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江口克彦著 「地域主権型道州制」

  PHP新書(2007年11月)

中央集権制を廃して、日本の新しい国のかたちを探る

「道州制」という言葉は新聞で何度も目にしてきた。内閣官房「道州制ビジョン懇談会」の報告などが新聞の第1面を賑わしたのもつい最近のことである。私はうかつにも、詳細は読まず、日本地理における北海道、東北、関東、甲信越、北陸、東海、関西、中国、四国、九州と東京特別と大阪特別ぐらいに分け、行政単位を大きくして西欧のように自治政府をおくことという程度の理解であった。むかしから地方自治体ではなく地方政府(課税権と立法権の独立した)ということは話題になってきた。今回本書を読むと、大分内容が異なるのでこの読書コーナでよく吟味して紹介することにした。統治機構が明治維新にまで帰って議論され、中央集権型は後進国向けの社会主義的開発プログラムでは極めて有効に機能したが、グローバル経済では日本そのものが沈下し始め、まるで外から見ると日本=東京にしか見えなくなっている。ヒト・モノ・カネ・情報がますます東京に一極集中する現在、東京だけが繁栄発展して、他の地域は衰退貧困化の格差に埋もれてしまった。地方は東京に血を吸い取られ、座して死を待つだけなのだろうか。

行政改革は長年叫ばれるだけで、三位一体改革は、逆に地方に混乱と疲弊をもたらした。公務員改革は骨肉抜きで、何の形にも実現しない。まさに中央官僚強しというか、そもそも権力を握っている連中が自ら大政奉還するわけがない。官僚政治家はそんなモラルは持ち合わせていない。官僚機構は無駄を通り越して腐敗の域にある。日本が今必要としているには是までの延長線上の行政改革・財政改革・公務員改革ではない。中央集権制を早急に改め、国の形を抜本的に革命することであると著者は熱弁をふるうのである。その時のキーワードは「地方主権型道州制」である。道州制については提起されて以来、賛否両論が渦巻いている。利害得失がはっきりしているので永遠に議論は止まないだろう。ただ地方が東京の税収からお流れを期待しているような哀れな状態は何とかしなければならない。

著者江口克彦氏は松下電器産業株式会社から、民間シンクタンクPHP総合研究所に転じ、松下幸之助の秘書となった。そして1976年、松下幸之助から「PHPグループ」の経営を一任され、以降、PHP活動を積極的に展開拡大。PHP研究所は松下政経塾と同様に、「経営の神様」松下幸之助氏の個人的なシンクタンクであったが、いまでは経営講座・研修や書籍出版業で成り立っている会社である。松下幸之助の晩年23年間、側近として共に過ごしたうえでの松下哲学継承者、また伝道者として高く評価されている。PHPグループの経営の傍ら、「内閣官房 道州制ビジョン懇談会 座長」「内閣府 沖縄新世代経営者塾塾長」などを務め、政府への提言活動も積極的に行っている。特に「地域主権型道州制」の推進者として有名である。松下幸之助の遺志を継いで、1986年(平成元年)から「地域主権型道州制」を提唱し、現在その実現に向けて奔走している。 これらの提言への賛同者が、ここ数年国会議員、国民の間から数多く現れ、自由民主党、民主党、公明党、また各経済団体からの支持も強く、大きな流れになってきている。ここに示したように 著者はいうまでもなく松下幸之助氏の遺志の伝達者である。「地域主権型道州制」も松下幸之助のアイデアであったようだ。

江口氏の経歴からして、彼が行政専門家ではないことは明らかで、財政や法律など詳細のプランは他のブレーンが担当しているのか、大学の行政改革推進派と緊密に連絡を取って議論をしているものと思う。それでも新書からくる制約か、議論が大雑把なのは隠し切れない。では彼は小泉時代のような規制撤廃の「小さな政府派」(新自由主義、サッチャーレーガン主義)の企業側ビューローなのだろうか。今の政府でも抗しきれないアメリカの新自由主義的グローバル政策の前で、日本を解体して小さな政府の寄り合い世帯ではグローバル資本に食い尽くされてしまうのではないかという心配も生じる。しかし彼の言説からは「企業のやりやすいような日本のシステム」というごり押し的規制緩和論でもない。本書を読んで気がついたことであるが、社会福祉については一顧だにされていない。「個人の責任」を強調する新自由主義の格差社会の出現によって引き起こされた契約労働者の生活破綻(2008年暮からの大量解雇)をどう見ているのだろうか。「民活万歳」を叫ぶほど、お人よしではあるまい。

日本の「地域主権型道州制」議論の始まり

政府では平成18月9月に道州制担当大臣が置かれ、平成19年1月に道州制担当大臣の下に「道州制ビジョン懇談会」が設置されました。道州制の導入に関する基本的事項について検討が進められています。 総務省道州制サイトにその議論の経過が示されている。2003年の衆議院選挙に始まる「マニフェスト」(政権公約)に、自民党は「道州制導入の検討」を掲げた。小泉内閣は骨太の方針「2004年」に道州制の検討を本格化させると明記した。2007年安倍内閣の時に道州制担当大臣に渡辺喜美氏を任命し、「道州制ビジョン懇談会」を立ち上げた。この諮問機関は福田内閣でも引き継がれ増田寛也氏が担当大臣となった。この道州制ビジョン懇談会は三年間継続する予定である(2010年まで)。自民党は党内に道州制調査会を設け、2007年7月に報告書を出して、推進本部に格上げした。ところが国政レベルでの道州制の議論は必ずしも活発ではなく、統一地方選挙でも取り上げられる事はなかった。国民の理解もいまいちである。

「地域主権型道州制」の導入は、明治維新以来続いてきた中央集権的な国家統治システムを根本的に変えるという改革である。徳川時代の藩体制から明治維新以来の都道府県体制は技術の進歩によってもう狭すぎるのである。平成の大合併によって、政府直轄の政令指定都市が増えすぎ、道府県という広域自治体の空洞化が進行した。道府県の半分の行政単位は政府と直接繋ながる政令指定都市となってしまって、道府県の存在意義がどんどんなくなった。2006年より日本は人口減少社会に突入した。島根県は約74万人、鳥取県は約60万人、各道府県の人口減少の流れは止まない。貧乏な県から豊かな都市へ人が避難する様に人口移動も起こっている。このままでは東京以外の道府県は立ち枯れてしまう運命にあるのだろうか。政治家や国会議員は中央から多くの事業を地元に持ってくる事だけが仕事となり、霞ヶ関や永田町を米搗きばったのように頭を下げて走り回っているのが哀れな国政の状況である。それが地方自治の停滞や甘えや無責任を生む背景となってきた。そこで東京以外の地域が活気あふれる経済活動で繁栄する全国拠点を12箇所ほど設けて、それを単位としてそれまで国がやっていた仕事の多くを道州が自らの責任と判断において行い、また都道府県がやっていた仕事の多くを約300の基礎自治体が自らの責任において担うのである。それが「地域主権型道州制」というシステムである。コンピュータの世界が中央演算装置「メインフレーム」から、パソコンや分散処理の時代になっているように、日本という国のあり方も中央政府がすべてを取り仕切る「メインフレーム」の世界から、分散型の柔軟な組織に変えて変化に追随できるように変えなければならない。現場を知らない政府官僚が地方の末端事務の箸の上げ下げまで指図する構図は滑稽である。計画段階で齟齬がなければ、現実に矛盾だらけの仕事をごり押しする姿は非効率で時代錯誤で不経済である。

「地域主権型道州制」の形は、国の役割として外交、安全保障、危機管理、通貨、金融システム、年金や医療保険の国民基礎サービスに集約され、道州の役割は警察、社会資本整備、生活環境整備、災害復興、経済産業政策、労働雇用対策などに集約され、基礎自治体の役割は生活保護など福祉関連、保健衛生、教育文化事業など直接的なサービスの提供を行う。公域行政単位という概念ではなくかならず地域主権型という頭が付いた道州制である。独立した主権を担保するには、1割行政といわれる全面的な国からの収入依存体質を変えなければならない。主権を保つには自分の意志で集められる財源が必要で、課税自主権、税率決定権、徴税権を獲得しなければならない。各道州のGDPに応じた「国費分担金」で、国家機構を養うという逆転の発想も必要だ。

中央集権システムにおける地方の限界

日本の東京の集中度は世界でも並外れている。東京には日本の全人口1億2775万人の約10%1257万人の住民がいる。欧州でいえばギリシャ、ポルトガル、ベルギー、チェコ1国を超える人口である。そして首都圏(1都7県)には日本全人口の1/3にあたる4240万人が住んでおり、カナダ、アルゼンチン、スペイン一国の人口を超えている。首都圏でいえばニューヨーク圏の2320万人、メキシコシティ圏の2300万人をはるかに超えている。そして東京とその隣接県は長い間人口が増え続けているのである。日本は人口減少社会になり47都道府県のうち半分の県で人口は減少しているが、東京近辺は人口を吸収し続けているのだ。東京への企業(本社)の集中度もすごい。全企業の17%が東京に集中し、大阪は7.5%である。また上場企業の47%が東京に本社を置いている。銀行や金融機関の集中度も群を抜いている。アメリカでもデトロイトの自動車企業、ニューヨークの金融企業など産業によっては関連企業が集中する傾向ではあるが、日本のようにすべての産業の本社が東京に集中するような状態ではない。役所もやりやすい事はいうまでもない。(東京都の税収入が潤沢なのは石原都知事のばんばりではなく、本社の経常利益課税収入で潤っているのだ。黙っていても入ってくるのだ。) そして情報マスメディアの80%が東京に集中し、全国へ同一内容の新聞やテレビ放映を行っている。まるで独裁国家のようである。これでは政府の情報統制は意のままである。巨大新聞「読売」と「朝日」が2000万部を発行し50%を占めている。大学の数も首都圏に32%が集中し、学生の数は43%が集中している。大阪の大学の数は7%に過ぎない。大学の数では日本が群を抜いて世界で一番多い。それも桁数が二つほど違うのである。教育王国日本すなわち、首都圏は世界の教育王国である。経済活動でいえば、東京都の域内総生産は日本のGDP の17%で、首都圏では37%である。ものすごい地域格差である。「東京ひとり栄えて、地方すべて死す」のである。恐ろしい収奪体制ではないか。

どうしてこのような地域格差が生じたのかは、新自由主義の自己責任(創意工夫がない、怠けていたからだ)では説明が付かない。明治維新以来の国のあり方から見てゆかなければならない。明治維新でより強固な中央集権制を確立し、「富国強兵」、「殖産興業」をスローガンとして、近代化に遅れた日本は上からの計画統制経済発展を志した。ソ連や中国などよりももっと効率的で的確な経済発展が、国の資本蓄積主導型で行われた。当然官僚群の果たした役割は大きかった。そして日中戦争から太平洋戦争を戦うために、限られた資源を産業に有効配分するため「国家総動員体制」(大政翼賛会)で、ヒト・カネ・モノを東京に集中させ中央官僚が経済活動から教育文化まで一括管理した。この統治機構を敗戦後占領軍が利用したため、この日本の国のあり方は明治以来何も変わらなかった。ますます巨大な官僚機構が形成された。現在国家公務員は95万人、地方公務員は約300万人合計で、国家と地方で約400万人の公務員が存在する。国家政策が最優先という官僚の仕事のやり方からは、住民のニーズの多様化と変化に行政が付いてゆけず、規制と保護万能主義から抜け出せず、「省益あって国益なし」(国亡んでも霞ヶ関は滅びず)といった本末転倒な事が平然とまかり通るのである。いまや官僚機構の弊害は国民の怨嗟の的になっている。放漫財政・ばら撒き財政は2007年度末には、国と地方合わせて長期債務残高は773兆円(GDPの150%)となった。国民の負担率(租税と社会保障)は40%になったが、2025年には52%まであがると見ている。中央集権ゆえに霞ヶ関からは現場が見えないのである。机上の計画さえ上手く作文できれば、現場の状況や業者の実態、住民の要望には殆ど見ない、耳を傾けないのである。天下りなど役人天国であった特殊法人は多くの無駄を生んだとして、「特殊法人等改革基本法」ができて廃止整理統合されたが、独立行政法人という鵺的存在に衣替えしたに過ぎない。

地方自治体が中央政府に如何に制約されコントロールされてきたかを示す。地方自治の理念には相反する「自治の原則」と「均衡の原則」がある。自治の原則からすれば、特色あるカラーが出てきて当然なのだが、均衡の原則からは地方によってサービスのレベルが異なってはまずいという考えである。結局国の指導によってサービスは均一化され、そのためには国が地方に財政援助を行うのである。国はヒトからカネまで地方に供給するため、地方自治とは名ばかりの代行業務や出先機関にすぎなくなる。これを「集権的分散システム」といい、地方自治体の自己決定が国の全面的な関与によって制約されるが、公共サービスは地方自治体が供給するというシステムである。2000年4月以降「地方分権推進一括法」が施行されるまでは、自治体の仕事は「機関委託業務」、「団体委託業務」、「行政事務」、「固有事務」に分かれていて、地方自治体独自の仕事は「固有事務」だけであった。だから「一割自治」と揶揄されていたのだ。

財政面から地方自治の限界を示す。地方自治の歳出は結構大きく、2005年度では国の歳出が40%、地方が60%であった。歳出だけを見ると分権が進んでいるようだが、歳入から見ると自前の税収入の割合が他国に較べて非常に少なく、国からの財政移転で埋められている。是は地方の責任ではなく、明治維新以来地方に税収権が与えられていないからに過ぎない。地方の自主財源である地方税の占める割合が約35%である。2007年度の地方自治体の歳入割合を見ると、一般財源が59%、特定財源が41%と大別され、一般財源では地方税が37.4%、地方交付税18.2%、地方特別交付金1.6%、地方譲与税2%、特別財源では国庫支出金12.8%、地方債11.2%、その他16.7%である。自治体は政府の許可なしには税を設定する事は出来ないし、地方税そのものも標準税率や制限税率なども勝手に決める事は出来ない。ところが地方にとってはありがたいことに、財政支出−財政収入=赤字(財政不足分)を普通交付税として国から供与されるのだ。また地方と国が協同して事業を行う時(義務教育、国政選挙、外国人登録、福祉、道路整備など)国庫負担金、国庫委託金、国庫補助金という国庫支出金が与えられている。こうなると国と自治体の責任の所在は不明瞭になり、交付を通じた国の関与が地方自治体の自主的な行財政運営を大きく縛っている事になる。事務処理も煩雑になり、事業毎の国のタテ割り行政の弊害を地方が受けるのである。事業負担率や認証基準を巡って陳情の対象となりやすく、利益誘導を招いて官僚出身の自治体首長が暗躍する母体になっている。

1995年の合併特例法を制定し、合併特例債という地方債を国が肩代わりするという麻薬的な誘導策によって、1999年に3232あった市町村が2007年には1800余に激減した。これを平成の大合併という。政府は1999年7月「地方分権一括法」を成立させ、マクロな仕事は国が分担し、自治体はミクロな地域住民サービスを分担するために、457本の法律を一括して法改正をおこなった。これまで都道府県の事務の7割を占めていた「機関委託業務」が廃止された。自治体の行う業務は自治業務が55%、法定受託業務が45%となった。ということで地方自治体が行う国の委託事務は大きく減少した。国の関与を廃止・緩和し、国の権限の移譲、規制の廃止・緩和、合併支援策などが打ち出された。「地方分権一括法」の規制緩和の一つとして「法定外普通税」、「法定外目的税」が法務省との事前協議制になったとはいえ、地方税収全体の0.3%以下に過ぎない。結局税財源の権利には何の変更もなく国が殆どの財源を握っていることに変わりはない。2001年小泉内閣は「三位一体の改革」として、@国庫補助金の廃止縮減、A税財源の移譲、B地方交付税の見直しがおこなわれ、2006年度予算から@国庫補助金が4.7兆円、地方交付税が5.1兆円、A税財源の移譲が3兆円が行われた。何が行われたのかといえば、国の予算の縮小だけで、地方には6兆円を超える財源不足を押し付けることであった。「三位一体の改革」とは地方分権のための政策というよりは、むしろ財政再建のための地方負担の切捨てに過ぎなかった。まして「権限の移譲」は何も考慮されていなかった。

「地域主権型道州制」システムのプラン

高度経済成長期をへて1980年代は日本の経済力は世界第二位、製造産業では世界一位を占めるに至ったが、これは別に「優秀な官僚の計画経済」のおかげではなく、製造業の勤勉で創意にあふれた労使一体の努力の賜物であった。バブルという花見酒に酔っ払った不動産建設業と金融業のために日本経済は痛手を受けて、1990年より失われた15年の時代となった。国と地方の財政はいじるし赤字を続け、長期債務は1000兆円に逼る勢いである。これには受益と負担の原則が曖昧になり、モラルハザードを引き起こし、殆ど需要がないものが作られたり、過剰なサービスが供給された。中央集権体制は欧米先進国にキャッチアップするための体制としては機能したかもしれないが、高度に複雑化した社会にはむしろ阻害的側面のみが強くなったようだ。そこで著者は「地域主権型道州制」システムのプランを堤起する。この章では意義・目的・原則から初めて、ビジョン懇談会で議論した内容の概要を解説することになる。

「地域主権型道州制」の意義と目的
@日本全体を元気にするため「自主自立」、「自己責任」、「個人の努力が報われる」社会を築くこと。
A中央集権体制を打破する
B官僚主義の廃止
C安心,安全、楽しく、生きがい、やりがいを感じられる日本をつくる
Dグローバル化の時代に東京以外の多数の拠点をつくる
E地域個性野アル特徴ある地域をつくる
F財政赤字の解消
「地域主権型道州制」の組織原則
@官独占から競争の促進へ
A顧客主義の徹底、住民のニーズにそった行政
B政策決定プロセスへの国民住民参加の強化
C上意下達からフラットなネットワーク型統治組織の構築
「道州制」の概要
@国、道州、基礎自治体の三層構造。道州は北海道、東北、北関東、東京23区、南関東、東海、北陸信越、大阪、関西、中国、四国、九州(沖縄)の12に分け人口は700-1000万人とする。基礎自治体は人口規模で15−40万人とし、現在の小選挙区の300程度とする。こうするとGDPでいうと、東京23区と南関東州はスペインと韓国の間に位置し、東海州は韓国とメキシコの間、九州、北関東、関西、大阪はオランダとスイスの間に、東北州はスウェーデンと台湾の間に、北陸信越州と中国州は台湾と取るこの間に位置する規模の経済圏といえる。
国・道州・市の機能分担
国の役割として外交、安全保障、危機管理、通貨、金融システム、年金や医療保険の国民基礎サービスに集約され、道州の役割は警察、道路・港湾・空港など社会資本整備、生活環境整備、林野事業、災害復興、経済産業政策、労働雇用対策などに集約され、基礎自治体の役割は都市計画、上下水道、消防、廃棄物処理、医療、生活保護など福祉関連、保健衛生、学校など教育文化事業、住民票戸籍など直接的なサービスの提供を行う。その結果、国会議員と国家公務員は半減する。公務員は首になるのではなく仕事に応じて道州・市に再配分される。
地方交付税と補助金は廃止し、財政調整を実施
国が37兆円、道州が35兆円、市が40兆円確保をメドに税収入の調整を行う。国・地方が抱えている長期累積債務は「公的債務共同管理機構」に移し、時間をかけて返済する。
「地域主権型道州制」の行政改革
@選挙投票率のアップをはかる。
A首長(8年)・議員(12年)の多選禁止
B議会は討論の場とし、党略を排する。議決は押しボタン式
C議会スタッフの充実、議員定数の見直し、議員立法の促進、開かれた議会を目指して休日や夜間に議会を開催する。
D直接民主主義にちかい「住民投票」の強化
E道州や市のなかに「コミュニティボード・委員会制度」を設ける。より細かな行政単位での意見交換(町内会)
F投票所の数だけ支所(行政センター)を作って、サービスと要望の接点とする。
G人材育成のため職員の研修や他の職業事業への派遣を推進する。業績主義を導入する。州や市のシンクタンク機能を充実させる。部長職移譲を特別職とする。能力のない不適切な職員を解雇する制度の導入など公務員の身分保障の見直し。
H徹底した情報公開と外部監査制度の導入。


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