080711

上野千鶴子 著 「おひとりさまの老後」

 法研(2007年7月)

女の最期はいつもひとり 老後を一人で生きる智恵を授けましょう 辛口「老人論」 

発売されてから1年間で70万部が売れたというベストセラーの本である。それほど読まれているなら紹介することもあるまいと思うのだが、前に 辻井喬 上野千鶴子対談 「ポスト消費社会のゆくえ」 文藝新書 を読んで、このオバサンの辛らつな口調に興味を覚えたので、「おひとりさまの老後」を読んでみた。この本には気の利いた警句がちりばめられており、この人の意地は悪いが頭がよさそうという気がした。新聞紙上で有名な言葉に「一緒に暮らそうという悪魔のささやき」は実に、心理の淵をうまくえぐっている。本の題名から介護問題を扱っているのかなと思う人もいるだろうが、介護問題は主題でなない。上野千鶴子は福祉関係の社会政策を専門とする「おばはん」ではない。彼女の専門は社会学というヤクザな学問で、この本に対する彼女の狙いは女性学(ジェンダー論)であり、女の老後を論じたものである。間違っても男の老後を論じたものではないし、一般的な老人介護の話でもない。男は先に死ぬものだと云う前提で、最後に残る女一人がどう生きるかという心構えを吐露したものだ。男の私がこの本を読んでもあまり意味はなかった。この本の帯カバーに「男性立ち入り禁止」という事を書いておくと親切なのではないか。

上野千鶴子は、日本の社会学者。東京大学教授。 専攻は、マルクス主義フェミニズムに基づくジェンダー理論、女性学、家族社会学の他、記号論、文化人類学、セクシュアリティなど。文学修士。富山県上市町出身。代表著作は「おひとりさまの老後(法研、2007年)」、 『近代家族の成立と終焉』、『家父長制と資本制』など。 1980年にマルクス主義フェミニズムを知り、これの紹介者・研究者となる。『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(1990)が代表作。1970年代に起きたウーマンリブ運動の再評価を世に働きかけた。専門領域である社会学のみならず文化人類学・記号論・表象文化論などの方法を駆使しながら、現代の消費社会を論じるフェミニストとして知られるようになる。特に1987年から88年にかけて世論を賑わせたアグネス論争にアグネス・チャン側を擁護する側で参入し、名を馳せた。上野千鶴子は、様々な分野で発言して多くの論争に関わり、その挑発的かつ歯切れの良い言動はたびたび批判を受けてきた。「吉本隆明や柄谷行人ら、名だたる男性知識人を片端から言い負かした女性論客」というイメージは今も消えない。又彼女の下ネタで意表をつくやり方には、男性読者は気をつけたほうがいい。「男は敵だった」とほんとうに考えておいでの恐ろしく喧嘩好きの「おばたりあん」ですぞ。「くわばらくわばら 危きには近寄らず」

「長生きをすればみんな最期は独りになる。女はそう覚悟しておいたほうがいい。お一人様の老後にはそれなりのスキルとインフラが必要だ」ということがイントロでもあり、結論でもあります。夫を見送ってからが女の「後家楽」だという。主婦を卒業して、気楽に老後生活をエンジョイすることが女の上がりだそうで、それを待てない人は熟年離婚して、年金を半分貰って男を追い出すそうだ。そのためには健康と時間、お金、自分の空間が必要だ。50歳代で亭主がなくなれば最高だ。元気はあるし、金もあるというわけである。そして子供は別居している。ここで子供から「一緒に暮らそう」という悪魔の囁きがきても、「ありがとう、気持ちはうれしいが私はここを動かない」と答えましょう。最初からずっと一人の人もいるが、妻を亡くせば男は脆いものだが、女は夫をなくしてからが人生だ。それは女に自立をもたらしてくれる。さて一人の女が暮らしてゆくにはどんな問題が待ち受けているのだろうか。つぎの五つのテーマで「女のお一人様の老後」をみてゆこう。ただし、この本を書いた時、上野さんは還暦前なので、鼻ぱしらの強い主張をしているが、もっと年をとった時に、気が弱くなってどんな主張に変わるかは分からない。

1、何処でどう暮らすか:住宅事情ー家か施設か、田舎か都市か、ソフトとハード

老後は、有料老人ホーム施設や老人介護医療病棟よりも家で暮らしたいが、家族と暮らしたいのではない。そのためには在宅支援の地域介護体制が必要で、それがあれば介護老人の自宅一人住まいは可能である。ハードで解決できる問題である。団塊世代の持ち家率は80%を超える。したがって女の持ち家率も高いし、相続税もまずかからない。(5000万円+相続人×1000万円以下であれば基礎控除) 自分の家がない人もケア付き集合住宅や協同居住集合住宅(シニアコレクティヴハウス)も色々提供されている。一人住むには25平方のワンルームもあれば十分。体が不自由になると、老人ホームから老人保健施設、養護老人ホーム,特別養護老人ホーム、医療型老人介護施設、病院という段階で送られるのが老人の運命であったが、最期まで自宅または協同住宅にいることは現行の介護保険では介護する家族が居る事が前提である。

自然に恵まれた環境で老後を送りたいと思うが、人間関係と介護資源が重要である。都会派の上野千鶴子さんは便利で、介護選択肢が多く、複雑な人間関係のない都会に住むことを選ぶ。個人はそれまでの人生と文化を背負っているから、簡単に交じり合う事は難しい、ましていまさら男の顔色を見るのはいやと千鶴子さんはおっしゃる。要するに上野千鶴子さんは書斎派の孤独好きで、人との交流は面倒でいやという。施設でも個室は必要だ。ただ老人が一人で居る事は、災害、危険やセキュリティで問題が多い。セキュリティを外注してお金で解決するのか、家族に頼むのかそこが問題だ。危険でも孤独の良さには換えられないというならどうぞご勝手に。

2、誰とどう付き合うか:人との関係ー親族か友人か、一人か二人か、孤独とコミュニケーション

高齢者の自殺率は実は日本の方がスウェーデンより高く、同居老人のほうが独居老人より高い。一人で居る事は孤独とイコールではない。一人暮らしを望む人は孤独に耐えられる力が必要だ。むしろ孤独が好きでなければならない。定年後イキイキと活動している人は、仕事関係以外の人間関係を暖めてきた人である。仕事人間(会社人間)は定年後、組織以外の人間関係が作れない。家族も去り、仕事仲間もいなくなり、その後に残るのは友人関係だけである。利害関係の勝者は人間関係を隷属関係とみていたので、定年後そのしっぺ返しを食らう。職場関係には友人は居ないのが常識で、なんでもいえる友人関係はそれなりに日常のメンテナンスが必要である。会話の面白い人はそれなりにその人生も面白い。孤独と付き合うにはノウハウがいる。いろいろなタイプの仲間とコミュニケーションができる場は作っておかないと誰も相手にしてくれない。それでも、人より長生きをするということは必然的に友人を亡くしてゆくことであり、共通の記憶がなくなることだ。この喪失感がいかにも切ない。

3、お金はどうするか:生活費用ー貯金か年金か、介護とお金

お金は必要だが、ほんとうに欲しい介護は金では手に入らない、ケアーというサービス商品に限って、価格と品質が連動しないのである。しかしお金は必要だ。ケアー付き住宅では月12-15万円程度はかかる。いつもそうだが、結局年金程度のお金は出てゆくものである。香典、祝儀というこの世の義理はしだいに遠ざかるものだ。夫が死んだら、夫の年金の3/4が遺族年金で支給される。サマリーマンの妻なら遺族年金は12万円程度である。離婚して1/2の年金の分与はあるが、遺族年金より少し少ないのでご注意を。老人に投資話は詐欺が多いので、堅実に資産を運用する手はないのだろうか。住宅を担保としたローンは結局最期には資産がなくなることであるので家族の反対が多い。サラリーマンの持ち家は資産価値が少ないので甘利期待しないほうがよい。遺産相続金を個人年金にして少しづつ受け取るという手はある。

4、どんな介護を受けるか:サービスの選択肢ー介護するほうと介護されるほう、介護される側の心得十カ条

介護される事を受け入れる勇気が必要だ。位が高すぎるのは邪魔になる。排泄介護まで、お一人様の介護には他人をわずらわせるほかはない。2000年の介護保険制度の限界はあるが、「家族の介護に頼らない」介護の社会化に向けての一歩である。死ぬまで人の世話にならずに生きられる幸せな人の事を「成功エイジング」というらしい。「満足死」も満足できる生きかたということであるが、みんなが皆そう云う幸せで死ねるわけではない。寝たきりになって死ぬまで平均8.5ヶ月といわれる。そこでだれでも介護のお世話になるのだが、誰でも気持ちの上では介護を拒否する傾向にある。女には特にそれが強いのは、介護するのが女で、自分が介護される事は自分に居場所がなくなることであるらしい。男が介護を拒否するのは男の家庭内権力が否定されるからであると上野千鶴子氏はいう。もうそんなことは男も考えていませんのに。とっくの昔に男の権力は否定されています。彼女の頭は古い。

介護に顧客満足度という定規はない。なぜなら介護されるほうも初心者で何が良い介護か知らない。較べるほどの選択肢を持っていない。介護相手に自分の気持ちを伝達できない。なるほど介護は一方的なのですか。介護マニュアルを被介護者も一緒に作ればいいのですが、意見を云う能力もなくしている場合が多いので不可能ですね。そこで上野女史はつぎのような「介護される側の心得10カ条」をまとめている。(自分は一度も介護を受けたこともないのに、どうして言えるのだろうか?)
@自分の心と体の感覚に忠実且つ敏感になろう。
A自分にできること、できない事の境界をわきまえる。
B不必要な我慢や遠慮はしない。
C気持ちいいこと、気持ち悪い事をはっきり伝える。
D相手が受け入れやすい言い方を選ぶ
E喜びを表し、相手を褒める
Fなれなれしい言葉使いや、子ども扱いを拒否する。
G介護してくれる相手に、過剰な期待や依存をしない。
H報酬は正規に、チップや物を贈らない。
Iユーモアと感謝を忘れない。
はっきり口の利ける元気な時なら、口うるさい婆さんとして出来そうだが、要介護度の高い衰えた老人にはできない。

5、どんなふうに終わるか:終末の仕度ー遺産と葬式、看取りと孤独

遺産の半分は法定相続人のところに行く。変な遺言は残された親族遺産相続人にとって半分は無意味である。遺す物より遺さないで処分するほうが大事である。人間は死んで何を遺すか。人は死んで、残った者に記憶を残す(虎は死んで皮を残す)。その記憶も記憶を持った人が生きている間は維持されるが、その人の死とともに永久に消えてなくなる。歴史を作ったほどの人でなければ、死ねばすべてなくなると考えたほうがいい。それでいい、トラブルを遺して迷惑をかけるよりずっとましだ。ましてどんな死に方もない。「孤独死」は当然で、死ぬときは一人、殉死して三途の川を一緒に渡ってくれる人はいないだろう。


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