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ポール・ポースト著 山形浩生訳 「戦争の経済学」

 バジリコ(2007年11月)

戦争の鉄則「戦争は経済を活性化する」は本当か?戦争のケインズ型公共投資説を検証する

金がなければ戦争は出来ないが、戦争は金になるのかというと事情はそれほど単純でない。古代ギリシャの史家ツキジデスは「戦争は兵器の問題と云うよりは支出の問題なのであり、支出が可能なら兵器も使い物になる」といった。これは金がなければ戦争は出来ないことを言っている。本書は戦争の経済的側面を常套の経済的手法を使って説明することである。しかし戦争のバランスシートやキャッシュフロー表といった財務諸表を作ることではない。そんなことを出来る理論はない。なぜなら出費は分っても利益(便益)が確定できないためである。戦争にはこれこれの利益を上げると云う経済的目標がないのである。

訳者山形浩生氏が云うように、「この本は別に新しいことを述べて本ではない。全く新しい理論を展開しているのではなく、著者はノーベル賞を貰うほどの高名な経済学者でもない。本書は戦争をめぐる経済の話題を初歩的なマクロ・ミクロ経済理論を使って分析し、総合的に戦争を考える枠組みの試論である。」本書の結論は、「戦争の鉄則」は朝鮮戦争までは当て嵌まったようだが、今では強いプラスの経済効果はなくなったということだ。その理由はアメリカには恒常的な軍需産業が存在することと、現代の戦争の性質が変わったことであると云う。核兵器とグローバル経済の高まりで戦争の意味が変化した。小規模内戦では経済は荒廃するばかりである。著者ポール・ポースト氏はオハイオ大学で経済学を教えており、現在ミシガン大学の政治学博士課程に在席してるそうだ。9.11同時多発テロ事件を契機に戦争の経済的側面の研究に目覚めたそうである。訳者の山形浩生氏は東大都市工学科を卒業後転身、今は大手調査会社に勤務の傍ら幅広い分野の翻訳と執筆活動を行っているらしい。

本書を読了して気がついたことがある。戦争は金ばかり使うが、金で評価できないことが多すぎる。兵士の正当な賃金や戦死の損失ひとつが経済学の土俵で計算できない。まして戦争に勝つ確率や勝った時の利益は全く計算できない。経済学は全く無力ではないかと云う実感しか残らなかった。戦争なんて馬鹿なことをやらないほうがいい。資源と人命の浪費、国土インフラの荒廃を考えると経済学で計算できることの範囲を超えている。また私は経済学は専門ではないので経済学理論の何たるかも知らないが、本書で記述されている理論手法は理学出身の私には幼稚すぎてとても計算方程式といえる代物ではない。話を整理するための図に過ぎない。理論と云うのは、解が自動的に計算可能でなければならない。本書で述べられているのは比例関係・反比例関係、相関関係、要因の減速(緩速)である。数値化できていない関係にすぎない。どうも理学で云う理論と経済学理論とは違うようだ。

第1章 戦争経済の理論

戦争の鉄則「戦争は経済を活性化する」は確かに第二次世界大戦はアメリカ経済を大恐慌から引き上げることに役立ったといえる。しかしそれには条件があった。その条件を検証する前に、戦争が経済に与える二つの影響を考えよう。国の所得=国民の消費+民間投資+政府支出+純輸出とすれば、戦争の不安・心理的恐怖で消費と投資は一時的に下るので経済にブレーキがかかる。戦争は現実的にお金を使うので政府支出は増えるから景気はよくなるという。この政府支出による景気浮揚策がケインズ型公共投資策である。戦争の鉄則を検証する時には4つのポイントがある。1:戦争前のその国の経済状態、2:戦争の場所、3:戦争資源・兵士の動員(戦時動員体制)の量、4:戦争の期間と費用及び資金調達法である。
1:戦争は政府支出が増えるので国内総生産GDPを押し上げる(軍事ケインズ主義)が、同時に借金と紙幣印刷のためにインフレを起す。第二次世界大戦時(1938年)の各国の一人当たりGDPを見ると、アメリカが6134$、ソ連2150$、ドイツ5126$、日本2365$であった。日本は軍艦・戦車・飛行機生産資金でアメリカの1/3で、これでは竹やりで戦うしか手はなかった。
2:生産力が低く国土が戦場となったソ連が一番被害が大きかったようだ。戦争の場所は国土の爆撃の損害によって生産インフラの壊滅につながる。アメリカは一度も国土を戦場にしたことはない。
3:生産要素としてのインフラと民間生産力を戦争に向ける余力があることで、戦時生産が経済効果が生まれる。アメリカのGDPあたりの戦費%は第二次世界大戦時132%を最大として、朝鮮戦争31%(11%)、ベトナム戦争8%(10%)、湾岸戦争1%(-1%)、イラク戦争<1%(2%)であった。GDP成長率は第二次世界大戦時は69%、朝鮮戦争11%、ベトナム戦争10%、湾岸戦争-1%、イラク戦争2%であった。戦費を減らす効率的戦争よりも凄まじいGDPの拡大ができたのである。しかし軍用生産は平時の生産価値を上げない。戦時生産設備は戦後は破棄することになる。こういった戦争でアメリカのGDPは拡大してきた。また戦争は兵士の動員で確実に失業率を下げる。その分民間への労働資源配布は減る。軍人の人口比(カッコ内は失業率)は第二次世界大戦時は12.2%(1.2)、朝鮮戦争3.8%(2.9)、ベトナム戦争4.3%(3.5)、湾岸戦争1.1%(5.6)、イラク戦争0.9%(5.6)であった。
4:戦争資金を得る方法は借金(戦争債)、増税、印刷、非軍事部門の政府経費節減などである。戦争中のマネーサプライM2は上昇する。高速で輪転機を回転させて紙幣を印刷すればインフレも高くなるので戦後は必ずインフレで苦しむ。GDPあたりの戦争費用(一人当たり)は第二次世界大戦は45%、朝鮮戦争20%、ベトナム戦争21%、湾岸戦争22%、イラク戦争22%であった。個人の収入の20%は戦争に持っていかれる。

第2章 実際の戦争経済:アメリカの戦争

第1章から戦争が経済的に有益なのは4つのポイントを満たす時である。・戦争前に低い経済成長で遊休リソースがたくさんある時、・戦時中に巨額の政府支出が出来る時、・自国が戦場にならず、・期間が短く、節度のある資金調達が出来る時である。そして戦後は必ず不況になるのである。この章では、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争では戦争の鉄則が成立することを見、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争では戦争の鉄則の条件が成立していないことを見る。

第一次世界大戦(1917−1918)
1913年アメリカは不景気の真っ最中であった。ウイルソン大統領は戦争に介入しないと約束し1916年の政府支出はGDP の3%に過ぎなかった。アメリカは戦争はしなかったがヨーロッパの軍需工場となり貿易黒字が拡大した。朝鮮戦争の時の日本と同じである。欧州はこの大戦で低い成長率しか実現できなかったし、消費者物価指数CPIが上昇して戦後は物価高に悩んだが、アメリカは16%もGDPが伸びた。欧州の戦争のためにアメリカ経済は根本的に変化した。1918年には政府支出はGDPの20%を占め、国家資本主義といわれたように戦争産業委員会を作って経済は戦争一色になった。その生産力は戦後経済が停滞して凄まじい不景気を体験するのである。

第二次世界大戦(1941-1945)
戦争前のアメリカの1939年GDP成長率は7.9%だった。平均失業率は15.9%であった。第二次世界大戦の戦場は欧州と北アフリカ、アジアであった。アメリカはハワイで被害を受けたものの、概ねアメリカ以外で闘われた。この時期、同盟国のイギリス、ソ連へ武器を売って貿易収支は戦争中大幅に黒字となった。平均して毎年の軍事支出はGDPの30%以上になって、財政赤字も1943年には30%になった。戦争費用の調達は増税と紙幣の印刷であった。連邦準備制度は(日本の日銀に相当)金利を低くして安上がりの負債とした。膨大な資金調達はアメリカの経済構造を自由経済から再び国家計画経済に変えた。貿易収支は1942年から1944年まで輸出が輸入の2倍を超えていた。飛行機生産は1941年では米英ソ連はそれほど差はなかった(日本はアメリカの1/4)が、1944年にはアメリカが群を抜いて高くなった。兵員動員は陸軍だけで900万人を超した。失業率は3.9%に下った。インフレは8%に上がった。GDP成長率は20%以上であった。第二次世界大戦は戦争の鉄則と戦争のインフレのどちらも見事に例証できる。

朝鮮戦争(1950−1953)
戦争前1949年は第二次世界大戦後の停滞から立ち直っていなかった。GDP成長率は1.88%、失業率は5%、インフレ率はー1.2%(デフレ)であった。朝鮮半島は アメリカにとって経済的には関係の少ない場所であったが、北朝鮮の侵略に対して、トルーマンドクトリンで共産主義化を防ぐ意味から参戦した。戦争は短期で、総費用は年平均でGDPの4%である。戦争費用は国債発行を避け(低金利政策と物価安定)、増税と被軍事政府支出削減によった。非軍事政府支出はGDPの5.4%に下げ、所得税歳入はGDP比で1.32%上昇した。この期間財政赤字は1%以下か黒字になった。この時期から冷戦戦略は永続的な軍需産業を生み出した。年間国防費の成長率は110%にも及んだ。実質GDP 成長率は三年平均で6.2%と云う堅実な成長である。失業率は3.6%であった。アメリカは軍産複合体の継続的形成過程で確実な経済成長期を経験した。しかしインフレ率1951年に7.3%にも上昇していた。

ベトナム戦争(1964ー1973)
1960年代は宇宙開発に象徴されるようにアメリカの経済は力強く成長していた。実質GDP成長は平均4.1%、失業率は6.1%、インフレ率は1%であった。朝鮮半島と同じようにベトナム分裂国はアメリカにとって経済的な価値は少ない。ドミノ式共産化を恐れた覇権国家アメリカの信用問題から参戦した。戦争は長期化して、軍事総費用は1973年のGDPの8%(年平均で1%)で、偉大な国作りのためのアメリカの非軍事支出も年平均14%と増加した。ジョンソン政権は増税を避け国債を発行した。通貨量をはかるマネタライズM1の増加が大きくなった。そのため財政赤字は1963年GDPの0.3%だったのが、1968年には2.9%に上昇したので増税に踏み切った。インフレ率も4.5%になり戦争がだらだら行われたので厭戦気分が広がった。債権市場での金利上昇は、民間投資資金を圧迫して経済成長を鈍化させた。戦争リソースとしてベトナムには最高53万人が派遣され、軍要因は人口の4.3%に達した。この時期の失業率は最低53.5%に低下した。経済成長率は0-6%の間にあって特に経済は活性化されなかった。戦争の鉄則が適用されない例となった。

湾岸戦争(1990−1991)
戦争前のアメリカはローン問題と巨額の双子の赤字(貿易収支と財政収支)がたたって、消費者意向指数は大きく低下していた。戦争の場所はペルシャ湾で、石油産出国が関係しているので経済的にも敏感な地域であった。アメリカは石油の24%を中東に依存していたが、石油量よりもアメリカにとって石油価格が騰貴することは経済成長を抑圧する。戦争が終われば石油価格は直ぐにもとの水準(バレルあたり20-25ドル)に戻った。戦争費用600億ドルは1991年のアメリカのGDPの1%であった。しかし戦闘行為だけを米国が負担し、この費用は同盟国が支払った。日本とドイツが費用の70%を負担した。戦争負担が少なかったためアメリカ経済は何も影響を受けず、低成長時代から不景気に入っただけであった。

イラク戦争(2003ー)
戦争前のアメリカの実質GDP成長は、2002年1.8%という低成長時代にあった。失業率は6%に増加していた。戦争が近づくと不安から消費者意向指数は大きく低下した。戦争の場所はイラクで湾岸戦争と同じく石油価格が敏感に反応した。石油はバレルあたり40ドルに上昇した。アメリカの国防費は前からアフガニスタン作戦のため上昇していた。2003年5月の主要戦闘終了宣言までのイラク戦争に直接関係した戦費は300億ドルと少なかった。その後毎年50億ドルほどが支出されている。としてもGDP の1%以下である。以前より軍の技術改良が進んでいたので戦争リソースの大量動員は必要なかった。重爆撃を減らして効率的なコンピュータ化した戦争によって必要な武器が減ったこと、武器が安くなったこと、民間の技術移転を利用したことで戦費は大幅に減った。戦争で確かにGDP成長率は2003年の一時期に2.4%と増加したが長続きはしなかった。軍需産業の株価上昇も一時的に終わった。冷戦後アメリカ経済は恒常的に軍需産業を拡大してきたので、小規模戦争では経済拡大効果はない。また確実に経済成長が続いてアメリカ経済の規模は膨大になっているので、戦争費用・リソース増加の占める率は少なくなっている。戦争の経済効果が見えにくくなってきたといえる。寧ろ不安や信用が経済を萎縮させる効果のほうが心配な面もある。

第3章 防衛支出と経済

前の2章で戦争が儲かるかどうかの条件を検証し、最近の小規模戦争では経済活性化にもならないことが分かった。次の第3,4,5章ではアメリカ軍隊の経済的側面を見て、軍の経営を考えよう。2004年ではアメリカは世界の軍事支出の38%を占め、2位以下の11カ国の軍事費を合計した規模である。アメリカの軍事支出は変動が激しいが、2005年度で見ると軍事支出は5500億ドル、非軍事支出は1兆2000億ドルである。政府支出の30%が軍事支出である。覇権国家として当然の支出なのか。それでも対GDP比は軍事支出が5%、非軍事支出が16%(2005年)である。アメリカ経済の堅調な拡大によって軍事支出の対GDP比は第二次世界大戦後一貫して減少している。非軍事支出の対GDP比は1975年以降ほぼ変化はない。国防省予算の文民給与は少なく、6割は支援と兵站部隊に向けられている。空軍では16000人の戦闘員に対して支援要員は36万人が必要である。資源の軍備と経済生産への配分(軍備縮小)は基本的には相反するのだが、生産財をいくら軍備へ回してもあるところから軍備の拡大には正比例しない。これを機会費用の増大と云う。マクロ経済学でいえば軍事支出増大はあるところから経済にマイナスの影響を与えるからだ。国の所得=国民の消費+民間投資+政府支出+純輸出とすれば政府支出が民間の投資を圧迫するのは当然である。しかし1947年から2003年の経済統計を分散図にプロットしてみると、民間投資/GDPは非軍事政府支出、軍事支出/GDP、政府支出/GDPには相関はなく、民間消費/GDPと政府支出/GDP、非軍事政府支出/GDPには弱い正の相関がみられ、民間消費/GDPと軍事支出/GDPには負の相関があるようだ。相関関係は弱いが政府の非軍事支出は民間の消費増大の活性化に寄与しているし、軍事支出は確かに民間の消費を圧迫した。

世界の軍事支出の比較を見る。世界全体の軍事支出は1990年代は冷戦終了で軍縮の時代になり緩やかな減少を続けたが、2000年以降はまた増大に転じた。アフガン戦争からイラク戦争の時代である。2002年のSIPRI年鑑によると軍事支出上位は断トツに1位はアメリカ、ついで日本、イギリス、フランス、中国、ドイツの順である。この統計はソースによってかなりばらつく。軍事費/GDP比は国の軍事化レベルを示す。北朝鮮25%、コンゴ22%、サウジアラビア12%、クエート10%、イスラエル9.7%をはじめ中東やアフリカ諸国が上位を占める。経済規模の小さい紛争地の国が軍事費/GDP比が高く、国民生産のかなりの分を戦費に向けているのである。競合する国(昔で言えばアメリカとソ連)は安全保障と云う安心感のため軍拡を続けた。もともと国民生産力が弱いと軍拡を無理に行えば当然機会費用の増大と云うマクロ経済学でいえば軍事支出増大はあるところから経済にマイナスの影響を与えるのである。ソ連が疲弊して崩壊したのは軍拡に耐えられる経済力がなかったからだ。

第4章 軍の労働

戦争の人的リソースの問題である。2003年の現役軍人数が一番多いのが中国で230万人、ついでアメリカ140万人、インド130万人、北朝鮮110万人、ロシア100万人、韓国70万人、パキスタン60万人、イラン、トルコ、オランダ、ベトナムが50万人である。軍人の人口比率が最も大きいのが北朝鮮で4.8%、エリトリア3.9%、オランダ3%、イスラエル2.6%、キルギスタン2.1%である。軍役の義務化(徴兵制)をとる国は多いが、アメリカはベトナム戦争から志願兵制に切り替えた。志願兵制では労働需要曲線と供給曲線が交わるところで賃金と兵員数がきまる。徴兵制では兵員数を多くしたいので賃金を低く設定する。民間軍事会社(PMC)は賃金は高いが能力も高い。総労働コストを安く得るには徴兵制、高くつくのが志願兵制(AVF)である。しかし兵隊の能力からするとコストパフォーマンスが高いのがPVCを雇うことである。一番能力が低いのが国連治安部隊である。労働集約的な軍隊は中国、北朝鮮である。資本集約的(戦闘設備の先端化している)なのが欧米である。徴兵制は非効率であり兵役逃れが常態化している。アメリカは1973年より志願兵制になった。AVFは賃金上昇と一人当たりの費用増加を招くし、兵員の数も減る。1980年以降はレーガン大統領の軍拡期になり、経費の問題と効率化、先端化戦争形態を志向していった。少ない数で戦争を効率化するために最先端の装備を持つ目的で、技術開発が官民で行われこれが経済的効果を生み、平時における恒常的なGDP拡大の一因となった。米軍の給与は基本給に住宅手当、食事手当て、税控除などからなり、非現金福利厚生支給も入れると結構な額であるが、民間と較べると下士官では給与の伸び率は高いが、士官では伸び率は低い。

軍業務の民間委託が増大している。通称民間軍事会社(PMC)または民営軍(PMF)である。非戦闘業務委託から始まったが(日本自衛隊の海外派遣はこの業務の負担)、いまや政府転覆指導から反乱軍排除、軍の訓練など戦闘行為をも分担している。イラク軍事占領では米軍人10に対して民間業者1の割合となって「初の民間戦争」とまで呼ばれた。年間売り上げは1000億ドルである。冷戦後のダウンサイジングを補間し、軍設備の維持や訓練に欠かせない。PMCの賃金は高いので軍の特殊部隊の引き抜きが始まっている。PMCは高くつくがコストパフォーマンスが高い。

第5章 兵器の調達

軍はどのようにして兵器を調達しているのだろうか。防衛産業にとって政府契約ほど確実なものはない。世界の防衛企業100社の売上総額は(アメリカ企業が6割)2000年で1570億ドルであった。2004年の米国政府の兵器予算額は1134億ドルであった。昔はもっと大規模であった。世界の防衛産業売上は1980年代は3000億ドルであった。いまや兵器産業は大分縮小しており、自動車産業よりはるかに小さく、医薬品市場、食品・飲食業などよりも小さい規模となっている。防衛市場は通常の市場とは全く異なっている。買い手は政府だけと云う独占需要家で、市場は寡占市場で兵器はごく少数の企業しか生産できないものばかりである。そして競争は初期の計画段階での技術競争に限られている。政治的思惑が支配的でさえある。兵器プログラムは規模は大きいが契約が取れるかどうかで企業の死活に関る。政府は各種の補助金で兵器産業を育成するので、規制と政府介入の大きい産業である。そのため需要供給曲線から決まるような完全競争市場とはかなり違った市場となる。政府が商品仕様を決めると同時に価格も交渉して決めるのである。将来を見越した量産効果によるコストダウン効果は働かない、リスクばかりが気になる市場である。何台爆撃機を納入できるかで、価格は大きく変化する。独占企業の限界収入曲線MRは需要曲線とは一致せず、高い値段になる。なぜならMRは企業のみが知るのである。限界費用MCと限界収入MRと需要曲線Dの間に価格が落ちる。

軍需市場はリスク回避のためどうしても高コストとなる。世界の軍需産業の軍需/総売り上げ比をみると、2000年上位からロッキード社は73%、ボーイング社は33%、BAE社78%、レイセオン社は60%、グラマン社は87%、ダイナミック社は63%である。日本の三菱重工は軍需売上13位で依存性は10%に過ぎない。アメリカの軍需産業トップ5社の軍需依存率は極めて高い。企業としてはあまり軍需に特化しないほうがリスクが少ない。この軍需市場の高コスト体質をプリンシパル・エージェントモデルという。契約には固定費契約(リスクプレミアム)、コストプラス契約、インセンティヴ契約があるが、政府の契約はとにかく高くつく。それでも兵器産業の技術に正の外部性があれば納得ができる。軍事が民生に転用された例としては、原子力、通信技術、インターネット、バイオなどがあった。さて今はどうだろうか。なおアメリカの軍需産業の詳細は広瀬隆著 「アメリカの巨大軍需産業」集英社新書(2001年4月)に紹介したので参照されたい。

国際兵器取引は2002年で300億ドル、そのうちアメリカが130億ドル売った。アメリカ、ロシア、フランス、ドイツが主な兵器輸出国である。兵器輸入国過去20年の合計ではサウジアラビア、台湾、日本、イギリス、トルコ、イスラエル、韓国の順である。国際兵器市場の購入者もやはり政府である。したがって外国政府ー政府間取引、外国政府ー企業取引がある。政府間取引ではアメリカは相手国に軍事直接無償援助で補助金を出している。軍需援助としてアメリカは50億ドルを提供している。大半はイスラエル、エジプト向けである。外国政府ー企業取引においてもアメリカ政府は介入する。

第6章 発展途上国の内戦

20世紀初めなら戦争は専ら国同士で戦い戦死者の90%は兵士であったが、今やすべての戦争は内戦で被害者の90%以上は民間人である。なぜ国家間の戦争がなくなったのだろうか。貿易と金融と通じて世界はグローバル化しているからだと云う説がある。金でつなっがっている相手国を物理的に破壊する馬鹿はいないだろう。しかし内戦は多くの低開発国において発展を妨げている。内戦の期間は平均8年で、経済の復興には10年以上かかる。当然戦争は国内で行われるからインフラの破壊が起きるのである。紛争の期間中の実質GDPは2.2%低下するといわれ、福祉・医療も低下して絶対貧困層を生み出すのである。周辺国の緊張と難民被害と云う経済損失も起きる。内戦の原因は種族の対立や宗教上の対立ではなく、本当の理由は貧困、資源採掘、格差と云う経済的理由である。貧困が紛争の原因か結果かは難しいところだが、世界の内戦の8割は一番貧しい1/6の国で起きている。一番確からしいのは金、ダイヤモンドという即現金になりやすい資源を一種族に独占されたときであろう。また豊かな穀倉地帯や鉱物資源に恵まれた地方の格差問題も絡んでいる。そして政府幹部の腐敗・強欲・残忍性なども紛争を深刻化する要因である。優勢な種族が均衡している場合紛争がおきやすく、民族が極めて多様なら紛争の核となる勢力が無いため紛争にはならない。

発展途上国への兵器輸出国は中国、アラブ首長国連邦、インド、エジプト、サウジアラビヤ、イスラエル、韓国という順である。これは中国を除いてアメリカから兵器輸入が多い国でもある。軍事援助で安く買って、兵器をアフリカに売っているのだろうか。アフリカの紛争で大規模な二つの内戦、シエラレオネ、スーダンの事例を見よう。シエラレオネの内戦は1991年に始まった。他国の勢力が介入した内戦である。隣国リベリアの後押しを受けた革命戦線とギニアとナイジェリアの支援を受けた政府軍が1996年まで戦った。経済はダイヤのみの輸出に頼っていた政府は腐敗も凄まじかった。人口430万人のうち90万人が難民化し30万人が殺された。既に経済は腐敗のために急落していたが戦争中のGDPは2%低下した。スーダンの内戦では北部のナイル川周辺のアラブ系(政府)と南部のキリスト系住民(人民解放軍)との内戦であった。北部は豊かな農業と経済で潤っていたが、南部は経済発展がなかった。1978年南スーダンで石油が発見されて北部政府は南へ侵入したのが内戦の原因である。1983年から20年にわたる内戦で200万人以上が殺され、人口の10%に相当した。スーダンの対外債務/輸出比率は1990年より3500倍になった。

国連の平和維持活動は1947年から1956年にかけて4つの作戦にかかわり、1957年から1974年には平和維持活動は9つ、1975年から1987年には2つ、1988年から1997年には活動が大幅に増え33作戦が実施され、1998年以降さらに10作戦が追加されている。1988年から平和維持活動が一気に増加した理由は、冷戦終了により平和維持活動が出来る余裕が生まれたこと、冷戦構造が崩壊したことで旧ソ連に頼っていた途上国の政情が流動化したことである。平和維持活動支出は1990年より30億ドルをこえて、以降少し減ったが2000年より恒常的に20億ドルを越している。平和維持作戦に使われる軍は公共財で歯なく共通資源(非排除的だが競合性はある)となる。したがっていつもただ乗り問題が生じる。国連平和維持軍予算への出費国は安保理常任理事国アメリカ、イギリス、フランスであり、いつも中国とロシアの負担はないに等しい。中・ロと紛争国周辺国はただ乗りである。アメリカのように派遣費用の大きい国には便益より費用のほうが大きいので平和維持活動が経済的に非効率である。貧しい国の軍隊は自国で支払う兵隊の賃金より平和維持活動で支払われる賃金のほうが高いので、自国の軍隊を国連で養ってもらえると云う利益が出る。だから訓練されていない後進国の兵からなる国連平和維持軍の能力はいつも低いのである。紛争が激化すると逃げて帰ってくるので何の役にもたっていない。国連の活動については既に北岡伸一著 「国連の政治力学」 中公新書(2007年5月)を紹介したので参考にされたい。

第7章 テロリズム

テロの定義は難しい。アメリカ国防省の定義は「計画され、政治的に動機付けられ、非戦闘員を標的し、小さい集団によって実施され、直接的被害者を越えた影響を与える、2カ国以上にまたがる暴力行為」である。米軍の東京・大阪空襲や広島・長崎原爆、NATO軍のコソボ空爆は非戦闘員殺害を目的にしたテロかもしれないし、戦争継続意志を奪うテロといえる。北朝鮮の謀略部隊が他国で起した爆破事件がテロなら、アメリカのCIAも中南米や中東で結構テロをやっているではないか。米軍や自衛隊施設を狙った自爆テロやロケット砲はテロではないようだ。戦争は政治の延長だとすれば全てテロになる。すべての条件を同時に満たす暴力行為てなんだろう。ベトコンゲリラは戦闘員を狙っているのでテロではない。と云うことでアメリカ人が定義するテロとは9.11同時多発テロを云うようだ。しかしアメリカは報復として国家アフガニスタンを攻撃した。これは国家間の戦争ではないか。超大国に対する小国の抵抗活動はテロで括ってしまう。そうだ小集団でも大国の軍隊に勝てるゲリラ戦法の復活ではないか。腐敗して、国民のことを考えない圧制者が支配する政府機能が完全でない国では不満が充満し、小集団でも大衆の要求を満す活動(革命軍の政府活動)は可能である。だからテロリスト(アメリカが云う)は社会のエリート層出身者が多い。革命軍に学生が多いのは昔から常識である。テロ(アメリカが定義する)はそもそも合法的な議会活動やロビー活動では決して実現できない要求を時の政府にとって非合法的に実現する活動である。つまり革命行為である。非戦闘員以外を狙う時もあるのは社会不安を騒擾して政府の支配力を奪うためである。明治維新の時に薩長浪士が京都や江戸で暗殺や放火と云う破壊活動を起したのもいわばテロ活動である。勝てば官軍になっただけで、時の政府江戸幕府から見れば無差別テロ行為であった。すると今のアメリカ政府は江戸幕府で、アフガンやイラクのテロ集団は薩長浪士のことであろうか。この章はテロリズムの経済学にはなっていない。反体制政治学であるので、あとの記述は省略する。

第8章 大量破壊兵器の拡散

パキスタンとインドは核武装し、イスラエルも核武装しているといわれる。北朝鮮の金正日は2006年秋に核実験を行い、リビアのカダフィ大佐は核兵器を断念した。これを国際原子力機関IAEAのエル・バラダイ氏は「民間部門での拡散のウォールマート化」だといった。世界中に広がっている現状を言っている。生物兵器、核兵器、化学兵器(ABC兵器)を大量破壊兵器(WMD)という。化学兵器(サリン、VXガス、マスタードなど)や生物兵器(炭疽菌、天然痘など流行性バクテリアやウイルス)保有国とアメリカが名指しする国の信憑性は怪しい。政治的に名指して「悪の枢軸国に仕立てて攻撃の材料にしているだけのような気がする。したがって本書があげる国の名はここでは記さない。化学兵器や生物兵器は管理が難しすぎて実際使えない兵器ではないだろうか。使ったらその地へは侵攻できないのである。そこで最も注目されるのが核兵器である。安全保障常任理事国5カ国とインド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルが保有していると見られる。核武装の信奉者は同じ兵器代で威力が抜群であると信じている。原爆一つの製作費用は少なくとも2億ドル以上、秘密裏に開発を進めるなら20億ドルから100億ドルは必要だといわれる。アメリカで原爆の追加製作の限界費用は200万ドルから400万ドルで、核兵器開発費用は総計5.9兆ドルで、同時期の通常兵器の半分以下であった。

パキスタンと北朝鮮の核技術の共有の経済的動機は、物々交換(バーター取引)と核物質が高収入を期待できることであった。パキスタンと北朝鮮の武器取引は1970年のベングラデシュ紛争に始まり、1980年半ばのイラク・イラン戦争で両国がイランを支持したことで深まり、1993年あたりでパキスタン、イラン、北朝鮮の三国がミサイル開発で協力したとアメリカは見ている。パキスタンは1990年代末に北朝鮮からノドンミサイルを受け取り、パキスタンは固体燃料技術の開発支援をした。同時期からパキスタンのカーン博士は原子力技術を北朝鮮に提供したと見られている。北朝鮮はミサイル技術を、パキスタンは核兵器技術をバーターしたようだ。さらに心配なのがロシアの核物質の63%(400トン)の管理が未完成なことである。これが闇核物質市場に流れたら大変である。北朝鮮には最大でプルトニウムが30Kgあり、闇では20億ドルになる。今北朝鮮は6カ国協議で核開発計画の封印を行っているが、これが完全であると云う保証もない。核拡散防止条約(NTP)は経済的には守らないほうが利得が大きいので、ただ乗りしたほうが得になってNTPをまもるインセンティヴが働かない。だから次々と破られるのである。破られても有効な強制力はないのである。善意の条約である。

付録  プロジェクトとしての戦争 自衛隊のイラク派遣

この章は訳者山形浩生氏の論文である。「戦争が経済的な事業だ」と指摘されているにもかかわらず、事業としての収支報告書はない。日本の自衛隊イラク派遣を例に検証できないだろうか。確かに日清戦争で勝った日本は清国より賠償金を得たので、収支計算が出来る。戦争費用は2335億円、賠償金は3682億円で収益率は57%であった。台湾と朝鮮半島の権益はどう評価するできるのか計算できない。事業計画では勝てる確率をかけて期待収益率をだすのだが、80%の勝率なら期待収益率は5%に下がる。到底普通の事業見通しでは戦争は出来ない相談だ。日露戦争では賠償金はなかったから朝鮮の権益を確認したことと、樺太と千島列島の権益は計算不能である。現代の戦争では賠償金は取れない。寧ろアメリカのように敗戦国へ援助する場合が多い。日本の植民地経営(台湾、朝鮮)は収支では大赤字であった。

イラク派遣費用は880億円であった。では利益は何だったのか不明である。国際貢献での名誉と信用と云うものは煮ても食えない。計算不能である。国際貢献したのだからアメリカは2006年度「思いやり予算」(米軍基地運営費一部負担)2326億円を少し減額してくれたのだろうか。とんでもない、数兆円という米軍基地移転費用を日本に要求している。日清日露戦争は日本経済を一変させるほどの経済効果があった。朝鮮戦争の時、彼岸の火事で日本の戦後経済がテイクオフした。しかしイラク派遣はどんな経済プラス効果があったのか。アメリカ一辺倒の外交は中国・韓国との感情摩擦を引きこした。石油利権は獲得できたのかというと、いまだアメリカの手中で期待はできない。もはや経済分析の範囲外である。


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