080918

林英彦著 「9.11考えない日本人」

 成甲書房(2008年9月刊)

米国支配者の仕組んだ9.11の意味を考えない日本人の思考の致命的欠陥は、
その主語のない非論理性の日本語にある。

2001年9.11の「同時多発テロ事件」があまりに良く出来た話である。日本人なら誰しも真珠湾攻撃で嵌められた経験からこれは謀略だと直感したのではないのだろうか。しかもこれは利用したのではなく、一部始終自作自演の「昭和元禄猿芝居」的謀略であったようだ。しかし日本のメディアは報道管制を守って、アメリカの聖戦を支持するかのように、テロ恐怖説を流し続けていた。政治家を含め、識者らは謀略説を感じながらも、公の場では沈黙を守っていた。権力筋に近いメディアはそれはもうすごいはしゃぎようであった。全世界のメディアはアメリカの顔を見ながら、魔法にかけられたように「アルカイーダテロ説」を流していた。9.11事件謀略説の詳細検証は別の本に精しい。デビッド・レイ・グリフィン著 きくちゆみ翻訳 「9・11事件は謀略か」 緑風出版を後ほど紹介する。しかし本書は別に9.11事件を検証するものではなく、陰謀からくりを暴くための書ではない。9.11事件に対して日本人が無反応で、そこから何かを知る様子がないことに、著者は恐るべき危機感を抱いたようだ。あの事件の影響は今も続いている。2001年9月敵のいないアフガニスタン戦争で「勝利」し、そして2003年3月米国は大量破壊兵器の疑いからイラク戦争を始め、フセイン一族を皆殺しにして傀儡政権をたて、石油利権を獲得した。それを契機にイラク民族の抵抗が開始され、米軍は釘つけの状態である。大量破壊兵器の疑いはウソであることも分ったが平気で米国は居直っている。日本政府は米国政府の云うことを守って給油を行い、自衛隊を派遣している。

この本は一読して異様な雰囲気を漂わせる。奇書と云うべきような異様さ、自虐さ、諦念で満ち溢れており、読めば脱力間違いなしと云う本だ。しかし本書がいうことに一理あるので、その本音をどうしても良く考えて見なければいけないと思った。この無反省にして奴隷状態に無神経な日本人の状態を見て、著者は言い知れぬ無力感に襲われた。その理由を考えるのが本書の目的である。日本民族よ立ち上がれと云う右翼的檄文ではなく、この骨無し日本人を作ったのはほかならぬ日本語にある。もっといえば最近の「脳科学と言語科学」の成果からいえば、言語を生み出したのが脳であるとすれば、日本人の持つ脳の構造機能の特異性が日本語を生み出し、英語を生んだ民族の支配略奪を欲しいままに受け入れる根性を生んだ。日本人の特性を徹底的に明らかにする事である。アメリカ帝国主義を云々する前に、日本人の非論理性、曖昧性、人間性を日本語から考えようとするのが本書の狙いである。9.11事件はそのきっかけに過ぎない。したがって本書の題名から「9.11事件の全貌と真実」が聞かれるものと期待する人は、別の書物を読んで下さい。本書には「日本人の無哲学、無言語」を期待してください。

著者林英彦氏を紹介する。あまりなじみの無い名前だと思ったのは当然で、18年間オーストラリアの国籍を得て在住していたからだ。1934年東京生まれ、学習院高等科から、フルブライト留学生制度を利用して、ドイツザール大学、フランスモンプリェ大学に留学、哲学専攻であった。日本に帰ってから1960−70年代松山善三氏に師事して、テレビ・映画脚本作家として活躍、「鳩子の海」、「ただいま11人」、「若者たち」、「7人の刑事」など作品多数である。これらの作品は私の大学時代から就職して20代の若い時代に興味を持って見たテレビドラマであった。この作者の作品であるとは知らなかった。1988年よりオーストラリアに移住した。ここで何をしていたかは私は知らない。2005年18年ぶりに帰国して大分の山中で生活している。著書には「この国の終わり」、「日本人はこうして奴隷になった」、「ジャパンザビューティフル」、「日本を捨てて、日本を知った」、「失われた日本語、失われた日本」、「心をなくした日本人」、「老人と棕櫚の木」、「いやしくも日本人なら知っておくべき教養語」、「日本の軍歌は芸術作品である」など多数。ようするに、外国に行って日本の惨状を知り、お世話になった日本人にお礼をするつもりで、日本の危機的状況に警報を発し、日本人を安住の地に導く「モーゼ」のように日本に使わされた神の使いである事を自覚されたのである。

本書に入る前に、2001年9月11日のテロ事件が米国政府の公式見解「ウサーマ・ビン=ラーディンを筆頭とするアルカーイダが引き起こしたテロで、重要建築物(政府関係施設およびWTCビル)を標的にハイジャックした旅客機を用いた自爆テロであり、その方法はアメリカ政府を始め誰もが予想もつかなかった」と云うものである。さてあなたはこの公式見解をそのまま認めて、以降の米国によるアフガニスタン戦争および2年後の2003年3月のイラク戦争が対テロの正義の戦いと判定し、アメリカ政府の戦争に協力する事が正しい行動であると信じますか。これをそのまま信じる人は恐らくケネディ暗殺の犯人はオズワルドであると信じる人でしょう。しかし世界の人から、無論アメリカ人からも、最初からこれは謀略だと云う声が上がっています。あまりにお粗末なシナリオを実行したブッシュU大統領こそ、その真犯人だと云う説だ。無論彼一人の芝居ではなく、石油・軍需関係財閥が大本営で大統領は現場指揮官だと云うことです。

疑惑の声がブッシュUの側近であった人からも上がっている。米国のジャーナリストのヴィクター・ゴールドは「ブッシュ政権は偽の旗作戦として9.11を実施した」という。モルガン・レイノルズは「19名のアラブテロリストの作戦だったというのは御伽話である。WTC崩壊はプロによる解体作業である。しかし今のアメリカではそれを発言すると愛国法(日本の治安維持法に近い)で豚箱入りになる。米国は警察国家に化した」という。イタリアの元大統領フランチェスコ・コシガ氏は2007年11月の新聞のインタビューで「9.11事件はアメリカ政府内部の犯行である。アラブ諸国を攻撃するための米国CIAとイスラエル諜報機関モサドにより計画され実行された」と述べた。またアメリカの映画監督アーロン・ルッソは2006年のインタビューで「9.11の11ヶ月前にニコラス・ロックフェラーより新しい世界の秩序構想計画に参加しないかと誘われた。これからある出来事がおき米軍はアフガニスタンへ侵攻する。イラクの石油を確保して、中東にアメリカの軍事基地を設ける。これらの地域を世界新秩序に組み込む。事件のすべてはでっち上げである」と云う内容であった。なにか満鉄爆破事件(柳條溝事変または9.18事変という)をでっち上げて、大東亜共栄圏構想に従って陸軍が満州に侵攻し傀儡国家を樹立するので、その映画監督になって世界に情報宣伝をやってほしいと云うような誘いであったようだ。満州事変で金を出したのは三菱や日産コンツエルンだろう。そうだ9.11事件は満鉄爆破事件だ。日本人も昔は結構ワルだったが、米国にその程度のワルがいても少しも不思議ではない。しかし歴史は繰り返すと云うが、日本の失敗をアメリカが繰り返そうとしている。愚かなアメリカだ。又それに追随する日本も大バカだが、世界一極主義で覇権を握ったアメリカに逆らえる国は今は一国もいないから悲劇は拡大するのだ。
謀略説も詳細に見ると見逃し説(真珠湾攻撃がこれに相当)と自作自演説に分かれる。今「自作自演説」を謀略説として検証しよう。

9.11謀略説が挙げる数多くの疑惑

1:ウサーマ・ビン=ラーディンが率いる武装組織アルカーイダは、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するために米国CIAが支援した組織であり、急にアメリカに敵意を抱く理由が無い。そしてウサーマ・ビン=ラーディンの家族はアメリカの保護下におかれ、ブッシュUの自宅の近くに住み深いつながりがあった。そして9.11の午後全米戒厳令下の空を民間機で外国へ避難した。こんなことは民間人ができる事ではない。
2:世界貿易ビルWTCの崩壊は主流の見解「パンケーキクラッシュ」説で説明できない。高温を発生させ鉄骨を溶解する「サーマイト」(テルミット爆発物)が使われたビル解体工事である。そして横にあったWTC第7ビルは第3-6ビルに較べると一切の直接的な影響は受けていないにもかかわらず、一瞬で崩れ瓦礫が敷地内にキレイに収まっていた。犠牲者1600名の遺体が発見できていない。遺体が一瞬で蒸発するほど高温(千度以上)を発生する爆発物として、水爆説を唱える人もいる。現場では55倍のトリチウムが検出されたこと、数年後に雁が多発している事から、米国軍がイラクで使った劣化ウランのような新型核兵器が使用されたことを疑わせる。旅客機燃料のケロシン灯油燃焼では鉄を溶かすことは不可能である。タワー設計者は複数の航空機が突入しても耐えられる鋼鉄の網目構造設計がなされているという。又タワーの崩壊速度が速すぎるのは説明できないという。
3:WTCビル崩壊で儲けた人。ラリー・シルバースタインは老朽化したビルをテロの6週間前に賃貸権を購入し、35億ドルも保険料を掛け、事件後に80億ドル(8000億円以上)と云う大金を得た。ビルに勤めていた人に証言では、9.11の4-6週間前からドリルやハンマー音が聞こえ、振動のあったので見にいったところ奇妙にも何も無かった。警備会社のCEOはブッシュ大統領の弟マーヴィン・ブッシュであった。
4:BBC放送ニュース内で、背後にWTC第7ビルがしっかり映っているにもかかわらず「第7ビル(ソロモンブラザースビル)が崩壊した情報が入ってきました」と報道した。既に崩壊するという情報を知っていたかのようだ。
5:ペンタゴン突入飛行機への疑惑はつきない。民間航空機だったのか。USAtodayの記者の証言は「有翼巡航ミサイル」のようだったと述べた。若しボーイング757がペンタゴンに突入しても衝突エネルギーでペンタゴンの9フィート(2.7m)の6層耐爆コンクリートに綺麗な孔をあけ、Cリングまで達する事は出来ない。またボーイング757機が低空飛行でペンタゴンの1階部分だけにダーメージウォ与える事は偶然と云うより奇蹟である。そして激突によって機体が蒸発して存在しないとか、乗客の遺体が存在しないとか、27トンの燃料による火災や散乱が全く存在しないと云うような飛行機事故はありえない。
6:ハイジャックされたとされるユナイテッドエアライン93便墜落のクレーターは垂直降下によって作られた形状である。地上接近警報装置には事故を示す記録が無い。ハイジャックされた飛行機から乗客から家族へ電話がかかったとする話は、英雄化するための作り話らしい。西オンタリオ大学の実験では高度2400メートル時点でも携帯電話通信は不可能であるということだ。
7:9.11当日アメリカ軍は軍事演習のため対応不可能であったと云う言い訳がなされている。チェイニー副大統領が大統領令によって、軍事演習を監督する責任者であった。9.11対応を阻止するためにわざと仕組まれた演習の可能性が高い。
8:武装組織アルカーイダの犯行とする証拠は何も無いし、いまも挙げられてはいない。ウエブに犯行声明があったというが、これもウエブでいくらでも作ることは出来る。米国は容疑者19名を発表したが、7名は生存しているとの情報もある。実行犯が生きていてはおかしい。ウサーマ・ビン=ラーディンの録音テープは替え玉録音だったとスイスのIDIAP研究所はいっている。
9:多くの映像や音声が一度放映されただけで、二度と放映されない。WTCビルに飛び込む飛行機は窓の無い軍用機だとの目撃もあった。ブッシュ大統領の外交政策顧問、国防長官のコンサルタントだったゼクハイム氏は軍需会社の部長や顧問であり、航空機を遠隔自動操作で航行させる技術を販売していた。
10:民間航空機会社のユナイテッド航空がハイジャックされたと云うならば、機種、クルー、乗客名簿は完備しているはず。本当にユナイテッド航空機がハイジャックされ衝突したなら航空機会社側の被害報告が無いのはおかしい。みんなウソで口裏を合わせているのか。色々疑惑があるなら、ユナイテッドの資産をしらべれば分るはずなのに。不思議だ。ニューヨーク航空管制局には9.11事件当日の交信記録や録音が存在したが、公表もされずアメリカ連邦航空局の手に渡って行方不明だという。
11:たまたまラムズフェルトらペンタゴンの幹部は直撃されたビルの反対側にいたとか、たまたまWTCビルには政府関係者は出勤していなかったとか、たまたまその日はブッシュはフロリダにいたとか信じられますか。真実は詳細にある。矛盾は蟻の穴から崩れる。

序章  考えることを忘れた日本人

言葉の綾としても、本書は冒頭から「日本人滅亡」論から始まる。本書に貫く思想は「日本人への呪詛」、「悲観論 ペシミズム」、「諦観 無力感」である。本書を読了すればすっかり脱力感に襲われるのだ。まあ漢詩で云うところの「白髪三千尺」式のオーバーな表現と理解して読み進めるとしよう。中に一分の真実もあれば本書を買って読んだ価値はあるものだ。下にまとめた章分けと題名は私の勝手な判断と命名であって、本書にはそんな言葉は使っていない。著者は本書の冒頭で「9.11同時多発テロと呼ばれている事件は、すべてブッシュ政府の自作自演であり,やらせであり、捏造である。イルミナティ(ファイナル・パワーエリート)の犯行である」と宣言している。なぜそんな結論を得たかと云うと、疑わしい要因が多すぎぎると感じて、知る努力をしたからだ。それには情熱が必要だったというのだ。今の日本人には知るための情熱を殆ど感じられない。流されているだけの存在だ。日本人は自分の意志で一定の方向性を持つことを嫌うようだ。すべてはおざなりにしておく事で安心を得るようだ(ダチョウの頭隠し)。それには日本語(大和言葉)が本来論理的に考えることが出来ず、中国語の力を借りて表現する言語であったからだと云うのだ。これには私も一理あると考える。特に哲学術語は明治維新後に西周が作ったもので、実用的知識(知恵)はあったが、それまでは論理だてて考える手段を持たなかった。そういう捉え方から、本書は9.11にかこつけて、その底にある「人間の条件」、「日本人の条件」へ導く意図で書くのであると著者はいう。だから9.11事件の全貌を知りたい人は別書を読むべきだ。本書は人間、特に日本人への「嘆きの詩篇集」である。

本書のモティーフ(動機)は「考えること」であり、テーマは「日本語を使っている限り考えることはできない」と云う命題を証明する事であるという。「戦後日本人は思考力を失った。それもアメリカ占領軍の誘導であった」というのだが、これは価値観の問題も絡む。米国占領軍の目的は勿論日本の無力化であり,将来米軍にならないように仕向ける事であった。平和憲法を日本にもたらしたのは、戦争放棄のためである。これをもって日本の奴隷化が完成したと云うのがいいのか、それを利用して軍備に金を消費することなく経済復興に全力を傾注した知恵というのかで価値観は分かれる。著者は奴隷化と云う、思考力の放棄という。日本の滅亡は近いと云う。さてどうだろうか。私はそうは思わない。戦前のように民衆は貧乏で覇権を求める天皇制軍部官僚独裁政治が良い日本だったのか。答えはノーである。日本人はアメリカから物まねをして工業技術はある面で追いつき追い越した。しかし科学の独創性や本当に革命的な技術革新の能力は欧米に較べるとまだまだである。だから日本人はダメといってしまうと、後進国や途上国には永久に開発発展の目は無いことになる。奴隷の日々しか遺されていないのか。そうではない何百年掛けても進歩には時間が必要だ。戦後日本人は殲滅されたわけではなく、人口は1億2000万人に増加した。戦争は思考力であると云うのは正しい。太平洋戦争は石油資源戦争であったのも関らず石油無しで戦争をおこなうほど日本人はバカだったと云うのも時代的には正しい。しかし明治時代日本人は耐えに耐えて先進国レベルまで軍事力が到達したことは事実である。

「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素はである」という。9.11の意味はその人間の悪をみる事であった。確かにそうだ。日本の二世政治家のようなお坊ちゃま首相のバカ面を見ていれば、ワルには程遠い。日本でも源平時代から戦国の動乱期までの中世では「悪源太」がもてはやされた下克上の世界であった。結構「ワル」はいた。日中戦争でも日本人は謀略・虐殺・植民地侵攻など悪い事はやりつくした。しかしアメリカほどのパワーは無かった。日本の「ワル」には残念ながら愛すべき点があって、真からの悪という迫力はなかった。戦後日本は優しい社会福祉国家になった。これもアメリカの植民地政策の狙いであった事は否定出来ない。軍備に金を使わない国家になったのだから、アメリカにとってセキュリティ上は安心である。日本にとって民衆の生活は向上し、中流層が増え社会と経済は安定した。ところが20世紀末から今世紀にはいってアメリカ金融資本の破壊ビジネスとグローバリゼーションによって世界の経済は大被害を蒙っている。これにどう対処するかが日本の命運を決めることになる。私はそれほど悲観していない。アメリカ経済自体が崩壊に瀕しているからだ。世界経済の立ち直る方策は無い事はない。

第1章 無意味な日本語では考えられない

「歴史と出来事を分けるものは、必然性と偶然性の違いだ。9.11に必然性を見た」という。しかるべき企画から導かれる戦略が見え隠れする。当然だ。日本語という自前の言語「オノマトペ」という擬声語しかもたない(接着語「てにおは」こそ日本語だといった学者もいた)日本人には、中国語やフランス語・ドイツ語の自前語で哲学する民族とは歴然とした論理力の差がある。日本人は9.11についてアメリカの情報・宣伝をそのまま信じて疑わない。疑う事はまともな人のすることではないと思っている。疑う心、哲学する心をなくしたら人間失格である。イルミナティ(ファイナル・パワーエリート)の書いた予言の書のみを信じて疑わない日本こそ危険である。9.11でもいいから自分で調べてみよう。それが完全モルモット化(家畜化)に対する対抗策だ。

日本人の無能性をいうために、著者は啓蒙時代のヨーロッパの思想と近世江戸時代の日本を比較して面白いことをいっている。「知性」と「好色」という比較論である。パスカルの「パンセ」と芭蕉の俳句、スピノザの「知性改善論」と井原西鶴の「好色一代男」、ライプニッツの「形而上学序説」と「好色五人女」、ロックの「人間悟性論」と「世間胸算用」、ヒュームの「人性論」と石田岩巖の「都鄙問答」、ルソーの「エミール」と平賀源内の「風流志道軒伝」、トクヴィルの「アメリカ民主主義」と滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」、ドストエフスキーの「虐げられた人々」と河竹黙阿弥の「三人吉三廓初買」、明治に入ってミルの「自伝」と福沢諭吉の「学問の進め」などなど羅列する。要するに日本には思想や哲学の文化はついに誕生しなかった。明治以降に自分に都合のいい西洋文明の移植が始まった。まさに言われる通りである。西欧の近代思想はデカルトの自我の二元論からスタートし近代科学へ結実したが、日本はその成果だけの輸入でそれを生んだ過程、意義を知らない。日本の学者、大学教授は無思考の代表的存在で、東大的頭のよさを誇っても本当に考える力は無い。

その原因は日本語にある。日本語は実に不安定なのだ。明治の文豪森鴎外の和漢混淆文を読める若者はいないし、源氏物語などちんぷんかんぷんである。少し経つと意味が変わっている。これが分らないと時代に取り残されると云う。そして日本語は不完全な言語である。欧州大陸の建築物を見ても何百年をかけて建設され続けるが、日本建築物は巨大な寺院で数年で作る。そして直ぐ老朽化する。伊勢神宮でさえ20年に1回遷宮と云う建て替えをする。かくも日本は移ろい易い。文学も然りで数十年経てば古典である。永井荷風や谷崎純一郎の文章も読めない人が多い。これでは多数の人間が文明の構築と云う共同作業に当る事はできない。砂上の楼閣を作るようなもので文明が個人化して風化してゆくのだ。思想と云う強健な建築物を作り上げるには、日本語はあまりに頼りないという見方は斬新だ。論理や哲学を作るには日本語は不完全である。日本語自体が意味不明である。もうすこし堅固な論理思想を作るには日本語を捨てようと云う著者の「国語英語論」が出る。著者は角田忠信氏の「日本人特殊脳論」を拝借して、右脳と左脳の関係が欧米人に較べて特殊であるらしい。言語は脳が生んだものだが、言語脳の違いが日本人の無思想を説明するかもしれないという。なぜなら思考は殆ど言語を介しておこなわれるのだから。日本語脳では思考は出来ないと著者は極言する。しかしそうだろうか。たとえ英語を国語にしたところで、日本人の脳は遺伝的に作られ日本語を生み出したのであって、英語脳ではない。英語だけを移植してもかえって悲惨な混乱を脳にもたらすのではないか。といって脳構造を改造する手は現在の脳科学では全く不可能である。ではどうすればいいのか著者に問いたい。

第2章 森有礼の結論 人間を知るしかない

明治維新の不完全性は良く議論される。旧マルクス史観からいうと政権を取った階級が武士階級で、同じ階級内での政権移譲にすぎないというのだ。西欧からの植民地化の圧迫を鋭く感じ取って、旧支配階層から政権を奪取した下層武士階級は天皇制と妥協し、むしろそれを利用して支配力を強化する戦術に出た。したがって民主主義と云う頭は毛頭無かったし、西欧文明は近代化・不平等条約改定の手段に過ぎなかった。政権がかたまらないうちから征韓論で旧武士階級の不満を吸収し、西郷の西南戦争も旧会津藩士の力で制定するというように、近代化とは程遠い状況であった。近代憲法制定においても自由民権運動を弾圧し終わってから天皇制中央集権国家を樹立した。要するに革命の担い手が西欧の革命とは異なっていた。これも西欧革命階級の未成熟による時代的制約によるもので、日本人が中途半端なバカだったと云うような単純な結論は出せない。今の後進国を見ていても、絵で書いたような西欧式近代化を起こした国は一つも無い。中国でも二つの体制と云うキメラ革命で近代化に成功しつつある。「三田の文部省」といわれた文明開化論者福沢諭吉は実に功利主義(実利)であって、明治政府の「哲学輸入」に対して「何の役にも立たない哲学は導入する必要はない」と反対したそうだ。近代啓蒙思想の合理的精神は育たないで功利主義だけで日本は近代化したといえる。

ここで著者は明治の文部大臣森有礼の青春時代の西欧体験と人間形成、そして「国語英語論」を我田引水的に紹介する。森有礼を知らない人のために簡単に紹介する。森有礼は1847年(弘化4年)、薩摩藩士の子に生まれた。1865年(慶応元年)、五代友厚らとともにイギリスに留学し、その後アメリカにも留学する。このとき、キリスト教に深い関心を示した。明治維新後に帰国すると福澤諭吉、西周、西村茂樹、中村正直、加藤弘之、津田真道らと共に明六社を結成する。1875年(明治8年)、東京銀座尾張町に私塾商法講習所(一橋大学の前身)を開設。1885年(明治18年)、第一次伊藤博文内閣の下で文部大臣に就任し、以後、日本における教育政策に携わる。英語の国語化を提唱したことでも有名。また急進的な考えを持っていたので大衆とのギャップが出来てしまい、国民から揶揄され「明六の幽霊(有礼)」と呼ばれた。伊勢神宮不敬事件問題で疑いの目が向けられる事となった。この事件は事実かどうかは定かではないが、この一件は森が暗殺される要因の一つになった。森有礼が留学中に最も悩んだのが日本人の後進性の原因についてである。西欧人にはキリスト教と云う神の存在があり、強力な宗教観が必要なのは、悪の源としての人間に「最後の審判」という恐怖心を植えつけるためであると気が付いた。白人の先天的な極悪非道な野蛮性はキリストの愛では救えない、神の裁きで制御するしかなかった。そうしないと白人は殺し合いの末に滅亡しかねなかったからだ。と云う著者の森有礼にかこつけた屁理屈は面白い。実に人間観察に優れている。しかし日本人は人間への関心が少ない。自我の対比から対象としての他人への攻撃性がないのである。自己の劣等感は持っていても、優越意識や自分を人間として誇る意識が皆無に近いのだ。仏教には自他の強烈な比較はない。自然との人間の同一レベル化が涅槃の世界と云う理想郷である。キリスト教における主語は神である。仏教には主語は存在しない。

西欧で人間を見続けた森有礼は、帰国後は思想強烈な欧化主義者として現れた。西欧の論理を日本で語れば暴論となる。日本語では愚論しか生まない。使う言語があまりに不完全なのだ。1873年アメリカで「日本の教育」と云う英語の小冊子を刊行し、国語廃止論を唱えた。飛鳥、奈良、平安時代と日本人は中国語を使って(当時の公用語)文明と言語を摂取した。それと同じように、明治時代には英語を公用語としようとしたのが森であった。英語で書いたり読めば、日本語特有の多義曖昧さは防げると考えた。今の官僚が好きな「カタカナ語」は自分の言い分をあいまいにし、都合のいいように我田引水する多義象徴語である。最も卑怯な日本語である。「そういう意味ではありません、その時はこう云う意味です。別の時は別の意味になります」と逃げを打つ手は国会答弁でいやと云うほど見せられている。議論にならないのである。日本語はまさに官僚のための言語ではないか。日本人はもっと西洋人の人間性に関心を持つべきである。しかし無論理の日本語では西洋人を捕らえることは難しい。日本人は議論を消し、論争を避け、反論を封じ込め(空気を読む)、全体主義を生んで、価値観を統一し、無批判性を第一条件とする。知る事は自由主義、個人主義の根本である。それを日本人は頭に入れなかった。人間の思考力の頂点は、綿密で高度な悪の論理である。悪は論理的で無謬性が要求される。それぐらいは知っておかないと、地球温暖化防止枠組み機構の真の目論みを理解できず絡め取られて、資源獲得競争から排除されるのである。

第3章 知と言語

江戸時代には「読み書きそろばん」と云う生活のための実利リテラシー教育はあった。しかし社会人間学は全く学んでいない。交際だの陰謀だのが不得意だ。集団スポーツでは「フェイント」が必須であるように、人間社会には陰謀が不可欠の要素である。西欧政治史はマキャベリズムなしでは世渡り不能である事を教えてくれる。陰謀と云う言葉が印象悪いなら、見識、教養、社交と呼んでもいい。世界政治では陰謀欠落症では人間失格である。陰謀が教えられない教育は、他人の人間性の興味を教えない洗脳教育である。社会にでて若者が右往左往している。科学技術を教えても、人間を教えない教育は若者を不幸にしている。9.11事件を映像や報道で見ても聞いても恐怖心に震えない日本人が多かった。それは疑いがないからだ。アメリカの云うことは正しく、その通りにすれが助けてくれる、なんと云う極楽トンボなのだ。対象がイラクだっただけで、いつ日本にも適用するか分ったものではない。あまりに確からしい報道と映像のお陰で虚構を疑う力も失っていた。それがメデイア戦術だと云うことも考えずに。

ポール・ショシャールの「言語と思考」には次のように書かれている。「自分を指す代名詞(私、I)を使い始めたことが、動物との分水嶺であった。言語はコミュニケーションの外在語の役と、思考と反省意識のための内在語があり、人間は言語化されていない思考を心に思い浮かべる事はできない」原爆をアメリカに落とされた日本人が「過ちは繰り返しません」と誓う日本人の知能は3歳児以下である。自他の区別が無い動物語ではなかろうか。このノー天気ロボット言語が日本語である。「殴られても殺されても自分の責任ですと反省する」こんな扱いやすい日本人こそ、アメリカ人の人類家畜化最終目標であろう。9.11はアメリカの世界新秩序の第1歩であった。アフガンとイラクに「自由」、「解放」、「民主主義」、「人権」を与えるために戦争するという、意味を完全に失った「虚語」文章は、いまや英語圏でも意味を持たない、通用するのは日本だけである。日本語が無意味言語だからこそ、すんなりと収まるのだ。アメリカの世界新秩序NWOと人間心理操作RGM、「シンタックス」統語法は人間の統制法である。それに映像を被せて感情に訴える事で、見事に成果を挙げている。地球温暖化防止キャンペーンでもこの映像を使った「シンタックス」が最大限使われて世論を誘導している。この人間操作術の洪水に「何かおかしい」と声を上げよう。「裸の王様」だと見破って笑い飛ばそう。

終章  哲学

言語学者ノーム・チョムスキーが米国の陰謀に声を挙げている。ノーム・チョムスキー著 「覇権か生存かーアメリカの世界戦略と人類の未来ー」 (集英社新書)という本がある。本読書ノートで紹介した。その一章「アメリカ帝国の壮大な戦略 」を紹介する。
アメリカの国家安全保障戦略は、対等な競争相手のいない一極世界を維持するために根本的に取り組みべきことは、相手が対等になろうとする意志を挫くことである。そのために防衛の国際的な規範(国際法、国連憲章)を無視し、アメリカを制約することから徹底して自由になることである。アメリカは意のままに「予防戦争」を開始する権利を主張する。「恐れがある」と思えば国連を無視して、自由にイラク戦争をすることが出来るのである。アメリカ帝国の壮大な戦略の目的はアメリカの権力と地位と威信を脅かす全ての挑戦を阻止することだ。予防戦争の標的になる場合次の条件がなければならない。1:相手には抑止力が無い、2:倒すべき価値のあること、3:相手を究極の悪と決め付け我々の脅威と描く方法があること である。そういう意味でフセインとイラクは理想的な相手であった。(イラクは湾岸戦争以来経済封鎖で崩壊寸前まで窮迫していたので戦争する力はなかった、石油資源の管理はアメリカエネルギー産業にとって垂涎の的だ、フセインにはクルド人虐殺という汚名がある。あとは大量破壊兵器を持っている恐れがあるという口実だけで十分だ。まさにイラクはアメリカにとって予防戦争政策の実験台にとってうってつけであった。拒否権の行使によってアメリカ単独行動主義は国連をお払い箱にした。ブッシュとパウエルに「アメリカには国連安全保障理事会はいらない」とまで言わしめた。

又アメリカのメディア戦略を描いた本として、ノーム・チョムスキー著 「メディアコントロールー正義なき民主主義と国際社会ー」(集英社新書) を本読書ノートで紹介した。その一章「メディアコントロール 」を紹介する。
民主主義社会には二つの概念がある。普通の定義では大衆が情報にアクセスでき、意思決定に参加し影響を及ぼすことが出来る社会のことをいう。それに対して一般の人びとを意思決定に参加させず、情報のアクセスは巧妙に管理される社会のことである。ここで情報アクセスに関わるのがメディアのことである。情報公開と意思決定参加が基本的に異なる社会であるが特権階級はそれを大衆に悟られてはまずいのでメディアという広報機関をコントロールするのである。民主主義の革命的技法を使って「合意のでっち上げ」(世論操作)ができる。それには大衆に「公益」を身につけさせることである。アメリカの公益の前には階級も利害関係さえもなくなる。総体的な問題処理に当たるのは「特別」な能力を持つ特権階級で、大衆は判断能力のない「とまどえる群れ」にすぎず、問題に参加させると混乱するので行動に参加させず、「観客」になってもらう。しかし時々は特権階級の誰かの支持を表明させる「選挙」でガス抜きをおこなう。公益の最終決定者は特権階級にあり、大衆民主主義にあるのではない。全体主義国家や軍事政権なら逸脱した大衆の要求には暴力や棍棒で答えるが、民主主義社会では組織的宣伝で誘導するのである。広報産業を開拓したのはアメリカである。目的は一貫して「大衆の考えを操作する」ことであった。誰もが反対できないスローガン、誰もが賛成するスローガン即ち星条旗のもとに団結することであった。このスローガンでストライキ抑圧、赤狩りが行われ、テレビ新聞には特定のメッセージだけを流させるので大衆はそれ以外の選択肢を知らないのである。そして大衆には恐るべき敵を常にでっち上げておいて権力側に目が向かないように、恐怖で支配する。産業界には規範・法は無いも同然(規制緩和)で、貧富の差が著しい格差社会で、国家医療制度もない国家はアメリカだけだ。この様な現実に対して異議申し立てをするものには「自己責任」で脅迫し、「無能力で堕落した人間」と非難する。労働組合は存在しないのも同然で、二大政党といっても財界という政党の二つの派閥に過ぎない。

ヤスパース「哲学入門」によると、闘争と無抵抗、あるいは盲目的な追従と頑固な反抗、そのどちらしかない。そのときにこそ哲学が絶対不可欠な人間救済の手段になり、それ以外にはない。9.11事件に対してとる態度には、アメリカ政府の云うことを虚偽と知りつつ無しする姿勢(無視)、虚偽を真実だと信じ続ける姿勢(服従)、真実を解明し、虚偽と戦い続ける姿勢(闘争)、無関心、個人の尊厳を放棄しあきらめる姿勢(諦念)などがある。さてあなたはどうしますか。


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