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中野雄著 「丸山真男 音楽の対話」

 文春新書(1999年1月)


戦後民主主義の知的リーダー 丸山真男 とワーグナー、フルトヴェングラーを語る

東京大学法学部教授で東洋思想史なかんずく日本思想史のパイオニア、戦後民主主義の知的リーダー丸山真男氏には知られざる第二の専門「音楽」があった。丸山真男氏とは東大法学部出身の弟子で音楽面で40年の交流を続けた中野雄氏が、師丸山真男の音楽論者の一面を語りつくしてくれるのが本書である。中野氏は18年間勤めた日本開発銀行を辞めてオーディオメーカのトリオ(現ケンウッド)の経営者となった。現在は音楽プロデューサーや尾音楽大学講師となって、趣味の音楽の道に回帰されたようだ。その中野氏と仲間たちが師丸山真男氏宅に集まって音楽談義に花を咲かせ、駄弁りまくった。作曲家ワーグナー、指揮者フルトヴェングラーを切り口にして、モーツアルト、ベートーヴェンなど敬愛する音楽を語る異色の本である。また丸山真男氏は曲を総譜で読んで解析できる人であった。本職(政治思想史)と変らぬ情熱を持って音楽の文化・歴史そして「生きる意味」を探求し続けた人でもあった。

丸山氏は思想史家の仕事は音楽における演奏家の仕事に似ているようだ。作曲家の仕事が第一次的な創造とすれば、演奏家・指揮者の仕事は追創造であると同じく、歴史上の人物の残された思想が第一次創造で、思想史家は追創造であるという関係である。演奏家の仕事は客観的機械的な再現ではなく自分の創造という契機がなければ芸術ではなくなる。中野氏は丸山氏がなくなる1996年まで40年間会えばひたすら「再現芸術である音楽の面白さ」について語り合ったという。丸山真男氏の吉祥寺のお宅の応接間には、真空管式アンプと英国製スピーカーがあって専らその音を愛されていた(私のオーディオシステムもおなじだ)。マニアであれば膨大なレコードや超高価なシステムが林立してしていることは珍しくはない。金さえあれば出来ることなのだから。しかし驚嘆すべきは丸山真男氏は膨大な総譜(スコア-)を丹念に精読されていることである。音楽においても学問の分野における飽くなき現実観察者の姿勢は変わらない。膨大なエネルギーを費やして自分の頭で考え把握する姿勢である。音楽の素材は音であり、音は作曲者の書いた楽譜が全てである。後は自分の創造行為になる。

第一部 ワーグナーの呪縛

丸山真男氏はかって「自分が音楽の道に進んだら、政治思想のようなつまらないものは物にしなかった」と言ったとか。丸山真男は音楽を決して趣味とは考えていない。日本政治思想史とおなじレベルの第二の専門分野と考え自負していたのではなかろうか。晩年の丸山が異常なまでに音楽にのめりこんでいったことは有名でそのため「政党と異端」という論文が幻に終わったのではないかと反省する関係者もいる。「音楽自分史」を書きたいと告白された著者が丸山に代わって書いた本が本書であると理解したい。参考までに丸山がアンケートに答えて、好きな曲にフォーレ「レクイエム」、ベートーヴェン「第三交響曲」などを挙げ、尊敬する曲にベートーヴェン「第五交響曲」、バッハ「マタイ受難曲」、モーツアルト「ドン・ジュヴァンニ」、ワーグナー「リング」、ハイドン「告別」などを挙げているが、分らない作曲家として20世紀中頃の現在音楽作曲家と断定するところは面白い。

丸山真男をワーグナーの世界に誘い込んだのは,1962年8月のバイロイト体験であった。ワーグナーが強硬なドイツ民族主義者でユダヤ人排撃論者であったことはよく知られている。しかしワーグナーの言うこととやることは支離滅裂で、借金踏み倒しの常習犯、倫理観は皆無で不倫ばかりの破天荒な性格であった。時代背景として、数百の諸侯に分割されたドイツ民族を一つの近代国家に纏めるには強烈な民族意識が必要だった。強烈なエネルギーを持って、ワーグナーがバイエルン候をたきつけバイロイト祝祭劇場を創建し、そこで「ニューベルンクの指輪(リング)」を初演したのが1976年8月13日であった。そのテーマは「永遠に満たされない憧憬」と「人類の持つ宿命」であった。権力と世界征服、情愛と愛欲に、「愛による救済」が光を投げかけるのである。ワーグナー問題でいつも議論されるのはユダヤ人排斥である。これもドイツ民族統一のために作り上げられた共通の敵であろうか。

ワーグナーの音楽論に入る前に、それまでの音楽美論「調性とソナタ」について丸山の意見を聴いてみよう。音楽の美しさは長年の歴史の自然な熟成による音楽形式の美にある。形式と言う人類共通の言語に長っているから音楽は美しいといのである。ロマン派は個人主義であるがベートーヴェンは人類に向かって呼びかけているから古典派といわれるのだ。フランス革命を背景とする市民の台頭をうけてベートーヴェンは理想と意志の強さを音楽に持ち込んだ。ベートーヴェンの成功は激動する社会の意志を表現の手段としては古典的な「ソナタ形式」で歌ったところにある。宮廷作曲家モーツアルトから市民革命派ベートーヴェンの変化は音楽それ自体の自律的運動でそうなったとしか言いようがない。それが音楽形式なのだ。クラシック音楽の生命力の根源は「調性」の発見にある。調性を抜きにしてはソナタは考えられないし、交響曲や室内楽の音楽のジャンルも存在し得ない。「調性」の「調」とはある主音と主和音による音の特徴が秩序を保って大きな音の体系をつくることである。局の始めと終わりは主音になることが秩序であり、まず主音で宣言した主題がその後転調したり展開・繰り返したりして最後は主音で終わって一安心(これを解決という)するのが音楽的秩序である。これを人は美しいと思うのである。主音や和音が提示されてから解決されるまでの時間が延びれば延びるほどロマン派的傾向が強いと言う。ロマン派のラストランナーであるワーグナーの「無限旋律」は何時までたっても解決しない音楽手法で、聴衆は何時までも安心できないのである。モーツアルトの晩年の音楽には響きの重い透明度の高いものに加えて、主旋律の長い曲が増えてくる。モーツアルトの晩年は解決まで時間がかかる作曲技法になってロマン派になるのである。調性の歴史は形式の完成(属音から主音への解決)から解決の方法が複雑化し、解決の方向がわからなくなることで崩壊する。その調性の頂点にベートーヴェンがいてあとは壊れていくばかり。ベートーヴェンの音楽は「意志と理想」といわれるように音の響きが革命的に分厚くなる。その最も卓越した再現者がドイツの指揮者フルトヴェングラーである。

ワーグナーはベートーヴェンの形式を100%理解して、自分の音楽表現のために破壊した。「リング」では調性は十分生かされているが、「トリスタン」で「無限旋律」を採用した。リストの「無調」と並んでこの二人によってクラシック音楽は破壊された。現代音楽はそのだらだらした延長に過ぎない。ワーグナーの音楽はドイツ民族至上主義からヒットラーの愛好するところとなる。ヒットラーが自殺したときドイツ放送は「黄金の黄昏」を流し続けたと言う。ヒットラーとともにワーグナーの自筆譜は爆破された。

第二部 指揮者フルトヴェングラーの悲劇ー芸術と政治の狭間で

丸山正男が終生敬愛してやまなかった音楽家は作曲家のベートーヴェンと指揮者フルトヴェングラー(1886-1954年)であった。フルトヴェングラーの音楽教育は徹底した職人教育にあった。今日の講義式音楽大学教育では本当の手法の以心伝心は期待できないと丸山は言う。これは彼の大学での教育論にもつながって、「講義は嫌いだ」とか「大学は知識を教えるところで、およそ人間を形成するところではない」や「本当に身につく教育は1対1、それも学ぶほうが積極的に吸収する資質がなければだめです」という発言にも見られ、彼は少人数のゼミや個人的なおしゃべり(対話)に教育の効果を期待したようだ。フルトヴェングラーはベルリンフィルの常任指揮者ニキシュに私淑して音楽を学んだ。それとオペラでの下積み修行とたたき上げの工程を経てフルトヴェングラーは音楽界へデビューした。

丸山真男は人類の音楽の頂点としてフルトヴェングラーの戦時中の演奏をあげる。具体的には1943年のベートーヴェン「第五交響曲」ベルリンフィルの演奏である。戦後のスタジオ録音やLPにはこの凄味が欠けるという。そしてナチズムにフルトヴェングラーが協力したかどうかのいわゆる「フルトヴェングラー事件」を問題にする。フルトヴェングラーは政治と音楽は別だとしてドイツ文化そのものの音楽をドイツで演奏することに命をかけたが、丸山真男はフルトヴェングラーは結果的にナチスに利用されたと断罪を下す。フルトヴェングラーは「音楽とは音に託して伝える心のメッセージ」だと考え、ベートーヴェンの共有体験を重視した。従って録音ではだめで、演奏会でしか味わえない共有体験があるからドイツでの演奏会を止めることはできないという主張である。LPスタジオ録音は又別の芸術となる。そうすると私たちが今聴いているCDなどは残念ながら又別の体験なのか。ではドイツ的な音色とは何だったんだろうか。重く、力強く、精神的に深い感じで、しかし暗く、憂いを帯びた音であったようだが、今ではもう存在しない音である。指揮者近衛秀麿はカラヤンのベルリンフィルのことを「あれはもう別物です」と吐いて捨てるように言ったそうだ。丸山も「何という絢爛としたむなしさ」と言った。ドイツに残ったフルトヴェングラーなどの音楽家には共通した何かがあった。それは凛とした姿勢、つまり孤高の精神の貴族性というものである。ドイツから逃げれば文化的に根無し草になるという恐れをフルトヴェングラーは抱いたようだが、政治的な行動としては説明のしがたい問題である。

エピローグ 執拗低音とシャコンヌ

1996年丸山真男が逝って10日後有志による追悼の集いで天満敦子によってバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータ第二番「シャコンヌ」が何回も弾かれ在席の人の涙を誘ったそうである。生前丸山はさほどにこの「シャコンヌ」にこだわった。彼の日本思想史の研究とも深いところでつながっていたのである。「シャコンヌ」はフランス舞曲の一形式であるが、パッサカリアと同じく執拗に繰り返される低音主題の上声部で、速度は遅く連続してさまざまな変奏が展開される古典的形式である。上声旋律は展開され変化するのに、バスだけは同じ楽句に固執し執拗に反復するのである。これを「執拗低音」という。目立つことのない低音部の旋律音型が上声部にしだいに影響を与えて、気がつくと音楽自体が低音旋律のペースになっていたというようなものである。jこの例え話が日本政治思想にも当てはまるのである。丸山真男は文学部の仕事ともいえる「日本思想史」学を東大法学部の人気講座に仕立て上げ、戦後最高の知識人と呼ばれたのも、日本という島国に、底流として脈脈と流れる思考様式の発見にあった。日本は外来文化として漢文明(仏教、儒教)、西洋科学文明を主流として全面的に取り入れながら、しばらくすると日本的に脱骨変容して同化する能力に長けた文化であった。しかしその実体を明らかにしようとすると急に不明瞭にならざるを得ない古層文化である。これが持続低音といわれるものである。主旋律を変容させる契機になるが、主体は不明ななにかである。神道ではない。反漢、反西洋のアンチテーゼとしての日本主義でもない。しかしあるのである。いつか元の西欧文明と同じとはいえない文明が出来上がるのである。


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