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坂村 健著 「ユビキタスとは何か」

 岩波新書(2007年7月)

身の回りのあらゆる物に番号をつけネットワークに接続するインフラ技術

私が本屋の店頭で本書を見た時、ユビキタスって何のことやら皆目見当が付かなかった。本をパラパラとめくってみてああそうか「バーコード」の進化したものかと合点した。そしてなんやら「社会的インフラ」とか「インターネット」につぐ革命とか云う大風呂敷に興味を持って結局買って読むことにした。結論的にいうと、まだ大風呂敷状態で何が具体化したと云うことでもないようだ。社会全体が動かないとインフラ整備にならない。メーカー一人ではやれないし、メーカーから流通業、消費者など業界全体が動いて行政が法整備しなければいけない。一つ一つの試みで普及するか否かの「構造特区」で実験を必要とするらしい。壮大な社会インフラの構想でそこへたどり着くには何年かかるのか素人には分らない。とにかく著者の考えを拝聴してみよう。

著者坂村建氏は東京大学院情報学環(部)学際情報学府(科)教授である。最近の東大の学問の分類系統(カテゴリー)はちょっと理解できない。「環」、「府」てどういう意味ですかと質問したくなるが、一応世間の従来の呼び方からすると、「部」、「科」で理解していいのではないか。大学関係者以外にとってどうでもいいのだけれど。専攻はコンピューターアーキテクチャ(システム構築学)である。1984年から始まった「TRON」プロジェクトのリーダーとして、新しい概念によるコンピュータ体系を構築することで世界的な権威らしい。

TRON(トロン)プロジェクトは、近未来の高度にコンピューター化された社会において協調動作する分散コンピューティング環境の実現を目指すべく1984年に東京大学の坂村健教授によって提唱された、コンピュータ・アーキテクチャを再構築するプロジェクト。 財団法人トロン協会によって運営されている。トロン協会会員企業による検討の結果策定されたオペレーティングシステム(OS)等の仕様は一般に公開されており、その実装・商品化は誰でも自由に行うことができる。TRONは、The Real-time Operating system Nucleusの略。TRONプロジェクトがリアルタイム性を重視したOSを採用していることによる。現在社会では、日常生活のあらゆる部分にコンピュータが入り込み、何らかの形で人間と関わりを持っている。これらのコンピュータをそれぞれの機器別にバラバラに扱うのではなく、ある程度標準的な仕様を設けてうまく連携させようというのがTRONの理念である。身近な所では携帯電話や自動券売機、自動車の燃料噴射システムにITRONが搭載されている。

TRONプロジェクトは互いに連携するサブプロジェクトによって構成されている。トロン関係の用語辞典です。困った時は見てください。
MTRON - TRONプロジェクトの目標とする分散コンピューティング環境。
ITRON - 組み込みシステム向けのリアルタイムOS。携帯電話をはじめデジタル家電分野で広く使用されている。
μITRON仕様 - ITRONをより実装しやすく単純化した規格。
BTRON - Business TRONの略。パーソナルコンピューター向けのOS。小学校の教育用パソコンへの導入が決まりかけていたが、1989年の日米貿易摩擦によって米国から非関税障壁(スーパー301条)の候補に挙げられ、実現しなかった。
CTRON - 通信機器用リアルタイムOS。過去にNTTの電話交換機等に採用されていた。
JTRON - μITRON上のタスクとJava VMのインターフェースを定めた規格。
eTRON - セキュリティ規格を定めたもの、ICカード、非接触認証などの規格。
T-Engine - リアルタイムシステム向けの標準開発プラットフォーム。T-Kernel、標準ミドルウェア、ハードウェアの規格を含む。
TRONCHIP - 汎用CPUの規格。過去に富士通、三菱、日立などのメーカーがTRONCHIP規格にもとづいたCPUを販売していた。
TRONヒューマン・マシンインタフェースガイドライン - 従来の機械スイッチ類を含めた、コンピュータと人間の間のインタフェースデザインに関する指針も制定している。

ユビキタスコンピューティングとは「コンピュータの機能がどこにでもある」と云う意味だ。例えばあらゆる物に非接触ICチップを埋め込み、ネットワークに繋がることである。これを「ネットワーク外部化」という。そのシステムが例えば一部流通業界独自のネットワークではなく、誰もが利用し、色々な目的に使えるネットワークと云う社会的インフラとして構想されるべきだと著者はいう。社会的インフラとしては輸送網、エネルギー網、通信網と分けられるが、イニシャル投入資本量が途轍もなく膨大で殆どは最初国営事業としてスタートしたものばかりである。しかし今やインターネットも携帯電話、光通信と云うあたらしい通信手段はこの通信電話網に乗っかって発展した。本書をイントロ、基幹技術開発、社会インフラとしての将来像の3つに分けて解説する。

1)ユビキタスコンピューティングとユビキタス社会の考え方

現実の世界にある物と概念的な世界の情報とを自動的に関連付ける技術をユビキタスコンピューティングという。例えば在庫管理を入庫、出庫をコンピュータでやるとしても、アップデートな在庫は分らない。数ヶ月に一度の棚卸をする必要がある。リアルタイムな在庫管理をやろうとすると、物一つ一つに電子のタグをつけて、その発信する信号(アクティブであれパッシブであれ)を常時受けていればできるはずである。冷蔵庫のなかの食品管理もこの延長線上にある。ユビキタスコンピューティングの究極の目的は現実の世界のコンピュータによる認識と云うことらしい。空間の状態を空間中に配置した多くのセンサーによって認知する技術をセンサーネットワークという。いわば火災警報器の万能型のようなものだ。ごみの分別自動化も可能です。そこでまずしなければならないのが、ある物とある物は違うと云う区別です。そのための番号をつけることをユビキタスコード、uコードという。すべてのものに番号が付いていれば、その物に関する情報を保有するサーバーにuコードを送って、そこから最新の情報を得るのが基本的な仕組み(アーキテクチャ)だそうです。ユビキタス技術を特定の組織の中だけで使っている事例は既にたくさんあります。図書館、スーパー、流通センターなどですが、組織、会社、業界を超え、国を超えた共通の仕組みとして実現することが必要です。

ユビキタスコンピューティングの目指す社会とは何かということは、本質的・原理的・概念的に確立することが具体的な技術を実現することより先行します。社会的インフラを考えることと具体的装置を考えることでは自ずと答えが違ってくる。インターネットで重要なことは、軍事上の連絡指示でもメールでも電話でもサイト閲覧でもありません。組織を横断し特定目的を超えて実現された基盤技術であることです。問題は何のためのインフラ技術かということになります。アメリカは強いアメリカを維持することが全てに優先する社会で、軍事上の優位を維持するためにネットワークが切断されないようにインターネットが生み出された。そこで著者は「少子高齢化に負けない日本」と云うことを日本の基盤技術開発の目標にしてはどうかと提案する。あまりに政治的過ぎてちょっと私は賛同しかねるが、それくらい大風呂敷のことを著者らはアーキテクチャー技術開発の大目標にするようだ。スケールの大きなことで結構だが、掴みようがないと文句を云う人も多いだろう。著者は20年前から(The Real-time Operating system Nucleus)TRONプロジェクトにおいてリアルタイム性を重視したOSを開発してきた。現在社会では、日常生活のあらゆる部分にコンピュータが入り込み、何らかの形で人間と関わりを持っている。携帯電話や自動券売機、自動車の燃料噴射システムに既にトロンが搭載されている。ユビキタスコンピューティングとはこのリアルタイム組み込みコンピュータをあらゆる文脈(コンテクスト)へ拡張したものであろう。高速道路の料金徴収にETCと云う装置があるが、これは国が開発したものだが公開していなかった。この優れた技術はもっと他分野で応用されたのに残念である。反対にインターネット上のプログラムは公開され誰でも無料で利用できる。HTMLと云う言語はホームページやブログ作成に利用されている。このように誰でも利用できる公開の原則は「ユニバーサルデザイン」の基本になる。

2)基本発想と実証実験

ユビキタスコンピューティングを支える技術の先ず初めに、uコードを二重発行しないユビキタスIDセンターが必要である。インターネットのIPアドレスを発行するMACアドレスは48ビット(2の48乗)だが、uコードの番号スペースは128ビットである。このuコードを入れておくのは、電子タグや非接触型ICカードなど何でもいいのである。先行する技術に流通業の商品バーコードがあるが、次世代バーコードを発行しているがEPCグローバルである。さらに携帯で認識する2次元コードもはやっている。しかしいずれにせよ商品バーコードはネットワーク外部化していない、閉じた技術である。EPCコードはサプライチェーン管理にだけ特化したコードでいいと云う考えです。電子タグを読み取る周波数も限定されている。タグを識別する装置には色々なものがあり、軍事用に「敵味方識別」などに利用されたのが、電波周波数識別法(RFID)である。ETC自動料金徴収用のRFID、JRのSuicaカード、自動車の非接触キーなどに使用されている。ユビキタスコンピューティングでは汎用性と云う意味でパッシブ・アクティブタグ読み取り装置さらにバーコード認識用に対応しなければならない。

uコードを利用する応用の場は色々試みられてきた。会社備品の管理、個人持ち物の管理、住宅部品(火災警報器)のとレーサビリティ、食品トレーサビリティ、生協での食品情報と個人情報の照合、薬のトレーサビリティといった物に対する応用だ。物・人・空間を主とする実世界の状況認識では、場所だけであれば現状では10メートルの誤差で特定できるGPSが存在するが、もっと身近な案内には障害者向けの国交省の自律移動支援 プロジェクトがある。駅構内での情報提供システムが研究されてきた。著者らは道路や町のいろいろな建造物に場所タグを入れる実験を全国30箇所で実証事件を行ってきた。uコードによって場所に情報をくくりつけることである。一軒ごとにuコードを貼り付けた精密郵便番号制、商品や、絵画アートに情報をくくりつける、子供のランドセルにuコードをつけるなどが考えられている。何を考えるのも自由だが人間にuコードをつけることまで考えているようだがプライバシーの検討が必要ではないか。

3)インフラ技術と制度設計

著者の専攻はコンピューターアーキテクチャ(システム構築学)であるが、「技術それ自体ではなく、何の目的でどう技術を使うか」と云う分野が「マネージメントオブテクノロジー」(MOT)、つまり技術のリテラシーである。JRではSuicaという交通ICカードに力を入れている。ショッピングまで応用する商品化もできた。この技術の目的は改札の人減らしと云うコストダウンが第一でしょう。人の流れを早くして改札の混雑を緩和するとか、切符売り場をなくす、非接触型なので改札装置のメンテナンスが容易、ユーザにとって目的地にあった切符を買う必要がなくなるなど2次的なメリットは色々いわれています。つまりコストダウン。スピードアップ、利用者の利便性が三大うたい文句です。この技術は大都市交通機関向けの技術で、地方では必要はありません。地方はバスでいいといっても、バスでは高齢者・障害者は救われていません。ようするに目的を明確化することが重要です。携帯電話の高機能化はまさに若年層のお遊びであって、外国では通話とメールの機能しかありません。日本の携帯電話戦略は世界でも唯我独尊の特異商品になって、通信規格も違うため日本の携帯電話のシェアーは少ない。高齢者・障害者のシステムとは簡素化の引き算の戦略でなくてはいけない。あれもこれもという足し算の戦略では高いシステムになるだけである。スウェーデン・ブラジルのような市民IDカード一つで色々のサービスが受けられるのが優しい社会ではないだろうか云う著者の主張は頷ける。2006年に安倍内閣は「イノベーション25」を立ち上げたが、日本のイノベーションには社会システムが見逃されてきた。イノベーションには製品・方式・制度の三分野がある。社会インフラとはイノベーションのことであり、まさに新たな標準を打ち立てることだ。アップル社はデジタル音楽配信制(複数端末へのコピーを許すという著作権法に寛大なシステム)のなかでi-Podの圧倒的シェアーを作った。コピー禁止技術(DRM)を排した楽曲の配信を始めた。技術にあわせて制度を変えられない日本では考えられないシステムです。逆に著作権は著しく保護され永久に近い権利まで(75年とか)が主流になって、電子図書館も開店休業である。従来型の産業政策は飼い開発目標を定め、シナリオを作り要素技術をピックアップして、関係会社にばら撒くというスタイルだった。欧米ではイノベーション指向政策の背景には、目標指向型の政策立案自体が時代遅れと云う認識がある。経産省が2004年に起した1個5円のRFID型電子タグ開発という「響きプロジェクト」と云う典型的な従来型産業政策があった。ところが想定していたRFID仕様が変わり、需要もなくなって時代の急速な変化に翻弄される結果になった。英国ではイノベーション阻害要因の貿易産業省を解体しようという改革案まであるそうだ。

柔軟性の高い英・米国法では、個人主義と自己責任と最大努力を前提としている。日本はドイツなど制度の慣性が強い大陸法がベースとなって、集団性で政府依存の責任原則と保証を基にしている。ところが日本では古い皮(制度枠)に新しい酒(中味)をもるダブルスタンダードの得意な国である。バーチャルとか「特区」で実験しようと云うことである。枠から夢を語ることは出来ない。枠を度外視したところ夢が語られるべきで、夢の実現に応じて制度枠が設計されるべきでしょう。では日本の夢とは何だろうか。著者は「少子高齢化への対応」ではないかというのである。抽象的には1)技術の進歩に適切に対応できる社会、2)制度の問題を率直に改革できる社会、3)組織を超え水平方向に状況情報を流して利用できる社会ということになる。これ以上は政治の世界であるので科学者では意味を成さないから終わりにする。


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