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橋本治著 「上司は思いつきでものを言う」

 集英社新書(2004年4月)

日本社会の閉塞観を、氏独特の例え話で分かりやすく解説する

本書はサラリーマン社会の心理や欠点を笑う書かなと思いきや、バブル崩壊以降の会社という組織、日本社会の閉塞観や手詰まり感を解きほぐす書物である。いわば会社社会論から日本経済を論じたものだ。「上司は思いつきでしかものがいえない」組織的な欠陥について考察を回らす。私は会社という組織に38年間もいた。私は高度成長期に入社した。時代を回顧しますと、給料がどんどん上がる高度成長期に石油ショックを二回も経験してそれを乗越え、日本経済は1980年代に「JAPAN AS NO1」と世界第二の経済大国の地位を得た。そしてバブルの狂乱の昭和が終わって平成になるとバブルは崩壊した。それから会社の不良採算部門の切り捨て・賃金低下・就職氷河期の不況期が10年近く続きましたが、軽薄短小の企業体質の改善と何回かのIT景気のおかげで、21世紀には大企業は持ち直し現在の好況に至った。ところが建設業界や金融資本は実に長く不良資産に苦しみ、証券会社・銀行などが倒産した。この激変期での最も大きな変化は企業の再編成とグローバル化(大資本への傾斜)でした。小売商店は殆ど壊滅し、町にはゴーストタウンになったところが多い。東京一極集中で地方は公共工事がなくなって疲弊し、地方自治体の借金倒れが進んだ。格差社会が進んで貧困化層が増大し、日本社会はズタズタに切り裂かれ再構築が叫ばれている。

というような激しい天と地の経済環境で生きてきた私たち企業人の体験から、本書を見るとずいぶん皮相だなという観は否めない。おそらく会社人生活の全く無い橋本氏に何が分るのだろうと高をくくって本書を眺めてみると、そうではない案外面白い論点を提供しているなと感じられた。会社という組織や経営者の知力活動力を漫画化して馬鹿にしているようなところが多いが、別に日本社会が破綻して路頭に迷うことはなく確実に回復しつつある。しかし再構築する社会の像がいま少し歪んでいるのが気がかりである。昔には戻れないが、よき日本人の活力と智恵、よき日本社会の伝統的システムは守るべきは守ることが肝要だ。日本人は常に文明の移植をうまくやってきた。今回の金融資本主義の猛威をいかになだめて取り入れるかが課題である。

本書の構成をみると、第一章で日本の会社社会の停滞を「上司は思いつきでものをいう」という文句ではじめる。第二章で会社の中の上司と会社という組織の構造的問題を社会科学論的に述べ、第三章で「下から上へ」がない組織はつぶれるという、市場に立つ企業では当たり前すぎることを得意そうに述べ、第四章では会社組織の序列を儒教からみた日本歴史から解説するいわばおまけの章である。そこで第一章から第三章までの要点を紹介する。第四章はおまけの日本文化論であるので面白く読めばいいから紹介するまでも無い。

第一章 上司は思いつきでものを言う

停滞した日本のサラリーマン社会はなんとかならないものかという問題的である。著者は成長の止まった会社が抱える弦現状打破のための社員の提案が悉く馬鹿な上司の思いつきによって反故にされる状況を劇場風に面白く戯画化した。実際のところ著者が書く会社と上司がいたら確実に倒産する。現実の会社は実に真剣に対策を講じ、新製品は社員からしか出ないので社員からのやる気を引き出しながら市場開発を行うのである。ただ会社内で上司は現場から遊離しつつあることだけは確かで、トンチンカンなことをいうこともある。その理由を著者は停滞に至った会社と自分達の責任を認めたくないから正しい提案に抵抗するという上司心理を述べるが、これは当っていない。現実はそんなことに拘泥することは許されない。また上司は現場から遠いというのも間違っている。それでは上司の役割を果たさないことになる。上司は市場をいつも見ていている。それが生命線であるからだ。上司と部下にはおのおの役割分担があり重複する働きではないからだ。それなら上司は要らない。

第二章 会社というもの

上司の心理と会社の構造的問題を比喩的に述べている。著者の上司は会社側の視点でものをいうという論点は正しい。会社の目的は現場(市場)を収奪することで、いつかは市場は疲弊・飽和するという著者の主張はあまりに当然である。一社で食い尽くすわけではなく産業の業界や日本経済の問題である。企業の成長の果てにはいつか停滞があるというのも当然だ。成長が止まった業種・商品の会社がどうすればいいかという戦略には色々ある。原価を下げて独占を維持する、競争で負けそうなら撤退する、新製品の計画を前倒しにするなど業種によって対策はさまざまで一様には論じられない。著者が言う「会社の化石化」なんていう言葉は漫画だ。

第三章 「下から上へ」がない組織

景気が悪くなった時、会社も抱える問題は表面化するのである。会社の業績(日本の経済全体の好況感)が右上がりのときは、問題は飲み込まれて顕在化しない。成長が止まったときパイの分配をめぐって企業間で熾烈な戦いが始まり、準備を怠った会社では対応をめぐって問題が表面化する。会社は大きくなろうとする宿命があるのは当然である。しかし市場が飽和してしまえば、それ以外の新しい事業の誕生も極めて困難になる。「下から上へ」がない組織つまり市場の要求に対応できない会社は崩壊するのは当たり前の原則である。問題はどう対応するかで決まる。会社の対応には色々あるが、新製品・派生製品・販売ルートを開発して現市場での生き残りを図る、別の市場や業種を目指して投資(新製品開発や企業合併など)をする、不良部門を切り捨てたり経費を切り詰めるなど赤字を減らす努力をして会社体質改善のリストラをするなどである。口でいいほど生易しいものではなく、何年かして必至の生き残り策を講じている間に景気が回復する場合もあります。21世紀の会社は至って危うい基盤に乗っかっているかも知れない。日本が世界競争を制覇するたびに、アメリカから杭を打たれたり(ジャパンプッシング)、ルール変更(規制緩和要請や開放要求)されてきた。21世紀は「物つくりの日本」に金融資本主義の嵐を吹き込もうとしている。


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