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古田隆彦著 「日本人はどこまで減るか」

 幻冬舎新書085(2008年5月)

人口減少社会のパラダイムシフト 日本の人口の反転は可能か

「少子高齢化」社会を目の仇にする産業界と政府は、右肩上がりの経済成長の夢から覚めず、また高齢化社会をお荷物とばかりに切り捨てようとする。後期高齢者健康保険制度はまさに「姥捨て山」の「老人遺棄」の思想である。といって人口減少とGDPの低下現象は宿命とばかりに悲観論に陥って閉塞感に苛まれるのもどうかと思う。筆者古田隆彦氏が本書を書いた本音は、政財界・官界に組することなく、人口減少という当面の現象は当座の政府施策ではいかんともし難いが、21世紀後半に一筋の光を見たいという希望は棄てないでおこうということであろう。日本が人口減少のジリ貧に陥るかどうか(7000万人が適当な人口かどうかも不明)はまさに脱石油文明の開発如何にある。そこにイノベーションがあれば反転も可能であると言いたいらしい。ただ人口問題は科学的には、厚生労働省社会福祉・人口問題研究所の科学的推計に根拠を置いている。結論的にいえば古田隆彦氏の概念は数値の根拠はないので、既に科学ではなく希望の類である。科学の体裁をとっているが、用いられるデータは計算可能な根拠ある推計値ではなく、殆ど希望的な概念と推量に過ぎない。そう理解して本書を読めば、著者の趣旨は分るし、全く間違っているとも断定できない。何せ50年先のマクロ経済を推計することが無意味であるし、どうなるかは神様も分らない。まして著者や我々が生きていられるわけがない。そして、人口問題に著者のような生物学的概念を持ち出す人はいない。むしろ経済・社会学的に説明可能であるからだ。そのほうが実感として分りやすい。「人口容量」とは「日本の許容人口」であり、「棲息水準」とは「富に換算した生活レベル」であり、「自然環境×文明」とはその時代の富即ち「GDP」と理解したほうが素直でありかつ計算可能である。すると「日本の許容人口」=「GDP」÷「一人が生活上要求するGDP]と理解でき、現在のセンスからしてはるかにすっきりした説明になる。人間に適用可能かどうか怪しい生物生態学の用語を持ち出して素人をびっくりさせるよりは、良心的ではないか。

著者古田隆彦氏の略歴を記す。1939年生まれ。名古屋大学法学部卒業、新日本製鉄を経て社会工学研究所、現代社会研究所長、青森大学社会学部教授だそうである。現代社会工学研究所というのは、公的機関ではなく、古田隆彦氏(応用社会学者・青森大学教授)の個人的シンクタンクです。専門は応用社会学、消費社会学、人口社会学、未来社会学である。最近の著書では 「人口減少逆転ビジネス」日本経営合理化協会(2005年6月刊)、「人口減少社会のマーケティング」 生産性出版(2003年7月刊) がある。「人口減少 日本はこう変わる」PHP研究所、「凝縮社会をどう生きるか」NHKブックス、「人口波動で未来を読む」日本経済新聞社などがある。

日本人口は2004年末、1億2760万人でピークを超えた。これは厚生労働省のピーク予測2007年より3年早かった。100年後には日本人口は4000万人を切ると予測されている。とすれば暫くは(恐らく30年間)人口減少は避けようがない。この事態を受けて政・財・官・マスメディアは次のような見解を公表してしている。誤った見解や見解の相違があるがまとめると次の9項目であろうか。
@少子高齢化で人口が減った。
A出生率が上がれば、子供の数は増える。
B年金保険料を負担する世代が減って、年金制度が崩壊する。
C労働力が減ってGDPが低下する。
D消費者人口が減って消費市場が縮小する。
EGDPが伸びないから個人所得も伸びない。
F少子化の原因は結婚・出産形態の変化である。
G少子化対策で人口は回復できる。
H日本人は900年後滅亡する。
人口は出生数ー死亡数±移動数であるので、現在は出生数が死亡数より少なくなったということである(移動数は取るに足らない)。出生数は出産適齢女性人口(15歳−49歳)に合計特殊出産率をかけた数値である。いくら出産環境を整えても肝心の出産適齢女性が減少しているのだから容易ではない。出生率低下の原因には文化的時代的配慮が働いて、結婚が遅れ子供を生まない、一人しか生まない人が多くなっていることだ。これを心理的に説明することはできるが、本書は生物的言語を使って人口容量という「キャリング・キャパシティ」で説明する。人口容量が狭くなったと感じて日本人は人口抑制段階に入ったのである。「人口容量」はその時代の「富の総体」を人間一人の「棲息水準(生活水準)」で割った値であるという。したがって人口が減り続けると、逆に棲息水準(生活レベル)は高くなる。つまり余裕が出てくるのである。したがって21世紀後半あたりから、ふたたび人口は増加に転じるのではないかという推測も成り立つ。それともよりよい生活水準の確保のため、子供を生まない傾向は続くかもしれない。適正な日本の人口はいかほどかは見解によって大きく異なるし、これを誘導する事も不可能であろう。欧州並みに4000−7000万人で落ち着くかもしれない。過密列島日本を住みよくしたいという人も多い。さてどうなるか、上に挙げた世の中の人口減少社会に対する見解に一つずつ答えてゆく本書にしたがって考えてゆこう。

参考までに人口問題研究所の所長であった河野氏の著した河野稠果著 「人口学への招待」 (中公新書)の人口推計のまとめと人口減少社会の展望を示す。
出生率の予測と人口推計
人口問題の解明はこれほど困難だといいながら、経済予測に比べると人口予測は精度は高い。それは変化が緩慢で人口モメンタムというタイムラグが長いからだ。中でも出生率の予測は最も難しい。何故難しいかと云うと、一つは既存の出生力理論の人口推定に対する応用力の不足、第二に出生率変動の基本データの不足、第三に出生率の予測に社会経済要因を組み込む難しさにある。上の五つの理論(仮説)は残念ながら定性的説明に終始しており、定量的に数値解析できるレベルではないこと、そして国勢調査で個人プライバシー保護の観点からデータをアンケートできないことで決定的データ不足になっている、最後の社会経済要因は最も予測が出来ないからだ。 将来人口推計とは、人口学で最も実用的意味を持ち、国や地方自治体の経済社会計画と関連した行財政施策決定の基礎資料となる。コーホート要因法が1976年以来国際標準となった。「コーホート出産率法」は、世代を逐次おって出産数と生残数を繰り返し計算する方法である。日本の人口の行方を「国社人研」の2006年度推計より結果だけ示す。1950年から2005年までが実測であり、それ以降2055年までは推計である。合計特殊出産率は2013年まで1.213まで下がり、2055年までに僅か1.264に上がるとと仮設している。2007年より日本の人口は減少傾向になり2055年には総人口は9000万人をきる。65歳以上の高齢化人口は2040年まで上昇し、14歳までの未就業人口は一貫して減少し続ける。100年後には日本の人口は4000万人以下となる。何らかの人口抑制策を講じて2025年にもし人口置き換え水準に恢復したとしても、2080年に人口は8000万人に一定化するが、2050年に人口置き換え水準に恢復した場合は2100年に人口は6000万人で一定化する。
人口減少社会
さていよいよ本論であるが、人口減少社会は好ましいか、憂うべきことかと云う設題である。50年後は私達はもう死に絶えたころの話になる。人口が大きくなったために帝国主義は海外に生命線を開拓せざるを得なかったというか、国力大いに進行し大国日本になったと云う人もいて価値観ではどちらにでも転がる。しかし欧州の大国といわれる国の人口は5000万人から8000万人である。「過密社会日本」と云う見方をする人は人口減少社会のメリットは豊かな生活を享受できるであるという。経済力は人口に比例すると云う人々は、人口減少は経済規模の縮小、労働力不足から生活水準の低下になるという。人口減少社会歓迎論は日本社会の構造改革を行って、子供や女性に優しい社会を構築できればウエルカムと云うのである。人口増加政策賛成派といっても妙案はないのである。ドイツでは家族政策の効果はゼロに等しいと言われる。

第一部:人口減少が始まった

事実として2004年より日本の人口は減少し始めた。日本では天災地変(無論、地球温暖化のせいではありません)、食糧パニック(北朝鮮やアフリカぐらいです)や戦争などはなかったので強制的人口削減作用ではなく、人口に対する何らかの抑制作用が働いているのである。人口問題に関する統計を継続しているのは厚生労働省管轄の「国立社会保障・人口問題研究所」である。そこが2006年12月に発表した「日本の将来推計人口」を見てみよう。2004年から日本の人口は減少し、将来の出生数の予測を高位、中位、低位の3段に分けて推測している。その結果は
高位推計:2053年までに1億人を切り、2100年には6407万人まで減る。
中位推計:2046年までに1億人を切り、2100年には4771万人まで減る。
低位推計:2042年までに1億人を切り、2100年には3770万人まで減る。
人口が増減するのは、人口増減=出生数−死亡数±移動数から来るのである。団塊世代のひとが高齢者になって死亡するピークは2035年に来る。それまでは死亡数は増加し続ける。一方出生数は高度経済成長が終わって石油危機を経験した1975年以来一貫して減少しているのである。ここまでの結果の影響は人口モメンタムによって決定される。如何なる施策を講じようとも、すでにこれまでの結果が今後30年を支配するのである。ここで著者古田隆彦氏は変なことを言い出す。子供と老人の定義を変え、25歳までを子供とし、75歳以上を高齢者と定義しなおせば、子供と高齢者の数は減少傾向ではなく増加傾向にあるというのだ。「少子高齢化」の主張を覆すための言いがかりに過ぎない。つまらないことを言い出すものだ。高齢者年金を75歳から貰っても男は平均あと3年しか生きられない。「一気に年金問題が解決」とは恐れ入った。政府が喜ぶだけである。「新たな言葉で現実が変わる」とは思えない。75歳の人間にどれだけ労働力や体力が残されているのだろう。これは言葉の問題ではない。

一定空間と一定食糧になかで生物の増殖曲線を調べた実験には1920年ジョンホプキンス大学のR・パールのショウジョウバエの実験がある。助走期間があって対数増殖期になり次第に飽和するというS字飽和曲線或いはロジスティック曲線となる。フランスのモノーが大腸菌の増殖曲線を求めて数式化した。生物には環境を変える力や環境から逃げる路は残されていないから、飽和になった後は減少に転じる。当然過ぎるほどの結果である。動物社会での個体数抑制行動には@生殖・生存力抑制(個体死)、A生殖・生存介入(共食い)、B生殖生存力格差化(縄張り)、C集団離脱(逃避移動)である。マルサスの「人口論」は食糧と人口の増え方が違うため必然的に不均衡が発生し、それに対して能動的抑制(貧窮・戦争・餓死)と予防的抑制(結婚延期)、そして生活資料を増やすための人為的努力が発生する。人為的努力が実ると以前より高い水準で実現される。というものだが最期のCはいかにも希望的観測の付け足しである。歴史的に見ても人間は社会的動物であるから直接的な抑制よりも文化的な抑制で対処してきたようだ。そしていつも国家の介入は最悪の事態を招いた。

第二部:人口は波を描く

動物の生存許容量は主に食糧余裕度、環境汚染度、接触密度によって決まるとされている。「人間の場合は環境許容量は簡単には決まらない」、「人間には文化的許容量という言葉が適当である」、「人間のみが自らの環境許容量を変える力を持っている」とアメリカの人口学者は言っている。そこで著者は「人口容量」という言葉で「人間集団と自然環境、社会環境、文化環境などの相互関係によって決まるもの」というのである。日本という地理的・社会的・時代的空間に住みうる人口といってもいいものだ。富の生産量と保有量、人の満足する生活水準と自然空間の変数で決まる。それは時代によって変化する。人口増加ー不均衡発生ー抑制と人為的努力ー人口増加が循環的に現れることをマルサスは"Oscillation"といっているが著者はこれを「人口波動」となずけた。ここで著者は人口容量=(自然環境×文明)÷(一人あたりの棲息水準)ということを言い出す。これは数式ではない。概念の関係を言ったまでで、そもそも自然環境も文明も棲息水準も定量化(数値化)不可能であるからだ。歴史的に見てマルサスの人口摂動は過去5回あったらしい。人口波動はすなわち文明の波動のことである。

「過去に人口爆発は少なくとも5回あった」とはフランスの人口学者ビラバンが1979年に言い出した言葉だ。世界人口の推移をグラフ化した図5-1(本文104ページ)を何気なく見ると、山が5回あるかのように画いてある。そもそも近代的人口統計が毎年取られ始めたのは20世紀に入ってからである。18世紀からなら断片的にデータはあるかも知れないが世界人口を統計するのは難しい。著者は石器前波(紀元前45000年ー紀元前5000年 600万人)、石器後波(紀元前10000年-紀元前3500年 5000万人)、農業前波(紀元前3500年ー紀元700年 2億6000万人)、農業後波(紀元700年ー1500年 4億5000万人)、工業現波(紀元1500年-2000年 90億人)石器前波において紀元前5万年前から年代順にデータがあるわけはない。誰かが遺跡の跡や数から人口を推測した数値はあるだろうが、約5000年毎の間隔で人口データが推測できるだろうか。要するにこんなに多くの観測点(推測点)があるはずがない。いい加減なプロット、恣意的なプロットである。紀元前の世界人口がこの図表のような多数の年代順において求められるわけがない。信じられないほどうそ臭い図表である。ある歴史時代について、一国についてだけ定性的にしかいえないはずだ。何処の機関が推計したしたのか不思議だ。各波について尤もらしい理由が述べられている。それは別におかしいとは思わない。文明によって人口が爆発的に増加したことを、普通には「階段状増加曲線」という。波動といってもいいのだが、また図表5-1には小細工が施されている。各波の最期に少しだけ人口が減少しているのである。こんなことがほんとうに観測されたのか根拠はどこか著者に詰問しても仕方ないが、あまりに見え透いた小細工といわざるを得ない。そしてこの二部の後半は日本の人口の波動を図5-1と同じように縦軸の人口の数値だけ変えて五つの波を描いている。(図6-1 127ページ)日本も世界の一員であるのだから世界の人口波と同じ動きをしているのは自明であろうが、有史以前のことはわからないのでどうでもいいのだが、紀元後の人口の増減の説明があまりに大雑把な区分でびっくりした。奈良時代と室町時代が同列で論じられていたり、歴史時代区分によって詳細に論ずる事が可能なのに、弥生時代、古墳・大王時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治大正昭和時代(戦前)、昭和時代(戦後)といった時代区分ごとの人口を論じたらどうだ。

第三部:人口が反転する

人口容量が飽和化すると人口抑制気候が働くプロセスは次の六つの段階を経ると思われる。
@人口総棲息容量(富の総量)が伸びている時は、人口容量は伸びる可能性がある。したがって富と人口は比例する。
A富が伸びなくなった時、人口が伸び続けると、生活水準が下がる。したがって富が減少すれば生活水準も低下する。
B富が伸びなければ、生活水準を一定に保つためには、人口を抑制せざるを得ない。子供を生む事をあきらめる事である。
C晩婚、非婚、避妊などが増え、高齢者の生活水準は下がる。
D生活の格差が生じ競争社会に突入し、弱者が切り捨てられる。ますます晩婚、非婚の傾向となる。
E結婚抑制や扶養敬遠行動が社会的に広がってゆく。これが人口抑制装置である。
財政収支でいえば、経済規模を一定とみて、歳出削減策に落ち込むのが人口抑制装置である。経済の拡大による税収入増加で財政再建を図るのが、人口再増加策である。人口増減の計算式は人口増減=出生数−死亡数±移動数であるが、これから団塊の世代の死亡数は増加傾向であり、高齢者の死亡数低下はもはや医療の力では限界に来ており、当面2040年までは死亡数は増え続けると考えられる。また出産適齢期女性人口は2050年には今の半分まで減少します。これは変える事が出来ない事実なのです。すると政府が云う「少子高齢化」対策とは有配偶者の向上、出生率の改善しかありません。先ず当面は効果は期待できません。

そこで人口反転の可能性について著者は変な図表を出してきます。図表8-1(178ページ)、図表8-2(184ページ)の図表のデータ出所を国立社会保障・人口問題研究所と権威付けていますが、ほんとうに人口問題研がこんなデータを出しているのでしょうか。出しているのは上の二つのデータ人口数と普通出生率・普通死亡率だけです。一番下のデータ「生息水準」はちゃっかり著者が潜り込ませた図表であって、国立社会保障・人口問題研究所のホームページにはこんなデータは何処を探しても存在しない。国立社会保障・人口問題研究所がいずれクレームを出すだろう。そもそも「生息水準」なる術語は著者の造語であって、国ではこんな言葉は使わない。著者が棲息水準をどうして計算したかというと、トリックがあって、年毎の人口の逆数の比を人口がピークを迎えた2004年を1として表したものである。一番上の人口のグラフを逆さまにすれば棲息水準のグラフになる。そしてそのとき、富の総量は1880から2040年まで同じであるというとんでもない仮定が入っている。いかさまグラフである。そして棲息水準が1.2以上になると人口は増加に転じる途という大胆な仮説をおくのである。1970年と2040年がその棲息水準が1.2となる年である。なぜ1.2で人口を増やしてもいいというゴーサインが出るのだろうか。それは1.5かもしれない。理論的根拠はないから、いくらでもいいわけである。要するに21世紀後半あたりに人口減少に歯止めがかかる希望を持たせたいのである。

人口減少社会は少なくとも2040年ぐらいまでは確実に予測できる。人口を反転させるには、富の総量を増やす事しかないというのが著者の結論です。そのために現代日本がハイテク化、市場創設、グローバル化というよく言い古された経済浮揚策を述べています。しかし昔のようなアップサイジングやサステナブル(ロハス新生活)は理論上は不可能で、といってもジリ貧のダウンサイジングは惨めというので、中を取ってコンデンシング社会(濃縮社会)という聞きなれない言葉を使っている。経済的にはGDPは横ばいでよい。人口が減った分だけ余裕が生まれる。豊かな消費生活も出来ますよという。すると日本の将来の適正人口を何処に設定するというのだろうか。私見では日本の人口は6000万人でよかろうと思う。なぜ6000万人なのか根拠はない。21世紀後半にそうなるはずだ。ソフトランディングで上手く舵取りをして生産力を発展させ、脱石油文明をいち早く達成して、熟成したスローライフを楽しみたい。といってももう私は存在していないが。


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