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永田 宏著 「医師不足が招く医療崩壊」

 集英社新書(2007年10月)

1980年代後半の新自由主義による国民医療費の節減対策が医師不足を招いた

医師不足は単に産科や小児科、また地方だけの問題ではない。これからは緊急治療、外科を初めあらゆる科で医師の不足が表面化する。厚労省は従来から医師の数を削減してきた。団塊の世代が後期高齢期に向かう2025年には、日本の医師不足は決定的な医療崩壊をもたらすだろう。医師不足と医療保険制度の崩壊は同じ原因によるものだ。財政負担軽減を目指す国家医療費の削減が根本的な起因である。企業負担を減らすため国は医療制度を放棄すれば、アメリカ型の金持ち優先の医療になり無保険者は切り捨てられる。医療制度を曲りなりにも維持しようとすれば、イギリス型の「診療待機」になるのか。いまの日本型国民皆健康保険制度は医師不足と合わせて危機に立たされているのである。

著者永田宏氏は筑波大学理工学部大学院(計算化学)を卒業後、オリンパス光学工業という医療機器メーカーに就職した。医療情報システムの開発に携わり、KDDI研究所、タケダサイエンスリサーチセンターなどを経て、現在は鈴鹿医療科学大学の教授である。この大学は放射線技師、管理栄養士、理学療法士などの病院で働く専門技術者の育成する大学である。そこで医療情報楽という科目を教えているそうだ。したがって著者は医者(ドクター)ではない。医療関係者というべきであろう。

「医療崩壊」が叫ばれている今日であるが、医療崩壊の持つ意味は広い。モラルの問題から政府健康保険の財政破綻まで色々な側面が議論されているのである。本書は「医師の不足」こそがテーマである。本書の直接のテーマではないが日本に於ける医療崩壊を医療裁判にみる医者と患者の関係から捉えると、次のような「医療不信」が主張されている。「医師はそれなりの研修を受けスキルを高め、医療に貢献し先進国最低水準の医療費にて世界最高レベルの平均余命・周産期死亡率を達成している。WHOによる2000年の調査では、総合成績である「健康達成度総合評価」で第1位となっている。また、OECDによる2005年の調査でも、健康寿命・健康達成度の総合評価はともに第1位を達成している。だが近年、恩恵を受けたが、現状の医療体制は不十分であり又高額なものと患者側が感じる様になる医療不信が増大するようになった。 徐々に現状の医療体制では不可能な過大な要求をするようになってしまった。 医療不信を払拭しその期待に応えようと医師側の努力は行われ、「QOLの向上」などの新しい命題にも取り組み医療は進歩したが、医療不信は払拭されなかった。 この動きの中で、一部で医師の過労死が起こることもしばしばであった。 過大過ぎる要求を行う病院から医師が集団辞職する事例が散見するようになった。 医療民事訴訟が頻発するようになり、医師側は強い不満を持つものが増え始めていたが、独特の使命感により医療を支えていた。
2006年福島県立大野病院産科医逮捕を境に、特に昼夜を問わず地域医療に貢献していた医師の意欲は著しく低下し、負担の大きい(特に地域の)医療現場から医師が去るきっかけを作った。 また、地域の病院に医師を派遣している医局も、一つの科を一人で医療を行っている病院から医師を引き上げ集約化を行いつつある。 しかし集約化を行っても集約化した先で医師の退職が相次ぎ、その地方の医療が完全に崩壊するケースすら散見されるようになった。 初期臨床研修義務化を原因とした医師不足による医師の引き上げもおこり、急速に地域の医療体制が不備になるなどの事態が進行しつつある。 高度医療化に伴い高価格の医療機器導入の負担や、度重なる医療制度改革による診療報酬減少に伴う医療収入減少等により病院の倒産、自主廃業に追い込まれるケースが最近散見されるようになった。」

今日の「医療崩壊」をきたした因子としては、次のような点が指摘されている。
医療民事訴訟
従来医学的には正しい医療行為を行ったにもかかわらず、不幸な転帰をたどった症例において、遺族側が病院や担当医師に結果責任を要求する医療訴訟が多発し、医師・病院側が敗訴する事例が見られた。その判決において医療の不確実性を考慮に入れず、当時・現在の医療状況・医療財政、生命の摂理を一切無視しした。
医療行政
医学の進歩とともに国民医療費は年々増加するが、最近は経済状況が低迷し、国民医療費の伸びが国民所得の伸びを上回るようになった。 日本の医療は高くて非効率的であるという認識の下、国家財政を圧迫する恐れがあるとして医療費削減が叫ばれるようになった。医療行政改革は現場にとどめを刺す形となり、医療崩壊が進みつつある。
初期臨床研修義務化
従来、医師国家試験合格した医師は、大学医局に所属することが多かった。ところが、初期臨床研修義務化に伴い市中の総合病院においても初期研修ができるようになり、加えて教育システムに一日の長のある病院は都市部に集中していた。結果として地方では初期研修の志望者が激減し、医局に新規に所属をする医師は減少した。
マスメディアによる恣意的報道
元来問題となっていなかった症例を、自ら調査し、耳目を引くために事件性があるように報道したと批判を受けている例も散見される。 こうしたメディアの恣意的な報道が妄信的に信じられてしまい、結果として医師・病院が悪者扱いされる様になっているという現実がある。
医療のコンビニ化
深夜の救急医療の場に「昼は仕事をしているので、今すぐ専門医に診てもらいたい」「眠れない」など、救命救急の場にはそぐわない患者が来院するケースが目立ってきている。 このため当直医の負担は著しく、当直の翌日が休みになる勤務態勢をしいている病院は少なく、燃え尽き退職する医師や過労死をする医師も増えている。
市民団体側の問題
医療の将来を見据え、医療者と市民との架け橋となるべく活動を行っている団体がほとんどであると思われる。 しかしながら一部では異なった活動を行っている団体もあるのが実情である。またマスメディアと一緒になりネガティブキャンペーンを行うこともあり、医師のモチベーションの奪う結果となっている。
医者の立ち去り型サボタージュ
虎ノ門病院泌尿器科部長 小松秀樹は、『医療崩壊ー立ち去り型サボタージュ」とは何か』(2006年)を著し、日本の医療体制が直面する状況、なかんずく刑法にもとづく警察と世論を背景としたマスコミがいかに医師を追い詰めるかに警鐘をならした。医者が命に関る医療から逃げ出している状況がある。

永田 宏著 「医師不足が招く医療崩壊」は、色々な医療崩壊の側面・因子より、「医師の数の絶対的不足」をテーマにしたものである。その原因は100%「医療費削減」のための医者の数の削減から来ているという。真野俊樹著 「入門 医療経済学」 において紹介したように、医者の数が増えると需要を喚起して医療費が増加する。したがって医者の数を減らしたら医療費は減少するだろうという厚労省の発想に起因している。これは医療経済学では「セイの法則」という。簡単に紹介すると、
[ケネス・アローが指摘するように、医療と云う「財」は人間の基本的な健康と云うニーズであること、何時需要が起きるか費用はいくらかなど予測できないとか、情報の非対称性を持つと云う特徴を挙げている。また医療と云う財は不可逆性を持ちやり直しがきかないと云う特徴を持つ。医療と云う財(商品)の評価は高度に信頼性属性の非物質財である。医療はアメリカでは私的財とみなされる側面(排除性、競合性、外部性)もあるが、日本や多くの国では医療制度は価値財であると云う価値判断のもとで公的な強制皆保健制度による費用負担を行い、市場が機能しない、価格メカニズムを働かせないように設計されてきた。この場合には医師による供給者誘発需要(医師が増えると治療費が増える:セイの法則)と云う弊害がある。これは公的医療保険では費用の制約がないためと、情報の非対称性があるために起き易い。医療費の支払いが医療の質よりも医療行為の数で多くなるという「出来高払い」が中心である。そのため架空請求・過剰検査・診療と云う問題も起きる。経済学の需要-供給曲線の供給線において、限界費用より少し高いところに公定価格が設定される。自己負担比率(現在三割)によって消費者の便益は増加する仕組みにしてある。]ということである。

第1章:表面化する医師不足

地方自治体病院の医師の減少と財政破綻は病院の存続を脅かしている。それでも厚労省は「医師は余っている。地方で医師が足りなく見えるのは偏在のせいである」と言い続けている。どちらが本当なのだろうか。いつごろから医師不足が始まったのだろうか。2000年前後から病院の仕事がきつくなってきたと医師は証言する。36時間勤務体制という「医師残酷物語」となり、医師の過労は常態化して医療事故の主な原因が医師不足にあると言われた。救急患者のたらいまわしも同じく医師不足からである。2007年度になると事態は一層深刻化して、医師不足は産科と小児科に留まらず、外科系集中治療科の医師が一斉に退職する「医者の立ち去り型サボタージュ」が発生した。厚生労働省は、実は1984年から「医師の需給に関する検討会を何回も開催している。1986年、1994年、1998年、2006年と報告書を作成しているのである。報告書にはいつも医師は足りているので引き続き医学部定員を10%削減すべきであると記載されてきたが、2006年報告書では「医師の勤務時間を週に48時間とすると、2004年の医師数は25.7万人に対して、必要医師数は26.6万人である」と初めて医師不足を認めた。医学部の定員は1987年から削減が開始され2004年には7.9%が削減された。おかしいことには医師の年齢の上限を定めていない。医者は死ぬまで現役らしい。この検討会で医師の削減が織り込まれてきたのは、高騰する医療費を抑制したいという政府・財界の基本方針があったからだ。しかし2005年の「医療制度改革大綱」には地域、診療科目の医師不足を認め医学部定員の地域枠の拡大を認めた。

地域での医師不足でいつも話題になるのは初期臨床研修制度で医者が都市部を選択するからだと云うことにされている。日本の医者の数は本当に満ちているのだろうか、不足しているのだろうか。OECDがまとめた人口1000人あたりの医者の数はOECD平均は2.9人で、日本では2.0人である。日本は下から4番目である。概してアングロサクソン系国では医師数は2.0−2.5人と少なく、欧州では3−4人と多い。日本はアメリカやイギリスよりも少ないのである。医療はまさに労働集約的であるので、高価な検査機械がたくさんあるから医者の数は少なくてもいいというわけにはゆかない。厚生労働省統計データベース最新版によると、日本には医者は27万人いるが、医療施設従事者は25万7000人である。大学教育研究者を除いた一般病院と診療所の医師は21万3000人である。現役で働ける年齢(30歳から65歳未満)の医者の数は16万人である。

第2章:なぜ医師は不足したのか

現在の医者の年齢分布を見ると、40−44歳区分を最大にして、高齢者医師数が減少するのは仕方ないとして、若年年齢層の医師数が減少しており、25−29歳の医者は3割ほど少ない。年金問題における人口分布を見るように、将来にはあきらかに医師数が減少するのは目に見えてくる。どうしてこうなったのかは、昭和23年の医療法の「人員配置標準」にある。病院が配置しなければならない医師の最低人員数は一般病床・感染病床・結核病床で入院患者16人当たり医師1人、精神病床・療養病床で48人当り医師1人、外来患者48人あたり医師1人と決められた。これに基づいて最小限必要な医師数を人口1000人あたり医師1.5人を1985年までに達成するという目標が立てられ、全国に80大学医学部が設立された。この目標を達成した国は早くも1986年には医師の数を1995年をめどに最小限10%削減するという方針転換をした。医学部の定員は2004年で7625人まで減らされた。人員配置標準に照らした最小限医師数を達成したら、これが上限であるかのように減少策に転じたのである。数字の上で最少医師数で満足したのである。ところが医者の仕事は医療科学技術の進歩でどんどん増えているのである。最近は検査技術の高度化多様化、高度医療・手術技術の増加、インフォームドコンセンスとか安全管理などで医者は多くの時間を取られている。昭和23年とは比較にならないほど医療業務は質的に複雑化しているのである。厚生労働省の官僚には昭和23年の法律の数値(最小限)が金科玉条のように支配しているのである。しかも最小限が上限にすりかえられているのである。

さらに地方自治体の病院財政難が襲いかかった。自治体病院全体で毎年7000億円以上の税金が補助金として国と地方自治体から交付され、累積赤字は2006年で1兆6000億円にも達している。地方自治体病院は医師不足と財政赤字に直面した。政府は医療改革の一環として入院日数の短縮に乗り出した。医療費の抑制のためである。1993年までは日本の一般病棟の平均入院期間は35日であった。欧米では1週間から2週間である。2005年には入院期間は20日を切った。入院期間が半分になればベッド数は半分となって医師数は半分でいいのだろうか。そうではない、患者数が減らない限りベッド回転数が上がるだけで、実は医師の仕事は2倍に増えるのである。人気のない病院だけがベッドの回転数が減るのである。人気のある病院とそうでない病院の格差がはっきりするのである。レベルの低い地方の中小病院の入院患者が減りさらに経営が悪化する。入院患者数は1993年に1063万人であったのが、2005年には1334万人と25%も増えている。ベッドの回転数を上げても入院患者数は増え続けている。入院患者数の増加に医師の増加が追いついていないどころか不足感が増加している。

第3章:2025年にはどうなるのか

2025年という時期は団塊の世代が後期高齢者(75歳以上)の仲間入りをする頃である。その頃には日本の医療制度はどうなっているのだろうか。2004年度において健康保険の総医療費支払額は32兆1111億円で、医師が直接関与した一般診療医療費は24兆4000億円であった。日本の診療医師数は25万7000人であるので医師一人あたりの医療費は約9500万円、つまり約1億円である。一般診療医療費はここ数年殆ど変化はない。それは厚生労働省が医療費の単価(保険点数)を操作して抑制しているからである。さて問題は厚生労働省が2025年の総国民医療費は65兆円位なると予測している。日本医師会は49兆円と予測している。厚生労働省の見方は国民を脅かしてさらに医療費を抑制する世論を作るためにオーバーに言っている可能性がある。医師の数は毎年3500−4000人の増加を見込んでいるので、2025年には31万人と予想されるので、将来の医療サービス内容がそれほど変化しなければ医療費は31万人×1億円/年=31兆円/年である。これには歯科と薬局調剤医療費がさらに10兆円加算されるので、合計41兆円が総国民医療費と予測されるのである。つまり厚生労働省予測の65兆円の医療サービスは医師数の限界から提供できないことになる。さらに医師の人口分布から予測すると2025年には医師数は30%減少する。医師が不死身で永遠に現役であればいいのだが、人並みに衰え死んでゆくのだから仕方ない。2025年には高齢者の数は30%増えるという人口学の推計があるので、2025年には患者あたりの医者の数は半減するかもしれない。長期的に見れば、病院の外来は廃止する可能性が検討されている。今後大病院や専門病院には外来診察を行わず、入院と専門外来に特化する方向を厚生労働省は考えているらしい。日本の外来患者数は2005年で一日あたり582万人、2025年には700万人から750万人に増加すると予想される。医者のはしごやドクターショッピングは当然不可能となる。

第4章:イギリスの状況

イギリスなどアングロサクソン族国家の医者の数は日本並みに少ない。人口1000人当り医師数は2.0人から2.5人である。日本は国民皆保険制度をとっているが、イギリスでは全額税金で賄う制度である。自己負担もない。国が管理するNHSというシステムで殆どが国営病院である。開業医(掛かりつけ医師)は一般医GPと呼ばれている。自分が指定したGP以外の診察を受けることは出来ない。いきなり病院へ行く事も許されない。GPが診察して必要なら紹介状をもって専門病院に行くのである。1980年代のサッチャー政権での医療切り捨て政策のため深刻な医師不足と病院不足となった。1997年のブレアー政権でかなり医療の立て直しを行ったが、それでも医師不足は深刻で、三重の待機リストが必要である。GPの診察までに数日待機して、GPに紹介状を書いてもらって病院の専門医を訪れても数週間から3ヶ月の待機が必要である。2007年度で96万人が待機している。専門医に診察してもらって入院となればさらに数ヶ月のベッド待ちである。

中尾武彦著 「アメリカの経済政策」 で述べたが、アメリカの医療制度には国民皆保険制度は存在しない。民間医療保険に加入するか、大企業なら医療保険が完備しているが、公的な医療保険としてはメディケアとメディケイドがある。アメリカの医療制度の問題点は以下の財政問題に要約される。「予算教書による長期的な連邦財政の見通し(対GDP比)を見ると、歳入を2006年度の実績(18.3%)が続くという前提である。裁量的支出を4.8%に減らして、義務的支出(年金、メディケア、メディケイド、他)は2005年10.8%から一貫して増加し2050年には15.5%を見ている。2012年度に黒字に転換する予定の財政収支は再度悪化し2050年にはマイナス4.7%となる。これは義務的経費の節減策を実施した上の見通しである。年金などの財政支出増加は日本でも同じ問題である。医療に関しては人口の15%に上がる無健康保険者の問題は深刻である。アメリカでは2億人が高い民間の健康保険に頼らざるを得ない状況である。国民皆健康保険制度をとっていないのは先進国ではアメリカのみである。社会保障制度を民間に放置する事が国民福祉にとっていいことなのかどうかアメリカ社会の問題の根は深い。」まさにアメリカには住みたくない。ドイツ、フランスなど欧州の国に医師数は豊富であり、ドイツでは医療費のほぼ全額は公的医療保険から支払われる。フランスは日本と同じく国民皆健康保険制度をとっている。

第5章:日本の医師不足対策

将来の日本の医師不足は決定的である。医師を増やす方法はあるのだろうか。それにはイギリスのブレアー政権が行ったように、医学部の定員を増やす、国外から医者を輸入する、患者を海外へ送るの三つしかない。急激な医学部定員増は不可能である。せいぜい年1000人程度の医者の増員が出来る限界であろう。それでも焼け石に水である。第2,第3の方法は現実的でない。看護婦の輸入が考えられている程度だ。日本の医療費は世界的に激安で、1/3-2/3の料金である。これでは医療レベルの高さからして逆に患者が海外から押し寄せる。ということでいまのところ妙案はない。政府には期待できない。自衛策として各人が病気にならないこと、些細な事で病院にはいかないことである。かかりつけの町医者の範囲で一生すごせたら病院へ行かなくてもいいのである。


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