洲の時代: ノルウエーから転がり落ちきた岩が氷の上をエアソン海峡に入って、シュラン島沖の今のコペンハーゲンあたりまでやってきた。北風に押された氷の艦隊は砂州に乗り上げて動かなくりました。こうして砂州は標石によって次第に高くなってきました。
A緑の島 ヴァイキング時代: 高くなった砂州には草が生えて緑の島になりました。そこへヴァイキングたちが上陸して、ニシン漁を始めたわけだ。輸入業者や密猟者がこの泥棒島で取引を始め、それに伴って強盗や人殺しがやってきた。
B商人の港 アクセルの家 12世紀: ロスキラの町に教会ができ、アプサロン司教が住んでいました。アプサロン司教は北からくる海賊から町を守りました。そこにアクセルの家(獄門屋敷)ができました。町の外には商人の港が出来上がり、胡椒を扱う「胡椒の手代」も住むようになりました。
C司教の町 クリストファ1世: 獄門屋敷の城壁が海岸線を望むところに村や市場、商人街ができ、立派な教会も建ちました。こうして商人の町は司教の町になりロスキラ司教の支配のもとにおかれました。デンマーク王のクリストファ1世が敗れた時も司教の町に支援を求めましたが、門は開けられませんでした。
Dエリク王の町 ペストとハンザ同盟の時代 14世紀: 貧乏と闘争とペストの荒れ狂った中世です。司教の町は今では王の町になりました。ハンザ同盟の連中がやってきて、王よりもこの町を支配しました。エリク王さえ町から逃げ出したくらいです。イギリスの王女でデンマーク王妃フィリッパだけがこの町にとどまって闘いました。
Eクリスチャン1世 学問と印刷の時代 15世紀: クリスチャン1世がローマに行き、今のコペンハーゲン大学の元になった学問の館を建られた。デンマーク最初の印刷業者ゲーメンが本の出版を始めた。文化の春が到来しました。
Fクリスチャン2世 16世紀: ハンス王は娘エリザベートをブランデンブルグ選帝侯に嫁入りさせた。クリスチェルン2世が後を継ぎました。
G動乱時代 クリスチェルン2世国外逃亡: クリスチェルン2世(残虐王)の時代は動乱の時代です。国内は貴族諸侯が農民支配を強め王の言うことを聞きません。そして王は国外へ亡命することになりました。
Hフレデリック王 クリスチャン2世幽閉 旧教徒反乱: キールの城主フレデリック王がデンマークを支配しました。クリスチャン2世は捕えられセンナボア城に幽閉されました。この時代は宗教戦争と農民戦争、伯爵の乱が重なった重苦しい動乱の時代です。
Iクリスチャン3世 ルター派合法化 農民戦争: クリスチャン2世王のルター派宗教が承認され合法化されました。ルター派が勝利したのですが、農民戦争ではルター派は農民を弾圧しました。貴族宰相ハンス・フリースが活躍しました。
Jティコ・ブラーエ追放: ティコ・ブラーエは人魚の乙女によって、新しい希望を歌いましたが、国外に追放されました。
Kクリスチャン4世 ウルフェルト亡命 17世紀: クリスチャン4世の姫エレオノーレは貴族宰相ウルフェルトに嫁ぎました。兄が王位を継ぎ、王妃アマリーエを迎えると、ウルフェルトとエレオノーレ夫人は窮地に追い込まれスウェーデンに逃れました。
Lウルフェルト 幽閉: ウルフェルトは反逆者の汚名を着せられ、カイ・リュッゲの屋敷に幽閉されて亡くなりました。夫も青い塔に閉じ込められました。
Mフレデリック3世  スウェーデンが侵攻: デンマークの内紛に乗じてスウェーデン軍が進攻してきました。フレデリック3世王が奮闘してこれを退けました。
Nナンセン デンマーク絶対主義導入: 市長ハンス・ナンセンと司教スワーネが結託して貴族の力を弱めるため、権力をクリスチャン5世一人に集中させました。これがデンマーク絶対王政の始まりです。
Oクリスチャン5世 ドイツ貴族による絶対王政: クリスチャン5世はドイツから新しい貴族を呼び寄せ、ドイツ化を図りました。それに反対したのが司教キンゴです。グリッフェンフェルトは1665年「王の法典」を著し絶対王政の法制化を行いました。
Pフレデリック4世 デンマーク艦隊 大火災とペストの時代 18世紀: フレデリック4世のときデンマーク艦隊が国の防衛に活躍し、ヴィルフェルトやトーデンスギョルの英雄が生まれました。この時代は半分が栄光の時代で、半分はペストの荒れ狂った時代です。
Q劇作家ホルベーア 暗黒のキリスト教支配: 偉大な劇作家ルートヴィ・ホルベーテの劇が禁止され、陰気なキリスト教だけが支配する世の中でした。
Rフレデリック5世 デンマークの春: フレデリック5世が王位につくと、陰鬱な時代から太陽の時代に替わりました。
Sイギリスより王妃マチルデ 王宮火災: イギリスより哀れな王妃マチルデがやってきました。クリスチャン王の城が火事になりました。
21)フレデリック皇太子 自由記念碑: フレデリック皇太は農奴制を廃止し、自由農民法を制定しました。ウルフェルトの屈辱の碑が倒れて、自由記念碑は輝くでしょう。
22)イギリス艦隊の侵攻 19世紀: ナポレオンの圧力下に入ったデンマークはイギリスと対抗しました。そして4月2日首都沖の海戦が勃発しました。
23)コペンハーゲン沖海戦 デンマーク艦隊滅亡: 首都沖海戦でデンマーク艦隊は全滅しました。イギリス軍はコペンハーゲンに迫り、町は燃えています。この敗戦を乗り越えてデンマークは栄光に向かって立ち上がるでしょう。

133) ぼろぎれ

デンマークのぼろ切れとノルウエーのぼろ切れの、めくそはなくその言い争いです。言語は比較的近いのですが、ノルウエーは高山ですので言葉は荒っぽく原始的で、デンマークは低地で柔らかな言葉です。ノルウエーには憲法があり、デンマークには文学があるなどという、たわいないお国自慢話です。

134) ヴェーン島とグレーン島

昔シュラン島海岸にヴェーン島とグレーン島という2つの小さな島がありました。嵐の夜ヴェーン島は海の底に消えてしまいました。「ヴェーン島はグレーン島を待っている」という噂話が流れてましたが、そのグレーン島も堤防で囲まれシュラン島と陸続きになって消えてしまいましたとさ。

135) だれがいちばん幸福だったか

お日さまと、露とバラの生け垣の3人は、バラの花の育ての親だと自負しています。風がその話の判定者となりました。3人はバラの花がどんなにか人々の役に立ってきたかを自慢して話しました。若い娘が亡くなったとき棺に横たわった娘の胸を飾ったのもバラの花で、画家に美しく描かれ、詩人にその美をうたわれたのもバラの花です。劇場で舞踏家の足元に飛んでゆくのはバラの花でした。貧しいおばあさんの懐かしい思い出に花咲くのもバラの花でした。どれが一番幸福だったかは言えないというのが風の判定です。

136) 木の精ドリアーデ

1867年パリ万国博覧会のお話です。命と引き換えにしてまで都会にあこがれる木の精ドリアーデの夢と破滅を描いていますが、ちょっと複雑な心境です。近代文明の都パリの栄光と賑わいに夢中になっていいのか、それとも田舎暮らしがいいのかよくわからないからです。田舎からマロニエの木がパリの公園に移植されました。マロニエの木には木の精ドリアーデが住んでいました。田舎にいるときは大きな樫の木のそばに立っていました。樫の木の下では年取った神父さんがこどもたちにいろいろなお話を聞かせていましたが、ドリアーデも隣で聞いていて人の話が分かりました。フランスの地理や歴史のお話を聞いて、ドリアーデはパリの近代都市文明にあこがれました。話を聞いていた女の子マリーもパリにあこがれましたが、神父さんは、「あんなとこへ行ってはいけない。お前の身を亡ぼすよ」といいました。そのころパリの練兵場敷地に、芸樹と工業の新しい世界の奇跡が咲き出でたのです。「パリ万国博覧会」に木の精ドリアーデと女の子マリーは夢中になりました。木の精にとって、パリの地に根を下ろすと、命は短くなるという宿命がありました。そこで欲望はもっと強くなり、木の精を飛び出して人間に交わると命はカゲロウのように一夜に縮まるのです。田舎にあったマロニエの木はパリに移植されることになりました。ドリアーデはパリの喧噪に酔い、人間の列に加わりたいと熱望するようになりました。自分の命と引き換えに、ほんの短い間でも女の姿をして生きたいと思ったのです。ドリアーデはパリの大聖堂や下水道、街明りとダンス、娯楽場の華やかさ、博覧会場の世界館などのパリの栄光と文明を満喫しますが、命は露のはじけるように亡くなりました。パリに行った女の子マリーも、いまでは派手ななりをしていますが、踊り子としてカンカン娘になっていました。人の命を飲み込むの、それが都会なのです。

137) にわとりばあさんグレーテの一家

昔貴族のグルッペという騎士がいた館は今では領主の館と呼ばれ、そこに住むニワトリやアヒルの世話をするニワトリばあさんグレーテの一家のお話です。お話は昔にいた騎士グルッペの娘マリーのことから始まります。騎士グルッペの娘マリーはお父さんと一緒に小さい時から狩り遊びをし、女の子らしいしつけのない、傲慢な娘に育ちました。近くにいる百姓の息子セレンを家来と呼び、鳥の巣を荒らしたりして遊ぶというわがままな女の子でした。マリーが12歳のころグルッペ夫人が亡くなり、館の庭は荒れ放題になりました。マリーが17歳になった時、国王の腹違いの弟の領主フレデリック・ギュルレンレーヴがマレーに結婚を申し込みました。マリーはこの人を好きではなかったのですが、拒み切れずコペンハーゲンへ嫁入りいましたが、侍女と一緒にすぐ里に出戻ってきました。里帰りして1年経ったとき、父グルッペはいうことを何としても聞かない娘マリーを館から追い出し、娘と侍女を一族の昔の館に移しました。その昔の館というのが今のニワトリばあさんグレーテのいる館です。マリーは鉄砲を持っても森に狩りに出かけ、ネレベックの領主で大男のパルレ・ヂューレに出合って結婚しました。彼との生活にも嫌気がさしたマリーは、館を逃れ馬に乗ってドイツ国境までやってきました。指輪や宝石を売って飢えをしのいだのですが、次第に衰弱して気を失って倒れているところを、船乗りの荒くれ男に救助され、船に乗せられました。何年か過ぎ、学生がペストの流行を避けるためコペンハーゲンを逃れ、ファルスダー島の渡しにつきました。渡し守のセレン・メラーのおかみさんというのがマリーのなれの果てでした。気性の激しい亭主はふとしたことで人をあやめ、3年間造船場で強制労働をしています。この亭主は今でいうDVで、妻に暴力を振るいましたが、おかみさんは「いっそ小さいころに打たれたら効き目があったでしょうが、今は私の犯した罪のために打たれているのです」と、暴力に甘んじています。このマリー・グルッペは1716年に亡くなりました。全く身寄りがなかったわけではなく、マリーの孫がニワトリばあさんグレーテだったのです。運命の巡り会わせは不思議なものですね。そしてわがままに育てられた傲慢な性格はいつかは身を亡ぼすので、若い時に矯正しなければダメということです。

138) アザミの経験

お金持ちのお屋敷の庭にはたくさんの美しい花が咲いています。お屋敷の柵の外の野道にアザミの花が茂っていましたが、誰も目に留めず、ロバが食べたがっていましたがとげが痛くて食べられません。お屋敷の庭で若い人のパーティが行われました。貴族やお金持ちの令状や若者が集まり、それぞれのカップルは花を摘んで男の人のボタンの穴に差してやりました。スコットランドから来た令嬢は柵の外にあるアザミの花をこの屋敷の息子さんにさし上げました。アザミはスコットランドの国花だったのです。こうして二人は結婚しました。

139) うまい思いつき

詩人志向の青年がいました。現代では詩の題材が歌われ尽したので、何を歌ったらいいのかわからないとこぼしています。そこで木戸番の占いばあさんに伺いをたてました。青年はばあさんからメガネと耳ラッパを貸してもらうと、たちまち10章からなる詩が出来上がりました。「見る目と聞く耳」を持てば、詩はひらめき(うまい思い付き)から生まれるということです。

140) 運は一本の針のなかにも

赤ちゃんが生まれるとき、神様は運をプレゼントします。しかもその運というものは思いもよらぬところで見つかるものです。運がないと不平不満を言ってはいけません。見つけられないだけで、とんでもないところから見つかるものです、。そのことを説明するため、ある木の轆轤師(旋盤で型をけずるひと)の例を取り上げます。轆轤師は蝙蝠傘の柄と輪を轆轤で作るのが仕事の職人でした。なしの実が不作の時、木の枝から子供たちになしの実のおもちゃを作ってやりました。あるとき、傘をまとめるボタンが飛んで、周りにはめる輪がバラバラになりました。ちょうどなしの実のおもちゃが見つかって代用に使いますと、とても具合がよく傘がバラバラになる故障は起こらなくなり、これを首都で売り出すと大ヒットしました。大量の注文がきて、大きな工場を建てました。

141) 彗星

すい星を見た少年は60年後にまた同じ彗星を見ることができました。当時すい星を見ると男この子は間もなく死ぬという迷信を母親は信じていました。その少年は60年後お年寄りの校長先生になっていました。先生の信条は「すべては繰り返す」ということでした。彗星も60年という周期で見えるだけのことです。その周期がその人の豊かな人生に重なっていました。彗星が流れた夜、校長先生は魂を召されました。

142) 週の日

閏年〈4年に1回、2月29日が出現し、通年より1日多い年)の2月29日、謝肉祭を祝うパーティが開かれました。週の各曜日は仮装をして食卓で気楽な演説をぶちました。まず日曜日は聖職者になって、赤いカーネーションをボタンに付けました。月曜日は遊び好きの青年になり、週の変わり目の音楽会に出かけました。火曜日は仕事に就く日です。勤勉な警官の服装を着ていました。水曜日は週の中日です。儀仗兵の仮装をしました。週が一列の並ぶと水曜日は真ん中に来るからです。木曜日は銅細工師の身なりをし、聖なる名前を冠せられた日で血統の高さを誇りました。金曜日は若い娘のなりをして、女神ウエーヌスの言いかえです。土曜日は女中かしらのなりをして箒と掃除道具を持ってきました。ビール入りのスープを食べました。

143) 日の光の物語

風と雨と日の光がお話をしました。日の光は人に幸せを持たらす白鳥の話をしました。白鳥が大海原を飛んでいるとき一枚の羽根が落ちて船の若い監督の髪の毛に落ちました。白鳥の羽根をペンにした男は間もなく商売に成功し金持ちになりました。白鳥が緑の平原を飛んでいいるとき、一枚の羽根が7歳くらいの坊やの手の中に落ちました。羽は1冊の本となり坊やは知識をえてえらい学者の仲間入りをしました。貧しい女の人がイグサの岸で白鳥の飛び去ったあとに金の卵を発見しました。卵が割れて4羽のひなが生まれ、その首には金の輪がはまっていました。女には4人の男の子がいましたので、4人の子供の指に金の輪をはめてやりました。4人の男の子は彫刻家、画家、音楽家、詩人となって大成しました。

144) ひいおじいさん

ヒイおじいさんの「昔はよい時代だった」という口癖にも、やはり電信(電報)の発明の恩恵は否定できないことをわかりやすく子供にきかせるお話です。アンデルセンは決して文明否定はしませんし、むしろ文明の便利さは無条件で肯定しています。便利になったが、しかし利口になったかどうかは分からないということは、いまでも東電福島第1原発事故を思えばうなずけます。

145) ろうそく

蜜蝋ろうそくと鯨油ろうそくの社会における位置づけを的確に示したお話です。しかしどちらもそれぞれよいというような無原則的な平等価値論ではなく、その時代における宿命を踏まえたうえで現実的な位置づけです。蜜蝋ろうそくは高級で金持ちの食卓や舞踏会を照らすもの、鯨油ろうそくは貧しい家で使われ、実用的で台所を照らすものである。蜜蝋ろうそくの燭台は銀製で、鯨油ろうそくの燭台は真鍮製である。綺麗に着飾って舞踏会で音楽やダンスを楽しむ幸せと、ジャガイモを食べられて飢えをしのげる幸せの違いはあります。

146) とても信じられないこと

童話にありがちな荒唐無稽なお話の一つです。「信じられないことをやってのける」というお姫様の願いをかなえた者と結婚できるお触れが出て、候補者がお城の集まって知恵比べをするという設定です。信じられないということの定義が不明確なままテストされる方も大変ですが、荒唐無稽なほど面白いことも事実です。実に精密な仕掛けのついた置時計を提出したものがいました。1時にモーゼがでて掟を説き、2時にアダムとイブが出会い、3時に3人の聖なる王が出て、4時に4季が現れ、5時に5感が出て、6時にサイコロの6の目が出て、7時に7つの罪悪が出て、8時にミサを唱え、9時に9人の芸術女神が出て、10時にモーゼの十戒が出て、11時にかわいい子供が出て、12時に夜警の歌が出ました。これを見て評議会はこの時計の製作者に決定しようとしたところ、その時大男がまさかりでこの時計をぶっ壊しました。とても信じられないことをやったとしてこの大男がお姫様と国を2部することになりました。婚礼の日、粉々になった時計の部品は再び集まって時計は蘇ったのです。乱暴なだけで破壊者の大男は退けられ、芸術の魂を持った男が選ばれました。乱暴な行動力は世の中の人をハッとさせますが、世の中をつくる力は暴力ではないことを教えるお話でしょうか。英雄待望論は百害あって一利なしということです。ヒトラーを生んではいけません。

147) 家じゅうの人の言ったこと

マリーちゃんの誕生日に家の中の人はなんと言いましたか。マリーちゃんは「毎日が楽しみよ」といいました。マリーの兄弟の7つと9つの男の子も「人生こそ冒険だ」といいました。この家の2階に住む一家の分家の、17歳と19歳の兄弟も「前進だ、人生は楽しい冒険だ」と言いました。この家の屋根親部屋に住むなずけ親のおじいさんは聖書こそすべての源泉であると思っていました。こうして家じゅうの人は「人生こそ最も楽しい冒険だ」と思いました。

148) おどれ、おどれ、お人形さん

3歳のアマーリエはお人形と遊んだり踊ったりしました。アマーリエは学生さんから教わった「おどれ、おどれ、お人形さん」の歌をお人形さんに聞かせました。年取ったおばさんには分からない世界です。

149) アマール女に聞くがよい

アマールとはコペンハーゲン近くの大きな島のことです。アマール女とはその島で取れる野菜の行商女のことです。年取ったこぶだらけのニンジンのおじいさんが若くてきれいなニンジンの娘に求婚しました。ご婚礼となって、野菜がいっぱい集まって舞踏会を開きました。調子に乗ったニンジンのおじいさんは転んで死にました。ニンジン娘は笑いました。おしまい。嘘だと思うなら、アマール女に聞くがよい。

150) 大きなウミヘビ

イギリスと欧州を結ぶ海底電信ケーブルが設置される時代となりました。海にすむ魚や鯨、アザラシたちは大騒ぎです。ケーブル線に押しつぶされて死ぬ魚もいました。そして寄ってたかって、これは何者だと詮議が始まりました。大きなウミヘビだといったりしていましたが、深い海の底を、この大蛇は祝福をもたらして伸びてゆきました。アンデルセンの近代文明歓迎のお話です。

151) 庭師と主人

金持ちの貴族一家は腕のいい庭師を抱えていました。この庭師はラーセンといいました。このお屋敷にはカラスが巣をつくっており、庭師は大きな木を切らして頂きたいと願い出ましたが、屋敷の伝統的な木の伐採を主人は許しません。庭師は庭園に果樹園や野菜畑や花壇や温室を作っていました。庭師の腕がいいので、近所の家や主人の友人から、果樹や野菜の評判がすこぶるいいのです。リンゴ、ナシ、メロンなどがおいしくので、近所から接ぎ木や種を求められ、方々に広く送くられました。スイレンや朝鮮アザミの花もあまりに美しく咲かせたので、王女様に贈られて王女様は外国の花かと間違うばかりでした。ある夜、嵐が吹いて例のカラスの巣となっている大木がなぎ倒され、庭師はそこに森林園を作って、ネズの木、柊、フランスの梨の木が植えられ、デンマーク国旗が翻っていました。ラーセンさんもすっかり年をとりましたが、ご主人は首にはしないで、ラーセンさんを誇りに思っていました。

152) ノミと教授

荒唐無稽の興行師のお話です。昔気球乗りの助手がいました。気球が爆発事故を起こした時は親方は死にましたが、助手は無事でした。飯を食うために腹話術師になろうとしましたが、品のいい態度と手先の器用さで自ら教授と名乗って奇術師となり興行で身を立てていました。奥さんはいましたが生活に嫌気がさしたのか、女房には逃げられ、1匹のノミを相棒に各地で興行をしていました。あるとき食人種の野蛮人の国にゆき小さな王女様にノミの芸を見せると、王女様はすっかり気に入りました。しかし教授はこの国から逃れたくてもっと面白い見世物をするといって、王女様から資材を集めて気球を作りうまく脱出しました。

153) ヨハンネ婆さんの話

救貧院にいる年寄りのヨハンネばあさんが語る「文無しラススム」の憐れな人生のお話です。沼のそばにある古い仕立て屋の家には古い柳の木がありました。(この柳の木は昔のことを何でも知っていストーリーテーラーのヨハンネばあさんのようです) むかしむかし村の仕立て屋さんのエルセと妻のマーレンが住んでいました。仕立て屋の家はまだ真新しくて、二人は働き者でした。そのころヨハンネばあさんは村では一番貧しい木靴つくりの娘でした。妻のマーレンは陽気で、豊かな農場主の奥さんと仲良しで、いつも食料を分けてもらい11人の子供を育てていました。楽天的な妻マーレンの口癖は「自分自身を信じて、主を信じなさい」ということでしたが、夫のエルセは「それが何になるんだ」という悲観的な口癖でした。それがのちの生活態度に明暗を分けたのです。ラススムは11人兄弟の末っ子の男の子でした。上の兄弟はそれぞれ立派に育ち独立してひとかどのものになりました。ラススムは少年のころは母親に似て陽気な子供でした。一番の遊び相手は木靴造りの娘ヨハンネでした。大きな柳の木の下で遊びました。ラススムの夢は立派な仕立て屋となって、10人もの仕立て職人を雇うことでした。ところがお父さんのエルセの手にこぶができ痛くて仕事ができなくなって、仕立て屋の仕事は次第に傾いてゆき、隣の農場主の奥さんの援助で生活をするという状況となりました。その農場主もなくなり、農場主の奥さんである未亡人は間もなく彫刻家トールヴァルセンと再婚しました。その後しばらくして仕立て屋エルセは亡くなりました。母親マーレンが一人で切り回しました。ラススムは成長するにつれ、生活態度が父親に似て自信がなく悲観的になりました。ラススムは仕立て屋修行を終えて、母親の元で仕立て屋を営みました。歌が上手で金持ち農家のハンセン氏の娘エルセと仲良くなりましたが、自分の愛については一言も話せませんでした。娘ヨハンネはこの農家の屋敷の下働きの女中をしていました。ヨハンネはラススムと娘エルセのいい仲について祝福を言うのが精いっぱいでした。ところがラススムが何も言いださないので、業を煮やした娘エルセは村一番の農家から婚約の話を受け、婚約指輪ももらいました。失望したラススムは一人で外国へ旅に出ました。行き先もわからない母親マーレンは息子を思って帰ってくるように占い師にまじないを頼みました。そのまじないがかなったのか、熱病にかかって精も根も尽き果ててたラススムが、エルセの結婚式の夜に帰ってきました。母マーレンは必死に看病してラススムは回復しましたが、しばらくして母親が亡くなりました。それから仕立て屋の家はすっかりさみしくなり、ラススムは仕事もしないで、教会へゆくより酒屋へゆく回数が増えました。娘ヨハンネだけがラススムを励ましましたが、ラススムは父親の口癖「それが何になるんだ」という投げやりな態度で、信仰心もなく病気になって寝込みました。時が過ぎすっかり年取ったラススムは村の人から「文無しラススム」とあざけられ、ついに亡くなりました。ですからヨハンネ婆さんは沼のそばにある仕立て屋の古い家と柳の木の思い出について語ることができるただ一人の人です。人の性格の深刻な問題を扱った力作ではないでしょうか。投げやりになるか自分を信じるかでこれほど人生は変わるのです。

154) 門のかぎ

この話は「かぎは何でも知っている」というか、かぎに人生の分かれ目を選択させるというまじないめいた話です。筋があるようでないような、たわいもない話です。

155) かたわもの

アンデルセンは「貧乏人の境遇は救えない、貧乏人は死んで初めて幸せなれる」という奴隷根性の持ち主でした。「マッチ売りの少女」がその典型です。この「かたわもの」の話はちょっと違うアンデルセンです。神様は貧乏人も救ってくださるという風に変わっています。現代では貧乏という社会格差は、社会制度の変革や福祉・教育の向上によってある程度是正することができるという認識です。新自由主義の考えでは、本人の努力と能力の結果が格差であり当然だという認識です。社会制度論と新自由主義は話がさかさまになっているだけです。アンデルセンの童話に戻りましょう。ある裕福で善良な貴族の屋敷の召使いの間でクリスマスの集いが開かれ、村の貧しい子供と母親が招かれ、貴族の夫婦から食事やプレゼントをいただけました。その屋敷には庭働きのケアスデンとオーレという夫婦が住んでいました。5人の子供がいましたが、一番上の子供はハンスという足に障害を持つ寝たきりの子でした。そのクリスマスパーティでは4人分の子供服をいただきました。ハンスは外へ出られないので服は必要ないのです。ハンスには服ではなく本をいただきました。ハンスは手先が器用で編み物が得意でしたが、もともと利発な子で本を読むのが好きでした。ハンスはその本から「木こりとその妻」という話と、「苦労と不足のない男」という二つの話を読んで、両親が生活の不満を言うたびにこの二つの話を聞かせてやり、他人の生活に好奇心を持つことはろくなことではないとか、つらい仕事をしなければならないのは自分だけではないということを親に教えました。そして両親は目の前のかすみが取れたような楽しい生活が送れるようになりました。これを聞いた校長先生は暇ができた時はハンスのベットに来て、お話をしていろいろな知識を与えたり、勉強の力になってやりました。校長先生がお屋敷の夫婦の午餐に呼ばれハンスのことをお話しすると、感銘した奥様がハンスに小鳥の入った鳥かごをプレゼントしました。ここから奇跡が起きるのです。べット脇のタンスの上に鳥かごをおいて、ハンスは鳥の歌声を聴いてそれは幸せな気分になっていました。そこへ猫が鳥かごを狙って飛び掛りました。絶体絶命の鳥かごを救うためハンスはベットから転がり落ちて、鳥かごを胸に抱きました。なんと両足でハンスは立っていました。ハンスの足は治ったのです。お話の本はハンスの両親の迷いを覚ます光明となり、鳥かごはハンスの足に奇跡を起こしました。「森の少女ハイジ」の話のようです。奇跡は起きることを信じようというお話です。ハンスはのちにラテン語学校に入ることができました。神様は貧乏人の子供のことまで考えていらっしゃったのです。

156) 歯いたおばさん

ある学生が小さいころ、ミレおばさんから甘いジャムやお菓子を貰いました。ミレおばさんは若いころ醸造家ラスムッセン氏のプロポーズを受けたのですが、返事をしないうちに年が経ちラスムッセン氏は亡くなりました。ラスムッセン氏の葬儀の後、「きっとコウノトリはラスムッセン氏を連れてくるよ」と学生がいうと、ミレおばさんは僕の空想にびっくりして「きっとこの子は大詩人になるよ」といいました。こうして僕にとってミレおばさんは詩人の空想と歯痛の悩みの元になったのです。学生(僕)は詩人になる空想に取りつかれ、地獄の魔女(歯痛夫人)に襲われました。ミレおばさんは地獄の魔女だったのです。


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