080315

橋本治著 「日本の行く道」

 集英社新書(2007年12月)

今の日本の社会はどっかおかしい もうひとつの選択肢があってもいいよな

いまさら橋本治氏の紹介をするまでもないが、若し知らない人のめに蛇足の紹介をする。東京都杉並区出身。アイスクリーム屋の息子に生まれる。大学在学中に、「とめてくれるなおっかさん 背中の銀杏が泣いている 男東大どこへ行く」というコピーを打った東京大学駒場祭のポスターで注目される。イラストレーターを経て、 1977年の小説『桃尻娘』(第29回小説現代新人賞佳作)を振り出しに、文筆業に転じる。該博な知識と独特な文体を駆使して評論家・随筆家として活躍する一方、古典文学の現代語訳・二次創作にもとりくむ。著作では「窯変源氏物語」、「「ひらがな日本美術史」、「双調平家物語」、「三島由紀夫」、「蝶の行方」などが有名である。

橋本治氏は日本文学の文芸評論家かと思っていたが、最近社会問題への関心を示した二冊の本を読んだ。同じ集英社新書から、橋本治著「上司は思いつきでものを言う」と「乱世を生きる−市場原理は嘘かもしれない」である。今回読んだ「日本の行く道」も産業革命以来の日本の近代化の歴史を点検するもので、全二書と同じような現代文明評論である。簡単に振り返って纏めておくと、本書にも同じような現代の切り口が見えてくる。

橋本治著  「上司は思いつきでものを言う」 集英社新書(2004年4月) ー日本社会の閉塞観ー

本書はサラリーマン社会の心理や欠点を笑う書かなと思いきや、バブル崩壊以降の会社という組織、日本社会の閉塞観や手詰まり感を解きほぐす書物である。いわば会社社会論から日本経済を論じたものだ。「上司は思いつきでしかものがいえない」組織的な欠陥について考察を回らす。私は会社という組織に38年間もいた。私は高度成長期に入社した。時代を回顧しますと、給料がどんどん上がる高度成長期に石油ショックを二回も経験してそれを乗越え、日本経済は1980年代に「JAPAN AS NO1」と世界第二の経済大国の地位を得た。そしてバブルの狂乱の昭和が終わって平成になるとバブルは崩壊した。それから会社の不良採算部門の切り捨て・賃金低下・就職氷河期の不況期が10年近く続きましたが、軽薄短小の企業体質の改善と何回かのIT景気のおかげで、21世紀には大企業は持ち直し現在の好況に至った。ところが建設業界や金融資本は実に長く不良資産に苦しみ、証券会社・銀行などが倒産した。この激変期での最も大きな変化は企業の再編成とグローバル化(大資本への傾斜)でした。小売商店は殆ど壊滅し、町にはゴーストタウンになったところが多い。東京一極集中で地方は公共工事がなくなって疲弊し、地方自治体の借金倒れが進んだ。格差社会が進んで貧困化層が増大し、日本社会はズタズタに切り裂かれ再構築が叫ばれている。 本書の構成をみると、第一章で日本の会社社会の停滞を「上司は思いつきでものをいう」という文句ではじめる。第二章で会社の中の上司と会社という組織の構造的問題を社会科学論的に述べ、第三章で「下から上へ」がない組織はつぶれるという、市場に立つ企業では当たり前すぎることを得意そうに述べ、第四章では会社組織の序列を儒教からみた日本歴史から解説するいわばおまけの章である。

橋本治著  「乱世を生きる−市場原理は嘘かもしれない」 集英社新書(2005年11月) −バブル崩壊後何が起きたんだろうー

橋本氏は「今の日本の社会のありかたはおかしい」という。これが「負け組」のひがみでなく、経済的貧富の差を固定化する方向がおかしいというのである。「不必要な富を望まない選択肢だってある」というような痩せ我慢を主張するようでもあり、氏の論旨の持って行き方は大変面白いのだが、「負け組の言うことは聞かないという日本社会の方向がめちゃくちゃだ」ということが氏の入り口になっている。とにかく現在の世界を動かしているのは投資家だということは事実のようだ。別に現在だけでなく昔から投資家はいた。1980年代に日本の生産力は世界一になって、輸出先と投資先は飽和しもう何処へ投資していいか分らなくなったのだ。アメリカの要請もあって、日本は内需を喚起すべくリゾート法などを作って土地価格の上昇は無限だという神話に埋没した。もう完全にあの時は狐がついていたのだ。狂ったように土地に投資した銀行・不動産などは昭和の終わりと同時にはじけた。これをバブル崩壊という。時を同じくして東欧・ソ連邦の社会主義国が崩壊し冷戦は終わった。アメリカの軍需産業は縮小統合の時代になって経済の氷河期に落ち込んだ。アメリカは日本の生産力と冷戦終結というダブルパンチによって死に体から必死の脱出策を講じた。それが金融資本主義(投機資本主義)によって、世界(ロシア、東南アジアと日本・韓国など)から蓄積を略奪する方向へ向かい、各国へ破壊ビジネス(ヘッジファンドM&Aや規制緩和)を仕掛けていった。方向を見失った日本の金融資本はめぼしい投資先もない状況で、アメリカの要求通りに金融ビッグバンを実施して、デフレスパイラルに陥った。金を貸す相手がいないので金利はどんどん下って、金が流通しなくなった。経済は流れていなくてはならない(自転車操業とは違うが)それが流れないのだから閉鎖観や「何にも出来ない」手詰まり観が支配したのだった。そこで橋本氏独特の(経済学者ではないので)方向みたいなものをいう。「経済はもう満杯になったのだから、そこから出るにはもう経済の発展を考えても仕方がない。ただ人間には我慢する力が残っているだろう」と。

橋本治著 「日本の行く道」 集英社新書(2007年12月)  −近代化の行き着いた先 もうひとつの選択肢をー

本書「日本の行く道」の言い分はあるいは 「乱世を生きる−市場原理は嘘かもしれない」に述べられた事の言い替えかもしれない。バブル以降の平成時代に入ってからの経済社会状況は前二書に述べていることである。では本書はどこが違うのかと云うと、出口は分らないが「近代化以前の 選択肢も考えてみよう」ということであろうか。しかし著者がそんな時代錯誤なことを正気で云うわけはないし、これはギャグだと理解したうえで著者の本当にいいたいことは何かを考えてゆこう。あるいは現代文明はそこまで狂っているので、到底尋常な「改革」はこれまでのレジームと同じ位相に過ぎない、キリスト再来でしか地球は救えないと云うつもりなのだろうか。本書は「今の日本はどこかおかしい」からはじまります。現役で働いている人もなにか違和感を覚え、老人も不安を覚えています。これが「現代の疎外感」である。本書は「地球温暖化問題」を近代産業革命以降人間の生活活動の結果とみなして、近代の超克と云う選択肢を考えるのだ。第一章で子供のいじめと自殺、第二章で高度経済成長期以降の団塊の世代と教育問題の歴史を、第三章で明治維新以降の日本の近代化と経済発展と、行き着いた先からの突拍子もない解決策を、第四章で古きよき「家の生産システム」を考察するのである。では橋本治氏のいい分におつき会いいただきましょうか。

第一章 「子供の問題」で「大人の問題」を考えてみる

子供のいじめと自殺と云う問題は実は過去の問題が全て積み重なった今の問題である。そしてそれは子供の問題であると同時に大人の世界でも背景を同じくする問題である。いじめは昔からあったが自殺はなかった。子供の頭の中が急速に大人になって自殺と云う複雑な手段を弄するようになったのである。そして遺書まで書くのである。最も哀れなのが自分の親による虐待の事実である。子供は自分の存在は親から守られるものと信じている。親から虐待を受ければ子供の存在が否定されるようなもので虐待を認めようとしないから悲惨である。いじめも学校と云う環境での虐待すなわち自分の存在の否定である。遺書を書いて抗議する子もいる。昔の「いじめっ子」はじつは学校から疎外された子供が学校の良い子をいじめるので、学校の先生に訴えれば保護された。子供を保護する親のいる家とおなじである。ところが今のいじめは友達全員であるので学校では逃げようがない。先生までいじめの側にまわることがある。逃げようがないので自分を消すという行為になる。これが自殺である。いまや日本は毎年3万人の人が自殺する「自殺大国」になっている。自殺は交通事故死以上にありふれた現象になった。ネットで「自殺サイト」ができて、「みんなで死ねば怖くない」と云う風潮も生まれている。これは今の社会で「人間性と云う価値」が無視され、安い歯車のひとつで人間関係が稀薄で孤立しているように感じられるからである。無論リストラによる経済的貧困、ワーキングプアーという労働問題、ストレス・過労によるうつや精神疲労などが重なっている。人を食って生きる人種と人に食われる人種がいる事は確かであるが、食われる側にセーフティネットと云う助け合いが不十分であるかもしれない。都会における人間関係の崩壊も大きな要因である。

第二章 「教育」の周辺にあったこと

昔いた「いじめっ子」、「不良」は何処へいったのか、いついなくなったのだろうか。いじめっ子には貧しい家庭や職人の子が多かった。彼らは学校では存在価値がない鼻つまみ者でも、学校の外では徒党を組んで暴れるヒーローの世界を持っていた。それは前近代的な社会であったかもしれない。それは「他者が他者でいて平気な社会」である。画一化されていない歪なバロックの世界である。だから彼らがいなくなったのは高度経済成長期である。昭和30年代おわりから40年の「団塊の世代」からである。金の卵といわれて集団就職で上野駅に着いた中学卒の時代から、経済成長で社会は豊かになり進学率は高くなって受験戦争が始まった。その世代は1970年には大学闘争、第二次安保闘争、赤軍派などを生み出し左翼学生運動のエネルギーが爆発して壊滅した。その時代大学は大衆化し就職の窓口であった。親の学校への理解は単純で学校=受験で、子供は受験に追い込まれた。1970年代前半の経済成長期は実は子供達がストレスを溜め込んでゆく時代で、「家庭内暴力」で鬱積した感情を表現した。「家庭内暴力」は深化して「家庭内殺人」に変わった。高校では「ツッパリ」、「ヤンキー」という学校に適合できない高校生も増えた。1980年代は尾崎豊に象徴される「荒れる学校」である。1977年授業時間の削減が決定されて以来、学校5日制や「ゆとり教育」が強調された。激烈な受験勉強を意味のないことと感じ始めた子供達の中で、エネルギーの不完全燃焼が「学級崩壊」をひきおこし、「陰湿ないじめに熱中」と云う変な事態を生んだのかもしれない。ところが21世紀になって「ゆとり教育」が「学力低下」を招いたとして、今度は授業数の増加が叫ばれている。かくかように生徒たちは世の中の動きに翻弄されているのだ。

経済成長期は「一億総中流」を目指すといわれたが、バブル崩壊後1990年代後半より国民の間に格差が生まれている。「格差社会」は流動的・相対的かと思いきや、実際は相互行き来のない「隔絶社会」になりつつある。あるレベルから外れたらもう生きて行きにくくなるのである。閉塞社会ともいわれる。世襲制は皇族と歌舞伎役者の特殊社会の事か思っていたら、政治家、タレント、官僚、役所職員にまで及んでいたのである。社会階層も着実に世襲されている。イギリスのような階級身分社会に近くなった。昔あった「貧乏人」という枠もなく、ワーキングプアーは社会から見捨てられるのである。「貧乏は賎しい事ではない。むしろ将来へのばね、団結のよりどころ」と明るく捉えていた貧乏人がいなくなった。彼らには絶望的な疎外感しかないのである。そして彼らに浴びせられる言葉は「自助努力」、「自己責任」という切り捨てです。生活保護の打ち切りで餓死した人がいました。「自立の意志あり」で「支援の必要はない」にすり替わるのだ。これは悪質な誘導質問である。「自立=自己責任=切り捨て」と云う悪意に満ちた三段論法である。

第三章 いきなりの結論

この章は「産業革命前に戻せばいい」と云うむちゃくちゃな結論から開始される。勿論ギャグと思いますが。その理由の一つが地球温暖化が「産業革命以来の人間の生活活動の結果である」から「産業革命以前の段階に戻せばいい」と云う「売り言葉に買い言葉」のヤクザな連鎖反応である。なんか著者は悦にって大真面目に異論を書きまくっていますが、現実味のない話です。その辺はカットして本当は何が言いたいのだろうか。多少は現実味があると「1960年代の前半に世界を戻せ」と著者は云う。つまり高度経済成長以前の東京オリンピック時点の社会である。超高層ビルを破壊せよとか、中国の経済発展をからかってやれとか、江戸時代的な生活とかどれもこれもむちゃくちゃな意見であるが、「人のあり方を考える事のほうが、進歩や繁栄を考えるより重要だ」と云う文明批判である。井上ひさし的な面白さである。

日本の中央集権制幕藩政権である徳川幕府は鎖国をしいて250年の平和を謳歌しますが、植民地を求める西欧列強が襲い掛かるとあっさりと開国をして、兵器の近代化に勤めた「薩長藩閥政権」のクーデターに打倒されます。支配階層は武士である点は同じである。薩長は一度外国と戦争して負けた経験を持っているので、近代化政策(殖産興業と富国強兵)を国是とした明治新政権を樹立した。これは一つの選択だ。そして日本の近代化が始まった。日清・日露戦争、台湾・朝鮮併合、日中戦争から太平洋戦争と帝国主義の道をひた走った日本はアメリカに破れポツダム宣言を受け入れた。それから軍事的にアメリカにオンブにダッコしてもらって、今度はひたすら経済戦争を疾走して1980年代には日本は世界の勝者となった。アメリカから内需拡大を強制された日本は中曽根時代にバブルに突入して昭和天皇の崩御とともにはじけた。偉大な昭和が終焉したのである。その間アメリカはコンピュータと資本を武器にして経済を立て直し新たな経済支配者の位置を挽回した。日本は再度敗者となった。1990年から2000年初めまで経済氷河期を迎え、金融改革や規制緩和、行政改革でようやく息を吹き返した日本経済に(トヨタNO1)、つぎはアメリカの金融政策の失敗が襲い掛かり、また日本も不況に巻き込まれようとしている今日この頃である。日本の近代化過程をざっと振り返ったが、近代化と云うのは、産業革命と民主化の二つの側面がある。日本の政権は薩長藩閥政府からはじまって政権の中央にいたのは「元勲・元老」であった。「元勲・元老」が総理大臣を天皇に推薦し、天皇は任命するのである。したがって内閣総理大臣と云う行政の最高責任者は「元勲・元老」が選ぶので、帝国議会が内閣総理大臣を選ぶのではない。議会まして政党と云う存在は極めてあやふやな存在であった。民意は総理大臣には届かない。1934年には最後の元勲であった西園寺公望は「重臣会議」を設置して「総理大臣推薦システム」を創設した。したがって日本の総理大臣は民意から超越した存在であった。明治維新の「元勲・元老」が議会を軽んじるのはすでに自分の手足となる政府の「官僚集団」を持っていたからである。日本の官僚は議会から超越した総理大臣のために働くのである。忠誠は民意のほうではなく天皇を抱いた「元勲・元老」に向うのである。したがって日本の官僚もまた民意から超越していたのである。官僚は国家のためという前提に立って、国民に代わって考えるのです。決して国民のために考えるのではない。帝国憲法がなくなって日本国憲法になった今でも、官僚の頭には国民はない。この辺の権力機構の伝統は、飯尾潤著 「日本の統治構造」ー官僚内閣制から議院内閣制へーに委しくまとめてある。官僚はべつに聖人君子ではないので間違いだらけで、さらに悪い事に国民のチェックを受ける必要はないと思っている官僚の内閣はまさにやりたい放題の不祥事だらけである。国民が成熟しない限り官僚は腐敗と不祥事のし放題である。

いま我々は歴史を検討して、新しい選択肢を考えてもいいのではないかという時代にいる。人類にとって惰性となった「進歩」をもう一度考え直そうよと云うのが著者の言いたいことである。産業革命以来生産力は向上し「必要物を必要なだけ生産する」からはるかに超えた段階にきている。技術革新は更なる「需要をも創造」するのである。バーチャルな欲望を刺激して、ゲーム機が一大産業になるのである。日本の経済戦争の勝利は良い物をつくろうという職人根性にあったのだが、いまやそのレベルをはるかに超越している。金融工学という金を生み出すあらたな経済戦争が仕掛けられ、小国の国家予算などは一ヘッジファンドの動かす資金より小さい。「もういいんじゃないか」と云う発想も必要なのであろうか。

第四章 「家」を考える

昔から農業の場合、家は一つの生産システムであった。一生そこにいる場所が家であった。会社も一生そこにいる場所であれば、「家族的経営」とか「終身雇用」が生きていた時代もあった。終身雇用は日本が生み出した一つの文化である。安心と云うセーフティネットが動く場であった。ところが会社の規模が大きくなり、労働の熟練度が要求されなくなると、雇用が不安定になり、労働者が移動し始めた。そしてバブル崩壊後労働コストの切り下げから海外へ工場がシフトし、国内労働市場は危機に陥った。契約社員と云う制度によって格安で不安定な経営者にとって使い勝手のいい労働力が生まれた。こうして終身雇用を特徴とする日本的労働システムが崩壊した。家も家族が出て行ったり、激しく移動したら崩壊である。機械化・合理化によって労働の省力化が成功すると、農業も会社も人はいらない。東京と地方の関係も同じである。東京が労働力を吸収できるから地方から人がいなくなる。道路を作って地方の活性化と云うスローガンは、道路が出来たら地方から人がいなくなってかえって過疎化したという笑うに笑えない事態が現実となった。人が幸福になるための生産システムではなく、利潤が得られるための生産システムは人を疎外すると云う悲劇的な結果がもたらされた。


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