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パオロ・マッツァリーノ著 「つっこみ力」

 ちくま新書(2007年2月)


「反社会学講座」続編  このデータちょっとおかしいぞ 権威を笑い飛ばせ

この著者ほんとにイタリア人?嘘でしょう。日本人で社会学か統計学に携わる学者か研究者のおふざけのペンネームだろうと思う。本の裏表紙にある小さなスナップ写真は明らかにちょび髭を蓄えた日本人だ。まあ自分の職業を自嘲するか、社会学のいい加減差を世に知らしめるために、世を憚って偽名でおふざけ本を書いているのでしょうか。かって私はこの著者のパウロ・マッツァリーノ著 「反社会学講座」  イーストプレス(2004年6月) という本を読んだ。新聞や論文で使用されるデータや図表は自分の結論に都合のいい物だけを採用しているということにつきるのだが、確かに面白い本であった。私は「相関関係は因果関係ではない」という言葉を頭に入れて、新聞や官僚や権威筋がのたまうことを聞いていけば騙されないぞという確信を持っている。今回読んだパオロ・マッツァリーノ著 「つっこみ力」という本も多少は余裕が出てきたのか、愛と勇気を持って突っ込めば笑いを誘い世の中が面白くなるという益々おふざけのボルテージが上がっている。別に真剣な顔をして議論することじゃなくて、おかしいなと思えばつっこめばいい、すると権威をかざして嘘を言おうとするやつらはたじろぐはずだ。それが庶民の生きる力だ。

世の中を良くしていくために正しい議論をするのは結構だけれど、誰にも分かりにくい議論や論理ではありませんか。そこでマッツァリーノ氏は漫才の「ぼけとつっこみ」のつっこみ力の使用をお勧めなさる。呆けは天才的想像力が必要だが、つっこみは誰でも出来、議論を面白く盛り上げる力を持つ。人の議論を否定しても何も生まれない。愛国心だの愛校心、愛社精神など権威側から庶民に要求することが多いが、愛貧乏人とか愛労働者なんてことはついぞ聴いたことはない。正しさは人の数だけ有る。何が正しいかは結局政治家や権力者が押し付けてくるものだ。身構えて眉に唾をつけて聴こう。話は面白くなければいけない。面白さはひとそれぞれだから、民主主義国家では政治家は大変な労力で国民の意見を聞かなければならないはずだ。民主主義国家は正しいこと(軍国主義、民族主義、原理主義)ではなく、面白い国のことだ。

権威ある新聞や政府・官僚が押し付けてくる論理(例えば、年金制度が危機を迎えているのは少子化のせいだという類の論理)がなんかおかしいと感じたら、とりあえず反論できなくてもなんかヘンだと態度で示そうよ。暴君と戦うには論理・雄弁ではなく、あざけりのほうが効果があるそうだ。永久に笑い飛ばそうよ。そして常に大衆の存在がこちら側にあることに気付かせよう。メデイアリテラシーということがよく言われるが未だ市民権を得た言葉ではない。なぜならそれは論理と批判に頼るからです。硬くて使い物にならない手段だ。それよりつっこむ勇気と人への愛と笑いで世の中をかえてゆこうよ。

本書の後半はデータとの付き合い方について面白いことが書いてある。データの統計については次の2冊の本がその危うさを鋭く追及しているので読まれることを推薦したい。
谷岡一郎著 「社会調査のうそーリサーチリテラシーのすすめー」 文春新書(2000年6月)
ダレル・ハフ著 「統計でウソをつく法」  講談社ブルーバックス(1968年)
「データも方便」というように、自分の意見に賛成してくれるように、他人をたぶらかす手段がデータなんだ。データはお笑い芸人のネタぐらいに考えて、どれくらいおもしろいものの見方を提供してくれるかどうかが味噌です。所詮社会問題や社会現象には科学的証明はありえないのです。学者が尤もらしく分析をするのも、「説明」しているだけです。社会科学では客観的な理論なんてものはありません。さあ素人の皆さん、専門家の意見に突っ込みを入れましょう。一つのデータだけを示しての結論はいくらでもあります。信用してはいけません。「相関関係は因果関係ではない」を肝に銘じて、頭から信じないように。


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