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茂木健一郎著 「すべては音楽から生まれるー脳とシューベルト」

 PHP新書(2008年1月)

音楽体験とクオリア 生命の本質に迫る

NHKのドキュメンタリー番組「プロフェショナル」の司会者茂木健一郎氏。いまさら茂木健一郎氏の紹介はないだろうとは思うが、念のため最低限の紹介をしておく。茂木 健一郎(もぎ けんいちろう、 1962年10月20日 - )は、東京都出身の脳科学者(理学博士)。ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員、東京工業大学大学院連携教授。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係(心脳問題)を研究している。また、脳と神経に関する一般読者向けの解説書を多く執筆し、テレビ番組や雑誌、週刊誌などマスメディアでも積極的に活動している。テレビ番組の司会やコメンテーター、文芸・美術評論家としても活動している。専門の脳科学とは異なる領域での評論であるため、茂木の文芸・美術評論姿勢には賛否が分かれる。日本放送協会のテレビ番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」でパーソナリティーを務めるようにもなり、広くお茶の間にもその顔を知られる存在となった。また、ソニーという民間企業の研究所に所属していることから、携帯ゲーム機プレイステーション・ポータブル用ソフトの監修や、ソニーの高級AV機器ブランドQUALIAのコンセプターも務めている。近年では、研究者としての研究活動よりも、書籍の執筆やテレビ出演など啓蒙活動が目立つ。茂木は、閃きや気づきの瞬間に「あっ!」と感じる体験を「アハ体験」として紹介している。アハ体験は、脳を活性化するという。「アハ」 (aha) は英語の間投詞で、「ああ、なるほど」といった意味に相当する(なお、a-ha experience という英語表現は以前から存在するもので、茂木の独創ではない)。人はアハ体験の瞬間に、わずか0.1秒の間に脳内の神経細胞が一斉に活性化するという。「誤解を恐れずにいえば」という前提ではあるが、アハ体験とは、わかった瞬間に頭がよくなる体験であるともしている。また尾崎豊をたいへん高く評価しており、特に歌詞に関しては「文学賞をとってもおかしくない」とコメント。NHKで放送されたプレミアム10「尾崎豊がいた夏」ではゲスト出演している。

ただ私は脳科学の専門家ではないので、茂木健一郎氏の研究の位置づけや他の学者からの氏に対する評価は知らない。今回出された本はクラシック音楽に関する本でしかも副題が「脳とシューベルト」と云うので,興味を持って読んでみた。結論は特別に現在の脳科学が新しい科学的知見からクラシック音楽体験を分析したり、音楽の秘密に迫ると云うほどのものではなかった。たしかに音楽体験はCDであれ、劇場であれ、人生の質に関るなんらかの感動を生み出すことは確かである。これを茂木氏はクオリアと云う。茂木健一郎は「意識とはなにか」ちくま新書(2003年10月)と云う本のなかで、次のように述べている。
「個体のクオリア(質感)、それを感じる<私>という主観性の構造は様々な文脈を反映しつつダイナミックに変化する脳神経活動のネットワークによって、同一性を維持し世界を把握するものである。一般的にさまざまな関係性、文脈が反映されたあるものの認識の結果をユニークな質感として把握する脳・意識の働きである。つまり「透明感」というものをある空間の広がりの中の色の関係性をコンパクトな質感に反映させた結果として捉えることである。」とクオリアを定義する。そしてクオリアと同一性 について次のように云う。
「普段生活に追われて何も考えていないのが普通の人の生活であるが、ひとたび周りのものをよくみると実に不思議な存在であることに気がつく。それは実にいとおしいものであったり、意味がわからくて不安に陥れられるものであったり、自分の幼児期の懐かしい思い出につながった景観であったりする不思議の国に誘惑されるものだ。氏は「世界の森羅万象がまさにこのように存在すること、すなわち<あるもの>が<あるもの>であること(同一性)の不思議さ」とか「私たちが世界について把握できるものは、結局自分の中で<あるもの>として捉えられものだけであるという人の意識「自我・私の起源)」の不思議さをプロローグとして提示される。私たちが何気なしに見ているもの、何気なしに使っている言葉には心の中でひとつのユニークな質感として立ち上がるクオリアによって構成されている。それ以外の何物でもないという存在感が基礎になっている」 という。意識を生み出す脳 −「私」とクオリアの起源ー において次のように言及する。
「一番大切なことは、クオリアも<私>も世界の中で最初から存在するものでなく、脳の神経活動を通して生み出される(生成される)物であるという事実を認識することだ」という脳の成長能力を指摘される。幼児の母親や他人を認識する能力の形成(つまり敵か味方か)は学習と呼ばれる。ヒトは学習によって、かかわりの中で脳が自律的にイメージを生成させてゆくのである。このような生成プロセスを支える脳内プロセスは大脳辺縁系を中心とする情動系(報酬系を支える扁桃核)や前葉頭の前頭眼窩皮質の役割が注目されている。近年の脳科学の知見によると、脳の自発的(自律的)活動によって、外界から刺激が入力された時に喚起される情態が既に用意され存在しているようだ。これをクオリアのレパートリーの準備という。」

評論家小林秀雄氏も音楽に造詣の深い文章を書かれている。新潮社「小林秀雄全作品」より第15巻『モーツアルト」より小林氏のモーツアルト考を聞いてみよう。小林秀雄氏が始めて音楽関係に口を出した記念すべき文章である。文章は平易で彼独特の捻りや嫌味は少なく分かりやすい。その代り内容が少ない。これは氏の音楽的知識の不足にもよるが、結局音楽は言葉では伝わらないという当たり前の理屈に従ったまでのことである。書簡や伝記をいくら詮索しても音楽の周辺をうろうろするだけで、音楽の心髄に迫れるわけも無い。モーツアルトの手紙をいくら解析してもモーツアルトの痴呆性が見えてくるだけである。その痴呆性は創造のテンションがなせる業に過ぎないので、まともに取り付く必要は無いといった代物である。なぜか絵画は文学が侵入しやすい領域である、特に現代絵画はその狙いを口で言ったほうが早いような抽象画に毒されて以来、文学の植民地化したといえる。音楽とくにクラシック、ジャズなどはもう言葉が進出できる領域ではない。音楽は絵画の色感覚と同様に、言葉ではなく人の感覚の領域に存する。ただひたすら聴くことが理解の早道である。では小林氏の文章は無駄な努力に相当するのだろうか。いよいよ小林氏の本文に入ろう。小林氏の論点は幾つかある。美と様式について「美と呼ぼうが思想と呼ぼうが、要するに優れた芸術作品が表現する一種いい難いあるものは、その作品固有の様式と切り離すことが出来ない。」、「モーツアルトの悲しさは疾走する。低音部の無い彼の短い生涯を駆け抜ける。」、モーツアルトの音楽の魅力について「モーツアルトの単純で真実な音楽は僕らの音楽鑑賞の試金石であるといえる。」、「モーツアルトの美しいメロディは実は一息で終わるほど短い。心が耳と化して聞き入らなければ、ついて行けぬようなニューアンスの細やかさがある。一度この内的な感覚を呼び覚まされ、魂のゆらぐのを覚えた者は、もうモーツアルトを離れられない。」など頷ける論である。

茂木健一郎著「すべては音楽から生まれるー脳とシューベルト」という本は、所謂音楽関係書のなかではどのようなジャンルに属するのだろうか。私が読んできた音楽関係書80冊(2008年3月まで)のリストを下に示す。初めに言ったように本書は脳科学の成果の本ではない。現在の脳科学が新しい科学的知見からクラシック音楽体験を分析したり、音楽の秘密に迫ると云うほどのものではない。脳科学の用語は使用しているが、ある事を証明しようとする科学的論理展開はない。音楽家の歴史的意義や新しい音楽様式などを論じた音楽史の本ではない。音楽家の生涯を著した伝記風の本でもない。ある特別な音楽分野や音楽家の全作品を系統的に論じた教科書でもない。ましてCDや録音技術・再生技術を評論したものではない。まさしく小林秀雄氏といった文士が時に触れて感じた音楽との出会いを随筆風に著した分野である。茂木氏はその音楽との出会いを個人の生命の充実に必須な「質感として立ち上がるクオリア」として捉えようとしている。感激、刺戟、興奮、示唆などと云う人生を豊かにするイベントである。或いはそれが人生そのものであるかもしれない。人生の本質だと言い切るのである。

1、磯山 雅 「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」  東京書籍(1985)
2、磯山 雅 「J・Sバッハ」  講談社現代新書(1990)
3、大村恵美子 「バッハの音楽的宇宙」  丸善ライブラリー(1994)
4、大角欣矢・加藤浩子  200CD「バッハ名曲・名盤を聞く」 立風書房(2000)
5、フォルケル著柴田冶三郎訳 「バッハの生涯と芸術」 岩波文庫(1988)
6、井上太郎 「モーツアルトのいる部屋」 ちくま学芸文庫(1995)
7、井上太郎 「わが友モーツアルト」 講談社現代新書(1986)
8、柴田冶三郎編 「モーツアルトの手紙上・下」 岩波文庫(1980)
9、吉田秀和 「レコードのモーツアルト」 中公文庫(1975)
10、ドン・キャンベル 「モーツアルトで癒す」 日本文芸社(1999)
11、200CD「モーツアルト」 立風書房(1997)
12、渡邊学爾・石井宏 「モーツアルト名曲名盤」 音楽の友社(1991)
13、ロマン・ローラン著片山敏彦訳 「ベートーベンの生涯」 岩波文庫(1938)
14、諸井三郎 「ベートーヴェン」 新潮文庫(1966)
15、五味康祐 「ベートーヴェンと蓄音機」角川ランティエ叢書(1997)
16、アルマ・マーラー著石井宏訳 「グスタフ・マーラー」中公文庫(1987)
17、ドビュシー・平島正郎 「ドビュシー音楽論集」 岩波文庫(1996)
18、ミシェル・シュネデール著千葉文夫訳 「グレン・ブールド孤独のアリア」 ちくま学芸文庫(1995)
19、フィッシャー著佐野利勝訳 「音楽を愛する友へ」 新潮文庫(1952)
20、フルトヴェングラー著芳賀檀訳 「音と音楽」 新潮文庫(1976)
21、ドナルド・キーン著中矢一義訳 「音楽の出会いと喜び」 中公文庫(1992)
22、ドナルド・キーン著中矢一義訳 「わたしの好きなレコード」 中公文庫(1987)
23、俵孝太郎 「CDちょっと凝り屋の楽しみ方」 コスモの本(1993)
24、五味康祐 「音楽巡礼」 新潮文庫(1976)
25、吉田秀和 「私の好きな曲」 新潮文庫(1985)
26、吉田秀和 「この1枚」 新潮文庫(1992)
27、吉田秀和 「世界のピアニスト」 新潮文庫(1978)
28、吉田秀和 「ヨーロッパの響き・ヨーロッパの姿」中公文庫(1988) 
29、吉田秀和 「1枚のレコード」 中公文庫(1973) 
30、吉田秀和 「今月の1枚CD・LD36選」 新潮社(2001)
31、中村紘子 「ピアニストという蛮族がいる」 文春文庫(1995)
32、中村紘子 「チャイコフスキーコンクール」中公文庫(1991)
33、茂木大輔 「オーケストラ楽器別人間学」 草思社(1996)
34、茂木大輔 「オーケストラは素敵だ」 音楽の友社(1993)
35、中野雄 「丸山真男 音楽の対話」 文芸新書(1999)
36、中野雄 「ウィーンフィル音と響きの秘密」 文芸新書(2002)
37、小坂裕子 「ショパン知られざる歌曲」 集英社新書(2002)
38、宮城谷昌光 「クラシック千夜一曲」 集英社新書(1999)
39、許光俊 「生きていくためのクラシック」 光文社新書(2003)
40、皆川達夫 「バロック音楽」 講談社現代新書(1972)
41、皆川達夫 「中世・ルネサンスの音楽」 講談社現代新書(1977)
42、皆川達夫 「ルネサンス・バロック」 音楽の友社(1992)
43、宇野功芳 「クラシックの名曲・名盤」 講談社現代新書(1996)
44、宇野功芳 「交響曲の名曲・名盤」 講談社現代新書(1991)
45、宇野功芳 「協奏曲の名曲・名盤」 講談社現代新書(1994)
46、200CD「バイオリン」 立風書房(1999)
47、200CD「ウィーンフィルの響き」 立風書房(1997)
48、砂川しげひさ 「聴け聴けクラシック」 朝日文庫(1993)
49、志鳥栄八郎 「憂愁の作家チャイコフスキー」 朝日文庫(1993)
50、志鳥栄八郎 「クラシック名曲物語り集成」 講談社文庫(1993)
51、神保m一郎 「クラシック音楽鑑賞事典」 講談社文庫(1983)
52、松本矩典 「オペラ名作名演全集」 講談社文庫(1995)
53、200CD「オペラの発見」 立風書房(1997)
54、山田治生ほか 「オペラガイド126選」 成美堂(2003)
55、池辺晋一郎 「バッハの音符たち」 音楽之友社(2000)
56、池辺晋一郎 「モーツアルトの音符たち」 音楽之友社(2002)
57、鈴木淳史 「クラシック名盤ほめ殺し」 洋泉社(2000)
58、玉木宏樹 「音の後進国日本」 文化創作出版(1998)
59、諏訪内晶子 「ヴァイオリンと翔る」NHKライブラリー(2000)
60、樋口隆一 「バッハ」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1985)
61、田辺秀樹 「モーツアルト」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1984)
62、平野昭 「ベートーベン」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1985)
63、前田昭雄 「シューベルト」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1993)
64、土田英三郎 「ブルックナー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1988)
65、森田稔 「チャイコフスキー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1986)
66、三宅幸夫 「ブラームス」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1986)
67、遠山一行 「ショパン」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1988)
68、船山隆 「マーラー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1987)
69、三光長治 「ワーグナー」 カラー版作曲家の生涯 新潮文庫(1990)
70、小宮正安 「ヨハン・シュトラウス」 中公新書(2000)
71、佐久間 俊 「音楽三昧放浪記」 誠文堂新光社(2005)
72、佐久間 俊 「続直熱管アンプ放浪記ー失われた音を求めて」 誠文堂新光社(2002)
73、佐久間 俊 「直熱管アンプの世界ー失われた音を求めて」 誠文堂新光社(1999)
74、山口 孝 「ジャズオーディオエイクアップ」 誠文堂新光社(2004)
75、寺島靖国 「ジャズオーディオ快楽地獄ガイド」 講談社(1998)
76、菅原正二 「ジャズ喫茶ベイシーの選択」 講談社α文庫(2001)
77、後藤雅洋 「ジャズの名演・名盤」 講談社現代新書(1990)
78、内藤遊人 「はじめてのジャズ」 講談社現代新書(1987)
79、岡田暁生 「西洋音楽史」 中公新書(2005)
80、茂木健一郎 「すべては音楽から生まれるー脳とシューベルト」 PHP新書(2008)

本書は科学書ではないので、気楽に流し読みが出来る。論理の積み重ねを要求していない。サーと流して一時間も必要ないような本である。「音楽の体験を積み重ねることこそが、生きることの充実につながる。音楽的なる事は生命の躍動につながる」ということである。本書の副題となっている「脳とシューベルト」と云う題は、真剣にうけとる必要はない。そんな事は本書の何処にも書かれていない。本屋のキャッチコピーに過ぎない。シューベルトが何故茂木氏にとって重要なのかは私達には関係ないのである。とは云うものの本書のいたるところにちりばめてある印象的な言葉を拾っておくことは無益ではないだろう。

*1992年シノーポリ指揮によるシューベルトの「未完成」交響曲第8番が茂木氏の魂を揺さぶった。生きていることは(ライブ演奏)とは二度とない未来に向けて自分自身を投げ出す行為なのである。
*音楽の前には何も云うすべを持たない。分からない事はわからないままにしておくと云う釈迦の「無記」に通じる思想である。一切の答えを拒否する。
*音楽鑑賞途は非常に創造的な仕事である。心が脳と云う空間から開放される過程である。モーツアルト効果はニューロンの活性化に役立つのかも。
*人間は本来観念と云う抽象的なものに動かされる存在である。何故そんな物を抱え込むのかと云う人間の闇の部分、無意識な部分を音楽は表現する。
*神経細胞の活動に過ぎない意識と云うものが、私独自の感覚を生み、私もクオリアもひいては私が知覚するすべての現実が意識によって生まれたものである。
*音楽のリズム、旋律、速さなどは生命体そのものである。


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