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猪瀬直樹著 「 道路の権力」

 文春文庫(2006年3月)(単行本は2003年11月文藝春秋刊)


行革断行評議会と道路公団民営化委員会の3ヵ年の攻防

猪瀬直樹氏についてはテレビなどで道路公団民営化委員会での活躍ぶりはよく知っていた。委員会委員長が辞任以降では公団幹部を大宅女史と二人で追及する姿をすごい人だと感心し、どうしてあんなことが一作家に出来るのかという疑問がわいた。その理由がこの本を読んで氷解した。前小泉首相の全幅の信頼を得て、郵政民営化と公団民営化をセットで遂行していたことがわかった。郵政民営化と道路公団民営化は入り口と出口の関係で、郵便貯金や簡保の金を使った財政投融資で、道路公団は無制限の道路建設を続け40兆円の借金を背負うまでになった。両方を民営化しないと政府の財政危機は救えないと小泉首相は考えた。郵政民営化は竹中平蔵氏、公団民営化は猪瀬直樹氏に白羽の矢が立った。小泉首相の先兵として猪瀬直樹氏は道路公団の破壊と再生に邁進したようだ。結果からみると2002年12月に今井委員長の辞任にも関わらず道路公団民営化委員会の最終答申を提出し、2004年6月に民営化法案が成立し、2005年10月1日をもって4つの分割された民営会社はスタートした。猪瀬氏一人の手腕とは言わないが、それにしても猪瀬氏の力なくしては出来なかった快挙であろう。国鉄、電電公社、専売局の民営化に続いて、ここに郵政と道路公団の民営化が出来たのである。

猪瀬直樹氏の著作については、私は「ミカドの肖像」(1992年 新潮文庫  単行本は1986年小学館刊)を昔に読んでいた。この本は明らかに西部鉄道創始者堤康次郎氏が戦後宮家の廃止によって没落した旧宮家の土地をただ同然に買い占め、そこにプリンスホテルを建設していった過程が書かれている。タブーだった皇室家のお家事情をしらべ堤康次郎氏が何故やすやすと宮家の土地を買い占めたのかに迫った猪瀬氏の切り口が面白く記憶している。「ミカドの肖像」という本にはこのプリンスホテルの謎、歌劇ミカドをめぐる旅、心象風景の中の天皇の3部からなっている。その中で私が一番面白いと思ったのは「日本の権力は中枢へいくほど空虚になる。天皇に至っては真空地帯である。天皇には権力もなにもない。」ということだ。日本の権力構造は誰一人絶対権力者はいない。従って戦前には軍部の独走が日本を破滅に追いやった。誰にも止める力がなかった。天皇さえ。戦後は国交省が昔の軍部に替わっただけで日本国を財政破綻に追いやった。土建国家が国家を食い尽くしたのである。これに立ち向かった小泉前首相と猪瀬直樹氏の勇気と努力は称賛されるべきだ。

2001年4月変人小泉内閣発足後、行革担当大臣に石原伸晃を任命した。猪瀬氏の「日本国の研究」に興味を示していた小泉首相に猪瀬氏は8月6日道路公団分割民営化案を示して、小泉首相より石原伸晃行革担当大臣と二人三脚で「行革断行評議会」を作るよう特命を受けたようだ。この行革断行評議会から2002年6月「道路公団民営化委員会」が発足し、2002年12月に道路公団民営化委員会の最終答申を提出したところまでを描いたのが本書である。本書の後編として猪瀬直樹著「道路の決着」(2006年5月 小学館)がある。あわせてこの書評欄で次に紹介する。後編は2002年12月の委員会最終答申から2004年6月の民営化法成立、2005年10月1日分割後民営会社スタートまでの委員会活動(2005年9月24日第72回で終了)を記録したものである。後編「道路の決着」の面白いところは、前編「 道路の権力」の刊行が単行本は2003年11月なので、2003年12月に民営化委員会の四名が辞任し大宅氏と猪瀬氏の二人だけ残るという分裂騒ぎの最中で一抹の調整の希望もあったので、まだいろいろな各委員の背景や裏切りについては書くことが出来なかった。それが後編「道路の決着」では色々な委員の動きや国交省の謀略についてはっきり書いている。実は最終答申から法案化までが国交省や公団官僚との最後の戦いになる。官僚は実質骨抜きにかかるのを猪瀬氏は小泉首相に直交渉で法案の骨抜きを防止するスリリングな物語となっている。

第一部 行革断行評議会(2001年5月〜11月)

2001年4月に発足した小泉内閣は行革担当大臣に石原伸晃が抜擢され、5月1日に小泉首相から猪瀬直樹氏に石原担当大臣をサポートして欲しいという要請があって石原行革大臣の諮問機関として「行革断行評議会」の立ち上げが決まった。人選は5名で読売新聞の朝倉俊夫氏、フジテレビの船田宗男氏、日本公認会計士協会の樫谷隆夫氏、元総務庁で拓殖大学の田中一昭氏、そして猪瀬直樹氏であった。小泉首相が猪瀬直樹氏を特命したのは特殊法人や公益法人が日本の病根であるという猪瀬直樹氏著「日本の研究」を読んでいて、道路公団民営化を目指して彼に白羽の矢が立ったのである。6月22日小泉首相は閣僚会議で特殊法人に投入されている補助金5兆3000億円のうち2割削減(1兆円)を打ち出した。個別事業の見直し原案は行革推進事務局(官僚)の主導権で流れる様子であった。各省は8月10日見直しに対してゼロ回答を行い小泉首相に抵抗した。9月3日には2回目の見直し要請に対してまたも各省はゼロ回答を繰り返し抵抗を強めた。8月22日朝日新聞に「道路4公団分割民営化、行革断行評議会案」というリーク記事が出た。「道路公団の資産と40兆円の債務を保有機構に移し、運行収入2兆円を保有機構へ納入して国民に税負担をかけることなく、民営化30で償還する。償還後の通行料金は値下げする。」という内容であった。このように状況はメディアによって作られ、ショック療法は成功したようだ。小泉首相の意向は道路4公団と住宅金融公庫、都市基盤整備公団、石油公団の七つの法人を先行して解体するという決意であった。

道路族といわれる実力者には、古賀誠氏、亀井静香氏(江藤隆美氏)、野中広務氏(鈴木宗男氏)、橋本竜太郎氏という大物が控え頑強な鉄のスクラムを組んでいた。これスクラムを崩すのは容易なことではない。誰も出来るとは思わなかった。国交省が道路公団を使って道路を建設できるのは潤沢な道路特定財源があるからである。国交省の道路整備特別会計は財務省の一般会計とは別で完全な聖域である。そこへ小泉首相は自動車重量税の一般財源化を指示したが、扇国交省大臣を初め猛烈な反対があった。

ここで道路特定財源のおさらいをしておこう。2001年時点では、自動車重量税は1兆円以上であった。そのうち7割が国へ3割が地方へ配分される。国では更にその8割が道路特定財源に入る。金額にすれば6000億円である。自動車取得税4800億円、自動車税1兆2000億円、軽自動車税1300億円と以上車体にかkル税金の小計は4兆2000億円、揮発油税2兆8000億円、軽油税1兆2000億円、石油ガス税300億円、消費税3600億円、以上走行燃料課税小計は4兆3600億円、車体と走行合わせて税収入は9兆円になる。目的税は道路整備特別会計へ回り、地方税も道路事業に回る。こうして道路特定財源は5兆8000億円となる。

9月21日、民営化計画第三者審議機関は国交省の管轄下でやりたいという扇大臣案は小泉首相により否定された。9月21日の自民党の道路交通部会長古賀誠氏や江藤隆美氏、鈴木宗男氏らは大声で民営化反対、道路建設断行を叫んだ。9月26日行革断行評議会は国交省案に対するヒアリングを実施したが、骨太の方針(6月26日)により9月21日に作成された改革工程表(特殊法人等整理合理化計画を年内に作成して閣議決定する)には程遠いサボタージュ案で嘘とごまかしに塗られていた。小泉首相は再度国交相に民営化案を10月9日期限付きで再提出するよう要請したが、3度目の回答もやはりゼロ回答であった。徹底的に小泉首相の指示を無視するつもりであった。官僚主導の行革推進事務局も「行革断行評議会案」を無視するつもりであった。与党内少数与党である小泉首相を封じ込めるのが自民党実力者たちと国交省官僚の包囲網であった。自民党、国交省や道路公団は四全総で決めた9342キロの道路建設を借金を増やしながら従前どおりやりぬくことが目標であった。国交省試算では9342キロの道路を全部作るにはあと20兆6000億円かかる。

11月1日に小泉首相は全道路建設を主張する国交省案の再考を指示し、11月11日の行革断行フォーラムでは小泉首相は道路公団民営化論をぶち上げた。道路とは何か。道路とは資源配分の象徴であり族議員の集票装置なのである。また全国の知事にとって、道路公団の建設は地方自治体の負担ゼロで行われる建設工事というプレゼントであり全員の知事が熱烈に乞い求めるものであった。そしてこの構造が日本の政治を歪め、国家財政を危機に瀕するところまで追いやって政治家は誰も省みる事がなかった。11月21日NHKニュースで小泉首相は「日本道路公団に対する3000億円の投入を止め、公団の借金を50年以内に返済することを条件に道路建設を検討するよう指示をした」。そして翌年から道路公団民営化のための第三者委員会へ動いてゆくのである。(この行革断行評議会の任務には実は雇用能力開発機構の廃止化や住宅金融公庫、郵政民営化もあるのだが、ここではそれは省いた。)

第二部 道路公団民営化委員会(2002年6月〜12月)

2001年12月19日「特殊法人等整理合理化計画」が閣議決定され、道路四公団についてはこう記されていた。「日本道路公団、首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡公団の4公団は廃止する。それに替わる新たな組織について内閣に置く第三者機関において検討する。14年度中に具体的内容を纏める。日本道路公団については1)組織は民営化を前提とし、平成十七年度中に発足させる。2)国費は平成14年度以降は投入しない。3)事業コストを削減する。4)債務償還期間は50年以内とし、現行料金を引き下げる。5)道路建設は費用対効果分析を徹底して行い優先順位を決定する。首都高速道路公団、阪神高速道路公団、本州四国連絡公団も民営化する。」というように決定された。1月に発生した外務相不祥事(田中真紀子外相辞任など)が発生し、さらに2月にはいって国交省や自民党より第三者委員会について意見が相次ぎ、人選については国会の承認を必要とせず小泉首相が任命することで自民党が合意して、2月15日道路関係四公団民営化委員会設置法案」が閣議決定され国会に送られた。ところが鈴木宗男と外務省騒動や辻本清美秘書給与問題で参議院予算審議が遅れ、結局参議院で民営化委員会設置法が可決されたのが6月7日であった。6月21日福田官房長官は第三者委員会の人選を発表した。(日本経団連)、中村秀雄(武蔵工大教授)、松田昌士(JR東日本会長)、田中一昭(拓殖大学教授)、大宅映子(ジャーナリスト)、猪瀬直樹(作家)、河本裕子(マッキンぜー株式会社研究員)の7名であった。(この人選の裏話は「道路の決着」に書かれている)

2002年6月24日第一回民営化委員会が開催され、委員長に今井敬氏、委員長代理に田中一昭氏が選任された。猪瀬氏は委員会の公開性を主張して画期的な公開審議が開始された。なぜなら非公開にすると、坂野事務局長と柴田、片桐事務局次長を長とする事務局は殆どが役所の出向者で占めその6割が国交省出向である。議事録はいいように解釈されてその日のうちに国交省に筒抜けで、適当な時期に国交省に有利にメディアへリークされること請け合いだからだ。国会審議と同様に委員会もメディアに公開して国民に知ってもらうほうがいいという観点であった。委員会は8月中に中間意見整理を行い、年内に最終答申を行う関係上、かってない頻度(週2回以上、8月には6時間以上の集中討議を2回)のペースで進められた。

6月28日の第2回、7月1日の第三回委員会では「交通需要予測」について議論したが、過去の事例ではあまりの予測と実績との乖離に唖然とし、道路計画はありえない需要予測で出来ていたことが判明した。7月4日の第四回委員会で4道路公団の総裁をヒアリングした。7月17日第5回、7月18日第6回、7月22日第7回委員会では道路建設の高コスト性について議論が深まった。そして今委員長が事務局に唆されて委員長記者会見で自分の個人的見解を述べたので、7月26日第8回委員会でこれに強く抗議して、会議公開性では委員長の個人的会見は不必要だということで今後会見は行わないと約束させた。これにより委員会の流れを委員長よりの意見に持ってゆくことや必ずしも委員は委員長の見解に従うわけでないことを今井氏は感じたようだ。7月30日石原都知事、太田大阪府知事、藤本兵庫県知事、真鍋香川県知事、加戸愛媛県知事、全国知事会を代表して木村青森県知事をヒアリングした。県としては公団の道路建設は地方負担しなくていいただのプレゼントであるので大歓迎で、工事誘致が知事の仕事のようにやってきた。知事たちは自分の県を通る高速道路整備がこれまでのような大判振る舞いで出来ないとわかると、公団民営化に猛然と反対するつもりでいる。8月末の中間整理に間に合わせるにはペースを上げなければならない。一回の委員会審議を3時間に延長し、8月6,7日に第1次集中審議、8月22,23日に第二次集中審議を行うことになった。

8月の集中審議において藤井日本道路公団総裁に財務諸表計算プログラムの提出を要請したところ、言を左右にして提出に抵抗したので8月7日には不協力を理由に藤井総裁の更迭を決議した。第1次集中審議では保有機構方式が借金返済に適していることになった。第二次集中審議では川本委員が8兆円の債務削減(税金投入方式)にすれが返済が楽だという試算を提出した。この川本案はじつは事務局片桐事務局次長の腹案で、税金投入で道路公団を有利に再建し超独占会社に育てることが目的の国交省改革派の意見で、この案は小泉首相の方針(税金を投入しない債務返済)に反する税金投入で身軽になる案であった。この国交省改革派片桐事務局次長には水野清元建設大臣がついているようだった(これを世間ではシャドーコミッティーと呼んだ)。松田委員と田中委員長代理が道路凍結論という緊急提案をし、同時に新聞いリークした。尤もらしい左翼小児病的な「凍結論」は結局のところ道路公団の債務返済不能論を援護するようなもので、川本委員や片桐事務局次長の流れに対をなすものだった。これらの意見を操るのが「シャドーコミッティー」の狙いだった。道路建設の優先順位や建設全面施工の見直しは債務返済計画の下でやっていけることを石原行革相が整理して議論を元に戻すことが出来た。8月23日は首都高速と阪神高速の債務状況を審議した。これらは単独では50年かかっても返済のめども立たないことがわかった。従って首都高速と阪神高速を道路公団から切り離す意見は片桐事務局次長の腹案のねらいであった。ここで四道路公団の会計をざっとまとめておこう。日本道路公団の年間収入は2兆円強、借金は27兆円。首都高速道路公団の年間収入は2600億円、借金は5兆円。阪神高速道路公団の年間収入は2000億円、借金は4兆円。これでは首都高速と阪神高速の債務を返済することは不可能で自立のめどは立たない。しかし四公団の年間収入合計は2兆6000億円、借金総額は40兆円である。もし工事を全面的に停止すれば15年でも返済できる。しかし必要な道路は作りつつ、高コスト体質をずばり削減し、道路建設を見直し止めるべきは止め、優先順位をつければ返済50年以内は十分可能なのである。これが現実的な民営化案であろうか。それを雑音が妨害してくるのである。自民党道路族や知事会は全面建設を主張し、国交省改革派片桐事務局次長らの「シャドーコミッティー」派は税金投入で日本道路公団だけを優良独占企業にかえる案主張するのである。委員も各勢力から説得されたり指示されたりで変節を繰り返し、今井委員長は完全に国交省に丸め込まれていた。8月27日の第10回委員会は一部凍結・規格の見直しもありうるという文言を入れて、民営化は税金投入ゼロが原則を貫いた中間整理案に落ち着き、手直しの後、8月30日第15回委員会で中間整理案がまとまった。

次は12月末までに最終答申をまとめることであったが、10月8日第23回委員会で今井委員長は国交省の意向に沿った本四公団の債務処理を議題にした。これは国交省と財務省の合作債務処理スキームであった。約1兆5000億円の債務を税金でチャラにするつもりである。これでは出発点の「税金投入なしで債務処理と四公団一括民営化」を否定するお気軽な税金投入案であった。10月10日第24回委員会で再度本四公団の債務処理で審議するが一方国交省は債務処理のキャンペーンを流していた。11月1日の第27回委員会で集約の方向で妥協案が形成された。民営化スキームを崩さないで一定の債務削減を道路特定財源で行うことや料金値下げが決まった。11月8日の第29回委員会は秘密会で意見集約が行われた。1)首都高速と阪神高速公団は新組織のあり方を検討する。2)日本道路公団は数組織に分割する。3)本四連絡公団は日本道路公団民営化後のいずれかの組織に合流する。という分割民営化の意見集約ができた。11月12日の第30回委員会は保有返済機構について調整を行い、1)保有・債務返済機構方式を前提とする。2)この機構からは新規建設資金の支出は行わない。3)新規建設には別の手段を検討する。という妥協案で集約した。11月15日第31回委員会は今後の道路建設スキームが討議され1)新会社の自主的判断による建設には債務の確実な返済を妨げない。2)債務は増加させない。3)高速道路収入の一部を利用した建設。4)個別路線の採算性。5)料金値下げが石原メモによって確認された。11月26日第32回委員会で今井委員長は料金値下げ1割を入れることに反対し持ち越しなったが、猪瀬氏は答申案前文作成で五つの分割民営化会社、国民負担の少なくなる債務返済計画、建設コスト削減、道路建設の見直し、料金値下げを入れ込んだ。11月29日第33回委員会、11月30日第34回委員会で公団ファミリー企業問題(5万8千人、2兆6000億円の収入、管理費高の体質改善)と資産買取り問題(田中・川本委員は買い取り主張、今井氏は否定)を議論した。委員長の買取否定意見が頑強で委員と対決し、遂に松田委員より委員長更迭動議も出る始末であった。意見の相違点で妥協を切り返してきたが、最後で意見の相違がぶり返し、委員長のみが孤立した。今井委員長は両論併記で行きたいというがこれは両論併記では国交省の思う壺にはまり、国交省の都合のいいところしか実行しないことが見え見えである。多数決という意見も出たが石原行革相は猪瀬案で纏めるよう要請し、委員長と中村委員は石原大臣が説得し、後の委員は猪瀬が纏めることになった。12月3日の第35回委員会は委員長は欠席のまま行われ、最終答申案の文面修正に入った。12月5日石原大臣は福田官房長官も入れて今井委員長を説得したがうまく行かず、12月6日第36回委員会で委員長は辞任した。そして最終答申案は石原大臣に答申された。

12月6日小泉首相に「意見書」を提出した。年が明けて2003年になると今井委員長と中村委員は辞任と欠席拒否のかたちで離脱し、委員会は5名になったが委員長代理田中一昭氏を中心に委員会は続けられた。中村委員は国交省が主催する「道路事業評価手法委員会」に引き抜かれ、民営化委員会でもやる予定の建設基準作りは国交省によって侵食されてしまった。道路建設は採算性、事業効率(費用対便益)、外部波及効果の3要素で評価されるが、3要素の重み付けが市民(36%、36%、28%)と国交省(25%、25%、50%)では全く異なる。重み付けなんていい加減なものだ。さじ加減一つで建設ゴーサインが出せる仕組みである。環境影響評価と同じく危うい恣意的な合理性である。2003年5月藤井道路公団総裁によって左遷された片桐氏がぶち上げた「幻の財務諸表」(結論的には財務諸表というのはあまりに未完成なメモに過ぎなかったが)がメディアの間で一人歩きし、藤井総裁が急に悪者になった。石原国交省大臣が藤井氏を首にする格好の材料(政冶マター)として利用された。6月24日第43回委員会でも高規格道路通達問題で藤井総裁を追及した。8月5日第45回委員会、9月1日第46回委員会には藤井総裁は欠席したが、そのとき別納割引制度という大口運輸関係会社への優遇制度(事業共同体と異種行組合)を廃止させることに成功した。


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