070228

佐々淳行著 「わが上司 後藤田正晴」

 文春文庫(2002年6月)

内閣安全保障室の誕生から終焉まで(1986/7-1989/6) 後藤田の危機管理

「カミソリ後藤田」を知らない人はいない。私の印象は「怖い人だが清潔・賢明」の一言である。御藤田氏は官僚としては警察庁長官、内閣官房副長官を務め、政治家としては田中派に属して、自治大臣、内閣官房長官(中曽根内閣の5年間)、行政管理庁長官、法務大臣、内閣副総理を勤め、次々と起こる腐敗・汚職に汚されることなく1996年10月政界から引退した。将に堂々とした清廉潔白の人物であったと思う。その清潔・質素さは経団連土光会長を思わせる。サムライである。御藤田氏の盛名は、1970年代の第二次安保闘争から始まる「警察戦国時代」を警察のトップとして陣頭指揮し、中曽根内閣では名官房長官として時には首相を戒めハト派を貫いた。1990年以降は政治倫理確立のための政治改革に情熱を燃やしたが骨抜きにされ、一時は総裁の呼び声も高かったが辞退して身を清く退いた。その後藤田氏を警察時代から上司と仰ぎ(「特別権力関係」)、後藤田官房長官のときに初代内閣安全保障室長に任命された佐々淳行氏が後藤田正晴の「危機管理外史」を書こうとしたのが本書となった。私はこの本を読んでそのままにしておいたのだが、最近の北朝鮮の言動を見ていると、はたして日本には有事の際の対応がとれる国なのか心配になってきた。バブル崩壊までは経済大国として大きな顔をしていたが、これを担ったのは経済人であって政治家ではない。わが国の政治家・官僚が支配する日本政府に危機対応ができるのだろうか。2月25日の朝日新聞の記事に、安部内閣が内閣情報分析官を設ける方向で検討している報道があった。以下に概要を記す。

政府の情報機能強化検討会議(議長・塩崎官房長官)が今月末に取りまとめる対策の概要が分かった。各省庁がもつ国の安全保障や危機管理にかかわる情報を分析し、評価する複数の内閣情報分析官(仮称)を内閣情報調査室に新たに配置する。これによって、信頼度の高い情報を08年4月発足予定の日本版「国家安全保障会議」(JNSC)に提示する体制を整えるのが狙いだ。  現在、政府がもつ情報は関係省庁の局長級で構成する合同情報会議が隔週、協議し、内閣情報官が首相や官房長官に報告している。だが、外務、防衛両省や警察庁などが得た重要情報は他省庁とは共有されず、直接首相に伝えられる傾向があるため、「縦割り」や情報の偏りなどの弊害が指摘されてきた。
今回新設される内閣情報分析官には、官僚や民間研究者らを数人程度起用することが検討されている。分析官はテーマごとの担当に分かれ、独立した立場で情報の信頼性を分析、評価し、報告書を作成。その報告書を合同情報会議が点検し、最終的な「お墨付き」を与える。とくに中長期的な課題に関する情報が対象となる。また、報告書はJNSCに示すだけではなく、機密保持の基準を満たす政府関係機関にも伝達することをルール化する方針だ。
内閣官房幹部は「生の情報を政策決定者が評価すると、その政策に都合のいいように評価が引きずられるおそれがある。客観的な立場で分析しないといけない」と指摘。分析官の新設には、信頼性の疑わしい情報で政策決定がゆがめられることを防ぐ狙いがある。また、「自前の情報が報告書に反映されれば、各省庁は情報を積極的に出す気になる」(政府関係者)と、情報共有化が進むことへの期待もある。
安倍政権は情報管理を重視。検討会議とは別に、JNSC創設のための「国家安全保障に関する官邸機能強化会議」(議長・安倍首相)で議論を続けているほか、機密情報の漏洩(ろうえい)防止について、政府の「カウンターインテリジェンス推進会議」(議長・的場順三官房副長官)が対応策を検討している。」

安部内閣が目指す「国家安全保障会議」(JNSC)はかって後藤田官房長官が創設した内閣五室の内の内閣安全保障室をイメージしたものに近いような気がしたのでここに本書を再度読み直すことにした。余談だが「カウンターインテリジェンス推進会議」の議長・的場順三官房副長官は後藤田官房長官が創設した内閣五室の内、内閣内政審議室長であったので佐々氏とはおなじ釜の飯を食った人物である。

佐々淳行氏は警察庁を振り出しに1970年の第二次安保闘争や赤軍派事件では警備幕僚長として騒乱鎮圧の指揮に当った。その後防衛庁官房長、防衛施設庁長官を経て1886年初代内閣安全保障室長として活躍し昭和天皇大葬の礼警備を最後の退官した。以後は危機管理というキーワードで文筆活動をなされている。本書を再読するに当って、私は後藤田正晴氏の政治家としての活動は省略し、主に後藤田官房長官と佐々淳行氏が体験し対応に当った事件を危機管理という観点から纏めてみたい。

警察戦国時代(1970年代)

1)1969年大学紛争 「東大安田行動事件」
2)1970年第二次安保闘争
3)1970年日本赤軍3月 よど号ハイジャック事件
4)1972年連合赤軍 浅間山荘事件
5)1972年5月 日本赤軍 テルアビヴ空港乱射事件 日本赤軍ハイジャック事件(ドバイ、スキポール、シンガポール、クエート、クアラルンプール)
6)1973年8月 金大中氏誘拐事件
7)1974年8月 東アジア反日武装戦線による三菱重工爆破事件など連続企業爆破事件
8)1975年7月 部落開放同盟による姫ゆりの塔火炎瓶事件(この事件の責任をとって佐々氏左遷)

内閣安全保障室(1980年代 中曽根内閣時代 後藤田官房長官)

1)1980年 陸上自衛隊宮永将補 ソ連スパイ事件
2)1983年9月 大韓航空機撃墜事件
3)1986年6月 内閣五室 内閣安全保障室発足
4)1986年11月 大島三原山噴火 内閣主導で島民13000人救出輸送成功
5)1986年11月  三井物産マニラ支店長若王子さん誘拐事件
6)1986年11月 北朝鮮金日成暗殺誤報事件
7)1986年12月 防衛費GNP1%問題 総額方式で決着
8)1987年6月 官邸機能強化のためドイツ訪問 対テロ特殊部隊(SAT)創生につながる
9)1987年6月 東芝機械ココム違反事件
10)1987年10月 イランイラク戦争ペルシャ湾掃海艇派遣問題 経済的協力
11)1987年10月 昭和天皇大葬の礼準備作業に入る(1989年1月昭和天皇崩御 2月24日大葬の礼)
12)1987年11月 中曽根内閣辞職 竹下内閣発足

竹下・小渕・宇野内閣時代の危機管理

1)1988年 首相官邸再建の青写真作り始まる(2002年 IT化・危機管理の新首相官邸完成)
2)1988年6月 リクルート未公開株汚職事件 藤波官房長官逮捕竹下内閣総辞職 後藤田、伊藤は総理固辞、宇野宗佑内閣成立(2ヵ月後女性問題で辞職)
3)1989年6月 中国天安門事件
4)1989年6月 内閣五室のうち四室長辞職

後藤田の内閣安全保障室と安部の国家安全保障会議

佐々氏も言うように後藤田の内閣五室の構想は、アメリカのホワイトハウスの大統領補佐官制度を模したものであった。中でも内閣安全保障室は従来の「国防会議」の国防事項のほか
1)国際ハイジャック事件
2)特殊な国際事件
3)特殊な亡命事件
4)治安に関わる大災害
の四つの重大緊急事態を所管するものであった。また後藤田の内閣五室とは既にあった内閣審議会を横断的に拡大し
1)内閣内政審議室
2)内閣外政審議室
3)内閣安全保障室
4)内閣情報調査室
5)内閣広報官室
で構成される首相補佐官であった。この内閣五室発足の式で後藤田官房長官の訓示が特筆される
1)省益を忘れ、国益を想え
2)悪い,本当の事実を報告せよ
3)勇気を持って意見を具申せよ
4)自分の仕事でないというなかれ
5)決定が下ったら従い、命令は実行せよ
この五訓を裏返して言えば、危機管理のときの敵「官僚主義」を廃せよよいうことであった。国益より省の利益を先にし、上司にはまずいことは報告しない、大事には沈黙を守って不作為をする、何か起きると自分の所轄ではないと逃げ回る、決定が下っても従わずうやむやにするのが官僚の性癖である。これを廃せよと言うのである。 

安部首相もやはり省庁の縦割りの弊害を解消するために国家安全保障体制の変更を考えているようで、内閣情報調査室の内閣情報分析官や「国家安全保障会議」(JNSC)は後藤田の内閣五室にも存在する構想である。構想は繰り返しているようだが、問題はそこに任じられる官僚が何処までやる気があるかによって組織は死んだり生きたりする。それには卓越した指揮官(長官)が必要である。

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