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富田俊基著 「財投改革の虚と実」

 東洋経済新報社(2008年1月)

財政投融資の実の改革は財投事業の見直しだ。市場原理に任せるのは政治の放棄

国家財政破綻とか言われてもう久しくなるが、一向によくなったと云う話も聴かないのですが何故日本国は破綻しないのでしょうか。国家財政の摩訶不思議で、民間企業は会社法で連結決算を義務つけられているが、国家は地方自治体と云う子会社を持っていて、三位一体改革といって地方に財源と債務を移譲しておりますが、地方自治体の財政はとっくに破綻しています。病院の廃止、健康保険の値上げ、住民税の値上げなど地方自治体の手に負えるものではないと思う。一体全体国家財政とはどうなっているのでしょうか。素人の私にはさっぱり分からない。自分の資産が全部ゼロですといわれて始めて気づくことなのだろうか。優秀といわれていた官僚に任せていた国家財政が危機的状況にあるようだがその実態がよく見えない。その疑問を解きほぐすために、先ず手ほどきに今年の一月新聞広告に出ていた、富田俊基著 「財投改革の虚と実」と云う本を買って読んだ。悲しいかな私は経済学部や法学部出身ではないので、しかも国家財政方針は政治が決めるので一筋縄では理解できないところがある。とかく財政改革とは政治問題と理解して与党を攻撃してしまうものだが、政策の優先順序が異なる民主党に政権が変わっても簡単に債務が減るとも思えない。自衛隊をなくすると云う選択をするくらいの劇的な優先順位の交代がなければと諦めの境地になってしまう。1990年バブルが破綻し不良債務処理と景気向上のために莫大な資金を使った。その時点で日本の国家財政は膨大な債務を背負った。債務解消のため橋本内閣いらい小泉内閣を通じて行政改革は何代もの内閣の天命であった。21世紀になってようやく日本経済は復興して財務基盤は改善され、これからが国家債務の償却の時期である。この辺で行政改革と財政改革の整理をしておく必要がある。そういう意味で本書は私の目を開かせてくれた。国家財政の構造・問題点について考える出発点を提供してくれた。

著者富田俊基氏は関西学院大学卒業後、野村総合研究所に入所され財務金融調査室長、政策研究部長、政策研究センター長、野村総研理事と一貫して野村総研の財政研究畑を歩まれた。2005年より中央大学法学部教授として転出された。政策通として数々の政府委員を務められ政府の政策決定に関ってこられた。
財政制度等審議会財政制度分科会・財政投融資分科会委員(2007年〜)
行政減量・効率化有識者委員(2006年〜)
国の債務管理政策のあり方に関する懇談会委員(2004年〜)
国債投資家懇談会委員(2002年〜)
政策評価・独立行政法人評価委員会委員(2001年〜)
主な著書には「財投解体論批判」(1997年)、「日本国債の研究」(2001年)、「経済政策の課題」(2004年)、「国債の歴史」(2006年)などがある。

財投(財政投融資)とは、国の信用力を背景に融資などの金融的手法を用いる財政政策であり、政治と市場による規律が求められる。12001年度より年郵便貯金と年金の財投への預託を廃止し自主運用にまかせ、特殊法人は財投機関債を市場へ発行して自主資金調達を行うとした財投改革がスタートした。自主調達が出来ない事業には、国が金融市場から調達した国債を精査した上で財投する2本立てとなった。同時に個別の財投事業見直しは「特殊法人等整理合理化計画」と「財政投融資の総点検」によって行われた。これらの改革によって財投計画の規模はピーク時の1996年度40兆円から2007年度の14兆円と1/3にまで減少した。財投計画残高も2007年度にはピーク時の約6割の250兆円に縮減した。財投の貸付先はかって大きなウエイトを占めていた公共事業のシェアーは10%以下に減り、代わって中小零細企業、学生、農業向けの財投機関と地方自治体向けの財投が8割を占めるようになった。2006年には財投の剰余金12兆円が国債償還に回された。この成果を生み出した財投改革とは、組織の改革や財投機関債の発行といったことではなく、個々の財投事業の見直しによって進展したと云うことである。前者の改革を「虚の改革」、後者の改革を「実の改革」と呼ぶ。2007年度から郵便・年金の預託金の払い戻しが完了し、財投債は全部が市場に発行される。2008年度より政策金融機関の改革が実施される。それまでに財務の健全性に問題がある財投機関は当該事業からの撤退を条件に財投への繰り上げ償還をペナルティ無しで行い、免除された補償金で財務の健全化を図る。これによって財投が不良債権を抱えていると云う懸念は払拭された。2008年度から財政投融資金特別会計と産業投資特別会計が統合された。

ところが2006年後半より、審議会の議論が組織改革を優先し、国の資産のGDP比を圧縮するため財投貸付金の130兆円の圧縮を行うことを目的として、融資から政府保証へシフトし、財投貸付金の証券化をおこなうという。これと並行して公営公庫に積まれた巨額の剰余金は出資者である政府ではなく、債務者である地方公共団体へ移譲すると云うことだ。さらに地方公共団体には補償金無し繰り上げ償還をみとめよという「徳政令」を要求する動きがある。民主主義・市場経済の約束事を無視する論議である。郵貯・年金を原資とする20世紀型の財投は解体された。21世紀の財投は政策として必要であり、補助金や税などの手段に較べて少ない国民負担で出来る場合に限って活用される。官僚の抵抗が大きい事業内容の徹底した見直しを回避して、公的資金に市場原理の闇雲な適用は結果オーライでは済まされない危険性が含まれるので著者は反対しているようだ。そして両論併記から並行実施で政策を進めると、成果があってもどちらの効果なのか分らなくなると云うこともあるようだ。

本書は次のように構成される。
第一章「資金調達の仕組みの改革」では、2001年度からの財投の新しい資金調達の仕組みの実施プロセスを検証する。財投機関の自己調達は市場より高い資金調達を余儀なくされている。郵便貯金・年金の預託金制度から財投債発行に移った。国会の議決を必要とする財投債は最も信用力が高く国債金利を基準に設定されるので国民負担も少ない。
第二章「マーケットにおける財投機関債」では、市場が財投機関債をどのように受け入れたのかを検証する。やはりマーケットでは政治が決めるべき信頼によって、財投機関債と国債との格差が変動した。住宅金融公庫の財投機関債(住宅MBS)は資産担保の形態をとったので信用リスクフリーとなった。繰り上げ償還リスクに対応したスプレッド(格差)が市場で決まるようになった。
第三章「財投事業の見直し」では、改革の実の部分の成果を検証する。個別事業の廃止と縮減が進み、財務の健全性に問題がある事業の撤退と補償金無しの繰り上げ償還を国費で行って財投から不良債権を追放した。
第四章「行政改革推進法」では、政府資産・債務改革、政策金利改革を取り上げる。財投貸付金の圧縮を行うことを目的として、融資から政府保証へシフトし、財投貸付金の証券化をおこなう事になった。市場に政治を任せるようなことになった。地方自治体貸付の「公営企業金融公庫」は廃止され「地方自治体金融機構」に引き継がれる。

第一章 「資金調達の仕組みの改革」

21世紀に入り財投の改革が始まった。財投機関の資金調達は郵貯・年金と云う預託金から、財投債と財投機関債の発行により市場から資金を調達する法式に変わった。財投の出口での財投機関債の発行、入り口での郵貯・年金の預託義務廃止と自主運用によって、これまでの財投方式は解体された。郵貯は郵政公社を経て民営化され、出口では道路公団も民営化され、特殊法人の行う財投事業の見直しも進んだ。旧財投では郵貯と年金の預託金を運用部が一括して特殊法人に貸し付けることであったが、新財投方式では特殊法人の資金調達は金融市場へ財投機関債発行による自主調達と国債を基にする財投債の運用の2本立ての資金調達となった。政策実施機関の資金調達が財投機関債・政府保証債・財投債(国債)という資金調達コストの高い順に、即ち国民負担が大きい順になされているのである。

旧財投方式は特殊法人肥大化の張本人であるとして、「兵量攻め」から政策実施機関の規模縮減を図った。郵貯は任意貯金であるから自主運用は許せるとして、公的年金は強制徴集されるのでこれの自主運用は問題が残る。1987年旧国鉄の財投貸付の不良債権が一般会計で処理され5兆円の国民負担となった事は記憶から消えてはいない。特殊法人規模縮減問題は先ず「原資」を絞ってからと云う仕組みは順序が顛倒している。財投債は政治が決める財投計画に基づいて発行されるのだから初めに「政策ありき」が重要ではないか。財投の改革が郵政民営化を伏線にしていたことは結果的に伺える。順序に問題があるとしても、預託義務廃止の結果、財投金利への金利上乗せが廃止されたので財投事業の資金調達コストは低下した。

財投機関の資金調達はまず主務大臣の許可を得て財投機関債を発行し自己調達することになった。しかし財投機関の民間市場での資金調達が困難であったり、超長期の条件が不利な場合は、国会の承認を得て国の信用で調達した財投債の貸付を受ける。財政融資資金特別会計の中で発行できる公的企業債務である。これに対して国債は将来の税収入を償還財源とし60年償還ルールが適用される。2006年3月国債引受シンジケート団制度が廃止され、国債は全て公募入札方式となった。2000年度から始まった財投債の10.5兆を追加して国債発行額は98.5兆円となった。郵貯・年金の預託金残高は387兆円であったので、初年度は半分を引き受け漸次貸付を縮小し2007年度には35兆円まで減少した。財政投融資計画残高も2000年度の400兆円をピークに2006年末で300兆円を下回った。財投債の貸付金利は2007年度で5年物では1.3%、15年物で2.1%であった。国民生活金融公庫、奨学資金などの政策金融機関オ貸付金利は国債金利をベースとする。日本の企業は国債金利とそれとのスプレッド(格差)で設備投資のタイミングを量るので、国債金利は経済の位置確定といっても過言ではない。

政府保証債とは財投機関が発行する債券の元利償還金を政府が保証する債権である。政府にとって原資は必要ないが、国のオフバランスシート(簿記外)の債務で、国民負担につながりうる債務である。もともと法人に対する政府の保証債の発行は禁止しされているので、毎年厳密に審査した上で限定的に発行される。地方企業金融公庫は100%政府出資の機関であるので、政府保証債で資金を調達してきた。財投原資にしめる政府保証債の割合は1990年代は5.2%に抑えられてきた。2004年民営化の方向が出されている道路関係四公団の資金調達は政府保証債に依存することになり、2007年度の財投計画にしめる政府保証債は33.2%に急上昇した。2006年行政改革推進法によって、国の資産・債務改革が行われ、今後十年以内に財政投融資貸付金は130兆円圧縮することが定められた。

2007年度で財投機関債を発行する機関数は24、合計6.2兆円で、資金調達に占める割合は34%に達した。その内訳は機関名と発行額(単位を億円)を列記すると、公営企業金融公庫(3600)、国民生活金融公庫(1900)、中小企業金融公庫(1900)、沖縄振興開発金融公庫(200)、農林漁業金融公庫(230)、日本政策投資銀行(2900)、国際協力銀行(2000)、独行法・住宅金融支援機構(36839)、独行法・都市再生機構(1400)、独行法・水資源機構(150)、独行法・鉄道建設運輸施設支援機構(1000)、独行法・福祉医療機構(1125)、独行法・国立病院機構(50)、私学振興共済事業団(80)、独行法・国立大学財務経営センター(50)、独行法・日本学生支援機構(1170)、独行法・緑資源機構(61)、独行法・日本高速道路保有・債務返済機構(5300)、東日本高速道路株式会社(250)、中日本高速道路株式会社(500)、西日本高速道路株式会社(250)、首都高速道路株式会社(100)、阪神高速道路株式会社(100)、関西国際空港株式会社(1106)である。独行法・住宅金融支援機構の財投機関債発行額が全体の半分以上を占める。その他では独行法・日本高速道路保有・債務返済機構も多い。特殊法人から独立行政法人という名前に変えたのは虚像である。国会の議決を必要とし政府から独立しては一日も存続できなのに独立法人とは恐れ入った。財投機関債は政治不信・市場過信の産物である。

第二章 「マーケットにおける財投機関債」

財投機関債は暗黙の政府保証債とみられたのか、市場はどう反応したのだろうかを検証する。結論から云うと政治の言動をみて市場は変動し、マーケットとしては判断できなかったと云うことである。財投機関債の特徴は、特別法人がこれまで発行してきた特別債・縁故債とは区別され、「財政機関が公募によって市場から資金調達するために発行される債券で政府保証はつかない」と云う政府認識である。ところが改革当初は機関債の明確な説明がなかったため市場では銘柄がつかなかった。住宅金融公庫債権は、住宅ローンを担保とする証券MBSにAAA格付けがなされた。帝都高速交通営団債権では2001年度交通債150億円は、市場はデスクロージャーがなかったので特別債と見て財投機関債とはみなさなかった。営団は2003年財投計画からはずされ、2005年完全民営化がなされ東京地下鉄株式会社となって社債を発行している。2001年日本政策投資銀債権はAAA格付けを貰い5年債、スプレッド上乗せで発行された。2006年行政改革推進法で民営化が決まった。

特殊法人法で発行を許されていた特別債或いは特殊債には発行登録や開示が免除されていた。これは少数私募債権と同様に縁故債とも呼ばれた。特別債の金利は同じ満期の政府保証債に対して0.15%ほど高かった。あたかも暗黙の政府保証がついていたことを実証する。1998年に破綻した石油公団の債権は金利が2%を突破し国債との金利スプレッドは0.9%に拡大した。結局石油公団は旧国鉄と同じく清算・廃止されたがつけは国民に回った。1999年道路公団、首都高速道路公団の発行する特別債は生命保険会社が購入を拒否した。また本四公団が債務超過の状態である事がわかって、金利は一気に上昇し国債とのスプレッドは0.9%から1%に拡大した。2000年関西国際空港の累積損失が巨大である事を受けて、金利のスプレッドは0.7%から1.2%に上昇した。2002年には関空債と本四公団債の金利スプレッドは2%を超えた。

財投機関債の格付け取得の義務はない。とはいえ機関債には政治の決定を予想して格付けに織り込まなくてはならない。このため格付け会社は各財投機関の政府と距離、政府による支援の可能性などという極めて主観的な尺度で格付けを行っている。格付け会社としてムーディーズ・インベスターズ・サービス(MDY)社、スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)社、格付投資情報センター(R&I)社、日本格付研究所(JCR)が2007年度に付けた財投機関債の評価はさまざまである。AAAからAaaまで何が本当か分らない。格付けはこの情報の非対称性(買い手と売り手の間)による市場の失敗を軽減し、経済全体の資源配分の効率性を高める役割が期待されるが、政治銘柄では難しい。

機関債の中でも新東京国際空港、日本鉄道建設公団、水資源開発公団、日本道路公団などの建設事業系の財投機関が発行した機関債のスプレッドは2002年度に急上昇した。一時は0.8%ほど金利はアップした。これに対して金融系機関債のスプレッドは0.1%と低く変動はなかった。2006年度は建設事業系と金融系の財投機関債のスプレッドは0.2%になっている。市場ではマイカル、エンロンの破綻で信用リスクへの警戒感が強まったためである。2003年にはいるとデフレ懸念から国債金利の引き下げが進み十年国債金利は0.435%と史上最低となった。それが建設事業系の機関債のスプレッド上昇の一因でもあった。道路公団民営化の目的は借金返済にありと猪瀬直樹委員は主張していた。2004年になって道路公団の約40兆円の債務返済の方針が決められて国債とのスプレッドは縮小に転じたのである。市場は政治を見て金利を決めている事が実証された。2005年9月の郵政選挙で郵政民営化が確定すると、政策金融改革が俎上に上がった。政策金融改革によって中小公庫、国民公庫など4つの機関の統合が図られると財投機関債も統合されることになり、事業系と金融系のスプレッドは2006年には著しく縮小した。2007年度財投機関債の発行は五年と十年物が中心である。機関債の発行コスト(手数料上乗せ)は5年債で0.227%、10年債で0.267%である。これが国民負担の直接の増加分である。

これまで見てきた財投機関債はコーポレート方機関債といわれ、民間社債と同様に発行体の信用に基づいて発行される。しかし市場では財投機関の信用力を社債と同じようには見なかった。これに対して発行債券などの資産に裏付けられたアセットバック型債権は、同じ財投機関といっても、信用ではなく資産が生み出すキャッシュフローを市場が評価する。その元利払いが資産にとって担保された資産担保証券であれば、発行体の種別に関係なく民営化されても廃止されても評価は証券で出来るのである。1950年に設立され2007年に廃止された住宅金融公庫は1900万個を超える住宅に固定金利で累計180兆円を直接融資してきた。新たに独立行政法人住宅金融支援機構が創設され、民間金融機関が行う住宅ローンを買収証券化することによって、利用者に固定金利で長期資金を供給するのである。昔から住公は財投計画の最大の融資先であった。財投からの借り入れ金利は6.5%で利用者には5.5%固定金利で貸した。ここに発生する逆さやを補填するため産業投資特別会計から、そして一般会計から補給金が支出された。また利用者はペナルティなしで繰り上げ償還を行う事が可能である。21世紀になって景気低迷による貸倒率が上昇し、保証協会の財務が悪化した。2001年には特殊法人等整理合理化計画が決定して、2006年に住公は廃止と決まった。住公の業務は直接融資から証券化業務へと極めて大きな変化を遂げた。国からの利子補給を前提としない。住宅ローンの証券化の先輩である米国のサブプライムローン問題も参考にしながら制度運営を図ることになる。逆サヤ、繰上償還と云う大きな金利リスクを抱えてきたため、国庫からの補給金は累計9.3兆円、特別損失穴埋めのための交付金累計約1.5兆円が支出された。(アメリカの住宅ローンについては春山昇華著 「サブプライム問題とは何か」に紹介したので参考にして欲しい)2003年住宅金融公庫法の改正に当たって、証券化支援業務の推進については将来的に保証型の支援業務が拡大するように努めると云う付帯決議がなされた。民間金融機関の住宅ローンに支援機関が100%の保証を付け,その元利払いを保証すると云う仕組みである。住宅ローン金融機関は銀行に信託譲渡し特別目的会社SPCがそれを担保にMBSを発行する。

第三章 「財投事業の見直し」

2001年財投改革によって、財投機関の資金調達法は国債で調達した資金を国から融資を受けるか、自らが発行する財投機関債から調達するか野どちらかに変わった。財投機関も特殊法人等整理合理化計画によって一部は民営化され、多くは独立行政法人に移行した。財投計画計画の規模は毎年スリム化され2007年度は14兆円まで減少した。この章は財投計画改革の総点検を検証する。地方自治体向けを除いた特殊法人向けの財投のスリム化は2007年度の10兆円となりピーク時の1995年の三分の一の規模になった。財政投融資計画の合計(郵貯、簡保、年金運用を除く)はバブル崩壊後の景気対策のため1992年から2001年度まで急上昇し30兆円から40兆円に膨れ上がった。財投機関の事業規模の合計はその時期は50兆円から60兆円の規模であったが、2007年度には20兆円を下回った。経済危機脱出のため一般会計での歳出拡大・減税と材と財投計画が積極的に利用された。公共事業の規模拡大、金融機関の貸し渋り対策を実施して膨大な債務を背負った。

2000年森内閣は「行政改革大綱」で廃止または民営化される以外の法人について独立行政法人への移行を検討すると決定した。独立行政法人とはイギリスのエージェンシー制度の輸入である。当時特殊法人として87法人が存在し、そのうち財投機関は39に過ぎなかった。特殊法人イコール財投ではなかった。財投で入りを制すれば特殊法人は整理できると云う論理が横行したようだが、それは実の改革ではない。独立行政法人とは公共上の見地から実施される必要がある事業について、主務大臣が中期目標(三年〜五年)を定めて独立行政法人に指示し、独立行政法人が計画を策定して実施する仕組みである。独立行政法人の資本金は政府が現物出資する事が基本で追加出資も可能である。破産能力はない。これに対して関空、旧電源公社、旧国鉄の特殊会社の資本金の半分は政府が持つ義務があり、財務諸表の提出と事業計画の主務大臣との協議が必要である。特殊会社には破産能力がある。完全民営化された場合、政府出資は不可能でその他は民間会社に準じる。         

2000年の「行政改革大綱」は2001年に「特殊法人等整理合理化計画」を検討するよう定めた。これにしたがって特殊法人の廃止、民営化、独立行政法人への移行が行われた。45の共済組合を除く118の特殊法人等があったが、2005年までに17法人を廃止、45法人を民営化、38法人を36の独立行政法人に移行することとなった。廃止となった財投機関は住宅金融公庫、都市基盤整備公団、地域振興整備公団、日本育英会、石油公団、簡易保険福祉事業団であった。廃止といっても一部の事業を廃止の上多くの事業が新設の独立行政法人に移った場合が殆どである。名前の付け替えに過ぎないと云う批判もあった。民営化された財投機関は以下である。道路関係四公団は廃止され、民営化が決まった。2002年度から国費は投入しない、債務償還期限を50年とすることで、「道路資産保有・債務返済機構」という独立行政法人が設置された。ところが政府保証債で行うためか、財投計画や財投計画残高は殆ど減少していない。道路族の巻き返しのせいかもしれない。日本下水道事業団は廃止され地方共同法人となった。帝都高速交通営団は2004年に国と東京都が出資する特殊会社「東京地下鉄株式会社」へ移行した。成田の新東京国際空港公団は2004年特殊法人「成田国際空港株式会社」に移行した。郵貯・年金は財投からはずされ自主運用に移行した。独立行政法人化された財投機関には、社会福祉・医療事業団、緑資源公団、運輸施設整備事業団と日本鉄道建設公団、水資源開発公団、奄美群島振興開発基金、金属鉱業事業団などがあった。2005年経済財政諮問会議の「政策金融改革の基本方針」に従って国民生活金融公庫、中小企業金融公庫、農林漁業金融公庫、沖縄振興開発金融公庫、国際協力銀行、日本政策投資銀行、商工組合中央金庫、公営企業金融公庫の業務の見直しが行われた。

財投制度等審議会財投融資分科会では2004から2005年にかけて、政策的必要性と財務の健全性から財投事業の総点検をおこなった。金融市場では最も効率的な資源配分が行われるが(神の見えない手という古典経済学)、中にはアクセスが困難な経済主体が存在する。学生、農林漁業、中小企業、家計などでは市場が存在しないに等しい。これに対して政府が政策的に介入する意義があると判断する時政府は規制や財政上の関与を行う。財政上の関与には補助金や税による優遇措置と、有償資金の貸付や政府保証の付与によって国の信用を配分する。前者を予算、後者を財投と呼んでいる。2004年の総点検では特別会計と地方自治体を除く34の財投機関について民間準拠の財務諸表が用いられらた。2003年度決算で債務超過になっていたのは、国民生活金融公庫、日本学生支援機構、福祉医療機構の年金担保貸付勘定、環境再生保全機構、鉄道建設・運輸施設整備支援機構の船舶勘定の五機関であった。国民生活金融公庫は零細企業に無担保融資するため多額の貸倒引当金を用意するためである。住宅金融公庫での逆さや問題、公庫住宅融資保証協会の財務悪化、都市再生機構での巨額の評価損が問題となった。国民生活金融公庫、日本学生支援機構、福祉医療機構の年金担保貸付勘定の三つの機関に対して巨額の補償金なしで繰り上げ償還を例外的に実施することになった。2001年4月の地方公共団体への補償金ルールの導入を最後に、全財投機関の間で補償金の支払いを前提とする繰上償還ルールが導入された。例外的な措置としては次の4つの要件を満たされた時は許される。@繰り上げ償還の対象となる業務からの撤退を含む業務の見直し A勘定を分離して撤退事業の経理を明らかにする B経営改善計画の策定 C補償金の放棄が必要やむをえないと認められる。この4条件をよく読むと抜け道だらけである。2005年度の3機関の繰上償還額は合計6兆8025億円、補償金免除相当額は1兆6602億円であった。そして2005年度末金利変動準備金の約半分12兆円を国債利払いの軽減のため国債算高を返済した。

第四章 「行政改革推進法」

「行政改革推進法」は、小泉内閣が進めてきた多くの分野での行政改革を総まとめにして、それが継続して推進されるよう法律によって担保したものである。我が国の経済は民間部門では設備・雇用・債務の過剰を移動させて今は順調な回復基調にある。一方公的部門では自律的な資源配分のダイナミズムは作動しないで行政コストは増大の傾向にある。行政改革推進法は国・地方自治体・独立行政法人などの、総人件費改革、特別会計改革、独立行政法人改革、政策金融改革、資産・債務改革などを目指している。総人件費改革では国の行政機関定員の5%以上削減をめざす。2003年度決算で人件費と退職金引当金は5.6兆円で国の業務経費の4.6%を占める。地方自治体の職員数は300万人、給与だけで28兆円である。特別会計改革では31ある特別会計の規模は重複部分を除いて200兆円を超す。一般会計と特別会計を純計した国の業務費用は2003年度で123兆円である。その内訳は50兆円の社会保障給付、地方交付税19兆円、財投25兆円である。政策金融改革では国民生活金融公庫、農林漁業金融公庫、中小企業金融公庫、沖縄振興開発金融公庫、国際協力銀行の国債金融部門を統合して「新政策金融機関」とし、国際協力銀行のODA部門を国際協力機構(JICA)に統合し、日本政策投資銀行、商工組合中央金庫を完全民営化、公営企業金融公庫を廃止する。政府資産・債務改革では2006方針を定め国の資産を140兆円規模で圧縮する。貸付金・有価証券の証券化によるオフバランス化によって身軽になることである。

国資産の売却、国債の償却は推進しなければならないが、財投融資貸付金は証券化して売却することになった。国の機関である財投機関への貸付金を証券化して日本国のバランスシート(資産)をスリム(オフバランス化)にしようとするものである。2006基本方針は2015年までに国の資産規模(700兆円)対GDP比を半減をめざし、資産を140兆円規模で圧縮する方針である。国の資産売却で12兆円、証券化で130兆円の圧縮である。国の資産規模700兆円の内、外為、年金、公共財産を除いた約410兆円が削減対象になる。さらに財投融資貸付金は257兆円である。そして証券化は2007年度末から開始された。

地方自治体の資金調達は資本市場などを活用して行う仕組みであるので、公営企業金融公庫は2008年度に廃止される。2006年の公営企業公庫は政府保証債約1兆円、財投機関債約4000億円を中心」に資金調達し、長期低利の資金を地方自治体に貸し付けている。貸付規模は約1兆4000億円、貸付残高は24.8兆円である。利下げの資金として用いられる公営企業健全化基金は公営ギャンブル納付金からなる1兆円の差額補填引当金と2.6兆円の債権借換損失引当金を留保している。公営企業公庫の貸し付けは総務省が起債許可した地方の要請に対して無審査で行われている。地方債の元利払いが地方交付税によって手当てされ規律を損ない財政を悪化させている。2006年の六地方自治体の制度設計骨子案では、公営企業金融公庫廃止後の新組織は全地方自治体のための地方共同法人とし、「地方自治体金融機構」を設立し、約3.4兆円と云う債権借換損失引当金を全額承継したいと云う分捕り論であった。これには新旧の勘定は別にすべきと云う意見に対して総務省は新組織2.2兆円、旧組織1.2兆円と分離したが、分捕り論は曖昧である。さらに財政の苦しい地方自治体には補償金免除の繰上償還(借り換え)を認める財務省理財局の説明があり、最大5兆円の繰上償還が予定されている。これは全て国民の負担である。


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