070405

丸山真男著  「自己内対話」

 みすず書房(1998年2月)



日本政治思想史の丸山真男氏は1996年8月15日に亡くなられた。東京大学法学部教授を長く勤められたが、東大紛争で1971年退官された。アカデミックな論文以外の主要著書には「日本政治思想史研究」1952、「日本の思想」1961、「現代政治の思想と行動」1964、「戦中と戦後の間」1976、「文明論の概略を読む」1986、「忠誠と反逆」1992、「丸山真男著作集全16巻」1997、「丸山真男講義録全7巻」2000 などがある。著者没後に見出された3冊のノートからなるのが本書でる。1943年から1987年にかけて断片的に書かれた多岐にわたるメモや古典的著作からの抜書きからなる。目次から次の三章に分けられる。1:折たく柴の記(1943-1948)21頁、2:日記(1945-1961)21頁、3:春曙帖(1961-1987)220頁 である。本書の命名は「国際交流よりも国内交流を、国内交流よりも人格内交流を、自己自身のなかで対話を持たないものがどうしてコミュニケーションによる進歩を信じられるか」という氏の言葉から来ていることは確かである。

長谷川宏著 「丸山真男をどう読むか」では、主要著書において丸山真男氏の論点は尽くされているのでこの「自己内対話」はコメントしないと言われる。つまりあまりに断片的なメモのためが難しいためでであろうか。中野雄著 「丸山真男 音楽の対話」では本書「自己内対話」のクラシック音楽に関する丸山真男氏のメモを全て(「春曙帖」より32箇所)引用しておられる。「折たく柴の記」と「日記」の二章はきわめて短く、春曙帖の10分の1にも満たない。本書「自己内対話」のメインは当然「春曙帖」にある。丸山真男氏がクラシック音楽に詳しかったことは有名な話であるが、中野雄著 「丸山真男 音楽の対話」に本書内の関連メモが全て引用されているので省略したい。すると本書は丸山真男しの専政である政治思想史に関する断片的なメモと丸山真男氏が興味を持って引用された古典的著作(パスカル、ウエーバー、バイヤス、ノイマンら)の文章、そして丸山真男氏が体験された東大紛争に関する記録が主要な内容である。政治思想史にかんする断片的メモは問題の核心をついた記述が多いが、文脈が短すぎて長谷川宏氏が言われるように私には主要著作との関連付けが出来ないのでギブアップする。古典的著作からの引用文は丸山真男氏が感銘を受けられたことは間違いないが、私が取り上げて云々できることではない。すると本書では東大紛争に関する氏の体験談と感想文が最も考察されるべき内容であろうか。

本書のP129-140における氏の東大ゼミ講義中絶にいたる経過と、P175-230における氏の東大生活の総括と大学の権威と変革に関する問題点が注目される。とくに後部の大学の変革と権威については氏の体験談というよりは既に学者としての解析が始まっている。これに関する氏の著作があったかどうかは私は知らないが。

本書を読んで、2,3の箇所で丸山真男氏が評論家小林秀雄批判をしていることに私は興味を持った。本居宣長の「古事記伝」に関して「本居宣長の比類ないイマジネーションの能力と学問的方法の恐るべき透徹性。それにたいしてどうしょうもない思想的誇大妄想の貧しさ。小林秀雄の「「本居宣長論」にはこれまで本居宣長研究者を悩まし続けた右の問題性が全く欠落している。つまり学問の実証性と思想のイデオロギー性との間の巨大なギャップを古事記伝ははしなくも露呈している。」というような小林秀雄批判があった。小林秀雄氏は鋭い文明批評家でもあったが、心情右翼はかくせない。


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