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三村芳和著 「酸素のはなしー生物を育んだ気体」

 中公新書(2007年12月)

27億年前、光合成によって海水から酸素ガスが出来ると、生物は一気に進化した

酸素濃度の変遷
大気中酸素濃度の変遷

大気(酸素)を呼吸する人間にとって、あまりに当たり前のことで酸素のことを深く考えたこともなかった。地球温暖化がスといわれる炭酸ガス(二酸化炭素)が増加することが地球の保温効果を増し気温が上がるといわれている。地球誕生から今日までの地球科学の研究によれば、酸素を利用したエネルギー変換機構(代謝)のほうが抜群に効率がいいとわかった生物が気の遠くなるような時間をへて進化し、それが原因で大気中の酸素濃度と炭酸ガス濃度の逆転が生じたらしい。いまや大気中の酸素濃度は21%である。46億年前地球が微惑星の衝突を繰り返しながら誕生した時、地球大気には酸素ガスはなかった。それから10億年が経過して、海洋の熱水中から自己複製が出来るアミノ酸のひも(たんぱく質)が誕生した時も酸素ガスはなかった。そして今から27億年前、太陽光のエネルギーを利用して海水を分解し、この時発生するエネルギーを用いる細菌群シアノバクテリアが出現した。その化学反応によって水から酸素ガスが生まれた。シアノバクテリアが生産する酸素は最初は大部分を地球構成物に吸収されながら増加して、5億年前酸素濃度が今の1%程度になるとそれまでの多細胞生物は一気に進化を遂げ、植物の地上進出で酸素生産も飛躍的に増大した。そしてほぼ3億年前にはいまと同じ酸素濃度となった。それと反比例して二酸化炭素濃度は減少し、いまや1万分の1に過ぎない。今から20億年前に酸素を呼吸する生物が発生した。ミトコンドリアという小器官をもつ真核生物である。酸素を利用する事が生物の生存の原動力になったのである。酸素を体内に取り込むと膨大なエネルギーが出来る。出来たエネルギーをATP(アデノシン三燐酸)に閉じ込めて、体内細胞のあらゆるところへ搬送する。地球の歴史を見てきたかのような嘘を書いた。嘘ではないが仮説である。たまにはこのような気宇壮大な話を聞くのも悪くはない。微生物は色々な呼吸形式をもっていたが、酸素ガスが出来たおかげで、酸素呼吸形式に進化した生物が繁栄を謳歌しているのである。本書は酸素がなければ生きられない人の存在、しかも21%という酸素濃度に適合するように体内機構を進化させた人類の種明かしをする本である。

このような科学の本を読む読者層は理科系出身者ばかりとは限らないが、一応高校程度の理科の知識(化学・生物・物理を選択しない人もいるから、これも十分ではないかもしれないが)はあると考えておこう。とはいっても呼吸のTCAサイクルは知らないだろう。ミトコンドリアのエネルギー生産系についても門外漢であろう。蛋白合成の調整領域についても知らないだろう。したがってこのような本は分かってもらうのはなかなか難しい。とはいっても学術用語なしでは説明は不可能である。自然科学を学んでいない人には術語がわからないので面白くないだろう。また本書の大部分は生物が酸素を利用して代謝経路を変更していった進化の巧さを分ってもらう点にある。話はビックバン(宇宙の大爆発)から始まって原子核の生成、地球の誕生と海水、元素の存在、生物の誕生から光合成生物やシアノバクテリアの誕生から酸素ガスの発生、ミトコンドリアを持つ真核細菌への進化過程、植物や動物の地上進出と酸素呼吸という太古の昔の生物進化を解説するところがミソになっている。しかし著者は医者であるので、人体・ガンと酸素の関係などに話がおよぶ。本書は進化の話と人体の話が同時に入り乱れて進行するため、話がすっきりしない恨みがある。私なら進化の話だけで本を書くべきだと思う。人体と酸素の医学は後半にまとめるとか、はっきりと章を分かつべきであろう。素人向きには生物が酸素を取り込んでいった進化の話は面白いのではないだろうか。というわけで、私の解説も生物進化の話(見てきたような嘘を云う)に集約し、人体と酸素の医学の話はおつまみ程度にしておこう。そして代謝経路の話も素人の理解を超えるので省略したい。

著者の三村芳和氏は信州大学医学部を卒業後、東京大学外科をへて現在は東京大学医学部准教授である。専攻は内分泌外科、外科侵襲楽、外科栄養学ということらしい。何か外科よりは内科に近い内容ではないかと専門外の私は思う。参考までに今おられる東京大学 代謝栄養・内分泌外科グループの紹介をホームページからコピーした。「分院手術部 でわたしたちは,甲状腺・副甲状腺・副腎などの機能性・腫瘍性疾患の診療をおこなっています.同時に外科侵襲後の代謝・栄養に関する研究をおこなっています.どのような病気を扱っているかというと、
1) 甲状腺疾患には局所的な変化と全体におよぶ病気とがあります.これらは機能の異常を同時におこすこともあり,個々の疾患により治療方針が異なります.頚部の腫脹や機能異常の症状(体重減少,動機,ふるえ,便秘,むくみなど)で気づくことがほとんどです.
2) 外科でとりあつかう副甲状腺疾患は血液中のカルシウム値が高くなる場合です(副甲状腺機能亢進症).副甲状腺ホルモンは骨を溶解させるため,骨量の低下,尿路結石などで見つかったりします.ぼけや記憶力減退で気付くこともあります.
3) 副腎疾患は画像検査の普及により無症状でみつかるケースが増えています.血液中の電解質の異常,高血圧,血糖値の異常などで気付かれることがあります.最近は内視鏡的に副腎腫瘍を切除したりしています.」

1.酸素のないところでの生物

現在の人間は大気中での酸素ガス濃度が低くなると高山病にかかり、運動どころか生命の維持さえ危い。海抜ゼロの大気中の酸素分圧150mmHgの吸気で動脈中の酸素分圧は100mmHg、末端細胞や静脈中では50mmHgになる。我々が走る時、最初の15秒くらいまでは無呼吸で体内のエネルギー源ATPを使って運動する。2分ぐらいまでは肝臓のグリコーゲンを分解してエネルギーを得る。それ以上の運動ではスピードを落として、グリコーゲンを使う呼吸による好気的代謝になる。1時間以上走る時には脂肪も使用するのである。このように人間(動物)は酸素なしでは数分も生存できない。なぜそのような呼吸方法(代謝)を選択したのだろうか。その進化の妙を旅して行こう。

地球が46億年前に誕生し、35億年前に生命が誕生して30億年前に光合成が開始されるまで地球上には全く酸素ガスは存在していなかった。27億年前にシアノバクテリアが水を分解して酸素ガスを生産し始めた。それから地球上に酸素ガスが蓄積し始めたのである。地球誕生初期には酸素ガスがなくて生物はどうして生活していたのだろうか。現在でも海底で生活する微生物は酸素なしでメタンを生成したり、無機栄養源だけで生活できる生物はいるのである。生物は最初から酸素ガスを必須としてはいなかった。メタン細菌、水素細菌、窒素固定菌、光合成細菌、大腸菌・ピロリ菌(嫌気性菌)なども無酸素で生活している。呼吸とは何だろうか。私達従属栄養摂取型生物は食べた栄養物(水素化物)から電子を放出し、その電子をうけとる最終受容体(酸素)を体内に取り入れる事をいう。水素は酸素と結合して水となりエネルギーを放出する。これを「酸素呼吸」というが、硝酸塩や硫酸塩を電子の最終受容体とする細菌は「硝酸呼吸」、「硫酸呼吸」をする事になる。

「35億年前、海底深く熱いガスが噴出する孔の周りに蠢く生物が誕生した」というような見てきたような嘘をつこう。海水中には二酸化炭素、窒素、水素ガスが溶け、噴出孔周りには硫黄と硫酸塩、メタンガスが満ちていた。酸素ガスは全く存在していなかった。そのような環境に先ず現れた微生物は岩石に含まれる水素と二酸化炭素からメタンを生成してエネルギーを得た。つまり独立栄養生物であった。また高度好熱性硫黄依存古細菌は水素を電子放出源とし硫黄で電子を受容する細菌である。この時硫化水素が発生する。メタン細菌は二酸化炭素を電子受容体にし、硫酸塩還元細菌は硫酸塩を電子受容体に、硝酸塩還元細菌は硝酸塩を電子受容体に、鉄細菌は三価鉄を電子受容体に、酢酸生成細菌は炭酸塩を電子受容体にしていた。このように水素をエネルギー源とする地球最古の生物が生存していた。大概これらの生物は好熱性で121℃でも生きられる細菌もいた。従属栄養生物は自身で体内で有機物を合成できない。独立栄養生物の誕生の後からこれらを餌と掏る生物が出現したのである。従属性好気的生物の栄養素とは糖、脂肪、たんぱく質である。これら栄養素を酵素で分解して、最終的には水素から電子を引き抜くことでエネルギー源としている。糖・たんぱく質は分解されピルビン酸となってミトコンドリアのTCAサイクル代謝回路に入る。ここで水素はプロトンと電子にわかれ、酸素に電子が吸収されて水となる。炭素は炭酸ガスとなり、ATPが蓄積される。水素と二酸化炭素からメタンを生成する無酸素呼吸と、水素と酸素から水を作る酸素呼吸では得られるエネルギーが7倍ほど違う。酸素呼吸のエネルギー効率の高さが生物進化の方向性を決定したようだ。

5億4000年前大気中の酸素濃度がようやく1%まで蓄積された。それによって生物が一挙に飛躍的に進化したといわれる。これを「カンブリア紀の大爆発」といい、現在の多細胞動物の殆どが出揃った。これ以降生物は5回ほど絶滅と復活を繰り返した。最大の絶滅が2億5000年前に起きた。マントルの大爆発(スーパブルーム)や隕石の衝突が原因と言われるが、酸素濃度の乱高下がおきた。当時30%の酸素濃度が急降下して90%以上の生物種が絶滅した。この低酸素状態が2000万年も続いた。通性嫌気性細菌は酸素の有無で呼吸形式を変換できるちゃっかり者もいたので完全絶滅は回避できたのかもしれないが、委しい事は分らない。

2.酸素ガスはどうして生じたのか

生命に必須の元素は炭素、水素、窒素、酸素の四元素である。現在発見されている元素は全部で103個である。これらの元素は何処から来たのだろうか。宇宙全体で水素が70%、ヘリウムが28%を占める。140億年前宇宙は一点から始まった。100億℃の高温で一点がはじけ宇宙が広がった。これが「ビックバン」といわれる。ビッグバンの時、さまざまな粒子(陽子、中性子、光子、電子、陽電子、ニュートリノ、反ニュートリノなど)はあったが、原子核はなかった。そして原子核反応が起きた。陽子と中性子一個から重水素、ヘリウム原子核、リチウムで止まった。そしてビックバン38万年後陽子と電子が結合し始めて水素原子が誕生した。この時の宇宙の温度は4000℃であった。ビックバン90億年後、即ち今から50億年前宇宙をただ云うガスと個体粒子が集まって小さな核ができた。微惑星の誕生である。水素原子が重合して太陽ができた(太陽は気体である、比重は100)。太陽の内部でヘリウム、リチウム、ベリリウム、ホウ素、炭素が生まれた。太陽の大きさでは炭素までが限度であった。45億5000年前に微惑星の衝突から地球が誕生した。太陽の数百倍の大きさのある「超新星爆発」で90億年かかって地球にも酸素などの元素が降り注いだ。酸素は水の形で地球に取り込まれた。そして40億年から38億年前に海が出来たとされる。地球がある程度の大きさで、しかも太陽からの距離が適当であった事が地球が海を持てた偶然の必然であった。

27億年前に光合成細菌の一種でシアノバクテリアが誕生し、水分子から酸素原子を遊離させ酸素ガスを作り始めた。この細菌が地球上で酸素ガスを作った功労者である。最初の光合成最近は30億年以上前の「紅色細菌」である。太陽エネルギーを使って硫化水素を還元して水素を作り、二酸化炭素ガスと結合して有機物を合成した。植物の先祖みたいな細菌である。植物の光合成反応を見ると、暗反応で外気の炭酸ガスを還元して糖を作る。明反応では葉緑体のチコライド中で光エネルギーで水を分解してプロトンと酸素ガスを作る。この時発生した電子がチコライド膜上の電子伝達系蛋白でやり取りされる。電子供与体は水の中の酸素原子である。呼吸とは逆の反応である。炭酸ガスと酸素ガスが今日の濃度に近づいたのは3億年前の事である。水は分解されて酸素ガスを作り、炭酸ガスから有機物が作られた。全地球の炭素は陸地と海底にあり、光合成植物性プランクトンが大気と深海の炭酸ガス濃度勾配を作り出す炭素ポンプである。地球上でこの炭素と酸素の循環が成立しているは、きわめて稀有の現象かもしれないが、生物はその通過点で営々と生の営みをしているのである。

3.酸素でエネルギーを作る生物の仕組みの進化

生物がエネルギーを得る方法には、無機物から化学的にエネルギーを得る「独立栄養」、太陽エネルギーを光合成によって化学エネルギーに変える「光合成」、光合成生物が作った有機炭素化合物を摂取して代謝してエネルギーとする「従属栄養」の三通りある。 そして「独立栄養」、「光合成」、「従属栄養」は生物の進化の順でもある。エネルギーを引き出す量もこの順に大きくなるのである。ただ生物は食物を直接酸化しない。たくさんの代謝経路(省略)をへて食物から水素を取り出し、これを利用してエネルギーを取り出すのである。海水のナトリウム濃度が現在のように高くなったのは7億5000万年前である。細胞の膜には体内のナトリウムを排出するポンプの役割のたんぱく質がある。これがATP合成酵素に進化してプロトンを取り込んでATPを作るようになった。即ち電子伝達系という膜たんぱく質系で、生物は水素を電子供与体、酸素を電子受容体とするシステムを作って効率のよいエネルギー生産が出来るようになった。それを集中して行う器官としてミトコンドリア、葉緑体を持つ生物へ移った。このミトコンドリアという小器官はたんぱく質製造工場であるリボゾームと同様に親細胞とは違う独自の遺伝子情報を持つ。すなわち生物は共生菌からこのように特化した器官を導入したのである。21億年前に誕生した我々の先祖である真核性細菌の進化系統図を描くのは現在ではまだ難しい。おおまかにいえば、光合成細菌から分岐した真正細菌系と、古細菌系の二つの輪があるとされている。27億年前に生まれたシアノバクテリアから葉緑体が発生し、ミトコンドリアや葉緑体というエネルギー代謝に重要な細胞内小器官はいずれも光合成細菌に由来する。

4.低酸素状態での生物

生物圏は酸素のある陸地だけではない。低酸素の深海にも多くの生物がいる。初期微生物が海底の熱水噴出孔周辺で硫黄、硫化水素、水素、鉄などを栄養源として発生した。深海探索によって興味深い生物「チューブワーム」が発見された。「チューブワーム」はヘモグロビンを有し酸素と硫化水素を結合して体内の硫黄酸化細菌に栄養素を送っている。共生細菌は宿主細胞から硫化水素、酸素、二酸化炭素を供給されて、科学的無機独立栄養代謝によってエネルギーを獲得し有機物を合成する。その有機物を宿主の「チューブワーム」が頂いている。植物が陸上に進出したのは7億年前と言われる。いまや陸上植物が有機炭素を作る量は、海洋の植物性プランクトンの生産する量と等しい。植物は葉を進化させ空気中の二酸化炭素を取り込んで光合成で有機炭素を作り酸素ガスを放出する。大気中の酸素ガス生産に大きく寄与した。海中の魚の低酸素状態で生活しているため、酸素を取り込む器官「鰓」を進化させた。4億3000年前魚類が肺をもって陸上に進出した。3億6000年前脊椎動物(両生類、爬虫類、哺乳類、霊長類)が陸上に進出した。それからは大型爬虫類の全盛時代を迎える。2億5000年前の酸素欠乏事件「スーパアノキシア」を乗越え1億6000万年まで恐竜時代が続いた。

低酸素状態を検知するのがヘムたんぱく質である。通性嫌気性細菌は低酸素と判断すれば、光合成系の葉緑体を合成する。反対に酸素が十分であると判断すれば好気性代謝に切り替える。低酸素に適応するため多くの遺伝子が活動開始させる転写因子をHIF-1αという。人体ではこの転写因子がはたらくと低酸素でも生きられるように、血管新生因子、エリスロポエチン、糖輸送体がつくられる。酸素が豊富にある時にはこの転写因子蛋白の一部は水酸化されそこへVHL因子という蛋白が結合し、これが標的となってHIF-1α分解酵素はこの転写因子を破壊する。この機構はガンの血管誘導と関係している。

6.酸素と人体医学

著者は医者として色々な酸素医学の話題を提供する。人は1日700グラムの酸素を消費する。その95%はミトコンドリア内でエネルギーとなるATP生産に使われ、1-2%の酸素が電子伝達系で活性酸素に変わる。この活性酸素が免疫や老化に関るのである。水分子をきる時に酸素フリーラジカルが発生し体内の成分を破壊するので、遺伝子損傷、細菌への攻撃、老化に関係する。そのため最近、抗酸化食品が売れている。どのくらい効果があるのかは不明であるが。「虚血・再還流・傷害」という外科的損傷が起きるのは、無酸素状態でキサンチン脱水素酵素が酸化酵素に転化し、これが酸素を活性酸素に変化させるからである。抗体と白血球が体内に侵入した細菌に酸素を浴びせて破壊する。血管などの傷の再生には白血球のマクロファージが酸素濃度勾配を検知して血管新生を刺激するのである。手術後の傷の直りには高酸素治療が有効である。血液中の酸素分圧が下がる(1-15mmHg)と嫌気性代謝に替わり乳酸がたまって疲労の原因になる事はよく知られている。ガンの進展・転移に転写因子HIF-1αが関係している。これはHIF-1αが血管新生因子VEGFを活性化させ、がんの生育を助けるからである。がんの転移には、低酸素状態で転写因子HIF-1ががん細胞に結合マークを付けて(ケモカイン受容体)、臓器細胞に着床させるのである。


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